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2017/04/27

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)始動 (その1)

 

[やぶちゃん注:詩人佐藤春夫(明治二五(一八九二)年~昭和三九(一九六四)年)は慶応義塾大学を中退した後(入学は明治四三(一九一〇)年)、元芸術座の女優川路歌子(本名・遠藤幸子:当時十八歳)と同棲を始め、二人して犬二匹と猫一匹で神奈川県都筑(つづき)郡中里村字鉄(くろがね)(現在の横浜市青葉区鉄町(くろがねちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ))へ移って田園生活を始めた。そこで本作の原型となる「病める薔薇(さうび)」の執筆が開始された。

 現行の「田園の憂鬱」として知られる作品の冒頭五節四十枚が、まず、「病める薔薇」と題して大正六(一九一七)年六月の『黒潮』に発表された(春夫満二十五歳)

 その後、続稿五十枚が完成したが、『黒潮』編集者がその掲載を拒否したため、作者によって原稿は破り捨てられたが、翌大正七年九月、破棄された後半と同じ題材を含む「田園の憂鬱」を完成させて『中外』に発表した

 そうして、先の「病める薔薇」をさらに改作して、この「田園の憂鬱」と繫ぎ合わせて『病める薔薇 或いは「田園の憂鬱」』と題し、天佑社から大正七(一九一八)年十一月二十八日に作品集「病める薔薇」(同作品集は全九篇で、他に本作の前に「西班牙犬の家」、後に「步きながら」「圓光」・「李太白」・「戰爭の極く小さな挿話」・「或る女の幻想」・「指紋」・「月かげ」を収める)に未定稿のまま収録した

 

さらにその翌大正八(一九一九)年八月に更にその未定稿に加筆を行った上、『改作 田園の憂鬱或いは病める薔薇』と題して新潮社から刊行、現在、我々が「田園の憂鬱」として読むそれは、この最後のものを定本としたものである。

 その定稿の「田園の憂鬱」の方は、未だネット上では無料電子化はされていない模様であり、「青空文庫」のそれも未だ「校正中」(二〇一七年四月二十七日現在)で公開されていない(但し、新字旧仮名)。私は定稿の新字新仮名に直したそれを新潮文庫(昭和四二(一九六七)年改版版)で所持しているだけで、正字正仮名本を所持しない。近いうちに「青空文庫」を始めとして、定稿は公開されるであろうから、それを先駆けて気持ちの悪い新字新仮名なんぞで電子化してみても糞面白くもない。されば、ここでは、まず以って電子化されないであろう、大正七(一九一八)年十一月二十八日刊行の作品集「病める薔薇」の天佑社の初版に載る、未定稿である『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』を電子化することとした

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの同初版の画像を視認した。底本の歴史的仮名遣の誤り等は総てママである(五月蠅くなるので、いちいち指摘はしない)。底本の傍点「ヽ」は太字とした。また、一部の各段落末にオリジナルな注を附した。その関係から、本文のみを読まれん人のために、注の後及び注が無い段落でも後を一行空けることとした(但し、直接話法の前後は一段落として認めず、原則、空けていない)

 本ブログでの電子化は、今、聊かの試練の中にあるところの、私の愛する春夫を愛する教え子の一人に捧げるものである――【2017年4月27日始動 藪野直史】]

 

 

 

     病める薔薇(さうび)

     
 或は「田園の憂鬱」

 

 

 

    (一九一九年五月作同年十二月改作。

     續篇「田園の憂鬱」一九一八年二月

     作をも含む。未定稿。)

 

[やぶちゃん注:以上は標題紙裏にポイント落ちで中央に記されてある。なお、現行の定稿ではこの改作表示に代わって、

 

I dwelt alone

In a world of moan,

And my soul was a stagnant tide.

                    Edgar Allan Poe

私は、呻吟(しんぎん)の世界で

ひとりで住んで居た。

私の靈は澱(よど)み腐れた潮であった。

        エドガア アラン ポオ

 

という引用(詩篇Eulalie「ユーラリー」の冒頭)がある(前注した新潮文庫版のそれを恣意的に正字化して示した)。因みに、私は本電子化で定稿との異同比較をするつもりは毛頭ない。何故なら、正字正仮名の定稿を私は所持しないからである。但し、注の中でどうしてもその必要を感じた場合は、その限りではない。]

 

 

 

     病める薔薇

  

 

 

 その家は、今や彼の目の前へ現れた。

 

 初めのうちは、大變な元氣で砂ぼこりを上げながら、主人の後になり前になりして、飛びまわり纏はりついて居た彼の二疋の犬が、やうやう柔順になって、彼のうしろに二疋並んで、そろそろ隨いて來るやうになつた頃である。高い木立の下を、路がぐつと大きく曲(まが)つた時に、「あゝやつと來ましたよ」と言ひながら、彼等の案内者である赭毛の太つちよの女が、片手で日にやけた額から滴り落ちる汗を、汚れた手拭で拭ひながら、別の片手では、彼等の行く手の方を指し示した。男のやうに太いその指の尖を傳うて、彼等の瞳の落ちたところには、黑つぽい深綠のなかに埋もれて、ささやかな菅葺の屋根があるのであつた。それは、目眩(めまぐる)しいそわそわした夏の朝の光のなかで、鈍色にどつしりと或る沈着さをもつて光つて居る。

[やぶちゃん注:「纏はり」新潮文庫版には『纏(まつ)』とルビする。

「赭毛」「あかげ」。赤毛。

「菅葺」は新潮文庫版でもこうなっており、『かやぶき』のルビがある。

「鈍色」「にびいろ」。濃い灰色。]

 

 それが彼のこの家を見た最初の機會であつた。彼と彼の妻とは、その時、各各この草屋根の上にさまやうて居た彼等の瞳を、互に相手のそれの上に向けて、瞳と瞳とで會話をした。「いい家のやうな豫覺がある。」「ええ私もさう思うの。」

[やぶちゃん注:底本では、本段落の冒頭は一字空けがないが、誤植と断じて、一字空けた。]

 

 その草屋根を見つめながら步いた。この家ならば、何日か遠い以前にでも、夢にであるか、幻にであるか、それとも疾走する汽車の窓からででもあるか、何かで一度見たことがあるやうにも彼は思つた。その草屋根を焦點としての視野は、實際、何處ででも見出されさうな、平凡な田舍の橫顏であつた。然も、それが反つて今の彼の心をひきつけた。今の彼の憧れがそんなところにあつたからである。彼がこの地方を自分の住家に擇んだのも、亦この理由からに外ならなかつた。

 

 廣い武藏野が既にその南端になつて盡きるところ、それが漸くに山國の地勢に入らうとする變化――言はゞ山國からの微かな餘情を後曲(エピロオグ)であり、やがて大きな野原(のはら)への波打つ前曲(プロロオグ)ででもあるそれ等の小さな丘は、目のとどくかぎり、此處にも、其處にも起伏してゝそれが形造るつまらぬ風景の間に、一筋の平坦な街道が東から西へ、また別の街道が北から南へ通じて居るあたりに、その道に沿うて一つの草深い農村があり、幾つかの卑下(へりくだ)つた草屋根があつた。それはTYHとの大きな都市をすぐ六七里の隣にして、譬へば三つの劇しい旋風の境目に出來た眞空のやうに、世紀からは置放しにされて、世界からは忘れられて、文明から押流されて、しよんぼりと置かれて居るのであつた。

[やぶちゃん注:「其處にも起伏してゝ」定稿(新潮文庫版。以下、この指示は略す)では「ゝ」の部分が読点になっている。底本の誤植が深く疑われるが、暫くママとする。

TYH」しばらく、東京・横浜・府中ととっておく。

 

「旋風」定稿に従うなら「つむじかぜ」。]

 

 一たい、彼が最初にこんな路の上で、限りなく樂しみ、又珍らしく心のくつろいだ自分自身を見出したのは、その年の春も暮になつた或る一日であつた。こんな場所にこれほどの片田舍があることを知つて、彼は先づ愕かされた。しかもその平靜な四邊の風物は彼に珍らしかつた。ずつと南方の或る半島の突端に生れた彼は、荒い海と嶮しい山とが劇しく咬み合て、その間で人間が微少にしかし賢明に生きて居る一小市街の傍を、大きな急流の川が、その胸の上に筏を長々と浮べさせて押合ひ乍ら荒々しい海の方へ犇き合つて流れてゆく彼の故郷のクライマツクスの多い劇曲的な風景にくらべて、この丘つづき、空と、雜木原と、田と、畑と、雲雀との村は、實に小さな散文詩であつた。前者の自然は彼の峻嚴な父であるとすれば、後者のそれは子に甘い彼の母であつた。「歸れる放蕩息子」に自分自身をたとへた彼は、息苦しい都會の眞中にあつて、柔かに優しいそれ故に平凡な自然のなかへ、溶け込んで了ひたいという切願を、可なり久しい以前から持つやうになつて居た。おゝ!そこにはクラシツクのやうな平靜な幸福と喜びとが、人を待つて居るに違いない。Vanity of vanity, all in vanity!空の空なる哉、すべて空なる哉」或は然うでないにしても‥‥。いや、理屈は何もなかつた。ただ都會のただ中では息が屛つた。人間の重さで壓しつぶされるのを感じた。其處に置かれるには彼はあまりに鋭敏な機械だと、自分自身で考へた。そればかりでない、其處が彼をいやが上にも鋭敏にする。周圍の騷がしい春が彼を一層孤獨にした。「嗟、こんな晩には、何處でもよい、しつとりとした草葺の田舍家のなかで、暗い赤いランプの影で、手も足も思ふ存分に延ばして、前後も忘れる深い眠に陷入つて見たい」といふ心持が、華やかな白熱燈の下を、石甃の路の上を疲れ切つた流浪人のやうな足どりで步いて居る彼の心のなかへ、切なく込上げて來ることが、まことに屢であつた。さうして矢も楯もたまらない、郷愁に似たやうな名づけやうのない心が、何處とも知れぬ場所へ、自分自身を連れて行けとせがむのであつた‥‥(彼は老人のやうな理智と靑年らしい感情と、それに子供ほどな意志とをもつた靑年であつた)

[やぶちゃん注:冒頭の「一たい、彼が」は底本では「一たい、彼か」であるが、誤植と断じ、定稿によって訂した。

「ずつと南方の或る半島の突端に生れた彼」佐藤春夫は明治二五(一八九二)年四月九日、和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)に生まれた。

Vanity of vanity, all in vanity!」中世のドイツ生まれの神秘思想家トマス・ア・ケンピス(Thomas à Kempis 一三七九年或いは一三八〇年~一四七一年)の書いた「キリストに倣いて」(De imitatione Christi)の一節。本書は〈第二の福音書〉〈中世の最高の信心書〉とも言われ、聖書に次いでカトリック教徒の霊的修練書として広く読まれている。但し、英訳では多くは“Vanity of vanities, all is vanity!”ようである。老婆心乍ら、訳の「空」は無論、総て「くう」と読む。

「いやが上」底本は「いやか上」。定本で訂した。

「石甃」「いしだたみ」。

「屛つた」「つまつた(つまった)」。

「嗟」「ああ」。

 

 その家が、今、彼の目の前に現れた。

 

 道の右手には、道に沿うて一條の小渠があつた。道が大きく曲れば、渠も従うて大きく曲つた。そのなかを、水は雜木林の裾や、柹の畑の傍や、厩の橫手や、藪の下や、桐畑や、片隅にぽつかり大きな百合や葵を咲かせた農家の庭の前などを、流れて行き流れて來るのであつた。巾六尺ほどのこの渠は、事實は田へ水を引くための灌水であつたけれども、遠い山間から來た川上の水を眞直ぐに引いたものだけに、その美しさは溪(たにかわ)と言ひ度いやうな氣がする。靑葉を透して降りそそぐ日の光が、それを一層にさう思はせた。へどろの赭土を洒して、洒し盡して何の濁りも立てずに、淺く走つて行く水は、時々ものに堰かれて、ぎらりぎらりと柄になく大きく光つたり、さうかと思ふと縮緬の皺のやうに纖細に、ぴくぴくと發作的に痙攣するやうに光つたりするのだつた。或は、その小さな閃きが魚の鱗のやうに重り合つた、凉しい風が低く吹いて水の面を滑る時には、其處は細長い瞬間的な銀箔であつた。薄(すすき)だの、もう夙くにあの情人にものを訴へるやうなセンチメンタルな白い小さい花を失つた野茨の一かたまりの叢(くさむら)だの、その外名もないしかしそれぞれの花や實を持つ草や灌木が、渠の兩側から茂り合ひかぶさりかかると、水はそれらの草のトンネルをくぐつた。さうしてその影を黑く凉しく浮べては、ゆらゆらと流れ去つた。或る時には、水はゆつたりと流れ淀んだ。それは旅人が自分の來た方をふりかへつて佇むのに似て居た。そんな時には土耳古玉のやうな夏の午前の空を、土耳古玉色に――或は側面から透して見た玻璃板(がらすいた)の色に映して居るのであつた。快活な蜻蛉は流れと微風とに逆行して、水の面とすれすれに身輕く滑走して、時々その足を水にひたして、卵を其處に産みつけて居た。その蜻蛉は微風に乘つて、しばらくの間は彼等と同じ方向へ彼等と同じほどの速さで一行を追うやうに從うて居たが、何かの拍子についと空ざまに、高く舞ひ上つた。彼は水を見、また空を見た。その蜻蛉を呼びかけて祝福したいやうな子供らしい氣輕さが、自分の心に湧き出るのを彼は知つた。さうしてこの樂しい流れが、あの家の前を流れて居るであらうことを想ふのが、彼にはうれしかつた。

[やぶちゃん注:「小渠」「こみぞ」。以下の「渠」も総て「みぞ」と読む。

「灌水」「かんすい」。灌漑用水路。因みに、ネット上のQ&Aサイトを見ていたら、回答の中に本邦で「灌水」という語が使用されるようになったのは昭和四(一九二九)年からであると断定してあるのを見つけた。本底本の刊行は大正七(一九一八)年十一月である。この答えは噓である

「遠い山間から來た」の「遠い」は底本では「遠ひ」となっているが、これは誤植と断じて、定本で訂した。

「赭土」「あかつち」。

「洒し」「さらし」。晒し。

「銀箔」は底本では「銀泊」であるが、これでは意味がとれない。誤植と断じ、定本の「銀箔」に訂した。

「夙くに」「とつくに(とっくに)」。

「土耳古玉」「トルコだま」。トルコ石。ターコイズ(turquoise)。青又は青緑色の鉱物で美しいものは宝石や飾り石にする。ペルシャ原産であるが、トルコを経て欧州へ入ったことからかく呼ばれる。

「時々その足を水にひたして、卵を其處に産みつけて居た」「足」はママ。定本では「尾」に訂正されてある。

 

「子供らしい氣輕さが」底本は「子供らしい氣輕さか」であるが、誤植と断じ、定本で訂した。]

 

 劇しい暑さは苦しい、樂しい、と表現しやうとして木の葉の一枚一枚が、寶玉の一斷面のやうに輝くと、それらの下から蟬は燒かれて居るやうに呻いた。灼けた太陽は、空の眞中近く昇つて居た。併し、彼の妻は、暑さをさほどには感じなかつた。併し、彼の妻から暑さを防いだものは、その頭の上の紫陽花に紫陽花の刺繡のあるパラソル――貧しい婦の天蓋――ではなかつた。それは彼の女の物思ひであつた。彼の女は今步きながら考へ耽つて居る、暑さを身に感じる閑もないほど。彼の女は考へた――さうすれば今間借りをして居る寺のあの西日のくわつと射し込む一室から凉しいところへ脱れられる。それよりもあの下卑た俗惡な慾張りの口うるさい梵妻の近くから脱(のが)れられる。さうして、靜に、凉しく、二人は二人して、言ひたい事だけは言ひ、言ひたくない事は一切言はずに暮したい住みたい。さうすれば、風のやうに捕捉し難い海のやうに敏感すぎるこの人の心持も氣分も少しは落着くことであらう。あれほどの意氣込みで田舍を憧れて來ながら、僅ながらも自分の畑の地面をどう利用しやうなどと考へて居るでも無く(それはもとよりさうであらうとは思つたけれども)それよりも本一行見るではなく字一字書かうとするでもなく、何一つ手にはつかぬらしい。さうして若しそんな事でも言ひ出せば、きつと吐鳴りつけるにきまつて居る。それでなくてさへも、もう全然駄目なものと思はれて居る――わけて自分との早婚すぎる無理な結婚の以後は、殊にさう思はれて居るらしい父母への心づかひもなく、ただ浮々と、その日その日の夢を見て暮して居るのである。何時(いつ)、建てるものとも的のない家の圖面の、然も實用的といふやうな分子などは一つも無いものを何枚も何十枚も、それは細(こま)かく細(こま)かく描いて居るかと思うと、不意に庭へ飛び出して、犬の眞似をして犬と一緒になつて、燃えて居る草いきれの草原を這つたり轉げまわつたりして居るかと思へば、突然破れるやうな大聲で笑ひ出したり叫び出したりするこの人は、ほんとうに何か非常に寂しいのであらう。何事も自分には話してはくれないから解る筈もない。何か自分には隱して居るのではなからうか‥‥。彼の女は、五六日前に讀み了つた藤村の「春」を思ひ出した。單純な彼の女の頭には、自分の夫の天分を疑うて見ることなどは知らずに、自分の夫のことを、その小説のなかの一人が、自分の目の前ヘ生活の隣りへ、その本のなかから拔け出して來たかのやうにも思つて見た。あれほど深い自信のあるらしい藝術上の仕事などは忘れて、放擲して、ほんとうにこの田舍で一生を朽ちさせるつもりであらうか。この人は、まあ何といふ不思議な夢を見たがるのであらう‥‥。それにしても、この人は、他人に對しては、それは親切に、優しく調子よくし乍ら、何故かうまで私には氣難かしいのであらう。若しや、あの人のある女に對する前の戀がまだ褪せきらない間に、私はあの人の胸のなかへ這入つて行つて、そのためにあの人はしばらくはあの女を忘れては居たけれども、根強く殘つて居たあの戀が何時の間にか再び自分をのけものにしてまた芽を出したのではなからうか。さうして私にはつらくあたる‥‥今のままでは、さぞかし當人も苦しいであらうが、第一そばに居るものがたまらない。返事が氣に入らないといつては轉ぶほど突きとばされたり、打たれたり、何が氣に入らないのか二日も三日も一言も口を利かうとはしなかつたり‥‥。あの人はきつと自分との結婚を悔いて居るのだ。少くとも若し自分とではなく、あの女と一緒に住んで居たならばどんなに幸福だつたろらうかと、時々、考へるに違ひない。實際あの女は、自分も知つて居るけれども、自分などよりはもつと美しく、もつと優しい。私はあの人があの女をどんなに深く思つて居るかはよく知つて居る‥‥いや、いや、さうではない。あの人はやつぱり彼の人自身で何か別のことを考へ込んで居るのである‥‥

「俺には優しい感情がないのではない。俺はただそれを言ひ現すのが恥しいのだ。俺はさういふ性分に生れついたのだ。」

[やぶちゃん注:「紫陽花に紫陽花の刺繡のあるパラソル」意味が半可通であるがママとする。定本では「紫陽花色に紫陽花の刺繡のあるパラソル」となっていて、躓かずに読める。脱字の可能性が極めて高くはある。

「婦の天蓋」定本に従うならば「をんなのてんがい」。

「彼の女」「かれのをんな」ではなく、「かのぢよ」と読んでいると思われる。定本では「かの女」で、本作では以降に多出するが、これをいちいち別に「かのをんな」と読んでいたのでは、リズムが頗る悪いからである。

「閑」定本では「ひま」とルビする。

「梵妻」「ぼんさい」と読み、僧侶の妻を言う。私は佐藤春夫の詳細年譜を持たないので、判らないが、この時、事実、二人は寺僧の持ち家に間借りをしていたものかも知れぬ。

「僅ながらも」底本では「僅なかがらも」となっている。意味がとれないので衍字と断じ、定本で訂した。

「さうして若しそんな事でも言ひ出せば、」底本は「さして若しそんな事でも言ひ出せば、」であるが、「さして」では意味が通らない。脱字と断じ、定本で訂した。

「浮々と」「うかうかと」。なお、定本では「ただうかうかと――ではないとあの人自身では言つても、とにかくうかうかと――」で、平仮名化し、挿入句が入っている(定本の拗音を普通に戻して表記した)。

「的」定本では「あて」とルビする。

『藤村の「春」』明治四一(一九〇八)年の発表。本底本刊行の十年前に当たる。

「這入つて」「はいつて」。以下、最後まで多出する。

 

「あの女」私は佐藤春夫の事蹟に詳しくないので不詳としておく。

「あの人はやつぱり彼の人自身で何か別のことを考へ込んで居るのである‥‥」の「考へ込んで」の「へ」は左へ九〇度に転倒して「く」のように見える。訂した。]

 

 ふと、彼の女は、昨夜、いつになく打解けて彼が語つた時、彼の女にむかつて言つた夫の言葉を思ひ出すと、その言葉を反芻しながら步いた。そうして未だ見たことのない家の間どりなどを考へた。たとひ新婚の夢からはとつくに覺めたころであつても、こんな暑さの下ででも、ただ單に轉居するといふだけの動機で、こんなことを考へて悲しんだり、自ら慰めたりすることの出來るのは、まだ世の中を少しも知らない幼妻(をさまづま)の特權であつたからだ。さうしてそれがまた、あの案内者の女が、喋りつづけに喋つて居るその家の由來に就て、何の興味も持たぬらしく、ただ無愛想に空返事を與へて居るに過ぎなかつた所以ででもある。この案内の女は、その長い暑苦しい道の始終を、ながながと喋りつづけて休まなかつた――この女は自分の興味をもつて居るほどの事なら、他の何人にとつても、非常に面白いのが當然だと信じて居る單純な人人の一人であつたから。

[やぶちゃん注:「未だ」定本ではルビによって「未(ま)だ」と読んでいる。

「空返事」定本では「空」に「そら」とルビする。]

 

 こんな道を、彼等は一里近くも步いた。

 

 さうしてその家は、今、彼等一同の目の前にあつた。

 

 家の前には、果して渠が流れて居た。一つの小さな土橋が、茂るがままの雜草のなかに一筋細く人の步んだあとを殘してその上を步く人人に、あの巾一間あまりの渠を越させて、人人をその家の入口ヘ導く。

 

 入口の左手には大きな柹の樹があつた。さうして、その奧の方にもあつた。それらの樹の自由自在にうねり曲つた太い枝は、見上げた者の目に、「私は永い間ここに立つて居る。もう實を結ぶことも少くなつた」とその身の上を告げて居るのであつた。その老いた幹には、大きな枝の脇の下に寄生木が生えて居た。それに對して右手は、その屋敷とそれの地つづきである桐畑とを區限つて細い溝があつた。何の水であらう、水が涸れて細く――その細い溝の一部分を尚細く流れて男帶よりももつと細く、水はちよろちよろ喘ぎ喘ぎに通うて居た。じめじめとしたところを、一面に空色の花の月草が生え茂つて居た。また子供たちがこんペとうと呼んで居るその菓子の形をした仄赤く白い小さな花や、又赤まんまと子供たちに呼ばれて居る草花なども、その月草に雜つて一帶に蔓つて居た。それはなつかしい幼心(をさなごころ)をよびさます叢(くさむら)であつた。晝間は螢の宿であらう小草のなかから、葉には白い竪の縞が鮮に染め出された蘆が、すらりと、十五六本もひとところに集つて、爽やかな葉を風にそよがせて居るのであつた。屋敷の奧の方から流れ出て來た水は、それらの小草の、莖をくぐつてそれらの蘆の短い節々を洗ひきよめながら、うねりうねつて、解きほぐした絹絲の束のやうにつやつやしく、なよやかに搖れながら流れ出た。さうして、か細く長長しい或る草の葉を、生えたままで流し倒して、それを傳ひながら、それらの水はより大きな道ばたの渠のなかへ、水時計の水のやうにぽたりぽたりと落ちそそいで居た。彼にはこの家の後に湧き立つ小さな淸新な泉がありさうにも感ぜられた。

[やぶちゃん注:「寄生木」「やどりぎ」。本邦に植生するそれは一般的にはビャクダン目ビャクダン科ヤドリギ属ヤドリギ亜種セイヨウヤドリギ亜種ヤドリギ Viscum album subsp. coloratum である。半寄生性灌木で他の樹木の枝の上に生育する。

「月草」「つきくさ」。「空色の花」とあることから判るように、これは所謂、「露草」、単子葉植物綱ツユクサ亜綱ツユクサ目ツユクサ科ツユクサ亜科ツユクサ属ツユクサ Commelina communis の万葉時代以来の古名である。

こんペとうと呼んで居るその菓子の形をした仄赤く白い小さな花」「仄赤く」は「ほのあかく」。これは本文内で植生しているとする場所とその「仄赤」い「白い小さな花」、その花を子らが「こんぺとう」=金平糖と呼んでいること、それらから私が即座に想起する種から、双子葉植物綱ナデシコ目タデ科タデ属ミゾソバ Polygonum thunbergii(又は Persicaria thunbergii)に比定してよいと思われる。ウィキの「ミゾソバによれば、本邦では北海道から九州まで『小川沿いや沼沢地、湖岸などに分布する。 特に稲作地帯などでコンクリート護岸化されていない用水路脇など、水が豊かで栄養価が高めの場所に群生していることが多い』。『今でこそ護岸をコンクリートで固められてしまった場合が多いが、かつて日本各地で水田が見られた頃は、土盛りされていた溝や用水路、小川などの縁に普通に生えており、その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっている』。水辺などで三〇~一メートルほどに『生長し、根元で枝分かれして勢力を拡げ』て群生し、『花期は晩夏から秋にかけてで、茎の先端で枝分かれした先に』、直径四~七ミリメートルほどの『根元が白く先端が薄紅色の多数の花を咲かせる』。『なお、他のタデ科植物と同様に花弁に見えるものは萼である』とある(リンク先の写真を参照されたい)。他に「金平糖草」と呼ばれる種はツユクサ亜綱ホシクサ目ホシクサ科ホシクサ属シラタマホシクサ Eriocaulon nudicuspe があるが、こちらは東海地方の一部地域の湿地などに限定して植生する日本固有種で白い金平糖のような花が咲くが、分布域がモデルのロケ地である神奈川では合わないこと、淡い赤色を呈することはないことから除外出来る。

「赤まんま」犬蓼(いぬたで)の別称。ナデシコ目タデ科ミチヤナギ亜科 Persicarieae Persicariinae亜連イヌタデ属イヌタデ Persicaria longiseta。「アカノマンマ」は本種の赤い小さな花や果実を赤飯に見立てた異名である。

「蔓つて」「はびこつて」。

 

「葉には白い竪の縞が鮮に染め出された蘆」葉の中央の脈が白くはっきりとしているのは薄(単子葉綱イネ目イネ科ススキ Miscanthus sinensis)か荻(ススキ属オギ Miscanthus sacchariflorus)である。敢えて主人公が「蘆」と言っているところから、後者でとる。]

 

 家の背後は山つづきで竹籔になつて居た。淸楚な竹のなかには素晴しく大きな丈の高い椿が、この竹籔の異端者のやうに、重苦しく立つて居た。屋敷の庭は丈の高い――人間の背丈けよりも高くなつた榊の生垣で取り圍まれてあつた。家全體は、指顧の遠さで見た時にさうであつた如く、目の前に置かれてみても、茂るにまかせた草の上に置かれ、樹樹の枝のなかに埋められてあつた。

[やぶちゃん注:「指顧」(しこ)は、最初に現認して、指さして見た時の、ある程度の、しかし遠くはない「近い距離」の謂い。冒頭二段落目の、案内の女がこの家を指差したシーンのロケーションを指す。

 

 犬は一疋ずつ土橋、の側から下りて行つて、灌水の水を交交に味ふのであつた。

[やぶちゃん注:「土橋、」の読点はママ。

 

「交交」「こもごも」。]

 

 彼はその土橋を渡らうともせずに、三徑就荒と口吟みたいこの家を、思ひやり深さうにしばらく眺めた。

[やぶちゃん注:「三徑就荒」知られた陶淵明の「歸去來辭」の中の一句。「三逕就荒 松菊猶存」(三逕(さんけい) 荒(くわう)に就(つ)けども 松菊(しようきく) 猶ほ存す)。但し、この句だけを独立して示しているから、主人公は「三逕(さんけい)荒(くわう)に就(つ)く」と終止した形で吟じたのかも知れない。但し、定本では「さんけいこうについて」とルビしてある

「口吟みたい」「くちづさみたい」。]

 

 「ねえ、いいぢやないか、入口の氣持が。」

 彼はこの家の周圍から閑居とか隱棲とかいふ心持に相應した或る情趣を、幾つか拾ひ出し得てから、妻にむかつてかう言つた。

 「然うね。でも隨分荒れて居ること。家のなかへ這入つて見なければ‥‥」

 彼の妻は少々不安さうに、又、さかしげに氣まぐれな夫をたしなめる妻の口調をもつてさう答へた。併し、すぐ思ひかへして、

 「でも、今のお寺に居ることを思へば、何處だつていいわ。」

 今飮んだ水から急に元氣を得た二疋の犬は主人達よりも一足さきに庭のなかへ跳り込んだ。松の樹の根元の濃い樹かげを擇んだ二足の犬どもは、わがもの顏に土の上へ長長と身を橫へた。彼等は顏を突き出して、下顎から喉首のところを地面にべつたりと押しつけ、兩方から同じ形に顏を並べ合つた。さうして全く同じやうな樣子に體を曲げて、後脚を投げ出した樣子は、いかにも愛らしいシンメトリイであつた。赤い舌を垂れて、苦しげな息を吐き出し乍ら、庭に入つて來た彼等の主人達の顏を無邪氣な上眼で眺めて、靜かに樂しさうに尾を動かしてみせた。いかにも落着いたらしいその姿は、此處はもう自分たちの家だといふ事を充分に知つて居るらしいやうにも、彼には見られるのであつた。

[やぶちゃん注:「わがもの顏」底本は「わかもの顏」。定本に従って濁音表記とした。

 因みに、定本ではここのシーンの最後が心内語で少し継ぎ足されてあり、そこで二匹の犬の名前が「フラテ」と「レオ」であることが判るようになっている。]

 

 案内の女と彼の妻とは、その緣側の永い間閉されて居た戸を開けやうとして、鍵で鍵穴をがたがた言はせて居る。

 

 樹といふ樹は茂りに茂つて、綠は幾重にも積み重つた。錯雜した枝と枝とは網の目になり壁になり、軒になつて、庭はほとんど日かげもさし込まなかつた。土の匂は黑い地面から、冷冷(ひやびや)と湧いて來た。彼は足もとから立ちのぼるその土の匂を、香(かう)を匂ふ人のやうに官能を尖らかせて沁々と味うてみた――ぢやらぢやらと凉しく音を立てゝ居た鍵束の音がやまつて、緣側の戸が開けられるまで。

[やぶちゃん注:「官能を尖らかせて」底本は「官能をらかせて」。読めないので、脱字と断じ、定本で「尖」を補った。]

 

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