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2017/04/24

西班牙犬の家   佐藤春夫

 

[やぶちゃん注:本作は大正六(一九一七)年一月発行の『星座』初出。底本は国立国会図書館デジタルコレクションの大正一一(一九二二)年十一月天佑社刊の作品集「病める薔薇」「薔薇」は彼の単独小説作品名としては「さうび(そうび)」と音読みする)所収の同作(正字正仮名)を画像で視認した。但し、時間を短縮するため、加工データとして「網迫の電子テキスト乞校正@Wiki」のこちらの電子テクスト(但し、新字新仮名で未校正データ)を使用させて貰った。網迫氏に深く感謝する(但し、網迫氏のそれは幾つかの箇所でかなり有意なタイプ・ミスではあり得ない異同が認められ、それは或いは後に改稿されたもののように見受けられるものである)。一応、私が所持する岩波文庫版「美しき町・西班牙犬の家」を一部で参考にしたが、底本を再現した。例えば、第二段落の「あちらこちらと氣せわしげに行き來するうちに」の「氣せわしげに」の「せ」は現行諸本は「ぜ」と濁るが、濁音には従わなかった。底本の傍点「ヽ」は太字とした。但し、一箇所だけ、「私の這入るのを見て狡さうにそつと目を開けて、のつそり起上つたからである。」の箇所は、底本では「私の這入るのを見狡てさうにそつと目を開けて、のつそり起上つたからである。」で読みようがなく、ここはどう考えても「這入(はい)るのを見て狡(ずる)さうに」の誤植としか思われないので、岩波文庫版を参考に特異的に訂した。「ほんとう」などの歴史的仮名遣の誤りもママである。

 因みに、標題「西班牙犬の家」は「スペインけんのいへ」と読む(佐藤は本作を戦後の少年向け刊行物では「スペイン犬の家」と表記している)。

 一部の語釈を先にしておく。

「西班牙犬」犬種は不明であるが、作者がわざわざ「スペイン犬」とし、大型個体であることろからは、スペイン原産の護蓄用犬種である「スパニッシュ・マスティフ」(Spanish Mastiff)が浮かぶ。但し、スパニッシュ・マスティフの真黒な個体というのはネット画像を見てもあまり見られない。また主人公は、「この種特有の房々した毛のある大きな尾をくるりと尻の上に卷上げたところはなかなか立派である」と言っているのも、必ずしも同犬にぴったりくるとは言い難いようだ。別な犬種を考えるべきか?

「フラテ」これは実は本邦に古くからある「キリシタン」用語で、イタリア語で「兄弟」を意味する“frate”(音写:フラァーテェ)に由来し、「托鉢」「跣足のフランシスコ会士」「アウグスチノ会士」などを指す語であった。

「蹄鍛冶屋」私は「ひづめかぢや」と読む。馬の蹄鉄を主に扱った鍛冶屋。

「潺湲たる」は「せんくわん(せんかん)たる」(「せいゑん」とも読む)で、水がさらさらと流れるさまを言う。

「造へ方」「こしらへかた」。

「異體の知れない」「えたいのしれない」。「得体」への当て字であるが、近代作家ではしばしば見られる。

「素木」「しらき」と当て訓しておく。

「あとすだり」「後ずさり」のこと。「日本国語大辞典」に「あとすだり」を鳥取・島根の方言として「あとずざり」に所載する。但し、佐藤春夫は和歌山出身である。

「ヰスラア」海の絵となると、アメリカ人画家・版画家で主にロンドンで活動したジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler 一八三四年~一九〇三)か。

「リップ、ヴンヰンクル」アメリカの小説家ワシントン・アーヴィング(Washington Irving  一七八三年~一八五九年)の短編小説Rip van Winkle(「リップ・ヴァン・ウィンクル」 一八二〇年)の題名でありその主人公の名。ウィキの「リップ・ヴァン・ウィンクル」によれば、『アーヴィングがオランダ人移民の伝説を基にして書き上げたものであり、まさに「アメリカ版浦島太郎」と言うべきもの』。『アメリカ独立戦争から間もない時代。呑気者の木樵リップ・ヴァン・ウィンクルは口やかましい妻にいつもガミガミ怒鳴られながらも、周りのハドソン川とキャッツキル山地の自然を愛していた。ある日、愛犬と共に猟へと出て行くが、深い森の奥の方に入り込んでしまった。すると、リップの名を呼ぶ声が聞こえてきた。彼の名を呼んでいたのは、見知らぬ年老いた男であった。その男についていくと、山奥の広場のような場所にたどり着いた。そこでは、不思議な男たちが九柱戯(ボウリングの原型のような玉転がしの遊び)に興じていた。ウィンクルは彼らにまじって愉快に酒盛りするが、酔っ払ってぐっすり眠り込んでしまう』。『ウィンクルが目覚めると、町の様子はすっかり変っており、親友はみな年を取ってしまい、アメリカは独立していた。そして妻は既に死去しており、恐妻から解放されたことを知る。彼が一眠りしているうちに世間では』二十『年もの年が過ぎ去ってしまっ』ていたというストーリーである。]

 

 

 

    西班牙犬の家

 

      (夢見心地になることの好きな人の爲めの短篇)

 

 

 フラテ(犬の名)は急に驅け出して、蹄鍛冶屋の橫に折れる岐路のところで、私を待つて居る。この犬は非常に賢い犬で、私の年來の友達であるが、私の妻などは勿論大多數の人間などよりよほど賢い、と私は言じて居る。で、いつでも散步に出る時には、きつとフラテを連れて出る。奴は時々、思ひもかけぬやうなところへ自分をつれてゆく。で近頃では私は散步といへば、自分でどこかへ行かうなどと考へずに、この犬の行く方へだまつてついて行くことに決めて居るやうなわけなのである。蹄鍛冶屋の橫道は、私は未だ一度も步かない。よし、犬の案内に任せて今日はそこを步かう。そこで私はそこを曲る。その細い道はだらだらの坂道で、時々ひどく曲りくねつて居る。私はその道に沿うて犬について、景色を見るでもなく、考へるでもなく、ただぼんやりと空想に耽つて步く。時々空を仰いで雲を見る。ひよいと道ばたの草の花が目につく。そこで私はその花を摘んで、自分の鼻の先に匂うて見る。何といふ花だか知らないがいい匂である。指で摘んでくるくるまわしながら步く。するとフラテは何かの拍子にそれを見つけて、ちよつと立とまつて、首をかしげて、私の目の中をのぞき込む。それを欲しいといふ顏つきである。そこでその花を投げてやる。犬は地面に落ちた花を、ちよつと嗅いで見て、何だ、ビスケツトぢやなかつたのかと言ひたげである。さうして又急に驅け出す。こんな風にして私は二時間近くも步いた。

 步いてゐるうちに我々はひどく高くへ登つたものと見える。そこはちよつとした見晴で、打開けた一面の畑の下に、遠くどこの町とも知れない町が、雲と霞との間からぼんやりと見える。しばらくそれを見て居たが、たしかに町に相違ない。それにしてもあんな方角に、あれほどの人家のある場所があるとすれば、一たい何處なのであらう。私は少し腑に落ちぬ氣持がする。しかし私はこの邊一帶の地理は一向に知らないのだから、解らないのも無理ではないが。それはそれとして、さて後(うしろ)の方はと注意して見ると、そこは極くなだらかな傾斜で、遠くへ行けば行くほど低くなつて居るらしく、どこも一面の雜木林のやうである。その雜木林は可なり深いやうだ。さうしてさほど太くもない澤山の木の幹の半面を照して、正午に間もない優しい春の日ざしが、楡や樫や栗や白樺などの芽生したばかりの爽やかな葉の透間から、煙のやうに、また匂(にほひ)のやうに流れ込んで、その幹や地面やの日かげと日向との加減が、ちよつと口では言へない種類の美しさである。おれはこの雜木林の奧へ這入つて行きたい氣持になつた。その林のなかは、かき別けねばならぬといふほどの深い草原でもなく、行かうと思へばわけもないからだ。

 私の友人のフラテも同じ考へであつたと見える。彼はうれしげにずんずんと林の中へ這入つてゆく。私もその後に從うた。約一丁ばかり進んだかと思うころ、犬は今までの步き方とは違ふやうな足どりになつた。氣らくな今までの漫步の態度ではなく、織るやうないそがしさに足を動かす。鼻を前の方につき出して居る。これは何かを發見したに違ひない。兎の足あとであつたのか、それとも草のなかに鳥の巣でもあるのであらうか。あちらこちらと氣せわしげに行き來するうちに、犬は其の行くべき道を發見したものらしく、眞直ぐに進み初めた。私は少しばかり好奇心をもつてその後を追うて行つた。我々は時々、交尾していたらしい梢の野鳥を駭かした。斯うした早足で行くこと三十分ばかりで、犬は急に立ちとまつた。同時に私は潺湲たる水の音を聞きつけたやうな氣がした。(一たいこの邊は泉の多い地方である)犬は耳を疳性らしく動かして二三間ひきかへして、再び地面を嗅ぐや、今度は左の方へ折れて步み出した。思つたよりもこの林の深いのに少しおどろいた。この地方にこんな廣い雜木林があらうとは考へなかつたが、この工合ではこの林は二三百町步もあるかも知れない。犬の樣子といひ、いつまでも續く林といひ、おれは好奇心で一杯になつて來た。かうしてまた二三十分間ほど行くうちに、犬は再び立とまつた。さて、わつ、わつ!といふ風に短く二聲吠えた。その時までは、つい氣がつかずに居たが、直ぐ目の前に一軒の家があるのである。それにしても多少の不思議である、こんなところに唯一つ人の住家があらうとは。それが炭燒き小屋でない以上は。

 打見たところ、この家には別に庭といふ風なものはない樣子で、また唐突にその林のなかに雜つて居るのである。この「林のなかに雜つて居る」といふ言葉はここでは一番よくはまる。今も言つた通り私はすぐ目の前でこの家を發見したのだからして、その遠望の姿を知るわけにはいかぬ。また恐らくはこの家は、この地勢と位置とから考へて見てさほど遠くから認め得られようとも思へない。近づいての家は別段に變つた家とも思へない。ただその家は草屋根であつたけれども、普通の百姓家とはちよつと趣が違ふ。といふのは、この家の窓はすべてガラス戸で西洋風な造へ方なのである。ここから入口の見えないところを見ると、我々は今多分この家の背後と側面とに對して立つて居るものと思ふ。その角のところから二方面の壁の半分づつほどを覆ふつたかずらだけが、言はゞこの家のここからの姿に多少の風情と興味とを具へしめて居る裝飾で、他は一見極く質朴な、こんな林のなかにありさうな家なのである。私は初め、これはこの林の番小屋でないかしらと思つた。それにしては少し大きすぎる。又わざわざとこんな家を建てて番をしなければならぬほどの林でもない。と思ひ直してこの最初の認定を否定した。兎も角も私はこの家へ這入つて見やう、道に迷ふたものだと言つて、茶の一杯ももらつて持つて來た辨當に、我々は我々の空腹を滿さう。と思つて、この家の正面だと思へる方へ步み出した。すると今まで目の方の注意によつて忘れられて居たらしい耳の感覺が働いて、おれは流れが近くにあることを知つた。さきに潺湲たる水聲を耳にしたと思つたのはこの近所であつたのであらう。

 正面へ廻つて見ると、そこも一面の林に面して居た、ただここへ來て一つの奇異な事には、その家の入口は、家全體のつり合ひから考へてひどく贅澤にも立派な石の階段が丁度四級もついて居るのであつた。その石は家の他の部分よりも、何故か古くなつて所々苔が生へて居るのである。さうしてこの正面である南側の窓の下には家の壁に沿ふて一列に、時を分たず咲くであらうと思へる紅い小さな薔薇の花が、我がもの顏に亂れ咲いて居た。そればかりでない、その薔薇の叢の下から帶のやうな幅で、きらきらと日にかがやきながら、水が流れ出て居るのである。それが一見どうしてもその家のなかから流れ出て居るとしか思へない。私の家來のフラテはこの水をさも甘さうにしたたかに飮んで居た。私は一暼のうちにこれらのものを自分の瞳へ刻みつけた。

 さて私は靜に石段の上を登る。ひつそりとしたこの四邊の世界に對して、私の靴音は靜寂を破るといふほどでもなく響いた。私は「おれは今、隱者か、でなければ魔法使の家を訪問して居るのだぞ」と自分自身に戲れて見た。さうして私の犬の方を見ると、彼は別段變つた風もなく、赤い舌を垂れて、尾をふつて居た。

 私はこつこつと西洋風の扉を西洋風にたたいて見た。内からは何の返答もない。私はもう一ぺん同じことを繰返さねばならなかつた。内からはやつぱり返答がない。今度は聲を出して案内を乞うて見た。依然。何の反響もない。留守なのかしらと空家なのかしらと考へてゐるうちにおれは多少不氣味になつて來た。そこでそつと足音をぬすんで――これは何の爲であつたかわからないが――薔薇のある方の窓のところへ立つて、そこから脊のびをして内を見まわして見た。

 窓にはこの家の外見とは似合しくない立派な品の、黑ずんだ海老茶にところどころ靑い線の見えるどつしりとした窓かけがしてあつたけれども、それは半分ほどしぼつてあつたので部屋のなかはよく見えた。珍らしい事には、この部屋の中央には、石で彫つて出來た大きな水盤があつてその高さは床の上から二尺とはないが、その眞中のところからは、水が湧立つて居て、水盤のふちからは不斷に水がこぼれて居る。そこで水盤には靑い苔が生えて、その附近の床――これもやつぱり石であつた――は少ししめつぽく見える。このこぼれた水が薔薇のなかからきらきら光りながら蛇のやうにぬけ出して來る水なのだらうといふことは、後で考へて見て解つた。私はこの水盤には少なからず驚いた。ちよいと異風な家だとはさきほどから氣がついたものの、こんな異體の知れない仕掛まであらうとは豫想出來ないからだ。そこで私の好奇心は、一層注意ぶかく家の内部を窓越しに觀察し始めた。床も石である。何といふ石だか知らないが、靑白いやうな石で水で濕つた部分は美しい靑色であつた。それが無雜作に、切出した時の自然のままの面を利用して列べてある。入口から一番奧の方の壁にこれも石で出來たファイヤプレィスがあり、その右手には棚が三段ほどあつて、何だか皿見たやうなものが積み重ねたり、列んだりして居る。それとは反對の側に――今、おれがのぞいて居る南側の窓の三つあるうちの一番奧の隅の窓の下に大きな素木のままの裸の卓があつて、その上には‥‥何があるのだか顏をぴつたりくつつけても硝子が邪魔をして覗き込めないから見られない。おや待てよ、これは勿論空家ではない、それどころか、つひ今のさきまで人が居たに相違ない。といふのはその大きな卓の片隅から、吸ひさしの煙草から出る煙の絲が非常に靜かに二尺ほど眞直ぐに立ちのぼつて、そこで一つゆれて、それからだんだん上へゆくほど亂れて行くのが見えるではないか。

 私はこの煙を見て今思ひがけぬことばかりなので、つい忘れて居た煙草のことを思出した。そこで自分も一本を出して火をつけた。それからどうかしてこの家のなかへ入つて見たいといふ好奇心がどうもおさへ切れなくなつた。さてつくづく考へるうちに、私は決心をした。この家の中へ入つて行かう。留守中でもいい這入つてやらう。若し主人が歸つて來たならばおれは正直にそのわけを話すのだ。こんな變つた生活をして居る人なのだから、さう話せば何とも言ふまい。反つて歡迎してくれないとも限らぬ。それには今まで荷厄介にして居たこの繪具箱が、おれの泥棒でないといふ證人として役立つであらう。私は蟲のいいことを考へて斯う決心した。そこでもう一度入口の階段を上つて、念のため聲をかけてそつと扉をあけた。扉には別に錠も下りては居なかつたから。

 私は這入つて行くといきなり二足三足あとすだりした。何故かといふに、入口に近い窓の日向に眞黑な西班牙犬が居るではないか。顎(あご)を床にくつつけて、丸くなつて居眠して居た奴が、私の這入るのを見て狡さうにそつと目を開けて、のつそり起上つたからである。

 これを見た私の犬のフラテは、うなりながらその犬の方へ進んで行つた。そこで兩方しばらくうなりつづけたが、この西班牙犬は案外柔和な奴と見えて、兩方で鼻面を嗅ぎ合つてから、向から尾を振り始めた。そこで私の犬も尾をふり始めた。さて西班牙犬は再びもとの床の上へ身を橫へた。私の犬もすぐその傍へ同じやうに橫になつた。見知らない同性同士の犬と犬とのかうした和解はなかなか得難いものである。これはおれの犬が温良なのにも因るが主として向うの犬の寛大を賞讚しなければなるまい。そこでおれは安心して入つて行つた。この西班牙犬はこの種の犬としては可なり大きな體で、例のこの種特有の房々した毛のある大きな尾をくるりと尻の上に卷上げたところはなかなか立派である。しかし毛の艷(つや)や、顏の表情から推して見て、大分老犬であるといふことは、犬のことを少しばかり知つて居る私には推察出來た。私は彼の方へ接近して行つて、この當座の主人である彼に會釋するために、敬意を表するために彼の頭を愛撫した。一體犬といふものは、人間がいぢめ拔いた野良犬でない限りは、淋しいところに居る犬ほど人を懷しがるもので見ず知らずの人でも親切な人には決して怪我をさせるものでない事を、經驗の上からおれは信じて居る。それに彼等には必然的な本能があつて、犬好きと犬をいぢめる人とは直ぐ見わけるものだ。私の考は間違ではなかつた。西班牙犬はよろこんでおれの手のひらを甜めた。

 それにしても一體、この家の主人といふのは何者なのであらう。何處へ行つたのであらう。直ぐ歸るだらうか知ら。入つて見るとさすがに氣が咎めた。それで入つたことは入つたが、私はしばらくあの石の大きな水盤のところで佇立したまゝで居た。その水盤はやつぱり外から見た通りで、高さは膝まで位しかなかつた。ふちの厚さは二寸位で、そのふちへもつてつて、また細い溝が三方にある。こぼれる水はそこを流れて、水盤の外がわをつたうてこぼれて仕舞ふのである。成程、斯うした地勢では、斯うした水の引き方も可能なわけである。この家では必ずこれを日常の飮み水にして居るのではなからうか。どうもたゞの裝飾ではないと思ふ。

 一體この家はこの部屋一つきりで何もかもの部屋を兼ねて居るやうだ。椅子が皆で一つ‥‥二つ‥‥三つきりしかない。水盤の傍と、ファイヤ、プレイスとそれに卓に面して各一つづゝ。何れもただ腰をかけられるといふだけに造られて、別に手のこんだところはどこにも無い。見廻して居るうちに私はだんだんと大膽になつて來た。氣がつくとこの靜かな家の脈搏のやうに時計が分秒を刻む音がして居る。どこに時計があるのであらう。濃い樺色の壁にはどこにも無い。あゝあれだ、あの例の大きな卓の上の置時計だ。私はこの家の今の主人と見るべき西班牙犬に少し遠慮しながら、卓の方へ步いて行つた。

 卓の片隅には果して、窓の外から見たとほり、今では白く燃えつくした煙草が一本あつた。

 時計は文字板の上に繪が描いてあつて、その玩具のやうな趣向がいかにもこの部屋の半野蠻な樣子に對照をして居る。文字板の上には一人の貴婦人と、一人の紳士と、それにもう一人の男が居て、その男は一秒間に一度づゝこの紳士の左の靴をみがくわけなのである。馬鹿々々しいけれどもその繪が面白かつた。その貴婦人の襞の多い笹べりのついた大きな裾を地に曳いた具合や、シルクハツトの紳士の頰髯の樣式などは、外國の風俗を知らない私の目にももう半世紀も時代がついて見える。さて可哀想なはこの靴磨きだ。彼はこの平靜な家のなかの、その又なかの小さな別世界で夜も晝も斯うして一つの靴ばかり磨いて居る。それを見て居るうちにこの單調な不斷な動作に、おれは自分の肩が凝つて來るのを感ずる。それで時計の示す時間は一時十五分――これは一時間も遲れて居さうであつた。机には塵まみれに本が五六十册積上げてあつて、別に四五冊ちらばつて居た。何でも繪の本か、建築のかそれとも地圖と言ひたい樣子の大册の本ばかりだつた。表題を見たらば、獨逸語らしく私には讀めなかつた。その壁のところに、原色刷の海の額がかゝつて居る、見たことのある繪だが、こんな色はヰスラアではないかしら‥‥おれはこの額がこゝにあるのに賛成した。でも人間がこんな山中に居れば、繪でも見て居なければ世界に海のある事などは忘れて仕舞ふかも知れないではないか。

 私は歸らうと思つた、この家の主人には何れまた會いに來るとして。それでも人の居ないうちに入込んで、人の居ないうちに歸るのは何んだか氣になつた。そこで一層のこと主人の歸宅を待たうといふ氣にもなる。これで水盤から水の湧立つのを見ながら、一服吸ひつけた。さうして私はその湧き立つ水をしばらく見つめて居た。かうして一心にそれを見つづけて居ると、何だか遠くの音樂に聞き入つて居るやうな心持がする。うつとりとなる。ひよつとするとこの不斷にたぎり出る水の底から、ほんとうに音樂が聞えて來たのかも知れない。あんな不思議な家のことだから。何しろこの家の主人といふのはよほど變者(かはりもの)に相違ない。‥‥待てよおれは、リップ、ヴンヰンクルではないか知ら。……歸つて見ると妻は婆になつて居る。‥‥ひよつとこの林を出て、「K村はどこでしたかね」と百姓に尋ねると、「え?K村、そんなところはこの邊にありませんぜ」と言はれさうだぞ。さう思ふと私はふと早く家へ歸つて見やうと、變な氣持になつた。そこで私は扉口のところへ步いて行つて、口笛でフラテを呼ぶ。今まで一擧一動を注視して居たやうな氣のするあの西班牙犬はぢつとおれの歸るところを見送つて居る。私は怖れた。この犬は今まで柔和に見せかけて置いて、歸ると見てわつと後から咬みつきはしないだらうか。私は西班牙犬に注意しながら、フラテの出て來るのを待兼ねて、大急ぎで扉を閉めて出た。

 さて歸りがけにもう一ぺん家の内部を見てやらうと、背のびをして窓から覗き込むと例の眞黑な西班牙犬はのつそりと起き上つて、さて大机の方へ步きながら、おれの居るのに氣がつかないのか、

「あゝ、今日は妙な奴に駭かされた。」

 と、人間の聲で言つたやうな氣がした。はてな、と思つて居ると、よく犬がするやうにあくびをしたかと思うと、私の瞬きした間に、奴は五十恰好の眼鏡をかけた黑服の中老人になり大机の前の椅子によりかゝつたまゝ、悠然と口には未だ火をつけぬ煙草をくわへて、あの大形の本の一册を開いて頁をくつて居るのであつた。

 ぽかぽかとほんとうに溫い春の日の午後である。ひつそりとした山の雜木原のなかである。

 
 

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