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2017/04/27

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その2)

 

   *    *    *

     *    *    *

 

 「やつと、家らしくなつた」

 昨日、門前で洗い淨めた障子を、彼の妻は不慣れな手つきで張つたのである。最後の一枚を張り了つた時、夫はそれを茶の間と中の間のあひだの敷居へ納めやうとして立つて居る後姿を見やりながら、妻は滿足に輝いてさう言つた。

 「やつと家らしくなつた。疊は直ぐ換へに來ると言ふし」彼の女は同じ事を重ねて言つた。「私はほんとうに厭だつたわよ、おとつひ初めてこの家を見た時にはねえ。こんな家に人間が住めるかと思つて」

 「でも、まさか狐狸の住家ではあるまい」

 「でもまるで淺茅が宿よ。」

 「淺茅が宿か淺茅が宿はよかつたね。‥‥おい、以後この家を雨月草舍と呼ばうぢやないか」

 (彼等二人は――妻は夫の感化を受けて、上田秋成を讃美して居た。)

 夫の愉快げな笑ひ顏を、久しぶりに見た妻はうれしかつた。

 「そこで、今度は井戸換へですよ、これが大變ね。一年もまるで汲まないといふのですもの、水だつて大がい腐りますわねえ。」

 「腐るとも、毎日汲み上げて居なければ、己の頭のやうに腐る。」

 この言葉に、「又か」と思つた妻は、今までのはしやいだ調子を忘れておづおづと夫の顏を見上げた。しかし夫の今日の言葉はたゞ口のさきだけであつたと見えて、顏にはもとのままの笑があつた。それほど彼は機嫌がよかつたのである。それを見て安心した妻は甘へるやうに言ひ足した。

 「それに、庭を何とかして下さらなけやあ。こんな陰氣なのはいや!」

 疲れて壁にもたれかかつた妻の膝には、彼と彼の女との愛猫が、のつそりと上つて居るところであつた。「靑(猫の名)や。お前は暑苦しいねえ」と言ひながらも、妻はその猫を抱き上げて居るのである。彼の家庭には犬が居る。猫が居る。一たん愛するとなると、程度を忘れて溺愛せずにはいられない彼の性質が、やがて彼等の家庭の習慣になつて、彼も彼の妻も人に物言うやうに、犬と猫とに言ひかけるのが常であつた。それにかうして田舍に住むやうになつてからは、犬や猫と人間との距離は益々近かつた。

[やぶちゃん注:区切りの二行のアスタリスクは実際にはもっと下で、記号間の間も長いが、ブログのブラウザでの不具合を考えて短縮してある(定本は「*」一つ)また、傍点(ここでは太字)にも若干の疑義がある。実際、底本の傍点位置は幾つかの部分で本文活字の正確な右手中央になかったりする。「淺茅が宿か淺茅が宿」の中間の「か」は傍点を打たない方が自然であり、「はしやいだ」も「だ」を含めた全体に打った方がよく、「淺茅が宿淺茅が宿」「はしやいだ」である方がより自然と判断はするものの、誤植とするまでの明確な根拠を私は持たないのでママとした。因みに、定本では以上のパートには傍点は一切ない。

「淺茅が宿」ここで、上田秋成の、あの作品を出すこと自体が、既にして不吉な言上げであり、伏線である。特に、前に妻が内心、夫がかつて愛した女を今も思っているのではないかと疑う場面とも感応するように作られていると言える。

 以下、底本では三行分の空行がある。因みに、定本は前の区切りともに「*」一つで、明らかに異なった区切りとしてここでは存在することを認識する必要がある。即ち、時空間を遡った、主人公一家とは無縁な、この家に纏わる過去譚(以下に見る通り、先に出た案内人の女の語った、何とも言えぬ奇妙な饐えた臭いのする、それでいてどこかたまらない哀感の漂う噂話である)別時空への区切り、としてである。但し、次のパートは区切りなしで、また現在時制に戻ってはいる。しかし、この三行空白は、私は、他の区切りと同じ決定稿の「*」なんぞよりも遙かに効果的であると考えている。]

 

 

 

 彼等夫婦がこの家に住むやうになつた日から、遡つて數年の前である――

 

 この村で一番と言はれて居る豪家N家の老主人は、年をとつて、ひどく人生の寂寥を感じ出した。普通、人にとつてかういふ時に最も必要なものは、老ひと若きとを問はず異性であつた。さうしてこの老人は、都會から一人の若い女を連れて來た。この豪家は、この風流人の代にその田の半分を無くしたのだけれども、流石に老人の考へは金持らしいものであつた――ただ美しいだけで、何の能もないやうな女はつれて來なかつた。少し位は醜くとも、年さへ若ければ我慢して、村の爲めにもなり、それよりも自分の經濟の爲めにもなるやうな女を擇んだのであつた。一口に言へば、彼は、今までは村に無くて不自由をして居た産婆を副業にする妾を蓄へたのだ。それから自分の家の離れ座敷をとり外して、彼の屋敷からはすぐ下に當るところへ、それを建て直した。冬には朝から夕方まで日が當るやうな方角を考へて、四間の長さをつづく緣があつた。玄關の三疊を拔けて、六疊の茶の間には爐を切らせた。黑柿の床柱と、座敷の欄間に嵌込んだ麻の葉つなぎの棧のある障子の細工の細かさは、村人の目をそば立たせた。さすがはうちの山から一本擇りに擇つて伐り出した柱だ、目ざわりな節一つない、と大工はその中古の柱を愛撫しながら自分のもののやうに褒めた。さうして農家の神々しいほど廣い土間のある、太い棟や梁の黑い煤けた臺所とは變つて、その家には、板をしきつめた臺所に、白足袋を穿いて、ぞろぞろ衣服の裾を引曳つた女が、そこで立働くやうになつた。老人は、その家督を四十幾つかになつた自分の長男に讓つた。さてこの老人は幸福であつた。村の人人は、自分の年の半分にも足らぬ若さの茶呑友達を待た隱居に就てかげ口を利いた。併し、そんな事位は隱居の幸福を傷けはしなかつた。

[やぶちゃん注:「妾」「めかけ」。

「四間」七メートル強。

「黑柿」「くろがき」と読む。柿の木が数百年の樹齢を重ねて古木になると、稀に心材に墨で書いたような黒い紋様が入るものが出現し、こうした柿の木材を「黒柿」と称し、古くから非常に高級な加工材として珍重されてきた。愛知県岡崎市の「ギャラリー黒柿」の公式サイト内のを参照されたい。その写真を見るだけでも不思議に激しく惹かれる。

「麻の葉つなぎ」「麻の葉模様」という文様意匠の標準形態。六個の菱形の各頂点が中心となる一点で接し、さらに各頂点から中心点に直線を引いた幾何学文様。普通、それを連続させてこの「麻の葉つなぎ」として用いる。洋の東西に古くから見られる文様で、日本では平安時代の仏像の衣に切金(截金:きりかね)で表されているのが古く、室町時代の繡仏(しゅうぶつ)や幡(ばん)の地縫いにも見られる。近世になってからは大麻の葉に似ているところから「麻の葉」と呼ばれるようになり、庶民的な文様として親しまれた。応用形や変化形も多く、染織品・欄間・千代紙などにも見られる(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。グーグル画像検索「麻の葉つなぎ 欄間で、ああ! これか! と私は納得した。

「擇りに擇つて」「えりにえつて」。

「引曳つた」「ひきずつた」。

 

「傷けは」「きずつけは」。]

 

 けれども、併しすべての平和と幸福とは、短い人生の中にあつて、最も短い。それは丁度、秋の日の障子の日影の上にふと影を落す鳥かげのやうである。つと來てはつと消え去る。老人のこれ等の平和の日も束の間であつた。

 

 若い妾は、程なく、都會から一人の若い男を誘うて來た。村の人人は、この若い男を「番頭さん」「お産婆の番頭さん」と呼んだ。村の人人は産婆には、果して「番頭さん」が入用なものかどうかを知らなかつた。さうしてこの隱居は、自分の若い妾が、自分には無斷で、若い「番頭さん」を雇入れた事に就て不滿であつた。非常に不滿であつた。第一にこの若い男女の生活は田舍の人人の目には贅澤すぎた。隱居の豫算とは少し違ひすぎた。隱居は彼等がもつとつつましやかであり得ると考へ初めた。その事を彼の妾に度々言ひつけた。初めは遠まわしに遠慮勝ちに、併しだんだん思ひき切つて言うやうになつた。或る夜には夜中言ひ募ることがあつた。「番頭さん」は多分これ等の對話を、壁一重に聞いたのだつたらう。或るそんな夜の後の日に――彼の女が初めて村へ來てから一年ばかりの後、若い「番頭さん」を若い妾が「雇入れ」てから半年ほどの後、或る夕方、彼等二人の男女の姿は、突然この村から消えた。

 

 夕方に村の方から歸つて來た馬方は、山路の夕闇のなかで、くつきりと浮上つて白い丸い顏が目についたので、よく見ると「Nさんのお産婆」だつた、とその次の朝村の人人に告げた。併し、これは多分、この男が實際にこれを見たわけではなく、彼等が居なくなつたと聞いた時に、思ひついた噓であつたかも知れない。でなければ彼は歸つて來ると直ぐその事を、珍らしげに、手柄顏に言ふべき筈だからである。人はこんな時に、ちよつとこんな事を言つて見たいやうな一種の藝術的本能を、誰しも多少持つて居るものである。 ――それはどうでもいいとして、この話は、話題に饑えて居る田舍の人人を當分の間、喜ばせた。さうして二十八の女には、七十に近いあの隱居よりは、二十四五の若者の方が、よく釣合うべき筈だつたといふのが、村の輿論であつた。

 

 痛ましいのは、若い妾に逃げられたこの隱居が、その後、植木の道樂に沒頭し出した事である。彼は花の咲く木を庭へ集め出した。今日はあの木をこちらに植ゑ變へ、昨日は別の庭からこの木を自分の庭にうつした。さうして明日は何かよい木を搜し出さねばと、每日每日、土いぢりに寧日がなかつた。春には牡丹があつた。夏には朝顏があつた。秋には菊があつた。冬には水仙があつた。さうして、彼の逃げて仕舞つた妻の代りに、二人の十と七つとの孫娘を、自分の左右に眠らせた床のなかで、この花つくりの翁は眠り難かつた。彼は月並の俳諸に耽り出した。

[やぶちゃん注:「寧日」「ねいじつ」は「穏やかで無事な日・安らかな日」の意。「寧日がなかつた」のは「土いぢり」に暇を持て余すこともなかった、の謂いではなく、若い妾に男と逃げられた精神的な抑鬱状態をそれによって誤魔化そうとしてに過ぎず、それはしかし、彼の不安をより倍加させ、結局、「眠り難かつた」、不定愁訴からくるところの頑固な不眠症状に悩まされるようになったのであろう。

「翁」定本に従うなら「おきな」。「竹取の翁」のブラック・ユーモアである。]

 

 隱居は死んだ、それから丁度一年經つた後に。彼は、かうして集めた花の木のそれぞれの花を僅かばかり樂しんだばかりであつた。さうしてその家は、彼の末の娘と共に村の小學校長のものになつた。村の校長はこの隱居の養子だつたからである。すると拔目のない植木屋があつて、算術の四則には長けて居り、それを實の算盤に應用することにも巧ではあつたけれども、美に就ては如何なる種類のそれにも一向無頓著な、當主の小學校長をたぶらかして、目ぼしい庭の飾りは皆引拔いて行つた。大木の白木蓮、玉椿、槇、秋海棠、黑竹、枝垂れ櫻、大きな花柘榴、梅、夾竹桃いろいろな種類の蘭の鉢。さうしてそれ等の不幸な木は、かくも忙しくその居所を變へねばならなかつた。土に慣れ親しむ暇もなかつた。かうしてそれ等のうちの或るものは、爲めに枯れたかも知れない。

[やぶちゃん注:不審なのは、老人が家督を継がせた「四十幾つかの」「自分の長男」はどうしたのか、そして、その長男の娘であろうところの、自分に添い寝させた二人の「孫」娘はどうなったのか、ということである。そうして、その長男が家督を継いだのにも拘わらず、老人の末娘の夫である校長は、何故に老人の養子になったのか、しかも、彼がこの老人が新築したこの家を手に入れることが出来たのか(長男は何故、文句を言わないのか? 仮に愛する末娘に生前に譲ったのだとするなら、その顛末が語られないのは不親切極まりないと私は思う。要するに話を読んでいて、私はそこに躓いてしまう人間なのである)、その辺りが一切、語られていないことである。私の疑問はおかしいだろうか? 諸士の御意見を伺いたい。なお、定本でもこの辺りの叙述は変更・追加はなされていない。

「白木蓮」双子葉植物綱モクレン亜綱モクレン目モクレン科モクレン亜科モクレン属ハクモクレンMagnolia heptapeta。勘違いしている人が多いが、モクレン属モクレン Magnolia quinquepeta とは同属異種であって、そもそもが花の形と色がまるで異なり、後者の花は舌状を呈していて長く、全体が壺状を呈しており、色も濃い紅色から桃色である。

「玉椿」椿(ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica)の美称として用いられる語ではあるが、佐藤は本作中では、かなり、植物を詳しく叙述していることから考えると、これは「椿」ではなく、「タマツバキ」の異名を持つ、椿とは全く異なる種である、ゴマノハグサ目モクセイ科イボタノキ属ネズミモチ(鼠黐)Ligustrum japonicum を指していると考えるべきと断ずる。六月頃に開花する。白い花序が多数出、木全体に真っ白の花の塊が散らばったようになる。生垣によく用いられる。

「槇」マツ目マキ科 Podocarpaceae に属する球果植物の総称。「マキ」という種は存在しない。代表種はマキ科マキ属イヌマキ Podocarpus macrophyllus

「秋海棠」スミレ目シュウカイドウ科シュウカイドウ属シュウカイドウ Begonia grandis。ベゴニアの仲間で江戸時代に中国から渡来した帰化植物。落葉高木である「海棠」=バラ目バラ科ナシ亜科リンゴ属ハナカイドウ Malus halliana に似たような花を晩夏から秋にかけて咲かせることからの和名であって、両者は全く無関係な別種である。

「黑竹」普通は「くろちく」と読む。単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科タケ連マダケ属クロチク Phyllostachys nigra。現在の主産地は高知県中土佐町及び和歌山県日高町。

「枝垂れ櫻」バラ亜綱バラ目バラ科サクラ属シダレザクラ Cerasus spachiana f. spachiana(シノニム:Prunus pendula)。

「花柘榴」フトモモ目ミソハギ科ザクロ属ザクロ園芸品種ハナザクロ Punica granatum cv. Pleniflora。通常は結実せず、文字通り、花を楽しむ。別名を「八重柘榴(やえざくろ)」とも呼ぶ。

「梅」バラ目バラ科サクラ属ウメ Prunus mume

「夾竹桃」リンドウ目キョウチクトウ科キョウチクトウ亜科 Nerieae 連キョウチクトウ属セイヨウキョウチクトウ亜種キョウチクトウ Nerium oleander。全草有毒(心筋に作用する強心配糖体(cardiac glycosides)であるオレアンドリン(Oleandrin)を多く含む。その強い毒性(ヒトの場合のオレアンドリンの致死量は0.30mg/kgで、かの青酸カリをも上回る。重篤な中毒症状の場合には心臓麻痺で死亡し、枝を串にしただけで死亡した例もある。個人サイト「毒性物質事典」のに科学的詳細データが載る)で、植生した周辺土壌や、生木を燃した際に出る煙も有毒であり、腐葉土でも一年間は毒性が残る、とウィキのキョウチクトウにはある。

「蘭」単子葉植物綱キジカクシ目ラン科Orchidaceae(ヤクシマラン亜科 Apostasioideae・アツモリソウ亜科 Cypripedioideae・ネジバナ亜科 Spiranthoideae・チドリソウ亜科 Orchidoideae・セッコク亜科 Epidendroideae・バンダ亜科 Vandoideae)。]

 

 小學校長は、丁度新築の出來上つた校舍の一部へ住んだ。自分の貰つたこの家は空家にして置いた。さうして居るうちにこの家を借り手があれば貸したいと考へ出した。住む人が無ければ、家は荒廢するばかりである。たとひ二圓でも一圓五十錢でも、家賃をとつて損になることはない、と校長先生の考へは極く明瞭である。ところが、田舍では大抵の人は自分自身の家を持つて居る、たとひ軒端がくづれて、朽ち腐つた藁屋根にむつくりと靑苔が生へて居るやうな破家なりとも、親から子に傳へ子から孫に傳へる自分の家を持つて居た。どんな立派な家にしろ、借屋をして住まねばならぬやうな百姓は、最後の最後に自分の屋敷を抵當流れにしてしまつた最も貧しい人々に決つて居た。かくて、あの隱居が愛する女のために、又自分の老後の樂しみにと建てたこの家は實に貧しい貧しい百姓の家に化した所以である。隱居が茶の間の茶釜をかけた爐には、大きないぶり勝ちな松薪が、めちやに投込まれて、その煙は田舍家には無駄な天井に邪魔されて、家から外へ拔けて行く路もなかつた。さうして部屋を形造つた壁、障子、天井、疊は直ぐに煤びて來た。氣の毒な百姓の一家は立籠つた煙などを苦にしては居られない。反つてそれから來る溫さに感謝して、秋の、冬の長い夜な夜なを、繩を綯うたり、草鞋を編んだりして、夜を更かさねばならなかつた。屋賃は四月(つき)目五月(つき)目位から滯り出した。疊はすり切れた、柱へはいろいろな場合のいろいろな痕跡がいろいろの形に刻みつけられた。「せめては下肥位はたまるだらう」と校長先生が考へたにも拘はらず、校長先生の作男が下肥を汲みに行く朝は、其處は何時も空虛ぽだつた。何となれば家の借り手の貧しい百姓が、自分の借りて居る畑へそれを運んで仕舞うた後であつたからだ。校長先生はひどくこの借家人を惡く思ひ初めた。會うほどの人には誰彼となく、貧乏な百姓の狡猾を罵り、訴へた。さうして「どうせ貧乏する位の奴は、義理も何も心得ぬ狡猾漢だ」といふ結論を與へ去つた。外の村人は、直ぐ校長先生の意見に賛同の意を示した。そこで校長先生は自分の論理が眞理として確立されたのを感じ出した。次には、こんな男に家を貸して置くよりも、寧ろ荒れるにまかせて置いた方がどれほどよいか解らないと思ひ出した。何故かといふに、この男に家を貸すことは、積極的に荒廢させることである。反つて、空家として打捨てて置くことはその消極的な方法である。さうしてこの借家人は逐ひ立てられた。村の人々は校長先生の態度は合理的だと考へた。

[やぶちゃん注:「靑苔が生へて居る」底本は「靑苔か生へて居る」。誤植と断じ、定本で訂した。

「破家」「あばらや」。定本ルビに拠る。

「松薪」「まつまき」。定本ルビに拠る。

「立籠つた」底本は「たてこもつた」とルビする。

「溫さ」「ぬくさ」と訓じておく。

「綯うたり」「なうたり」。繩をなったり。

「草鞋」「わらぢ」。

「夜を更かさねばならなかつた」底本は「夜を更かさねばならなかた」。脱字と断じ、定本で補った。「更かさねば」は「ふかさねば」。

「下肥」「しもごへ」。厠の排泄物。

「空虛ぽ」「からつぽ」。

「運んで仕舞うた後であつたからだ。」底本は句点なし。定本で補った。]

 

 これらの間――あの隱居が亡くなつてから後は、その庭の草や木のことを考へるやうな人は、一人もなかつた。家と庭とは荒れに荒れた。ただ一人、あの貧乏な百姓の小娘が、隱居が在世の折に植ゑられたままで、今は草の間に野生のやうになつて、年々に葉が哀れになり、莖がくねつて行く菊畑の黃菊白菊の小さな花を、秋の朝々に見出しては、ちゞくれた髮のかんざしにと折りとつた。

[やぶちゃん注:以上の、この家の過去譚は前に注した通り、一部に半可通なところがある(しかし敢えて言うならば、民俗伝承的噂話の属性はそうした半可通性を必ず保持するものであり、それは、言うなら、必要条件でさえあるとも言い得るものではある)ものの、この主人公が移った家の持つ、一種の「病める」部分、「田園の」、「憂鬱」で不吉な、凶宅的な印象を読者に与える点で非常に効果的であると言える。さらに言い添えると、私はこの話に、私の偏愛する芥川龍之介の庭」房」のような(リンク先は私の電子テクスト。「庭」は大正一一(一九二二)年、「玄鶴山房」は昭和元(一九二六)年で本作より後の作品である。佐藤春夫が芥川龍之介と親しくなったのは大正六(一九一七)年で、芥川龍之介が佐藤の西班牙犬の家(リンク先は私の電子テクスト)に好評を述べたことを直接のきっかけとしている)、救い難い滅びに向かうアッシャー家の崩壊との近似性を強く感ずる(冒頭の注で示した通り、後の定本では冒頭にポーの詩篇“Eulalie”の冒頭が引かれている)。]

 

 彼は緣側に立つて、庭をながめながら、あの案内者であつた太つちよの女が、道々語りつづけた話のうちに、彼一流の空想を雜へて、ぼんやり考へるともなく考へ、思ふともなく思ふて居た。

 

 「フラテ、フラテ」裏の緣側の方では、彼の妻の聲がして、犬を呼んで居る。「おおよしよし、ルポも來たのかい。おお可愛いね。フラテや、お前はね、今のやうにあんな草ばかりのところで遊ぶのぢやありませんよ。蝮が居ますよ。そうこの間のやうに、鼻の頭を咬まれて、喉が腫れ上つて、お寺の和尚さんのやうにこんな大きな顏になつて來ると、ほんとうに心配ぢやないか。いいかい。フラテはもうこの間で懲りたから解つたはね。ルポや、お前は氣をおつけよ。お前の方は溫和いから大丈夫だね‥‥」

 妻は牧歌を歌う娘のやうな聲と心持とで、自分の養子である二疋の犬に物云うて居る。さうして凉しい竹籔の風は、そこから彼の立つて居る方へ拔けて通りすぎた。

[やぶちゃん注:本作ではここで初めて二匹の犬の名が出る。前に注で出したように、定本では前に出ている。

「フラテ」これは実は本邦に古くからある「キリシタン」用語で、イタリア語で「兄弟」を意味する“frate”(音写:フラァーテェ)に由来し、「托鉢」「跣足のフランシスコ会士」「アウグスチノ会士」などを指す語であった。この名は幻想短篇の西班牙犬の家に登場する主人公の飼い犬の名と同一であり、両作の強い親和性を示すものでもある。

「ルポ」“lupo”はラテン語“lupus”由来で「狼」の意。この名は、前に注で出したように、定本では「レオ」(Leo:ラテン語で「ライオン」)と変わっている。

「蝮」「まむし」。

「溫和い」「おとなしい」。]

 

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