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2017/04/15

柴田宵曲 續妖異博物館 「眼玉」

 

 眼玉

 

「めでたき風景」(小出楢重)の中に、「一部分といふものは奇怪にして氣味のよくないもの」といふ説がある。その實例として「テーブルの上に眼玉が一個置き忘れてあつたとしたら、吾々は氣絶するかも知れない」と云ひ、「電車の中の人間の眼玉だけを考へて見る。すると電卓の中は一對の眼玉ばかりと見えて來る。運特手が眼玉であり、眼玉ばかりの乘客である。道行く人も眼玉ばかりだ。すると世界中眼玉ばかりが橫行してゐる事になる。幾億萬の眼玉。考へてもぞつとする」と云つてゐる。無氣味な事は他の一部分でも同じかも知れぬが、眼玉は特に表情を具へてゐるだけ、無氣味の度が強さうな氣がする。支那の書物などを讀んでゐると、成程と思ひ當ることが多い。

[やぶちゃん注:以上は洋画家小出楢重(明治二〇(一八八七)年~昭和六(一九三一)年)の随筆集「めでたき風景」の中の「グロテスク」である。初出は別にあるのであろうが、単行本では昭和五(一九三〇)年創元社刊のそれらしい(以下のリンク先「青空文庫」の「図書カード」の記載に拠った)。「青空文庫」のこちらで新字新仮名で読める。「グロテスク」短章なので以下にコピー・ペーストしておく。

   *

 

   グロテスク

 

 一部分というものは奇怪にして気味のよくないものである。人間の一部分である処の指が一本もし道路に落ちていたとしたら、われわれは青くなる。テーブルの上に眼玉が一個置き忘れてあったとしたら、われわれは気絶するかも知れない。レールの側に下駄が一足並んでいてさえ巡査の何人かが走り出すのである。毛髪の一本がお汁の中に浮んでいても食慾に関係する。その不気味な人間の部分品が寄り集ると美しい女となったり、羽左衛門となったり、アドルフマンジュウとなったりする。

 私はいつも電車やバスに乗りながら退屈な時こんな莫迦ばか々々しい事を考え出すのである。電車の中の人間の眼玉だけを考えて見る。すると電車の中は一対の眼玉ばかりと見えて来る。運転手が眼玉であり、眼玉ばかりの乗客である、道行く人も眼玉ばかりだ。すると世界中眼玉ばかりが横行している事になる。幾億万の眼玉。考えてもぞっとする。

 今度は臍へそばかりを考えて見る。日本中、世界中は臍と化してしまう。怖るべき臍の数だ。

 無数の乳房を考えて見る。そして無数の生殖器を考えて見る。全くやり切れない気がする。

 やはり人間は全体として見て置く方が完全であり、美しくもあるようだ。それだのに、私は何んだか部分品が気にかかる。

   *

文中の「アドルフマンジュウ」はアメリカの俳優アドルフ・マンジュー(Adolphe Jean Menjou 一八九〇年~一九六三年)のこと。サイレントからトーキーへの移行期から活躍を開始し、名優ルドルフ・ヴァレンティノ主演のロマンス・アクション「シーク」(The Sheik 一九二一年/サイレント)、チャールズ・チャップリン監督・脚本・製作の「巴里の女性」(A Woman of Paris 一九二三年/サイレント)。マレーネ・ディートリヒとゲイリー・クーパー二大饗宴になる「モロッコ」(Morocco 一九三〇年/トーキー)、今や一九七六年のリメイク版の方が知られるようになってしまった「スタア誕生」(A Star Is Born 一九三七年)といった名作に出演した(以上はウィキの「アドルフ・マンジュー」及びそのリンク先を参考にした)。私は残念なことに、指揮者レオポルド・ストコフスキーが本人役で出演した「オーケストラの少女(One Hundred Men and a Girl 一九三七年)のトロンボーン奏者ジョン役(主演のディアナ・ダービンに完全に食われている)ぐらいしか記憶にはない。

 なお、これは半ばは小出の冗談夢想であるのであろうが、普通人でも漢字の扁や旁りが意識の中で分解してしまうようなゲシュタルト崩壊的感覚があり(これは重い精神疾患を病んだ可能性が頗る高い夏目漱石も体験として述べているはずである)、強迫神経症や統合失調症の一症状にこうした自己の外界へとかぎりなく拡散してゆく病的妄想症状が実際に存在することも言い添えておく。]

「夜譚隨錄」にある「大眼睛」の如きは僅々五十餘字に過ぎぬ。倂し夜座讀書の際に、蝙蝠のやうなものが飛んで來て、危く燈にぶつかりさうになる。慌てて手で拂つたら、ぱたりと下に落ちて、大な眼睛になつた。幅が何寸もあつて、白と黑とが極めてはつきりしてゐる。頻りにぐるぐる𢌞つてゐたが、暫くして見えなくなつたといふのである。この時讀書しつゝあつたのは將軍らしいが、幅何寸もある眼玉が地に落ちてぐるぐる𢌞るのを見たら、仰天したに相違あるまい。假りにそんな大眼玉でなしに、吾々の持ち合せてゐる程度の眼玉にしても、此方が眼を𢌞すこと請合ひである。

[やぶちゃん注:「𢌞」は総て「まはる(まわる)」と読んでよかろう。

「夜譚隨錄」清の和邦額の撰になる志怪小説集。全十二巻。「大眼睛」は「卷二」にある。以下に示すが、柴田の言う通り、句読点を含まないで全五十三字しかない。

   *

宗室雙豐將軍、夜坐讀書。忽見一物、類蝙蝠、直撲燈來、急以手格之、拍然墜地。化一大眼睛、闊數寸、黑白極分明、繞地旋轉不息、久之方滅。

   *

「眼睛」「がんせい」は一般には部分としての黒目・瞳のことであるが、これは内容からして明らかに一個のまあるい眼球の意である。]

 唐の肅宗の時、尚書郎房集が頗る權勢を揮つてゐた。一日暇があつて私邸に獨坐してゐると、十四五歳の坊主頭の少年が突然家の中に入つて來た。手に布の囊を一つ持つて、默つて主人の前に立つてゐる。房ははじめ知り合ひの家から子供を使ひによこしたものと思つたので、氣輕に言葉をかけたけれど、何も返事をしない。その囊の中に入つてゐるのは何だと尋ねたら、少年は笑つて、眼玉ですと答へた。さうして囊を傾けたと思ふと、何升もある眼玉がそこら中に散らばつた。家中大騷ぎをする間に、少年の姿は見えなくなり、ばら撒かれた眼玉も消えてしまつたが、この事があつて後、房は事に坐して誅せられた(原化記)。

[やぶちゃん注:「肅宗」かの玄宗の三男(七一一年~七六二年:生母は「楊氏」であるが、かの楊貴妃とは別人)。安禄山の乱の最中、逃げ延びた霊武(現在の寧夏回族自治区霊武市)で側近の宦官李輔国の建言によって自ら皇帝に即位し、元号を「天寶」から「至德」に改めた。ウィキの「粛宗(唐)によれば、『これは玄宗の事前の了承を得た即位ではなかったが、玄宗は後にこの即位を認め、自らは上皇となった』とある。粛宗の在位は七五六年~七六二年である。

「尚書郎」詔勅の実務執行機関である「尚書省」の長官。

「房集」不詳。

「原化記」は晩唐の皇甫氏の撰になる小説集であるが、散逸しており、以上は「太平廣記」の「妖怪四」の「房集」を指すのであろう。以下。

   *

唐肅宗朝、尚書郎房集、頗持權勢。暇日、私弟獨坐廳中、忽有小兒、十四五。髠髮齊眉。而持一布囊、不知所從來、立於其前。房初謂是親故家遣小兒相省、問之不應。又問囊中何物、小兒笑曰。眼睛也。遂傾囊、中可數升眼睛、在地四散。或緣墻上屋。一家驚怪、便失小兒所在、眼睛又不復見。後集坐事誅。

   *]

 前の大眼晴は突然燈下に現れただけで何事もなかつたけれど、房集の場合は明かに凶兆であつた。何升もある眼玉は驚魂駭魄に値する。「通幽記」に錦の囊を持つた華麗な婦人に便船を賴まれる話があつて、その囊の中には髑髏が一杯入つてゐたといふが、眼玉入りの囊は氣味の惡い點に於て、それに優るとも劣らぬものである。殊に十四五歳の少年が笑つて「眼玉です」と答へるなどは、氣味の惡い行き止まりであらう。「夜讀隨錄」の話のやうに、地に落ちてからぐるぐる𢌞る餘興はないにせよ、その代り數に於て他を壓倒するものがある。こんな話ばかり讀んでゐると、小出氏の云ふ通りぞつとして來る。口直しにもう少し無邪氣な話を持ち出すことにしよう。

[やぶちゃん注:「通幽記」陳劭(ちんしょう)なる人物が志怪小説集。散逸して「太平廣記」に三十篇近くが収録されてある。以上は同書の「鬼二十三」に載る、「通幽記」から引いたとした「王垂」。

   *

太原王垂、與范陽盧收友善、唐大曆初、嘗乘舟於淮浙往來。至石門驛旁、見一婦人於樹下、容色殊麗、衣服甚華、負一錦囊。王盧相謂曰、「婦人獨息、婦囊可圖耳。」。乃彌棹伺之、婦人果問曰、「船何適。可容寄載否。妾夫病在嘉興、今欲省之、足痛不能去。」。二人曰、「虛舟且便可寄爾。」婦人攜囊而上、居船之首。又徐挑之、婦人正容曰、「暫附何得不正耶。」。二人色炸。垂善鼓琴、以琴悅之。婦人美豔粲然、二人振盪、乃曰、「娘子固善琴耶。」。婦人曰、「少所習。」。王生拱琴以授、乃撫「軫泛弄」泠然。王生曰、「未嘗聞之、有以見文君之誠心矣。」。婦人笑曰、「委相如之深也。」。遂稍親合、其詼諧慧辨不可言、相視感悅、是夕與垂偶會船前。收稍被隔礙而深歎慕。夜深、收竊探囊中物、視之、滿囊骷髏耳。收大駭、知是鬼矣、而無因達於垂。聽其私狎甚繾綣。既而天明、婦人有故暫下、收告垂、垂大懾曰、「計將安出。」。收曰、「宜伏簀下。」。如其言。須臾婦人來問、「王生安在。」。收紿之曰、「適上岸矣。」。婦人甚劇、委收而迫垂、望之稍遠、乃棄於岸。併棹倍行數十里外、不見來、夜藏船處鬧。半夜後、婦人至、直入船、拽垂頭。婦人四面有眼、腥穢甚、齒咬垂、垂困。二人大呼、眾船皆助、遂失婦人。明日、得紙梳於席上、垂數月而卒。

   *

柴田の梗概は簡略に過ぎる。メルマガもとっている話梅子(huameizi)氏の「寄暢園別館」のこちら(「樹下の美女」)に全文の現代語訳が載るので参照されたい。]

 東都の陶化里に空宅があつた。大和年間に張秀才なる者がこの家を借りたところ、忽ち妙な不安に襲はれる。苟くも慷慨の志を抱く男子が、このくらゐの事に怯れるとは何事だと自ら叱して依然その家を去らずにゐたが、或夜ひそかに枕をそばたてて見ると、道士十五人、僧徒十五人が六列に竝び、威儀を正して控へてゐる。それとは別に二個の物があつて、絶ろずごろごろ轉がつて居り、この物には各々二十一の眼があつて、そのうち四つの眼は火の色に光つて居つた。この物の轉がる間を三十人が東西南北に走り𢌞つて、何か勝負を爭ふらしい。彼等の動作も、二つの物の眼の光りも、別に張秀才を恐怖させることはなかつたけれど、彼等が勝負の間にいろいろなことを云ひ合ふので、てつきり妖怪と信じ、枕を取つて投げ付けた。三十人も二つの物も、一時にあわてふためいて見えなくなつてしまつた。翌日その室内を搜して見たら、壁の隅のところに古い破れた囊があるに過ぎなかつた。囊は囊でも内容は安全なもので、三十箇の行子(こま)と一雙の賽(さい)だけであつた。

 この話は中途まで讀んで來ると、人間の眼玉などに緣のないことがわかるので、その點は頗る安心である。賽の目といふ言葉は現在でも通用するが、古い萬葉集時代の人も「一二之目耳不有五六三四佐倍有雙六乃佐叡(ひとふたのめのみにはあらずいつゝむつみつよつさへありすぐろくのきえ)」と詠んでゐる。二十一の眼などといふところで、已に人間離れがして來るわけであらう。たゞ吾々はこの時代の遊戲に關する知識が乏しいため、三十箇の行子といふことが十分にわからぬのを遺憾とする。「太平虞記」はこの話の出典を缺いてゐるので、原話は何に出てゐるのかわからない。

[やぶちゃん注:「東都」ここは洛陽であろう。

 以上のそれは「太平廣記」の「卷第三百七十」の「精怪三」にある「張秀才」である。末尾には『原闕出處。按見「「宣室志補遺」』とある。

   *

 東都陶化裡、有空宅。大和中、張秀才借得肄業、常忽忽不安。自念爲男子、當抱慷慨之志、不宜恇怯以自軟。因移入中堂以處之。夜深欹枕、乃見道士與僧徒各十五人、從堂中出。形容長短皆相似、排作六行。威儀容止、一一可敬。秀才以爲靈仙所集、不敢惕息、因佯寢以窺之。良久、別有二物、輾轉於地。每一物各有二十一眼、四眼、剡剡如火色。相馳逐、而目光眩轉、砉有聲。逡巡間、僧道三十人、或馳或走、或東或西、或南或北。道士一人、獨立一處、則被一僧擊而去之。其二物周流於僧道之中。未嘗暫息。如此爭相擊搏、或分或聚。一人忽叫云、「卓絶矣!」。言竟、僧道皆默然而息。乃見二物相謂曰、「向者群僧與道流、妙法高、然皆賴我二物、成其教行耳。不然、安得稱卓絶哉。」。秀才乃知必妖怪也、因以枕而擲之。僧道三十人與二物、一時驚走、曰、「不速去、吾輩且爲措大所使也。」。遂皆不見。明日、搜尋之、於壁角中得一敗囊、中有長行子三十個、並骰子一雙耳。

   *

「一二之目耳不有五六三四佐倍有雙六乃佐叡」これは「萬葉集」の「卷第十六」に載る(三八二七番歌)、長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ:伝未詳。柿本人麻呂や高市黒人(たけちのくろひと)らとほぼ同時期に宮廷に仕えていた下級官吏と推定される。集中、短歌十四首が収録されている)八首の中の第四首。講談社文庫の中西進氏の読みを示す。読み易さを考えて字配を変化させた。

 

    雙六(すごろく)の頭(さえ)を詠める歌

 一二(いちに)の目 のみにはあらず

    五六三四(ごろくさむ)

   四(し)さへありけり

            雙六のさえ

 

「頭(さえ)」は賽(さい)・骰子(さいころ)のこと。「雙六」は黒白それぞれ十五の石を二つの骰子を振って出た数字だけ敵陣に進め、先に総てを送り込んだ方が勝ちとする遊戯。古くより、子どもの遊びとしてではなく、大人の賭博として流行し、持統天皇の治世(六九〇年~六九七年)には禁止令も出ている。

「行子三十個」調べて見たが、不詳。ただ、現在の中国将棋はそれぞれが十四の駒で計二十八駒あるから、かなり近いが、現行のそれは骰子は使用しない。]

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