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2017/05/12

「想山著聞奇集 卷の參」 「金を溜たる執念、死て後、去兼たる事 幷、隱盜現罸を蒙りたる事」

 

 金を溜たる執念、死て後、去兼たる事

  幷、隱盜現罸を蒙りたる事

 

Udeniude

 

 江戸市谷藥王寺の秀乘阿閣梨[やぶちゃん注:不詳。]は上州の人にして、初め、同國多胡(たご)郡小串(おぐし)村【高崎より南三里程の所と。】地藏寺惠淨律師[やぶちゃん注:不詳。]の弟子なり。此律師、若き時、本寺大和國長谷寺の學寮に居らるゝ節、或日、右の手首に、また右の手首計(ばかり)壹つ取付(とりつけ)たる者[やぶちゃん注:意味が分からぬ方は挿絵を見られよ。]來り、懺悔(さんげ)して咄(はなす)樣(やう)、私在所に何某なる者有(あり)て、若き時より、實に千辛萬苦して、餘程の金をため申候に、生命限り有て、大病に及ひ[やぶちゃん注:ママ。]、終に空しくならんとせしに、此時に至り、此金に執着(しふぢやく)を殘し、右の手に堅く持(もち)たるまゝ、臨終をなし申候。扨、死(しし)て後も、此金を握り居て、如何しても放し申さず。よつて詮方なく、此金に執心殘りては、後の世の妨げとも成(なる)べきまゝ、此儘に埋葬なすべしとて、やがて野送り[やぶちゃん注:野辺の送り。葬送。]をもなし申候を、私、此事、能(よく)存罷在(ぞんじまかりあり)、日來(ひごろ)の欲心增長して、夜分、かの墓所へ行(ゆき)て、人知れず掘穿(ほりうが)ち、手探(てさぐり)にて、かの死人の持(もち)たるかねを、むりにとらんとすれども、放さゞるまゝ、力に任せて指をこぢ開くに、先にてもたまり兼しか、金を放して、此(かく)の如く手首に取付(とりつき)、又々如何しても放し得ず。如何とも仕樣も御座なく、其内に人々も寄合(よりあひ)、教訓をもなしくれ、彼(かの)者の菩提を吊(とむら)ひ、回國修行をもなし申(まうす)へし[やぶちゃん注:ママ。意志・決意の意。]。又、懺悔には罪の滅すると云(いふ)事も候得は、此手の離るゝ迄、佛閣靈地へ參詣をもなし申へしとて、かくの通り、彼(かの)死人の手首より切取呉(きりとりくれ)、思はぬ恥辱を蒙り申候。罪業深きとは申ものゝ因果の卽罸(そくばつ)、悲しき目に遭(あひ)申候と語るを見たりとて、をりをり惠淨律師の咄されたる由、秀乘阿闍梨申されき。この惠淨と云(いふ)律師は、今より、四代程以前の住職にて、此律師の學寮に居らるゝ時の事故、安永・天明[やぶちゃん注:一七七二年か一七八九年。]頃の事なりと、是も秀乘阿闍梨、申されたり。又松前の箱館より二里東、大野村[やぶちゃん注:現在の北海道北斗市本町附近か。ここ(グーグル・マップ・データ)。]といふの邊りに、小庵有。此庵主は元九州の者なるが、はじめは強惡(ごうあく)にて、天罸を蒙り、發心して六十六部と變し[やぶちゃん注:「へんじ」か。]、道心至(いたつ)て堅固と成(なり)て、此所へ來りて住居成居(すまゐなしをり)たるが、其發心の譯といふは、村内にて、金子僅(わづか)拾兩を溜(ため)、前段の話のごとく、死前に及びて、其金に執念を殘して死に兼、右の金を手に堅く持たるまゝにて臨終をなし、扨、死(しし)て後も右金を放さゞる故、止(やむ)事を得ず、其儘に埋葬なしたり。此事を、彼(かの)強惡もの知居(しりゐ)て、夜陰、竊(ひそか)に三昧(ざんまい)[やぶちゃん注:墓地。]へ行(ゆき)て墓を掘壞(ほりくだ)き[やぶちゃん注:送り仮名「き」ではこう読むしかない。「き」が「ち」ならば「ほりこぼち」であるが。]、金を取(とら)んとすれども、放さゞる儘、是も力に任せて、指を一本づゝこぢ開きに懸ると、其手を放して、二の腕に握り付(つき)たり。如何(いかに)なしても放さゞる儘、其場はむりに死人の腕を捻切(ねぢきり)て歸りたれども、其手、離れざるのみならず、頓(やが)て其握り付(つか)れたる所より、腕腐り出して、久々難儀なし、遂に腐り落(おち)て、無手(てんぼ)と成(なり)たり。爰に至りて、初(はじめ)て人間の執心の甚だ敷(しき)事と、天罸の遁(のが)れかたくて、死人の腕を捻取來(ねぢとりきた)りて、己(おのれ)の腕も又、生(いき)ながら腐れおち、現報の炳然(いちぢるき)事を感して、六十六部と成(なり)て、諸國の神佛へ參詣なし、彼(かの)者の執着消滅と己の罪障消滅とを祈りて、懺悔なし歩行(ありき)、此所に參り住居(すまゐ)て、悟道徹底の道者(だうじや)とは成居(なりをり)たりと、人々の咄を聞(きき)たる故、稱佛上人[やぶちゃん注:不詳。]【德本(とくほん)上人の弟子なり。】彼(かの)地に留錫(るじやく)の頃、【文政十二年[やぶちゃん注:一八二九年。]の事と覺居(おぼえを)らるゝよし。】態々(わざわざ)彼(かの)庵へ訊(おとな)ひて、庵主(あんじゆ)に面會して咄を聞(きく)に、人の話せし通りにて、腕は、右の肩より纔(わづか)壹寸計(ばかり)殘り居(をり)たり。其(その)道心の堅固なる事は、流石(さすが)の大惡人の善根に飜りたる故、餘人の及ぶ所にあらず。年は其時、六十計(ばかり)にて有たりとの事。稱佛上人より直(ぢか)に聞(きき)たり。前の談と割符(わりふ)を合せたる如き事なれども、全く兩談[やぶちゃん注:同様の話。]と知られたり。か樣の事は、此外にも、まだまだ諸國に有べき事にて、此後迚(とて)も、又々出來(いでき)そふ成(なる)事也[やぶちゃん注:「そふ」はママ。]。夫(それ)に付(つけ)ても、死期(しご)に及ひては[やぶちゃん注:「ひ」はママ。]、金に執心は殘すまじ。たとへ死人(しびと)の持行(もちゆき)たりとも、其金の用をなさゞるは、誰人(たれひと)にもしれ居(をり)し事也。大集經(だいじつきやう)に、妻子珍寶及王位臨命終時無隨者と有。然れども、千辛萬苦して溜(ため)たる金故、其期(ご)に及びては、愚智と成(あり)て執着し、死後にも、斯(かく)のごとき曲事(くせごと)の出來(いできた)るのみならず、長く冥府に迷ふ種(たね)となせしは、殘念至極の事也。七珍萬寶は生(しやう)有(ある)内の寶と辨(わきま)へて、末期(まつご)に至りて、金に執(しふ)は殘すまし[やぶちゃん注:ママ。]。又、人の溜置(ためおき)たる金を貪り取(とる)事の惡敷(あしき)といふことは、如何成(いかなる)惡人も能(よく)しり居(をり)てなせし事なれども、天罸遁れがたく、來世を待(また)ずして、か樣に即罸を蒙る事も有ものなり。積不善(せきふぜん)の家には餘殃(よわう)有(あり)とは此事故、己を克(よく)して善を勸め、惡を懲(こら)して、纔(わづか)の生涯を安穩に送りて、恥辱を殘す間數(まじき)事也。焉兮(あゝ)、是等の事は、誰人(たれひと)も能(よく)知り居(を)ることながらも、筆に任せて記し添置(そへおき)ぬ。今世にて、直(ただち)に報ひの來(きた)るは報ひ方薄く、又、生を隔(へだて)て、來世に成(なり)て報ひの來るは、報ひかた重く來るといふは佛説なれば、卽報の來らざるは、猶更、夫(それ)より重き果(くわ)を追(おひ)て受(うく)る事を兼て心得おき、別(べつし)て隱惡(いんあく)はなす間敷(なじき)也。太上感應篇(たいじやうかんなうへん)に、善惡之報如影隨ㇾ形と有。是は、影は近ければ小(ちひさ)く、遠き程、次第に大きく成(なる)譬へなりと聞(きく)。佛説と同じ事なり。

[やぶちゃん注:「江戸市谷藥王寺」現在の東京都新宿区市谷薬王寺町(いちがややくおうじまち)(旧川田ヶ久保)にあった真言宗医王山薬王寺。明治維新時に廃寺となって法灯は文京区大塚の護国寺に移され、現存しない。同町はここ(グーグル・マップ・データ)。

「同國多胡(たご)郡小串(おぐし)村【高崎より南三里程の所と。】」旧群馬県多野郡入野(いりの)村で現在は多野郡吉井町(よしいまち)小串。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「地藏寺」不詳であるが、現在、同地区内に真言宗豊山派の「地勝寺」が現存する。ここか?(グーグル・マップ・データ)。

「本寺大和國長谷寺」現在の奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派総本山豊山神楽院長谷寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「六十六部」狭義には、「法華経」六十六部分を書き写して日本全国の六十六ヶ国の国々の霊場に一部ずつ奉納して廻った僧を指した。鎌倉時代から流行が始まり、江戸時代には遊行(ゆぎょう)聖以外に、諸国の寺社に参詣する巡礼者をも指すようになり、白衣に手甲・脚絆・草鞋掛けという出で立ちで、背に阿弥陀像を納めた長方形の龕(がん)を負い、六部笠を被った独特の姿で国を廻った。後にはそうした巡礼姿ながら、実際には米や銭を請い歩いた乞食も多く出た。単に「六部」とも呼称する。

「無手(てんぼ)」「手棒(てぼう)」が「手(て)ん棒(ぼう)」と訛り、さらに「う」が落ちたもの。棒のような手で、指や手首から先がないことを言う。

「炳然(いちぢるき)」当て読みで、音は「へいぜん」原義は「光り輝いているさま」で、転じて「明らかなさま」となった。

「德本上人」江戸後期の浄土僧で念仏聖として知られた徳本(宝暦八(一七五八)年?~文政元(一八一八)年?)。紀伊国日高郡の生まれで、文化一一(一八一四)年に江戸増上寺典海の要請により、江戸小石川伝通(でんづう)院の一行院に住し、庶民に十念を授けるなど教化に勤めた(特に大奥女中で帰依する者が多かったという)。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は関東・北陸・近畿にまで及んだ。「流行神(はやりがみ)」と称されるほど熱狂的に支持され、諸大名からも崇敬を受けた。彼の念仏は木魚と鉦を激しく叩く独特なもので「徳本念仏」と呼ばれた(ここはウィキの「徳本」に拠った)。

「留錫」[やぶちゃん注:行脚僧がある場所に暫く滞在すること。]

「大集經」「だいじっきょう」は「だいしゅうきょう」と読んでもよい。正式には「大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)」と称し、中期大乗経典の一つで、釈迦が十方の仏菩薩を集めて大乗の法を説いたものとされ、「空」思想に加え、密教的要素が濃厚な経典である。

「妻子珍寶及王位臨命終時無隨者」「妻子・珍寶及び王位、命終に臨みたる時、隨ふ者、無し」と訓じておく。これは「大集経」の「妻子珍寳及王位 臨命終時不随身 唯戒及施不放逸 今世後世爲伴侶」という四句の偈の一部である。

「積不善の家には餘殃有」これは「易経」の一節。「積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。」(積善の家は必ず、餘慶(よけい)有り。積不善の家は必ず餘殃有り。)で、全く善行を積むことのなかった一族にはその祖先の悪事の報いとして「余殃」(よおう:子孫への災い)が及ぶという謂いである。

「太上感應篇」南宋初期に作られた道教の経典。善行を勧め、悪行を諫める善書の代表的な書物。参照したウィキの「太上感応篇」を読まれたい。

「善惡之報如影隨ㇾ形」「善惡の報ひは「影」の「形」に隨ふがごとし」。]

 

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