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2017/05/04

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その8)

 

    *    *    * 

      *    *    *

 

 或る夜、庭の樹立がざわめいて、見ると、靜かな雨が野面を、丘を、樹をほの白く煙らせて、それらの上にふりそそいで居た。しつとりと降りそそぐ初秋の雨は、草屋根の下では、その跫音も雫も聞えなかつた。ただ家のなかの空氣を、ランプの光をしめかなものにした。さうして、それ等の間に住んで居る彼に、或る心持ち、旅愁のやうな心持を抱かせた。さうして、その秋の雨自らも、遠くへ行く淋しい旅人のやうに、この村の上を通り過ぎて行くのであつた。彼は夜の雨戸をくりながらその白い雨の姿を見入つた。

[やぶちゃん注:「跫音」「あしおと」。近づいてくる雨足(あまあし)の音の気配。]

 

 そんな雨が二度三度と村を通り過ぎると、夕方の風を寒がつて、猫は彼の主人にすり寄つた。身のまわりには單衣ものより持ち合せていない彼もふるへた。

[やぶちゃん注:「單衣もの」「ひとへもの(ひとえもの)」。裏を付けずに仕立てた長着。]

 

 或る夕方から降りだした雨は、一晩明けても、二日經つても、三日經つても、なかなかやまなかつた。始めの内こそ、これらの雨に或る心持を寄せて樂しんで居た彼も、もうこの陰氣な天候には飽き飽きした。

 

 それでも雨は未だやまない。

[やぶちゃん注:以前にも注したが、先行する読みでは「未だ」は「いまだ」ではなく「まだ」と訓じている。向後はこの注は略す。]

 

 犬の體には蚤がわいた。二疋の犬はいぢらしくも、互に、相手の背や尾のさきなどの蚤をとり合つて居た。彼は彼等のこの動作を優しい心情をもつてながめた。併し、それ等の犬の蚤が何時の間にか、彼にもうつつた。さうして毎晩蚤に苦しめられ出した。蚤は彼の體中をのそのそと無數の細い線になつて這ひまわつた。

 それに運動の不足のために、暫く忘れて居た慢性の胃病が、彼を先づ體から陰鬱にした。それがやがて心を陰鬱にした。每日每日の全く同じ食卓が、彼の食慾を不振にした。その每日同一の食物が彼の血液を腐らせさうにして居ると、感じないでは居られなかつた。犬でさへももうそれには飽きて居た。ちよつと鼻のさきを彼等の皿の上に押しつけただけで、彼等さへ再び見向きもしなかつた。けれどもこれに就て、彼は彼の妻には何も言ふべきではなかつた。この村にある食ひ物とては、これきりだからである。

 

 その蚤の巣のやうに感じられる體を洗つて、さつぱりするために、風呂に入りたいと思つても、彼の家には風呂桶はなかつた。近所の農家では、天氣の日には每日風呂を沸かしたけれども、野良仕事をしないこの頃の雨の日には、わざわざ水を汲んだりしてまで、風呂へ入る必要はないと、彼等は言つて居た。さうして農家では、朝から何にもせずに、何にも食わずに寢て居るといふ家族もあつた。

 

 猫は、每日每日外へ出て步いて、濡れた體と泥だらけの足とで家中を橫行した。そればかりか、この猫は或る日、蛙を咥へて家のなかへ運び込んでからは、寒さで動作ののろくなつて居る蛙を、每日每日、幾つも幾つも咥へて來た。妻はおおぎように叫び立てて逃げまはつた。いかに叱つても、猫はそれを運ぶことをやめなかつた。妻も叫び立てることをやめなかつた。生白い腹を見せて、蛙は座敷のなかで、よく死んで居た。

[やぶちゃん注:「咥へて」「くはへて(くわえて)」。

「おおぎよう」大仰。但し、歴史的仮名遣は誤り。表記「大仰」(或いは「大形」)ならば「おほぎやう」であり、同義の別表記「大業」ならば「おほげふ」であって、孰れであっても正しくない。]

 

 或る日。彼の二疋の犬は、隣家の雞を捕へて食つて居るところを、その家の作代に見つかつて、散々打たれて歸つて來た。その隣家へ、彼の妻がそれの詫びに行つたところが、圓滑な言葉といふものを學ばなかつた田舍大盡の老妻君は、案外な不氣嫌であつた。犬は以後一切繫いで置いて貰いたい。運動させなければならぬならば、どうせ遊んで居られる方ばかりだから自分達で連れて步けばよい。庭のなかへ這入つては糞をしちらかす、田や畑は荒す。夜は吠えてやかましい。そのために子供が目をさます。その上につい一週間ほど前から卵産み始めたばかりのいい雞などを食はれてたまるものではない。まるで狼のやうな犬だ。若し以後、庭のなかへ這入るやうな事があつたならば、遠慮はして居られないから打ちのめす、家には外にも澤山の雞があるのだから。と何か別の事で非常に激昂して居るらしい心を、彼の犬の方へうつして、ヒステリカルな聲で散々に吐鳴り立てた。その聲が自分の家のなかで坐つて居る彼の耳にまで聞えて來た。この中老の婦人はこの犬どもの主人が、他の村人のやうに彼の女に對して尊敬を拂はぬといつて、兼々非常に不愉快に思つて居たからであつた。最も奇妙なことは、彼の女は彼等夫婦が何も野良仕事をしないといふ事實の彼の女自身の單純な解釋から、彼の女の新らしい隣人が何か非常に贅澤な生活でもして居るものと推察して居たものとみえる。かういふわけで、發育盛りの若い二匹の犬は、每日鎖で繫がれねばならなかつた。彼は初めの數日は自分で自分の犬を運動に連て行つた。二匹の犬を一人で牽くのは仲々むづかしかつた。それに傘をささねばならなかつた。道は非常に糠つて居た。どうせ遊んで居る閑人だ、運動なら自分で連れて步けと言つたといふ言葉を思ひ出すと、彼は步きながら悲しげに苦笑を洩した。若い大きな犬どもは五町や六町位の運動では、到底滿足しなかつた。それに彼等は普通の道路を厭うて、そのなかへ足を踏み込むと露で股まで濡れる畦道の方へ橫溢した活氣でもつて、その鎖を強く引つ張りながら、よろめく彼を引き込んで行つた。わけても鬪犬の性質を持つた一疋は非常な力であつた。それらの樣子を、隣家の老妻君は家のなかから見て居さうに、彼は思つた。實際そんな時もあつた。運動不足で癇癪を起して居る犬どもは、繫がれながら、夕方になると、與へた飯を一口だけで見むきもせずに、ものに怯えて、淋しい長い聲で何かを訴へて吠え立てた。その聲が、雨のためにほの白く煙つた空間を傳うて、家の向側の丘の方へ傳つて行くと、その丘からはその聲が山彦になつて吠え返して來る。犬はそれを自分たち自身の聲とは知らずに、再びより激しくそれへ吠え返した。かうして夕方每に一しきり物凄く長鳴きした。猫の方は猫で、相變らず蛙を咥へて來て、のつそりと泥だらけの足で夕闇の座敷をうろついて居た。彼は時にはそれらの猫を強く蹴り飛した。連日の雨にしめつて燃えなくなつて居る薪が、風の具合で、意地わるく每日座敷の方へばかり這入り込んで來た。

[やぶちゃん注:本段落の「匹」と「疋」の混用はママ。

「雞」「にはとり(にわとり)」。鷄。次の段落では「鷄」で出る。

「作代」「さくだい」。主家に雇われて野良仕事をしている作男(さくおとこ)。

「五町や六町」五百四十六~六百五十四メートル。]

 

 晝間の犬の音なしい時には、例の隣家の大盡の家では、卵を生んだ鷄が何羽も何羽も、人の癇をそそり盡さねば措かないやうな聲で、けけけけと一時間もそれ以上も鳴きつづけた。或る日、それらの一羽が、彼の家へ紛れ込んで來たが、犬どもの繫がれて居るのを見ると、したりげに後から後から群をなして彼の庭へ闖入した。さうして犬の食ひちらした飯粒を悠然と拾ひ初めた。犬は腹を立てて追ふ。鷄はちよつと身を引く。腹を立てた犬は吠え立てたけれども鷄の一群は別に愕かなかつた。その一群の闖入者を追ひ拂はうとして走り出した犬には、鎖が頸玉をしつかりとおさへて居た。あせればあせるだけ彼自身の喉が締めつけられるだけであつた。遂には彼等同士の二つの鎖が互の身動きも出來ぬ程に絡み合つて居たりする。鷄は平氣で緣側へさへ上つて來て、そこへ汚水のやうな糞をしたりした。手を擴げて追ふと、彼等はさも業々しく叫び立てた。彼等は丁度、あの女主人に言附かつて、彼を揶揄するために來たかとさへ思はれた。その女主人は、垣根の向ふから、それらの光景を見て居ながら、わざと氣のつかぬふりをして居る。彼の妻はそれを見ると、何かあてつけらしく鷄を罵りさうにするのを、彼は制止した。彼はそんな事をしては惡いと思て居るよりも、臆病と卑屈とから、それすらも出來ないのであつた。さうして内心は妻よりもより以上に憤慨して居るのである。別の隣家の小汚い女の子が二人、別に嬰兒まで負うて、雨で遊び場がないので、猫よりももつと汚い足と着物とで彼の家へ押込んで來た。背中の嬰兒が泣く。さうして三人ともそれぞれに何を見ても欲しがる。十三になるといふ一番上の兒は、もうすでに女特有の性質を發揮して、彼の妻を相手に、隣の大盡の家の惡口やら、いろいろの世間話を口やかましく聞かせて居た。それ等の兒は時時彼等が風呂を貰つて這入る家の子なので、その子を追ひ立てることは出來にくいと妻は言つた。その實、彼の妻はそんな子供をでも話相手にほしかつたのである。犬や猫ばかりでない、確にこの子供達が一層澤山に蚤を負うて來るに違ひない、と彼は考へた。彼はいらいらしながらも、よその人とさへ言へばこんな子供にまで小さくなつて、小言一つ言へない性質であつた。さうしてそんなことには無神經なほど無頓着な彼の妻が、その子供達に雨降りのなかを、あまりしげしげ用事に使ふのを見ると、彼は反つてはらはらして、妻を叱り飛ばした。その子供達の家へ風呂を貰ひに行くと、七十位の盲目で耳の遠い老婆が、風呂釜の下を燃してくれながら、いろいろと東京の話を聞きたがつた。東京の話ではない江戸の話である。この老婆は「煙のやうな昔」(とそのツルゲニエフのやうな言葉をその老婆自身が言つた)娘のころに、江戸の某樣の御屋敷で御奉公したとかで、殿樣の話やら、まだ眼の見えた昔に見た江戸の質問を彼にするのであつた。維新で田舍へ歸つたと言ひながら、その維新とはどんなものであるかは知らないと見えて、電車が通つて居たり、公園があつたりする東京といふものの概念は何一つ持つて居なかつた。さうして彼には答へる術もないその江戸の質問を、くどくどと尋ねるのであつた。さて彼が「江戸」の事は不案内だと氣がつくと、彼の女の娘時代のその家の全盛今の主人である息子の馬鹿さ、實に實に平凡なことどもを長々と聞かせて、それでなくてさへ口不調法な彼には、返事の仕方が解らなかつたほどである。それにこの老婆は答へても何も聞えぬだらうほど耳が遠かつた。「俺にはそんな話は面白くないのだ! ひとのことなどはどうでもいいのだ!」彼はさう叫んでやりたくなつた。この老婆のくどい話は結局、何のことであるかは解らなかつたけれども、彼の氣持をじめじめさせるには、何しろ充分すぎた。しかもそれの相手になつてくれと懇願する表情をもつて、この老婆は五十六の時に全く失明したと、今のさつきも物語つたその兩眼で、彼を見上げた。見つめた。風呂釜の火が一しきり燃え上つて、ふと、この腰の全く曲つて居る老婆を照すと、片手に長い新を持つた老婆は、廣い農家の大きな物置場の暗闇の背景からくつきり浮き上つて、何か呪を呟く妖婆のやうにも見えた。

[やぶちゃん注:「業々しく」ママ。定本では「仰仰しく」となっている。

「言附かつて」「いひつかつて(いいつかって)」。謂い遣って。

「惡いと思て居るよりも」ママ。定本は「思て」の箇所は「思つて」となっている。

「某樣」「なにがしさま」。]

 

 その風呂場を脱れ出てくると、さすがに夜風がさわやかに、彼の湯上りの肌をなでた。併し家へ歸つて見ると、彼の妻はホヤのすすけた吊りランプの影で、里の母からでも來たらしい手紙を讀んで居たが、彼には見せたくないらしく、遽にそれを長長と捲き納めると、不興極まる顏をして、その吐息を彼に吹きかけでもするかのやうに、淚で光らせた瞳で彼を見上げた。それは何か威嚇するやうにも見え、哀願するやうにも見えた。その手紙を、彼は讀まずとも知つて居る。彼にはつまらぬことであつて、彼の女達には重大な何事かであろう。彼の女等は互に彼の女等の苦しい困窮を訴へ合つて居るのであらう‥‥‥‥‥

[やぶちゃん注:「遽に」「にはかに(にわかに)」。俄かに。]

 

 彼の家には、もう一人泣きに來る女があつた。それはお絹といふ名の四十近い女であつた――彼等がこの家へ引越して來る時に、この家へ案内し、引越しの手傳ひをしたのが因緣で、その後、彼の家庭へ時々出入りするやうになつた女である。彼の女は身の上ばなしを初めては泣いた。最初たつた一度、珍らしさうにこ女の身の上ばなしに耳を傾けたのが原因で、お絹はその後いつもいつも一つの話を繰返した。彼はしまひにはお絹の顏を見ると腹立しくなつた。最も不思議なことには、彼はお絹の顏さへ見れば胃のあたりが鈍痛し初めた‥‥‥‥

 

 床の下では、犬が蚤にせめ立てられて、それを追ふために身を搖すぶると、その度にゆれる鎖の音が、がちやがちやと彼に聞えて來た。彼はお絹の身の上ばなしよりも、蚤に惱まされて居る犬の方に、より多くの同情を持つた。さうして彼は自分自身の背中にも、脇腹にも、襟首にも、頭の髮の毛のなかにも、蚤が無數にうごめき出すのを感じた‥‥‥‥

 

 些細な單調な出來事のコンビネエシヨンや、パアミテエシヨンが、每日單調に繰り返された。それらがひと度彼の體や心の具合に結びつくと、それは悉く憂鬱な厭世的なものに化つた。雨は何時まででも降りやまない。それは今日でもう幾日になるか、五日であるか、十日であるか、二週間であるか、それとも一週間であるか、彼はそれを知らない。唯もうどの日も、どの日も、區別の無い、單調な、重苦しい、長長しい幾日かであつた。牢獄のなかのやうな幾日かであつた。おお!然うだ。日蔭になつて、五月になつても、八月の中ごろになつても靑い葉一枚とてはなく、ただ莖ばかりが蔓草のやうに徒らによろめいて延びて居た、この家の井戸端のあの薔薇の木の生涯だ。彼は再び薔薇のことを考へた。考へたばかりではない。あの日かげの薔薇の鬱悶を今は生活そのものをもつて考へるのである。

[やぶちゃん注:「コンビネエシヨン」combination。ここは観念的連合の謂いである。「complex」(心的結合)の謂いである。

「パアミテエシヨン」permutation置換。並べ換え。これも観念上に恣意的なもので、コンプレクスの精神状態を指しており、「コンビネエシヨン」とともに、観念的連合及び置換というのは、まさに関係妄想を産み出す状態であり、それが「憂鬱な厭世的なもの」へと変化したというのは、典型的な抑鬱的気分への精神変調の前触れである。

「化つた」「かはつた(かわつた)」。]

 

 薔薇といえば、その薔薇は、何時かあの淚ぐましい――事實、彼に涙を流させた畸形な花を一つ咲かせてから、日ましによい花を咲かせて、咲きほこらせて居たのに、花はまたこの頃の長い長い雨に、花片はことごとく紙片のやうによれよれになつて、濡れ碎けて居た。

 

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