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2017/05/31

「想山著聞奇集 卷の四」 「死に神の付たると云は噓とも云難き事」

 

 死に神の付(つき)たると云(いふ)は噓とも云難(いひがた)き事

 

Ebisubasimitiyukinodan

 

 予が壯年の頃、我方へ出入たる按摩に、可悦(かえつ)と云盲人(まうじん)有。此者、若年(じやくねん)の頃、江府(かうふ)の屋敷方(がた)に奉公なし、遠國在廰の衆にも隨從して、所々步行(ありきゆき)、武道の事も粗(ほゞ)心得居(ゐ)、氣性も餘程衆に秀(しゆう)たるをのこにて、何事も物の數共(とも)思はざる氣質(きしつ)にて、放蕩抔(など)も人に增(まさ)りてなしたるよし。内瘴(そこひ)の症にて、忽ち盲人となりしかば、斯(かく)廢人となりて後(のち)は、三都の住居(すまゐ)は無益(むやく)成(なり)とて、速(すみやか)に按摩と成て、生國なれば尾張へ歸り、我(わが)名古屋に居(きよ)をしめたり、此者、大坂在官の人の供して、かの地へ至り居(ゐ)し節(をり)、風(ふ)と、嶋の内の何とか云、大成(おほひなる)女郎屋へ行て、纔(わづか)兩三度遊びしに、右女郎の云には、心中【江戸にては相對死(あひたいし[やぶちゃん注:「し」は原典のママ。])といふ】してともに死呉(しにくれ)よといふ。隨分、死申(しにまうす)べし。去(さり)ながら、何故(なにゆゑ)に死を究(もとむ)ると問(とひ)ければ、惚(ほれ)たる故と云。其心に僞(いつはり)なくば、隨分、其意に任すべしと答(こたへ)しに、さらば、明晩、死申べしとの事にて、其夜は快く遊びて後、歸るに臨みて、約束の通り、明晩は、ぜひ早(はや)う參り呉(くれ)よと、心に留(とめ)て申せし故、勿論のことよと云捨(いひすて)て歸りしが、變成(へんなる)ことを申す女かな、明晩參れば彌(いよいよ)しぬ事にやと、不審は思ひながら、其翌夜(よくや)は友達とともに出(いで)て、道にて酒抔給(たべ)、遲くかの樓へ行見(ゆきみ)るに、女は待わびて、何故、斯(かく)は遲く來りしぞと怨(うらむ)る故、道にて友達に出會(いであひ)て、遁れがたく、心ならずも酒など呑(のみ)て時も移りたり、皆々も同道にて、辛うして來りたると云。死なふと思ふに、義理所(ぎりところ)にてはなし、多分は心變りし給ふ事と、宵より怨みて計(ばか)り居たりと云しかば、鳥は立(たつ)とも跡を濁(にご)さずと云諺もあり、待べしとは思へども、友達の付合も是非なし、時刻こそ遲れたれども、來(きた)る上は、疑(うたがひ)も晴(はら)し申べしと答ければ、夫(それ)は嬉敷(うれしき)事とて、死(しぬ)る氣の樣子ゆゑ、如何して死ぬ積りぞと問へば、内(うち)は僞りて、夜芝居(よしばゐ)に行(ゆく)とて出(いで)て、今宮(まきみや)の森へ行て死ぬ積りの所、最早、今宵は時も移り、連(つれ)が有ては妨(さまたげ)にも成べく、如何せば宜しからんと云故、今宵死ぬには限るまじ、此世の暇乞(いとまごひ)に、今夜は存分に酒を呑て思入(おもひいれ)、騷(さはひ)で遊ぶと了簡(れうけん)を替(かへ)べしと云に、男と云者は氣性の能(よき)もの也、さらば、明晩は必ず早う壹人で來り呉(くれ)よといふゆゑ、承知也承知也とて、無上(むしやう)に酒も呑(のみ)、大勢快く踊り戲れて遊び歸りたれども、翌日に至り、よくよく考(かんがふ)るに、あの樣に死ぬ氣に成(なり)たるは、呉々(くれぐれ)も合點(がてん)の行(ゆか)ぬ事なり、我等如きの男に惚(ほる)ると云もおかしく、又、身の上よきか、或は金に惚(ほれ)たりと云にもあらず、或は久敷(ひさしき)馴染にて、段々の情(じやう)も深く成(なり)たると云にてもなく、其うへ、互に、生(いき)て居(ゐ)ては義理の惡敷(あしき)と云べき譯もなし。おかしき事とは思へども、其頃は血氣の事にもありしかば、何(なに)にも驚かず。總躰(さうたい)の事、物の數とも思はずして、此上の成行(なりゆき)は如何(いかが)するのか、往(ゆき)てみねば分らず。相對(あひたひ)にて心中して死(しぬ)のも面白からん。何にもせよ、今宵も又參るべしと、暮合(くれあひ)より出かけ、五ツ時[やぶちゃん注:午後八時前後。]前に彼樓へ行と、女は待居、能(よく)來て下されしぞ、兼て約束の通りに、夜芝居へ參る也迚(とて)、夫々、内の片(かた)も付(つけ)、つれ立て出懸(でかけ)たり。夫より恵比須橋(ゑびすばし)迄行(ゆく)と、橋詰に、片見世は、草履(ざうり)・草鞋(わらぢ)抔商ふ八百屋有。此所(このところ)にて、彼(かの)女の云けるは、下駄にては道行(みちゆき)ももどかしく、草履を求(もとめ)てはき申すべし、そなたにもはき給へとて、二足買(かひ)たり。夫より橋の上へ行て、今の草履をはく迚(とて)、此川は名にし負ふ道頓堀にて、大坂一の繁榮なれば、橋の下には、行違(ゆきちが)ふ船も群(むれ)をなしたるに、其樣成(そのやうなる)斟酌なしに、彼(かの)下駄を橋の上より蹴込(けこみ)しまゝ、此時に至りて、此女は彌(いよいよ)死ぬ積り也と初(はじめ)て悟りたりと。扨(さて)、夫より、男にも、裏附(うらつけ)を蹴込て草履に替(かへ)よと云故、此新敷(あたらしき)裏附を入水(じゆすい)させるも無益(むやく)なり、今の八百屋に預け來(きた)るべしといへば、今死ぬ物が其樣なるとんぢやくが有べきかと申せども、死ぬる迄も費(ついえ)は費也、八百屋に置(おけ)ば八百屋の物と成べし、預け行んとむりに立戾りて、八百屋に預け、夫より浪花新地(なにはしんち)を通り拔(ぬく)るころ、彼(かの)女の顏色を能(よく)見るに、大(おほひ)に替りて、最早、一途に死ぬ事と思定(おもひさだめ)たる有さまなれば、夫迄は、うかうかと女郎の申(まうす)に任せたれども、是切(これぎり)に死(しん)で仕舞(しまふ)は思ひもよらぬ事ながら、此間中(このあひだぢう)、快よく約束して、今更いやともいひ難し、不慮成(ふりよなる)事を納得して、長き命を此場限りに縮めたると云(いふ)も、智惠のなき最上(さいじやう)、如何(いかが)はせまじと思ひつゞけしが、最早、義理も是切(これぎり)也(なり)、足に任せて逃(にげ)んと思へども、女も兼て覺悟の事故、懷より背中へ手を差入、命懸にて、下帶をしつかりと握り詰居(つめゐ)るゆゑ、中々、力業(ちからわざ)にては、扱取(もぎとつ)て逃失(にげうせ)る事も成間敷(なるまじく)、兎(と)やせまじ、角(かく)やせまじと思ふ内に、今宮の森迄、來りたり。兼て女の用意して持來りたる紐にてともに首を縊(くゝ)らんといへども、彼(かの)下帶は中々放さず。依(よつ)て先(まづ)少し成共(なりとも)、時刻を延(のば)さんと、此社(やしろ)にて多葉粉一ぷく、たべんと云。女郎の申には、もふ多葉粉所(どころ)にてはなしと答(こたふ)る故、最早、此世の名殘(なごり)なり、此所(このところ)まで逃來りし上は、其樣(そのやう)に急ぐ事はなし、好成(すきなる)たばこ位(ぐらゐ)は呑(のま)せ呉(くれ)よといひければ、さらばわらはも一ぷく呑(のみ)申べし、男の心は違(ちが)ひたるもの也とて、彼(かの)社前にて、火打(ひうち)を出(いだ)して、一打(うち)二打、打(うつ)と、思ひも寄らぬ直(ぢき)に後(うしろ)の戸をがらりと明(あけ)て、社(やしろ)より夜番(よばん)の者出(いで)て、何者なれば火を打(うつ)と、大ひなる聲して叱りたりければ、互に仰天せしはりやいに[やぶちゃん注:「張り合ひ拔けに」のことか。ふっと力が抜けるてしまって。]、詰居たる手を放ちしゆゑ、直(ぢき)に深林(しんりん)へ逃込(にげこみ)たり。夫より女は定(さだめ)て探し尋ねたるならんに、彼(かの)可悦は、けしからぬ脇へ逃翦(にげきり)、道もなき所を無上(むしやう)にたどり駈戾(かけもど)り、元の惠比須橋の八百屋へ來りみれば、いまだ寢(ね)もせずに居(ゐ)たりしかば、裏附(うらつけ)を取(とり)はきて足早にかけ歸り、夫より一二日は外へも出(いで)ず、内に居(ゐ)たれども、何分、右の事も心に懸り、欝々として樂(たのし)み兼(かぬ)る故、三日目程に、今度は方角を引離(ひきはな)れて天滿(てんま)の方へ出(で)かけ、或茶屋に休居(やすみゐ)たるに、荷物を脊負(せおひ)たる商人(あきうど)來りて、彼(かの)荷を下して、ともに休みつゝ咄しけるは、夜前(やぜん)、今宮の森に相對死(あひたひし)有(あり)たり。女は島の内の女郎と申(まうす)事也と云ゆゑ、扨、我等と能(よく)似たる事も有(ある)ものかな、若(もし)も彼(かの)女にてはなきやと思ひ、何(なに)やの女郎にやと問(とふ)に、既に我(わが)行(ゆき)たる女郎屋故、心せきこみて、夫(それ)は何と云(いふ)女郎なるやと又問へば、彼商人、女郎の名迄は承らず、何故、其樣に申さるゝ事ぞと云故、尤也(もつともなり)と心付(こゝろづき)、以前、あの内(うち)へは往(ゆき)て、大躰(たいてい)、女郎も近付(ちかづき)故、くどふも尋(たづぬ)る也と申紛(まぎ)らし、夫より人にも搜らせ、自身にも能(よく)尋見(たづねみ)るに、知己(おのれ)[やぶちゃん注:「知」はママで二字にルビする。]が死(しな)ふとせし女にて相手の男は遠國より來り居(ゐ)て、是も纔(わづか)四五度通ひ、餘程年を取(とり)たる男なりと云。此女には、世に云(いふ)、死神(しにがみ)が取付(とりつき)たるものにて、かの旅の男にも取付たるにや。何にしても、うかうかと、ひやい[やぶちゃん注:恐らくは「非愛(ひあい)」で、「危(あや)ういこと・危(あぶ)ないめ」の意であろう。]成(なる)事に逢(あひ)しとて可悦より詳(つまびらか)に聞(きき)たるなり。予、思ふに、可悦には神(かみ)有(あり)て遁(のが)れさせ給ひしか。又は、斯迄(かくまで)、心の慥(たしか)なる男故、死に神の侵(おか)し兼(かね)たるか。心得置(こころえおく)べき事なり。

[やぶちゃん注:添えられた挿絵は現在の大阪市中央区の道頓堀川に架かる戎橋(えびすばし:本文では「恵比須橋(ゑびすばし)」)上のシーンである。ここ(グーグル・マップ・データ))――「死神不可悦今宮心中(しにがみのよろこばざるいまみやしんじう)」の「恵比須橋道行の段」――である。よく見て戴きたい。……画面右手こちらの欄干の側に男女が顔を見合わせている……これが主人公の若き日の可悦と死神に憑りつかれた哀れな女郎である……何故それが分かるかって?……よく御覧なさい……そこから視線をずっと下の川面の方に目を移してゆくと……やや左手……に……彼女が死を覚悟して蹴り込んだ……下駄が……描かれているじゃ……ありませんか…………このタナトスに囚われた女は何か無性に哀れである……彼女が心中を遂げた老けた相手というのは……これ……私のことかも知れぬ…………

「内瘴(そこひ)」漢字では「底翳」と書き、視力障害を来たす複数の眼疾患のことをさす古語。現在でも俗称として用いられている。現在の疾患名では「白そこひ」は「白内障」を、「青そこひ」は「緑内障」に当たり、「黒そこひ」は瞳孔の色調変性が起こらないのに視力障害が起きる疾患を総称していたが、現在では「網膜剥離」「硝子体出血」「黒内障」などを指す(ウィキの「そこひ」に拠った)。

「嶋の内」現在の大阪府大阪市中央区島之内(しまのうち)の南部地区。ウィキの「島之内」によれば、十九世紀後半には二十四町もの茶屋御免の『町があり、遊里が点在する色町を形成しており』、ここの北に接する大坂町人文化の中心となった商業地区である船場(せんば)の『「商いどころ」に対して「粋どころ」と呼ばれた』。『異名は「ミナミ」「江南」「南江」「南州」「南陽」「陽台」「崎陽(きよう)」と多数あった。つまり「ミナミ」とは元々、島之内のことを指す名称であった』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「死なふと思ふに、義理所(ぎりところ)にてはなし、多分は心變りし給ふ事と、宵より怨みて計(ばか)り居たり」彼女の台詞。「義理所にてはなし」は「あんさんにはわてと死なねばならぬ義理のある訳にては、これ、あらへんさかい」の謂いであろう。

「夜芝居(よしばゐ)に行(ゆく)とて出(いで)て」こういうことが許される(江戸の吉原ではこうしたことは普通は許されなかったはずである)、比較的自由のきく女郎屋であったことが判る。

「今宮(まきみや)の森」「えべっさん」の愛称で知られる、現在の大阪府大阪市浪速区恵美須西にある今宮戎神社の森か? ここなら島之内からなら、南に二キロメートル圏内である。

「裏附(うらつけ)」裏附草履。二枚重ねの底に革を挟んで補強したもの。女が嫌ったのは、恐らくは普通の草履よりも音がするからであろうか。

「浪花新地(なにはしんち)」概ね現在の中央区難波に当たる難波新地(なんばしんち)。ここ附近(グーグル・マップ・データ)。先に渡った戎橋の南直近。

「扱取(もぎとつ)て」底本は「拔取」であるが、編者によって右に『(捥)』と訂正注がある。確かにそうすれば「もぎとり」と難なく読めるが、しかし、原典を見ると「拔」ではなく、私には「扱」に見える。これは「こく」「しごく」「細長い本体に付いている物を手や物の間に挟んで引っぱって擦り落とす」の謂いであり、想山はそうしたニュアンスを含んで確信犯でこの字を当てたとも思われるのでママとした。

「天滿(てんま)」現在の大阪市北区天満。ここ(グーグル・マップ・データ)。大阪城の北西で、確かに今までのロケーション位置からは東北に当たって方向違いである。

「夜前」前の日の夜。主人公は逃げ帰って、その夜から三日目に天満に出かけ、この話を聴いている点に注意。]

 

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