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2017/05/03

「想山著聞奇集 卷の參」 「狩人異女に逢たる事」

 

 狩人異女(いぢよ)に逢たる事

 

Kariudoijyoniahu

 

 市谷(いちがや)自證院[やぶちゃん注:既出。新宿区富久町にある天台宗鎮護山自證院圓融寺。]に西應房(さいわうばう)と云(いふ)道心坊主有(あり)て、老年なれども筋骨健(すこやか)にして、朝飯後、直(ぢき)に股引(ももひき)草鞋(わらぢ)にて、山内の草を取(とり)、木をきり、或は木の葉を拾ひよせ、働く事、若き男どもよりは遙かに增(まさ)りて、終日働き居(をり)て、遂に右院にて沒したり。【臨終に來迎往生(らいがうわうじやう)をなしたり此事次の卷に記し置ぬ。[やぶちゃん注:これは次の「卷四」に「西應房、彌陀如來の来迎(らいがう)を拜して往生をなす事」として載る。但し、面白いのは、彼が来迎往生したことと、ここに語られるマタギ時代の本体験を直接に繫げていない点にあり、この本地垂迹を否定しつつも、殺生の悪しきを諭す女神に対し、殺生をやめるだけではなくて出家してしまい、しかも弥陀の来迎を目出度く迎えて往生したとする猟師の後日談の展開が私にはすこぶる面白いと感じられる。]】此西應房は、尾張の國中嶋(なかしま)郡一の宮[やぶちゃん注:現在の愛知県北西部にあるの一宮(いちのみや)市と稲沢市の一部。ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、旧中嶋郡はその北西の、木曽川を挟んだ現在の岐阜県内の羽島市の一部も含ままれるのでそちらも範囲内となる。]の産なれども、少年より狩を好み、飛驒の國に行て狩人と成、信州は勿論、美濃・加賀・越前・越中等までも、山續きに渡り步行(ありき)て、狩暮(かりくら)したれども、怖しかりしと思ひし事もなかりしに、或時、打續き餘り獲物(えもの)なき故、里へも歸らずして、御嶽山(おんたけさん)[やぶちゃん注:現在の長野県木曽郡木曽町及び王滝村と、岐阜県下呂市及び高山市に跨る標高三〇六七メートルの大きな裾野を広げる独立峰。]の麓の方へ深くわけ入(いり)、其所に夜を明(あか)し、朝の歸り猪[やぶちゃん注:「歸り猪」で一語。哺乳綱鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ Sus scrofa は基本は昼日性であるが、人間との関わりの中で二次的に夜行性をも獲得しており、夜間に食を求めて里まで降り、朝方になって山へ帰ると言う習性を持つに至った。その朝帰りの猪を指す。]にても躵(ねら)はん[やぶちゃん注:「狙はん」。]と曉を待居(まちゐ)て、夜も明方に成(なり)、東も少ししらみ懸(かか)る頃、小高き峯へ上り、獸や來ると四方を見𢌞し、明(あけ)るを遲しと待居たるに、遙向(はるかむかひ)の御嶽山の方より、篠竹を分(わけ)て來る者あり。其樣子、何とも見極めかね、甚だ不審に思ひて能々(よくよく)見れば、女にて、段々此方(こなた)を目懸(めがけ)て來れり。此深山に、假令(たとひ)晝にても、女の行(ゆき)かふべき理(ことわり)なし。まして、斯(かく)明方などに、女の來(きたる)る道理、絶(たえ)てなき筈也。今迄は、運能く斯(かく)のごときの變化(へんげ)に遭(あは)ざりしに、今來(く)るものこそ尋常のものに非ず。川だち川にて果(はつ)る[やぶちゃん注:「川だち」は川辺に生まれ育つことから転じて「水練の達人」の意。川に育った者はそおの得意に油断して結局は川で死ぬ(ことが多い)。「得意な技術であっても油断すればそれで身を滅ぼす」という譬え。]の諺は此事にて、我運命も是までにて、今を限りと成(なり)たることと知られたり。去(さり)ながら、天魔にもせよ、鬼神(きじん)にもせよ、手を束(つか)ねて取殺(とりころ)さるゝは拙(つたな)し、運は天に任せて一勝負なし、假令(たとひ)、如何成(いかなる)天魔鬼神にても、一打にうち殺さんと、一大事の時に用(もちふ)る鐡の錬(きた)ひ玉[やぶちゃん注:活用は厳密にはおかしいが、「鍛ふ弾」「鍛へる弾」の語呂をよくした慣用表現であろう。]を出して鐡砲に込直(こめなほ)し、矢比[やぶちゃん注:「やごろ」。打ち放つに最もよい距離。言わずもがな、弓の用語を鉄砲に援用したのである。]に成(なる)を待居たるに、【此錬ひ玉と云は、一玉(ひとたま)に壹萬遍念佛を唱へながら錬ひ揚げたる玉也、此玉を持居て身の守りとし、一所懸命の危急の時にもちゆる玉なりと。】かの女は、次第に篠を分(わけ)、近より來(きた)るまゝ、はや打留(うちとめ)んとせし所にいたりて、彼(かの)女、聲を懸ていひけるは、先(まづ)、鐡砲を止(やめ)られよ、我(われ)は申(まうす)事有て來(きた)る者也、努(ゆめ)々災ひをなすものに非ず、そこ迄參るべし、其樣に躵(ねら)ひ給ふては、我(わが)申事も聞えがたかるべしと云。其聲もしとやかにて、常の人にかはらねば、狩人(かりうど)も少しは心も弛(ゆる)みて、女の云よしをもきかばやと思ひて、近づく儘に、能(よく)見れば、容貌美麗なる十六七斗(ばかり)の少女也。然(しかれ)ども、此少女、かくは云居(いひをり)ながら、油斷させ、如何成(いかなる)目をか見せん手段(てだて)にや。何にもせよ、實(まこと)の人間の來(くた)る所に非ず、殊にかく斗り美敷(うつくしき)人間の有(ある)事をしらず。旁(よりて)[やぶちゃん注:傍に寄って。]、こなたよりも方便(たばかり)て打取(うちとる)べしと、心に油斷なく思ひ込居(こめを)る故、彼(かの)女、又云やう、兎角、我を打(うた)んと思はるれども、假令(たちほ)、如何成手練(てだれ)にても、我は錢砲などにて打るゝものに非されば[やぶちゃん注:「さ」はママ。]、心を靜(しづめ)て聞(きき)給はれと云故、勇氣もたゆみ、且は何れにも譯(わけ)を聞(きく)べしと、漸(やうや)く打留(うちとむ)る心を止(やみ)たり。其時、少女のいひけるは、我は飯田領[やぶちゃん注:御嶽山の南東にある現在の飯田市。(グーグル・マップ・データ)。江戸時代は信濃飯田藩領。]なる何村の何某の娘也、今より十三年已前の七月の事なりしが、近きわたりの川へ物洗ひに行しに、遁(のが)れぬ因緣の有て、其儘、山に入(いり)て山の神と成たり。然ども、故郷に告(つぐ)るよしなければ、父母は是を知らず、其日を我(わが)忌日として、常々懇(ねんごろ)に吊(とむら)ひ、供養などなし給ふて、甚だ忝(かたじけな)き事ながら、わが爲には、却(かへつ)て夫(それ)が障碍(しやうがい)と成(なる)なり、我(われ)既に此所に在(あり)て、年ごろ功を積(つみ)たれば、來年は鈴鹿山(すずかやま)の神と成て、一級の昇進をも得る事と成れり。然るに、此七月は十三囘忌に當れば、又、故郷にて佛事供養をもなし、我跡を吊ひ給ふべし、左すれば、夫が障りと成て、來年、鈴鹿の神と成(なる)事、叶ひ難し。此ことを父母に告知(つげし)らせ度(たく)思へども、告(つぐ)る事叶はず。又、誰(たれ)有(あり)て賴むべき人もなし。是を父母に告貰(つげもらは)んは、其許(そこもと)ならではなしと、日頃心に込置(こめおき)たり。依(より)て偏(ひとへ)に賴み參らするまゝ、何卒、故郷へ行(ゆき)、父母に對面して、懇に此事を告て、以來は我(わが)爲に、佛事はさら也、佛供一つ備へ呉(くれ)給はぬ樣に傳へくれられよとて、女は失去(うせさり)たり。誠に奇異の思(おもひ)をなして、夫(それ)より早々宅へ歸り、狩裝束をぬぎ捨て、信州へ趣き、かの父母を尋(たづね)て、此事を具(つぶさ)に告るに、今に存命成(なる)事かと、父母も初(はじめ)て知りて、且は驚き、且は怪(あやし)みたりとぞ。此女、家を出たるは十六歳の時にて、西應房の逢(あひ)しは十八年經(へ)ての事なれども、矢張(やはり)十六斗の少女に見え、其容貌のあでやかなる事は人間とは思へざりしといへり。これを考ふるに、仙女の容貌の美麗なる、或は女躰の御神(おんかみ)の艷色無量に渡らせ給ふなどゝ同じ事と見えたり。扨、此少女の申(まうす)には、纔(わづか)の露命を繫ぐとて、我一命に懸て、朝暮(てうぼ)、猛獸と勇(ゆう)を爭ひ、晝夜、物の命を取るを業(わざ)となすは、己(おのれ)の罪業(ざいがふ)を己(おのづ)と增(ます)わざ也、渡世は是のみにも限るまじ、餘事をなして世を渡り給へと示せし由。此事、能々(よくよく)心魂に徹せしにや、是より發心して、狩人をやめて名古屋へ出(いで)て、武家奉公などをなし、夫より江戸へも來り、後に自證院へ入(いり)て道心房と成(なり)て身まかりたり。予、以前、彼寺へ常々親敷(したしく)行し時、此僧に逢て、篤(とく)と此事を尋置(たづねおく)べしと思ひつゝ打過(うちすぎ)て、其内に、なき人となりしは殘り多し。同院の隱居念阿院【此册の初ケ條(はじめがじやう)に云置(いひおき)たる常偏阿闍梨の事也。[やぶちゃん注:この「卷の參」の巻頭の「元三大師誕生水、の不思議の事」に登場しており、この自證院の『文政年間の院家なり』という割注が附されてあることを指す。]】抔(など)も、此話は能(よく)知居(しりをり)給へども、年月、村郷の名などは忘れたりと申されき。外に寺内に誰(たれ)も覺え居(を)るものなく、殘り多し。何(いづ)れ彼(かの)僧の若き時の事故、寛政か享和ころ[やぶちゃん注:一七八九年から一八〇四年。]の事と知れたり。


 

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