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2017/05/02

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その6)

 

    *    * 

      *    *    *

 

[やぶちゃん注:以上の最初行のアスタリスクが二つしかないのはママ。]

 

 或る夜、彼のランプの、紙で出來た笠へ、がさと音を立てて飛んで來たものがあつた。

 

 見るとそれは一疋の馬追ひである。その靑いすつきりとした蟲は、その緣(ふち)を紅くぼかして染め出したランプの笠の上へとまつて、それらの紅と靑との對照が先づ彼の目を引いたが、その姿と動作とが、更におもむろに彼の興味を呼んだ。その蟲は、長い觸角をゆるやかに動しながら、ランプの圓い笠の紅いところを、ぐるぐると廻り出して、靑く動いて行つた。さうして、時々には、壁や、障子や、取り散した書棚や、或は夜更しをしすぎて何時になれば寢るものともきまらない夫を勝手にさせて自分だけ先づ眠つて居る彼の妻の蚊帳の上などへ、身輕に飛び渡つては、鳴いて見せた。「人間に生れることばかりが、必ずしも幸福ではない」と或る詩人が言つた「今度生れ變る時にはこんな蟲になるのもいい」或る時、彼はそれと同じやうなことを考へながらその蟲を見て居るうちに、ふと、シルクハツト上へ薄羽蜉蝣(うすばかげろふ)のとまつて居る小さな世界の場面を空想した。あの透明な羽を背負うた靑い小娘の息のやうにふわふわした小さな蟲が、漆黑なぴかぴかした多少怪奇な形を具へた帽子の眞角なかどの上へ、賴りなげに然しはつきりととまつて、その角の表面をそれの線に沿うてのろのろと這つて行く‥‥。それを明るい電燈が默つて上から照して居た‥‥。彼は突然、光を覗いた。それは電燈ではない。ランプの光である。彼はそのランプの光を自分の空想と混同して、自分も今電燈の下に居るやうに思つたからである。

[やぶちゃん注:この段落は冒頭の一字下げない。かといって、前の一文と繋がっているのかと言えば、底本は前の行の最後が一字分、空欄になっている。定本では改行となっているから、ここは字下げをしなかった校正ミスととり、独立段落として、冒頭を一字下げて示した。なお、ここの「廻」の字はママで、本書では「𢌞」と「廻」の活字が混用されている。

「馬追ひ」直翅(バッタ)目キリギリス亜目キリギリス科ウマオイ属ハヤシノウマオイ Hexacentrus japonicus か、ハタケノウマオイ Hexacentrus unicolorウィキの「ウマオイ」によれば、両種は『外見上の違いはほとんどないが、鳴き声が異な』り、ハヤシノウマオイは最も耳にすることが多く、私などは専ら「スイッチョン」と異名で呼んでいるところのあの鳴き声、『「スィーーーッ・チョン」と長くのばして鳴』くのに対し、ハタケノウマオイの方は『「シッチョン・シッチョン……」と短く鳴く』。『前者は下草の多い林に棲むが、林といっても屋敷の庭程度の量の樹木さえあれば』、『生息条件を満足する。後者は名の通り畑の片隅や小河川沿いの草原によく見られる』とあり、主人公の家屋周辺の環境から見ると、孰れともとれる。

「動しながら」「うごかしながら」。

『「人間に生れることばかりが、必ずしも幸福ではない」と或る詩人が言つた』この箇所は定本では、『「人間に生れることばかりが、必ずしも幸福ではない」と草雲雀(くさひばり)に就てそんなことを或る詩人が言つた』と書き変えられてある。

「薄羽蜉蝣(うすばかげろふ)」佐藤の観察と知見が正確であるとするならば、昆虫綱有翅昆虫亜綱内翅上目アミメカゲロウ目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidae に属するウスバカゲロウ類を指すが、よほどの昆虫フリークでない限りは、これを確信犯として名指すことは普通は出来ないと思われる。何を言いたいかと言えば、佐藤が真正のカゲロウ類(蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeropteraに属する昆虫の総称)と区別して、これを「薄羽蜉蝣」と認識しているとは私には思われないからである。カゲロウと十把一絡げに名指しているものの中には、形状が酷似しながらも、真正のカゲロウではない、全く異なった種であるところの、このウスバカゲロウや、脈翅(アミメカゲロウ)目脈翅亜(アミメカゲロウ)亜目クサカゲロウ科 Chrysopidae に属するクサカゲロウなどが「カゲロウ」として現在でも混同され、誤認されているからである。より詳しくは「生物學講話 丘淺次郎 第八章 団体生活 一 群集」の私の「かげろふ」の注を参照されたい。

「ぴかぴかした」底本は「ぴかかした」。脱字と断じて、定本で訂した。

「眞角」定本では「まつかく」とルビする。]

 

 何故に彼がシルクハツトと薄羽蜉蝣といふやうな對照をひよつくり思ひ出したか、それは彼自身でも解らなかつた。唯、さういふ風な、奇妙な、纖細な、無駄なほど微小な形の美の世界が、何となく今の彼の神經には親しみが多かつた。

 

 馬追ひは、毎夜、彼のランプを訪問した。彼は、最初には、この蟲が何んのためにランプの光を慕うて來るのか、さてその笠をぐるぐると𢌞るのか、それらの意味を知らなかつた。併し、見て居るうちに直ぐに解つた。それは決してその蟲の趣味や道樂ではなかつたのである。この蟲は、其處へ跳んで來て、その上にたかつて居るところのもう一層小さい外の蟲どもを食ふためであつた。それらの蟲どもは、夏の自然の端(はし)くれを粉にしたとも言ひたいほどに極く微細な、たゞ靑いだけの蟲であつた。馬追ひは彼の小さな足でもつてそれらの蟲を搔き込むやうに捉へて、それを自分の口のなかへ持つて行つた。馬追ひの口は、何か鋼鐵で出來た精巧な機械にでもありさうな仕掛に、ぱつくりと開いては、直ぐ四方から一度に閉ぢられた。一層小さな蟲どもはもぐもぐと、この強者の行くに任せて食はれた。食はれる蟲は、それの食はれるのを見て居ても、別に何の感情をも誘はれないほど小さく、また親みのないものばかりであつた。指さきでそれを輕く壓へると、それらの小さな蟲は、靑茶色の斑點をそこに遺して消去せてしまうほどである。

[やぶちゃん注:「この蟲は、其處へ跳んで來て、その上にたかつて居るところのもう一層小さい外の蟲どもを食ふ」ウィキの「ウマオイ」によれば、ウマオイは『華奢な姿に似合わず肉食性が大変強く、他の小昆虫を捕らえて食べる。複数の個体を同じ容器に入れると共食いが頻発する』。『キリギリスやヤブキリ、各種コオロギと異なり、人工飼料にあまり餌付かない。与えても少し口を付ける程度である。一方、生きた昆虫や死んで間もない新鮮な死骸を与えると喜んで食べる』とある。

「親み」「したしみ」。

「消去せてしまう」「きえうせてしまう」。「う」はママ。]

 

 馬追ひは、或る夜、どこでどうしたのであるか、長い跳ねる脚の片方を失つて飛んで來た。

[やぶちゃん注:なお、定本では最後に『長い觸角の一本も短く折れてしまつて居た。』と附す(「居た」は本書に合わせて私が「いた」(ゐた)を書き変えて示した)が、これはあざとい仕儀と言わざるを得ない。事実、そうであったなら、この未定稿でもそう書くはずであると私は思うからである。]

 

 遂には或る夜、彼の制止をも聞かなかつた猫が、書棚の上で、彼の主人の夜ごとのこの不幸な友人を捉へた。さんざんに弄んだ上で、その馬追ひを食つて仕舞つた。彼は今度生れ變る時にはこんな蟲もいいと思つたことを思ひ出すと、こんな蟲とてもなかなか氣樂ではないかも知れないと小さな蟲の生活を考へて見た。

 

 彼がそんな風な童話めいた空想に耽り、醉ひ、弄んで居る間に、彼の妻は寢牀の下で鳴くこほろぎの聲を沁み沁みと聞きつつ、別の童話に思ひ耽つて居るのであつた。こほろぎの歌から、冬の衣類の用意を思うて猫が飛び乘つても搖れるところの、空つぽになつた彼女の簞笥の事を考へ、それから今は手もとにない彼の女のいろいろな晴着のことを考へた。さうしてそれ等の着物の縞や模樣や色合ひなどが、一つ一つ仔細に瞭然と思ひ浮ばれた。又それにつれてそれ等の一かさね一かさねが持つて居る各々の歷史を追想した。深い吐息がそれ等の考へのなかに雜り、さてはそれが淚ともなつた。彼の女は、女特有の主觀によつて、彼の女の玩具の人生苦を人生最大の受難にして考へることが出來た。さうして其悲嘆は、然も訴ふるところがなかつた――これ等のことを今更に告げて見たところで、それをどうしようとも思はぬらしく「何ものも無きに似たれどもすべてのものを持てり」といふやうな句を、ただ聞かせるだけで、一人勝手に生きて居る夫を、象牙の塔に夢みながら、見えもしない人生を俯瞰した積りで生きて居る夫を、その妻が賴み少く思ふことは是非ない事である。彼の女は、時々こんな山里へ來るやうになつた自分を、その短い過去を、運命を、夢のやうに思ひめぐらしても見た。さて、今でもまだ舞臺生活をして居る彼の女の技藝上の競爭者達を、(彼の女はもと女優であつた)今の自分にひきくらべて華やかに想望することもあつた。‥‥‥‥Nといふ山の中の小さな停車場まで二里、馬車のあるところまで一里半、その何れに依つても、それから再び鐵道院の電車を一時間。眞直ぐの里程にすれば六七里でも、その東京までは半日がゝりだ‥‥‥‥それにしても、どんな大理想があるかは知らないが、こんな田舍へ住むと言ひ出した夫を、又それをうかうかと賛成した彼の女自身を、わけても前者を彼の女は最も非難せずには居られなかつた。遠い東京‥‥‥‥近い東京‥‥‥‥近い東京‥‥‥‥遠い東京‥‥‥‥その東京の街々が、アアクライトや、シヨウヰンドウや、眠らうとして居る彼の女の目の前をゆつくり通り過ぎた。

[やぶちゃん注:「彼の女の玩具の人生苦」隠喩。「彼の女の」誰かに弄ばれては飽きられる「玩具の」ような「人生苦」。

「何ものも無きに似たれどもすべてのものを持てり」禪語で、蘇軾の詩句の一節ともされる「無一物(もつ)中(ちう)無盡藏」の和文語訳であろう。

「俯瞰」底本は「腑※」(「※」「瞰」の中央部を「享」に変えた字体)であるが、読めない。定本で訂した。

Nといふ山の中の小さな停車場」現在の横浜線長津田駅のことであろう。ウィキの「横浜線によれば、同鉄道線は明治四一(一九〇八)年九月に『八王子や甲信地方で生産された生糸を横浜へ輸送することを目的として、横浜鉄道によって東神奈川駅 - 八王子駅間』『が開業。東神奈川駅・小机駅・中山駅・長津田駅・原町田駅(現在の町田駅)・淵野辺駅・橋本駅・相原駅・八王子駅が開業。相原駅 - 八王子駅間に北野聯絡所が開業』したが、明治四三(一九一〇)年四月に『内閣鉄道院が借り上げ、八浜線(はっぴんせん)とな』り、大正六(一九一七)年十月一日に『国有化され、鉄道院横浜線とな』っている(下線やぶちゃん)。佐藤春夫が元芸術座の女優川路歌子(本名・遠藤幸子)とともにこの神奈川県都筑郡中里村字鉄(現在の横浜市青葉区鉄町)に移った時期や、本未定稿の発表は実際の国有化の直前であるが、下線の通りであり、叙述自体に何らの齟齬はない

「アアクライト」アーク灯のこと。アーク放電(electric arc)に伴う発光を利用した電灯で、特に炭素電極によるアーク放電灯のこと。明治初期に街路灯に用いられた。]

 

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