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« 南方熊楠 履歴書(その24) 小畔四郎との邂逅 | トップページ | 佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その10) »

2017/05/05

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その9)

 

    *    *    * 

      *    *    *

 

 こんな日頃に、ただ深夜ばかりが、彼に慰安と落着きとを與へた。雞の居ない夜だけ、鎖から放して置くことにした犬が、今ごろ、田の畦をでも元氣よく跳びまはつて居るかと想像することが、寢床のなかで彼をのびのびした氣持にした。併し或る夜であつた。家の外から彼の家を喚ぶものがあつた。未だ机の前に坐りこんで、考へに壓えつけられて居た彼は、緣側の戸を開けて見ると、一人の黑い男が、生垣と渠との向ふの道の上に立つて居た。さうしてその何者かが彼に向つて、橫柄に呼びかけた。巡査かも知れない、と彼は思つた。

 「これやあ君の家の犬だらう。」

 「さうだ。何故だい。」

 「これやあ、怖くつて通れんわい。」

 その村位、犬を恐怖する村は、先づ世界中にないと、彼は思つた。この附近には、狂犬が非常に多いからだと村の一人が説明して居た。それに彼の犬の一疋は純粹の日本犬であつた。

 「大丈夫だよ。形は怖いが、おとなしい犬だから。」

 「何が大丈夫だい。怖くつて通れもしない。」

 「狂犬ぢやないよ。吠えもしないぢやないか。」

 「飼つて居る者はさうでも、飼はんものにはおつかない。ちょつと出て來て、繫いだらどうだい。」

 この何者かの非常に橫柄な口調は、其奴が闇で覆面して居るからだと思ふと、彼は非常に憤ろしかつた。彼はいきなり其處にあつた杖をとると、傘もささずに道の方へ飛び出した。雨は糠ほどより降つていない。その知らない男は、何かまだぐづぐづ言つて居た。さうしてどうしてもこの犬を繫げ、それでなければ俺は通れぬ、と言ひ張つた。可笑しいほど犬を恐れながら、可笑しいほど一人で威張つて居た。「これは優しい犬だ、未だ子供だから人懷しがつて通る人の傍へ行くのだ」と彼は犬のために辯護した。彼にとつては、今、犬は無辜の民である。その男は暴君である。彼自身は義民であつた。その男の言ふことが一々理不盡に思へた彼は、果は大聲でその男を罵つた。彼の妻は何事かと緣側へ出て來たが、この樣子を見ると、暗のなかの通行人に向つてしきりに詫びて居た。彼にはそれが又腹立しかつた。

 「默つていろ。卑屈な奴だ、謝る事はない。犬が惡いのぢやないぞ。この男が臆病なんだ。子供や泥棒ぢやあるまいし‥‥」

 「何、泥棒だと。」

 「お前を泥棒だと言やしないよ。音無しく尾を振つて居る犬をそんなに怖がる奴は泥棒見たいだと言つただけだ。」

 彼は、しまひには、その男を毆りつけるつもりであつた。彼等は五六間を距てて口爭ひして居た。其處へ、見知らない男の後から一つの提灯が來た。それがその男に向つて何か言つて居たが、提灯は彼の方へ近づいて來た。奴等は棒組だな、と彼は即座にさう思つた。若し傍へ來て何か言つたら、と彼は杖をとり直して身構へした。

 「どうぞ堪忍してやつて下さいましよ。親爺やお酒をくらつて居るんでさ。」

 その提灯の男は、反つて彼に謝つて居たのだ。彼は相手が醉つぱらいであつたと知れると、急に自分が馬鹿げて來た。併し、彼は笑へもしなかつた。その時或る説明しがたい心持で、彼は身構へて把つて居た自分の杖をふり上げると、自分の前で何事も知らずに尾を振つて居る自分の犬を、彼は強(した)たかに打ち下した。犬は不意を打たれて、けん、けん、と叫びながら家のなかへ逃げ込む。打たれない犬もつづいて逃込む。彼は呆然とそこに立つて居たが、舌打をして、その杖を渠のなかへたたきつけると、すたすたと家へ這入つて行つた。犬は床下深く身を匿して居た。杖を捨てても未だ握つて居た彼の掌は、ねちこちと汗ばんで居た。

 「今に見ろ。村の者を集めてあの犬を打殺してやらあ!」醉漢はそんな事を言ひながら、提灯をもつた若い男に連れられて通り去つた。

[やぶちゃん注:「雞の居ない夜だけ、鎖から放して置くことにした犬」このシークエンスは現在の読者諸君は想像も及ばぬであろうし、犬好きの私でさえ、この主人公の反論は当時としても絶対的に理不尽であるとは思う(但し、その異様な主人公の偏頗性は作者が主人公に賦与した厭世性・厭人癖の確信犯でもある)。しかし、私は小学校低学年の頃(昭和三九(一九六四)年から翌年)、今いる場所で、エルという柴犬の雑種を飼っていたが、母は夜になると、鎖を外して放してやっていた。朝になると小屋に自ずと戻って来ていた。当時の牛乳屋さんの話では、大船の町まで下りて、そこの野犬を配下としたボスとなってハバを利かせていたらしい。エルは一度として人に咬みついたことのない優しい雄犬だったが、「大船の夜の帝王」の別な顔を持っていたものと見える。この子である。

「狂犬」無論、これは単に、「人に咬みつく粗暴な野良犬」の謂いであるが、本作発表時(大正七(一九一八)年十一月)、現在でも最も致死率の高い病気の一つとして後天性免疫不全症候群(エイズ)と並称される、恐るべき狂犬病が未だ国内に有意に存在していた。本邦の狂犬病史をウィキの「狂犬病」で見ておくと(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、『記録が残る最初の流行は、江戸時代の一七三二年(享保十七年)に長崎で発生した狂犬病が九州、山陽道、東海道、本州東部、東北と日本全国に伝播していったことによる。東北最北端の下北半島まで狂犬病が到着したのが一七六一年(宝暦十一年)のことである』。『一八七三年(明治六年)に長野県で流行したのを最後にしばらく狂犬病被害は途絶えたが、一八八六年(明治十九年)頃から再び狂犬病被害が発生するようになった。一八九二年(明治二十五年)には獣疫豫防法が制定され、狂犬病が法定伝染病に指定されるとともに狂犬の処分に関する費用の国庫負担と飼い主への手当金交付が定められた。しかし狂犬病は一九〇六年(明治三十九年)頃から徐々に全国規模に広がり、特に関東大震災があった一九二三年(大正十二年)から一九二五年(大正十四年)にかけての三年間に大流行し、全国で九千頭以上の犬の感染が確認された』。『一九二二年(大正十一年)には狂犬病になりやすい浮浪犬を駆除すべく家畜傳染病豫防法が制定され』、狂犬病撲滅のための諸『運動が推進された結果、一九二八年(昭和三年)から狂犬病は激減した。しかし』、『大戦末の一九四四年(昭和十九年)から戦後にかけての社会的混乱期に再び大流行しはじめた』。『戦後混乱期には牛、馬、羊、豚など、野犬のみならず家畜にまで狂犬病が拡大した。この危機的状況に対して占領軍は日本政府に狂犬病単独の法律の制定を命じ』、『一九五〇年(昭和二十五年)に狂犬病予防法を制定させた』。『同法の施行により、飼い犬の登録とワクチン接種の義務化、徹底した野犬の駆除によって一九五六年(昭和三十一年)犬、ヒトの感染報告と一九五七年のネコ感染報告後は、狂犬病の発生は確認されていない』とある。狂犬病は『ワクチン接種を受けずに発病した場合は』、殆んど『確実に死に至り、確立した治療法はない』。『南極を除く全ての大陸で感染が確認されて』おり、『流行地域はアジア、南米、アフリカで、全世界では毎年五万人以上が死亡している』。

「大丈夫だよ。形は怖いが、おとなしい犬だから。」自分勝手な愛犬家に限って必ずこう言うものである。三年前、私の三女のアリス(ビーグル。この子)は、飼い主が「うちの子は優しいから咬みません。」と宣うているそばからその連れている柴犬に耳をしたたか嚙まれ、中央の動脈には穴があいて出血が止まらなくなった。急いで連れて行った動物病院では三箇所も縫われ、エリザベス・カラーを装着させられて全治二週間だった。治療費は二万五千円近くになった。しかし、飼い主からはお詫びも見舞いもなかった。その柴犬を連れた散歩者は、今でも、私とアリスの姿を見ると、そそくさと横道にそれるばかりである。

「おつかない」「おっかない」「恐(おっか)ない」である。

「お前を泥棒だと言やしないよ」底本は「お前だ泥棒だと言やしないよ」であるが、誤植と断じて、定本で訂した。

「音無しく」「おとなしく」。

「五六間」九~十一メートル弱。

「棒組」「ぼうぐみ」。相棒・仲間の意。

「反つて彼に謝つて居たのだ」底本は「反つて彼に誤つて居たのだ」である。読み換えるに苦はないが、視認上で躓いてしまうので、定本で訂した。

「打ち下した」「うちおろした」と訓じておく。]

 

 醉漢のその捨白が、その晩から、彼には非常な心配であつた。村の者が、實際、彼の犬を打殺しはしないかと考へられ出すと、身の上話で泣いて居たあの太つちよの女が、何日か彼に告げた言葉も思ひ出された――「この村では冬になると犬を殺して食ひますよ。御用心なさい、御宅のは若くつて太つて居るから丁度いいなんて、冗談でしせうがそんな事をいつて居ましたよ」

[やぶちゃん注:「捨白」「すてぜりふ」。

「丁度いいなんて」底本は「丁度いいなんで」。誤植と判断して定本で訂した。]

 

 捨てて仕舞つた杖は、思へば思ふほど、彼には非常に惜しいものであつた。それは唐草模樣の花の彫刻をした銀の握のある杖であつた。別段それほど惜しむに足りるものではないのに、それが彼には不思議なほど惜しまれた。その翌日は、彼は犬を運動させるやうなふりをして、その杖を搜す爲めに、渠の流れに沿うた道を十町以上も下つて見た。あの淸らかであつた渠の水は、每日の雨で徒らに濁り立つて居た。杖は何處にも見出されなかつた。彼は杖を無くした事を、妻にも内緒にして居るのであつた。

[やぶちゃん注:「握」「にぎり」。

「十町以上」一キロメートル以上。]

 

 杖と醉漢の拾白とが、彼自身でさへ時々は可笑しいばかり氣にかかる。一層、あの時、あの男を撲りつけてやればよかつたに――彼は寢床のなかで、口惜しくてならぬこともあつた‥‥若しや犬がいぢめられて居はしないかと、それを夜中放して置くことが苦勞になり出した。氣を苛立てながら聞耳をそば立てると、犬の悲鳴がする。大急ぎで緣側へ出て戸を開けながら口笛を吹くと、犬は直ぐ何處かから歸つて來る。さうして鳴いて居るのは外の犬であつた。併し、口笛を吹いても名を呼んでも容易に歸つて來ない事がある。さうして一層けたたましく吠えつづける。そんな時には居ても立つても居られない。彼の妻は、あれは家の犬ではないとか、犬は別に何處でも鳴いては居ないとか言つて、初めは彼を相手にはしなかつたけれども、彼があまりやかましくいふので、この妄想は、何時しか妻の方にまで感染した。彼等は呪われて居る者のやうに戰々兢々として居た。その上に、ランプがどうした具合か、每夜、ぼっぼっと小止みなく搖れて、どこをどう直して見ても直らなかつた。彼は自分の不安な心を見るやうにランプの搖れる芯(しん)を凝視して、癇を苛立てて居た。或る夜、ただ事でない鳴き聲がするので、庭に出て見ると、レオはさも急を告げるらしい樣子で彼を見て吠え立てる。遠くの方ではフラテ?の悲鳴が切なく聞えて來る。彼はレオの後に從ひ乍ら、悲鳴をたよりに、フラテ! フラテ! と叫びながら、それの居所を搜し求めるのであつた。やがて歸つて來たフラテを見ると、顏の半面と體とが泥だらけであつた。フラテは泥の上にすりつけられて折檻されて居たのであらう。何處からか凱歌のやうに人の笑聲が聞えて來る‥‥。その夜以來、犬は夜中のただ一二時間だけ放して置いてから、又再び繫ぐことにした。且又、それの鎖の場所を玄關の土間のなかへ變へた――素通りの出來る庭の隅では、たとひ繫いで置いても不用心だからである。しかし繫がれるために呼ばれるのだと知ると、犬は呼んでもなかなか歸つて來なかつた。食物を與へても鎖の傍へならば寄りつかなかつた。鬪犬の子のフラテは、或る夜自分の鎖を眞中から食切つて、四邊の壁から脱けるためには床下の土に大きな穴を開け、鎖の半分は頸にぶらさげて地上を曳きながら、夜中樂しく遊びまはつて居た。それを主人に知らせるために、さうして自分も解放されたいために、レオは激しく鳴き叫んだ。

[やぶちゃん注:「戰々兢々」底本は「戰々競々」。誤字と断じて訂した。

ぼっぼっ」拗音表記は底本のママである。なお、定本では「ぽっぽっ」(同じく傍点「ヽ」附き)である。底本は刊行年が古く、国立国会図書館デジタルコレクションの初期のものでモノクローム画像の粗いものであるため、半濁音か濁音かの区別が難しい。それでも同書の他の箇所の「ぽ」と「ぼ」を拡大して検鏡してみたところ、印影から見て、これは濁音「ぼ」ではなく半濁音「ぽ」であると鑑定した。何故、拘るかと言えば、わたしは「ぼっぼっ」ではなく「ぽっぽっ」のオノマトペイアの方が、このランプの炎の不調なシーンに相応しいと思うからである。

「鎖の傍へならば」「傍へ」「かたへ(かたえ)」。食い物を置いたのが、鎖の傍らへ、であった場合には、の意。

「鬪犬の子のフラテ」先に「彼の犬の一疋は純粹の日本犬であつた」とあった。この場合、ここまでの叙述ではフラテとレオの孰れが「日本犬」なのか判別出来なかったのであるが、「純粹の日本犬」の「鬪犬」だと、土佐犬や秋田犬でかなり大型種で、実際に闘争心も強く、夜間の放し飼いは憚られ、しかも、多勢に無勢とはいえ、犬嫌いの者が意識的に攻撃目的で近寄れば激しく応戦するはずであるから、ここはレオが柴犬などの中型の純粋な日本犬であって、フラテがやや大きな、洋犬でも闘犬に用いる品種の血の濃い雑種(「純粹の日本犬」という謂いは対する一匹が「純粹」種でないことを強く暗示させるから)であると考えた方がよいように思われる。その場合に一つに参考となるのが、底本の冒頭に配された幻想小説西班牙犬の家である。実はこの小説には主人公の飼い犬としてまさに「フラテ」が登場するのであるが、その犬自体は詳述されず、犬種は不明である。しかし、その小説には題名通り、不思議な家に住む西班牙(スペイン)犬が登場する。私はそのスペイン犬を取り敢えず、「スパニッシュ・マスティフ」(Spanish Mastiff)種ではないかと推理した(リンク先の私の冒頭注を参照されたい)。このマスティフ種は西洋に於いて闘犬競技に用いられる代表種である。私は「フラテ」という名からも(既注。キリシタン用語でイタリア語の「兄弟」に由来する)、本作の方のフラテは洋犬のマスティフ種の雑種なのではないかと感じている。但し、マスティフ種では例えばボクサーが知られるが、実は土佐犬も和犬の四国犬にマスティフ種を掛け合わせて作られたものであるから、マスティフ種の強い土佐犬系の血を引く「フラテ」であっても問題はない。]

 

 彼は、犬に對する夜中の心配を晝間に考へ直すことがあつたが、これはどうも一種の強迫觀念だと氣づかずには居られなかつた。犬だつて自分の力で自分を保護することは知つて居るだらう‥‥。さうして、犬のことなどをばかり考へて居る自分が、恥しくも情けなかつた。けれども夜になると、矢張り「俺の犬は盜まれる、殺される!きつとだ!」今では、犬は彼にとつてただ犬ではなかつた――何か或る象徴であつた。愛するといふ事はそれで苦しむといふ事であつた。杖のこともなかなか忘れられなかつた。大の心配のない時には、銀金具の把りのある杖が、頭の方だけ少し沈みながら、濁つた渠のなかを、流れのまにまに、何處かを、さうして涯しのない遠いところへ持つて行かれるために流れて行くところを、彼は屢々寢床のなかで空想して居た。

[やぶちゃん注:「強迫觀念」ある特定の論理的には不合理性が高いと自己認識している考えや無意味な理念が、自分の意志に反して繰り返し絶えず浮かび、否定して除去しようとしても取り除くことが出来ない心理状態。不安感を伴い、概ね自覚的にも病的と感じられるような見当識があることが多い(ない場合は強度の強迫神経症や統合失調症などの初期症状である可能性も出てくる)。なお、現行の定本ではここが「脅迫觀念」となっているが、これはとんでもない誤りである。この未定稿の方が正しい。]

 

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