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« 宿直草卷二 第六 女は天性、肝ふとき事 | トップページ | 宿直草卷二 第八 誓願寺にて鬼に責めらるる女の事 »

2017/06/28

宿直草卷二 第七 似たるは似てさらに是ならざる事

 

  第七 似たるは似てさらに是(ぜ)ならざる事

 

Syaguma_2

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本のもの。]

 

 右にかはれる話あり。さる所に器量骨柄(ことがら)、水たるやうの、若き者、寄りあへり。

 奈良茶などきしりて、腹おほきなる夜、

「その宮こそ妖(ばけもの)ありて、牛馬(ぎうば)人間の別(わき)もなく、摑み食(くら)ふ鬼なんすむ。巷(ちまた)、此はなしのみなり。」

といふ。一人、聞(きゝ)て、

「摑まるゝものは摑まれもせよ、我におゐては行くべし。」

といふ。傍(そば)なる人、

「いはれぬ若氣(わかげ)なり。無用。」

といふにぞ、猶、募(つの)りて云ひける。後には、止(と)め手(て)もなく、行くべきになり、成るまじきにいひけして、はや、賭(かけもの)になる。

「此札、宮の柱に、をせ。」

なんどいひて、滿座、これが相手となる。

「さらば。」

と、印(しるし)をとり、座をたつ。

 殘りし人々、

「さては行(ゆき)なんぞ。向後(きようこう)、わなみ、女わらんべともいはん。誰にても先へ𢌞り、かの者、脅(おど)せかし。」

といふ。

「尤(もつとも)。」

とて、其(その)座にはやりし者、白き物を着、さばき髮になりて宮へ行きしが、

「人をさへ『無用』と云ひしに、徑路(たつき)もしらぬ此處へきたる、はかなき我が心かな。」

と、うつつとしもなく、いまやいまやと待つにも、まだき見えざれば、心細さのあまり、鳥居にあがりて、あらぬ事のみ思ひつつ、抱きつきて侍り。

 さて又、はじめの者も、

「詮(せん)ない爭ひして、今更、止(や)まるべくもなし。行かでかなはぬ。」

と心得て、印の札、取(とり)出したるは、やさしくもみゆれど、くやむ心の臆病さは、かの綱には似げなくぞ侍る。

 此さまにてただに出でんも恐ろしければ、頭(かしら)にしやぐま被(かづ)き、身に赤色(あかいろ)の物をき、顏(つら)には鬼の面(めん)を當(あ)て、腰の刀の差し姿、あつぱれ、鬼神(きしん)もかくやと見えし。

 しかはあれど、羊質虎皮(やうしつこひ)の譬(たと)へなれや、姿恐ろしうして、心はあくまで取り亂せり。宮へ行くにも、見やり見かへりなんどして、進まぬ體(てい)にて、程ちかくなる。

 かくて、宮にある男は、いとゞ待ちかねたるに、馬場前(ばばさき)へ足音して、物影、かすかに見えたり。

「すは。來りたるは。やら、嬉しや。」

と力を得、といきながらに脅さんと巧む(たく)み、やうやう近づくを見れば、それにはあらで、赤鬼なり。

「こはいかに。なにとなる悲しや。」

と震(ふる)ひつゝも、鳥井(とりゐ)にしがみ付ゐるに、はや、下へ來りぬ。

 また、件(くだん)の鬼殿(おにどの)は、はや、宮なるが、いかなる事かあるらんと思へば、摑(つか)みつくやうに怖(こは)し。

 鳥井の柱に寄り添ひて、方方(はうばう)と遠目(とをめ)つかふに、息ざしするが如くに有(あり)ければ、仰(あふ)のひて見るに、笠木(かさぎ)のうへに、色白き物、あり。

 『南無三寶』と思ふ内、上なる者もたまりえで、鬼が上へ、どうと、落つ。

 鬼はまた、『化物のつかむにこそ』と『助け給へ』といひもあへず、これもまた、倒れけり。

 ともに絶入(たえいり)て、氣つかず。

 宿(やど)に殘りし者、あまり遲さに行て見るに、鬼も化け物も同じ枕に臥(ふ)したり。やがて、呼び生(い)けて、藥などのませて本性(ほんしやう)となれり。

「かく、似せ者は役に立たぬものか。」

とて、大笑ひになりて、止(や)めり。

 闇(やみ)に二人の僧、有(あり)て、互ひに鬼見(きけん)をなす。夜、明(あけ)て見るに、親しき友どちにてありしと。佛(ほとけ)、經(きやう)に譬(たと)へ給へり。これまた、その類(るい)なり。

 

[やぶちゃん注:本書では初めての肝試し失敗型の疑似怪談大爆笑パロディ物である。この肝試しに行く肝の小さい男の扮装は明らかに能の鬼の格好であるが、川底に溜まった漆を独り占めにするために、この恰好をして人を脅したものの、悲劇の最後を遂げる「諸國百物語卷之五 十三 丹波の國さいき村に生きながら鬼になりし人の事」がある。未読の方は、是非、どうぞ。標題「似たるは似てさらに是(ぜ)ならざる事」は、冒頭で「右にかはれる話あり」で判る通り、前の話(女の本性は肝が太いこと)と「よく似ている話ではあるが実はそうではない肝っ玉のまるでない情けない話」に、「化け物に実に似ているものは、似ているようで、実はそうではないという笑い話」の謂いを掛けている謂いか。本文には笑いの雰囲気と臨場感を出すために、改行と記号をオリジナルに追加してある。なお、注の最後に至ったあたりで、とあるフレーズで検索をした結果、これにそっくりな狂言「弓矢太郎」(現行では和泉流のみで上演)が存在することをネット上で知った。天神講での連歌仲間の話として、より複雑な展開を示し、狂言としては上演時間五十分余りとかなり長く、しかも登場人物は八人もいる異例な作品らしい。その「弓矢太郎」について私が最初に参照したのは、juqcho氏のブログ「塾長の鑑賞記録」のである。是非、読まれたい。また、最後の注にも出す岩崎雅彦論文狂言「弓矢太郎」と「鬼争」の構想PDF)によれば、鷺流(大正以降に廃絶した狂言流派)の「鬼争」はより本篇に近いとし、その成立の影響関係を書誌的には確定出来ないものの、最後の注に示す仏教の経典及び注釈書に載る仏教説話を元に狂言が書かれ、それに影響を受けて「宿直草」の本篇が書かれたものと推定してよいようである。

「器量骨柄(ことがら)、水たるやう」男としての器量も人格も全く以って水のように手応えのないどうしようもない奴らの謂いか。

「奈良茶」「奈良茶飯」(ならちゃめし)。大豆・小豆・栗などを入れた塩味の茶飯。混ぜご飯。もともとは奈良の東大寺・興福寺などで作ったというところからの呼称。

「きしりて」齧るように喰らい。ばくばくと食い。

「腹おほきなる」すっかり満腹になった。冒頭から登場人物総てが食うことしか能のない愚か者どもであることを描出する。

「此はなしのみなり」「この話で持ちきりだぜ。」。

「いはれぬ若氣(わかげ)なり。無用。」「言わぬが花の若気の至りだ。止めとけ!」。

「募(つの)りて云ひける」売り言葉に買い言葉で、互いに激しく言い争うこととなってしまったのであった。

「止(と)め手(て)もなく」制止する術(すべ)がなくなり。

「行くべきになり」「絶対、行ってやろうじゃねえか!」と啖呵をきることとなってしまい。

「成るまじきにいひけして」「そんなことは出来やしねえだろが!」と口に出して否定して揶揄した結果。

「はや」遂には。

「をせ」「確かに行ったという証拠として差して来いや!」。

「滿座、これが相手となる」満座の者が、行くと言ってきかない、その一人の男と相手になって賭けをすることとなった。

「さては行(ゆき)なんぞ」「あんだけの啖呵を切った以上は、あの野郎、必ず行くべえよ。」。

「向後(きようこう)」(それを言った通りに成し遂げて仕舞ったら)これ以降。

「わなみ、女わらんべともいはん」「わなみ」は代名詞一人称で対等の相手に対して用いるから、ここは「俺たちのことを意気地なしの『女子供』と蔑称するに違いねえ。」か。

「さばき髮」ざんばら髪。幽霊・化け物の真似である。

 

「人をさへ『無用』と云ひしに」格助詞「を」がやや気になるが、あの馬鹿を除いて、満座の者が「やめとけ!」と言ったのに。

「徑路(たつき)もしらぬ此處へきたる」「徑路」は底本の当て字。この字面だと、その宮へと行く経路もよく知らぬの謂いとしか読めないが、だったら、「此處へきたる」と続いて、確かにその宮へ辿り着いているのとうまくジョイントしない(但し、能狂言ではありそうな台詞のようには見える)。されば、この「たつき」は「方便」で「様子・ありさま」の謂いなのではあるまいか? 要するに、来てはみたものの、あまりよく境内の様子も知らず、夜のこととて身を隠す場所も覚束ない、というのではあるまいか? だからこそ、彼は物蔭に潜むのではなく、鳥居の上に登るしかなかったのだとすれば、私は納得がいく。

「はかなき我が心かな」脅し役の徹底した情けない心情をリアルに活写して面白い。

「うつつとしもなく」呆然として。

「まだき」「未き」で副詞。肝試しの男よりも早く来過ぎてしまったことを言っている。

「心細さのあまり、鳥居にあがりて、あらぬ事のみ思ひつつ、抱きつきて侍り」まさにこの辺りは能狂言のようである。

「詮(せん)ない」馬鹿げた無益な。

「やさしくもみゆれど」殊勝なようにも見えはするものの。

「かの綱には似げなくぞ侍る」「綱」は源頼光の四天王の筆頭として知られる平安中期の武将渡辺綱のことであろう。彼は頼光とともに大江山の酒呑童子を退治し、京の一条戻橋の上で鬼の腕を切り落とした逸話で知られる。序でに言っておくと、彼は無双の剛勇であったと同時に美男としても有名であったから、ここでその比較による落差がさらに笑いを誘うのである。

「しやぐま」「赤熊」。或いは「赭熊」とも書く。赤く染めたヤク(ウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク Bos grunniens の尾の毛。ウィキの「ヤク」によれば、インド北西部・中国(現在の甘粛省及びチベット自治区)・パキスタン北東部に分布し、このヤクの尾の毛は、本邦では『兜や槍につける装飾品として武士階級に愛好され、尾毛をあしらった兜は輸入先の国名を採って「唐の頭(からのかしら)」と呼ばれた』とある)また、それに似た赤い髪の毛。仏具の払子(ほっす)・鬘(かつら)、兜(かぶと)・舞台衣装・獅子舞の面の飾りなどに用いる。

「羊質虎皮(やうしつこひ)」中身は羊で、外観は虎の皮を被っていること。見かけ倒しで内容が伴わないことの譬え。前漢の揚雄の著になる思想書「揚子法言(ようしほうげん)」(「論語」に擬して問答形式で儒教思想を説き、孟子の性善説と荀子の性悪説との調和を試みたもの)の「吾子(ごし)卷第二」に基づく故事成句。

「宮へ行くにも、見やり見かへりなんどして」「見やり」は「見遣り」で、そっちの方を遠くから見やる。さらに後ろを見返してばかりいる、即ち、気後れがして歩が進まぬさまをダメ押しで表現している。序でに「宮」の「みや」を「見やり」の「みや」に掛けて面白おかしく洒落てもいるのであろう。

「馬場前(ばばさき)」宮の神域なので、鳥居の手前の馬止めを言う。

「やら」感動詞。「やあ!」「ああ!」。

「といきながらに」「吐息乍に」か。今は遅しと待ちながら、自分も怖くて仕方がないので、溜息交じりながらも。

脅さんと巧む(たく)み、やうやう近づくを見れば、それにはあらで、赤鬼なり。

「なにとなる」何という。

「摑(つか)みつくやうに怖(こは)し」誰かに抱きつきたくなるほど恐ろしい。「摑む」はこの宮に巣食っているという「妖(ばけもの)」が「牛馬(ぎうば)人間の別(わき)もなく、摑み食(くら)ふ鬼」であるという噂を引っ掛けた滑稽表現であろう。

「息ざしする」何か妖しのものが荒く息遣いする。

「鬼はまた」「化物のつかむにこそ」鬼に変装して来た肝試しの男は「本当の鬼が俺を摑んだッツ!」と思い、「どうか、お助け下され!」と声をあげることもままならず「これもまた、倒れけり」で、脅しの男はもともと気絶して落ちたのであるが、肝試しの男もそれで気絶してしまったのである。

「鬼も化け物も同じ枕に臥(ふ)したり」喜劇のクライマックスである。

「本性(ほんしやう)となれり」二人とも正気に戻った。

「似せ者は役に立たぬものか」肝試しの男の無益な鬼に酷似させた装束も、脅しのために赴いた男の如何にもちゃすい化け物に似せた白装束のざんばら髪も「似せ者」はやっぱり「贋者(にせもの)」なれば、役に立たんわい! という言上げと、人々の哄笑で、この喜劇の舞台の方の幕は閉じるのである。

「闇(やみ)に二人の僧、有(あり)て、互ひに鬼見(きけん)をなす」ある全くの闇夜のこと、ある僧が一人、また別の僧が一人、それぞれ別個に互いの行動を知らずに、「鬼見」、妖異心霊を見んとして、確かにその姿を捉えた。因みに、主に道教や陰陽道では「見鬼(けんき)」と称して、常人には目に見えぬはずの死者の霊や鬼神妖怪を見ることの出来る能力を有する者があるとする。

「佛(ほとけ)、經(きやう)に譬(たと)へ給へり」岩崎雅彦論文狂言「弓矢太郎」と「鬼争」の構想PDF)によれば、『岡雅彦氏はこれは「百喩経」所載の話で、さらに類話が「宝物集」「雑談集」にも見えることを指摘されている』とされ、この「百喩経」とは『計九十八話の譬喩因縁話を集めた譬喩経の一つで、五世紀の成立。四九二年に漢訳され、日本では寛永三年(一六二六)に出版されている』とあり、以下、その『巻三の六十四の「人謂故屋中有悪鬼喩」が当該話である』として原文と書き下し文(人、故屋の中に悪鬼有りと謂ふ喩)を示しておられるので引用させて戴く。

○原文

   《引用開始》

昔有故屋。人謂此室常有悪鬼。皆悉怖畏不敢寝息。時有一人。自謂大譫。而作是言我欲入此室中寄臥一宿。即入宿止。後有一人。自謂譫勇勝於前人。復間傍人言此室中恒有悪鬼。即欲入中排門将前。時先人者謂其足鬼。即復推門遮不聴前。在後来背後謂有鬼。二人闘諍遂至天明。既相覩已方知非鬼。

   《引用終了》

○書き下し文

   《引用開始》

昔故屋有り。人、「此の案に常に悪鬼有り」と謂ふ。皆悉く怖ぢ畏れ敢へて寝息せず。時に一人有り。自ら「大譫」と詔ふ。而して是の言を作す。「我此の室中に入り、寄臥し一宿せんと欲す」。即ち入り宿止す。後に一人有り。自ら「譫勇前の人に勝れり」と謂ふ。復た傍らの人の言ふを聞く。「此の室の中に恒に悪鬼有り」。即ち中に入らんと欲し、門を排き将に前まんとす。時に先に入る者、其れを「是れは鬼」と謂ひ、即ち復た門を推し、遮りて前むを聴さず。後に在りて来たる者、復た「鬼有り」と謂ふ。二人闘諍し遂に天明に至る。既に相覩て巳に方に鬼に非ざるを知る。

   《引用終了》

この後に岩崎氏は『悪鬼が住むという隙のある古い家に、一人の胆力自慢の男が泊まる。後からもう一人これも剛胆な男がやって来てこの家の中に入ろうとする。二人はお互いを鬼と思い戦うが、夜が明けて鬼ではないことに気づく。この後に』、『然れば諸衆生、横しまに是非を計り、強ちに訴訟を生ず。彼の二人の如く、等しく差別なし。』『と結び、諸衆生の差別のないことを説いている』と解説しておられる。但し、この原典を見る限りでは、二人は友人ではない。実は、岩崎氏はこの後で、『さらにこれらの類話が、天台僧栄心の箸で天文十五年(一五四六)以前成立の「法華経」の注釈書』(経典ではない)「法華経直談の中の『「女児思戦事」に見えることが堤邦彦氏により指摘されている』として、やはり原典を以下のように示しておられる。

   《引用開始》

一人ノ比丘有リ。道ヲ行ニ日暮テ、有里ニ立寄宿ヲ借ニ、処人云様ハ、「此里ニハ宿ヲ不ㇾ借法也。山ノアナタニ古堂有リ。彼ニ行テ留給へ」ト教ケリ。「但其ノ堂ニハ、夜ニ成ハ鬼神有テ人ヲ悩ス也。用心有レ」ト云ケリ。彼僧怖クハ思へドモ、宿無間不ㇾ及ㇾ力、行テ堂内ニ入テ戸閇居リ。亦別ノ僧一人来テ、如ㇾ今宿ヲ借ニ「彼堂ヱ行テ留レ」ト教。此僧モ怖ヂ々行テ戸ヲ開テ党内へ入ントスルニ、内ナル僧ガ思様ハ「外ヨリ鬼来テ戸ヲ開」ト心得テ、杖ヲ以ハタト打。又外ヨリ来僧ハ「内ヨリ鬼我ヲ打」ト思、「何程ノ事可ㇾ有」心得テ、又打。如此明迄互ニ戦也。夜明テ見バ、終夜戦タル者ハ知人也。是即闇夜故ニ知人ヲ不ㇾ知シテ鬼ト心得テ戦也。

 是ヲ法ニ合ル時、我等衆生ハ迷故ニ自他之隔情ヲ存シ、我ヨ人ヨト思ヒ、敵ニ非ヲ敵ト心得テ戦也。

   《引用終了》

そうして岩崎氏は、『「宿直草」には、闇で二人の僧がお互いを鬼と思い、夜が明けてみると親しい友達であったと「仏経」にあるとしている。これは知り合いではない二人の男という設定の「百喩経」よりも、二人の知人の僧という設定の「法華経直談抄」に近い。安静の念頭にあったのは「百喩経」の形ではなく、「法華経直談妙」に見られるような話だったのだろう』と分析しておられる。目から鱗!]

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