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2017/06/09

「想山著聞奇集 卷の五」 「にち蜂の酒、幷へぼ蜂の飯の事 附、蜂起の事」

 

 にち蜂(ばち)の酒、へぼ蜂(ばち)の飯(めし)の事

  附、蜂起の事

 

Hatitori

 

Nitibati

 

 ニチ蜂  同(おなじく)王蜂(わうばち)

 

[やぶちゃん注:以下、「王蜂」の二つのキャプション。]

 

 惣身(さうしん)、羽(はね)にも毛を生ず。

 

 蝶(てふ)の如きゆゑ、蝶蜂(てうはち)と云。

 

 美濃の國郡上郡に、にち蜂と云(いふ)有。原野に穴を掘(ほつ)て住(すめ)る蜂にて、尋常(よのつね)の蜂よりは大ひにして胴短く、人の大指(おやゆび)程の大さにして黑み多し。大さ、形狀(かたち)、まづ圖の如き蜂なるよし。此蜂の穴を段々と二尺餘りも掘鑿(ほりうが)つと、ふとめなる灰吹(はひふき)のごとくなる壺を、蜂の巣の通りなるものにて拵へ、其中のかたには、漆(うるし)を能(よく)塗𢌞(ぬりまは)して、水の漏(もら)ぬ樣になし、其中へ、色々成る花の露を段々取來(とりきた)りて入置(いれおき)、一盃(いつぱい)に盈(みつ)ると、又、其如きものにて蓋(ふたを)拵へて貯へ置、又々その通りに幾つも拵(こしら)ゆるとなり。多きのに掘あたれば、十位(ぐらゐ)有(ある)のもあり。其(その)入置たる露を、人取(とつ)て、にち酒(ざけ)迚(とて)、悦んで呑(のむ)事と也。【土俗、酒とはいへども全(また)く蜜也。】其味ひの美(うま)き事は喩(たとふ)[やぶちゃん注:原典は「諭」。底本の訂正注で訂した。]るにものなきとの事にて、分り兼(かぬ)る故、味醂酒(みりんしゆ)などのごとき味なるかと聞(きく)に、先(まづ)、其樣なるものなれども、夫よりは美く、最上の古味醂のごとき味ひなれども、如何成(いかなる)上戸(じやうご)にても、酒呑(さけのみ)、猪口(ちよく)に七、八分目程呑(のめ)は、前後忘(ばう)ずる程、ことの外、醉ふものと也。尤、藥種(やくしゆ)に成(なる)ゆゑ、此邊の藥店にては、猪口に一盃計(ばかり)を百文程に買取事と也。小蟲(こむし)といへども、冬籠(ふゆごもり)の食を貯置(たくはへおく)も、造化自然(ざうくわしぜん)の妙也と云て、感ぜざれば、そのまゝの事なれども、夫(それ)を智(ち)有(ある)事也と味ひて見れば、感ずるにも餘り有(ある)事也。人は萬物の靈(れい)などゝ、自分免許の名を付(つく)れども、豐年に飢歳(きさい)の手當する人なく、段々、地頭(ぢとう)より強く其(その)手當(てあて)を申付(つく)れば、苛(から)き政事(せいじ)の、或は下(した)の難儀は上にては厭ひ給はぬのとつぶやく族(やから)多し。蜂に劣りたる事也。其蜂の内には、王(わう)と仰ぐべきのも居(ゐ)るべき事なるか、如何(いかゞ)と問(とふ)に、王は蝶の如き羽にて、身にも羽にも細き毛を生じ居て、是も前に圖し置たる通りのものと也。其王蜂は、一穴(ひとあな)に一疋居るか、數疋居るかと問に、五、六疋も居て、多きは十疋位も居るよし。其王は、穴を鑿(うが)ちても遲く出きたる故、蝶蜂がいで來(きた)るまゝ、もふ間もなく壺も有べしなどゝ云(いふ)事と也。其穴を掘には、蜂たかり來(きた)る故、側(そば)に、蜂を悉く燒捨(やきすつ)る者、二、三人添居て、いづれも裸と成(なり)て掘事とぞ。しからざれば、衣類の中へ入(いり)て螫(さす)時は、燒(やき)難きゆゑと也。尤、此蜂は、螫(さし)ても痛みゆるやかにて、尋常(よのつね)の蜂の螫(さし)て痛む程にはなき由。多く燒時は、千も二千も燒殺す事とぞ。花の露は口に含み來るやと問に、羽のもとの脇の下の所に付來(つけきた)りて、澤山なるのは、豆粒程づゝ付來るも有て、かの蝶蜂も、時々花を吸(すゐ)に出ると也。元來、蜜蜂は、掟(おきて)、正敷(たゞしき)ものにして、多く群り居(ゐ)るものなれ共、色々の役有(あつ)て、花を取るものは巣を造らず、巣を造るものは花をとらずして、時々入替りて其役を改む。其中に、黑き、性(しやう)の違ひたる強き蜂、十疋計有(あつ)て、是を土俗、細工(さいく)人と唱ふ。此蜂、關守の、關(せき)を守るが如く、又、檢非違使(けんびゐし)の人を罪(つみ)するがごとく、穴の口を守りて衆蜂(しうはう)の出入(でいり)を檢(あらた)め、若(もし)、花を持來らずして穴に入(いら)んとするものあれば、その懈怠(けだい)を責(せめ)て入(いる)事を許さず。其上、再三怠(おこた)る者は、遂に螫殺(さしころ)して軍令を行ふに異(こと)ならず。其中に、大王(だいわう)と云て、大き成(なる)蜂一疋有。一つの臺(だい)を構へて此所(このところ)を居所(ゐどころ)とす。黑蜂(くろばち)の巣は、必、右の臺の上に有て、瀧口(たきぐち)の宿直(とのい)して君(きみ)を守護なし奉るに似たり。王の子は、世々(よゝ)繼(つぎ)て王と成(なつ)て、元より花をとることなく、每日、群蜂(ぐんはう)、花をとりて王に供(くふ)す。此王、一桶(をけ)に一疋づゝのみなるに、子を産(うむ)こと、雌雄有ものに同じく、道理に於ては奇異成(きいなる)事也と云(いへ)ども、王も時々遊行(ゆうぎやう)すれば、餘(よ)の王と番(つが)ひて、雌雄、居所(ゐどころ)を替合(かへあひ)て、子を産(うむ)にや、量るべからず。群蜂、是(これ)に從侍(じうし)する事、實(じつ)に玉體(ぎよくたい)に向ふがことく、種々(しゆじゆ)の作法有(ある)が如しと聞及(きゝおよ)ぶ。委敷(くはしき)事は、山海名産圖繪蜂蜜の條にも詳(つまびらか)なり。此蜂も、そのごとき嚴敷(きびしき)掟なども有(ある)事かと思はるゝまゝ、懇(ねんごろ)に問採(とひさぐ)れ共(ども)、鹿を逐(おふ)者は山を見ず、金を攫(つか)む者は人を見ずと云(いふ)古諺(こげん)の如く、何分、山中土民の取(とる)事故、夫程に心を留(とめ)て見極(みきわめ)たる人なければ、如何とも知(しり)難し。殘り多し。

[やぶちゃん注:私は海産無脊椎動物のフリークであるにも拘わらず、陸産の昆虫類が概ね生理的に苦手で、生物学的にも触手があまり動かない。されば、ここでの同定はドシロウトのそれと思って貰って構わぬ。誤りがあれば、御教授戴けると嬉しい。

「にち蜂」不詳。ネット検索ではこの蜂の方言呼称は見当たらず、「日本国語大辞典」にも所収しない。識者の御教授を乞う。「にち」は思うに、古語の「にちる」(問い詰める・言い掛かりをつける・ゆする」の意の動詞の名詞化したものではなかろうか? 原義の「ゆする」は「ゆすりたかる」のそれであるが、「ゆする」は「ぶるぶると震わす」ことが原義とも考えられ、これは蜂がぶんぶん翅を震わすことと通底しはしまいか? 何より、広汎な土蜂(つちばち)の呼称して「ゆすらばち」が存在するからでもある。ただ、問題はその種同定で、私は嘗て「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 土蜂(ゆすらばち)の電子化注で「土蜂」を以下のように推定した。そのまま引くので、原文との対比はリンク先で確認されたい。太字下線は今回、この注のために施した。ここでの注のための追加注を挿入した。

   *

「蜂」の項に出た際には、ミツバチの一種として見たが、「能く蜜を釀す」という部分に目をつぶると(元が「本草綱目」だからこれに拘る必要はないと考えてよい[やぶちゃん追加注:本書では、はっきりと酒のような蜜を人工的に作らせて採取するとあるので、この場合は、再考が必要である。])、体色といい、成虫個体も幼虫も有意に大きいことといい、人を刺せば、人が死に至るという記載[やぶちゃん注:本書でも想山が不審を持ちながら、後の方で引用して、別種かとする。]は、もう、細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科 Vespinae のスズメバチ類、特に本邦でなら、クロスズメバチ属クロスズメバチ Vespula flaviceps などを想起せざるを得ない。但し、同種は、ウィキの「スズメバチ」の「クロスズメバチ」によれば、体長は十~十八ミリメートルと『小型で、全身が黒く、白または淡黄色の横縞模様が特徴である。北海道、本州、四国、九州、奄美大島に分布。多くは平地の森林や畑、河川の土手等の土中に多層構造の巣を作り』、六月頃から『羽化をする。小型の昆虫、蜘蛛等を餌とし、ハエなどを空中で捕獲することも巧みである。その一方で頻繁に新鮮な動物の死体からも筋肉を切り取って肉団子を作る。食卓上の焼き魚の肉からも肉団子を作ることがある。攻撃性はそれほど高くなく、毒性もそれほど強くはないが、巣の近くを通りかかったり、また缶ジュース等を飲んでいる際に唇を刺される等の報告例がある。同属で外観が酷似するシダクロスズメバチ』(Vespula shidai)は、海抜約三百メートル以上の『山林や高地に好んで生息し、クロスズメバチよりもやや大きく、巣は褐色で形成するコロニーもやや大型になることが多い』とある。同属か、その近縁種の中国産の大型種か。なお、現在の日本で「土蜂」に近い「地蜂」という呼称は狭義には本クロスズメバチを指すことが多い。因みに、現行で「中華馬蜂」(上記の別名に出る。馬蜂というのは大きい形容というより、寧ろ、細腰のすらりとした形状に由来するようにも思われてくる。そういえば、図の形状もこれって、脚長蜂だべ!)という種がおり、中文サイトを見ると、これは本邦でも普通に見られるスズメバチ科アシナガバチ亜科 Polistes 属フタモンアシナガバチ Polistes chinensis を指す。調べると、刺されると相当に痛く(電撃的とある)、傷にも水泡が生じたりして侮れないようである。同様に「蜚零」で検索すると、中文サイトでは明らかにアシナガバチ然とした個体の写真が添えられてあったりもする。現行の和名ではズバリ、ツチバチ(土蜂)科 Scoliidae がおり、これは比較的大型の種が多く、黒地に黄・橙・赤などの斑紋を持ち、黒又は金色の剛毛で覆われるものの、この仲間は例のが地中のコガネムシ類の幼虫に産卵し、幼虫がこれを食べて発育する寄生蜂として知られるグループで、凡そこの記載条件からは遙かに遠いので除外される[やぶちゃん追加注:本書でも土の中に社会性の大きな巣を形成することから除外される。](しかし、ネット上の記載を見ると、これらを広義に「地蜂」と呼称している傾向が学術的な記載の中にさえ見られることも言い添えておく)。なお、なんともゆかしい「ゆすらばち」は現在では死語のようである。少し、哀しい気がした。

   *

本書のそれは私は初読時、クロスズメバチを想起したことは申し添えておく。

「灰吹き」煙草盆に付属した筒で、煙草の灰や吸い殻などを落とし込む容器。一般には竹筒であるが、銅製の堅固なものもある。ここは木製或いは竹製であろう。、

「十」「とを」。

「にち酒」不詳。ネット検索ではこの蜂酒(蜂蜜)の方言呼称は見当たらず、「日本国語大辞典」にも所収しない。スズメバチ等の蜂の本体を焼酎に漬けたそれは精力酒などとして知られているが(私は一度だけ飲んだことがあるが、含んだ際に一種の刺激があり、美味いものではなかった)、ここではそうした製法ではなく、事実、酒ではなく蜜だと言っている。当初、ミツバチ(膜翅目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属 Apis の類)のそれで知られる、未来の女王蜂となる幼虫に女王蜂から与えられるローヤル・ゼリー(Royal Jelly)かとも思ったが、採取法から見ると、そうもそんな感じもしない。識者の御教授を乞う

「味醂酒」底本では「味淋酒」と翻刻しているが、原典を見ると、どうも「淋」ではないように私には見える(「氵」の崩し方よりも遙かに複雑である)。と言って「醂」かというと、自信はない。しかし、その意味で想山は使っている以上、こちらで電子化した方が意味の通りも躓きもないと判断した。

「人は萬物の靈(れい)などゝ、自分免許の名を付(つく)れども、豐年に飢歳(きさい)の手當する人なく、段々、地頭(ぢとう)より強く其(その)手當(てあて)を申付(つく)れば、苛(から)き政事(せいじ)の、或は下(した)の難儀は上にては厭ひ給はぬのとつぶやく族(やから)多し。蜂に劣りたる事也」想山の人間批判、炸裂である。但し、批判は執政者ではなく、目先のことにしか及ばぬとする農民の愚を述べており、封建社会に生きた武家としての彼の思想的限界をも同時に示している。「萬物の靈」万物の霊長。こんな謂いがこの時代に一般的にあったのだなあ、と思わず、唸った。「自分免許」他人は誰も認めてなぞいないのに自分だけが得意になっていること。独り善(よ)がり。「の芸でおだてられているうちはよいが」「豐年に飢歳の手當する人なく」豊年の年にその後には必ず起こる飢饉の年のための備蓄や救荒のための措置をする人もなく。「段々」重ね重ね。「地頭より強く其手當を申付れば」地頭からかなりきつくそうした飢饉のために周到な備蓄や準備をしておかねばならぬというお達しが及ぶと。

「王蜂は、一穴(ひとあな)に一疋居るか、數疋居るかと問に、五、六疋も居て、多きは十疋位も居るよし」不審。ミツバチを例にとっても女王蜂は基本、一巣に一匹しかいない(巣別れする遷移期は別)。図に示される「蝶蜂」という異形も全く不審。種々のハチ類の女王蜂や雄蜂の画像を見ても、こんなに異形なものはいない(女王蜂は巨大で色も黒いから後で出る「黑蜂」という呼称は納得出来る)。雄蜂はミツバチでは集団の約五%(養蜂サイトで六万匹のコロニーの場合には三千匹とある)とあるが、雄蜂もスズメバチのそれでも働き蜂よりがたいが大きなだけで、こんなチョウのような姿ではない。識者の御教授を乞うものだが、これはまさに何か別種の、肉食性のオオスズメバチのような蜂類が、この土蜂を襲っているのを誤認したのではあるまいか? 後で出る巣の入口で監視し、時に刺し殺すというのは、まさにミツバチの巣を襲うスズメバチ類の行動にそっくりだからである。

「羽のもとの脇の下の所に付來(つけきた)りて、澤山なるのは、豆粒程づゝ付來るも有て」これは明らかに花粉を誤認したものである。

「蝶蜂も、時々花を吸に出る」これによって蝶蜂は女王蜂でも雄蜂でもないことが確実となったと言えるように思う。働き蜂以外は蜜を吸いに出ない。女王蜂も雄蜂も自身は蜜を吸いには決して出ず(私の乏しい認識では、である。誤りがあれば御指摘あられたい)、女王蜂が巣を出るのは、巣の分かれの時及び交尾の時、雄蜂も交尾の時だけであるはずである(雄蜂は交尾と同時に生殖器ごと引き裂かれて即死してしまうと私は聴いている)。

「檢非違使(けんびゐし)」現行では「けびゐし(けびいし)」と読んでいるが、これは実は「けんびゐし」の撥音「ん」が脱落したもので、この読みが本来は正しい。平安初期に置かれた令外の官の一つで、洛中の非違・非法を検察する役であったが,訴訟・裁判も扱うようになり、強い権威を持つようになった。後には諸国や伊勢神宮・鹿島神宮などにも配置された。

「瀧口(たきぐち)」九世紀末頃から、内裏の蔵人所(くろうどどころ)に所属して警護に当たった。天皇の在所である清涼殿の「殿上の間」には官位四位及び五位の殿上人が交代で宿直(とのい)したが、庭を警護する武士は清涼殿の東の庭の北東にあった「滝口」と呼ばれる「御溝水(みかわみず)」の落ち込む口(水路の段差)近くにある渡り廊下を詰所として宿直したことから、彼らを「滝口の武士」或いは単に「滝口」と呼ぶようになり、この詰所も「滝口の陣(じん)」などと呼称された。

王も時々遊行(ゆうぎやう)すれば、餘(よ)の王と番(つが)ひて、雌雄、居所(ゐどころ)を替合(かへあひ)て、子を産(うむ)にや、量るべからず」巣の中の殆どの蜂がで、王もだと知ったら、想山はさぞ驚いて、これに数倍する叙述をなしたであろうに。「殘り多し」である。

「山海名産圖繪」「日本山海名産圖會」。主に海産生物の漁法並びに食品や酒の製造法を著した物産書。蒹葭堂(けんかどう)の号で知られた大坂の町人学者木村孔恭(こうきょう)が著者とされる(序は彼であるが、本文も彼が書いたかどうかは実は不詳)。寛政一一(一七九九)年板行。ここで言うのは、その「卷之二」にある「熊野蜂蜜」で、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここから視認出来る。かなり長く、その叙述には「蜂王」といった彼らの社会性に関わる下りもある。]

 

Hebo

 

 ヘボ蜂

  大さ

   此位(くらい)

 

 蜂の子

  大さ

   此位

 

 又へボ蜂(ばち)と云有。是は蜜蜂より少し大きけれども、失張(やはり)、小(ちいさ)き蜂にして、薄白黑(うすしろくろ)の紋(もん)有。圖の如き蜂也と。【「本草綱目啓蒙」に、蜜蜂ヘボ【信州】と有を以(もつて)見る時に、ヘボは蜜蜂の方言か。】是も地中へ穴を掘(ほり)て、穴の中に尋常(よのつね)の蜂の巣のことく、形(かた)ち、傘(からかさ)の如くに作りたる巣を幾蓋(いくふさ)も重ねて、奇麗に拵(こしら)ゆるものと也。同國苗木(なへぎ)・岩村邊(へん)より信州木曾谷(きそだに)の邊(ほと)りにては、此蜂も燒殺せしなりに穴を掘鑿(ほりうがち)て、件(くだん)の巣を取、巣中に有(ある)所の白き螂蛆(うじ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]の如き子を取て、醬油にて味をつけ、飯を焚(たき)て、煮上りたる中へ入て飯となして、是をへぼめしと云て、珍客(ちんきやく)などを饗應するものにして、至て悦び食する事と也。風味は、油(あぶら)多(おほ)にして香(かう)ばしく、甚(はなはだ)以うまきものといへり。然(しかれ)ども、名古屋などより參りたるものは、氣味惡敷(あしき)とて、得食ひ來(きた)らざるも多く、も喰試(くひこゝろみ)たれども、信州人や美濃人の悦びて食する程の風味にてはなく、海糠(あみ)魚か小蝦(こえび)のごとき味ひにて、海濱の人は悦(よろこん)て食ふべきものにあらず。美濃の國、郡上邊(へん)にても、掘取(ほりとつ)て煮付(につけ)になし、酒の肴(さかな)となせども、まづは飯にはなさず。然(しか)れども、蜂飯(はちめし)とてする事もありと也。尤、郡上にても、此蜂の事はへぼ蜂と唱(となへ)るよし。山邊(さんぺん)にてはいづれの國にてもする事にて、珍敷(めづらし)からぬ事にや。は里にのみ住て、か樣の事をしらざれば、異成(ことなる)ことの樣におもふまゝ、追々、右邊(みぎへん)の人々に聞おけるまゝ、具(つぶさ)に書記(かきしる)し書(かく)のみ。此蜂は、江戸にも名古屋にも居(ゐ)る蜂にて、既に右郡上の八幡侯の江戸靑山別莊の園中にて、寄合(よりあひ)、掘取(ほりとつ)て食(くひ)たりと云者にも聞たり。扨、右郡上邊の者どもの此蜂を掘(ほる)には、月の十五日に掘事也。玉子大きく雛と成懸(なりかゝ)り居て、いづれも蜂の巣穴(すあな)一盃(いつぱい)に充滿して居(ゐる)也。若(もし)、十五日を過(すぎ)て廿日頃(ごろ)にも掘(ほれ)ば、巣は悉く、からと成(なり)居て、一つも取(とる)事なしと。月々次第に巣大きく成て、蓋(がい)もふえ、九月に至りては、七蓋(ひちかい)程にも成居て、𢌞(まは)りも大きく、三尺𢌞り【徑(めぐ)り壹尺】程にもなる故、九月の十五日に掘取と、子計(ばかり)一升五合も取事と也。親蜂は、皮(かは)、剛(こは)く齒に當り、味ひもよからざれは、悦びては食せず。飯には猶更、惡敷(あしき)となり。月每の望(ばう)[やぶちゃん注:満月の日。]に至りて、悉く雛となり、巣立(すだち)て出行(いでゆく)とは妙成(めうなる)もの也。尋常(よのつね)の蜂も其通り成(なる)ものにや、心づかずして打過(うちすぎ)たり。にち蜂は、木の枯葉などを穴に引入(ひきいれ)て、夫(それ)に子を産付置(うみつけおき)て、巣は造らざりしと云。元來、蜂の巣は、水の泡(あわ)を取來りて、夫に漆(うるし)を程能(ほどよく)加へて拵(こしらへ)たるものにして、蒂(へた)の所の黑きは、悉く漆にして、鼠色成(なる)所は泡なり。小蟲といへども、天工自然の妙を得たるものながら、同じ蜂にても、種類幾通りも有(あつ)て、木に巣を懸(かく)る有(あり)、又、穴に巣を作る有(あつ)て、大同小異、種々(しゆじゆ)樣々なり。本草綱目に、土蜂山谷穴居作ㇾ房、赤黑色最大螫ㇾ人至ㇾ死、亦能釀ㇾ蜜、其子亦大白云々。にち蜂は蜜を釀すと云(いふ)事、此土蜂(どばち)に能(よく)似て居(ゐ)れども、人を螫(さし)て死に至ると云事は當(あた)らず。別種にや、分り兼たり。

[やぶちゃん注:「へボ蜂」「日本国語大辞典」の「へぼ」には、複数の昆虫の方言として『ありじごく(蟻地獄)』・『つちばち(土蜂)』・『じばち(地蜂)』・『みつばち(蜜蜂)』・『とんぼ(蜻蛉)』の五種を挙げる。そのうち、蜜蜂は信濃及び静岡県磐田郡水窪(但し、「べぼ」)を採集地とし、土蜂はまさに岐阜県郡上郡と愛知県宝飯(ほい)郡を採集地とする。以下では「是も地中へ穴を掘(ほり)て、穴の中に尋常(よのつね)の蜂の巣のことく、形(かた)ち、傘(からかさ)の如くに作りたる巣を幾蓋(いくふさ)も重ねて、奇麗に拵(こしら)ゆるものと也」とあるから、これはもう、ミツバチではなく、クロスズメバチ属クロスズメバチ Vespula flaviceps である。

「苗木(なへぎ)」現在の岐阜県中津川市苗木。(グーグル・マップ・データ)。

「岩村」岐阜県恵那市岩村町(ちょう)。(グーグル・マップ・データ)。

「へぼめし」ウィキの「によれば、現在でも『岐阜県恵那市・中津川市など(東濃地方・静岡市葵区山間部)では、地蜂の子を「へぼ」と呼び、炊き込み御飯へぼめしにして食べる習慣がある。甘露煮にした瓶詰も作られて販売されている』。とある。同記載によれば、『はちのこ(蜂の子)は、クロスズメバチなどの蜂の幼虫(蛹、成虫も一緒に入れることもある)で、日本では長野県・岐阜県・愛知県・静岡県・山梨県・栃木県・岡山県・宮崎県など』『の山間部を中心に日本各地で食用とされている。古い時代には貴重な蛋白源として常食された』。『クロスズメバチの他、別種のスズメバチやミツバチ、アシナガバチ』(細腰亜目スズメバチ上科スズメバチ科アシナガバチ亜科 Polistinae)『なども食べられている。近年は高級珍味として、缶詰や瓶詰でも販売されている』。『猟期は秋、長野では「蜂追い」(すがれ追い)と呼んでかつては子供の遊び、現在では半ば大人のレジャー化している。クロスズメバチの場合、地中に巣を作るため、まず巣を発見しなければならない』。『ハチの巣を見つけ出すには、ハチの移動経路や営巣場所となりやすい場所を注意深く観察し、飛翔するハチを手掛かりに巣の場所を予測して見つけ出す方法と、エサを巣に運ぶハチを追跡する方法とがある』。『後者の場合、綿を付けた生肉(カエルの肉が良いとされる)や魚、昆虫等をエサにハチをおびき寄せ、巣に運ぼうとするところをひたすらに追跡する。綿は飛翔するハチの視認性を良くし、空気抵抗によってハチの飛翔速度を落として追跡しやすくする役割がある。綿が小さすぎるとハチを見失う可能性が高くなり、大き過ぎるとハチがエサの運搬をあきらめてしまうことがあるため、綿の大きさの調節には経験が必要』。『ハチは畑や川、人家、道路などの上を直線的に飛翔し、また上方を飛ぶハチを見ながら走って追跡することになるため、追跡には交通事故、転倒、転落などの危険が伴う。加えて、追跡時に田畑の農作物を踏み荒らす原因になることから、「蜂追い(ハチ取り)」を禁じている地域もある。こうした事情から、現在では都市部はもとより、郊外においてもこの方法を取ることは難しい』。『巣が発見できたら煙幕花火などを使って巣を燻し、ハチが一時的に』(一~二分程度)『仮死状態となっている間に地中から巣を掘り出す』。『長野県では、硫黄分の配合を多くした「蜂取り用専用煙幕」が販売されている』。『幼虫は、膜を張った巣室の中にいるので、ピンセットを使い、膜を剥がし取り出す。味は淡白で炒ったものは鶏卵の卵焼きを想起させる味である』とある。私は「はちのこ」なら何度か食べたが、残念ながら、それほど美味いとは思わなったし、その味覚自体を実はあまり覚えていない。ともかくもこの記載を得て、その生態上の大いなる不審点は度外視して、本章の主体な種は細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科クロスズメバチ属クロスズメバチ Vespula flaviceps を最大有力候補としてよいと考える。

「海糠(あみ)魚」「あみ」は二字へのルビ。私は嘗て、寺島良安和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚の「海糠魚(あみ)」(寺島は三文字にルビ)の注で、現在、狭義の「アミ」はエビ亜綱フクロエビ上目アミ目Mysidaceaに属する小型甲殻類の中でも、アミ科Mysidaeに属する種を総称する呼称とされる。例えば、本邦産の「アミ」の正統的な種を挙げるとすれば、汽水域に生息するイサザアミ Neomysis intermediaであろうが、ここに異種としての本物の「エビ」であるホンエビ上目 Eucaridaオキアミ目 Euphausiaceaも当然の如く含まれてくると考えねばならないとした。

「郡上の八幡侯の江戸靑山別莊」美濃国(現在の岐阜県郡上市八幡町)に存在し、郡上郡の大半と越前国の一部を統治した郡上藩藩主(藩庁は八幡城で八幡藩とも呼ばれた)青山氏は、初代の青山幸道(よしみち)が宝暦八(一七五八)年に郡上藩に移封されて幕末に至ったが、東京都の青山地区は郡上藩の江戸屋敷が存在したことから、そう呼ばれるようになったとも言われている(私は大学時代の民俗学の講義では大山詣でのための通り道として知られたものが「青山」に転訛したと聞いたが、どうも青山氏語源説の方が本当らしい気がする)。

「本草綱目」「蟲之一」の「土蜂」の「集解」の一節であるが、そのままではない。中文ウィキソースから冒頭の部分を一部、加工して引く。

   *

土蜂

「別錄」。

校正

舊與蜜蜂子同條、今分出。

釋名

蜚零【「本經」。】、 蜂【音、憚。】

頌曰、郭璞注「爾雅」云、今江東呼大蜂在地中作房者爲土蜂、卽、馬蜂也。荊、巴間呼爲蜂。

集解

「別錄」曰、土蜂生武都山谷。

藏器曰、土蜂穴居作房、赤黑色、最大、螫人至死、亦能釀蜜、其子亦大而白。

頌曰、土蜂子、江東人亦啖之。又有木蜂似土蜂、人亦食其子。然則、蜜蜂・土蜂・木蜂・黃蜂子俱可食。大抵蜂類同科、其性效不相遠矣。

 

主治

燒末、油和、敷蜘蛛咬瘡。

藏器曰、此物能食蜘蛛、取其相伏也。

 

蜂子

氣味

甘、平、有毒。

大明曰、同蜜蜂。畏亦同也。

主治

癰腫【「本經」】。嗌痛【「別錄」】。利大小便、治婦人帶下【「日華」】。功同蜜蜂子【藏器】。酒浸敷面、令人悦白【「時珍」】。[やぶちゃん注:以下、略。]

   *

「土蜂山谷穴居作ㇾ房、赤黑色最大螫ㇾ人至ㇾ死、亦能釀ㇾ蜜、其子亦大白云々。」以下に原典の訓点に従い(底本には返り点以外はなく甚だ不親切である)、書き下しておくが、想山が勝手な和漢文に改変していると思われるので、一部に送り仮名をオリジナルに追加してかなり勝手自在に訓じた

   *

 土蜂(どほう) 山谷(さんこく)に穴居し、房(ばう)を作る。赤黑色(あかくろいろ)にして最も大(おほ)ひなり。人を螫さすときは死に至る。亦、能く蜜を釀(かも)す。其の子、亦、大ひに白し云々。

   *]

 

 蜂起と云(いふ)は、蜂の數萬(すまん)、群飛(ぐんぴ)して來る事也。山にては折々有事とぞ。大(おほひ)に起り來(きた)る時は、小家(こいへ)程にも群れ集(あつま)りて、重(かさな)り堅(かたま)り合(あひ)、居(ゐ)る事も有。又、木草(きくさ)の分(わか)ちなく、五間も十間も[やぶちゃん注:九メートル強から十一メートル弱。]少しのすき間なく、平(ひら)一面に成てとまり居、一旬[やぶちゃん注:十日間。]も同し所に居て、夫より又、一疋も殘らず、何れへか、揚越行(あげこしゆく)ものとぞ。其來り居たる内(うち)は、もとより夥敷(おびたゝしき)事なれば、何も食(くは)ず、さのみ動きもせずして、止(とま)り居るものとぞ。數萬(すまん)の蜂、悉く一致して、各自の了簡(れうけん)なく、一擧(いつきよ)に飛來りて、又一擧に飛行も、全(また)く軍令あるが如く、既によく一致して黨(たう)をなすを蜂起と云も、是に比(ひ)したる事也。尤、如何成(いかなる)わけにて、斯(かく)蜂起することか分らぬ事なりと、土俗の咄なり。亡父の咄し給ふには、山中にて、蜂(はち)々起(ほうき)する時は、半道(はんみち)も一里もより集りて、往來(わうらい)留(とま)る故、是非なく燒拂ふ事也と云給ひしが、しかと聞置(きゝおか)ずして殘念なり。亡父は木曾美濃などの深山へも、折節、行(ゆき)給ひたる人なり。

[やぶちゃん注:ここで言う異様に多数の群れを成して飛ぶそれは、広義の多数で群れて営巣を行う蜂類ととってよい。]

 

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