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2017/06/03

「想山著聞奇集 卷の四」 「龍の卵、幷雷の玉の事」

 

 龍(りよう)の卵(たまご)、雷(らい)の玉(たま)の事

 

Ryounotamago

 

[やぶちゃん注:以下、図の左右それぞれのキャプション。なお、原典のそれは本文にある通り、彩色画で、それぞれの玉の、示した図では黒い斑紋箇所が、暗い緑青色(本文では「色は靑色に少し藍鼠(あいねづみ)の色を佩(おび)たり」と記す)である。サイト「富山大学学術情報リポジトリ」内の「ヘルン文庫」2186_2想山著聞奇集(巻4後半).pdf」をダウン・ロードして原色を見るに如かず!

 

玉、大さ徑(わた)り四寸八分に四寸六分、しかれども、餘程長く見え、凡(およそ)大(おほき)さ・恰好、此圖のごとくに見ゆるなり。

[やぶちゃん注:「四寸八分に四寸六分」十四センチ五ミリに十三センチ九ミリ。長径と短径の謂いであろう。実際にはかなりずんぐりとした瓜のような形であるが、見た目は長径が有意に長く見えて卵型に見えるというのである。恐らくは、描かれた白い部分(本文「自然生(しぜんしやう)の鹽(しほ)の固(かたま)りの如き曇白色のもの」)が僅かに透明感を持っているか(本文「曇白色(どんはくしよく)」で「其白色のものは、いかにも濃きものにて、全く菓子に懸(かゝ)るみつと云(いふ)物に似たり」とある)、或いは暗緑青色の文様部分がそうした視覚的効果(縦長に見える)をより高めているのであろう。]

 

裹帛(くゝみぎぬ)に、根來山(ネゴロザンノ)報恩寺什物寛政八丙辰(タツ)六月吉日施主村井氏【と有(あり)、は天と云(いふ)字の古字(こじ)なり。】

[やぶちゃん注:「根來山(ネゴロザンノ)報恩寺」「牛込区史」(昭和五(一九三〇)年刊非売品)の五五七頁に「報恩寺」として、『根來山東光院報恩寺【仁和寺末】』が挙げられ、『年代不詳、市谷尾張屋敷内に大師庵あり、覺鑁寺と云つた。(紀伊根來寺覺鑁上人が關東下向の際造立したものか。寛永三年根來組屋敷内に移り、同十九年報恩寺と稱した。當時は根來組と密接な關係があつた』(下線やぶちゃん)とあって、『舊境内地四百十坪』と記す。まさにこれであろう。個人ブログ「東京さまよい記」の「幻の新五段坂」(それによれば、市谷片町の辺りの坂の名として「新五段坂」という名がしばしば出るそうである)にも、根来坂の覚鑁(かくばん)寺は寛永一九(一六四二)年、『牛込の根来組屋敷の地に移って、根来山東光院報恩寺と改称された。尾張屋板江戸切絵図に、根来百人組の屋敷に挟まれたようなところに報恩寺が小さくのっている。いまの新宿区原町一丁目緑雲寺に近いところであるという』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)で、現行でも、この原町の東南角が「市谷柳町」(本文参照)で東直近には市谷山伏町がある。

「寛政八」一七九六年。

「丙辰(タツ)」「ひのえたつ」。

」割注にある通り、この字は「天」の異体字であるから、「」は「テン」と読むわけだが、どうも「」が判らぬ。六月異名にもこんなものはない。目出度い晴天だった(或いは晴天に「次」ぐ晴れた日だったというのか? 割注風に明らかに右に小さく書かれているから「天次」という熟語ではないことは明らかである。識者の御教授を乞う。

 

 東都(とうど)市谷柳町(やなぎちやう)の續きに根來と云ふ所あり。【柳町より馬場下(ばゞした)といふ所へ行(ゆく)間なり。】此所(このところ)に、根來山報恩寺といふ眞言宗の寺有(あり)。この寺の住僧英珊(えいさん)阿闍梨は、予、年來(ねんらい)の知己也。或時、當寺に、龍(りよう)の玉(たま)と云(いふ)もの有て、格別の什寶なりとの咄しゆゑ、其玉は、もし、水は出(いで)申さずやと尋(たづぬ)るに、雲氣立(たつ)日には、直(ぢき)に濕氣(しつき)を催し、雨天の節は、玉しつぽりと濕り候との事ゆゑ、左(さ)候はゞ、其玉は大(おほき)くは成(なり)申さずやと尋(たづね)けるに、成程、成長いたせしとの答へゆゑ、夫(それ)は龍の玉にてはなく、決(けつ)して龍の卵(たまご)なり。【予、いさゝか故有て龍の卵とはしりたるなり。】迅雷風雨の日を待(まち)て孵(かへる)もの也。其時は、殿堂をも崩し、大木をも倒すものゆゑ、人跡のなき深山へ捨(すて)らるゝかた、宜しかるべしと云(いひ)たれば、左こそ候はん。去(さり)ながら、其卵、今は死せしと心附(こゝろづき)たるとの答へなれば、夫は又、如何樣(いかやう)の譯にやと尋(たづぬ)るに、外に譯といふ事もなく候らへども、三十年程の以前[やぶちゃん注:後に出る想山がその後に実見した天保八年を起点とすると、文化四(一八〇七)年前後となり、これはこの「龍の卵」が奉納された寛政八(一七九六)年からは十一年前後ということになる。]、拙僧の小僧(せうそう)の節(をり)は、前に云ごとく、少し曇りし日には直に濕氣いで、隨(したがつ)て玉の光澤(つや)も甚だ宜しかりしに、其後(そのご)、いつとなく、雨天の日にても濕氣出(いで)ぬやうに成、ならびに、右の玉を仕舞置候入物少さく成(なり)て、玉、少々、入兼(いれかぬ)るやうになり候らひしに、夫も其此より以來は長じ申さず。旁以(かたがたもつて)、今、鑑み候らへば、死せしものならんと悟り候との答へ、具(つぶさ)に聞置(きゝおき)たり。扨(さて)、其後、天保八年【丁酉】[やぶちゃん注:一八三七年。]の夏六月廿七日、右玉を見せ貰はんとて、かの寺へ態々(わざわざ)行(ゆき)て、龍の玉一纜(いちらん)の事をたのみしに、侍僧(しそう)に申付て、直に取出(とりいだ)させ見せ呉(くれ)たるゆゑ、圖し來り、左(さ)にしるし置(おき)ぬ。形ち計りの事ながら、色合(いろあひ)等(とう)は、成(なる)べき丈(たけ)[やぶちゃん注:可能な限り。]、違(ちが)はざる樣に彩(いろどり)ぬ。然れども、その光澤(つや)の樣子は、如何(いかゞ)とも彩やうなくて殘念なり。扨又、此玉を得たる事の由來を知りたく尋ねけれども、しかと傳來は分りがたく、裹(つゝみ)たる帛(きぬ)に、施主の名しるし有のみにて、是又、殘念の事にこそ。

 

 右玉の形ち鞠(まり)のごとくなれども、少し平(ひら)めにて、総躰(さうたい)、大(おほき)さ、圖の如く、竪(たて)四寸八分、橫は僅(わづか)二分程も短く、四寸六分程有。又、其橫は四寸程有て、玉質、雷斧石(らいふせき)のごとく、【俗に天狗の鋏といふ。[やぶちゃん注:たまたま落雷があった後に偶然そこから石器時代の石斧や鏃(やじり)などの遺物が発見され、それを天から降ってきた雷神や天狗などの持ち物と考えた呼称。天狗の鉞(まさかり)などとも称する。]】夫(それ)よりも堅く利(とき)ものに見え、色は靑色に少し藍鼠(あいねづみ)の色を佩(おび)たり。是又、全く雷斧石のごとき色合なれども、光澤(つや)の有(ある)事は、雷斧石よりは、いま少し、ぎやまんの光澤に似たり。扨、此玉に、海濱にある自然生(しぜんしやう)の鹽(しほ)の固(かたま)りの如き曇白色のものゝ、一面にまみれ堅まり居て、此曇白色(どんはくしよく)のものゝ自(おのづか)らはげてまみれ居(ゐ)ざる所、圖のごとく、兩面に有て、其所より、うつくしき玉質(ぎよくしつ)現(あらはれ)たり。其白色のものは、いかにも濃きものにて、全く菓子に懸(かゝ)るみつと云(いふ)物に似たり。左右の二面は、此白色の物、悉くまみれ居たり。阿闍梨の物語には、三十年程以前、雨日(うじつ)に濕氣の出(いづ)る頃は、この玉質、照輝(てりかゞや)く計りに光澤(つや)有たるに、いつとなく、光澤はなはだ潰(つぶ)れたるよし。いまにても、斯(かく)まで光澤有(ある)に、其時の美色、思ひ量られて、いよく奇品としられたり。其まみれ居たる白色(しろいろ)のものは、愚按(ぐあん)には、龍の膏屎(あぶらくそ)[やぶちゃん注:龍が体からからこの卵を産み出す際、同時に分泌した脂(あぶら)の乾いた滓(かす)の謂いか。]の類(るゐ)にて、此玉(たま)を産するときに、まみれ出たるなりに固りたるものかと思はる、如何にや。且、此玉を入(いれ)る器(うつは)は、檜(ひのき)の曲物(まげもの)にして、

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斯(かく)のごとき形なり。色は、うるみ色[やぶちゃん注:「潤み色」。深みのある黒みがかった色。青黒い色。]の溜塗(ためぬり)[やぶちゃん注:表層に透明な漆(透き漆)を塗って仕上げたもの。下の層の色が見えるが、漆自体が本質的には茶褐色であるから茶色がかった透明色で、その結果として下層の色が、やや鈍く落ち着いた色になって見える。]なり。阿聞梨の物語りに、此入物は、寛政年、當寺へ納(おさむ)る節(せつ)に拵へたるものと見え、其時より、此(この)紙の輪(わ)も中に入有(いれあり)候て、よく蓋(ふさ)きさり居(ゐ)候ひしに、今は、あの通り、僅(わづか)ながら蓋も合乘(あひかね)候は、【紙にて拵へたる輪に載(のせ)て有、蓋は三分程上へ上りて合兼居(あひかねゐ)たり。】先達(さきだつ)て御鑑定の通り、全く大きくなり候事と、今、初(ひじめ)て發明いたせしとの事なりき。

[やぶちゃん注:容器本体の底には紙製の輪が置かれてあって、その上に「龍の卵」は置かれてあるのであるが、当初はぴったりと蓋が閉っていたのに、今、見てみると、蓋が九ミリメートルも上に持ち上がってしまい、蓋が閉らなくなっていることに気づいた。そこで想山が訊いたように、この石が成長して大きくなっていることを確かに認識した(「發明」)というのである。推理とそれを証明する叙述の理路整然としていること! 三好想山! やはりタダモノではない!

 

 又、同寺に、雷(らい)の玉と云ものあり。是又、見來(みきた)るまゝ圍(ず)取置(とりおく)。是は大雷(たいらい)の砌(みぎり)、早稻田邊(へん)へ雷(らい)落(おち)しが、其所に落ちて有しとの事。ちよとしたる年月日の書付これあり。いづれへ歟(か)、深く仕舞置たり。尋出して、重て見せ申べしとの咄にて、其後、尋出して、見せられたり。成程、此玉は、雷(らい)の玉(たま)にも有(ある)べく哉(や)。何とも見馴(みなれ)ぬ玉なり。博識の諭(さと)しを待のみ。其圖、此(かく)の如し。

 

Rainogiyoku

 

[やぶちゃん注:上下のキャプション。なお、原典のそれはやはり彩色画で、玉の、示した図では黒い火星の運河のような帯状斑紋が、かなり鮮やかな茶色(本文では「薄茶色の木目(もくめ)の如く、氷目(こほりめ)の如き筋色(すぢいろ)」と記す)である。サイト「富山大学学術情報リポジトリ」内の「ヘルン文庫」2186_2想山著聞奇集(巻4後半).pdf」をダウン・ロードして原色を見るに如かず!

 

裹帛(つゝみぎぬ)に、寛政八丙辰六月吉日と有、【と有(あり)、は古字の天の字なり。】

下の所に、[やぶちゃん注:ここに図挿入。]此(かく)の如く壹分程の深さめげとれたる瑾(きづ)あり。

[やぶちゃん注:「壹分」「いちぶ」。三ミリメートル。「めげとれたる」壊れて取れた。破損した。]

 

 右、雷玉(らいぎよく)の大(おほき)さも、此圖の通り也。惣躰、曇白色(どんはくしよく)に少し薄藍鼠(うすあいねづみ)の色を佩(おび)て、薄茶色の木目(もくめ)の如く、氷目(こほりめ)の如き筋色(すぢいろ)あり。全く瑪瑙石(めなうせき)の如く、又は蠟石(らふせき)の如く、白茶紺斑(まだら)の色にて、光澤も有ども、瑪瑙のごとくすき通る光彩はなく、色も品(しな)も、瑪瑙よりは各外(かくぐわい)[やぶちゃん注:底本には「各」の左に『(格)』と訂正注する。品質の格級の謂いであろう。]劣りたり。去(さり)ながら、ほかには類(るゐ)なき珍敷(めづらしき)玉(たま)也。落(おち)たる時のきずにや、下(した)の方(かた)と思しき所に、三角のきず有て、しかも少しの所、そと皮(がは)とれ居(ゐ)たり。何(なに)にもせよ、見なれざるものにて、雷(らい)の玉(たま)にもやと思はれたり。或人の云、雷斧(らいふ)・雷刀(らうたう)・雷槌(らいつひ)・雷碪(らいたん)[やぶちゃん注:「碪」は砧(きぬた)のこと。]・雷環(らいくわん)・雷珠(らいしゆ)・雷楔(らいけつ)[やぶちゃん注:楔(くさび)。]・零墨(らいぼく)・雷劍(らいけん)・電鑽(らいさん)[やぶちゃん注:「鑽」は鏨(たがね)。]等(とう)と云もの有。雷(らい)の落たる跡に有もの也。三味線(さみせん)のばちの如くにて、印部(いんべ)の燒物[やぶちゃん注:「伊部(いんべ)」が正しい。日本六古窯の一つに数えられる備前焼きのこと。現在の岡山県備前市周辺を産地とする炻器(せっき:「半磁器」「焼締め」とも呼ばれる陶器と磁器の中間的な性質を持つ焼き物)。特に備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」という別名がある。]のごとき紫黑色(しこくしよく)なるは、雷斧なるべく、圓(まろ)くして僧の袈裟にかくる掛絡(くはら)[やぶちゃん注:「くわら」が正しい(底本はそう訂している)。「掛羅」「掛落」とも書き、「掛子(かす)」とも呼ぶ、「身に掛け絡(まと)うもの」の意で、本義は、主に禅僧が用いる方形の小さな略式の袈裟。五条の袈裟の変形で、両肩から胸の前に垂れるように纏うもの。但し、ここはそれに附けてある象牙製の輪を指す。本語は後に丸い根付けや、根付けの附いている印籠(いんろう)・巾着(きんちゃく)・タバコ入れなどの称ともなっており、雷玉の形状から見て、ここは「根付」をイメージしていると読む方が腑に落ちる。]のごとくにして、白色(しろいろ)にて靑を帶(おび)たるは雷環にて、牛角(ぎうかく)の如く、本(もと)太く末鋒(とが)り、紫色に赤を帶たるは雷鑽にして[やぶちゃん注:不審。図からはそのような形状にはとれない。]、石にあらず、土にあらず、漆の如きかたまりは雷墨なるべしと云り。左(さ)すれば、是、全く雷珠の類(るゐ)ならんと思はる。

[やぶちゃん注:私は鉱物は守備範囲外なので、この二種のそれらが如何なる実在鉱物(或いは鉱物様物質)であるかは同定出来ない。切に識者の御教授を乞うものである。なお、所持する奇石収集家木内石亭(享保九(一七二五)年~文化五(一八〇八)年)が板行した稀代の一大奇石書「雲根志」(安永二(一七七三)年に前編、安永八(一七七九)年に後編、享和元(一八〇一)年に三編をそれぞれ刊行した)をざっと見たのであるが、どうもピンとくるものが見当たらなかった。ちょっと病み上がりにて、見落としているのかも知れぬ。見つけたら、追記する。なお、まさに、この二つの奇石を素材としたと思われる、藤江じゅん氏の小学校高学年向けの小説「冬の龍」(二〇〇六年福音館書店刊)のがあるらしい(ブログ「まあやんの 徒然なる日々」のにブック・レビューあり)。読んでみたくなった。]

 

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