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2017/06/17

「想山著聞奇集 卷の五」 「猫俣、老婆に化居たる事」

 

 猫俣(ねこまた)、老婆に化居(ばけゐ)たる事

 

Syouzannekomata

 

 上野の國某(それ)の村に、屋根葺を渡世とする男有。此者、生れ付、律義にして、一人の老母有けるに、事(つか)ふるの切なる事、實(まこと)に珍敷(めづらしき)孝なるものなり。されども貧民の事なれば、かの母を家に殘し置、自身は日々職を勵み、そこ爰(こゝ)と稼ぎ步行(あるき)たり。扨、彼(かの)老母、いつとなく酒好(さけずき)と成(なり)たるゆゑ、每日、歸りには、酒を二合程づゝ土産となし、母を能(よく)いつくしむを樂みとして暮しける。此母、年老たる故にや、誠に心さま惡敷(あしく)、荒(あら)らかに成(なり)つれども、彼(かの)孝心をもつて樂(たのし)む男なれば、いよく至孝(しかう)を盡しけると也。然るに彼男、もはや年もなかば過(すぎ)と成[やぶちゃん注:二十五歳前後から三十歳ほどか。謡曲「敦盛」の「人間五十年」が知られるが、江戸時代を通じての平均寿命は四十五歳前後であった。]、母も次第に老年になりしを留守に置、外(そと)へ計(ばか)り出(いで)て稼ぐ事も不安堵(ふあんど)に思はるべし、且は老母唯一人、留守をさせ置は不自由にもあるべし、孝道を欠(かく)の第一なり迚、人々妻(さい)をむかふる事をすゝめつれど、彼(かの)老母、嫁を取(とる)事を至(いたつ)てきらひたるまゝ、孝行なる男故、先々(まづまづ)母の存念にまかせ置たり。去(さり)ながら、兎角、妻を迎ふる事を人々勸め、母壹人、るすをさせるこそ、却(かへつ)て孝道を欠(かく)道理なり、多くの人の中(なか)には、如何樣(いかやう)にむつかしき母人なりとも、氣に入(いる)べき嫁も有べしなど、餘儀なきすゝめにさとされて、兎も角も、と、人にまかせ置しに、程なく、心さまなどよき女の有たりとて、強(しひ)て人の取持(とりもち)くるゝにまかせ、妻をむかへ取(とり)たるに、かたの如く能(よき)嫁にて、老母に事(つか)ふる事、殘る所なきものなるに、彼(かの)老婆、殊の外、此嫁をきらひて、彌(いよいよ)六(むつ)か敷(しく)なり、日々と無躰(むたい)にいぢむるまゝ、何を云ふも、孝を盡すとてよびたる女なるに、あの樣に母がきらひ給ふを、差置べきに非ずとて、あかぬ中(なか)なれども、妻(さい)に暇(いとま)を遣して後(のち)は、又々以前のごとく、老母壹人暮させけると也。扨、或時、何事か有て、此男の屋根葺仲間、此家へ寄集(よりあつま)りて、酒など給(たべ)てざゝめく[やぶちゃん注:これだと「ざさめく」であるが、「ざざめく」のつもりであろう。「大声をあげて騒ぐ」「賑やかに話す」の意の「さんざめく」「さざめく」は、古くは「ざざめく」であって、「ざざ」は擬声語である。]約束にて、晝後(ひるご)より仕事を休みて酒をたしみ、肴樣(さかなやう)のものも一、二種、拵へ、人々の來るを待受(まちうく)るに、みなみな、何事やらん、俄(にはか)の用事出來(でき)て、一向、人も來らず。手當せし酒も肴も澤山にあまりたるまゝ、常々こそ貧敷(まづしき)ゆゑ、母に存分に酒も得(え)すゝめざりし、けふこそ天より母に與へよとて、か樣に澤山に物の殘りしこそ幸ひなれとて、酒よ肴よ迚(とて)、かの老母を饗(もて)なしけるまゝ、老母もいつになく大悦びにて、酒も數盃(すはい)傾け、肴も悉く喰盡(くひつく)して、心持(こゝろもち)よく臥戸(ふしど)に入(いり)、件(くだん)の男も、そこ爰(こゝ)と跡を片付(かたつけ)て、程なく臥(ふせ)りしに、其内に、何か老母のおかしくうめく音の頻りに聞えけるまゝ、如何(いかゞ)なし給ふにやと、聲を懸(かけ)ても答(こたへ)もなく、何(なに)さま、是は老人のあまりとや[やぶちゃん注:老人であるのに、その節制すべき限度を超えてしまったからであろうか。]、心に任せ、何もかもしたゝめ過(すぐ)されしまゝ、當りたるのなるべし[やぶちゃん注:過飲過食によって食中毒に当たってしまったものでもあろう。]と心を痛め、直(ぢき)に起上(おきあが)りたれど、彼(かの)母、近年、あかりをきらひ出(いだ)して、いつもくらがり故、手さぐりにては何事も行屆(ゆきとゞ)くまじと、早速、火を打(うち)、あかりを燈(とも)して、寢間を見るに、こはいかに、母にてはなく、大ひなる猫の、母の着物を着(ちやく)し、酒に醉臥(えいふし)て、たはひもなきなりに成(なつ)て熟睡せし、その鼾(いびき)の音にて有(あり)たるの也。彼男も誠に膽(きも)を潰しけれど、能々(よくよく)性(せい)の靜まりて分別有(ある)をのこにや[やぶちゃん注:よほど、生まれつきの性質(たち)が冷静沈着で適正確実な判断力を持った男性であったからであろうか。]、倩(つらつら)と其事を思ふに、われは猫俣の子なりしにや、去迚(さりとて)も、此婆(ばゞさ)を見て、是切(これぎり)にも止(やむ)べきに非ず[やぶちゃん注:このまま何の対処もせずに、今まで通りにするわけには到底、参らぬ。]と心を決し、先(まづ)、繩を以(もつて)、彼(かの)猫の兩手と兩足を確(しか)と縊(くゝ)り上(あぐ)るに、天運の盡(つく)る所にや、能々(よくよく)醉(えい)たると見え、猫は少しも覺(おぼえ)なき躰(てい)なり。さて、近隣幷(ならび)村中心安き友達、庄屋・年寄など迄、呼起(よびおこ)し、大勢、棒・熊手の類(るゐ)を持(もつ)て内(うち)へ入(いり)て見るに、猫はまだ寢入居(ねいりゐ)るまゝ、何の雜作もなく其儘に生捕(いけどり)となしぬ。猶、夫(それ)より過去(すぎさり)し事を篤(とく)と考見(かんがへみ)るに、三年餘り以降(このかた)、酒も好(すき)となり、氣分も六(む)つかしく成(なり)、寢るにも明りを嫌ひ、息子と一緒の所に寢るをいやがり、輕(かろ)きもの、寢間(ねま)と云もなく[やぶちゃん注:「寝間」と呼ぶにはあまりに狭いちょっとの場所であるところの。]、一間(ひとま)のみ成儘(なるまゝ)、障子にて仕切(しきら)せ臥(ふせ)りし樣(やう)に成(なり)し故、本(ほん)の親は、全(また)く此猫俣が食(くひ)しにやとて、家の内、そこ爰と、殘る隈なく尋ね求(もとめ)たるに、緣の下、圍爐裏(いろり)のきはに、實(じつ)の老母の骨は、其まゝよせ隱し有し也。故に、此猫こそ母を捕食(とりくら)ひて、其母と化替(ばけかは)り居(ゐ)たるに相違なきとて、人々も彌(いよいよ)驚き、直(ぢき)に近村へも聞えたるまゝ、領主へも訴へ、代官役所へも彼(かの)猫を連行(つれゆき)て、評議も有(あり)て、其後(そののち)、此猫は彼(かの)男へ下さるゝまゝ、心まかせになし申べしとの下知(げち)故、正敷(まさしく)親の敵(かたき)なれば、生置(いけおく)べきにあらずとて、出刄樣(でばやう)のものにて、こなごなにきり碎(くだ)き、彼(かの)村の入口、道の分れ角(かど)に瘞(うづ)め[やぶちゃん注:異界の妖獣であればこそ、異界との接点と考えた、こうした場所に埋めるのが民俗社会の当然の習わしなのである。寧ろ、そうすることでそれが一つにメルクマール或いは防禦の御霊(ごりょう)となって運命共同体としての村を守ることともなるのである。]、猫俣塚(ねこまたづか)と云(いふ)大(おほ)ひ成(なる)石碑を建(たて)しと也。この事、其時に、彼(かの)近村へ行居(ゆきゐ)たりし大工の咄にて聞たり。此大工は同職筋故、彼(かの)葺師(ふきし)も知(しる)者にて、殊に田舍の事故、直(ぢき)に咄の聞(きこ)ゆるにまかせ、馳行(はせゆき)て見來りし由。其猫の形は如何(いかゞ)、昔咄(むかしばなし)の通りの猫俣なりしやなど、具(つぶさ)に尋ねたるに、成程、猫俣にて、大きさは、江戸に居る、格別、大ひなる犬程(ほど)有(あり)。【江戸の犬は、上方の犬よりは一振(ひとふり)大ひなる分も有(ある)事は、人々の知る所也。】去(さり)ながら、犬とは大(おほひ)に替りたるものにて、全(また)く猫故、顏など犬よりは甚だ大(おほき)く、其顏の大きなる恰好は、小き猫の割合ながら、見馴(みなれ)ぬゆゑ、殊の外、きみわるく、手足も犬の五つ懸(がけ)も六つ懸もあり[やぶちゃん注:「懸」は正に「掛け」算の「かけ」で「倍」、というか(単純なそれではデカすぎるので)、五回りも六回りもの謂いであろう。]。是も犬を見たるわりにては[やぶちゃん注:犬を比較観察して述べるならば。]、甚だ不恰好に見え、赤色(あかいろ)の茶と白黑の三色(みいろ)にて[やぶちゃん注:三毛猫であることがここで初めて明かされる。この毛色は性染色体の伴性遺伝で、通常では三毛猫は総てである(ヒトのクラインフェルター症候群と同様の染色体異常か、モザイク、及び遺伝子乗換によって、本来はX染色体上にある当該毛色(正確にはオレンジ(茶)色を支配するO遺伝子)の遺伝子がY染色体に乗り移った際にのみ、が生まれる。その確率は三万匹に一匹程度と言われる。]、尾の長き事、是又、犬とは大ひに相違して、四尺[やぶちゃん注:一メートル二十一センチ。]程も有て、先(さき)、七、八寸[やぶちゃん注:二十二~二十四センチメートル。]程、二つにわれ、股となり居(ゐ)て、酒は其夜、二升及び呑(のみ)たるよし。畜生の淺ましさに、遂には思ひよらぬ美食にこゝろを奪はれ、其身を墜(をとす)に至りしこそ、能々(よくよく)時節の來(きた)るのにや。件(くだん)の大工の見に行(ゆき)たる時は、早(はや)、鎖にて、大極柱(だいこくばしら)に二重(ふたえ)に繫(つな)ぎ、晝夜(ちうや)拾五人づゝ、番をなし居るに、猫は、一向、驚く氣色(けしき)もなく、うそ睡りをして居(ゐ)、見物の人々、立集(たちつど)ひ、彼是(かれこれ)と口囂敷(くちかまびしき)節(せつ)は、細々(ほそぼそ)と目を開きし、其眼中の尖(する)どさは、犬や鳥とは大違ひ、恐ろ敷(しき)眼精(がんせい)にて、尤(もつとも)、殘らず開きし眼(まなこ)は、如何計(いかばかり)か大きく、且、いか樣(やう)にか恐ろしかるべくとこそ思はれたる由。去ながら、驚きもせず、睡(ねむ)り睡りて居る樣(やう)なれども、内心には、隙(ひま)を見て逃出(にげいで)んとせし氣色(きしよく)見えたりとぞ。今にても、彼(かの)地へ至り、御覽なさるべし。此猫俣塚は目前(まのあたり)に有(あり)とて、村の名、件(くだん)の男の名、領主なども委敷(くはしく)聞(きゝ)て、能(よく)覺え置たれども、二十(はた)とせ餘りを經て、かく筆記せしかば、忘れて殘り多し。此事は、いつの年の事かと再應(さいおう)聞(きゝ)つれども、大工も卑賤の者故、年號など覺(おのえ)もなく、私(わたくし)が幾つの年の事と覺えたりと云故、其時年を繰戾し見るに、寛政八辰年[やぶちゃん注:一七九六年。本書の刊行は作者三好想山の没年である嘉永三(一八五〇)年の板行であるが、実は最後に「今嘉永二年」(一八四九年)とあるから、筆録時からは五十三年前となる(そこでは、この聴いたのは至って自分の年が若かった時分であったとも述べてるのであるが、想山の生年が不祥なために上手くその年を示すことが出来ない)。それにしても想山は死の直前まで、精力的に採話や過去の聞き書きの考証を丹念に続けていたことが判る。よろしいか? 本巻は現存する最終巻の第五巻であるが、原本は全五十巻存在し、それに別に「外集」が六冊あったのである。恐るべし! というより、それが失われてしまったことが激しく哀しい!!!]頃の事としられたり。

[やぶちゃん注:以下は底本では全体が二字下げ、原典では一字下げ。]

 

武州荏原郡(えはらごほり)北澤(きたざは)村森巖寺(しんがんじ)【淡島大明神別當。】可雲(かうん)和尚[やぶちゃん注:不詳。]、此書を閲(けみ)して曰、領主より彼男へ猫を賜ひし時、何ぞ孝行の褒美はなかりしか、猫としらぬは、凡夫(ぼんぶ)の事なれば不覺には非ず、斯計(かくばか)り至孝(しかう)なる者も、世に珍敷(めづらしき)事なれば、定(さだめ)て何か賞(しよう)し品(じな)も有(あり)しかと押量(おしはか)りぬ。此一條は、猫が人と化(ばけ)たる奇事(きじ)のみの事に非ず、他日(たじつ)、孝子傳(かうしでん)を撰(えら)びなば、必(かならず)、加へ入(いる)べき事實也と尋ねらるれども、此咄を聞たるも、今嘉永二年[やぶちゃん注:一八四九年。]よりは三十餘年の昔の事にて、、年若成(としわかなる)時分故、別て是等の事に心付(こゝろづか)ず、聞漏(きゝもら)し置(おき)て殘念至極なり。ものを人に尋(たづぬ)るには、心得有(こゝろえある)べき事也。

[やぶちゃん注:「武州荏原郡(えはらごほり)北澤(きたざは)村森巖寺(しんがんじ)【淡島大明神別當。】」これは現在の東京都世田谷区下北沢付近を想起するが、実際にはこの寺の現存地からは、その南に接する、現在の世田谷区代沢で、寺は浄土宗八幡山森巌寺である。ウィキの「森巌寺(世田谷区)」によれば、『京都知恩院の末寺で』、『明治時代の神仏分離の時期まで、寺の東隣にある北沢八幡宮の別当寺を務めたことから山号を「八幡山」といい、正式の名称は「八幡山 浄光院 森巌寺」という』とあり、『江戸時代の森巌寺は、灸と針供養、そして富士講で名高い寺として知られ、多くの参詣者で賑わったとい』い、『灸は「淡島明神の灸」として知られ』、「江戸名所図会」によれば、『森巌寺の開山孫公和尚は紀州名草郡加太』(現在の和歌山県和歌山市加太(かだ)。医薬の神少彦名命(すくなびこなのみこと)を祀る淡嶋神社がある。ここは全国千社余りある淡嶋神社系統の総本社で、和歌山県内でも屈指の歴史を誇る古社である社名は、日本を創造したと伝えられる少彦名命と大己貴命(おほなむじのみこと:彼もこの社に祀られている)の祠が加太の沖合いの友ヶ島(群島)の内の神島(淡島)に祀られたことに因むとされる)『の人で、常日頃腰痛に苦しんで』いたが、『和尚は淡島明神に熱心に祈願を続けたところ、ある夜の夢に淡島明神が現れて灸の秘法を伝授した。和尚は淡島明神の夢告に従って灸を試し、積年の腰痛はたちどころに完治した』。『和尚はこの霊験に深く感謝し、加太から淡島明神をこの地に勧請して淡島堂を建立した』。『和尚はさらに森巌寺の僧侶たちにも灸の秘法を伝授し、その効能の確かさは世間の評判を呼んで』、『遠くから訪れる人も多かった』。『その名残で森巌寺の山門には、「粟嶋の灸」という看板が今でも掲げられている』とある(下線やぶちゃん)。また、『森巌寺境内には、かつて富士塚が存在し』、その『富士塚は江戸時代に盛んだった富士講のために』文政四(一八二一)年に『造成されたもので、標高はおよそ』四十メートルあったが、『森巌寺の墓地整備計画によって』二〇〇六年に切り崩され、消滅してしまった、とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 最後にウィキの「猫又」を引いておく。『猫又、猫股(ねこまた)は、日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などにあるネコの妖怪。大別して山の中にいる獣といわれるものと、人家で飼われているネコが年老いて化けるといわれるものの』二種があるとする。『中国では日本より古く隋時代には「猫鬼(びょうき)」「金花猫」といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては鎌倉時代前期の藤原定家による『明月記』に』、天福元(一二三三)年八月二日、『南都(現・奈良県)で「猫胯」が一晩で数人の人間を食い殺したと記述がある。これが、猫又が文献上に登場した初見とされており、猫又は山中の獣として語られていた』。但し、『『明月記』の猫又は容姿について「目はネコのごとく、体は大きい犬のようだった」と記されていることから、ネコの化け物かどうかを疑問視する声もあり』、『人間が「猫跨病」という病気に苦しんだという記述があるため、狂犬病にかかった獣がその実体との解釈もある』。また、『鎌倉時代後期の随筆』「徒然草」『に「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに……」と記されている』。『江戸時代の怪談集である『宿直草』や『曾呂利物語』でも、猫又は山奥に潜んでいるものとされ、深山で人間に化けて現れた猫又の話があり』、『民間伝承においても山間部の猫又の話は多い』。『山中の猫又は後世の文献になるほど大型化する傾向にあり』、貞享二(一六八五)年の『『新著聞集』で紀伊国山中で捕えられた猫又はイノシシほどの大きさとあり』、安永四(一七七五)年の『『倭訓栞』では、猫又の鳴き声が山中に響き渡ったと記述されていることから、ライオンやヒョウほどの大きさだったと見られている。文化六(一八〇九)年の『『寓意草』で犬をくわえていたという猫又は全長』九尺五寸(約二・八メートル)とある。『越中国(現・富山県)で猫又が人々を食い殺したといわれる猫又山、会津(現・福島県)で猫又が人間に化けて人をたぶらかしたという猫魔ヶ岳のように、猫又伝説がそのまま山の名となっている場合もある』。『猫又山については民間伝承のみならず、実際に山中に大きなネコが住みついていて人間を襲ったものとも見られている』。『一方で、同じく鎌倉時代成立の『古今著聞集』』(建長六(一二五四)年稿)『の観教法印の話では、嵯峨の山荘で飼われていた唐猫が秘蔵の守り刀をくわえて逃げ出し、人が追ったが』、そのまま、『姿をくらましたと伝え、この飼い猫を魔物が化けていたものと残したが、前述の『徒然草』ではこれもまた猫又とし、山にすむ猫又の他に、飼い猫も年を経ると化けて人を食ったりさらったりするようになると語っている』。『江戸時代以降には、人家で飼われているネコが年老いて猫又に化けるという考えが一般化し、前述のように山にいる猫又は、そうした老いたネコが家から山に移り住んだものとも解釈されるようになった。そのために、ネコを長い年月にわたって飼うものではないという俗信も、日本各地に生まれるようになった』。『江戸中期の有職家・伊勢貞丈による『安斎随筆』には「数歳のネコは尾が二股になり、猫またという妖怪となる」という記述が見られる』。また、『江戸中期の学者である新井白石も「老いたネコは『猫股』となって人を惑わす」と述べており、老いたネコが猫又となることは常識的に考えられ、江戸当時の瓦版などでもこうしたネコの怪異が報じられていた』(下線やぶちゃん。以下同じ)。『一般に、猫又の「又」は尾が二又に分かれていることが語源といわれるが、民俗学的な観点からこれを疑問視し、ネコが年を重ねて化けることから、重複の意味である「また」と見る説や、前述のようにかつて山中の獣と考えられていたことから、サルのように山中の木々の間を自在に行き来するとの意味で、サルを意味する「爰(また)」を語源とする説もあ』り、さらに、『老いたネコの背の皮が剥けて後ろに垂れ下がり、尾が増えたり分かれているように見えることが由来との説もある』。猫は、『その眼光や不思議な習性により、古来から魔性のものと考えられ、葬儀の場で死者をよみがえらせたり、ネコを殺すと』七代祟る『などと恐れられており、そうした俗信が背景となって猫又の伝説が生まれたものと考えられている』。また、猫と『死者にまつわる俗信は、肉食性のネコが腐臭を嗅ぎわける能力に長け、死体に近づく習性があったためと考えられており、こうした俗信がもとで、死者の亡骸を奪う妖怪・火車と猫又が同一視されることもある』。『また、日本のネコの妖怪として知られているものに化け猫があるが、猫又もネコが化けた妖怪に違いないため、猫又と化け猫はしばしば混同される』。『江戸時代には図鑑様式の妖怪絵巻が多く制作されており、猫又はそれらの絵巻でしばしば妖怪画の題材になっている』。元文二(一七三七)年刊行の「百怪図巻」などでは、『人間女性の身なりをしなた猫又が三味線を奏でている姿が描かれているが、江戸時代当時は三味線の素材に雌のネコの皮が多く用いられていたため、猫又は三味線を奏でて同族を哀れむ歌を歌っている』とか、そうした事実に基づく『一種の皮肉などと』も『解釈されている』。『芸者の服装をしているのは、かつて芸者がネコと呼ばれたことと関連しているとの見方もある』。また、安永五(一七七六)年刊の画図百鬼夜行では(リンク先に画像有り)、『向かって左に障子から顔を出したネコ、向かって右には頭に手ぬぐいを乗せて縁側に手をついたネコ、中央には同じく手ぬぐいをかぶって』二『本脚で立ったネコが描かれており、それぞれ、普通のネコ、年季がたりないために』二『本脚で立つことが困難なネコ、さらに年を経て完全に』二『本脚で立つことのできたネコとして、普通のネコが年とともに猫又へ変化していく過程を描いたとものとも見られている』。『また、アメリカ合衆国のボストン美術館にビゲロー・コレクション(浮世絵コレクション)として所蔵されている『百鬼夜行絵巻』にもほぼ同様の構図の猫又が描かれていることから、両者の関連性も指摘されている』とある。]

 

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