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2017/06/11

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第六章 動植物の增加(2) 二 アメリカの牛馬

 

     二 アメリカの牛馬

 

 牛馬などの如き大形の獸類は一體繁殖の遲いものであるが、これらでさへ外界の都合が宜しかつたため忽ち夥しく增加した例がある。コロンブスが第二囘の航海の節サントドミンゴー島に牛を二三疋放したが、忽ち殖えて二十六七年の後には四千疋乃至八千疋の牛群が幾らもあるやうになつた。後に至つて之をメキシコその他の地方へ移したのが基になり、到る處に非常に繁殖し、千五百八九十年頃にはスペイン人がメキシコよりは六萬五干以上、サントドミンゴーよりは六萬五千以上、合せて十三萬以上の牛の皮を一年に輸出した。之は勿論その頃生きて居た牛の一小部分を捕へて殺したのに過ぎぬから、全體では遙に之よりは多數に居たのである。また千七百年代の末にはブエノス・アイレスの野原だけに牛が千二百萬疋も居たといふから、アメリカ全體ではどの位居たか解らぬ。之が皆初めコロンブスの放した二三疋の牛の子孫である。

[やぶちゃん注:「コロンブスが第二囘の航海の節」一四九三年の九月、十七隻千五百名で出発した。今回のそれは明確な植民目的で、彼の率いたスペイン軍はインディアンに対し、徹底的な虐殺弾圧を行っていることを忘れてはならない。因みに、同年は本邦では室町時代の明応二年に相当する。

「サントドミンゴー島」ウィキの「サントドミンゴ」Santo Domingo)によれば、コロンブスは一度目の新大陸発見の航海(一四九二年)に於いて、この島を「イスパニョーラ島」(La Española)と名付け、一四九六年に多数のスペイン人が島に定住、一四九八年八月五日を以って公式に南北アメリカで最も古い欧州風『都市となった。クリストファー・コロンブスの弟バーソロミュー・コロンブスは、居住区を創設し、スペイン女王のイサベル』一『世にちなんで、居住区をイザベラ(La Isabela)と名付けた。そこは後にドミニコに敬意を表してサント・ドミンゴと改名された』とある。後にフランス・イギリスの植民地を経て、一九七八年にイギリス連邦加盟国として独立、「ドミニカ共和国」となった(但し、イスパニョーラ島の西側三分の一は「ハイチ共和国」である。なお、東の小アンティル諸島にある小さな島国「ドミニカ国」とは全く違うので注意されたい)。

「牛を二三疋放したが、忽ち殖えて二十六七年の後には四千疋乃至八千疋の牛群が幾らもあるやうになつた」ウィキの「ウシによれば、新大陸には牛の原種とされるオーロックス(哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属オーロックス Bos primigenius)が存在せず、『クリストファー・コロンブスによって持ち込まれたのが始まりである。しかし新大陸の気候風土にウシは適合し、各地で飼育されるようになった』。『とくにアルゼンチンのパンパにおいては、持ち込まれた牛の群れが野生化し』、十九世紀後半には千五百万頭から二千万頭にも『達した。このウシの群れに依存する人々はガウチョと呼ばれ、アルゼンチンやウルグアイの歴史上重要な役割を果たしたが』、十九世紀後半になってパンパ全域が牧場化して、『野生のウシの群れが消滅すると姿を消した。北アメリカ大陸においてもウシは急速に広がり』、十九『世紀後半には大陸横断鉄道の開通によってウシを鉄道駅にまで移送し市場であるアメリカ東部へと送り出す姿が見られるようになった。この移送を行う牧童はカウボーイと呼ばれ、ウシの大規模陸送がすたれたのちもその独自の文化はアメリカ文化の象徴となっている』とある。

「千五百八九十年頃」本邦では戦国時代の天正八年(ユリウス暦一五八〇年)から同十八年(グレゴリオ暦一五九〇年:一五八二年二月二十四日にローマ教皇グレゴリウス十三世がユリウス暦を改良して制定)に相当する。

「千七百年代の末」十八世紀末で江戸中後期に相当。前世紀末の元禄文化が退潮、浅間山噴火(天明三年七月八日(一七八三年八月五日)や、東北地方を中心とした近世最大の生き地獄であった「天明の大飢饉」(主に天明二年から天明八年の時期を指す)などが引き金となって一揆や「打ちこわし」が続発、役人の賄賂政治の腐敗により田沼意次が失脚(天明六(一七八六)年八月に失脚、代わって第十一代将軍徳川家斉の下で老中首座となった松平定信が緊縮財政・風紀取締による寛政の改革(一七八七年から一七九三年)を行っている。]

 

 馬も昔はアメリカに居なかつたもので、アメリカ發見時代の人が船から上り馬に乘つて來るのを見て、舊土人等は上半分は人間の如く下半分は野牛のやうな怪物が來たといふて驚いたといふ話がある位であるが、その時代に偶然放した馬が種となつて、短い間に非常に繁殖し、特に廣い野原のある處では夥しい數となり、千七百年代の末にはブエノスアイレスの野原だけにも、既に三百萬疋以上の野馬が居るやうになつた。南アメリカの廣原では、每年斯かる野馬を何萬疋となく捕へるが、全體では何程居るやら殆ど想像も出來ぬ。之が皆最初數疋に過ぎなかつたものから僅か三四百年の間に生じた子孫である。

[やぶちゃん注:「馬も昔はアメリカに居なかつた」古生物学的には誤りである。ウィキの「ウマ(哺乳綱奇蹄(ウマ)目ウマ科ウマ属ウマ Equus caballus)によれば、『北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している』とし、『ウマ類の最古とされる化石は』、六千五百『万年前(始新世)の地層から発見された』ウマ科ヒラコテリウム Hyracotherium属(和名「アケボノウマ」)で、同属群は『北アメリカ大陸やヨーロッパの森林に生息し、若芽や草の実など柔らかい植物を摂取していたとされる』。『ヒラコテリウムはキツネほどの大きさ』しかなく、前肢は第一指がなく、後肢は第一指と第五指が退化していた。『その後、始新世のオロヒップス、エピヒップス、漸新世のメソヒップス、ミオヒップス、中新世のパラヒップス、メリキップスと』いった系統進化を経、約一千万年前の中新世前期から中期の『メリキップスは、真の草食性を示す高冠歯を獲得したことと、より高速での走行を可能にした下肢骨(尺骨と橈骨、脛骨と腓骨)の癒合の』二『点で画期的であった。当時は乾燥気候が広がるとともに大草原が拡大しつつあり、メリキップスの出現は、草原への進出の結果だった』。約四百万年前の中新世中期から後期のプリオヒップスは、第二指と第四指を『完全に消失させることで指が』一『本になり、現在のウマに近い形態をしていた。ウマの仲間は、更新世の氷河期にベーリング海を渡り、ユーラシア大陸やアフリカ大陸に到達し、現在のウマであるエクウス(ウマ属)に分化』したが、『南北アメリカ大陸に残ったウマ科の動物は、氷河期に絶滅した。ミオヒップスやメリキップスからも多様な種分化が起こり、ウマ類は一時、大きな発展を示したが、系統の大半はすでに絶滅し、現存する子孫が、ウマ、シマウマ、ロバの仲間のみとなっている現状は、反芻類の繁栄と対照的である』とあり、『Equus(エクウス:ウマ属)の学名で呼ばれるウマやロバの直接の先祖は』、二百万年前から百万年前に『あらわれたと考えられている。ヒトは古い時代からウマを捕食し、あるいは毛皮を利用していたことが明らかにされており、旧石器時代に属するラスコー洞窟の壁画にウマの姿がみられる。純粋な野生のウマは、原産地の北アメリカを含め、人間の狩猟によりほとんど絶滅した』とも記されている(下線やぶちゃん)。]

 

 驢馬もアメリカに輸入せられてから、五十年程の後に偶然逃げ出したものが野生となり、エクアドールの都キートー邊では、非常に繁殖して邪魔になる程となつた。旅行者の紀行によると、これらの驢馬は大群をなして原野に往み、馬が路を失つて紛れ込んだりすると、忽ち集まり來つて、之を嚙み殺すか蹴殺すかせずば止まぬさうである。

[やぶちゃん注:「驢馬」ウマ属ロバ亜属ロバ Equus asinusウィキの「ロバによれば、『最初に家畜として飼われ始めたのは』、約五千年前に野生種であるアフリカノロバ(アフリカ野驢馬:ロバ亜属アフリカノロバ Equus africanus)『を飼育したものとされる。古代から乗用、荷物の運搬などの使役に重用されたが、ウマに比べると、従順でない性質があり、小型でもあることが使役用の家畜として劣る点であった。逆にウマよりも優れていたのが非常に強健で粗食に耐え、管理が楽な点であった』。『野生種の中で現存するのは、ソマリノロバ(Equus africanus somaliensis)のみであり、ソマリアとエジプトの国境地帯に見られたが、ソマリア内戦の影響で激減したため、現在はその大部分がイスラエルの野生保護区で飼育されている。一方、ハワイ島には家畜から野生化したロバが多数生息している』とある。

「エクアドールの都キートー」、一八三〇年にコロンビアから独立したエクアドル共和国(スペイン語:República del Ecuador)の首都キト(Quito)。なお、本書刊行の一九二五年にはクーデターが発生、軍政に移っていた。

「旅行者の紀行」不詳。]

 

 豚も千四百九十三年にコロンブスサントドミンゴー島に放したものが僅かに五十年ばかりの間に非常に增加し、南北アメリカの大部に行き渡り、北緯二十五度から南緯四十度位までの間は何處でも多數に之を見るに至つた。

[やぶちゃん注:「豚」鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ 亜種ブタ Sus scrofa domesticusウィキの「ブタによれば、現在の飼育頭数の世界ランキング(二〇一三年現在)は中国がダントツ一位で四億八千二百万頭、次いで二位がアメリカで六千五百万頭弱。因みに、日本は十七位で百万頭弱である。

「北緯二十五度から南緯四十度位まで」地図を見て戴ければ判るが、この閉区間には日本は含まれず、中国もアメリカも殆んど含まれていないので注意されたい。]

 

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