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2017/06/22

宿直草卷一 第五 ある寺の僧、天狗の難にあひし事

 

  第五 ある寺の僧、天狗の難にあひし事

 

Tenngu

 

[やぶちゃん注:この図は底本「江戸文庫」版のものであるが、汚損除去と合わせて、今回は四方の枠を総て除去して見た。]

 

 我(わが)朝(てう)にいふ天狗とはなにものやらん。古今(ここん)の大德(だいとこ)これを病めり。今とても自勝他劣(じせうたれつ)の見(けん)にしづみ、我慢增上(がまんぞうじやう)の念あらば、嘴(くちばし)も翼もなくて、生(なま)の天狗なるべし。才智藝能につき、自(みづか)ら足れりと思はん人は、鞍馬の奧を訪ぬべからず。遠からぬ心の奧の道にまよひては、いにし世にもみな彼(か)の道に落ち給ひしぞかし。いはゆる、佛の毒、魅鬼(みき)のたぐひか。

 かゝるついでに、さる人の語りしは、醍醐へんにての事なりしが、あるつれつれ、出家たち寄り合(あひ)なんどして遊びしに、なにがしの沙門(しやもん)、ただかりそめに座を立(たち)て返らず。圓居(まとゐ)の僧、不審して、寺へ戾りしかと、人やりて見するに、居(ゐ)ず。醍醐中は申すにをよばず、伏見・栗巣野(くるすの)・宇治(うぢ)・瀨田のわたり、所々尋(たづぬ)れども、行方(ゆくゑ)さらにしれず。院内・門前・兒(ちご)・同宿(どうじゆく)、大きに歎きあへり。

 しかるにその三日過(すぎ)て、ある寺の下部(しもべ)、爪木樵(つまきこ)りに山に行きしに、遙けき嶺(みね)を見れば、其(その)色白きもの、大木の、えも至りがたき所に飜(ひるが)へりけるを、寺に歸り、諸人(もろひと)にかたりければ、人々、不審して、かの下部を率て行き、案内(あない)のまゝに鹿の通ひ路(ぢ)わけ越えて、岩の角(かど)、草の蔓(つる)にとりつき、九折(つゝらをり)を登りて見れば、まがふべうもなき、それとしるき、骸(から)なりけり。

 白き小袖は木にかゝり、屍(かばね)は方方へひきちらせり。印契(ゐんけい)むすびし左右(さう)の手も、所々にみだれ、陀羅尼(だらに)を唱(となへ)し唇(くちびる)も、はや、色かはりぬれば、中中に訪ねて悔(くや)む有樣(ありさま)なりかし。これなん天狗の所爲(しわざ)ならん。何たる犯戒(ぼんかい)したまひて、降魔(がうま)の加護もなかりけると、あさましくもかなし。

 

[やぶちゃん注:「天狗」「我(わが)朝(てう)にいふ天狗とはなにものやらん」ウィキの「天狗」より引く。天狗は『日本の民間信仰において伝承される神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物』で、『一般的に山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされ』、外法様(げほうさま)ともいう。元来、『天狗という語は中国において凶事を知らせる流星を意味するものだった。大気圏を突入し、地表近くまで落下した火球』(流星)『はしばしば空中で爆発し、大音響を発する。この天体現象を咆哮を上げて天を駆け降りる犬の姿に見立てている』。中国の史記を初めとして、「漢書」「晋書」には『天狗の記事が載せられている。天狗は天から地上へと災禍をもたらす凶星として恐れられた』。『仏教では、経論律の三蔵には、本来、天狗という言葉はない。しかし』、「正法念處經」の巻十九には「一切身分光燄騰赫 見此相者皆言憂流迦下 魏言天狗下」『とあり、これは古代インドの』ウルカ『(漢訳音写:憂流迦)という流星の名を、天狗と翻訳したものである』。『日本における初出は『日本書紀』舒明天皇』九(六三七)年二月、『都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れた。人々はその音の正体について「流星の音だ」「地雷だ」などといった。そのとき唐から帰国した学僧の旻』(みん ?~白雉四(六五三)年:飛鳥時代の学僧で、ウィキの「旻」によると、元々が中国系の渡来氏族の出自で、魏の陳思王曹植の後裔とする系図があるとし、推古天皇一六(六〇八)年に『遣隋使小野妹子に従って、高向玄理・南淵請安らとともに隋へ渡り』、二十四年間に亙って、『同地で仏教のほか易学を学び』、舒明天皇四(六三二)年八月に『日本に帰国』、『その後、蘇我入鹿・藤原鎌足らに「周易」を講じた』。この流星を天狗の吠え声とした他、七年後の舒明天皇十一年『に彗星が現れた時には飢饉を予告するなど、祥瑞思想に詳しかった』と記す)『が言った。「流星ではない。これは天狗である。天狗の吠える声が雷に似ているだけだ」』と主張している。『飛鳥時代の日本書紀に流星として登場した天狗だったが、その後、文書の上で流星を天狗と呼ぶ記録は無く、結局、中国の天狗観は日本に根付かなかった。そして舒明天皇の時代から平安時代中期の長きにわたり、天狗の文字はいかなる書物にも登場してこない。平安時代に再び登場した天狗は妖怪と化し、語られるようになる』。『空海や円珍などにより密教が日本に伝えられると、後にこれが胎蔵界曼荼羅に配置される星辰・星宿信仰と付会(ふかい)され、また奈良時代から役小角より行われていた山岳信仰とも相まっていった。山伏は名利を得んとする傲慢で我見の強い者として、死後に転生し、魔界の一種として天狗道が、一部に想定されて解釈された。一方、民間では、平地民が山地を異界として畏怖し、そこで起きる怪異な現象を天狗の仕業と呼んだ。ここから天狗を山の神と見なす傾向が生まれ、各種天狗の像を目して狗賓、山人、山の神などと称する地域が現在でも存在する』。従って、『今日、一般的に伝えられる、鼻が高く(長く)赤ら顔、山伏の装束に身を包み、一本歯の高下駄を履き、羽団扇を持って自在に空を飛び悪巧みをするといった性質は、中世以降に解釈されるようになったものである』。『事実、当時の天狗の形状姿は一定せず、多くは僧侶形で、時として童子姿や鬼形をとることもあった。また、空中を飛翔することから、鳶のイメージで捉えられることも多かった』。『さらに驕慢な尼の転生した者を「尼天狗」と呼称することもあった。平安末期の成立した「今昔物語集」には、『空を駆け、人に憑く「鷹」と呼ばれる魔物や、顔は天狗、体は人間で、一対の羽を持つ魔物など、これらの天狗の説話が多く記載され』ており、これは例えば、永仁四(一二九六)年の「天狗草紙」(「七天狗繪」)として描写されている。『ここには当時の興福寺、東大寺、延暦寺、園城寺、東寺、仁和寺、醍醐寺といった』七『大寺の僧侶が堕落した姿相が風刺として描かれているこれら天狗の容姿は、室町時代に成立したとされる『御伽草子・天狗の内裏』の、鞍馬寺の護法魔王尊あるいは鞍馬天狗などが大きな影響を与えていると思われる』。「平家物語」には、『「人にて人ならず、鳥にて鳥ならず、犬にて犬ならず、足手は人、かしらは犬、左右に羽根はえ、飛び歩くもの」とあり、鎌倉時代になると、『是害坊絵巻』(曼殊院蔵)を始めとする書物に、天台の僧に戦いを挑み、無残に敗退する天狗の物語が伝えられるようになる。また、林羅山の『神社考』「天狗論」、また平田篤胤の『古今妖魅考』に、京都市上京区に存在する「白峯神宮」の祭神である金色の鳶と化した讃岐院(崇徳上皇)、長い翼を持つ沙門となった後鳥羽上皇、龍車を駆る後醍醐天皇ら、『太平記』に登場する御霊が天狗として紹介され』ている、とある。また、「吾妻鏡」の天福二(一二三四)年三月十日の条の記述には、「二月頃、『南都に天狗怪が現れ、一夜中にして、人家千軒に字を書く(「未来不」の三字と伝えられる』)」と記述されている。他にも「吾妻鏡」では彗星に関する記述が多く記載されてあるが、この記述からこのケースでは『彗星ではなく、別の怪異(けい)と認識していたことが分かる。外観についての記述はないが、字を書けるということは分かる内容である(一夜にして千軒の家に字を書くことが、人ではなく、天狗の所業と捉えられた)』。『天狗は、慢心の権化とされ、鼻が高いのはその象徴とも考えられる。これから転じて「天狗になる」と言えば自慢が高じている様を表す。彼等は総じて教えたがり魔である。中世には、仏教の六道のほかに天狗道があり、仏道を学んでいるため地獄に堕ちず、邪法を扱うため極楽にも行けない無間(むげん)地獄と想定、解釈された』とある(下線やぶちゃん)。

「見(けん)」見識。基本的な考え方。思想。

「鞍馬の奧」岩波文庫版の高田氏の注に、『天台宗鞍馬寺奥の院不動堂から貴船へ至る鞍馬山中の称。「そもそもこれは、鞍馬の奥僧正が谷に、年経て住める大天狗なり」(謡曲「鞍馬天狗」)』とある。所謂、牛若丸に兵法を教えたという、あれである。これを「訪ぬべからず」と禁ずるのは、増長慢から妖魔と化した鞍馬天狗は同じ機因を持つ輩を最も嫌うからであろう。

「佛の毒」岩波文庫版の高田氏の注に、『「仏頼んで地獄に落つ」という諺がある』とある。願っていたこととは正反対の意図しない結果に陥ることの譬え。

「魅鬼(みき)」「鬼魅(きみ/きび)」と同じい。鬼と化け物・妖怪変化。この二単語自体は恐らく、「日本書紀」の欽明天皇五(五四四)年十二月を初出とする(「有人占云、是邑人、必爲魅鬼所迷惑。」(人ありて占ひて云く、「必ず魅鬼(おに)の爲に迷惑(まど)はされん。)極めて古い語である。ただ、その意味には実在した当時の、主に日本国外の異民族の海賊などの意味もあった。後代、鼻の高い西洋人を天狗にカリカチャライズした後代との偶然の親和性が面白い。

「醍醐」現在の京都府京都市伏見区東部の広域地名であるが、地名自体が同区醍醐東大路町にある真言宗醍醐山(深雪山とも称する)醍醐寺に由来する。先の注の下線部を参照されたい。

「つれつれ」徒然(つれづれ)。暇な折り。

「圓居(まとゐ)」まどい。原義は丸くなって居並ぶ、車座になることであるが、ここは親しい人たちが集まって語り合ったりして楽しい時間を過ごしたその団欒に同席した者の意。

「栗巣野」ここは旧山城国宇治郡山科村(今の京都市山科区。町名等の中に栗栖野が残る)附近のそれであろう。稲荷山の東麓、醍醐寺の北西三キロ圏内に当たる。

「兒(ちご)」稚児。寺で召し使われた少年。概ね、男色の対象であった。

「同宿」同僚僧。

「下部(しもべ)」下僕。

「爪木樵(つまきこ)り」薪採(たきぎと)り。「爪木」(「つまぎ」とも読む)は手の爪先(指先)で折り取れる程度の、薪用の細い枝のこと。

「骸(から)」死骸。

「方方」ここは「はうばう」と読みたい。

「印契(ゐんけい)」現行では「いんげい」と濁る。印相(いんぞう)とも称し、密教の作法に於いて、手と指を組み合わせて印を結び、諸仏菩薩の悟りを行者の身に表示するもの。僧が行うそれは普通は法衣の下で結ぶのが作法(なお、仏像に於いては、手と指を組み合わせたものを「印」、それ以外の仏体が法具として剣・法縄・蓮華などを持つことを「契」と呼んでいる。以上は平凡社「マイペディア」に拠る)。

「陀羅尼(だらに)」サンスクリット語の「ダーラニー」の漢音写で、「能持」「総持」「能遮」などと意訳される(「保持すること」「保持するもの」の意)。本来は「能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持して忘失させない念慧(ねんえ)の力」を意味する。元は一種の記憶術であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることを指し、それは種々な善法を能く持つことから「能持」、種々な悪法を能く遮ぎることから「能遮」と称する。通常は長い句のものを「陀羅尼」、数句からなる短いものを「真言」、一字二字などのものを「種子(しゅじ)」と称する場合が多い。「大智度論」の巻五によれば、聞持(もんじ)陀羅尼(耳で聞いたこと総てを忘れない呪文)・分別知(ふんべつち)陀羅尼(あらゆるものを正しく分別する呪文)・入音声(にゅうおんじょう)陀羅尼(あらゆる音声から影響されることのない呪文)の三種の陀羅尼を説き、略説するなら「五百陀羅尼門」、広説するならば無量の陀羅尼門があるとしている。また、「瑜伽師地論(ゆがしじろん)」の巻四十五では、「法陀羅尼」・「義陀羅尼」・「呪陀羅尼」・「能得菩薩忍(のうとくぼさつにん)陀羅尼」の四種の陀羅尼が挙げられている(ここまでは小学館の「日本大百科全書」に拠った)。意訳せずに梵語音写のまま唱える。

「犯戒(ぼんかい)」破戒。仏の戒めを犯すこと。

「降魔(がうま)」修行を妨害する妖魔(法理から言えばこれは本人の煩悩の外化したもの)を降伏(ごうぶく)すること。]

 

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