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2017/06/19

「想山著聞奇集」 跋(二種)

 

 

三好想山居士。篤奉三教。方外之友也。以善書聞。交道極廣。奇談異事。聞而識之。月益歳多。恐其久而遺忘也。乃錄爲數十册。名曰著聞奇集。談雖俚俗。事係報應。意欲留之以爲子孫勸懲之資也。以爲談也事也。已謂之奇異。世不常有。故人徃不疑則謗。能信焉者鮮矣。今居士必取其的證。詳其顚末。其地其時。鑿有徴。不墮浮虛無根之言。足以取覽者之信。斯可以爲衆善奉行諸惡莫作之助矣。方今昭代之化。苟有裨益世教者。概皆鏤板公諸世。况此集哉。宜爲天下後世勸懲之資也。奚止爲一家子孫哉。慫惥刻之。居士謙讓不肯曰。是奚足以傳世矣。會其門人濃州苗木藩士靑山子。來訪市谷精舍。因試言之。靑山子喜而從事。固請居士捐貲命工。嗚呼刻與不刻。何預吾事。而諄不已。乃一片利物婆心之所不能已也。亦吾輩之任也。不知者以爲好事。其復何傷。若夫辭藻之末則居士之所不屑也矣。亦奚暇論焉。

  嘉永三歳次庚戌孟春念八日江都鎭護山主蓮堂眞

   蓮堂〔印〕釋諶眞〔印〕字曰義海〔印〕

 

○やぶちゃんの書き下し文

 

 

三好想山居士、篤く三教を奉ず。予、方外の友なり。善書を以て聞(きこ)ふ。交道、極て廣し。奇談・異事、聞て之を識す。月々に益(ま)し、歳々に多し。其の久して遺忘(いぼう)せんことを恐るゝや、乃ち錄して、數十册と爲(し)、名て「著聞奇集」と曰ふ。談、俚俗と雖ども、事、報應に係(かかは)る。意、之を留て、以て、子孫勸懲の資と爲んと欲す。予、以爲(おもへらく)、談なり、事なり。已に之を奇異と謂へは、世に常に有(ら)ず。故に、人、徃々、疑はざれば、則ち、謗(そし)る。能(よく)焉(これ)を信する者、鮮(すくな)し。今、居士、必、其(その)的證を取り、其(その)顚末を詳にし、其の地・其の時、鑿々(さくさく)として徴(しるし)有(あり)。浮虛無根の言に墮(おち)ずして、以(もつて)覽者の信を取るに足れり。斯(かく)、以て衆善奉行(しゆぜんぶぎやう)・諸惡莫作(まくさ)の助と爲(す)べし。方(まさ)に今、昭代(せうだい)の化(くわ)、苟(いやし)も世教(せいけう)に裨益(ひえき)に有る者、概ね、皆、板に鏤(ちりば)めて、諸(もろもろ)を世に公(おほやけ)にす。况や、此の集をや。宜(よろし)く天下後世勸懲の資と爲(す)なり。奚(なん)そ止(とど)めて一家の子孫爲(ため)のみにせんや。慫惥(しようよう)して之を刻ましむれとも、居士、謙讓して肯(がへんぜ)ずして曰(いはく)、「是(これ)、奚(なん)そ、以(もつて)世に傳(つたふ)るに足らん。」と。會々、其(その)門人、濃州苗木藩士靑山子(し)、來(きたつ)て予を市谷(いちがや)の精舍(しやうじや)に訪(たづね)、因て試(こころみ)に之を言(いふ)。靑山子、喜(よろこび)て從事し、固(かた)く、居士に請ひ、貲(し)を捐(えんじ)て工(こう)に命(めい)す。嗚呼(ああ)、刻と不刻と、何(なん)そ吾(わが)事に預らん。而(しかして)諄々(じゆんじゆんとして)已(やま)ず。乃ち、一片利物(りもつ)婆心の已(や)む能(あた)はざる所なり。亦、吾輩の任なり。知ざる者、以て、事を好(よし)と爲(せ)ん。其れ、復(また)、何ぞ傷(きづつか)ん。夫(そ)の辭藻(じそう)の末のごとき、則(すなはち)、居士の屑とせざる所なり。予も亦、奚(なん)そ、論するに暇(いとま)あらん。

  嘉永三歳次庚戌孟春念八日江都鎭護山主蓮堂眞

   蓮堂〔印〕釋諶眞〔印〕字曰義海〔印〕

 

[やぶちゃん注:原典では「跋」の下に篆書の落款があり、それはドシロウトの私には「爲樂衆客三觀來園」といった感じに見えるが、篆書は学んだこともないので、割愛した(底本では省略されている)。この内、「三觀」は確定字で、最も知られたものは天台教学に於けるそれで、「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、この世界の差別的現象(諸法)とその本体である絶対的真実(実相)との関わり合いを「空」・「仮」・「中」という三つの在り方(三諦)から観想する「空観」・「仮観」・「中観」を「空仮中の三観」と称するものを指す。「空諦」とは「総ての存在に実体はなく、空である」という真理、「仮諦」とは「総ての存在は縁起せるもので仮有(けう:仮の現象)である」という真理、「中諦」とは『これら「空」と「仮」の二面は不二一如である』という道理を意味する。天台の立場では、この「三諦」は相互に別個のものなのではなく、互いに円融している(円融三諦)ものであり、衆生の一念の心の中には、この真理が融け合って実現していると観じる「一心三観」を天台の究極の境地とするものである。後に注するように筆者は天台僧である。最後の印は最終行記名の直下に打たれてある。電子化では底本の句点のみを残した形をまず示し(因みに、原典は返り点と送り仮名のみ)、後に概ね訓点に従った(底本編者の句点は参考に留め、句読点及び記号は独自に附した)書き下し文を後に示した。読みは原典・底本ともにないが、難読と思われる箇所にのみ推定で歴史的仮名遣で附した。

「三教」ここは神道・儒教・仏教の謂いであろう。

「善書」優れた著作。

「交道」交際。

「遺忘」忘却。

「談なり、事なり」至極尤もな真実の主張であり、明確な事実の記載である。

「的證」確証。的確な証拠。

「鑿々」ここは言辞を的確且つ巧みに用いることの謂いであろう。

「衆善奉行」仏教の基本的な実践徳目を端的に述べた「七佛通戒偈」(釈迦以前に存在したとされる六人の仏と釈迦を含む七人の仏(過去七仏)がともに説いた教えを一つに纏めたとされている偈で「法句經」などに収録されており、上座部仏教及び禅宗に於いては特に重んぜられるもので、禅宗では日常の読経にも取り入れられている)の冒頭にある句。「衆(もろもろ)の善を行ひ奉る」と訓ずる。全体は、

   *

 諸惡莫作

 衆善奉行

 自浄其意(じじやうごい/自ら其の意(こころ)を淨(きよ)くす)

 是諸仏教(ぜしよぶつきやう/是れぞ諸佛の教へなり)

   *

である。

「諸惡莫作」同前。「諸々の惡を作(な)す莫(なか)れ」と訓読する。道徳的な意味に於いて悪しき行為をなしてはならぬという戒め。

「昭代」太平にして繁栄している世。目出度い帝と将軍の治世。

「化」正しき賢人らの教化によって人がよい方向に在る時(今現在)、の謂いであろう。

「世教」世に行われている正統な教え。

「裨益」役立つこと。助けにあずかること。

「後世」これは仏教の「ごぜ」ではなく、事実時間の「こうせい」と読んでいるものと思われる。

「慫惥」慫慂に同じい。

「濃州苗木藩士靑山子」次の彼の跋文と私の注を参照されたい。「子」は尊称。

「市谷(いちがや)の精舍(しやうじや)」この漢文の跋の筆者「江都鎭護山主蓮堂」とは、本文にもしばしば登場した、寛永寺の院家である、市谷自証院、現在の新宿区富久町にある天台宗鎮護山自證院圓融寺の住職である。

「貲(し)を捐(えんじ)て」板行のための資金をも寄付して。

「工」版元。

「嗚呼、刻と不刻と、何(なん)そ吾(わが)事に預らん」反語。出版の功績は偏えに青山氏にあり、私は全く以ってたいしたことはしていないのだ、という謙遜の辞。

「諄々」原義は、「良く判るように繰り返し教え諭すさま」の他に「ぐずぐずするさま」の意味もあるので、ここは以下の叙述から見ると、想山の推敲・執筆が精細を極めた結果、遅々として出版が進まないことを言っていると私は採る。大方の御叱正を俟つ。

「一片利物婆心」ごくごくつまらぬ利益にしかならぬ、ちょっとした私の老婆心。

「已(や)む能(あた)はざる所なり。亦、吾輩の任なり」想山に執筆と出版をことあるごとに急かしたことを指すか。それぐらいが、拙僧の役割に過ぎなかったという、やはり謙遜の辞と私は採る。大方の御叱正を俟つ。

「知ざる者、以て、事を好と爲ん。其れ、復、何ぞ傷ん。夫の辭藻の末のごとき、則、居士の屑とせざる所なり」難読。――出版の経緯を知らない者は、これを以ってしても良しとするべきである。また、そうしたことでこの優れた本書に瑕疵がつくものでも全くない。そこに記された記載の瑣末なもののように見える箇所でさえ、まさに、想山居士はそれを屑(ソウ/くず)とは見做していないのだ、全記載の一言一句までが必須な言辞なのである。――という意味で私は採る。大方の御叱正を俟つ。

「奚(なん)そ、論するに暇(いとま)あらん」本書に対して意地の悪い反論をするような輩とは、私は一切、議論をする意志も余裕もないの謂いであろう。大方の御叱正を俟つ。

「嘉永三歳庚戌に次(ついで)る」「ついでる」の読みは推定でこの跋文を編著したの意で採る。嘉永三年は一八五〇年。

「孟春念八日」一月二十八日。「孟春」は旧暦一月の異称。「念」は「廿」(「廿」の音が「念」に近かったことから中国で宋代から代用字として用いられた)。想山はこの凡そ一ヶ月後の嘉永三年三月六日に病没している

「眞」「しんす」か。楷書で記すの意で採っておく。大方の御叱正を俟つ。]

 

 

 

          苗木藩 靑山直意漢隷

           靜慮〔印〕直意〔印〕

 

不可思議と云ことは、人の心をもて思ひ得がたきをいふ也。直意が入木道の師、想山大人の、年ころ、人のものがたれる、善には福ひし、惡きには禍ひをかふぶるなど、かの不可思議と云べき事どもを、きゝしまにまに書しるし置給ひたる反古どもの若干、卷に及びけるを、人の勸めにまかせられて、子孫勸懲の爲とて、とうてゝ册子につゞり、常にしたしうし給ふ大人達に畫をもこひて、よき册子となし玉ひしを、見る人每に同しくは櫻木に鏤めて、しうねき人の心をもやはらげ、稚きものの道行しをりにもなし玉へかしと、すゝめ玉へど、うけかひたまはぬを、おのれ思ふやう、此書は勸懲のみの事にあらす、三世一貫の書にして、上りたる代のうるはしきにも、をさをさ、おとるましと思へは、有と有、おなじ心の人々にも見せまほしく、後の世にも傳えはやと、ゆるし玉はさるを、あなかちに乞得て、かくは物しつ。

          靑山直意靜慮〔印〕

 

        靑山直意藏

           老少斎藏板〔印〕

            津坂光霽書

            早川可靜刻

  嘉永三年【庚戌】十一月刻成

 

[やぶちゃん注:原典にもルビはない。

「靑山直意」「あほやまなほもと(あおやまなおもと)」。三好想山の門人で美濃国苗木藩藩士(恵那郡の一部と加茂郡の一部を領有していた、江戸時代最小の城持ちの藩。ここ(グーグル・マップ・データ))にして本書の刊行者である。最後のクレジットから、この跋文は想山の没後八~九ヶ月後に記されたものでことが判る。

「漢隷」漢字の書体の隷書の一種で「八分(はっぷん)」と称するもの。横画の終筆を右に撥ね上げるのを特徴とする。

「入木道」「じゆぼくだう(じゅぼくどう)」と読む。日本に於ける書道の異称。平凡社「世界大百科事典」によれば、唐の張懐瓘(ちょう かいかん)撰になる「書斷」に『王羲之、晋帝時、祭北郊更祝版。工人削之、筆入木三分』とあって、この「入木」とは書聖と仰がれる東晋の王羲之が祝版(祭文)を書いたところ、筆力が盛んなため、墨汁が木に沁み込むこと三分(ぶ)にも及んだという故事による。「入木三分」は「筆力の強い」ことを形容し、「入木」は文字を書くことから筆法・書法の意で使われるようになった。なお、宋の呉淑撰の「事類賦」には『逸少驚入木之七分』とあって、一説には「入木七分」とも伝えられたようである、とある。

「善には福ひし、惡きには禍ひをかふぶる」「ぜんにはさひはひし、あしきにはわざはひをかふぶる」で「かふぶる」は「蒙(こうむ)る」の意であろう。

「書しるし」「かきしるし」。

「とうてゝ」ママ。意味不詳。

「櫻木に鏤めて」「さくらぎにちりばめて」と訓じておく。出版して。

「しうねき人の心をもやはらげ」「執拗(しゅうね)き人」で奇談・怪談をはなっから信じない頑固者。ここは「古今和歌集」の紀貫之の「仮名序」の「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ」をインスパイアしたものであろう。

「道行」「みちゆく」。人生行路の。

「三世一貫」前世(ぜんせ)・現世(げんせ)・後世(ごぜ)を貫いている定めとしての因果応報の理(ことわり)。

「上りたる代」今から遡るところの遙か前代。

「うるはしきにも」優れた書物。

「有と有」「ありとある」。あらゆる。

「老少斎」青山直意の雅号であろう。

「津坂光霽」不詳。「つさかこうせい(さい)」と読むか。

「早川可靜」不詳。「はやかはかせい」と読むか。]

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