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2017/06/15

柴田宵曲 續妖異博物館 「名劍」(その3) /「名劍」~了

 

 併し名劍に關する話は悉くかういふ物騷な材料で充たされてゐるわけではない。唐の符載は文武雙絶の人で、常に一劍を藏して居つたが、一たび鞘を拂へば神光を放ち、夜も晝のやうに明るくなる名劍であつた。或時旅に出て海を渡る際、蛟(みづち)のために船が動かなくなつた。符載起つて一劍を揮つたところ、血そゝぐこと雨の如く、船は無事に進行することが出來た。ところがその後人の家へ行つて、寒食の日の粽(ちまき)を出されたことがある。それがまた別製と見えて、桶のやうな粽であつたから、普通の食刀ではどうにもならぬ。已むを得ず一劍を以て斬つたのはよかつたが、それ以來全く光りを失ひ、頑鐡の如く無用の品になつてしまつたと「芝田錄」に見えてゐる。「昔の劍は今の菜刀」といふ諺があるけれど、現在明晃々たる劍を直ちに食卓に用ゐたのはひど過ぎる。粽切丸では黃表紙の種ぐらゐにしかならぬであらう。

[やぶちゃん注:「寒食」(かんしよく)は古代中国に於いて冬至から百五日目に火気を全く用いずに冷たい食事をしたことを指す。この時期は風雨が激しいことから、火災予防のためとも、また、一度火を断って新しい火で春を促す予祝行事起原ともいう。

「頑鐡」「ぐわんてつ(がんてつ)」。ただの鉄の塊り。

「芝田錄」宋の丁用晦の撰になる小説集。全一卷 。

 以上は「太平廣記」の「器玩四」に「芝田錄」から「符載」として載る以下。

   *

唐符載文學武藝雙絶、常畜一劍、神光照夜爲晝。客游至淮浙、遇巨商舟艦、遭蛟作梗、不克前進。擲劍一揮、血灑如雨、舟舸安流而逝。後遇寒食。于人家裹秬粽。麤如桶、食刀不可用、以此劍斷之訖。其劍無光、若頑鐵、無所用矣。古人云。千鈞之弩。不爲鼷鼠發機。其此劍之謂乎。

   *]

 

 唐の鄭雲達が若い時分に一劍を得た。時に靈あるものの如く吼えたりするので、常に身邊を離さず愛玩して居つたが、或時突如として庭樹の上から下りて來た者がある。紫の衣に朱の頭巾をかぶり、一劍を手にして立つてゐる。黑氣が霧のやうにその周圍に立ち騰るので、異樣な感じはしたものの、鄭は大體な男だから、わざと見て見ぬふりをしてゐると、先方から口を開いて、自分は上界の人であるが、足下が異劍を有せらるゝ由を聞いて參つた、ちょつと拜見させていたゞきたい、と云ふ。いや、これは凡鐡です、あなたのやうな上界の方が御覽になる代物(しろもの)ではありません、と取り合はずにゐたところ、その男は執拗に見せてくれ、と請求する。鄭は隙を窺つて斬り付けたが、打ち損ねた。忽ち男は所在を失し、然も黑氣は容易に去らず、數日を經て漸く散じた(酉陽雜俎)。この男の正髓はわからない。黑氣といふのが魔を連想せしめるが、忽然として姿が見えなくなつただけで、後の崇りはなかつたらしい。

[やぶちゃん注:「鄭雲達」東洋文庫版訳では「鄭雲逵(ていうんき)」とし、これだと唐代の官人(?~八一〇年)。

 以上は「酉陽雜俎」の「卷六」の「器奇」の中にある以下。

   *

鄭雲達少時、得一劍、鱗鋏星鐔、有時而吼。常在莊居、晴日藉膝玩之。忽有一人、從庭樹窣然而下、衣朱紫、虯髮、露劍而立、黑氣周身、狀如重霧。鄭素有膽氣、佯若不見。其人因言、「我上界人、知公有異劍、願借一觀。」。鄭謂曰、「此凡鐵耳、不堪君玩。上界豈藉此乎。」。其人求之不已。鄭伺便良久、疾起斫之、不中、忽墜黑氣著地、數日方散。

   *]

 

「廣異記」の破山劍はいはゆる「胡人採寶譚」の一である。或士人が畑から掘り出した劍を胡人が欲しいといふ。錢一千から百貫までせり上げたが、士人はなかなか承知しない。胡人の執心は非常なもので、市から士人の家までやつて來て、遂に百萬錢で契約が成り立ち、明日錢を持つて取りに來ます、と云つて歸つた。士人は土中から得た劍にそれほどの自信はなかつたので、胡人があまり欲しがるため、だんだん釣り上げて行つたに過ぎぬ。その晩妻と一緒に月を見ながら、こんなものにそんな價値があるものか、と云つて笑つたくらゐである。たまたま庭に帛を搗く石があり、劍の先をその方に向けたら、急に眞二つに割れたけれど、深く氣にも留めずに居つた。然るに夜が明けるのを待つて、錢を携へて束た胡人は、劍を見るなり歎息し、劍光が已に盡きてしまつた、一體どうしたのか、と云つて、もう買はうとしない。彼の云ふところによれば、これは破山劍といふもので、一度しか用ゐることが出來ない、自分はこれを用ゐて寶の山を破らうとしたのだが、今光鋩が盡きてゐるのを見れば、何か觸れるところがあつたのだらう、といふのである。士人夫妻は深く後悔して昨夜の話をした。胡人は鏡十千だけ拂つてこれを買つて行つた。

[やぶちゃん注:以上は「太平廣記」の「器玩四」に「廣異記」から引いて「破山劍」と出る。

   *

近世有士人耕地得劍、磨洗詣市。有胡人求買、初還一千、累上至百貫、士人不可。胡隨至其家、愛玩不捨、遂至百萬。已尅明日持直取劍。會夜佳月、士人與其妻持劍共視。笑云。此亦何堪、至是貴價。庭中有搗帛石、以劍指之、石即中斷。及明、胡載錢至。取劍視之、嘆曰。劍光已盡、何得如此。不復買。士人詰之、胡曰。此是破山劍、唯可一用。吾欲持之以破寶山。今光鋩頓盡。疑有所觸。士人夫妻悔恨、向胡其事、胡以十千買之而去。

   *

 

 これは今までに出た殺人劍ではなしに、一山起すべき有利の劍である。かういふものが手に入れば、土中の鑛脈を掘り當てる如きは易々たるものであらう。符載の劍は一たび粽を切つて光りを失つたが、これも搗帛石を二つに割るといふ無意義な事のために光鋩盡き、倂せて破山の實を喪つた。魚石の話にもこれに類似の事がある。破山劍は一度しか用ゐられぬといふところに、甚深の意味があるやうな氣がする。

[やぶちゃん注:「魚石」先行する「魚石」を参照。]

 

 名劍の話を列擧して來て、最後に加へたいのが「列子」にある孔周の三劍である。一は含光、「之れを視て見るべからず、之れを遲らしてその有るを知らず」といふのだから、存在するかどうか不明と云つて差支へない。二は承影、明方とか夕方とかいふ時分に、北面してこれを見れば、淡々たる物が存するやうであるが、その形はわからず、物に觸れれば微かに音がするけれども、痛むやうなことはないといふ。こゝに至つて少しく感覺の世界に入るわけである。三は宵練、晝は則ち影を見て光りを見ず、夜は光りを見て形を見ず、物に觸れても痕跡を止めず、痛みはあつても血は出ない。この三劍は十三代持ち傳へてゐるが、一度も使用したことがないといふのである。父の敵(かたき)を討たうとする來丹なる者がこれを借りに來て、含光や承影ではいさゝかたよりない、宵練を拜借したいと云つた。孔周は來丹と共に七日間齋戒し、恭しく宵練を授けた。來丹これを提げて、敵の黑卵が醉つて寢てゐるところを、頭から腰まで三つに斬つたけれど、黑卵は少しも氣が付かない。十分に敵を討ち果したと思ひ、門のところまで出て來ると、黑卵の子が外から歸るのに遇つた。こゝに於て擊つこと三度、恰も空を切る如くである。黑卵の子は來丹が何でそんな眞似をするのかわからなかつた。來丹も孔周の名劍眞に人を殺す能はざるを知り、歎じて歸るとあるが、斬れない刀を敵討に用ゐるのは、擂木(れんぎ)で腹を切るのと一般でなければならぬ。黑卵は目がさめて後、何も掛けずに寢た爲、咽喉と腰が痛いと云ひ、その子もまた來丹に三度招かれたら身體が痛いと云つた。もしこの來丹の敵討を傍觀する者があつたとしたら、喜劇として噴飯する外はなかつたに相違ない。

[やぶちゃん注:「擂木(れんぎ)」連木。擂りこぎ棒のこと。「連木で腹を切る」「擂(す)り粉木(こぎ)で腹を切る」という諺が本邦にはあり、出来もしないこと・あり得ないことの譬え。因みに、「れんぎ」は主に本邦の西日本(中国・四国・北九州)での呼称である。

 以上は「列子」の「湯問」にある以下。来丹が黒卵に仇を討たんとして、三宝の剣を持つ衛の孔周に面会するまでの導入部を宵曲はカットしている。

   *

魏黑卵以暱嫌殺丘邴章。丘邴章之子來丹謀報父之讎。丹氣甚猛、形甚露、計粒而食、順風而趨。雖怒、不能稱兵以報之。恥假力於人、誓手劍以屠黑卵。黑卵悍志眾、力抗百夫、筋骨皮肉、非人類也。延頸承刀、披胸受矢、鋩鍔摧屈、而體无痕撻。負其材力、視來丹猶雛鷇也。來丹之友申他曰、「子怨黑卵至矣、黑卵之易子過矣、將奚謀焉。」。來丹垂涕曰、「願子為我謀。」。申他曰、「吾聞衛孔周其祖得殷帝之寶劍、一童子服之、卻三軍之衆、奚不請焉。」。來丹遂適衛、見孔周、執僕御之禮請先納妻子、後言所欲。孔周曰、「吾有三劍、唯子所擇。皆不能殺人、且先言其狀。一曰含光、視之不可見、運之不知有。其所觸也、泯然无際、經物而物不覺。二曰承影、將旦昧爽之交、日夕昏明之際、北面而察之、淡淡焉若有物存、莫識其狀。其所觸也、竊竊然有聲、經物而物不疾也。三曰宵練、方晝則見影而不見光、方夜見光而不見形。其觸物也、騞然而過、隨過隨合、覺疾而不血刃焉。此三寶者、傳之十三世矣、而无施於事。匣而藏之、未嘗啓封。」。來丹曰、「雖然、吾必請其下者。」。孔周乃歸其妻子、與齋七日。晏陰之閒、跪而授其下劍、來丹再拜受之以歸。來丹遂執劍從黑卵。時黑卵之醉、偃於牖下、自頸至腰三斬之。黑卵不覺。來丹以黑卵之死、趣而退。遇黑卵之子於門、擊之三下、如投虛。黑卵之子方笑曰、「汝何蚩而三招予。」。來丹知劍之不能殺人也、歎而歸。黑卵既醒、怒其妻曰、「醉而露我、使我嗌疾而腰急。」。其子曰、「疇昔來丹之來。遇我於門、三招我、亦使我體疾而支彊、彼其厭我哉。」。

   *]

 

 非常にすぐれた劍客で、生涯一人も人を斬らぬといふ話がある。干將莫耶から孔周の三創に目を移せば、或はこれが劍の至れるものなのかも知れぬ。倂し一面から考へれば、美しい衣服を身に著けたつもりで街頭に出た裸の王樣の如く、來丹は孔周に愚弄されたと解せられぬこともない。復讎の愚を喩(さと)すために、ありもせぬ劍を與へたのだといふ風に見て來ると、話が急に理窟つぽくなつて興味索然とする。やはりさういふ神變不思議の名劍があつたことにして置いた方がよからう。

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