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2017/07/04

宿直草卷三 第六 獵人、名も知れぬものを獲る事

 

  第六 獵人(かりうど)、名も知れぬものを獲る事

 

Namosirenumono

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本のものを、清拭、上下左右の枠も除去した。]

 

 紀州日高郡(ひだかごほり)の獵師(れうし)、たゞ獨り、山へ行(ゆき)、鹿笛(しゝぶえ)かけてゐたるに、向ふの薄原(すゝきはら)、かさかさとして、葎(むぐら)二つに分かり、ものゝ步(あり)く體(てい)なり。鹿(しゝ)なるはと思ひ、をりをり、鹿笛かくるに、このものも、笛に隨ひて來(きた)る。

 茅萱(ちかや)分け、鐵砲、差し出(だ)して待(まつ)に、その亙(わた)り、七、八間ばかり。やがて、覗きて見るに、面の幅三尺ばかりに見え、口を開くにその徑(わた)りも三尺ばかり、紅(くれなゐ)の舌、廣く長(なが)ふして、背(せい)の高さは僅か一尺四、五寸には過(すぎ)ず。大蛇(だいじや)の向(むか)ふさまに來ると心得、手前遲くば、彼奴(きやつ)に呑まれんと、鐵砲差し出し、躊躇(ためら)はず放つに、過(あやま)たず、當たる。やがて谷へ轉(こ)けしが、其(その)形(なり)、思ひの外に短かし。

 扨は蛇にてもなし、行きて見るに極めしに、何とやら、怖ろしかりければ、止みて歸る。

 さて、翌(あ)くる日、友を誘ひて行くに、果して、死(しに)ゐたり。何とも見分け難し。大きなる蟇蛙(ひきがへる)のごとし。身に鱗(いろこ)ありて、二尺四、五寸の尾あり。腹は段を切(きり)て蛇のごとし。辨(わきま)へ難(がた)ふして名を付(つ)くる人、なし。蟇(ひき)といふものか、但(ただし)、蟹(かに)に似て小物(ちいさきもの)と注(ちゆ)せり。蟇(ひき)にてもなきか。身も皮も敢へて役に立つべきものにもなし。鱗(うろこ)の大(おほき)さ、尺ばかり、今に取置(とりお)きたるを見たりと云ふ人、語れり。

 

[やぶちゃん注:未確認生物譚。但し、これは幾つかの細部表現に疑問はあるものの、最大公約的に同定候補を探るなら、まず老成個体の大山椒魚(両生綱有尾目サンショウウオ亜目オオサンショウウオ科オオサンショウウオ属オオサンショウウオ Andrias japonicus)に落ち着くと思う。なお、話者は「身も皮も敢へて役に立つべきものにもなし」と述べているが、私の高校教師時代の先輩は、小学生の頃、家でよく大山椒魚を調理して食べたと語っておられた(同種は昭和二六(一九五一)年に種として国の天然記念物に、翌年には特別天然記念物に指定されており、彼は私より五つしか上でなかったから、明らかに違法である。彼の出身地は現在も同種の繁殖地として知られる(先輩のために地名は伏せる)山深い場所であった)。大鍋に生きたまま投じて茹でると、まさに山椒のような強烈な匂いがするが、皮を剝いだその身ははなはだ美味であったとのことである。私の別な先輩教師には雷鳥の子を焼き鳥にして食べたが、実に美味かったと語られた、とんでもない御仁(既に故人)もいる。なお、本種は日本固有種で本来の分布域は岐阜県以西の本州・四国及び九州の一部であるから、旧紀伊国、現在の和歌山県の旧日高地方(旧郡域は現存する日高郡に加えて奈良県県境までの山間部も含まれる)に棲息していてもおかしくない。なお、ウィキの「オオサンショウウオ」には、『和歌山県の個体群は過去に人為移入された個体に由来していると考えられている』(下線やぶちゃん)とあるが、もし、本話の生物がオオサンショウオであるとし、本「宿直草」の話が実話或いは基本的には同地区での実話に基づくもので、この生物がオオサンショウウオであったとするならば、このウィキにある人為移入なるものが江戸時代前期に行われていた可能性は極めて低くなり、或いは日高地方には、古く、現存する個体群とは別の、滅んでしまった自然分布の同種の個体群が存在した証しともなるかも知れぬ

「鹿笛(しゝぶえ)」猟師が鹿を誘うために用いる鹿の鳴声に似た音を出す笛。現行のものであるが、You Tube こちらで聴ける。他にもこれを使った実際の猟銃による本邦での鹿猟の動画がかなり多くあるが、生々しいものが多いのであまりお勧め出来ない。

かけてゐたるに、向ふの薄原(すゝきはら)、かさかさとして、葎(むぐら)二つに分かり、ものゝ步(あり)く體(てい)なり。鹿(しゝ)なるはと思ひ、をりをり、鹿笛かくるに、このものも、笛に隨ひて來(きた)る。

「七、八間」十三メートル弱から十四メートル半の間合い。

「面」「つら」と訓じておく。

「徑(わた)り」口径。

「紅(くれなゐ)の舌」オオサンショウウオの舌は幾つかの画像を見る限りでは、クリーム色が標準のようだが、やや淡いピンクを呈するものもあるようだ。「紅」ではない。

「一尺四、五寸」四十三~四十五・四五センチメートル。

「其(その)形(なり)、思ひの外に短かし」この謂いは、実はこの前の描写印象が錯覚や過大認識であったことを深く疑わせる内容であることの証左となる。従って、以上のスケールの数値や舌の色などを以って、これはオオサンショウウオでないとは言えないという点に注意されたい。

「行きて見るに極めしに」以下との繋がりがやや悪いので、ここは「行きて見極めんとせしに」の意でとる。

「鱗(いろこ)」後の「うろこ」のルビの相違はママ。「いろこ」は「うろこ」の古形で何らおかしくはない。但し、言わずもがな、オオサンショウウオには鱗はないので困った叙述ではある。最終注を参照。

「二尺四、五寸」七十三~七十五センチメートル半越えオオサンショウウオの自然個体の標準全長は凡そ五十~七十センチメートルである。但し、この長さは尾とする。幾つかの写真を見るに、オオサンショウウオの下肢から上の上半身は尾の一・五から二倍はある。すると全長は一メートル一〇センチから一メートル五十センチの範囲内となる。因みに、飼育個体では最大全長が一メートル五十センチメートルに達した個体があるが、野生個体では全長が一メートルに達することは極めて稀れとされる。しかし、よく考えてみると、この話者は何故、尾の長さだけを言って全長を示さないのか? 実は、この死亡個体は鉄砲に撃たれた結果、本体の形状をちゃんと残していなかったのではないか? だから死骸の損壊していない残った部分をのみ見てそれが尾のように見えたから、この数値のみを記しているのではなかろうか? とすれば、オオサンショウウオであっても何ら、おかしくはないと私は思うのである。

「腹は段を切(きり)て蛇のごとし」これはオオサンショウウオの腹部形状とは一致しない。

「蟇(ひき)」岩波文庫版の高田氏の注では、『普通はひきがえる』(両生綱無尾目ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル Bufo japonicus)『ただしここでいう「蟇」が何をさすか、不詳』としておられる。これは逆にオオサンショウウオを見知らぬ人の謂いとしては私には腑に落ちるものである。頭部が残っていたとすれば、オオサンショウウオのそれは巨大な蟇蛙に似ているからである。

「蟹(かに)に似て小物(ちいさきもの)と注(ちゆ)せり」「ちゆ」は原典のママ。「蟹」というのは頗る不審である。今までの形態叙述とは著しく齟齬するように思われるからである。さらにこの部分から、荻田はこの話を何かに書かれたもの(注が附されているとあることから明白)から写したことも判明する。そうしてそういう記載は、これが少なくとも荻田による完全な創作ではない、一応、実録物(とされる)からの引用という体裁を採っているということも考えてよい。とすれば、取り敢えずは実在する生物を考えてよいわけで、総合的に見ても最も同定し易い実在生物はやはりオオサンショウウオなのである。

「鱗(うろこ)の大(おほき)さ、尺ばかり、今に取置(とりお)きたるを見たり」これは或いは、オオサンショウウオと大蛇の話がごっちゃになっている可能性をも射程に入れる必要があるのかも知れぬ。]

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