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2017/07/09

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 橋姫(5) 神々の争い

 

 國玉の大橋の上で猿橋の話をすると災があり、又猿橋で國玉の事をつても同樣であつたと云ふ言傳へは、斯うして見ると謠の戒めの話と裏表を爲して居ることが判る。この二つの橋は共に甲州街道の上に在つて旅人によく知られて居た。さうして猿橋の方にもやはり橋の西詰に、諸國の猿曳が尊信する、俗に猿の神樣などゝ呼ぶ小社があつた。昔の神樣は多くは所謂地方神であつて、土地の者からは完全なる信仰を受けられても、遠國の旅客などには自由な批評が出來た爲であるか、往々にして甲地乙地何方の神が有難いと言ふやうな沙汰があつた。尚其上に此種の神々は當節の大神とは違つて、人間とよく似た感情又は弱點をも有つて居られた。況や失禮ながら其が御婦人であつたとすると、他方の女神の噂などを聽きたまふ時の不愉快は、中々謠を聞いて思出される位の徴弱なもので無かつた筈である。薩摩の池田湖は山川港に近い火山湖で、僅かな丘陵を以て内外の海と隔てられ風景の最も美しい靜かな水であるが、此湖の附近に於て海の話をすれば忽ち暴風雨が起ると傳へられて居たことが三國名勝圖會に見え、阿波の海部川の水源なる王餘魚瀧(かれひのたき)一名轟の瀧に於ては、紀州の那智瀧と此瀧とを比べ又は瀧の高さを測らんとすることを、神が最も忌み嫌ひたまふと云ふこと、燈下錄と云ふ書の卷十に見えて居る。斯う云ふことは昔から人のついしさうな事で、しかもごく僅かばかり劣つた方の神樣に取つては、甚だ面白くないことに相異ない。富士と淺間の煙競べと云ふことは今の俗曲の中にもあるが、古代の關東平野では、夙くより筑波と富士との對抗談があつたと見えて、常陸風土記には其に因んだ祖神巡國(おやがみくにめぐり)の話を載せ、勿論自國の筑波山の方が優れたやうに書いて居る。羽後に行くと鳥海山が富士と高さを爭つたと云ふ昔話がある。烏海はどうしても富士には敵はぬと聞いて口惜しさの餘りに山の頂上だけ大海へ飛んだ。それが今の飛島であると云ふ。前に引用した『趣味の傳説』には加賀の白山が富士と高さを爭ひ、二山の頂きに樋を渡して水を通して見ると、白山の方が少し低かつたので、白山方の者が急いで草鞋を脱いで樋の下に宛てがつて平らにした故に、今でも登山者は必ず片方の草鞋を山で脱いで來るのだと云ひ、三河の本宮山と石卷山は相對して一分も高さが違はぬ故に永久に爭つて居り、二つの山に登る者石を携へて行けば草臥れず、小石一つでも持降れば罰が當り參詣が徒爾となると云ふなどは、何れもよく似た山の爭である。此外越中舊事記に依れば婦負郡舟倉山の權現は能登の石動山の權現ともと御夫婦であつたが、嫉妬から鬪諍が起つて十月十二日の祭の日こは今でも礫を打ちたまふ故に、二つの山の間の地には小石が至つて少ないなどゝ云ふさうである。昨年秋の院展に川端龍子君の手腕を示した二荒山緣起の畫なども、やはり亦此山と上州の赤城山との丈競(たけくらべ)古傳を理想化したもので、是たどは最も著しい例であつて、今でも赤城明神の氏子たちは日光には參られない。舊幕時代には牛込邊の旗本御家人たちの赤城樣の氏子であつた者は、公命に依つて日光の役人になつた場合、氏神に參詣して其仔細を申し、自分だけ一時氏子を離れて集土(つくど)八幡又は市谷八幡の氏子となり、在役中の加護を願つたと云ふことが、十方菴の遊歷雜記五篇の中に見えて居る。

[やぶちゃん注:「國玉の大橋の上で猿橋の話をすると災があり、又猿橋で國玉の事をつても同樣であつたと云ふ言傳へ」本「橋姫」の冒頭を参照。

「猿橋の方にもやはり橋の西詰に、諸國の猿曳が尊信する、俗に猿の神樣などゝ呼ぶ小社があつた」「猿曳」「さるひき」。猿回しのこと。不詳。検索やグーグル・ストリートを試みたが、少なくとも現在はそこには存在しないのではなかろうか。

「池田湖」鹿児島県の薩摩半島南東部内陸の鹿児島県指宿市にある直径約三・五、周囲約十五キロメートルのほぼ円形を成す純淡水カルデラ湖で九州最大の湖。湖面標高六十六、最深部は二百三十三メートルあるため、最深部は海抜マイナス百六十七メートルでなる。湖底には直径約八百メートルで湖底からの高さが約百五十メートルもある火山を有する。参照したウィキの「池田湖」によれば、『古くは開聞の御池または神の御池と呼ばれており』、『龍神伝説がある』 とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「三國名勝圖會」前段で既出既注

「阿波の海部川の水源なる王餘魚瀧(かれひのたき)一名轟の瀧」「海部川」は「かいふがわ」と読み、徳島県海部郡海陽町(かいようちょう)を流れる。この瀧は現在の海陽町平井字王余魚谷(かれいだに)にあり(ここ(グーグル・マップ・データ))、落差は十一メートルで、この滝の上流にはまた大小様々な滝が連続して存在し、総称して「轟九十九滝」と呼ぶそうである。個人ブログawa-otoko’s blogの「轟の滝」がよく書かれてあり、それによれば、現在の轟神社摂社とされる本滝神社の御神体「轟ノ滝」は以前は「鰈(かれい)明神」と呼ばれ、以下の話が伝承されているとして、ここで柳田が引く伝承を含めて記されてある。

   《引用開始》

・平井村にある轟瀧は鰈の瀧とも呼ばれ、此瀧壺である深い深い淵の中には大きな鰈が住んでいると言い伝えられている。(「粟の落穂」)

・樵夫(きこり)は、山上で切った材木を毎日此瀧に流し落として里へ出すのを恒としているが、数日を経ても沢山の材木残らず瀧壺にくくまれたままで川下へ流れ出ない事がある。材木が流れ出ない時は瀧壺の沼を加禮伊(かれい)明神で、瀧祭という神事を営むと忽ち数多の材木は流れ出ると云われている。(「阿波名所圖繪」)

・この加禮伊明神の御神火というものは、年毎に二三度、渓水に添うて川を下り、海に出ると紀州に渡り、日を経てお帰りになるという事である。谷筋、海浜の人達は「御神火のお渡り」と言って、丸い形の御神火を拝みに出る者も多いということである。この御神火は「鈴が峯の神火」であるとも言われている。(「粟の落穂」)

・「轟の滝の近くで紀州熊野の那智の滝の話をすることは禁物であり、那智の滝とどちらが大きいだろうとか、またはこの滝の高さを測って見ようとしたりすると、必ず神のたたりがあった。」(「燈下録」)

   《引用終了》

ブログ主は以上から、紀州熊野那智大社と海部鰈明神には何らかの繋がりがあったのではないかと推察され、『轟神社は深い山中に鎮座しているにもかかわらず「海運向上、航海の神」として祀られてい』ることから、『鰈明神の御神火は神を乗せて行き来する舟の灯り、または神事の灯りであったのではない』考察が附されてある。興味深い。なお、この「かれひ」であるが、海の神を祀るからといって滝壺に住んでいるというそれは海産のカレイ(硬骨魚綱カレイ目カレイ科 Pleuronectidae)であるはずはない訳で、たまたま昨日見ていたTV番組で、岡山ではヤマメ(サケ目サケ科サケ亜科タイヘイヨウサケ属サクラマス亜種 ヤマメ(サクラマス)Oncorhynchus masou masou を「ヒラメ」と呼ぶことを知ったので、ここはその相似性から勝手に私は腑に落ちていた。なお、何故そう呼ぶかは、Q&Aサイトの回答によれば、渓流釣りの本に他の川魚と比較して体長の割りに広くて平たい感じがするからであろうと書かれてあったとあり、これも腑に落ちた。即ち、私の推測では、「山女魚」は平たい目であるから「平目」と呼び、それが海産魚の「鮃(ひらめ)」と混同され、それがまた形態の酷似する「鰈(かれい)」と誤認されるようになったのではないかという推理である。但し、「かれひ」或いは「かれい」は古語としては多様な意味と語源を孕んでいるから、もともとの原義は全く別な意味である可能性が高いようにも思われる。滝壺に棲息する「かれい」という魚(或いは仮想生物或いは神霊)の伝承は後代に縁起附けするために附加されたもののように私には見受けられるからである。

「燈下錄」文化年間(一八〇四年~一八一八年)に元木維然(蘆州)が書いた阿波の風物誌。

「常陸風土記には其に因んだ祖神巡國(おやがみくにめぐり)の話を載せ、勿論自國の筑波山の方が優れたやうに書いて居る」「常陸風土記」は奈良初期の和銅六(七一三)年(年)に元明天皇の詔によって編纂が開始され、養老五(七二一)年に成立した常陸国(現在の茨城県の大部分)の地誌。訓読原文も所持するものの、読むには注が必要と思われるので、個人サイト「神話の森」内の「訳・常陸国風土記」の『三、筑波郡 「握り飯、筑波の国」』を読まれるのがよかろうと存ずる。

「飛島」(とびしま)は山形県酒田市に属する酒田港から北西三十九キロメートル沖合にある山形唯一の有人島。グーグル・マップ・データのこちらで鳥海山との位置を確かめられたい。ウィキの「飛島」によれば、『島の名称の由来には、鳥海山の山頂が噴火によって吹き飛んで島になったという伝説に基づくとする考えもあるが、古地図には海獣の名前を冠した「トド島」「トンド島」と表記する例もあり、決め難い』とある。

「趣味の傳説」本「橋姫」の冒頭を参照。本書国立国会図書館デジタルコレクションの画像で視認出来るが、ここに記されてあるのは別々な記載で、「加賀の白山が富士と高さを爭ひ、二山の頂きに樋を渡して水を通して見ると、白山の方が少し低かつたので、白山方の者が急いで草鞋を脱いで樋の下に宛てがつて平らにした故に、今でも登山者は必ず片方の草鞋を山で脱いで來るのだと云ひ」の方は「第二四 怨みは草鞋丈の厚さ」で、「三河の本宮山と石卷山は相對して一分も高さが違はぬ故に永久に爭つて居り、二つの山に登る者石を携へて行けば草臥れず、小石一つでも持降れば罰が當り參詣が徒爾となると云ふ」の方は「第一一 山と山との爭」でである。

「越中舊事記」天保年間(一八三〇年から一八四四年)に書かれた越中地誌。

「婦負郡舟倉山の權現」以下の話は国立国会図書館デジタルコレクションのの画像の「舟倉村」で視認出来るが、この「婦負郡」は誤りで旧「新川郡」が正しい。リンク先を確認されたい。恐らくは現在の富山市舟倉周辺と思われる。(グーグル・マップ・データ)。

「昨年秋の院展に川端龍子君の手腕を示した二荒山緣起の畫」本「橋姫」は大正七(一九一八)年一月号『女學雜誌』初出である。川端龍子はこの前年に「二荒山緣起」を発表している。同作に就いての当時の評言(文学博士松本亦太郎筆)が(PDF)で読める。如何なる絵かは私は知らぬ。

「赤城明神」群馬県の赤城山を祀る神社。ウィキの「赤城神社によれば、『群馬県内には「赤城神社」という名前の神社が』百十八『社、日本全国では』三百三十四『社あったとされる。関東一円に広がり、山岳信仰により自然的に祀られたものと、江戸時代に分祀されたものがある。その中でも著名なものが、東京都新宿区赤城元町の赤城神社である』とあり、新宿にあ赤城神社ウィキ見ると(場所は(グーグル・マップ・データ))、『明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれ』、鎌倉時代の正安二(一三〇〇)年に上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治によって牛込早稲田にあった田島村に創建されたと伝わり、寛正元(一四六〇)年には江戸城を築城した太田道灌によって牛込台に移されたとある。その後、弘治元(一五五五)年、『現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた』(下線やぶちゃん。以下同じ)。「江戸名所図会」では『「赤城明神社」として紹介され』、牛込の鎮守と記されてある。

「集土(つくど)八幡」現在の東京都新宿区筑土八幡町にある筑土八幡神社。(グーグル・マップ・データ)。新宿区赤城元町の赤城神社の東方直近。

「市谷八幡」東京都新宿区市谷八幡町にある市谷亀岡(いちがやかめがおか)八幡宮。赤城神社の北一キロ強。

「十方菴の遊歷雜記五篇の中に見えて居る」既注であるが、再掲しておくと、小石川の隠居僧十方庵(じっぽうあん)敬順が文化年間(一八〇四年~一八一八年)に著わした江戸市中の見聞録。以下の話は同書の「第五篇」の「卷之中」の二十三番目にある「牛込赤城大明神開扉神禮」に出る。国立国会図書館デジタルコレクションの「江戸叢書」の当該部分画像のここから次の頁にかけてで視認出来る。]

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