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2017/07/15

宿直草卷四 第一 ねこまたといふ事

 

宿直草 卷四

 

  第一 ねこまたといふ事

 

Nekomata

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本のものを相当に念を入れて清拭、上下左右の枠も除去した。]

 

 攝州萩谷(はぎたに)に安田の某(なにがし)、「のたまち」と云ふ狩(かり)を好めり。猪、深山(みやま)より里田(さとた)に出(いで)て、夜(よる)のうち、求食(あさり)、曉(あかつき)、山に歸る。水湧く所にて轉(ころ)び打つ。其跡、著(しる)かれば、其所(そのところ)を晝の内、よく見置きて待(まつ)に、又、彼處(かしこ)に來たる、弓・鐵砲にて獲るを、「のたまち」と云ふ。

 かの人、夜(よ)に入(いり)て彼處に待つに、月、やうやう更(ふけ)て、ものゝ聲、幽(かす)かに聞ゆ。耳を欹(そばた)てゝ聞くに、我(わが)母、我が名を呼びて、來(く)る。

「さてさて、訝(いぶか)し。如何なる用のあれば、廿四町の坂道を獨り來給ふ。不思議也。或るは下部(しもべ)或るは隣人(となりど)こそ來(こ)さめ。定めて母にてはあらじ。一矢(いちや)射(い)べき物を。」

と待つに、聲色(こはいろ)、いよいよ紛(まが)ふ所もなし。

「さては又、化けたるものにてもあるまじきか。」

と進退(しんだい)わづらひしが、

「よし、母ならば、こゝへ來(く)る事、自(みづか)ら誤り給へり。不孝の咎(とが)も畏ろしけれど、再び、人にも逢はゞこそ。誤りなきを腹切りて、死出の山路にことはらん。」

と、雁股(かりまた)引き絞り、暫(しば)し固めて放つ矢に、誤(あやま)たず、當たる。

 また、引返し、叫びつゝ歸る聲、いよいよ、母也。

 あるもあられず、夜も明けて其處(そこ)ら見るに、矢は射通して、跡(あと)にあり。血、零(こぼ)れて、道、長し。

 したひて見るに、我が里へ續き、我(わが)屋敷、母の隱居の門口まで引けり。

「さればこそ。」

と思ひ、胸うち騷ぎて内へ入(いる)に、母は無小大(なにとなく)在(いま)せり。

「さては。」

と、嬉しく思ひしに、血は猶、簀搔(すがき)の下に傳(つた)へり。

 母に樣子語りて、簀子(すのこ)の下、尋(たづぬ)るに、母、常々、祕藏せし虎毛(とらげ)の猫、死(し)し居(ゐ)たり、となり。

 是、猫またか。

 「父母(ふぼ)在(います)時は、遠(とをく)遊ばざれ、遊ぶ事、必ず、方(みち)あり」と云へり。實(まこと)の母ならば、この人、如何に面(おも)なからん。事の急なるには、徒裸足(かちはだし)にも來べきをや。猫なりしは、此人の仕合(しあはせ)なり。心あらん人、聞(きゝ)咎めずやあらん。

 

[やぶちゃん注:本話の現存する最も古いプロトタイプが、「今昔物語集」の「卷第二十七」に載る「獵師母成鬼擬噉子語第二十二」(獵師の母、鬼と成りて子を噉(くら)はむと擬(す)る語(こと) 第二十三)であることは、まず疑いようがない。それは既に私の「諸國百物語卷之三 十八 伊賀の國名張にて狸老母にばけし事」の注で電子化しであるので参照されたいが、湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」では「今昔物語集」のそれを濫觴として、「曾呂里物語」の巻二の二「老女を猟師が射たる事」や巻三の五「ねこまたの事」が書かれたとする。前者はリンクさせた「諸國百物語」とよく似ているが、後者の「ねこまたの事」は本「宿直草」版「ねこまたの話」と題名だけでなく、中身も恐ろしいまでに酷似し(ここでの「母」はそちらでは「妻」になっているものの、全体の結構のみでなく、細部の猟法「ぬたまち」や物の怪の正体を「年へたる猫」とする点でも完全に一致する)、最早、偶然の一致は考えられない今は失われたこれらに先行する中間の原型が存在したか、或いは「曽呂利物語」を「宿直草」が剽窃したかの孰れかである。

「攝州萩谷(はぎたに)」現在の大阪府高槻市萩谷。ここ(グーグル・マップ・データ)。大阪府の公式サイト内のこちらで、昨年(二〇一六年八月七日午後六時)頃にここにある高槻市萩谷総合公園内でツキノワグマが目撃されたとあり、同ページには『サルやイノシシ等の野生鳥獣の出没にご注意ください!』ともある。今も猪、現役!

「のたまち」本文でも語られてあるが、岩波文庫版で高田氏は『狩猟法の一つ。動物が夜行して水を飲みに歩く道をあらかじめ探り、待ち伏せして射止める猟法』と親切に注されておられる。「のた」は「日本国語大辞典」によれば、「沼田(ぬた)」の変化した語とし、方言として『山間の湿地で猪が体にどろを塗りつけ場所』とし、採集地を大阪府南河内郡及び奈良県吉野郡とする但し、私は嘗てマタギに関心を持って、彼らの猟法や猪猟の実際を調べたことがあるが、その時、猪が寝転がってのたくっては泥を身体に塗りつける場所をまさに「ノタ場」或いは「ヌタ場」と呼称すること、そこを「マチ場」(待ち場)としてやってくる猪を捕獲する猪猟をすることを知っていた。その猟法のドキュメント番組もよく記憶しており、実際に今も鮮やかにその「ノタ場」が動画として目に浮かびさえするのである。従って私はこの「のたまち」という語を見た瞬間、本文の後の説明も高田氏の注も不要であったのである。なお、この泥を身体につける行為はダニなどの寄生虫の除去目的などとまことしやかに説明されているが、その程度で落ちるダニではない。実際のところはよくわかっていないらしいが、ダニ予防なんぞよりは、一種のテリトリーを示すためのマーキングの方が判りが良い気はする(実際には泥浴びや土や砂を浴びる行為は鳥類や哺乳類でしばしば見られるものの、その多くはその行為の理由がよく分っていないのである)。私がわざわざこんなことを注したのは高田氏は注で「動物」とされているが、実際には猪狩りの呼称として専ら使われていたことをはっきりさせたいからである。

「廿四町」二キロ六百十九メートル。

「不孝の咎(とが)も畏ろしけれど、再び、人にも逢はゞこそ。誤りなきを腹切りて、死出の山路にことはらん。」ちょっと意味がとりにくいが、この「こそ」は「こそ」已然形の逆接用法の部分が省略された形であって、以下の意味として私は採る。「これが実際の母だったとして、それを射殺してしまった場合、その母殺しという最悪の不孝によって受ける神仏からの罰は無論、畏るべきものではあるけれども、それは、そうした結果となってしまった後に、誰でもよい、誰か人に逢い、それを語らねばならなくなった時のこと、そもままおめおめとこの世に生き永らえてゆかねばならなくなった場合のこと、である。しかしながら、それは、ないのだ。何故なら、少なくとも、こうした状況下にあって、そうした変化の物であることを推定し、矢を以って射殺すべきとした私の判断には誤りはなかったことを自ら堅く信じ、それを心に確かに持った状態で潔く腹を切って死に、その後、冥界に赴いたならば、そこでの断罪の際、私の確かな主張としてそのことを理を尽くして説明しようぞ!」の謂いとしてである。なお「誤りなきを」を「間違いなく母であることが判明した場合は」(腹を切って……)の謂いと採ることも出来なくはないが、主人公は「誤りなき」という語を自身の各個たる認識として使っているニュアンスを私は強く感じるので、その意では採らない。大方の御叱正を俟つ。

「雁股(かりまた)」先が股(やや外に開いたU字型)の形に開き、その内側に刃のある狩猟用の鏃(やじり)。通常では飛ぶ鳥や走っている獣の足を射切るのに用いる。

「暫(しば)し固めて」狙撃を安定させるための「溜(た)め」を入れて。本文や挿絵で判る通り、夜ではあるが、月が(挿絵では満月である)出ているから夜目で視認は出来たのである。

「あるもあられず」「居(を)るに居られず」に同じい。とてものことに凝っとしていられない思いで。

「無小大(なにとなく)」本来は漢文で、「小大の無し」、対象の量や度合いの大小に拘わらず(~する・すべき)であるが、ここは、大きな変わりは勿論なく、小さな、しかし気になる違いさえもなく普通に、の意。

「簀搔(すがき)」ここは、竹や葦の簀(すんこ)で張った床(ゆか)のこと。

「簀子(すのこ)の下」床下。

「祕藏せし」可愛がっていた。

「猫また」猫又。いろいろなところで注しているが、ここでは先般、電子化注を終えた「想山著聞奇集 卷の五」の「猫俣、老婆に化居たる事」をリンクさせておくので、そちらの注を参照されたい。

「父母(ふぼ)在(います)時は、遠(とをく)遊ばざれ、遊ぶ事、必ず、方(みち)あり」「論語」の「里仁篇」の一節。

   *

子曰、「父母在。不遠遊。遊必有方。」。

(子、曰く、父母(ふぼ)在(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方(はう)有り。)

「在」は「存命している間」の意、「遠遊」は遠出(とおで)、「方」は「一定の方角・位置」でここは父母にその行先を明確に伝えておくこと、おかねばならないということを指している。ここでの荻田の説教臭さは話柄の最後に複雑な条件を添えて怪異を減衰させてしまっている。私は当初、「のたまち」は夜間の危ない、しかも獣を射殺す殺生であるから、恐らく、この安田某は母に出先を言っていないと考えたが、ここで安田が「実の母かも知れない」と躊躇し、また、どうしても緊急のことが生じたならば、下僕や隣人に来させるはずである、と思ったりしたのは、実は「のたまち」の場所をかなり正確に母に伝えていたものと解釈しないと成り立たぬのである。即ち、ここで安田某は孔子の言に従っていると考えねばなるまい。とすれば、却ってこの「論語」の引用は、安田はその点では最低の孝信は持ってはいた、しかし、と続くと解釈出来る。即ち、本当に火急の出来事が出来(しゅったい)して、「實(まこと)の母」がやってきたのだった「ならば」、母を射てしまった「この人」には「如何に面(おも)なからん」、どうして人の子としての面目があるというのか?! いや! ない! 鬼畜そのものである! と非難しているのである。しかし、これは如何にもくどくどしくて退屈以外の何ものでもない。荻田は純粋な怪奇談では我慢出来ず、どうしても儒教的な説教に繋げないと気が済まなかった。即ち、最初に最後の一文「心あらん人、聞(きゝ)咎めずやあらん」ありき、なのである。だからつまらんのである。私は断然、「是、猫またか。」で終わらせるべきであったと考える人種である。

「事の急なるには、徒裸足(かちはだし)にも來べきをや」こんなことは言わずもがなのことだ。こんなことを書くから、絵師はサービスして絵の中の猫またの変じた贋母を裸足で描いてしまっているではないか! こういう風に挿絵が本文に無批判に従属してしまうのは、如何にもヤラセ臭く、私は嫌いである。しかし絵師もただ言われた通りには従わない。左上にはちゃっかり、どでかい猪が描いてある。ここはこの絵師に乾杯!!!

 

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