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2017/07/30

宿直草卷五 第七 學僧、盜人の家に宿借る事

 

  第七 學僧、盜人(ぬすびと)の家に宿借(やどか)る事

 

Kakusounusututo

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本のもの。下部の雲形の汚損が激しいので、その約七分の一から八分の一を恣意的にカット(下部の線は雲形の上部のみを残したもの、左右上の枠も除去し、加えて清拭も行った。熊ちゃんのために。]

 

 慶長の初め、都の僧、學びのため、關東へ下る。檀中より餞(はなむけ)とて、灰吹(はいふき)三百目、贈る。金銀稀れなる時代なれば、歷々の事なり。平包(ひらつゝ)みに入(いれ)、遙々と信濃路にかゝりしに、宿(しゆく)、遠ふして、日暮(ひく)れ、ことに山路に辿(たど)り、其處(そこ)とも知らず、迷ふに、ある在家(ざいけ)を見て、

「宿(やど)借らん。」

と云ふに、易々(やすやす)と貸す。

 嬉しくて臥すに、主(あるじ)、物騷々(ものさうざう)にして、あまさへ、鬼かなきかの男、二、三人と密々(みつみつ)の談合のさま、僧を殺すべきに聞えけれは、あるもあられず、小用するにもてなし、そこ逃れて裏へ出(いで)しかども、山は峨々とし、道は崎嘔(きく)たり。殊に、案内、疎(うと)し。闇に、行くべきやうなかりければ、朽木(くちき)の洞(うつろ)に屈(かゞ)みゐるに、かの主、先に立ち、手に手に松明(たいまつ)持(も)て來たる。

 逃(にぐ)とも追つかれんと思ひ、繁りたる木の股に登り、こゝに隱るるに、盜人ら、

「間もなき事に、何處(いづく)かへ迯(のが)しけん。疾(と)く斬るべき物を。」

と犇(ひしめ)くに、一人が云ふやう、

「胡散(うさん)なる木を、たゞ、鑓(やり)にて突きて見よ。案内(あない)疎き者、如何で此山にて迯(のがれ)えん。」

と、賢くも下知す。

「尤(もつとも)。」

とて、早や、火振り立てて、突く。

 僧の賴みし木へ、大方(おほかた)間も無かりければ、生(いき)たる心地はなくてあるに、二、三本隔てゝ、一人が云ふやう、

「突き中(あ)てしぞ。」

と。

 僧、見て、

「我に等(ひと)しき人もあるか。」

と見るに、さはなくて、牛に紛(まが)ふ熊、木より輕(かろ)げに降(お)りて、かの鑓持ちし男、微塵(みぢん)に引き裂く。殘る者、見て、

「やれ、熊なるは。」

と云ふほどこそあれ、我先にと、迯(にげ)行く。

 僧、盜人の難は迯(のが)れしかども、又、熊の怒りに、怖ろしさ、いや增して、息もよくせず、屈(かゞ)みしに、さまで痛手にて無かりしにや、また、熊は元の寢座(ねくら)に歸る。曉(あかつき)になりて、かの熊の寢(ねな)なんと思ふ頃、木よりひそかに降り、沛公(はいこう)項羽が圍(かこみ)を逃(のが)れ、賴朝(らいてう)、大場(おほば)が攻めを免かれし心地して、終(つゐ)に檀林に學びて、また、洛陽に上(のぼ)りし僧、直(ぢき)に話せしと、郷(さと)に杖突く翁(おきな)の語り侍り。

 

[やぶちゃん注:本話は湯浅佳子氏の論文『「曾呂里物語」の類話』によれば、先行する「曾呂里物語」の巻五の五「因果さんげの事」の冒頭の話柄との類似性を複数の研究者が指摘しているとある。というより、これは直ちに、同じものをインスパイアしたと思しい本書の第二 七命(みやう)ほろびし因果の事との親和性がすこぶる強く、僧役には同じ俳優を使いたくなるぐらいである。

「慶長」一五九六年から一六一五年までの二十年間。「初め」とあるものの、最初期ではまだ秀吉が健在で、関東に遊学するという謂いが、今一つしっくりこない感じはしないでもない。しかし、関ヶ原の戦いが慶長五年、徳川家康が征夷大将軍に任ぜたれて江戸幕府を開くのは慶長八年で、その頃を「初め」とは普通言わないし、主人公が京から関東へ向かうのに「信濃路」を通っているのも東海道が整備されていない証左であるから、ここは広い意味の関東にあった古刹と捉え、江戸開府以前の話柄ととっておく。従って「宿直草」の中では古い時間設定の話柄の一つとなる。

「灰吹(はいふき)」灰吹法(金や銀を含んだ鉱石から一旦、鉛に溶け込ませ、そこから改めて金銀を抽出する方法。本邦には戦国時代の天文二(一五三三)年に石見銀山の発見に際して博多を通じて中国から招来した吹工宗丹及び慶寿(桂寿とも。禅僧)の両名によって伝来され、後の豊臣秀吉が太閤となった天正一九(一五九一)年には南蛮人によってもその技術が齎された)。「金銀稀れなる時代」とあるように、伝来初期の分離技術は精度が非常に悪かった(江戸時代に急速に技術向上が図られた)ここは金と銀の混じったものと見てよく、本書の書かれた江戸初期は「三百目」は=「三百匁」、この時代設定時だと、一匁は江戸時代の三・七五グラムよりもやや小さかったようであるがそれでも一キログラムはあったであろう。「平包(ひらつゝ)み」(物を包むための正方形の布製の袱紗(ふくさ)・風呂敷など)に入れたとあるから、薄い板状にしたものであったか。

「崎嘔(きく)」嶮(けわ)しいこと。容易でなく辛苦することの意も含む。

「疾(と)く斬るべき物を」「物を」は原典が漢字表記なんであるが、「これは」終助詞「ものを」で、不満・不平や悔恨などの気持ちをこめての詠嘆の意を表わす。「さっさと斬り殺しときゃあ、よかったものを、糞ッツ!」。

「胡散(うさん)なる木」上に忍び隠れそうな怪しい感じのする樹木。

「息もよくせず」底本は「息も高くせず」と判読しているが、原典を見るに、どう見ても「高」の字の崩しではないので、私が「よ」と判読し直した

「寢座(ねくら)」清音は原典のママ。

「沛公(はいこう)項羽が圍(かこみ)を逃(のが)れ」紀元前二〇五年、項羽の楚軍と劉邦の漢連合軍との間で行われた「彭城(ほうじょう)の戦い」(彭城は現在の江蘇省徐州市)の結末。この戦いでは五十六万もの劉邦を項羽はたった三万の軍勢で勝利し(連合軍の兵の資質が劣悪であった)、劉邦は這う這うの体で落ち延びた。

「賴朝(らいてう)、大場(おほば)が攻めを免かれし」前の「沛公」と対句にするために音読みしているだけで源頼朝のこと。「大場」は大庭景親(?~治承四(一一八〇)年)の誤り。治承四(一一八〇)年、以仁王の令旨を奉じて伊豆で挙兵した頼朝と平氏方の大庭景親らとの間で行われた「石橋山の戦い」。その前哨戦であった伊豆国目代山木兼隆の襲撃殺害は成功したが、ここでは大庭勢に完敗して敗走、土肥実平らと小人数で洞窟に潜んだものの(土肥の椙山(すぎやま)の「しとどの窟」とされる)、本シークエンスとやや似る)、死を覚悟したが、平家を見限っていた梶原景時の見逃しや箱根山の箱根権現社別当行実の匿いを受けて、辛くも小舟で真鶴岬から安房国へ落ち延びた。

「洛陽」京。

「郷(さと)」荻田安静の郷里。不詳ながら、京阪のどこかである。]

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