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2017/07/04

和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 螢


Hotaru

ほたる    夜光  熠燿

       卽炤  夜炤

【音熒】  景天  救火

       
㨿火  挾火

ヨン     宵燭  丹鳥

 

本綱螢有三種其小査飛腹下光明乃茅根所化也呂

氏月令所謂腐草化爲螢者是也

長如蛆蠋尾後有光無翼不飛乃竹根所化也【一名蠲】明堂

月令所謂腐草化爲蠲者是也

水螢居水中皆感濕熱氣遂變化成形

螢能辟邪明目蓋取其照幽夜明之義耳

螢火丸【一名冠將丸又名武威丸】用螢火鬼箭羽蒺黎【各一兩】雄黃雌黃

【各二兩】羖羊角【煅存性一兩半】礬石【火燒二兩】鐵鍾柄入鐵處【燒焦一兩半】俱

爲粉末以雞子黃丹雄雞冠一具和搗千下丸如杏仁作三

角絳囊盛五丸帶於左臂上從軍繫腰中辟五兵白刃居

家掛戸上甚辟盜賊也又能治疾病惡氣百鬼虎狼蛇虺

蜂蠆諸毒昔漢冠軍將軍武威太守劉子南從道士尹公

受得此方曾試之有效驗

  堀川百首

     五月雨に草の庵は朽つれとも螢と成そ嬉しかりける 匡房

△按螢【和名保太流】大抵大三四分黑色而兩額有赤點有臭

氣其尻銀色處夜出光裹紙亦光徹外用麥碎如

銀砂也江州石山寺溪谷【名試乃谷】螢多而長倍于常因呼

其處名螢谷北至勢多橋【二町許】南至供江瀬【二十五町】其間

群飛高十丈許、如火熖或數百爲塊從毎芒種後五日

至夏至後五日【凡十五日】爲盛無風雨不甚晴夜愈多矣但

北限橋東限川甞不有之又過時節則全無之其螢下

到山州宇治川【約三里許】夏至小暑之間爲盛然不如石山

之多此西限宇治橋不下也俱爲一異也茅根腐草

所化者常也此地特茅草不多俗以爲源頼政之亡魂

亦可笑焉此時也螢見遊興群集天下所知也

蠲【豆知保太留】俗云土螢也田圃溝邊有之無翅不能飛而光

 

 

ほたる    夜光  熠燿〔(しふえう)〕

       卽炤〔(そくせう)〕  夜炤

【音、熒。】景天  救火

       
㨿火〔(きよくわ)〕  挾火

ヨン     宵燭  丹鳥

 

「本綱」、螢、三種、有り。其の小にして、査[やぶちゃん注:「宵(よひ)」の誤り。]、飛び、腹の下に光明あり。乃ち、茅根〔(かやのね)〕の化す所なり。呂〔(りよ)〕氏の「月令〔(がつりやう)〕」に所謂〔いはゆ〕る、「腐草、化して、螢と爲る」とは是れなり。

長さ、蛆〔(うじ)〕・蠋〔(けむし)〕のごとく、尾の後〔(しり)〕へに、光、有り。翼、無くして飛ばず。乃〔(すなは)〕ち、竹根の化する所なり【一名、蠲〔(けん)〕】。明堂の「月令」に所謂る、「腐草、化して蠲と爲る」とは是れなり。

水螢は水中に居〔(を)り〕。皆、濕熱の氣に感じて、遂に變化して形を成す。

螢は能く邪を辟〔(さ)〕け、目を明にす。蓋し、其〔の〕照幽夜明の義、取るのみ。

螢火丸【一名、冠將丸。又、武威丸と名づく。】 螢火・鬼箭羽〔(きせんう)〕・蒺黎〔(いつれい)〕【各一兩。】、雄黃・雌黄【各二兩。】、羖羊角〔(こようかく)〕【煅(ひいれ)して性〔(しやう)〕を存〔(のこ)すもの〕一兩半。】礬石〔(ばんせき)〕【火燒〔きせしもの〕二兩。】、鐵鍾〔(てつしよう)〕の柄〔(え)〕の鐵の入る處【燒〔き〕焦〔せしもの〕一兩半。】俱に粉末と爲し、以つて、雞子・黃丹・雄雞〔おんどり〕の冠(とさか)、一具を用〔ひて〕、和し、搗くこと千下〔(せんど)〕、丸〔(ぐわん)〕にして杏仁(きやうにん)のごとく〔し〕、三角の絳囊(もみぶくろ)を作りて五丸を盛り、左臂の上に帶〔(お)び〕て、軍〔(いくさ)〕に從ふに、腰の中に繫ぐ。五兵・白刃を辟く。居家〔(きよか)〕、戸の上に掛ければ、甚だ、盜賊を辟くなり。又、能く、疾病・惡氣・百鬼、虎・狼・蛇・虺〔(まむし)〕・蜂・蠆〔(さそり)〕の諸毒を治す。昔、漢の冠軍將軍武威太守劉子南、道士尹〔(いん)〕公より此の方〔(はう)〕を受得し、曾て之れを試みるに、效驗有り。

  「堀川百首」

     五月雨に草の庵は朽つれども螢と成るぞ嬉しかりける 匡房〔(まさふさ)〕

△按ずるに、螢【和名、保太流。】は大抵、大いさ、三、四分〔(ぶ)〕、黑色にして兩の額に赤點有り、臭(くさ)き氣(かざ)有り。其の尻、銀色の處、夜〔(よ)〕る、光を出す。紙に裹〔(つゝみ)〕ても亦、光り、外に徹〔(とほ)〕る。麥〔(むぎわら)〕を用ひて揉み碎けば、銀砂のごときなり。江州石山寺〔(いしやまでら)〕の溪谷(たに)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]【試(こゝろみ)の谷と名づく。】、螢、多くして、長さ、常の倍なり。因りて其處を呼びて螢谷と名づく。北は勢多橋に至る【二町許り。】。南は供江瀬〔(くがうのせ)〕に至る【二十五町。】其の間、群(むらが)り飛ぶこと、高さ十丈許り、火〔の〕熖(ほのを)のごとく、或いは、數百、塊(かたまり)を爲し、毎(まい)芒種の後(のち)五日より、夏至の後五日に至るまで【凡そ十五日。】、盛りと爲す。風雨無くして甚だ晴れざる夜、愈々多し。但し、北は橋を限り、東は川を限りて、甞て、之れ、有らず。又、時節を過ぐるときは、則ち、全く、之れ、無し。其の螢、下〔りて〕山州宇治川に到りて【約三里許り。】、夏至・小暑の間、盛りと爲〔す〕。然れども石山の多〔き〕には如〔(し)〕かず。此れも西は宇治橋を限りて下(さが)らざるなり。俱に一異と爲すなり。茅根〔(かやのね)〕・腐草の化する所は常なり。此の地は特に茅草〔(かやぐさ)〕の多からず、俗に以つて、源の頼政の亡魂と爲〔(す)〕るも亦、笑ふべし。此の時や、螢見の遊興、群集〔(ぐんじゆ)〕にして、天下の知る所なり。

蠲〔(けん)〕 【豆知保太留〔つちぼたる)〕。】俗に云ふ、「土螢」なり。田圃溝邊に之れ有り。翅、無く、飛ぶ能は〔ざれども〕光る。

 

[やぶちゃん注:鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コメツキムシ下目ホタル上科ホタル科 Lampyridae のホタル類。本邦には約四十種ものホタル類が棲息するが、特に知られているのはホタル亜科 Luciolinae Luciola(ルキオラ)属ゲンジボタル Luciola cruciata・ヘイケボタル Luciola lateralis・ヒメボタル Luciola parvula(本種はは翅が退化して飛翔出来ない)の他、マドボタル亜科 Lampyrinae のマドボタル属 Pyrocoelia のマドボタル類である。ウィキの「ホタル」によれば、この最後のマドボタル属 Pyrocoelia の『和名はオスの胸部に窓のような』二『つの透明部があることに由来する。メスは翅が退化していて、蛹がそのまま歩き出したような外見をしている。幼虫は陸生で、主に小型のカタツムリ類を捕食し、他の陸生のホタル幼虫に比べ』夜に特に『活発に光りながら』、『草や低木にもよじ登るので、よく目立つ。成虫はよく光る』種の他に、『痕跡的な発光しかしないものもある』(下線やぶちゃん)とあり、実は最後に出る「土螢」は本邦では、ホタル類の幼虫、特にこのマドボタルの幼虫を指すことが多いらしい。下線部から見て、寺島の言っている「土螢」はこのマドボタルの可能性が高いと考えてよい(この最後の部分は実はウィキの「ヒカリキノコバエ」に拠った。このヒカリキノコバエ(有翅昆虫亜綱新翅下綱内翅上目ハエ目長角亜目ケバエ下目キノコバエ上科キノコバエ科ヒカリキノコバエ(光茸蠅)属 Arachnocampa の幼虫は青白い光を発することから「土蛍(ツチボタル)」という通称で知られているのであるが、ご覧の通り、その成虫はホタルではなくてハエであり、しかも本邦には本種は棲息せず、オーストラリアやニュージーランドなどの洞窟にのみ分布するので注意されたい)。

・「査」本文で示した通り、「宵(よひ)」の誤り。「本草綱目」の「蟲部」(化生部)の「螢火」の「集解」の後半には、

   *

時珍曰、「螢有三種。一種小而飛、腹下光明、乃茅根所化也。呂氏「月令」所謂「腐草蛆」、明堂「月令」所謂、「腐草化爲蠲」者是也。其名宵行、茅竹之氣、遂變化成形爾。一種水螢、居水中、唐李子卿、「水螢賦何爲而居泉」、是也。入藥用飛螢。

   *

とある(下線太字やぶちゃん)。

・「茅根〔(かやのね)〕の化す所なり」後の「腐草、化して、螢と爲る」「竹根の化する所」などとともに中国の本草書が一様に化生類としてしまった元凶の濫觴である。

『呂氏の「月令」』秦の呂不韋の編になる百科全書的史論書「呂氏春秋」(成立年は未詳であるが、その大部分は戦国時代末期の史料に基づくと想定されている)の中の「月令(がつりょう)」。「月令」とは古漢籍に於いて月毎(ごと)の自然現象・古式行事・儀式及び種々の農事指針などを記したものを指す一般名詞である。

・「腐草、化して、螢と爲る」東洋文庫版(訳)の注には、これについて『現行の『呂氏春秋』は「腐草化爲蚈」である。漢の高誘の注に、「此書舊本作腐革化為蛍。蚈衍蛍字」とある』とある。しかし、この字は原義が蛍であり、次にヤスデ(多足亜門ヤスデ上綱倍脚(ヤスデ)綱 Diplopoda の意とあり、現代の中文サイトでもちゃんと蛍の意としている

・「蠲〔(けん)〕」実はこれこそヤスデ類を指す漢語である。

・『明堂の「月令」に所謂る、「腐草、化して蠲と爲る」とは是れなり』東洋文庫版(訳)の注には、これについて『明堂の「月令」とは『礼記』の月令のことであろう。現行の『礼記』は「腐草化為蛍」である。清の段玉裁の『説文解字注』に、「明堂月令曰腐草化為蠲」に注して、「許(『説文解字』)所拠者古文古説」とある』とある。しかし、考えてみると、腐った草は蛍よりぞわぞわしたかのヤスデ類の方が私はしっくりくるとは言っておこう。

・「水螢」これは以下の「濕熱の氣に感じて、遂に變化して形を成す」とあることから、大陸でホタル類の幼虫を広汎に指す語と考えてよかろう。しかし、とすれば、中国の本草学者は変態を観察しており、突如、全く異なったもの(カヤの根っこや腐った雑草)が化生して蛍になったとは思っていなかったことが判る。こうした段階を踏んだ完全変態を、しかし、狭義の意味での中国博物学に於ける「化生」としていいもんなのかなあ? 時珍先生に伺ってみたくなったわい。

・「照幽夜明の義」幽(かすかにして暗い状態)を照らし、夜にあって明るい光りを放つという蛍という生物の生態現象。

・「螢火丸」(けいかがん)はホタルを主製剤とした薬剤名。

・「螢火」先に示した「本草綱目」項目名で判る通り、ホタルのこと。ここは成虫個体(或いは幼虫も含まれるか)を乾燥させた生薬名と思われる。

・「鬼箭羽〔(きせんう)〕」本邦のニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属ニシキギ Euonymus alatusの茎についている翼状の付属物や、それを含めた枝の部分漢方での生薬名。月経不順・消炎・鎮痛・鎮静に用いられる。

・「蒺黎〔(いつれい)〕」ハマビシ目ハマビシ科ハマビシ属ハマビシ Tribulus terrestris。本邦では温暖な地方の砂浜に生える海浜植物であるが、乾燥地帯では内陸にも植生する。現在のハーブとして健康食品などに入れられており、果実を乾燥したものは「疾黎子(しつりし)」という生薬名で利尿・消炎作用を効能としている。

・「一兩」以前に注したが、明代のそれは三十七・八グラム。

・「雄黃」鶏冠石。毒性が強いことで知られる三酸化二砒素(As2O3 :英名 Arsenic trioxide)を含む。

・「雌黃」現行では前の「雄黃」と同一物であるが、前者が赤みを強い帯びたもの、こちらは黄味の強いものを指すのかも知れぬ。

・「羖羊角〔(こようかく)〕」東洋文庫版の割注には『黒ひつじの角か』とあるが、調べてみると、確かに中文医学のサイトではそうした記載もあるのではあるが、実はこれはマメ目マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属サイカチ Gleditsia japonica 或いはその枝の棘を指す語でもあるようであり、それは漢方では「皂角刺」と称して腫れ物やリウマチに効くとされる、とウィキの「サイカチ」にはあった。

・「煅(ひいれ)して性を存〔(のこ)すもの〕」東洋文庫版の割注訳には『性質が損なわれぬように煆(ひいれ)したもの』とある。「煅」は「薬石を火に入れて焼く」の意、「煆」は強い熱を加えるという意ではあるが、私の持つ原典では明らかに「煅」であることは断わっておく。

・「礬石〔(ばんせき)〕」明礬石(みょうばんせき)。カリウムとアルミニウムの含水硫酸塩鉱物。ここは「火燒」きしたものとあるから、「焼きミョウバン」(カリミョウバンの無水物)で現在も食品添加物として使用される。

・「鐵鍾〔(てつしよう)〕の柄〔(え)〕の鐵の入る處」よく分らないが、鉄製の鐘を吊り下げるための木製の支えで、その鐘の鉄製の突起が嵌められてあった箇所の木片ということであろうか? 識者の御教授を乞う。

・「雞子」(けいし)は鶏卵のこと。

・「黃丹」これは鉛丹(えんたん)で四酸化三鉛(Pb3O4)を主成分とする赤色の無機顔料であるが、鉛を多量に含むため、有毒である。

・「雄雞〔おんどり〕の冠(とさか)」「とさか」は原典のルビなのだが、これって実は「雄雞冠」でナデシコ目ヒユ科ケイトウ属ケイトウ Celosia argentea のことじゃないかなあ? と私は疑っている。干した花は漢方としてあり、アルカロイドやトリテルペノイドを含み、止血作用があるようではある。

・「一具」「螢火」からここまでの以上総て。

・「千下〔(せんど)〕」中国語の「下」には回数の「度」の意味があることから、かく当て訓した。

・「丸〔(ぐわん)〕にして」丸薬にして。

・「杏仁(きやうにん)」杏(あんず)の種。

・「三角の絳囊(もみぶくろ)」ケーキや菓子作りのデコレーションに用いる三角形のハトロン紙や布を巻き上げたコルネ(フランス語:cornet:「小さな角笛」の意)のようなものか。

・「五丸」その丸薬五粒。

・「五兵」中国に於ける戦闘用の五大武器。幾つかの説があるが、東洋文庫版の割注に従うなら、弓矢(ほこ:長い棒で、刃はなく、木或いは竹を束ねて作られたもの)・(ほこ:金属製の穂先を槍同様に柄と水平に取り付けたもの)・(ほこ:穂先を柄の先端に垂直に取り付け、前後に刃を備えたもの)・(げき:「矛」と「戈」の機能を併せ持ったもので両方に枝が出た三つ叉(また)のもので、漢代に於いて既に鉄製であった)。

・「漢の冠軍將軍武威太守劉子南」「冠軍將軍」「武威太守」は肩書き。「太平廣記」の「神仙十四」の「劉子南」に「神仙感遇傳」なるものを出典として、まさに以下のようにある。

   *

劉子南者、乃漢冠軍將軍武威太守也。從道士尹公、受務成子螢火丸、辟疾病疫氣、百鬼虎狼、虺蛇蜂蠆諸毒、及五兵白刃、賊盜凶害。用雄黃雌黃。各二兩。螢火鬼箭蒺各一兩。鐵槌柄燒令焦黑。鍜竈中灰羖羊角各一分半。研如粉麵。以鷄子黃並丹雄雞冠血。丸如杏仁大者。以三角絳囊盛五丸、常帶左臂上、從軍者繫腰中、居家懸戸上、辟盜賊諸毒物。子南合而佩之。永平十二年、於武威邑界遇虜、大戰敗績。餘衆奔潰。獨為寇所圍。矢下如雨、未至子南馬數尺、矢輒墮地、終不能中傷。虜以爲神人也、乃解圍而去。子南以教其子及兄弟為軍者、皆未嘗被傷、喜得其驗、傳世寶之。漢末、靑牛道士封君達得之、以傳安定皇甫隆、隆授魏武帝、乃稍傳於人間。一名冠軍丸。亦名武威丸、今載在「千金翼」中。

   *

・「堀川百首」平安後期の百首歌。「堀河院百首」他の呼称がある。康和四(一一〇二)年から翌年頃にかえて詠まれた複数の歌人の和歌を纏めて長治元(一一〇四)年頃に堀河天皇に献詠したものか。源俊頼・藤原基俊ら当時の歌人十四名の百首歌を収めている(やや異なった人選のものも伝わる)。

・「五月雨に草の庵は朽つれども螢と成るぞ嬉しかりける」平安後期の公卿で博覧強記の学者・歌人として知られた大江匡房(長久二(一〇四一)年~天永二(一一一一)年)の「堀川百首」中の一首(第四六六番)。この歌を良安が引いたのは、この歌自体が「礼記」の「月令」を下敷きにしたものだからである。

・「三、四分」一センチ弱から一・二センチメートル。ちょっと標準より小さめの数値である。

・「臭(くさ)き氣(かざ)有り」種によって異なるが、多くのホタルは強い圧迫を加えると体の特定の場所から粘液質の体液を出し、この物質は時間が経つと堅くなって、非常に不快な臭いを発し、これは自己防御反応と考えられている。私は生憎、その匂いを嗅いだことがないのだが、ネット上では厭な匂いとする記載が多い。

・「江州石山寺」現在の滋賀県大津市石山寺にある真言宗石光山石山寺。(グーグル・マップ・データ)。

・「溪谷(たに)【試(こゝろみ)の谷と名づく。】」「螢谷」石山寺の北北西五百メートルほどの位置(瀬田川右岸)に現在、滋賀県大津市螢谷という地名及び同名の公園がある。

・「長さ、常の倍なり」井上誠氏の論文「千丈川におけるホタル生息状況について」(PDFでネット上からダウン・ロード可能)を見るに、これはゲンジボタル Luciola cruciate である。

・「北は勢多橋に至る【二町許り。】」「二町」は二百十八メートル。現在の大津市螢谷の町域の北の端からは百七十九メートルで瀬田の唐橋西詰に至る。

・「南は供江瀬〔(くがうのせ)〕に至る【二十五町。】」「二十五町」は約二・七キロメートル。これは「供御瀨(くごのせ)」のことで、現在の滋賀県大津市田上黒津(たなかみくろづ)町付近にあった浅瀬のこと。ここには天皇や将軍の食膳に供するために「田上の網代(あじろ)」が設けられて氷魚(ひうお:鮎の稚魚)を漁ったことからこの名が生まれたと伝えられている。現在の黒津地区と石山寺の距離はここに示された距離と完全に一致する。

・「十丈」三十メートル強。ホタルの飛翔可能高度はより飛ぶことの出来るでも十メートル程度で、これはかなりの誇張表現である。

・「芒種」(ぼうしゅ)は二十四節気の第九で旧暦四月後半から五月前半に当たる。現在の六月六日頃。芒(のぎ:イネ科植物の果実を包む穎(えい:籾殻にある棘状の突起)のこと)のある穀物の種を蒔く頃の意。

・「夏至」芒種の次の節気で旧暦の五月の内。現在の六月二十一日頃。

・「山州」山城国。

・「小暑」夏至の次の節気で旧暦の五月後半から六月前半。現在の七月七日頃。梅雨明けが近づき、暑さが本格的になる意。

・「宇治橋」京都府宇治市宇治里尻の宇治川(瀬田川下流の京都府内になってからの呼称)に架橋するそれ。(グーグル・マップ・データ)。

・「源の頼政の亡魂と爲〔(す)〕る」概ね平家によって排された源氏の一党の中で中央政権で命脈を保ちながら、治承四(一一八)年に後白河天皇の皇子以仁王と結んで、平家討伐の挙兵を計画、諸国の源氏に平家打倒の令旨を伝えるも、平家の追討を受けて宇治平等院の戦いで敗れ自害した源三位頼政(長治元(一一〇四)年~治承四(一一八〇)年)。ウィキの「ゲンジボタル」には、『平家打倒の夢破れ、無念の最期を遂げた源頼政の思いが夜空に高く飛び舞う蛍に喩えられた』とあり、『平家に敗れた源頼政が亡霊になり蛍となって戦うと言う伝説があり、「源氏蛍」の名前もここに由来している』とほぼ断定的に言いつつ、その後で、『また、腹部が発光する(光る)ことを、「源氏物語」の主役光源氏にかけたことが由来という説もあり、こちらの場合は清和源氏とは関係はない』。『より小型の別種のホタルが、最終的に源平合戦に勝利した清和源氏と対比する意味で「ヘイケボタル」と名づけられたという説もある』と記す。なお、頼政の家集には、

 

 いざやその螢の數は知らねども玉江の蘆の見えぬ葉ぞなき

 

という大治四(一一二九)年の吟が残り、先の井上氏の論文では或いはこの一首は石山寺のゲンジボタルを詠んだものではないかとされておられる。化生説を馬鹿の一つ覚えで繰り返す良安の「笑止」なんぞより、遙かに私には腑に落ち、共感したことを述べて終りとしよう。]

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