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2017/07/13

宿直草卷三 第十五 鼠、人を喰ふ事 / 卷三~了

 

  第十五 鼠、人を喰(く)ふ事

 

 津の國多田の庄の者、心地あしくて臥すに、大(おほい)なる鼠、來(き)て、足の裏を嚙(か)ぶる。追(をへ)ども逃(にげ)ずして終(つゐ)に打ち殺す。又、餘(よ)の鼠、來て、喰らふ。これも殺すに、殺せども殺せども、來り來りて、さらに鼠、盡きず。

 後(のち)は、猫を多く置けども、十(とを)や十五こそ猫も獲らめ、日に三十、四十、五十程なれば、如何ともしがたし。

 番して守れども來(き)、松板(まついた)にて圍みぬれど、板喰らい拔いて來る。後には、鼠、數(かず)增して食らひければ、此者、遂に、まかれり。例(ためし)、稀れにこそ侍れ。

 ある席(むしろ)にて語れば、

「それは癩氣(らいき)ありて、鼠の付きてこそさふらはめ。凡そ思ふに、鼠にはあらで病(やまひ)なり。大坂龍城の年、船場(せんば)南の御堂(みだう)の門前に乞食(こつじき)あり。かなしき身さへ佗しきに、あまさへ、癩氣なり。ある夜、鼬(いたち)ほどなる鼠、足の腓(こぶら)を、したゝかに喰らふ。それより、ひたもの、多く來(く)る。手木(てぎ)を拵へ、殺せども、白(しら)まず。一夜に二、三十殺されても、猶、來る。寺家(じけ)の人々も不憫(ふびん)の者にして、六尺に、四尺に、松板をもて番屋ほどのことして勞(いたは)れど、この板も喰い拔きて來(く)る。さらばとて、屋敷のうち、あのもこのもに所を替(か)ゆれ共、その甲斐もなくなく、喰らひ殺せり。」

と云へり。

 數のまかり樣(やう)こそあるに、かゝる有樣、大方(おほかた)の因果なり。

 知らず、誰(た)が身の上に如何なる災いに遭ふべきを。たゞ、一(いつ)の煙の種(たね)なりし身の、永(なが)らへなんほどばかり、物狂(ものぐる)ほしきなけれ。

 

[やぶちゃん注:「津の國多田」岩波文庫版の高田氏の注では、『現在の兵庫県川西市多田院のあたり』とする。(グーグル・マップ・データ)。

「癩」現在はハンセン病と呼称せねばならない。抗酸菌(マイコバクテリウム属Mycobacteriumに属する細菌の総称。他に結核菌・非結核性抗酸菌が属す)の一種であるらい菌(Mycobacterium leprae)の末梢神経細胞内寄生によって惹起される感染症。感染力は低いが、その外見上の組織病変が激しいことから、洋の東西を問わず、「業病」「天刑病」という誤った認識・偏見の中で、今現在まで不当な患者差別が行われてきている(一九九六年に悪法らい予防法が廃止されてもそれは終わっていない)。歴史的に差別感を強く示す「癩病」という呼称の使用は解消されるべきと私は考えるが、何故か菌名の方は「らい菌」のままである。おかしなことだ。ハンセン菌でよい(但し、私がいろいろな場面で再三申し上げてきたように言葉狩りをしても意識の変革なしに差別はなくならない)。ここはその「癩」病の「氣」(かざ:気配)を鼠が恐ろしく敏感に嗅ぎつけて襲来するのに違いないと言っている。即ち、それは鼠が襲おうと思ってやってくるのではなく、そうした「癩」の「病」いが原因なのだと、判ったようなことを言っているのである。

「船場(せんば)」現在の大阪府大阪市中央区西側に残る地域名。河川と人工の堀川に囲まれていた四角形の地域で、範囲は東端が東横堀川、西端が西横堀川(埋立られて現存せず)、南端が長堀川(同前)、北端が土佐堀川で限られた東西一キロメートル、南北二キロメートルの区画に相当する。江戸時大坂の町人文化の中心となったところで、現在に至るまで大坂の商業中心地区である。附近(グーグル・マップ・データ)。

「南の御堂(みだう)の門前」現在の御堂筋にある南御堂(東本願寺難波別院)。(グーグル・マップ・データ)。ここの東からその南一帯が船場。

「腓(こぶら)」腓(こむら)。

「ひたもの」既注。副詞で「一途に・只管(ひたすら)・矢鱈(やたら)と」の意。

「手木(てぎ)」短い棒。

「白(しら)まず」一向に鼠襲来の勢いが収まらない。

「番屋ほどのことして」鼠を防禦用の柵や、撃退するために見張りするための番屋ほどの仮小屋まで作って。

「屋敷のうち、あのもこのもに所を替(か)ゆれ共」かく言っているところから見て、恐らくは南御堂東本願寺の、この地区に住まう信者らが日を変えてはこのハンセン病の乞食を預って、屋敷や長屋の内に避難させていたことが読み取れる。

「そ甲斐もなくなく」「なく」のダブりはママ(原典では踊り字「〱」)。私はまず見かけたことはないが、一種の強調形か。

「數のまかり樣(やう)こそあるに」襲ってくるさま、その鼠の数の異様な多さが、これ、尋常ではなく、自然の偶発的大発生や鼠の生態や習性では説明出来ないからこそ。これはまさに「大方(おほかた)の因果な」のだ、というのである。荻田の言わんとする実に忌まわしい(間違えては困るが、荻田が、である)ところが見えた。彼も所詮、ハンセン病を業病としてしか捉えていないのである。私は寧ろ、このハンセン病に罹患した乞食を何とか鼠の害から救おうと努力した人々をこそ忘れない。

「たゞ、一(いつ)の煙の種(たね)なりし身の、永(なが)らへなんほどばかり、物狂(ものぐる)ほしきなけれ」どうも気に入らないね、荻田よ、あんたは長生きも望まず、長生きもしなかったのかね? あんたがここで確信犯で下敷きにした(「鳥部山の烟」「物ぐるほし」)「徒然草」を書いたあの兼好はどれだけ長生きしたかよう知っておろうほどに(満六十九か六十七ほど)。]

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