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2017/07/10

宿直草卷三 第十 幽靈の方人の事

 

  第十 幽靈の方人(かたうど)の事

 

[やぶちゃん注:最初に注しておく。「方人(かたうど)」とは味方となる人の意。]

 

 關(せき)の東(ひがし)に幽靈の方人して命を失ふものあり。

 餘所(よそ)の國にも時花(はや)るにや、いたづらなる男ありて、召し使ふ女に、何時しか色深くなれり。妻(つま)もまた、生妬(なまねた)き生れつきなりければ、背(そ)むき背(ぞ)むきになる否(いな)せもせぬ中(なか)、生憎(あやにく)思へども、猶、夜に增(ま)し日に增して、止まず。あまさへ、薄き袂に秋風の身にしむ怨み淺からず、提子(ひさげ)の水の湧きかへり、戀(こひ)られし事も有物(あるもの)を、うつろひやすき花色の、かさねの衣(きぬ)の下(した)こがれ、つくべきかたも荒磯(あらいそ)の、浪に流るゝ捨小舟(すてをぶね)、かはく間もなき身を知る雨の、降りみ降らずみ定めなき、人のつらさの積もりきて、妻は例(れい)ならず煩ひけり。

 色々に療治すれども、風寒暑濕(ふうかんしよしつ)の外(ほか)なれば、神丹(しんたん)・伽陀(かだ)の醫術もなし。夫(をつと)もさすが濡れにし袖の、今こそはあれ昔の契り、哀れにや思ひけん。枕に寄りて口説(くど)きけるは、

「病の品も變りきて、もはや、ながらへ給ふべきにもあらず。思ひ置く事のあらば、云ひ置き給へかし。」

と云ふ。

 妻、苦しげなる聲に、問へばこそ云ふ風情して、

「人はあくまで辛(つら)くとも、如何(いか)で情(なさけ)を忘るべき。岩間(いはま)の貝の甲斐もなく、片思ひなる緣(よすが)ながら、年ごろ馴れし御袖に、別れゆくこそいと悲しけれ。よし、それとても陸奧(みちのく)の、忍ぶに餘る怨みをば、生きて物思はんよりも、消えてうれしき命にてこそさふらへ。さるにてもはかなきは、かくとも知らぬ睦言(むつごと)に、ともに遠山(ゑざん)の雪を見んと、餘所(よそ)には知らぬ豫言(かねごと)を、小夜(さよ)の枕に交(かは)せしも、皆、僞りの世なりしを、誠(まこと)と恃(たの)むあだ心、さこそおかしく思すらめと、去(い)にしことを罪深くも悔(くや)み侍り。然るを、今も眞顏(まことがほ)に『思ひ置く事云ひ置け』なんどのたまひて、嬉しき淚の幸ひに、僞り給ふ御心。たらさるゝこの身より、そなたのためにいと罪深(つみふか)く見え給へり。如何なれば情(つれ)なくも、かほど憎まれ參らせしと、我身恨みて侍るなり。申(まうし)置く事、何かあらん。我が僞りより、人の誠(まこと)の恃まれずよと、思へば、淚さへ。」

と云ひて、また、引き被(かづ)きてぞ臥す。

 男、聞(きき)て、

「尤(もつとも)なり。梓弓(あづさゆみ)の引(ひく)方(かた)に心を亂し、其處(そこ)の契りは離(か)れ離れに、今咲く花の香(か)を留(と)めて、色も人目に餘(あま)りしを、限りなふ口惜しく、又、そなたの恨み恥づかしうして、ことはるに言葉もなし。今思ひ當たりて懲り果てたれば、向後(ゆくゑ)なりともたしなむべきなり。かほどに云ふとても、年ごろ誤まりし我なれば、今の約束も、誠(まこと)とは思ひ給ふまじ。遠くは三世(みよ)の佛、近くは日の本(もと)の神かけて、云ひ置く事を育てん。此誓文(せいもん)に心をはらし、日來(ひごろ)の怨みも解け給ひ、心やすく黃泉路(よみぢ)をも越え給へ。遺言(ゆいげん)なりとも守らん。」

と聞えしかば、妻、眞實(しんじつ)のほど打(うち)聞きて、

「さては、さやうに思しめすぞや。今までの恨みも解けてこそ候へ。思ひ殘す事、別(べち)のことにてもさふらはず。我、むなしくなるならば、似合はしきを語らひ給へ。露(つゆ)さらそれに恨みなし。何(いか)なれば、我、吝心(やぶさかごゝろ)の深くして、わが身ながら、かく思ふとまで恥(はぢ)がはしけれど、今、目(め)を懸け給ふ者に、早く暇(いとま)を給ひさふらはゞ、三瀨(みつせ)の川の水を掬(むす)び、死出(しで)の山の月を見るにも、心の闇も晴れなまし。今は、うれしや。」

とまかりしが、めざましきまで生妬(なまねた)し。

 僧を請じて葬(はうふ)り、塚、つきて、閼伽(あか)を汲(くみ)けり。

 去者日疎(さるひとはひゞにうとし)と書けり。案のごとく、彼(かの)夫(おつと)、他(よ)の妻も迎へず、又、畏(おそ)ろしき誓文も立てしかば、妾(てかけ)の蓆(むしろ)も蹈まず、堪(こら)へ濟まして有しが、つらつら淋しくやありけん、燃へ杭(ぐひ)の火の點(つ)き易き例(ためし)、うしろめたくも轉(ころ)び寢に、昔の袖の移り香(が)の、さすが已(や)まれずもなり行(ゆき)て、また、淺からぬ中(なか)となる。やすく立てたる誓文の、末(すゑ)思はるゝわざなりけらし。

 あまさへ今は閏(ねや)を一つにして、本妻のごとし。言立(ことだ)つ祝ひなどして、場(ば)晴れて夫婦となる。緣(ゆかり)・友達(ともどち)なんど否(いな)めば、其者、仇(あた)に思ひければ、後(のち)は異見する人もなく、いよいよ恣(ほしいまゝ)に振舞ふ。これより、初めの女房、幽靈になりて、

「塚、動き、墓、騷がしき。」

など云ひて、暮(くる)れば、里の子、恐れ合ひけり。げに、草葉の蔭とやら云ふ所の恨み、さもこそと、いたはし。

 其比、その村近き所に、茶を啜(すゝり)て集まりし者、とりどり、この話をする。一人がいはく、

「何ぞの事かあらん。僞りにこそ。」

と云ふ。座中、色めいて、

「しからば、行きて見よ。」

と云ふ。

「德もなき事に何かせん。」

とあれば、座中の者、

「行たらんには、人々して、そちを、每日、ふるまはん。又、得行かずば、我々を振舞へ。」

と、はや、賭德(かけどく)になる。

「尤(もつとも)。」

と同心す。

「その塚の上に、これを證(しるし)に立てよ。」

とて、竹に挾める札(ふだ)を渡す。

 やがて受け取り、墓に行、墳(つか)に立つれども、石金(いしかね)のごとくして、立たず。力を出だすに、其(その)甲斐なし。

 かゝる所へ白き裝束(しやうぞく)に、長髢(ながかもじ)の者、來たれり。

「何者ぞ。」

と云へば、

「我は其里の其れが妻也。夫に怨み有(あり)て思ひ死(じに)に死にたり。然るに、御身、こゝに來て札立(たて)給ふとも、我、合點せずは、引拔きて捨(すて)ん。札立てたくは、我(わが)賴む事も聞給へ。然らば、札、立(たて)させ申べき。」

と云ふ。

 男、聞きて、人の云ふは僞りならず、哀れなる事よ、と思ひ、

「さて賴むとあるは、如何樣(いかやう)なる事ぞ。」

と云へば、

「さればとよ、我が元の家(いへ)に、今、住(すみ)侍る女の、やるかたもなく憎ふ候へども、門に寺々の札の貼(を)してさふらへば、内に入(いり)て怨みをえ遂げず。これをまくり給はらば、おびたゞしき恩(をん)たるべし。」

と云ふ。

「やすき事なり。まくりて參らせん。」

と云ふに、女は、かき消(け)ちて、失せぬ。

 さて、證(しるし)の札を立つるに、何(なに)の子細も無ふ立ちたり。

 翌(あく)る日、人々、行き見るに、證(しるし)有(あり)ければ、捷(かけ)に負けて、振舞ふて囘(まは)す。

 かく、その振舞ひ、この料理(れうり)とて、かの門の札、まくる事を打(うち)忘れしに、ある夜、かの男の門(かど)を叩く。男、起きて、

「誰(た)ぞ。」

と云へば、墓にて逢ひし女、

「さてさて、御身は聞えぬ事かな。かゝる手柄は誰(た)がさする事ぞや。今宵(こよひ)か行夜(ゆくよ)かとて、度々(たびたび)來りて見れども、未だまくり給はず。さてさて、恨み入(いり)候。今、行きてまくり給へ。さなくは御身を怨みん。」

と、其(その)形、鬼のごとくになる。

 否むべきやうなかりければ、やがて行きつつ、門に貼りたる午王札(ごわうふだ)どもまくり捨(すて)て、大野(おほの)に火を付たる心地して、さらぬ體(てい)にて臥すに、又、宿にありし女房、咎(とが)めて云ふやう、

「今は何方(いづく)へ行き給ひしや。」

と。男、やす大事の事なれば、深く裹(つゝ)み、

「さる事ありて。」

と云ふに、なべて女の癖かは、何處(どこ)にもはやる悋氣(りんき)して、

「さる事とばかりは聞えず。聲を聞けば、若き女と連れ出(いで)て、今まで居給ふ不思議さよ。是非、聞かさせ給へ。もし、我(われ)聞かぬ事ならば、よしや、暇(いとま)を給へ。後に捨られ參らせて、あだにもならば、如何(いかゞ)せん。」

など託(かこ)ちければ、今ははや、云はねばならぬやうになりけり。

 さて、件(くだん)の樣子、裹まずも語りければ、女、聞きて、大きに驚き、

「いたはしや、今なん、其處(そこ)には如何なる憂き事かあらん。」

と云ふ。

「あなかしこ、人に洩らすな。」

と云ふにぞ、心得て止みぬ。

 さて、翌(あく)る日の取沙汰を聞けば、其里のその人の妻こそ、初めの妻の幽靈の來て、喉(のど)を絞(し)めて殺せりといふ。

『扨はそうか、我、手傳ひして殺したる事よ。あは、無慙や。』

と思へども、二人の心に濟まして、人、更に知らざりしに、此事、現はれん端(はし)にや、日暮し、此者、ひよつと、女夫諍(めをといさか)ひし出(いだ)す。扱(あつか)ひ草の繁(しげ)きにも、中(なか)を直らず。男、腹を据へ兼て、油德利(あぶらどくり)下げさせて、此(この)女房を去る。

 女、腹立(たて)て、

「何がな、男の憎さげを云はん。」

と、此事を思ひ出し、かの喉絞められし女の親の方へ告ぐる。三年過(すぎ)たる事なれども、なじかは堪(こら)ふべき、親、大きに腹を立(たて)て、公儀へことはる。

 對決迄もなく、かの男、落ちたり。

 やがて掟目(をきめ)に遭ふ。

――此者幽靈の方人(かたうど)なる故斯くの如く行なふもの也――

と、札に立(たて)たり、となん。

 また、聞く人の鑑(かゞみ)ならずや。

 夫婦(ふうふ)中良(なかよ)きを「琴瑟(きんしつ)の調(てう)」と「毛詩」には譽(ほ)め、夫婦不和なるをば、「易」には「反目(へんぼく)」と嫌へり。恥(はぢ)、巷(ちまた)に出(いで)、譽(ほまれ)、世に高きも、夫婦の中の善惡(ぜんあく)にあり。あゝ、保呂亂(ほろみだ)すべからず。昔の二神(ふたはしら)、天(あま)の浮橋(うきはし)にして、みとのまぐばいし給ひてよりこそ、妹背山(いもせやま)の高き例(ためし)にも立ちたれ。二人の中(なか)、背(そむ)き背(ぞむ)ぎになりては、子孫までも恥を殘す。匹夫匹婦(ひつふひつふ)も、夫(それ)、義を違(たが)ふべからず。況(いはんや)、その餘りをや。

 

[やぶちゃん注:本書では特異的に長い作品である。罪状札の箇所にダッシュを用いた。

「時花(はや)るにや」「はや」は「時花」二字へのルビ。流行る。

「いたづらなる男」ここは近世語で好色な男の意。

「生妬(なまねた)き」嫉妬深い。

「背(そ)むき背(ぞ)むきに」岩波文庫版の高田氏の注に『夫婦の仲がこじれるさま』とある。

「否(いな)せもせぬ中(なか)」「中」は本篇では概ね「仲」の意で用いている。岩波文庫版の高田氏の注に『いやおうなしの仲』とあるが、ここは前の形容の屋上屋であろうから、夫婦仲が決定的に最悪の状態となることを言っている。

「夜に增(ま)し日に增して、止まず」物理的現象としては夫の下女との情交を指すのであるが、ここはそれに夫婦間の相克感情の悪化のそれを重層する。

「提子(ひさげ)の水の湧きかへり」岩波文庫版の高田氏の注には、『提子は湯や酒を入れる小型の金属製の器。そ』れに入れた火にかけているわけでもないのに湯や酒が激しく沸騰する、『湧くというのは、女の嫉妬の甚だしいたとえ』であるとある。

「戀(こひ)られし事も有物(あるもの)を」互いに恋し恋われた昔もあったのに。

「こがれ」嫉妬に焼け「焦がれ」に「漕がれ」を掛けて、以下の「つく」(嫉妬が「盡く」に「着く」と「舟が着岸する」の意を掛ける)・「かた」(「方」に「潟」を掛ける)・「荒磯」・(「あら」(ばこそ)を掛ける)・「浪」・「流る」「捨小舟」・「かはく」(の「かは(川)」)が全て縁語。

「風寒暑濕(ふうかんしよしつ)の外(ほか)」外因性疾患でないもの。

「神丹(しんたん)」神仙の玄妙な秘薬。効果があるとされる高価な薬物の譬え。

「伽陀(かだ)の醫術」岩波文庫版の高田氏の注には、『華厳経等にある仏教の不死薬』とあるが、私は「醫術」とあるからには寧ろ、「三國志演義」などで知られる中国後漢末の薬学や鍼灸に非凡な才能を持ったとされる伝説的医師華佗(?~二〇八年)で、名医の譬えと読んだ。

「岩間(いはま)の貝の甲斐もなく、片思ひなる緣(よすが)ながら」「岩間」は「言は」を掛けて「言っても詮ないこと乍ら」の意を掛ける。磯の岩の間の貝は「甲斐」の序詞であるが、同時に張りついた鮑(あわび)を指し、それが「片思ひ」を引き出すハイブリッドな序詞となっている。

「かくとも知らぬ」こうした結末を迎えるということをつゆ知らずにかつてあなたを素直に信じ愛していた折りの。

「餘所(よそ)には知らぬ」閨房での睦言であるから誰も知らぬ。

「豫言(かねごと)」秘密の約束。この辺りは白居易の「長恨歌」が下敷きであろう。

「たらさるゝ」岩波文庫版の高田氏の注に『甘い言葉にあざむかれる』とある。現在の「調子のいいことを言って騙す・垂らし込む・誑(たぶら)かす」の意の「誑(たら)す・垂らす」に受身の助動詞「る」が付いた形である。

「梓弓(あづさゆみ)の引(ひく)方(かた)に心を亂し」「梓弓の」は「引(ひく)」の枕詞。自身の欲情に引かれるままに心を乱して、つい、下女と関係を持ってしまい。

「其處(そこ)」二人称。そこもと。話者である妻を指す。

「今咲く花の香(か)を留(と)めて」若い下女の肉体にすっかり惹かれ溺れてしまって。

「色も人目に餘(あま)りしを」そうした不道徳な噂も周囲の知れ、目に余ることと皆に思われしまったことは。こういう、家庭内不倫がかなり知れ渡っていた状況にあったことは、妻の死後に男がこの下女を正式に後妻として迎えた際に、「緣(ゆかり)」(親類縁者)や「友達(ともどち)なんど否(いな)」んだものが有意にいたことがその証拠であると考えている。

「ことはる」ここは「理(こと)わる」(歴史的仮名遣)で、「説明する・説き明かす・弁解する・言い訳する」の謂いであろう。後の「公儀にことはる」も同じで「公儀に上申書で縷々説明して訴え出る」。

「たしなむ」慎む。

「三世(みよ)の佛」三世仏。過去仏(阿弥陀如来)・現在仏(釈迦如来)・未来仏(弥勒菩薩)。

「育てん」自らを教導しよう。

「似合はしきを語らひ給へ」また、あなたさまにまことに相応しいお方とお結ばれ下さいませ。ここには絶対的に嫉妬した相手である下女は埒外であることを確認せねばならない。だからこそ、後の「何(いか)なれば、我、吝心(やぶさかごゝろ)」(未練)「の深くして、わが身ながら、かく思ふとまで恥(はぢ)がはしけれど、今、目(め)を懸け給ふ者に、早く暇(いとま)を給ひさふらはゞ」という絶対条件が示されるのであり、その禁忌が破られるからこそ、不可逆的カタストロフが招来されてしまうのである。

「三瀨(みつせ)の川」亡者が冥途に向かう途中で渡渉せねばならぬとされる「三途の川」の別称。渡る瀬は緩急異なる三箇所があって、各人の生前に成した善悪の行為によって渡る場所が異なるとされる。

「水を掬(むす)び」水を左右の手で掬って遊ぶ。岩波では『結び』であるが、ここは「掬」でなくてはだめである。

「めざましきまで生妬(なまねた)し」最期の最後までまっこと、気に障る、厭な感じの恨みがましさである。筆者の評言。私はしかしそこまでの不快感を持つような嫉妬心とは思わぬ。

「閼伽(あか)」仏に供える神聖な水。

「去者日疎(さるひとはひゞにうとし)」「古詩十九首」の「其一四」(五言古詩)の冒頭に基づく諺。同詩の冒頭二句は「去者日以疎 來者日以親」(去る者は 日々に以つて疎(うと)く 來(きた)る者は 日々に以つて親しむ)。

「畏(おそ)ろしき誓文」底本あは平仮名、岩波文庫版は『恐ろしき』とするが、ここは神仏への起請文であるからこそ「畏れ」なのであると私は考え、かく漢字化した。

「妾(てかけ)の蓆(むしろ)」岩波文庫版の高田氏の注によれば、『愛人を置いてある』別な『家』とする。

「つらつら」ここは「よっぽど」の謂いであろう。

「燃へ杭(ぐひ)の火の點(つ)き易き」所謂、「焼(や)け木杭(ぼっくい)に火がつく」のこと。「焼け木杭」は「燃えさしの切り株或いは焼けた杭」のことで、「ぼっくい」は「棒杭(ぼうくい)」の音変化。一度、焼けて炭化した木材は再び火がつき易いことから、過去に関係のあった者同士が再び元の関係に戻ることを指すが、恋愛・情愛関係に於いて本格的に再燃した場合について専ら使われる。

「言立(ことだ)つ祝ひ」「言立て」とは「宣言・誓約」のことであるから、婚約で、当時の結納の儀を指すか。

「そち」岩波文庫版の高田氏の注には、『馳走。その者の好物をふるまうこと』とある。目下の者を呼ぶ二人称ととらないのは助詞の「を」のせいか。

「賭德(かけどく)」賭け事。「どく」は「禄(ろく)」の転とも、名詞に付いて、その状態や趣きを帯びる意の動詞を作る接尾語「づく」の転ともされる。

「長髢(ながかもじ)」岩波文庫版の高田氏の注は『結わず長く垂らした髪形』とある。

「其里の其れが妻也」実際の村名と人名を意識的に筆者が伏せたもの。

「まくり」は「捲る」で、引き剝(はが)す。

「捷(かけ)」「捷」の原義は「分捕(ぶんど)る/分捕り」「勝つ/勝ち・勝ち戦さ」の意があるので、「賭け」のそれを当て訓したものであろう。

「行夜(ゆくよ)」明日の夜。

「午王札(ごわうふだ)」牛王宝印(ごおうほういん)。社寺から出される厄除けの護符。紙面に社寺名を冠して「~牛王宝印」と書き、その字面に本尊などの種子梵字を押し、神仏を勧請(かんじょう)したものであることを表わしたもの。最も広く用いられたのは熊野三山(本宮・新宮・那智)の熊野牛王で(私は三種とも今これを書いている書斎に掛けてある)、他に奈良東大寺二月堂・石清水八幡宮や豊前彦山・加賀白山などからも出されている。版刻のものが殆んどであるが、大和金峯山のものは筆書きである。家に張ったり、携帯したりして護符として用いられたが。中世以降はこの裏面に起請文を書いて神仏に誓う形式が非常に盛行した。現存する最古の牛王宝印は,鎌倉時代の文永年間(一二六四年~一二七五年)の起請文に用いられた那智山のものである(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「やす大事」不詳。岩波文庫版では本文のこの「やす」の右にママ注記がある。「やす」をないものとして読んで問題なく意味は通ずる。

「もし、我(われ)聞かぬ事ならば」万一、妾(わらわ)にお聞かせ下さらぬ、聴かせも出来ぬ不埒なることだと言われるのであらば。

「よしや」「縱(よし)や」は副詞(副詞「よし」に詠嘆の間投助詞「や」の付いたもので、「ままよ!」の意。

「あだにもならば」「あだに」は形容動詞「徒なり」が相応しい。実質を伴わないさま・無駄な様子・何の甲斐のないことを意味する。ここは二人の夫婦関係が致命的に絶たれてしまうことになったならば、の意。

「此事、現はれん端(はし)にや」「端」は端緒。きっかけ。但し、陰気を持った幽霊の殺人に加担したということは、因果応報を受けること必定であるから、そうした報いの始まりの謂いも含んでいよう。

「ひよつと」ちょっとしたはずみで。ひょいと。

「扱(あつか)ひ草」夫婦喧嘩の仲裁をすう人。「草」は民草でそこから「繁(しげ)き」(そうした仲裁人が大勢いた)を縁語で出した。善意の人々が有意にいたのに、元の鞘に収まらず、三行半に及び、結果として処罰された点はやはり、前の注の因果応報を強く感じさせるものである。

「油德利(あぶらどくり)下げさせて」油徳利(あぶらとっくり)は民具で、灯明(とうみょう)などに用いる油の購入用や保存用の容器。通常は陶磁器製。これ一つが離婚時の財産分与というのは如何にも淋しいが、これが当時の常識だったのであろうか。

「憎さげ」「憎體」(にくてい/にくたい)は憎らしいさま。

「落ちたり」白状して罪を認めた。

「掟目(をきめ)」奉行所の仕置き。冒頭で「幽靈の方人して命を失ふものあり」と出るからには、結局は命を落とすこととなった処刑が加えられたことを意味している。しかし、仮に江戸時代の初期の設定の江戸が舞台だとしても、幽霊が犯人だ奉行所が認定することはあり得ないし、実行犯ではない(但し、従犯でも江戸時代の判例は大抵は現在の共同正犯と同等で、主犯と同じ程度か、それなりに重い処断が下されはした。この場合、前妻の霊が家屋に侵入するための手引を自己の意志で完遂した点では立派な共同正犯ではある。また、霊が後妻を殺すであろうことを知っていた以上は未必の故意も成立する。しかしなぁ……)から、所謂、死罪に相当する処断であったとは思われない。軽級の身体刑の「重敲き」(百敲き)辺りで(普通は命を落とすことはない)、傷の予後が極めて悪く、死に至ったものか? 罪状を記した札を立てたとあるから「晒し」にはなったものと思われ、晒し刑では民衆が石を投げたりしたから、そうした傷が感染症などを併発したものかも知れぬ。

『「琴瑟(きんしつ)の調(てう)」と「毛詩」には譽(ほ)め』「琴瑟相(あい)和す」は「詩経」の「小雅」にある「常棣」(じょうてい)の中の「妻子好合 如鼓瑟琴」に基づく。琴(きん:中国古代の弦楽器。長さ約百二十センチメートルで弦は七本。琴柱(ことじ)はない。上代に本邦に渡来したとされるが、現在は衰滅した)と瑟(しつ:中国古代の弦楽器の一つで現在の琴に似、普通は二十五弦で、本邦には奈良時代に伝来した)との音がよく合うという比喩に基づく。

『「易」には「反目(へんぼく)」』「易經」の「乾下巽上(けんかそんしょう) 小畜卦(しょうちくけ)」の象辞に「夫妻反目、不能正室也。」(「夫妻反目す」とは、「室を正すこと能はざるなり。)とある。

「保呂亂(ほろみだ)す」岩波文庫版の高田氏の注に、『取り乱す。鷹が両翼の下の羽毛である保呂羽』『を乱す意から』とある。この「ほろ」は一説に武者の背負う「母衣(ほろ)」ともされる。この「母衣」は鎧の背に装着する幅広の布で、流れ矢を防ぐ実戦用の防具として、また、旗指物(はたさしもの)の一種としても用いられた。平安時代には単に背に垂らし、時に下端を腰に結んだりしたが、後には竹籠を入れた袋状のものに変化した。私には後者「母衣」説の方が腑に落ちる。

「昔の二神(ふたはしら)」伊耶那岐(いさなき)命と伊耶那美(いさなみ)命。

「天(あま)の浮橋(うきはし)」高天原と地上との間に架かっていたという橋で、ここに立った二神は天の沼矛(ぬぼこ)を海に突き立てて攪拌、その先端から滴った雫から大八島が生み出される(男根と精液のシンボライズである)。

「みとのまぐばい」表記は原典のママを示した。「古事記」では「美斗能麻具波比」で通常は「みとのまぐはひ」と読む。「み」は尊称で、「と」は「陰部」、「まぐはひ」は「目合(まぐは)ふ」で「目を見合す」、正常位での男女の性行為を指す。

「妹背山(いもせやま)」川などを隔てて向かい合う二つの山を夫婦兄妹(言わずもがな、伊耶那岐と伊耶那美は夫婦であると同時に実の兄と妹でもある)に擬えて呼ぶ語であるが、ここはそれを還元的に用いている。

「背(そむ)き背(ぞむ)ぎ」原典の表記のママ(正確には後半は踊り字「〲」であるから、後方は単に「ぞむき」かも知れぬ。]

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