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2017/07/23

宿直草卷四 第十五 狐、人の妻に通ふ事

 

  第十五 狐、人の妻に通ふ事

 

Kitunenoko

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本のもの。清拭し、上下左右の枠も除去した。――縊り殺された四人の子らのために――]

 

 中川何某とて、攝州茨木(いばらき)の城主なり。此殿、京に月越(こし)て逗留し給ふ。その供のうち、去(さる)人、ある夜、茨木に歸り、我妻の臥(ふす)扉(とぼそ)を叩く。妻、咎めて、

「誰(た)そや誰(た)そ。夫(おつと)もあらぬ閨(ねや)近く、折り知り顏(がほ)なる淺ましさ、余所(よそ)にも夢や破りなん。主(ぬし)ある園(その)の呉竹の、一よとてしも寢さゝれず、後(のち)に憂目(うきめ)を見給ひて、恨みを我に得給ふな。許さば歸れ、とくとく。」

と、こちたくも聞えければ、

「いやとよ、馴れぬ中ならば、いかで妻戸まで忍ばん。とかく云へば程も移り、餘所(よそ)にも人の咎(とが)めんに。早(は)や、開け給へ。」

と、いらなく、かこつ。

 其聲、わが夫なれば、あやなくも戸を開(ひら)きしに、

「さてさて、逢ふ事の絶へてし程もなけれども、男鹿(をしか)の角(つの)の束(つか)の間(ま)も、ゆかしきにのみ過(すぐ)すぞや。露(つゆ)離(はな)るべきになけれども、宮仕(みやづがふ)身は力(ちから)なし。今日(けふ)しも戀しさまさりければ、忍びてかくは下りしなり。又、夜を籠(こ)めて歸らんに、傾(かたふ)き給へ。」

とかき口説(くど)けば、妻、聞きて、

「年頃日頃、たゞ舊(ふる)さるゝ身と思ひしに、さては左樣に思し召すぞや。難波(なには)の蘆(あし)の假初(かりそ)めに、馴れし袂(たもと)の色添ひて、露の起き臥し淺からぬ、安積(あさか)の沼の花かつみ、且つ添ふ袖の忘られで、振分髮もくらべ來し、ともに月日も瀧津瀨(たきつせ)の、深き契(ちぎ)りの嬉しも。」

と傾(かたふ)き、枕に寄りて、程もなきに、夫、

「最早、歸らん。さるにても不破の關屋の月ならで、洩らさで濟ませ。」

と云ひ捨てゝ、また明方(あけがた)に京へ上(のぼ)る。

 一月のうち、四度まで通へり。

 妻、けしからず思ひければ、

「阿漕(あこぎ)が浦のならひにも、いと暗き君かな。やがて殿の御供にて、下(くだ)り給ふも遠からず。誰(たれ)も思ひは變らねど、忍ぶ山のしのぶ草、ねなくはいかで色にい出でん。思ひきる瀨(せ)の網代木(あじろぎ)は、現はれわたる事もなし。いかでかくは通ひ給ふ。思ひきるにこそ、中々、恨みは解(と)けてまし。」

と云へば、夫も、今は言葉なし。

「最早、通はざらまし。後ろ髮引く妹背(いもせ)の道、面(おも)なくこそさふらへ。重ねても此事を我に向ひて云ひ給ふな。さらば。」

とて出で去りぬ。

 さて、時分なれば御供にて、その後(のち)、歸りしかども、珍しきさゝめごとのみ、四度(よたび)の契(ちぎ)りは云はで過(すぎ)けり。

 その月より、たゞならぬ身となりて、月十(とを)に滿ちければ産(さん)の氣(け)あり。介錯(かいしやく)する者も來て取り上げ見れば、鼬(いたち)のごとし。

「こはいかに。」

と見るに、また、ひとつ、産む。

 これも毛ありて四足(しそく)の物なり。

 後に、また、ふたつ、産(うめ)る。

 以上、四つながら、同じ。

 密(ひそ)かによく見れば、狐なり。

 かの介錯の姥(うば)に心を合はせ、皆、ひねり殺して、

「子は逸(そ)れたり。」

と披露す。

 よくよく思ひ合はすれば、かの留主(るす)のうち、四度(よたび)通ひしは狐の化けたる也。

 されば女の身は大事の事なり。今、思ひいづみの信田(しのだ)の契(ちぎり)、それは男を慕ひ、これは女に契る。品(しな)はとりどりなれど、口惜しさは一つなり。「名山(めいさんき)記」に、『先古(いにしへ)婬婦あり。名を紫(し)といふ。化(け)して狐となる』と書(かけ)り。字書(じしよ)には『其姓(じやう)、化けてまた賢し』となり。

 

[やぶちゃん注:異類婚姻譚は珍しくなく、特に狐と人との間に子が出来るという伝承は大陸や本邦に非常に多いが、ここでは四つの生命体を産み、それが悉く人形(ひとがた)を示さない四足獣であったというところが、まず例を見ないキョウレツな特異点である。

「中川何某とて、攝州茨木(いばらき)の城主なり」「茨木」は現在の大阪府茨木市。ここ(グーグル・マップ・データ)。本書には何度もこの地名が出る。そこから推測するに、京の荻田はここに親しい親族か知人がいたのではないかと思わせる節がある(因みに江戸時代の茨木は幕府の天領であった)。ここで「城主」を「中川」とするところから、本話柄は江戸時代ではなく、織豊時代であることが判る。最初に中川氏として正式な茨木城主となったのは中川清秀(天文一一(一五四二)年~天正一一(一五八三)年:キリシタン大名高山右近は従兄弟に当たる)で、天正五(一五七七)年のことであった。清秀が正式に茨木城主となった。翌天正六年七月、縁故のあった荒木村重が織田信長に謀反を起こし、清秀は当初、村重方についたものの、同年十月二十八日に信長の調略によって茨木城を開城、織田軍に寝返っている。天正十年の本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えていたが、翌年四月、賤ヶ岳の戦いで戦死した。嫡男中川秀政が後を継いだが、その三年後の天正一四(一五八六)年に秀政は数々の功績が認められて播磨三木城へ移封、その後、茨木の地は秀吉の直轄地となった(因みにその後、元和二(一六一六)年、江戸幕府の「一国一城令」によって茨木城は廃城となった。以上はウィキの「茨木城」に拠った)。以上から考えると、天正五(一五七七)年~天正一四(一五八六)年の九年の閉区間が話柄内時制ということになり、「中川何某」は中川清秀か息子秀政の孰れかであることとなる。なお、今までの「宿直草」の話柄が概ね江戸初期の設定と思われるものであったものが、この話柄内時制はそれより少し遡っている点で一つの特異点とも言える。

「折り知り顏(がほ)なる」そうした事情(夫が留守であること)を知った上で夜這いしてきた感じをあからさまにさせて。

「余所(よそ)にも夢や破りなん」そうでなくても、心地よい眠り(の中で見ていた夢)を無惨に破った。

「主(ぬし)ある園(その)」自分を夫の屋敷内の奥の「園」(庭)に喩え、そこに植わっている「呉竹」(淡竹:既出既注)を引き出し、さらにその「竹」から「一よ」(一節(ひとよ))を引き出して「一夜」に掛けた。

「寢さゝれず」夜這いをしたのに伴寝をいっかな許してくれなかったと。

「許さば歸れ、とくとく」「このように非礼な振舞いを武士の妻に仕掛けたことは理不尽極まりないものの、許してやるから、さっさと帰れ! さあ! さっさと!」。但し、だったら正しくは「許せば」である。

「こちたく」如何にも大袈裟に。

「聞えければ」相手に申し上げたところ。謙譲語であるが、「こちたく」と上手く合わないので、「言ったところ」と訳してよかろう。

「馴れぬ中」普段から何の「仲」でもない無関係な者であったなら。

「いかで妻戸まで忍ばん」反語。「どうしてこのように奥向きの閨の妻戸(一般に部屋の端(つま)に設けた両開きの板戸)にまで忍び入ることが出来ようか、いや、出来ようはずがあるまいよ。」で、暗に自分が夫であることを示す台詞となっている。

「とかく云へば程も移り、餘所(よそ)にも人の咎(とが)めんに」「ともかくもまあ、こんなことを言っているうちに無駄に時間が経ってしまい、また、家内の下男らにもこの問答の声が聴こえてしまって、用心に起きてきた者に咎められてしまうに。」。

「いらなく、かこつ」(小さな声ではあるが)きっぱりと強く、恨み言を言って歎く。

「あやなくも」訳が分からぬながらも。夫は有意に離れた京に主君とともに長期に出張しているはずで、この時は未だ返ってくる時期ではなかったから、あり得ないこととして不審がってはいるのである。しかし、その不審を既に夫に変じた雄の妖狐は予測していたのである。そうして直前の台詞「餘所にも人の咎めんに」がまっこと、効果絶大なのである。オレオレ詐欺の撃退ではないが、ここで妻戸を開けずに、その不審をさらに糾弾し、彼女と夫しか知らない事実などを以って本当の夫かどうかを確認したとならば、この悲劇は避けられたかも知れぬのである。

「男鹿(をしか)の角(つの)の束(つか)の間(ま)も」「束の間」の頭音「つ」或いは女鹿を獲得するために「男鹿」が「角」を「突(つ)」き合わすの「つ」を引き出すための序詞的用法。

「ゆかしき」見たくて・逢いたくて・心惹かれて・慕われて・懐かしくて。

「露(つゆ)」副詞であるが、ここは「少し」「わずか」の意味ではなく、逆の「ひどく」「非常に長く、遠く」の謂いであろう。但し、それは正常な使い方ではない。

「傾(かたふ)き給へ」岩波文庫版の高田氏の注に、『傾き給え。身を許して下さい』とある。ほぼダイレクトにセックスしようと言っているのである。そう考えると、フロイト的には、前の「男鹿」が女鹿を獲得するために「角」を「突(つ)」き合わすのも性行為に至るための必須過程であり、角を「突く」という行動や、その角の形状や色自体がコイツスの或いはファルスのシンボルっぽくも見えてくるのである。

「たゞ舊(ふる)さるゝ身と思ひしに」ただもう、私は貴方から見飽きられ抱き飽きられた古女房の身と自分のことを思っておりましたが。

「難波(なには)の蘆(あし)の假初(かりそ)めに」迂遠な序詞。「かりそめ」の「初め」は「染め」を掛けて下の「色」と縁語となる。迂遠でめんどくさい台詞である。「かりそめに色を添ひて」(あなたへの慕わしい思い故にちょっとばかりぽっと心に色がさし)、「つゆ」(ちょっとした)日常(「起き臥し」)でも貴方のことを忘れないほど深く思いつめて(「淺からぬ」)といったニュアンスか。こういう修辞は説明してもちっとも面白くない。面白くないばかりでなく、台詞自体に込められてあるはずのしみじみとした心情が逆に軽くなってしまって、「お前さん、本当にそう思ってんのかい?!」とツッコミたくなる。私が和歌嫌いなのはそうした心情と表現の絶望的な乖離にある

「安積(あさか)の沼の花かつみ」「安積の沼」は歌枕。「花かつみ」は現在では正体不詳の花の名。藤原実方の故事に基づく。説明しても労多くして功少なき忌まわしい「且つ」を引き出す序詞であるからやめる。そうだな、よく判らない方は、私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅21 早苗とる手もとや昔しのぶ摺』の私の注で説明してあるから参照されたい。

「添ふ袖の忘られで、振分髮もくらべ來し」荻田が大好きで今までも何度もかがさせられてきた「伊勢物語」の「筒井筒」のインスパイア。

「瀧津瀨(たきつせ)の」枕詞。岩波文庫版の高田氏の注に、『遠く過ぎて。「深き」にかかる』とある。「たぎつせ」とも。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。「瀧のように水は激しく流れる早瀬」或いは「滝」が原義。

「不破の關屋の月ならで」「不破の關屋」といったらもう「新古今和歌集」の藤原良経の私の好きな荒涼たるリアリズムの一首、

 

 人住まぬ不破の關屋の板廂(いたびさし)荒れにしのちはただ秋の風

 

なのだが、「月」はないし、意味も通らぬ。これは実は阿仏尼の「十六夜日記」に載る、鎌倉に向かう彼女が実際に見た実景歌の一首を指す。

   *

不破の關屋の板廂は今も變はらざりけり。

 

 ひまおほき不破の關屋はこのほどの時雨も月もいかに漏(も)るらむ

 

   *

でその下の句の「漏る」から次の台詞に繋がるのである。

「洩らさで濟ませ」岩波文庫版の高田氏の注に、『人には洩らすな』とある。

「けしからず」普通でなく、不都合でもあること。主君に従って京に行っている者が一ヶ月に四度も勤務地を離れて深夜に戻ってくるというのはとんでもないことであることは言を俟たぬ。

「阿漕(あこぎ)が浦のならひ」岩波文庫版の高田氏の注に、『伊勢の禁漁地でたびたび密漁をして捕えられた漁師の伝説から、たび重なって広く知れ渡ること。「いせの海阿漕が浦ににひく綱もたびかさなれば顕はれにけり(謡曲『阿漕』)』とある。その漁師の名が「阿漕の平次(或いは平治)」であったともされるが、現在はその殺生禁断の禁漁域であった海辺が(三重県津市)「阿漕が浦」という名で残っている。また、彼が密漁した理由は病弱な母に薬餌として食べさせるためであったともされており、阿漕は阿漕な輩では実はない

「忍ぶ山のしのぶ草、ねなくはいかで色にい出でん」「忍ぶ山」はここでは「忍ぶ草」を引き出してその「ね」「根」に「寢」を掛けて、月に四度も「寝ずにやってきては関係を持ち、翌朝、そのまま職務に就くというのでは、これ、その疲れた顔色が朋輩や主君の目にとまって不審がられる」という謂いになっているのであるが、しかし、ここには話柄の主調への隠された伏線がある。「忍ぶ山」は「信夫山」で現在の福島県福島市の中心市街地北部にある山で草による染色法「しのぶ摺」で知られる。これはやはり私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅21 早苗とる手もとや昔しのぶ摺』の私の注を参照されたいが、実はこの「信夫山」は御坊狐といわれる人を化かすのが得意な狐が棲んでいるところとして有名なのである。他にもこの近辺には長次郎狐・鴨左衛門狐がおり、この三匹を合わせて「信夫の三狐」と呼ぶぐらいに知られた妖狐の産地なのである。

「思ひきる」原典は「きる」であるが、岩波文庫版では『霧(き)る』となっている。これは次の「網代木」の原拠を匂わすためである。秘かに私(妻)に逢いに来るのを断念して呉れたなら。

「瀨(せ)の網代木(あじろぎ)」中納言定頼の「千載和歌集」の「卷第六 冬歌」(四一九番歌)で「小倉百人一首」の六十四番にも載る。

 

   宇治にまかりて侍りけるときよめる

 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀨々(せぜ)の網代木

 

を元にしている。「現はれ亙る」の意で、ここはそれを「皆に知れ渡る」の意で掛けているのである。

「思ひきるにこそ、中々、恨みは解(と)けてまし」(私に逢いたい一念のそのお気持ちは心底嬉しいものの)ここはその思いを断ち切ることこそが、実に実に、より恐ろしい災厄を貴方が被るかも知れぬという心配・心痛・懼れ(「恨み」)を無くして呉れることで御座いますのに。

「面(おも)なく」武士として何とも恥ずかしく面目なく。

「重ねても此事を我に向ひて云ひ給ふな」さればこそ(男としてめめしく面映ゆく面目ないことであるからこそ)二度とこのこと(秘かに四度里へ戻って妻を抱いては京へ帰った総ての事実とそこで二人で応答した以上の内容総て)を私に向かって言わないおくれ。

「珍しきさゝめごとのみ、四度(よたび)の契(ちぎ)りは云はで過(すぎ)けり」底本も岩波文庫版も、「珍しきさゝめごとのみ。」と句点を打つのだが、それでは、意味が採れないので、読点とした。岩波文庫版で高田氏は「さゝめごと」の箇所に注して『二人だけの内緒の会話』とある。されば、ここは私は「珍しきさゝめごと、四度(よたび)の契(ちぎ)りのみは云はで過(すぎ)けり」の謂いではないかと思うのである。「珍しきさゝめごと」は特に最後に諫めた妻の詞を指すものであろう。その言葉が再現されるのを実の夫が一度聴くだけで、ぐだぐだ説明するまでもなく、四度も狐が夫に化けてやってきたことが知れてしまうからである。しかし、これはある意味、狐の女への思いやりであったともとれる。当時なら、こういう事実を知ったら、有無を言わせず、妻を斬り捨ててしまう夫がゴマンといたであろうと推察されるからである

「介錯(かいしやく)する者」助産婦。産婆。

「子は逸(そ)れたり」「逸(そ)る」は「予想とは別の方向へ進む」で、この場合は「流産した」の忌み言葉であろう。

「披露す」彼女にだけでなく、その場の皆に公に表明する。

「今、思ひいづみの信田(しのだ)の契(ちぎり)」「今、思ひいづみの」は「出づ」に「和泉」を掛けて「信田」を引き出した。「信田(しのだ)の契(ちぎり)」は狐と人との異類婚姻伝承として「恨み葛(くず)の葉」「信太(信田)妻(しのだづま)」などの呼称で知られる伝承。「葛の葉」は狐の化けた女の名で、後代の人形浄瑠璃及び歌舞伎の「蘆屋道滿大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」、通称「葛の葉」で知られる。稲荷大明神(宇迦之御魂(うかのみたま))第一の神使とされ、かの最強のゴースト・バスター安倍晴明の母ともされる。ウィキの「葛の葉によれば、『伝説の内容は伝承によって多少異なる』ものの、概ね、以下の通り。『村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際に』怪我『をしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が』五『歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白』、

 

 戀しくば尋ね來て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

 

という『一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく』。この童子丸が、後に陰陽師として知られることとなる安倍晴明であるとする伝承である。『保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信太の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り別れる。なおこの水晶の玉と黄金の箱は、稲荷大明神(宇迦之御魂神)から葛の葉が童子丸に授ける様に仰せを受けて預かっていた。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった』。『この伝説については「被差別部落出身の娘と一般民との結婚悲劇を狐に仮託したもの」とする解釈も』ある。私はこの最後の解釈に強い共感を持つ。

「品(しな)はとりどりなれど」話柄の展開や設定は多様にして多彩であるが。

「口惜しさは」解消し難い「恨み」という口惜しさに於いては。

『「名山(めいさんき)記」に……』「名山記」は晋から北魏の時代にかけて成立した書物らしいが、詳細は不詳。以下は「搜神記」の「第十八卷」の中の一篇の末に出る、

   *

名山記曰、「狐者、先古之淫婦也。其名曰阿紫。化而爲狐。」。故其怪多自稱阿紫。(「名山記」に曰く、「狐は、先古の淫婦なり。其の名を阿紫(あし)と曰ひ、化して狐と爲る。」と。故に其の怪、多く、「阿紫」を自稱す。)

   *

に基づくもの。

「字書」特定不能。識者の御教授を乞う。

「其姓(じやう)」「其性」で「その性質」の意であろう。]

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