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2017/07/21

宿直草卷四 第十一 ゐざりを班(ばけもの)とみし事

 

  第十一 ゐざりを班(ばけもの)とみし事

 

 さる人、西六條にて家老衆(からうしゆ)へ訪(とふ)らひしに、話、時移る内、大夕立(おほゆふだち)しけり。雨止みて獨り歸るに、やうやう暮(くれ)たり。

 長築地(ながつぢ)を東へ、黑門(くろもん)未ださゝざれば、御堂(みだう)の前を歸るに、十四、五間先へ、何なるらん、えも知れがたきもの、行く。

 折節、月射したるに見れば、高さ三尺ばかりに、橫へも同じ程なり。上は圓(まろ)く、下は平(ひら)し。

 後ろへ月射せば、ひかひかと耀(かゝや)く。たゞ鱗(いろこ)のごとし。行くとはすれど、やはかはかも行かず。言語(ごんご)たへて辨(わきま)へがたし。

「何にても、あれ、討つて捨てばや。」

と思ひ、木履(ぼくり)脱ぎ捨て、帷子(かたびら)の裾(すそ)高く取り、するすると走り寄るに、この者、我(わが)氣色(けしき)を見て、

「あゝ。」

といふ聲、又、人なり。さて立ち寄り、

「何者ぞ。」

と云へば、

「これは何時(いつ)も黑門に住むゐざりにてさふらふが、今日(けふ)の白雨(ゆふだち)に門に水漬(みづつ)つき、臥せり申(まうす)べき樣(やう)御座なく、常樂寺樣の御門へ參り候。」

と云ふ。

「げに。」

と思ひ、其姿を見れば、をのれが敷きし古俵(ふるたはら)を背中に負ひ、其上に大きなる縫笠(ぬいかさ)、取り付けたり。

 この笠の、濡れにぞ濡れて、月射す影の竹の皮の乾(かは)く間(ま)なきに、ちらちらと光れり。

 おかしくも哀れなり、となん。

 親のために鹿皮(ろくひ)を被(かふ)れる人、もし、聲せずは、山中(さんちう)に矢を帶(おび)む危うさも思ひやられてぞ侍る。

 

[やぶちゃん注:シミュラクラ系疑似怪談三連発。誤認による殺害の危険性を孕んでいる点で前話とは強く連関する。

「ゐざり」「躄・膝行」などと漢字表記した。動詞「躄(いざ)る」(膝や尻をついて移動する)の連用形の名詞化したもの。足が不自由な障碍者。概ね乞食(こつじき)した。

「班(ばけもの)」この漢字にかく当て訓をするのは私は初見。「班」の字にこのような意味はない。「区別」の意があるから、人とは別な「ばけもの」ということか?

「西六條」現在の京都府京都市中京区西ノ京三条坊町附近(グーグル・マップ・データ)か。「家老衆」とあるからは、この人物、相応の格式の屋敷を訪れたものと思われる。

「長築地(ながつぢ)」底本は「ながちつきぢ」とルビするが、原典では「き」は見えない。「築地」は「築泥(つきひじ)」の転で、土を搗き固めて造り、瓦などで屋根を葺いた築地塀(ついじべい)であるが、ロケーションから、これはそれを屋敷の周囲に築地を巡らした堂上方(どうじょうがた)の邸の長い塀と読める。

「黑門(くろもん)」黒門通か。中央南北(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「黒門通」によれば、『豊臣秀吉による京都改造事業、天正の地割によって猪熊通と大宮通の間に新設された通りである。通りの名は、秀吉によって築かれた聚楽第の東門である「鉄(くろがね)門」の別名「黒門」に由来する。門は黒門通下長者町に存在したとされる』とある。先の三条坊町からは真東で一・六キロメートルほどでこの通りにぶつかる。

「未ださゝざれば」「指さざれば」で、いまだ視認出来ない位置であったということであろう。

「御堂(みだう)」不詳。識者の御教授を乞う。

「十四、五間」二十六、七メートルほど。

「言語(ごんご)たへて」「言語絶えて」が正しい。

「常樂寺」不詳。京都には幾つかの同名の寺があるが、ここまでのロケーション(私の認識に誤りが無ければの話であるが)附近に該当する寺はない。識者の御教授を乞う。

「縫笠(ぬいかさ)」一般には菅笠(単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科スゲ属カサスゲ Carex dispalata やカンスゲ Carex morrowii の葉を織り編んだ笠)のことであるが、ここはその「竹の皮の乾(かは)く間(ま)なきに」とあるので、竹を薄く削いだものを材料にしたものであるようである。

「親のために鹿皮(ろくひ)を被(かふ)れる人、もし、聲せずは、山中(さんちう)に矢を帶(おび)む危うさも思ひやられてぞ侍る」元の郭居敬が編した二十四人の孝行譚を集めた「二十四孝」の「剡子(ぜんし)」の話である。ウィキの「二十四によれば、剡子には『年老いた両親がおり、眼を患っていた。鹿の乳が眼の薬になると聞いた両親は、剡子に欲しいと願った。剡子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。そこへ猟師が本物の鹿と間違えて剡子を射ようとしたが、剡子が「私は本物の鹿ではありません。剡子と言いまして、親の願いを叶えたいと思い、こうやって鹿の格好をしているのです」と言うと、猟師は驚いてその訳を聞いた。孝行の志が篤いので射られずに帰り、親孝行をすることが出来た』とある。]

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