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« 戯れ句一句 | トップページ | 宿直草卷五 第七 學僧、盜人の家に宿借る事 »

2017/07/30

宿直草卷五 第六 蛸も恐ろしき物なる事

 

   第六 蛸も恐ろしき物なる事

 

Takohebi

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本のものを用いたが、下方の汚損が著しく、そこは海上の波の絵柄のみであることから、その部分(凡そ縦の十四分の一)をカットし、それに合わせるために左右と上の枠も除去し、全体に清拭した。]

 

 ある席(せき)に、四人(よたり)、五人(いつたり)語るに、一人のいはく、

「蛸は恐ろしきものなり。津の國御影(みかげ)の濱に磔(はりつけ)有(あり)しが、夜每(よごと)に、坊主來たりて番をする、と云ひ觸(ふ)らす。その里に浪人有て、行きてよく見れば、蛸にてありしと也。人を喰らふものにや。」

と云ふ。

 鍋嶋家の内、福地某(なにがし)と云ふ人、

「げに。さもあらん。我は蛸を好きて給(たべ)しが、ある時、名殘(なごり)の波(なみ)に舟繫(ふながゝり)せしが、三尺ばかりの虵(へび)、半分ほど、海へ浸(つか)り居(ゐ)たるが、何時(いつ)の程にか、手長蛸(てながだこ)になりて入(いり)ぬ。それより、蛸を喰はず。」

と云ふ。

 又、見るから色黑(いろぐろ)く、潮風馴れたる海邊(うみべ)の人有しが、

「いや。虵が蛸になるでは、なし。虵、蛸を釣りに出(いで)、蛸、又、虵を獲(と)りに上がる。小さき虵は蛸に獲られ、大なるは蛸を獲る。これ、龍虎の爭ひのごとし。」

と賢(かしこ)げに弁ず。

 片隅に菓子齧(つ)みて、法師のありしが、これを聞き、打(うち)頷きて、

「げに。さあらん。我、もと丹後にありし時、靑侍(なまさふらひ)三、四人と舟遊(ふなあそ)びに行く。沖へも出でず、遠淺、漕ぎて、洲崎(すさき)の芦の穗に出(いで)つゝも、色よき酒機嫌(さけきげん)に、諷謠亂舞(ふうようらんぶ)、干潟の千鳥足(ちどりあし)なもあり。或るは又、(とも)に釣りして[やぶちゃん字注:「」=「舟」+「丙」。]、水馴竿(みなれさほ)の雫(しづく)に濡れて樂しふあり。明月の詩を誦(しよう)し、窈窕(ようてう)の章を詠(うた)ひし、かの子膽(しせん)が樂しびも、これには如何に。桂(かつら)の棹(さほ)、蘭(らん)の舵(かぢ)にしなけれ、餘念も浪の打(うち)寢轉(ねころ)びて、

『歸去來(かえなんいさ)、舟、戾せ。』

と云へば、一人のいはく、

『暮過(くれすぐ)す迄も飽かで迎(む)かはまほしけれ。あれこそ、此浦、無双(ぶさう)の美景よ。瓮(もたひ)の霞、殘らば、如何に本意なからめ。いざ、掉(ふ)れ、舟、遣れ。』

と云ふを見れば、築(きづく)とも、又、難(かた)かるべし、と思ふ岬あり。

『磯傳ひ、漕げ。』

とて行くに、岸根の草は潮(うしほ)に馴れ、岩間の苔(こけ)は潮風(しほかぜ)に向かふ。搔かぬ落葉の數(かず)敷きて、高さ三間ばかり、太さ二尺ばかりの松、梢(こずゑ)は海を招(まね)き、根は山に刺しゝに、しかも、女松(めまつ)の葉もおかしかれば、

『あの松陰(まつかげ)に休らはん。』

と漕ぐに、今、三十間ばかりあらんに、一人のいはく、

『松の根は赤きに、側(そば)に黑き物あるは何ぞ。』

と云ふ。されば、

『合點(がてん)行かず。』

と云ふ内、舟、連々(れんれん)近くなりて、十五、六間にも及びしに、海より、水、飛んで、薄紫なるものゝ、五尺ばかりに見ゆるを、梢下(さ)がりし松に打ち懸け、かの黑き物にとりつく。

 やがて、舟、止めさせ、

『何なるらん。』

と云へば、船頭、見て、

『げに。聞(きき)及ぶ。かやうに日和(ひより)には、虵、出(いで)て蛸を釣る、と。上の黑きは虵、下の紫なるは蛸か。』

と云ふ。皆、

『尤(もつとも)。』

と心をつけて見れば、長(たけ)三間、太さ一尺ばかりの烏虵(からすへび)、かの松の水際一間餘り上に、枝の有りしに纏(まと)ひ付き、尾を二、三尺、水に浸けて、居れり。

『さてさて。よき見物かな。』

と見るに、また、蛸の手、一つ、打ち懸く。

 程もなきに、打ち懸け、打ち懸け、四つの手にて、下へ下へと、引く。

 虵は、また、上へ上へと、引く。

 互ひの力に、さしもの松、搖(ゆ)るぎわたる事、網にて引くがごとし。

 舟中(しうちう)、固唾(かたづ)を呑(の)むに、

『何(なに)としても、下、弱くして、蛸、釣らるべきぞ。』

と云ひしに、虵の運(うん)盡き、纏ひし松が枝(え)、元より折れて、木、ともに、海中へ入(いる)。

『あは。』

と云ひしが、暫しは松も浮き沈みせしが、虵は遂に上(あが)らず。やゝして、枝のみ浮(うき)て果(はて)ぬ。」

と語れり。

 

[やぶちゃん注:前話とは、最初の話が同じ摂津である以外は、全く連関性がなく、特異点である。私は蛸(頭足綱鞘形亜綱八腕形上目八腕(タコ)目 Octopoda)フリークであるが、これは多様な蛸奇譚を一話に纏めて、実に魅力的な一篇に仕上がっていると言える。

蛸が陸上に上って来て人間の遺体を食いに襲来するという最初の話柄は、例えば、「谷の響 二の卷 一 大章魚屍を攫ふ」「想山著聞奇集 卷の參」の「七足の蛸、死人を掘取事」にあり(蛸が陸に上がって農作物を荒らすという今も信じられている根強い伝承はそれらの注で私は否定している)、また、

二番目の福地某の蛸が蛇に変ずる、化生するという話柄は、「佐渡怪談藻鹽草 蛇蛸に變ぜし事」「谷の響 二の卷 三 蛇章魚に化す」で実話として語られている。私はリンク先の注でも書いたが、しばしば対決が知られる相互に天敵関係にある鱓(うつぼ:条鰭綱ウナギ目ウツボ亜目ウツボ科 Muraenidae)と蛸との格闘を誤認したものではないかと深く疑っている。なお、これについては実は南方熊楠が「蛇に関する民俗と伝説」(大正六(一九一七)年『太陽』初出)の中でタコのが腕の一本の先に持つヘクトコチルス(交接腕:Hectocotylus)の大きなものが蛇に似ているのを誤認したのであろう、という卓抜した説も提示している。興味のある方は私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「石鮔 てなかたこ」(この本文にも出る「手長鮹」)の私の注を読まれたい。ヘクトコチルスについて御存じない方は、上記の「和漢三才圖會」の「章魚」の注でも詳述してあるが、私の別の「生物學講話 丘淺次郎 第十一章 雌雄の別 三 局部の別 (5) ヘクトコチルス」の方が手っ取り早いかも知れぬ。

 因みに、中でも私が超弩級の面白さを持っていると高く評価するのは、「佐渡怪談藻鹽草 大蛸馬に乘し事」の実談(!?!)である。以上のリンク先は総て過去の私の電子化注である。未読の方は是非どうぞ! どれも、お薦め!!!

「津の國御影(みかげ)の濱」現在の兵庫県神戸市東灘区の御影地区の海浜部。この中央附近(グーグル・マップ・データ)。なお、この兵庫県南東部は旧摂津国に含まれる。

「磔(はりつけ)」死罪としての磔の公開処刑。「夜每(よごと)に」とあるから、これは処刑後(磔柱に括りつけて左右から鑓で複数回刺して殺すもの。事実上の刺殺刑で、内臓が激しく抉られるので、内臓などが掻き出され、凄惨であった)、数日、そのまま晒されたものと推測される(江戸中期以降の幕府の公的なそれでは三日間晒した)。

「鍋嶋家」肥前国佐賀郡(現在の佐賀市)にあった佐賀藩。長く鍋島氏が藩主であった(従って同藩は「鍋島藩」とも呼ぶ)。

「福地某(なにがし)」ウィキの「福地氏」に「肥前国の福地氏」があり、「肥陽軍記」の天文三(一五三四)年の項に『「龍造寺家臣福地氏」について載せ』、「筑後軍記略」には前年の天文二年、『福地主計允らが龍造寺隆信に通じるとある。龍造寺氏家老の福地氏では福地長門守信重、信盈』(「のぶみつ」か)が見えるとする。『戦国大名龍造寺氏の実権を握っていた鍋島氏が佐賀藩主として認められ、龍造寺氏の支配が終焉すると肥前国の福地氏も鍋島氏に随い、佐賀藩士となった』。佐賀藩士『山本常朝が武士道の指南書として著した』「葉隠」の「聞書」の「第四」の「五十」にも藩主『鍋島勝茂が有能な藩士と評した武士として福地吉左衛門の名が見える他』、同「聞書」の「第六」の「一六六」及び「第八」の「五七」には『福地孫之允なる藩士が中野休助と喧嘩になり切腹したが、介錯人であった小城の蒲池某が』し損じてしまって浪人したことや、同「第七」の「三二」には『「千住善右衛門、討ち果たしのこと」という事案の検分役として福地市郎兵衛の名が見え』、また、「第八」の「五七」には『家老職の横岳鍋島家当主鍋島主水配下に福地六郎右衛門の名が見え、同じく佐賀藩家老の多久長門守家臣を切腹の危機から救ったとある』とあるから、鍋島家では知られた家臣の家系で、この者もその中の一人と考えてよいであろう。

「名殘の波に舟繫(ふながゝり)せしが」「余波」と書いても「なごり」(「なごろ」とも)と読め、その場合は強風の吹き止んだあと、まだその影響が残っている波を指すから、ここは「やや海上が荒れていたことから、乗っていた舟を磯辺に停泊させたが」の謂いととる。

「手長蛸(てながだこ)」文字通りに同定するならば、八腕目無触毛亜目マダコ超科マダコ科マダコ属テナガダコOctopus minorである。全長七十センチメートルにも達し、腕部は胴の五倍を越える。日本各地の下部潮間帯から水深二百メートルから四百メートルの泥底の穴に棲み、腕を表面に出している。本邦では流通品として見かけることは稀である。水分が多く旨味は少ない。韓国で踊り食い(サンナクチ)されるのは本種である。

「齧(つ)みて」齧(かじ)って。原典・底本・岩波文庫版総て平仮名「つみて」。この漢字を当てたのは私である。

「洲崎(すさき)」丹後国の地名ではあるまい。州が海中や川の河口付近(「芦の穗」とあるのはそれを指すのであろう)に長く突き出て岬のようになった場所の意ととっておく。そうすると、直ちに天橋立が頭に浮かんでしまうが、だったら、寧ろ、はっきりそう記すはずだとも思われる。しかし、以下の叙述はかなりの絶景であり、そんじょそこらの海浜とも思えず、やはり丹後と言ったら、そこだろう。ここは天橋立の名を出さずに、読者のそう感じさせようという荻田の風流のように思われる。

「なもあり」「なるもあり」「なる者もあり」。

(とも)」(「」=「舟」+「丙」。)「艫・艉」で船尾・船の後ろの方。

「水馴竿(みなれさほ)」漁師が如何にも使い込んだしなやかな釣竿。以下の「雫(しづく)に濡れて」は単なるその美称と読む。

「明月の詩を誦(しよう)し、窈窕(ようてう)の章を詠(うた)ひし、かの子膽(しせん)が樂しび」「窈窕の章」とは「詩經」の「國風」の「周南」の冒頭にある四言詩「關雎」(かんしょ)のこと。男女の恋を詠み、詩中、「窈窕淑女」(窈窕たる淑女)が四度繰り返される。サイト「碇豊長の詩詞」の同詩をリンクさせておく。そこでも注されてあるが、そこでは「窈窕」は「奥床しい」「麗しい」の意であるが、この語は元来は山水や宮殿の奥深い美しさを形容する語であり、ここで海浜の美しい景観を前にする時、この語はよく響き合っているとは言える。但し、ここは北宋の名詩人蘇東坡(蘇軾)の、知られた「前赤壁賦」の始めの方に現われる、「誦明月之詩、歌窈窕之章」(明月の詩を誦(しよう)し、窈窕の章を歌ふ)を詠った蘇東坡の楽しみ、の意。

「子膽(しせん)」蘇東坡の字は子瞻(しせん)で、その誤りである。

「これには如何に」この今の眼前の景色には及ばないという反語であろう。

「桂(かつら)の棹(さほ)、蘭(らん)の舵(かぢ)」この場合の「桂」と「蘭」は実在の植物というよりも、中国の伝説上の香木を指している(木本のカツラならいいが、草本のランでは舵は作れぬ)。

「にしなけれ」不詳。「に」を文法的に説明出来ない。「しもなけれ」なら、万能の霊力を持つ桂(この場合、月に生えるというそれであろう)や蘭で出来た棹や舵もない、の意なら判る。

「餘念も浪の打(うち)寢轉(ねころ)びて」同一の大洲本を用いているはずの岩波文庫版はこの部分が『余念も浪の相(あ)ひしろひて』と有意に異なる非常に不審である。孰れにせよ、意味が不明である。急に海の浪が転がるようにざわざわとし始め、少し荒れてきて、の意か? 識者の御教授を乞う。

「歸去來(かえなんいさ)」読みは原典のママ。

「瓮(もたひ)の霞」「瓮」甕(もたい:現代仮名遣)に同じい。水や酒を入れる器。ここは酒を仙人の糧の霞に擬えた。

「掉(ふ)れ」「棹」の漢字を当てたのは私。「あの絶景に向けて棹させ!」。

「築(きづく)とも、又、難(かた)かるべし」岩波文庫版の高田氏の注に、『人工で築きあげても、とてもこの美しさには及ばない、の意』とある。

「三間」五メートル四十五センチメートル。

「二尺」六十一センチメートル弱。

「女松(めまつ)」赤松。球果植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属アカマツ Pinus densiflora のこと。Q&Aサイトの回答によれば、両者の簡単な見分け方は、木の肌の色が赤く、葉を触ってもあまり痛くなく、優しい感じで、柔らかく広がるのがアカマツで、対する「男松」はクロマツ(マツ属クロマツ Pinus thunbergii)で、葉を触ると明確に痛く、強い感じがし、どんどん上にのびていく、とあった。

「三十間」約五十四メートル半。

「十五、六間」二十八~二十九メートル。

「五尺」約一メートル五十一センチ。

「長(たけ)三間、太さ一尺」全長約五メートル四十五センチ、太さ約三十センチ。

「烏虵(からすへび)」有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata の黒化型(Melanistic:メラニスティック)の個体の中でも特に虹彩も黒い個体を指すウィキの「シマヘビ」にある。同記載によれば、通常は淡黄色の体色に四本の黒い縦縞模様が入る(但し、縞が全くない個体や顎の辺りが黄色い個体もいる)。種小名の quadrivirgata はも「四つの縞」の意。腹部には目立った模様はなく、クリーム色・黄色・淡紅色を呈する、とあり、全長は八十センチから稀れに二メートルに達する個体もあるとある。ここで観察されたものが、これだとすると、実際にはあり得ない大きさと太さである

「水際」「みぎは」と訓じておく。

「一間」一メートル八十二センチ弱。

「二、三尺」約六十一~九十一センチメートル。]

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