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2017/08/21

北越奇談 巻之三 玉石 其十四(古銭)

 

    其十四

 

Kokin2_2

Kosen2  

[やぶちゃん注:古銭の図。キャプションを電子化し、大きさを換算する。「其十三」の部分のキャプションの電子化注は既に示した

〈画像一枚目〉

○福井村古銭ノ内 珍銭数品(すひん)

徑八分[やぶちゃん注:「徑」は「わたり」で直径。二・四センチメートル。銭の左右に「半兩」。]

徑六分五厘[やぶちゃん注:二センチメートル弱。銭の左右に「三銖」銖は中国の重量単位で五百九十ミリグラム相当。本邦では江戸に貨幣単位として用いられ、一両の十六分の一、一歩(ぶ)の四分の一。「朱」に同じ。一銖(朱)は銀目(ぎんもく:銀貨相当)の約三匁七分五厘(十四グラム)に相当した。]

徑七分余[やぶちゃん注:「七分」は二・一二センチメートル。]

 文字かはり

     あり

[やぶちゃん注:「かはりあり」次とともに彫られた文字の手蹟が変わったものであるという謂いか? 右は「五」か? 左は先の「銖」。]

徑七分

 文字手かはり

      あり

[やぶちゃん注:左右に「布泉」。]

〈画像二枚目〉

二字  篆文

[やぶちゃん注:銭に「建炎元寳」(原典本文は「寶」の字を用いている(以下も同じ)。この銭の字は真書であるが、今一種、篆書体のものも鋳造したので、この「二字」はその二種の字のものが別に発掘品の中にあったことを示したものであろう。]

小銭

 徑六分[やぶちゃん注:二・四センチメートル。]

   余

[やぶちゃん注:銭に「紹興通寳」。]

二重輪

 徑八分

[やぶちゃん注:銭に「乾元重寳」。「二重輪」は「にじゆうのわ」で、銭の縁近くの二重になった輪のデザインのことを指していよう。]

中銭

 同一寸二分[やぶちゃん注:三・六センチメートル]

[やぶちゃん注:銭に「淳化元寳」。「中銭」本文にも出るが、不詳。野島出版脚注も『不詳』とする。]

中銭

 徑一寸

   二分

[やぶちゃん注:銭に「嘉熙通寳」。]

徑八分余(けんえんげんほう)

[やぶちゃん注:銭に「開運元寳」。]]

 

 古錢(こせん)を土中より掘り出(いだ)せること、所々(しよしよ)にありと雖も、皆、二、三百、乃至(なゐし)、一、二貫文に過ぎず。安永年中、蒲原郡(かんばらごほり)笈ヶ島(おいがしま)と云へる所にて、耕(たがや)して、泥中(でいちう)に古錢一壷(いつこ)を得(うる)。凡(およそ)十貫(じつくはん)ばかり、皆、永樂なり。文化三丙寅(ひのへとら)、頸城郡南新保村(みなみしんぼむら)、農夫某(それがし)、田を掘りて古錢五貫文を得(うる)。そのうち、古金(こきん)・銀錢(ぎんせん)混じりありしと云へ傳ふれども、其實(じつ)を知らず。銅錢(どうせん)は、皆、洪武・永樂・熙寧(きねい)等(とう)なり。偶(たまたま)、寛政四壬子(みづのへね)の春、伊夜日子(いやひこ)の梺(ふもと)、岩室(いわむろ)の温泉に浴し、數日(すじつ)逗留せしに、隣村(りんそん)、福井村某(なにがし)と云へる染屋、あり。藍の桶を埋(うづ)むとて古錢を掘る。大幅三尺、長六尺ばかりなる箱の形にして、只、一塊(いつくわい)に集まりたる也。その數(かず)、いかほどゝいふことを知らず。如ㇾ此(かくのごとき)もの二ツ相(あい)ならぶ。漸々(やうやう)にして、斧を持つて打碎(うちくだ)き、親子兄弟(けいてい)、夜々(やや)密(ひそか)に槌を以つて錆を落とし、分(わく)るに、百錢を得れば、二百錢は、皆、碎けて用ひがたし。其事、隣村なるが故に、早く聞傳(きゝつた)ひ侍れば、即(すなはち)、客亭(かくてい)の主(あるじ)を伴(ともな)ふて、其家に訪ね到(いた)り、かの古錢を賣(うら)んことを求む。家主(かしゆ)、即、これを許す。嚢中(のふちう)を探るに、只、金四兩あり。以(もつて)、古錢二十四貫文を得(う)。其後(そのご)、領主へ聞(きゝ)に達し、殘らず、差し上げたる由(よし)にて不ㇾ賣(うらず)。家に歸り、數日(すじつ)、これを弄玩するに、その錢(せん)、土(つち)に付(つ)きたる方は黑く麗(うるは)しけれども、錢錢(せんせん)相(あい)重なりたる所は綠錆(あをび)深く生じて文字も不分明(ふんめうならず)。漸(やうや)く磨きて、これを見る。尤(もつとも)一貫文のうちにして洪武・永樂、八、九百文あり。其余(そのよ)平錢(へいせん)數品(すひん)、珍錢、甚だ少(まれ)なり。凡(およそ)、品數(ひんすう)、百十一品(いつひん)、たまたま、中銭(ちうせん)混じりてあり。そのうち、珍と稱するもの、図のごとし。大半兩(だいはんりやう)【徑八分。】・小半兩【二。】・三朱【一。】・布泉(ふせん)【二。】・五朱【四。】・建炎元寶(けんえんげんほう)【二字、篆(てん)。】・紹興通寶【小形。一。】・中錢【八。】・乾重元寶(けんじうげんほう)【二重輪。一。】・開運元寶【一。】一・淳化元寶【大錢。一。】・嘉熙(かき)通寶【同。一。】嘉定(かてい)一(いちより)十六まで。其余(そのよ)、數品(すひん)擧ぐるに遑(いとま)あらず。皆、唐銭(とうせん)のみにして、和錢は一ツも、なし。永樂の渡り初めと見へて、鑢(やすり)目、明らかに分(わか)る。然(しか)れば、五百年前の乱を避け、他邦に走る者、これを埋(うづ)めたたりと覺ゆ。

 

[やぶちゃん注:「二、三百、乃至(なゐし)、一、二貫文」前者は「二百文か三百文」の謂い。 一貫は正規には銭千文を指すが、江戸時代は実際には九百六十文が一貫とされた。

「安永」概ね一七七二年から一七八一年まで。

「蒲原郡(かんばらごほり)笈ヶ島(おいがしま)」新潟県燕市笈ケ島。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「永樂」永楽通宝。明の第三代皇帝永楽帝の代の永楽九(一四一一)年から鋳造され始めた銅製銭貨。日本へも室町時代に日明貿易で大量に輸入されて江戸初頭まで永楽銭・永銭などと呼ばれて流通した。一文相当の銅銭一種のみ。

「文化三丙寅(ひのへとら)」一八〇六年。

「頸城郡南新保村(みなみしんぼむら)」現在の新潟県上越市南新保か。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「洪武」永楽帝の父であった明の太祖第一代皇帝洪武帝が、即位した洪武元(一三六八)年から鋳造を始めた洪武通宝。一・二・三・五・十文の五種があった。

「熙寧(きねい)」熈寧元宝。熙寧北宋の第六代皇帝神宗が即位して熙寧(一〇六七年~一〇七七年)に改元、その年中に改鋳されたもの。

「寛政四壬子(みづのへね)」一七九二年。

「伊夜日子(いやひこ)の梺(ふもと)、岩室(いわむろ)の温泉」弥彦山の北方、現在の新潟県新潟市西蒲区岩室温泉。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「福井村」岩室温泉の北直近の現在の西蒲区福井。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「藍の桶」藍染用の藍汁を溜めた藍甕(あいがめ)。

「一塊(いつくわい)に集まりたる也」地中で徹底的に錆びついて、各個の銭が積み重なってくっ付いてしまって金属の塊りのようになってしまっていたのである。

「夜々(やや)密(ひそか)に」これもなるべく世間に知られぬように、毎夜、他の家が寝静まって後にまずはこっそりと加工してみたのである。

「百錢を得れば、二百錢は、皆、碎けて用ひがたし」まがりなりにも、原形をとどめた、ものになりそうな古銭百銭分を、その金属滓のようになった塊りから取り出すのに、倍の有に二百銭分を使用不能になるまで細かく粉砕せねば得られなかったというのである。

「客亭(かくてい)」旅館。

「四兩」以前に野島出版脚注では一両を今の二万円と換算していたから、それに従うなら、八万円。但し、江戸末期であるから、もう少し安く(一万円未満)見積もってもいいかもしれない。

「尤(もつとも)一貫文のうちにして洪武・永樂、八、九百文あり」この「尤」は「最も」で意味は「一貫文のうちにして」「最も」多かったのは「洪武・永樂」で「八、九百文」もあった、の謂いであろう。

「平錢(へいせん)」唐の開元以降の銭を指すらしいから、前の本文の叙述からみて、それ以降で宋代よりも前(北宋に入ると、鋳造の際の文字入れ等の面で飛躍的に技術が向上したらしい)までということになろうか。

「大半兩(だいはんりやう)」野島出版脚注に『漢の少帝恭の二年(前一八六年)八銖銭を行うとある。秦の始皇帝は制度を定め、一両を廿四銖とする』、秤で等量交換が出来る『貨幣を造』った。『秦の半両は大きく、径一寸二分程』、『重量二十四匁(重量が一両の半分)、即ち十二朱とな』るものであった。『漢の高祖は径を小さくして八朱半両を造』った。これは『三枚で一両となる。その後、六朱半両(四枚で一両)、四朱半両(六枚で一両)とだん』だん『小さくなる』とある。

「小半兩【二。】」以下の割注数字は枚数のことであろう。

「布泉(ふせん)」野島出版脚注に『中国古代の銭。後周書、武帝紀に、「保定元年、更に銭を鋳る。文仁布泉という。一布泉は五朱に当る、ともに行はる。」とある。二種ある。新羅の王寿が天鳳元年(一四年)に鋳造したものと、後周の武帝が保定元年(五六一年)に鋳造したものがある。前者は縣針書であり、後者は玉節篆である』とある。野島出版の注釈者は古銭に異様に詳しい。

「紹興通寶」「紹興」は南宋の初代皇帝高宗の治世の中後半で用いられた元号。一一三一年から一一六二年。

「乾重元寶(けんじうげんほう)」野島出版脚注に『唐の粛宗の乾元元年(七五八年)鋳造』とある。

「二重輪」野島出版版では『二乗輪』とある。誤判読であろう。

「開運元寶」「開運」は五代の第三の王朝である後晋に於いて石重貴の治世で用いられた年号。九四四年~九四六年。

「淳化元寶」野島出版脚注に『北宋の太宗、淳化元年(九九〇年)』以後の鋳造で、『鋳銭文は右廻り』で『輪読する。三文銭であろうと云う』とある。

「嘉熙(かき)通寶」野島出版脚注に「嘉熙」は『南宋理宗の代』の『嘉熙元年(一二三七年)』に鋳造されたもの、とある。

「嘉定(かてい)一(いちより)十六まで」「」は「より」の約物。野島出版脚注に『南宋の寧宗の代』の嘉定(一二〇八年から一二二四年)年間に鋳られた『嘉定通宝のことであると云う。この銭の背に一から十四までの数字が入って居て鋳造の年代をあらわしている。十六は誤』り、とある。

「永樂の渡り初め」野島出版脚注には、『徳川書府は慶長十三』(一六〇八)『年に永楽銭の通用を禁止した』とある。

「五百年前の乱」本書刊行(文化九(一八一二)年)の五百年前ならば、鎌倉幕府の滅亡(一三三三年)を指すか。しかし、永楽通宝は先に述べた通り、一四一一年から鋳造され始め、室町時代になってから渡来したのであるから、それはおかしい。さすれば、応仁の乱(応仁元(一四六七)年勃発)となるが、そうすると、四百年に満たない。不審な数字である。

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