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« 北越奇談 巻之一 龍力 / 巻之一~了 | トップページ | 北越奇談 巻之二 古の七奇 »

2017/08/08

北越奇談 巻之二 七奇辨

 

北越奇談 巻之二

 

        北越 崑崙橘茂世述

        東都 柳亭種彦挍合

 

    七奇辨(しちきのべん)

 

[やぶちゃん注:以下、総論部。数え上げる名数部分は原典では一字下げで各項目が、原則、一字空けで五行に分かれており、野島出版版は中黒(「・」)を以って総て繋げているが、私は、贅沢に前後を一行空けた上、総て改行して一字下げで並べ、続く本文も改行した(原典は二字空けで名数に繋がる)。なお、今までは漢文表記箇所は総て注で読みを示してきたが、長い一部の例外を除き、本文に読みとして繰り込むこととした。]

 

 後越(こうえつ)に古(いにしへ)より「七不思義」と云へることあり。今尚、諸方の遊客好事(ゆふかくこうず)の人、此國に尋來(たづねきたり)て其奇を探(さぐら)んとす。然りと雖も、其説、紛々として更に實事を知らず。近世諸家の記行に載(のす)る所、各(おのおの)其名目に別異(べつゐ)ありて、論説する所も又、同じからず。是、必(かならず)、風游(ふうゆふ)の客(かく)、民間或は驛亭に就て、問訊(もんじん)するによりて、如ㇾ此(かくのごとく)、誤り來りたりと覺ゆ。可ㇾ惜(おしむべし)、民間愚蒙(ぐもう)の輩(ともがら)、却(かへつ)て生國(しやうごく)の盲(もう)を曳くと云ふべし。凡(およそ)、諸家(しよけ)の雜記・記行に擧ぐる所と、國人(くにふど)・家々に論説する所を合せ見るに、今尚、二十有四奇(ゆうしき)あり。

 

 神樂嶽(かぐらだけ)の神樂

 海鳴(うみなり)

 胴鳴(ほらなり)

 燃土(もえつち)

 七ツ法師(はうし)

 八ツ瀧(だき)

 白兎(しろうさぎ)

 鎌鼬(かまいたち)

 火井(くはせゐ)

 塩井(えんせゐ)

 燃水(もえみづ)

 蓑虫の火(ひ)

 冬雷(ふゆかみなり)

 逆竹(さかさだけ)

 風穴(かざあな)

 沸壷(わきつぼ)

 白螺(しろたにし)

 土用清水(どようしみづ)

 四蓋波(しかいなみ)[やぶちゃん注:清音はママ。]

 箭根石(やのねいし)

 三度栗(さんどくり)

 無縫塔(むはうとう)

 沖の題目

 八房梅(やつぶさのむめ)

 即身仏

 

 是なり。密(ひそか)に按ずるに、「日本書紀」の二説を本(もと)として、享徳の頃、が國(くに)好事の者、偶(たまたま)、此七奇を撰(せん)せしなるべし。尤(もつとも)、其時世は義政將軍の頃にして、風流好奇、今時(こんじ)の泰平にも等(ひとし)ければ、さもありなんか。何れ、永く此國の勝奇(せうき)となり、諸家の記録にも載せ、公聽(こうちやう)にも入たれば、今更、止(やむ)べきにあらず。サハ此説、今古(こんこ)の別(べつ)ありて、古(いにしへ)は、いまだ、諸國の奇事・名勝、穿鑿の至らざる所と、好事の者も、又、少(すくな)きがために、目前(もくぜん)の説のみにして、他邦の論に詳しからず。今は太平永く續き、士は君恩に誇り、民は耕作に富(とん)で常に、間(かん)、多きに乘(じよう)じ、四方(しほう)に遊歷し、勝を尋ね、奇を探り、家に有(あつ)ては山林を平げ、石を穿ち、水脈を通じ、田野を開き、深山幽谷・海島河源(かいとうかげん)に到るまで、人力(じんりき)の行屆(ゆきとゞか)ざるは、なし。故に、天の化(くは)も、又、盛にして、五月十日の風雨良く、時を不ㇾ違(たがへず)草木(さうもく)長じ、百穀實り、熱國(ねつこく)は却(かへつ)て凉しく、寒國は更に暖(あたゝか)なり。於ㇾ此(こゝにおゐて)諸州の産物・奇勝、其類(るい)するもの、甚だ多し。是を以つて是を見れば、古(いにしへ)の七奇は、今尚、他邦に同じきものあるを聞(きく)。が國(くに)、民間の童蒙、他(た)の問訊に對して、是非、かの七奇を飾らんと欲する故、是を減(げん)じ、彼(かれ)を增(ぞう)して、終(つゐ)に如ㇾ此(かくのごとし)。笑ふべきの甚しきなり。爰(こゝ)に於て「古(いにしへ)の七奇」を辨じ、「今の七奇」を撰(せん)せんとす。希(ねがは)くは、四方(よも)の好事家、爲ㇾ之(これがために)、説論(せつろん)せよ。

 

[やぶちゃん注:「七奇」以下、本「卷之二」全部を用いて〈古えの七奇〉〈俗説の十七奇〉及び橘崑崙自撰の「新撰七奇」(これは前の二つの奇名数から選び出したもので解説はごく短い)を詳述し、提示する。されば、ここでは個々の以下に並ぶ「奇」については一切、注をしない。どうしてもごく簡単にそれらの概要を知りたいというフライング好きの方は、〈俗説の十七奇〉を除くなら、Yutaka氏の「越後七不思議」がコンパクトに纏まってはいる。そこには「親鸞の越後七不思議」も載っている。但し、以下の崑崙の解説は詳説を極めるのでご期待頂いてよい。

「後越(こうえつ)」「越後」に同じい。

「記行」「紀行」に同じい。

「驛亭」宿場。或いは宿場の旅籠(はたご)。

「問訊(もんじん)」「訊問」(必要な取調べなどのために自分が確かに納得出来るまで詳しく口頭で問い質(ただ)すこと)に同じい。

「生國(しやうごく)の盲(もう)を曳く」誤った〈越後七不思議〉の情報を正確無比な決定的情報と誤認して旅から生国へと帰り、そこでそれを吹聴して伝播させてしまい、その結果として、その誤った〈越後七不思議〉を盲目的に信じ込んでしまった新たな、或いは後代の、その国の情報に対する批判的精神を持たない無知蒙昧の徒が増える。仮にそうした人々が後に実際に越後に旅人として来訪しても、そこで誰かが、「それが誤りであってこれが唯一正当な〈越後七不思議〉である」という教授を行わない限り、またしても、誤った、七つでない、痙攣的に増殖し変質してしまったそれこそ「奇」なる〈越後七不思議〉が全国に蔓延し続けるという悪循環が生ずる、という筆者の大真面目な危惧を主張しているのである。私はこれを大上段に過ぎるとか、事大主義的だ、などとは全く思わない。私は橘崑崙的人種であることをここに表明しておく。

「二十有四奇(ゆうしき)」「有」は数字とともに用いて「さらに・その上また」の意を表わす。「二十四」に同じ。

『「日本書紀」の二説』とは「燃土(もえつち)」と「燃水(もえみづ)」の「二説」に当たる「日本書紀」の「卷第二十七 天智天皇紀」の中に載る、「越國獻燃土與燃水」(越(こし)の國、燃ゆる土と燃ゆる水とを獻ず)を指しているものと私は考える。但し、次章で崑崙の引くものは版本が異なるらしく、以上の文字列ではない。

「享徳」一四五二年から一四五四年までの三年間。東山文化の形成者にして政治より数奇(すき)の道を好んだ風流人の室町幕府第八代将軍足利義政の治世であるが、享徳の乱(享徳三年十二月二十七日(一四五五年一月十五日)に勃発、終息は文明十四年十一月二十七日(一四八三年一月六日)で実に二十七年余りもかかった)が起って(第五代鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺した事に端を発して幕府方と、山内・扇谷両上杉方と、鎌倉公方(古河公方)方の三者が覇権・利権を争い、この闘諍(とうじょう)は関東全域に拡大、これが関東地方に於ける戦国時代の導火線となった)が起っており、崑崙の言うような、「風流好奇、今時(こんじ)の泰平にも等」しいなどという呑気な評価を下せる時代では必ずしもなかった。それとは別に、何故、崑崙はこのたった三年を〈越後の古えの七奇〉の選定時期として限定出来たのだろう? 何か、そうした記録が残っていなければこうは言えない。最古の〈越後の古えの七奇〉ネタ元は何だろう? 識者の御教授を乞うものである。

「勝奇」その国特有・固有の名勝と珍奇談。

「今古(こんこ)の別(べつ)ありて」〈越後の古えの七奇〉にさえも、実は古いものと、それに比べると相対的に新しいものとでは、有意に異なった「七奇」として存在しているというのである。

「目前(もくぜん)の説のみにして、他邦の論に詳しからず」これは越後の人々が自分が越後で実際に眼前で目撃体験して不思議に思ったものを「不思議」としただけのことで、彼らは越後以外の国の地誌やそこで発生する現象等に詳しくなかった。その結果として、他国でも普通に見られ、それらは実は越後が敢えて挙げるほどに特有なものではなく、時には全国的にも普通に見られる不思議でも何でもない自然な現象であることを知らなかった、そのために選ばれてしまった〈奇ならざる奇〉がそれらの中には混入していたと崑崙は指摘するのである。

「士は君恩に誇り」武士階級は主上や主君の御恩を一切修羅の戦場に出ずることもなしに心安らかに奉じて、穏やかに生活することが出来ており。

「間(かん)」「閑」の方が判りがよい。閑(ひま)・暇(いとま)。

「河源」野島出版版は『河原』となっている。

「天の化(くは)」野島出版脚注に『天地自然のうつり変わり』とある。

「五月十日」旧暦の二十四節気の第九の五月節である「芒種」(旧暦四月後半から五月前半)を念頭に置くか。穀類の種を蒔く、本格的な農作業の始まりの時期であり、自然界の活動も本格的に活性化する。それを「於ㇾ此(こゝにおゐて)諸州の産物・奇勝、其類するもの、甚だ多し」、即ち、諸国の特産品の基点であり、それぞれの国の名所も最も見るに生き生きとしてくるのであり、それらはどこの国でもシンクロニックである、と述べているのである。

「是非、かの七奇を飾らんと欲する故」何としても「越後七奇」を鮮やかに自慢したいがため、つい装飾的誇張的になってしまい、足したり、除いたりしては、手におえない「笑ふべきの甚しき」七つ以上のトンデモ〈奇〉トンデモ〈不思議〉となってしまった、という謂いであろう。

「爲ㇾ之(これがために)、説論(せつろん)せよ」表面上は、私が規定した〈古えの七奇〉と〈俗説の十七奇〉、そして私が定めた「新撰七奇」をまずは検討し、議論して欲しい、というのであるが、寧ろ、これをオーソドックスな名数として流布して戴ければ幸甚であるという自負を含んでいよう。]

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