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2017/08/12

北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート8 其九 「塩井」)

 

其九 「塩井(えんせゐ)」。三島郡与板(よいた)より西南、山の中、塩(しほ)の入坂(いりさか)、澤中(たくちう)出ず。又、栃尾(とちを)の東、山の間(あひだ)、塩中村(しほなかむら)溪流の中(うち)に井(ゐ)あり。其村には是を汲(くん)で食用に當(あつ)。其井水(せゐすい)を味ひみしに、甚だ、鹹(しほはや)し。俗、是を弘法大師の舊跡と云へり。水戸赤水子(みとせきすいし)、前の火井(くはせゐ)を賞して曰(いはく)、「此奇、獨り浮屠子(ふどし)の眼(まなこ)に觸れざるこそ、幸ひなれ」と、かゝる俗説を破る。好語(こうご)と稱すべし。又、享保十三戊申二月に、魚沼郡新保村(うほぬまごひりしんぼむら)庄屋半左衞門、庭隅(にはのすみ)の石の下より白塩(しろきしほ)を吹出(ふきいだ)して、日々に數升なりしが、一ヶ月ばかりにして自然に減じ、止みぬ。是等(これら)も地塩(ちゑん)の凝結せるものか。「代醉編(たいすいへん)」に木塩(ぼくしほ)等(とう)の説を擧ぐ。他邦にも塩井(ゑんせゐ)の奇は夛しと云へり。然(しか)れども、其中(うち)、石塩(せきゑん)は最(もつとも)奇なり。

[やぶちゃん注:以下に見る通り、ここは内陸部である(海岸線から七キロメートルは離れており、間には三つの丘陵や山地があってその内陸の三番目の東側の山麓に当たるから、海水が浸入した井戸とはちょっと思われない。寧ろ、先の「湧壷」の注で私が示した地下の帯水層中に液体のままの昔の海水が貯留している(化石海水)ものが湧き出しているか、その滞留部分を掠めた形の地下水脈があって、それにその化石海水が少しずつ混入していると考えた方が自然な気はする。無論、既に化石海水の水分が無くなって塩化したものを掠めて水脈があるとしてもよい(但し、後注で示すように、日本には大規模な「岩塩層」は存在しないので注意されたい)

「三島郡与板(よいた)より西南、山の中、塩(しほ)の入坂(いりさか)」現在の新潟県長岡市与板町与板。新潟県公式サイト内の「塩之入峠良寛歌碑」を見ると、この中央のトンネル附近(グーグル・マップ・データ)が「塩之入峠」となるが、不審。現在の与板市街から見て、ここは西北に当たるからである。崑崙の謂いが正しいとするなら、ここよりもずっと遙か彼方の南にまで下がらなければならないと私は思うのだが?

「栃尾(とちを)の東、山の間(あひだ)、塩中村(しほなかむら)」地図を拡大して探し続けた結果、やっと発見した。新潟県長岡市塩中。ここ(グーグル・マップ・データ)。現在の栃尾(新潟県長岡市栃尾町)市街地からは八キロ以上東北の山中で、塩谷川(しおたにがわ)添いである。この附近の地名には「塩新町」「下塩」「上塩」などと塩のつく地名が多く、しかもそれらは孰れも「塩中」の下流であるから、或いはこの「塩中」の「中」は「上・中・下」の「中」なのではなく、まさに崑崙の言うように、そこの「溪流の」「中」に塩水の「井」がある、という意味の「中」ではあるまいか?

「鹹(しほはや)し」塩からい。しょっぱい。

「水戸赤水」水戸藩の地理学者で漢学者の長久保赤水。既出既注。ここの内容も含めて「古の七奇」の中の「其七 火井(くはせゐ)」を見よ。

「此奇、獨り浮屠子(ふどし)の眼(まなこ)に觸れざるこそ、幸ひなれ」「浮屠子」は僧侶や仏教徒を指す。水戸光圀を濫觴とする水戸学は儒学思想を中心として国学・史学・神道を結合させたもので、外来伝来のくせに国家を支配した仏教に対し、極めて批判的であったから、水戸藩侍講であった長久保赤水もその強い影響下にあった。先の箇所では「赤水の博識には淺々しき説と云ふべし」と徹底的に論難していたのが、ここは一転して「かゝる」坊主絡みの「俗説を破」った(この「破」るとは、他の例のように「火井」が弘法大師や親鸞や日蓮といった糞坊主の阿呆奇瑞に馬鹿馬鹿しく牽強付会されることを免れたのは不幸中の幸いだったとそうした信じるに値しない抹香臭い俗世間の作り話を喝「破」(かっぱ)したことは、まさに「好語(こうご)と稱すべし」(言い得て妙の的を射た名言である)と諸手を挙げて称(たた)えているのである。このことから見ても、崑崙は国学系のシンパサイザーであったことが判明すると言えるのではあるまいか?

「享保十三」一七二八年。

「戊申」「つちのえさる/ボシン」。

「魚沼郡新保村(うほぬまごひりしんぼむら)」複数箇所の候補地があるので確定出来ぬ。識者の御教授を乞う。

「代醉編(たいすいへん)」先に出た「琅耶代醉(ろうやたいすい)」(野島出版脚注に『四十巻。明の張張鼎思が撰したもので経史の考証を随録したものだという』とある、私も調べては見たがよく判らん書物である)であろう。

「木塩(ぼくしほ)」出典元が不詳なれば、これも不詳。

「石塩(せきゑん)」岩塩のことか。本邦では岩塩が採掘されている話を全く聴かないが、これは日本がモンスーンの影響を受けてきた森林帯の島嶼だからである。岩塩は塩湖が地殻変動で岩石化したものを指し、塩湖は雨季と乾季の雨量が極端に異なる地域でのみ形成される。即ち、本邦には地質年代史上、砂漠のような乾燥地帯の大規模な形成が過去に一度も存在しなかったため、大きな岩塩床も存在しないのである(以上はQ&Aサイトの回答を参考にした)。]

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