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2017/08/13

北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート13 其十四 「風穴」)

 

其十四 「風穴(かざあな)」【「風洞」。】。三島郡雲上山(うんじようざん)國上寺(こくじようじ)弥陀堂の後(うしろ)、絶壁の下(した)に、經(わたり)、尺ばかりなる岩穴(いわあな)ありて、風を出(いだ)すこと、扇風(せんふう)の力(ちから)に比(ひ)すべし。俗説に、角田濱の洞口(とうこう)に相通じて此奇をなす、と云へり。其間(あいだ)、凡(およそ)、伊夜日子山(いやひこやま)を隔(へだて)て三里餘りなり。此説は、とるに足らざれども、又、外(ほか)に風の通ふべきと思ふ所だに、なし。即(すなはち)、地中深く大空所(だいくうしよ)ありて、自然に氣を發するものか。又、地中泉脉(せんみやく)の通ずる所か。只し、大山(たいさん)を穿(うがち)て溪間(けいかん)に通じたるか。又、頸城(くびき)難波(なんば)山にも風洞(ふうとう)ありと。未ㇾ見(いまだみず)。「水經(すいけい)」河水南逕北屈縣西十里風山、山上有ㇾ穴如ㇾ輪風氣蕭瑟たり、と。即(すなはち)、雲上山の風穴(ふうけつ)、これ劣らず。

[やぶちゃん注:後に注する角田浜の直近にある「角田山妙光寺」の公式サイト内の、小川英爾聖なる山と妙光寺の中の『妙光寺の裏手に〝岩屋″と呼ぶ大きな洞窟があ』り、『この岩屋の奥は国上山にある真言宗国上寺の本堂裏手に今も開いている風穴に通じ、岩屋の焚き火の煙が出てきたとか、追い込んだ犬が出てきたという伝説が双方に残っている。この国上寺は越後一の古刹としてかつて修験道の中心道場であり、弥彦神社とも深い繋がりがあった』(下線やぶちゃん)とあることから、この弥陀堂(本堂)の裏手には今もこの風穴があることが判った。なお、ウィキの「風穴によれば、『風穴は洞窟の内外で生じる気温差や気圧差により風の流れが生じ、洞口(洞窟の開口部、出入り口)を通じて体感的に速い大気循環がある洞窟の一形態で』、『比較的新しい時代の火山岩(溶岩台地、等)や石灰岩(カルスト地形』『等)が広がる地域や、海食崖が連なる海岸付近では特徴的に見られる』。『地中の空洞が、高低差のある複数の開口部で地表と結ばれている場合に風穴現象が起きやすい。冬場、空洞内で比重が軽い温かく空気が上方の温風穴から吹き出し、その分、冷たい外気が下方の冷風穴から吸い込まれる。日光が射さない空洞内の空気と岩盤は温度が上がりにくいため、夏になっても冷気が漏れ出る仕組みである』とあり、現象としては奇とするに足らぬ。

「三島郡雲上山(うんじようざん)國上寺(こくじようじ)」現在の新潟県燕市国上(くがみ)にある、和銅二(七〇九)年、越後一の宮弥彦大神の託宣によって建立されたとされる、越後最古の古刹とする真言宗雲高山(うんこうざん)国上寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。山号は誤り(同寺北のピークである山は寺名と同じ国上山)。詳しい沿革は同寺の公式サイト内のこちらが詳しいが、慈覚大師円仁・源義経・上杉謙信及び良寛(晩年の三十年間、ここの五合庵に住み、最晩年はこの麓の乙子神社境内社務所へ、最後は島崎村(現在の長岡市)木村元右エ門の邸内に移った)所縁の寺でもある。さらに調べてみると、面白いことが判った。何と、この寺は、かの酒呑童子(のモデルというべきか)が少年の頃、この寺で過ごし、修行をしたというのである。地元の民草は彼を鬼と見做し、彼らが棲む「穴」を「鬼穴」と称したという伝承がkeiko氏のブログ「自分に還る。」の『酒呑童子~越後から大江山へ●国上寺「酒呑童子絵巻」から』に載っている。この題名にもある通り、国上寺には「大江山酒呑童子繪卷」とともに寺の縁起が残されており、そこには酒呑童子の生い立ちがくわしく記されているという。「能面ホームページ」のによれば、『恒武天皇の皇子桃園親王が、流罪となってこの地へ来たとき、従者としてやってきた砂子塚の城主石瀬俊網が、妻と共にこの地にきて、子がなかったので信濃戸隠山に参拝祈願したところ懐妊し、三年間母の胎内にあってようやく生まれた。幼名は外道丸、手のつけられない乱暴者だったので、国上寺へ稚児としてあずけられ』た。『外道丸は美貌の持ち主で、それゆえに多くの女性たちに恋慕された』が、『外道丸に恋した娘たちが、次々と死ぬという噂が立ち、外道丸がこれまでにもらった恋文を焼きすてようとしたところ、煙がたちこめ』、『煙にまかれて気を失』ってしまう。『しばらくして気がついたとき、外道丸の姿は見るも無惨な鬼にかわってしま』っており、遂に『外道丸は身をおどらせ』、『戸隠山の方へ姿を』消し、後に『丹波の大江山に移り』住んだとあるという。さても! このどこに繋がっているか判らぬ妖しい国上の「風穴」こそは、まさにその「鬼穴」そのものではなかろうか?!

「角田濱」既出既注。新潟県新潟市西蒲(にしかん)区角田浜(かくだはま)。佐渡を正面に据えたここ(グーグル・マップ・データ)。国上寺からほぼ真北へ十二キロメートル離れている。

「伊夜日子山(いやひこやま)」既出既注の弥彦山。国上寺寄りにある。

「只し」ここは条件や例外を附すそれではなく、副詞「ただ」を強めただけの「もしかしたら」という仮定用法。

「難波(なんば)山」既出既注。上越市の高田地区の南西方の山岳地帯に三つのピークがあり、北西から南東に順に「青田難波山」(あおたなんばさん)・「南葉山(なんばさん)」・「籠町南葉山(かごまちなんばさん)」と呼ばれる(ここ(グーグル・マップ・データ))。

「水經(すいけい)」中国の河川について簡略に記した地理書。撰者は前漢の桑欽とも晋の郭璞とも伝えるが、未詳。三国時代頃の成立かと思われる。一般には、北魏時代に官僚で文人であった酈(れき)道元がそれに注を施した「水經注」(推定で五一五年成立)で知られる以下の崑崙の引用も、その「水經注」の「河水四」にある一節である。

河水南逕北屈縣西十里風山、山上有ㇾ穴如ㇾ輪風氣蕭瑟たり」「河水の南(みなみ)、北屈縣(ほつくつけん)の西十里を逕(へ)て風山(ふうざん)有り、山上(さんしよう)、穴有り、輪(りん)のごとし、風氣(ふうき)、蕭瑟(しようしつ)たり」。中文サイトで見ると、原文は「屈縣故城西、西四十里有風山上、有穴如輪、風氣蕭瑟、習常不止。當其衝飄也、略無生草、蓋常不定、故風之門故也」と続きがある。「輪」は馬車の車輪の大きさほどの謂いか。「蕭瑟」(発音は確かに「しょうしつ」であるが、歴史的仮名遣では「せうしつ」が正しい)は秋風が寂しく吹く形容。]

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