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2017/08/31

北越奇談 巻之五 怪談 其三(光る蚯蚓・蚯蚓鳴く・田螺鳴く・河鹿鳴く そして 水寇)

 

    其三

 

[やぶちゃん注:ここの条の改行は一箇所を除いて原典のママ。崑崙自作の七絶は整序して並べ、前後を一行空けた。]

 

 西川曾根といへる所、町裏(まちうら)、窪(くぼか)なる池に、塵芥(あくた)を捨て、數(す)十年、掃除も用ひざるに、一とせ、六月、淋雨(りんう)して盡(ことご)蒸し暑き夜、靑白(せいはく)の光あるもの、其邊(ほとり)に現はれ、這𢌞(はひまは)れり。人々、怪しみつゝ、大勢、挑灯(てうちん)[やぶちゃん注:「挑」はママ。]など照(てら)し、集まりて、是を見れば、長二尺ばかりなる蚯蚓(みゝず)なりし。是を以つて按(あんず)れば、西國(さいこく)大蚯蚓(だいきうゐん)の奇も真(しん)なるべきか。

 蚯蚓(きうゐん)の吟(ぎん)ずる事、唐山(もろこし)の書にも見へて、歌女(かじよ)の稱あり。夏日、淋雨、晴(はれ)んとする頃、庭際(ていさい)、溝溜(かうりう)などの畔(ほと)り、土中に吟じて、その声、清寥(せいりやう)たり。これを按ずるに、諸虫の吟ずるもの、皆、羽(は)あり。その羽を戰(ふる)ひ、其声を出すものなり。又、口、舌、有(ある)は、勿論なり。何ぞ蚯蚓(きうゐん)のみ、羽舌(うぜつ)なくして、此吟をなさんや。是、必(かならず)、螟螻(けら)の吟を誤まりて蚯蚓(みゝず)となすものならん。蚯(みゝず)、螻(けら)、もと、其居(お)る所、相同(あいおな)じ。依(よつ)て上古(しやうこ)、正愚(せいぐ)の者、土中に吟あるを探り得て、以(もつて)、螻の早く逃げ去(さり)たるを知らず、蚯蚓(みゝず)の跡に殘れるを見て、是(ぜ)となせるならん。或人の曰(いはく)、「蚯蚓(きうゐん)の吟と、螟螻(けら)の吟とは別音(べつをん)なり」と云へれど、是は妄説なること、明かなり。只、蚯蚓(きうゐん)、口無きにはあらず、頭の先を開(ひらき)て、よく、水垢(みづあか)・靑苔(あをごけ)などを吸(すふ)ものなり。

 又、「田螺鳴(たにしな)く」と云へること、俳諧季節などにも春の部出し發句(ほつく)もあり、且、農俗、よく是を云ふ。早春、雪消(ゆききえ)より、耘(くさかり)、耕(たがやす)の頃まで、田間(でんかん)、常に其声を聞くと雖も、心を用ひざれば、その何ものたるを知らず。過(すぎ)し春、頸城郡にありて、初めて、其(その)田螺なることを聞(きか)されど、心を用ひ、耳を傾(かたむ)くるに、「古呂(ころころ)加良(からから)」の声、寂寥と、かの長安の鼓吹(こすい)にも恥(はぢ)ざるべし。爰(こゝ)に一絶を新製(しんせい)す。

 

  田間水足事春耕

  風暖黄苗半寸生

  弦月朦朧含雨夕

  巡畴静聽蝸蠃鳴

 

 本草田螺・蝸蠃(くはら)ノ二品(にひん)に擧ぐ。蝸蠃は葢(ふた)なし。只、農俗云(いふ)、「田螺、蓋(ふた)なきもの、よく鳴く」と云へり。依(よつ)て此野調(やてう)を賦(ふ)して、以(もつて)、聊(いさゝ)か其(その)田家春夜(でんかしゆんや)の情(じよう)を述(のぶ)ると雖も、密(ひそか)に考(かんがふ)るに、田螺、よく此声をなすの謂(いは)れなし。即(すなはち)、田畦(たのあぜ)に出て、靜(しづか)に、獨り、其聲に付(つき)て探り求(もとむ)るに、田螺・蝸蠃、三ツ四ツを得、是を泥盤中(でいばんちう)に放ち、庭前に置きて、以(もつて)、試(こゝろむ)るに、終夜(よもすがら)、竟(つゐ)に不ㇾ鳴(なかず)。翌夜(よくや)、又、かの田畦(たのくろ)に至(いたつ)て聞(きけ)ば、即(すなはち)、声あり。重ねて尋ね求むれども、田螺、なし。頻りに杖を以て畦(くろ)を打(うて)ば、忽(たちまち)、土中(どちう)より白靑(しろあを)みたる小蛙(こがへる)一ツ、飛出(とびいで)たり。即、俗に「石蛙(いしかはづ)」と云ふものなり。是を取(とつ)て池中(ちちう)に放(はなつ)。其夜(よ)、忽ち、声、有(あり)て、田畴に異(こと)なること、なし。蚯蚓(きうゐん)の説、相同じ。以可一笑(もつていつせうすべし)。

 越國(ゑつこく)の俗諺(ぞくげん)に、「河鹿(かじか)、土中に鳴く時は、三年にして其堤(つゝみ)、崩(くづ)る」と云へり。河鹿、其形、鯰魚(なまず)に似て、小なるもの、一、二寸、大なるも、四、五寸に不ㇾ過(すぎず)。其声、鹿に似たれば、河鹿と云ふなるべし。是も又、前の二説に類して、かゝる小魚(しようぎよ)の鳴く理(り)なしと雖も、いまだ不ㇾ試(こゝろみず)。此魚(うを)、常に水上(すいしよう)に不ㇾ浮(うかばず)。砂石(しやせき)に著(つ)きて遊ぶ。或(あるひ)は水中(すいちう)土穴(つちあな)に住む。鬚(ひげ)あり。尾中、針(はり)ありて、人を刺す。然(しか)れば、堤の下など、自然に埋(う)みて、水を含み、空所有(ある)が故に、此魚、集まり住(すみ)て、其声をなせるか。[やぶちゃん注:ここは原典・野島出版版ともに文章は繋がっている。私が恣意的に改行した。明らかに崑崙の主張内容ががらりと様相を変えるからである。]

 が郷(きよう)、本(もと)より水國(すいこく)、常に洪水を防ぐの用をなす。殊に信川(しんせん)の淼流(ひようりゆう)、両岸(りやうがん)に付(つき)て、數百邑里(すひやくのゆうり)、年々(としとし)、水を愁(うれひ)、雨を苦(くるし)んで、是を防ぐの費(ついへ)、幾千万ぞや。然(しか)りと雖も、大河、一たび溢(あふ)る時は、千日の苦辛(くしん)、忽(たちまち)、あだとなり果てゝ、百尺(ひやくせき)の堤、只、一蟻穴(いちぎけつ)より破(やぶれ)、覆(くつがへ)り、其淼流が赴く所、林木(りんぼく)を拔き、村屋(そんおく)を傾(かたぶ)け、數十里(すじうり)の平田(へいでん)、只、泥海(でいかい)となりて、稻粱(いなくさ)の類ひは、云ふもさらなり、是がために、靑草一葉(せいさういちよう)の食(しよく)に當(あつ)べきもの、なし。故に、雨水(うすい)打ち續(つづく)年は、飢民(きみん)、寢席(しんせき)を暖(あたゝ)むること、能(あた)はざる也。目(ま)の當たり、是を見る人、誰(たれ)か愁(うれひ)となさゞることを得んや。或(ある)人の曰(いはく)、「今、猶、禹王(うわう)のあることを得ば、水國の下民(かみん)、此災(わざはひ)を免かるべし」と。笑(わらつ)て曰、「不ㇾ然(しからず)。上古(じようこ)の水(みづ)を愁(うれふ)る民は、分國の隔(へだ)てなく河(かは)溢(あふる)れども、今時(こんじ)のごとく、堤の防ぎもなく、其水の押し行く所、屋宇(おくう)漂ふことをなせども、正愚の民、是を補(おぎな)ふの術(じゆつ)なし。故に、禹王、その水脈を正(たゞ)し、地理のよろしきに隨(したがつ)て流(ながれ)を導くものなり。今の世は是を補ふの奇術ある人も、その南によろしきは、其北に障(さは)りあり。其西を宥(なだ)むれば、東、又、不ㇾ從(したがはず)。たまたま、四方(しほう)のよろしきを得る人ありとも、今時(こんじ)の人情、只、己(おのれ)に勝(まさ)れるを憎み、其下風(かふう)にたゝんことを恥(はづ)る。故に相爭(あいあらそふ)て止まず。たとへ、禹王、在(います)とも、何ぞ、其術を盡(つく)すことを得ん。が國、此水寇(すいこう)を免(まぬか)るゝことを得ば、方(まさ)に是(これ)、富饒(ふじよう)の地なるべし。」。

 

[やぶちゃん注:前半は生物奇談であるが、後半は俄然、崑崙が越後の治水の如何に困難であるかを語る、憂国の士としての厳しい事実の提示となっている。いつの世も怖いのは奇怪な生物なんぞではなく、自然災害であり、もっと忌まわしいのは人間のエゴだと崑崙は言うのだ。凄い!!!

「西川曾根」現在の新潟県新潟市西蒲区曽根。地区の西端を西川が北流する。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「淋雨(りんう)」雨が絶え間なく降る雨。長雨。

「靑白(せいはく)の光ある」「蚯蚓(みゝず)」実は、現在の本邦には〈光るミミズ〉が棲息する。環形動物門貧毛綱ナガミミズ目ムカシフトミミズ科 Microscolex属ホタルミミズ Microscolex phosphoreus である。ウィキの「ホタルミミズ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、小型のミミズの一種で、『生物発光することで知られている。日本でも各地に産する』。『体長四十 ミリメートル程度、体幅一~一・五ミリメートル程度の小型種である。体節数は七十四ないし七十六個で、ほぼ全体が淡黄白色を呈し、環帯以外の部分は半透明である。環帯は十三節目から二十七節目までを占め、環状に全面を覆う。剛毛は各体節に四対あり、ほとんどの関節では』、互いに『離れた位置にある。背孔はない。受精嚢は第八節と第九節の間で体表に開口し、雄性孔は一対のみで第十七節にあり、また』、『産卵孔は一対で第十四節に存在する』(老婆心乍ら、多くのミミズ類は雌雄同体である)。『日本においては、寒い時期の降雨中(あるいは降雨の直後)における目撃例が多い。夏期に見出されることはきわめて少なく、温暖な時期は卵の状態で越すか、あるいは異なった場所に移動して過ごす可能性が考えられている。地表に排出した糞塊(earthworm cast)は粉質で粒径が小さく、同様の場所に生息する他のミミズのそれと異なるために、比較的容易に生息場所が特定できるが、この糞塊も、晩秋から冬(特に十一月末から十二月末ぐらいまでの期間)にかけて多く見られ、夏場はほとんど見出されないという』。『主に有機物に富んだ黒ボク土や、花崗岩が風化してできた真砂土のようなシルト質の土壌を好み,畑や山林などさまざまな場所で確認されている。乾燥しすぎた場所や、逆に土壌含水率が過剰な場所には生息していない。当初は珍しい種であると考えられていたが、現在では公園や校庭などで見られる普通種であるとされる』。『名古屋大学キャンパス内での調査によれば、発見された場所は建物の北側などで地面が湿っており、地表にコケが生え、草本は少なくて表土が露出していて、あまり人が歩き回らない場所であった。緑地環境が保護された場所では全く発見されなかったという』。『生活史などの詳細は不明であるが、単為生殖で繁殖するのではないかと推定されている』。『北半球の温帯地域(ヨーロッパ・南北アメリカおよび日本)に広く分布する』。『日本では、神奈川県(大磯市)および鹿児島県において』昭和九(一九三四)年に『初めて発見され、さらに下って一九七二年の段階では福島・埼玉・神奈川・静岡・香川・福岡・鹿児島の各県から知られていた。二〇〇五年には鳥取県下で発見され、二〇〇三年および二〇一〇年には茨城県でも採集された。また、二〇〇四年から二〇〇九年にかけての奈良県下での調査で見出されたほか、二〇一二年には富山県下からも採集され、現在では東北から九州まで分布が知られている』。『なお、本種について、日本の在来種ではなく帰化したものではないかとする推測がある』。『発光能力があることで知られるが、特別に分化した発光器は持たず、外界からの刺激(ピンセットや針などによる機械的な刺激やクロロホルムなどの化学的刺激、電気的刺激を受けて、口や肛門または皮膚表面から体外に滲出した体腔液が光を発する。体腔液が発する光を分光器測定した結果では』、その波長は五百三十八ナノメートルで黄色みがかった緑色『であったという』。『本種が生息する地域を夜間に歩くと、地表面に点々とホタルのそれを思わせる光が観察される。ピンセットによって機械的刺激を与えた例では、体の末端から体液が出て、約一分間にわたりぼんやりとした光を発したという。富山県魚津市内での発見例でも、発光部位は体の後端であると報告されている』。『発光の意義については確実な説明がなされていないが、ケラなどの外敵が、発光しているホタルミミズに対して忌避を示して摂餌しない例が観察されていることから、外敵に対する威嚇ではないかとする説がある』。『日本産の陸生環形動物のうち、発光能力を有する種としては、他にイソミミズ(Pontodrilus litoralis:かつてはP. matsushimensis の学名があてられていたが、この名は現在では異名とされている)が知られる。本種より大型(体長三十二~百二十ミリメートル、体幅二~四ミリメートル程度)で、海岸付近の砂浜に生息する。軽微な機械的刺激では発光は観察されず、イソミミズの虫体を激しく傷つけたりすりつぶしたりすることで得られる体液から発光が認められるという』とある。しかし、ホタルミミズの発見はごく現代で、近代以降の帰化生物の可能性が高く、発光時期が本ロケーションと符合しない。後のイソミミズにしても、棲息域の問題と発光機序に何らかに強い刺激や粉砕が必要である点が厳しい。しかも孰れの種も大きさが小さ過ぎて、これらを同定候補するにはあまりにも無理がある。考え得る一つはイソミミズを捕食した鳥が運んで落した可能性である(イソミミズは現在のところは宮城県松島が北限であるが、本州の日本海側では発見例がない模様である。「日本産ミミズ大図鑑」のこちらを参照されたい)。

「二尺」六十一センチ弱。

「西國(さいこく)大蚯蚓(だいきうゐん)」石川県から滋賀県にかけてのみ分布するハッタミミズ(貧毛綱ジュズイミミズ目ジュズイミミズ科ジュズイミミズ属ハッタジュズイミミズ Drawida hattamimizu)は最大長六十センチメートルから一メートルにも達し(但し、これは伸縮度が大きいせいもある)。中部日本以西に棲息するシーボルトミミズ(ナガミミズ目フトミミズ科フトミミズ属シーボルトミミズ Pheretima sieboldi)は最大で四十五センチメートルにもなるから、実在するこれらのことを指していると見てよかろう。

「蚯蚓(きうゐん)の吟(ぎん)ずる事」大陸伝来の誤認で、本邦でも近代に至るまでミミズは鳴くものと考えられてきた(鹿児島大隅半島の山の中に暮らしていた私の母方の祖母もよくそう言っていた)が、発声器官を持たない彼らは当然、鳴かない。これは直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科ケラ科グリルロタルパ(ケラ)属ケラ Gryllotalpa orientalis である。詳しくは、私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 螻蛄(ケラ)」の注を参照されたい。崑崙の以下の「螟螻(けら)の吟を誤まりて蚯蚓(みゝず)となすものならん。蚯(みゝず)、螻(けら)、もと、其居(お)る所、相同(あいおな)じ」といった否定見解はすこぶる鋭く科学的且つ実証的である。

「唐山(もろこし)の書」野島出版脚注には『抱朴子。博喩。』酉『陽雜俎。などの中国の書物』とする。

「歌女(かじよ)」野島出版脚注に『蚯蚓はよく地中に長吟す。江東(揚子江の東方)』にては『これを歌女と云う。又』『鳴砌』(「メイサイ」或いは「メイセツ」)『ともいう(古今注)』とある。「古今注」は西晋(二六五年~三一六年)の崔豹(さいひょう)の撰とされる名物考証書であるが、実際には原本は失われており、現行本は五代(九〇七年~九六〇年)の馬縞(ばこう)の「中華古今注」三巻に基づいて編せられたもので、しかもこれの自体も唐の蘇鶚(そがく)の「蘇氏演義」二巻に依っていることが明らかになっている。

「庭際(ていさい)」庭の端。

「溝溜(かうりう)」「どぶだめ」。排水用の溝及び雨で出来た水溜まり。

「清寥(せいりやう)」清らかで静かなさま。私は螻蛄の鳴き声をそのようなものとして確かに感ずる。

「正愚(せいぐ)の者」先行使用例を見ても崑崙は「正愚」という言葉を全くの無知の輩への全否定的ニュアンスでは用いていない。寧ろ、知力に欠けはするものの、素朴な質の連中といった感じである。

「只、蚯蚓(きうゐん)、口無きにはあらず、頭の先を開(ひらき)て、よく、水垢(みづあか)・靑苔(あをごけ)などを吸(すふ)ものなり」崑崙の附け加えであるが、実に正確な観察である。ミミズの口は頭部尖端に開いており、落ち葉などの形成した腐植土などを摂餌している。

「田螺鳴(たにしな)く」崑崙が述べている通り、江戸の歳時記で既に三春の季語であった。実際に今でも田螺(腹足綱原始紐舌目タニシ科 Viviparidae のタニシ類)が鳴くと思っている人はいるようだが、無論、鳴かない。これは崑崙が検証している通り、蛙の鳴き声の誤認で、特に現代では両生綱無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル属カジカガエル Buergeria buergeri の鳴き声に特定されている。この蛙の鳴き声は近代以前には非常に好まれ、季節の贈答品として生きたまま贈られたりさえした。私の「谷の響 四の卷 一 蛙 かじか」なども参照されたい。但し、崑崙が実験のために捕捉したそれはそれらしくない。カジカガエルはアオガエル科 Rhacophoridae ながら、体色は灰褐色で、「白靑(しろあを)みたる小蛙(こがへる)」というのは同種とは思われない。しかし崑崙の音写するその鳴き声「古呂々々(ころころ)加良々々(からから)」はまさにカジカガエルの音写と読める。後に出る俗名「石蛙(いしかはづ)」は確認出来ない(カジカガエルとしてもそれ以外の蛙の異名としても、である)。因みに、同季語の発句を例示しておく。

 

 菜の花の盛に一夜啼(なく)田螺 河合曽良

 田螺鳴く畝のたんぽぽ打ちほけぬ 加藤曉臺

 鳴く田螺鍋の中ともしらざるや  小林一茶

 

寧ろ、「田螺鳴(たにしな)く」という諧謔味を好んだのは近代俳人で、鳴かないことを知っていて確信犯で季語として使用したものが異様に多い。今も信じている方々のその根っこにはこの罪深い連中の駄句があるように思われる。

 

 にぎやかに田螺鳴く夜や一軒家  正岡子規

 賣られてや京の眞中に鳴く田螺  正岡子規

 御佛に棚田棚田の田螺鳴く    高野素十

 水入れて近江も田螺鳴くころぞ  森 澄雄

 

ただ、子規の「賣られてや」の句などは、タニシが身を縮めて蓋をして閉じこもる際の出る小さな「チュ~ッ」という音とすれば、許せるところではある(タニシは足の後部背面に褐色のキチン質の蓋があり、殻口をぴったり塞ぐことが出来る。蓋は殻口と同形の滴状を呈したもので、核は中央付近にあって蓋は同心円状に成長する。蓋を閉める際、殻内の空気が隙間から漏れ出して音がすることが実際にある。ここはウィキの「タニシ」に拠った)。因みに、他に鳴かないのに鳴くとされて季語になっているものには「亀鳴く」(春)と、先の「蚯蚓鳴く」(秋)が著名。

「長安の鼓吹(こすい)」鼓(つづみ)と笛で、ほぼ打楽器と管楽器と構成されている楽曲。ここは唐の都長安の宮殿で催された祝宴用の音楽を漠然と想起したものであろう。

「田間水足事春耕 風暖黄苗半寸生 弦月朦朧含雨夕 巡畴静聽蝸蠃鳴」漢字を正字にして野島出版脚注にあるそれを参考に訓読する。

 

 田間(でんかん) 水 足(た)りて 春耕を事とす

 風 暖かにして 黃苗(くわうべう) 半寸(はんすん) 生(しやう)ず

 弦月 朦朧として 雨を含む夕(ゆふべ)

 疇(ちう)を巡りて 靜かに聽く 蝸蠃(くわら)の鳴くを

 

結句の「疇」は田の畦のこと。「蝸蠃」は本草書では有肺類 Pulmonataの蝸牛(かたつむり)のことだが、「蝸」も「蠃」も広く巻貝一般を指す語としても用いられる。ここは田螺である。

「本草」明の李時珍の「本草綱目」。

「蝸蠃は葢(ふた)なし」こんなことは「本草綱目」には書かれていない。思うに、カタツムリ類は多くが蓋を持たない(但し、貝殻亜門腹足綱ヤマタニシ上科ヤマタニシ科 Cyclophoridae:陸生貝類でカタツムリの一種。真正のタニシと全く無縁なので注意)などでは蓋があり、ヤマタニシ科ヤマクルマガイ属ヤマクルマガイ Spirostoma japonicumでは蓋が円錐形に盛り上がるのが特徴になっている。ここはウィキの「カタツムリ」を参考にした)。

「田螺、蓋(ふた)なきもの」蓋のないタニシは本邦産ではいないと思われる。蓋がないのは老成して衰弱した死にかけた個体か、外敵によって食いつかれ剝がれたものと私は推測する。

「野調(やてう)」野趣。

「賦(ふ)」ここは広義の漢詩(韻文)の意。

「河鹿、其形、鯰魚(なまず)に似て」これはどうもカジカガエルではない。以下を一読して、ピンときたのは、条鰭綱ナマズ目ギギ科ギバチ属ギギ Pelteobagrus nudiceps である。ただ、「小なるもの、一、二寸、大なるも、四、五寸に不ㇾ過(すぎず)」というのはちと小さいが、成長過程の若魚とすれば問題ない。実際に音を発する川魚であり、棘を持ち、刺されると痛む(但し、尾鰭ではない)ウィキの「ギギ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、『全長は三十センチメートルにもなるなど、ギギ科のなかで最も大きくなる。同じギギ科のギバチに似ているが、ギギは尾びれが二叉になっているので区別できる。背びれに一棘七軟条、尻びれに二十軟条、腹びれに六軟条、触鬚が四対。上顎に二対、下顎に二対、合計八本の口ひげがある。昼間は岩陰に潜み、夜間に出て底生動物や小魚などを食べる。腹びれの棘と基底の骨をすり合わせ、「ギーギー」と低い音を出す。背びれ・胸びれの棘は鋭く、刺さると痛い』(「其声、鹿に似」ているかどうかは知らぬ)。『直径約二ミリメートルの強い粘着性のある黄褐色の卵は、千二百粒から二千百粒ほど産卵された後に約七十時間で孵化し、体長五ミリメートル程度の稚魚となる。稚魚は一週間で卵黄を吸収し、九ミリメートル程度まで成長すると、摂食を開始する』。本種は『新潟県阿賀野川より以南、九州東部まで分布』から、分布域もクリアー出来る。但し、ギギを異名で「河鹿」と称するというのは聞かない。

「用」必要。

「信川(しんせん)」信濃川。

「淼流(ひようりゆう)」淼(正しくは「ビヨウ(ビョウ)」)は「水が果てしなく存在するさま」を意味する。厖大な水流。

「両岸(りやうがん)に付(つき)て」川の両岸にとりついて浸食し。

「數百邑里(すひやくのゆうり)」数多くの村里。

「苦辛(くしん)」苦しく辛(つら)い農作業や治水の仕儀。

「あだ」ここは「徒」で、「甲斐のないさま・無駄」「役に立たなくなること・つまらないもの」の意。

「百尺(ひやくせき)の堤」百尺(ひゃくしゃく)は約三十メートル強であるが、ここは築かれた長い堤の意。これは次の「韓非子」のそれの記憶違いで千とすべきところであろう。

「一蟻穴(いちぎけつ)」たった一つのちっぽけな蟻の巣の穴のようなもの。「韓非子」の「喩老」に、「千丈之隄、以螻蟻之穴潰、百尺之室、以突隙之煙焚」(千丈の隄(つつみ)も螻蟻(らろうぎ)の穴を以つて潰(つひ)へ、百尺の室も突隙(とつげき)の煙(けむり)を以つて焚(や)く)「螻蟻」は螻蛄(けら)と蟻。後半は「百尺もある大きな部屋も煙突の隙間の煙から灰燼に帰す」で、何事も早急に対処することが肝要であることの譬えである。

「稻粱(いなくさ)」野島出版版は本文を「稲梁」とし、ルビを『いなさく』とする。確かに原典は「稻梁」としか読めないのであるが、それでは意味が通らない(或いは、野島出版版の校訂者は稲を架ける「はさ」(稲架)を想起したのかも知れないが、「はさ」は「挟む」が原義であり、「梁」にはそのような意味はないから、私は採れない。しかも原典のルビは明らかに「いなくさ」である。そこで私は二字目を粟(あわ)の意の「粱」の誤字と採り、農民が育てる稲や粟などの穀類の「草」の意で、かく、した。大方の御叱正を俟つ。

「靑草一葉(せいさういちよう)」たった一枚の青菜、菜っ葉。

「寢席(しんせき)」寝床。

「禹王(うわう)」中国古代の伝説の聖王。特に黄河の治水に功績があって、聖王舜(しゅん)から禅譲によって帝位を受け継ぎ、夏王朝を建てたとする。

「水寇(すいこう)」水の侵攻。大規模で甚大な水害。]

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