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2017/09/23

老媼茶話 松風庵寒流(三坂春編(はるよし))始動 / 序・太平廣記(生きた胴体)

 

[やぶちゃん注:三坂春編(みさかはるよし 元禄一七・宝永元(一七〇四)年?~明和二(一七六五)年)が記録した会津地方を中心とする奇譚(実録物も含む)を蒐集したとされる寛保二(一七四二)年の序(そこでの署名は「松風庵寒流」)を持つ「老媼茶話(らうあうさわ(ろうおうさわ))」のオリジナル電子化注に入る。本書の読みは現代仮名遣で「ろうおうちゃわ」「ろうおうちゃばなし」などの読みで紹介されているものもあるが、私は底本序文の編者による現代仮名遣のルビ「ろうおうさわ」を採用するものである。

 作者松風庵寒流、三坂春編は三坂大彌太(だいやた)とも称した会津藩士に比定されている。これは三好想山の「想山著聞奇集 卷の參の「イハナ坊主に化たる事 幷、鰻同斷の事(リンク先は私の電子化注)に載る割注に、

   *

此茶話と云は、今會津藩の三坂氏の人の先祖なる由、三坂越前守隆景の後[やぶちゃん注:後裔。]、寛保年間にしるす書にて、元十六卷有(あり)て、會津の事を多く記したり、此本、今、零本(れいほん)と成(なり)て、漸(やうやう)七八卷を存せり、尤(もつとも)、其家にも全本なしと聞傳(ききつた)ふ、如何にや、多く慥成(たしかなる)、怪談等を記す。[やぶちゃん注:「零本」:完全に揃っている本を完本と称するのに対し、半分以上が欠けていて、残っている部分が少ない場合を「零本」という。零は「はした・少し」の意で「端本(はほん)」に同じい。]

   *

にあること、後に示す「續帝國文庫」の「近世奇談全集」の序の後に附された「後人附記」等によりほぼ確定と言える。

 底本は一九九二年国書刊行会刊の「叢書江戸文庫26 近世奇談集成[一]」を用いたが、例によって恣意的に漢字を概ね正字化した。また、底本の凡例には編者が振仮名を附したとあるだけで、その仮名遣については附言がない。ところが本文を見ると、編者の追加した平仮名の振仮名(原典にはカタカナの振仮名の他、若干の平仮名のもの及び振漢字があり、それは本電子化で採用した)は歴史的仮名遣ではなく、現代仮名遣であり、原典の本文や振り仮名と混合されると、私には頗る気持ちが悪い。そこで、ここでは追加する読みは、私が必要と判断した箇所に限り、しかも歴史的仮名遣で、ストイックにオリジナルに附すこととした。これは同時に底本の編集権を侵害せず(私は基本的に編集権侵害なるものは丸ごとその本を無断で複製すること以外にはないと考えているので実際には微塵もそう思ってはいないのだが)、全体がオリジナルな、しかも原典(私は底本の親本である写本の宮内庁書陵部本を無論、見たこともないし、本作が載る明治三六(一九〇三)年刊の正字本の「續帝國文庫」の「近世奇談全集」(柳田國男・田山花袋編・校訂)も所持しないが)に近いものとなると信ずる。二行割注は【 】で示した。句読点及び記号を一部でオリジナルに除去・変更・追加し、一部に改行を施した。踊り字「〱」は正字化した。字配りはブログ公開を考え、底本に従ってはいない。

 実は、私は既に本作の中の最上級の怪談の一篇である「入定の執念」を自己サイトで電子化訳注している。それだけ、思い入れの深い怪奇談集である。但し、最初の第一巻は主に中国の志怪小説や怪奇談随筆のごく短い紹介短文であって、実はそれらに親しんでいる私にはあまり面白いとは思われないのであるが、恐らく、三坂はこれらを示すことで、自身の怪奇談をそれらに比すべきものたらんと叱咤する覚悟の表われであり、オリジナリティの表明ともとれる。

 目次は以下に示す序文の後に続くが、それは全電子化を終えた後に附すこととする。【2017年9月23日始動 藪野直史】]

 

 

老媼茶話

 

 

     序

 

 山里は、常さへひとめまれなるに、神無月廿日あまり、時雨ふりあれて淋しきゆふへゆうへ、近くの老媼・村老の夜の長さをくるしみ、夜每に我草庵におとつれ來て、爐をめくり、茶を煮て、をのかとち、さまさま、ものかたりなしぬるを、予はかたはらに聞居て、つれつれのあまり書集めしに、いつとなく十六册になりぬ。もとよりいやしき村老や姥の茶番かたりなれは、虛妄の説のみにして十に壱もとる所なしといへとも、心有(こころある)人に見すへきにしもあらす、只をさなきはらへの耳をよろこはしめむと、しるして「老媼茶話」と名つくるもの也。

 

 于時寛保二年十月廿二日

           邊隅幽栖柴扉散人

                松風庵寒流

 

 さみしさにおなしこゝろの友もかな雨にふけゆくねやの灯

 

[やぶちゃん注:「ひとめまれなるに」「人目稀なるに」。

「ふりあれて」降り荒れて」。

「ゆふへゆうへ」「夕べ夕べ」。

「めくり」「巡り」。

「をのかとち」「己がどち」。自分ら同郷の仲間内(うち)にて。

「茶番かたり」「茶番語り」。茶を呑み交わす際の底の見え透いた下手な馬鹿げた物語り。謙辞。

「はらへ」童(わらべ)。

「于時」普通は「ときに」と訓じて、「今現在」の意。

「寛保二年」寛保二年壬戌(みづのえいぬ)。一七四二年。第八代将軍徳川吉宗の治世。

「邊隅幽栖柴扉散人」「へんぐういうせいさいひさんじん」と音読みしておく。「松風庵寒流」(同じく「しようふうあんかんりう」と読んでおく)とともに三坂吉編の号と思われる。]

 

 

老媼茶話卷之壱

 

     太平廣記

 

 淸河の崔廣宗(さいこうそう)といふもの、もろこし開元年中、法をおかして刑に逢ふて、首をはねられて、獄門にかけられたり。しかれとも、むくろは死せさりしかは、家人、かきて、家へかへりしに、うえたる時は、卽ち、地にゑかきて、「うゆる」といふ文字を、ゆひにて、かく。家人、則(すなはち)、食をすりくすにして、首刎(はね)たる跡の穴に入るゝに、あけば、「止」といふ字を、かく。家人、罪あれは、其罪の次第を書(かき)あらはして、いましむ。只、言語なし。三、四年過(すぎ)て、ひとり、男兒、うましむ。ある日、地に書していわく、

「明日かならす死せんまゝ、葬禮の具をそなへしめよ」

と。果して翌日、死したり。

 

[やぶちゃん注:これは「太平廣記」の「妖怪九」に「廣古今五行記」(唐の竇維(とうい)の撰になる志怪小説集)から引くとする「崔廣宗」。

   *

淸河崔廣宗者、開元中爲薊縣令。犯法、張守珪致之極刑。廣宗被梟首、而形體不死。家人舁歸。每飢、卽畫地作「飢」字。家人遂層食於頸孔中。飽卽書「止」字。家人等有過犯、書令決之。如是三四、世情不替。更生一男。於一日書地云。後日當死、宜備凶具。如其言也。

   *

「淸河」複数ある地名であるが、底本の編者による「せいか」という清音ルビや、歴史的な事実と薊県(現在の天津市薊州区)の県令であったとする辺りから推すと、現在の河北省邢台(けいだい)市清河(せいか)県か((グーグル・マップ・データ))。

「開元年中」七一三~七四一年。玄宗の治世の前半で、楊貴妃に惑わされる以前の彼が善政を行った「開元の治」の時期で、唐の絶頂期とされる。

「むくろは死せさりしかは」首を刎(は)ねられた胴体は不思議なことに死ななかったために。

「かきて」「舁きて」。担いで。

「うえたる時は」首のない生きた胴体だけの崔廣宗が餓えを覚えた時には。

「ゆひ」「指」。

「すりくす」「擂(す)り屑(くず)」。細かく砕いた状態。首がないので噛むことが出来ないからぐちゃぐちゃにすり砕いた食物を切断された首の食道部に押し入れたのである。荒唐無稽な中にあって妙にリアルであるところが猟奇的であると同時に面白い。

「あけば」「飽けば」。首のない生きた胴体だけの崔廣宗が充分に食って食い飽きたと感じた際には。

「家人、罪あれは、其罪の次第を書(かき)あらはして、いましむ」家人の中で罪を犯した者があれば、その処罰の内容を指で地に書いて諫めた。

「ひとり、男兒、うましむ」驚くべきことに、首のない生きた胴体だけの崔廣宗は、妻と交合もしていたのである。これはブッ飛んだ猟奇と言える。]

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