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2017/09/21

和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蓑衣蟲(みのむし)


Minomusi

みのむし 結草蟲 木螺

     壁債蟲

蓑衣蟲

     【俗云美乃無之】

 

△按諸木嫩葉漸舒老葉間有卷中生小蟲其蟲喰取枯

 葉吐絲用作窠長寸許婆裟形如撚艾炷毎縋于枝其

 蟲赤黒色有皺假而首尖時出首喰嫩葉動其首貌彷

 彿蓑衣翁故名之俗説秋夜鳴曰秋風吹兮父戀焉然

 未聞鳴聲蓋此蟲以木葉爲父爲家秋風既至則邇零

 落矣人察之附會云爾耳其鳴者非喓聲乃涕泣之義

  契りけん親の心も知らすして秋風たのむみの虫のこゑ 寂蓮

 枕草子に云風の音を聞き知りて八月はかりになれは父よ父よとはかなけに鳴くいみじくあはれなり

羅山文集詩蓑袂蠢然唯恠哉恰如釣叟立江隈曾開戰

蟻避風雨今見微蟲撲雪來

 

 

みのむし 結草蟲 木螺〔(ぼくら)〕

     壁債蟲〔(へきさいちゆう〕

蓑衣蟲

     【俗に「美乃無之」と云ふ。】

 

△按ずるに、諸木の嫩(わか)葉、漸く舒〔(の)〕び、老葉〔(らうえう)〕、間(まゝ)、卷くこと有り。中に小蟲を生ず。其の蟲、枯葉を喰取〔(くひと)り〕て絲を吐き、用ひて窠〔(す)〕を作る。長さ、寸許り、婆裟(ばしや)として、形、撚〔(ね)〕りたる艾-炷(もぐさ)のごとし。毎〔(つね)〕に枝に縋(ぶらさが)る。其の蟲、赤黒色、皺叚(しわきだ)有りて、首、尖り、時に首を出だして嫩葉を喰ふ。其の首を動かす貌〔(さま)〕、蓑(みの)衣(き)たる翁に彷彿(さもに)たり。故に之れを名づく。俗説に「秋の夜、鳴きて、曰く、『秋風 吹けば 父戀し』と。然れども、未だ鳴き聲を聞かず。蓋し、此の蟲、木の葉を以つて父と爲し、家と爲し、秋風、既に至れば、則ち、零落、邇(ちか)し。人、之れを察して、附會して爾(しか)云ふのみ。其の「鳴く」とは、喓(すだ)く聲に非ず、乃〔(すなは)ち〕、涕泣の義〔なり〕。

   契りけん親の心も知らずして秋風たのむみの虫のこゑ 寂蓮

「枕草子」に云ふ、『風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「父よ父よ」と、はかなげに鳴く、いみじくあはれなり。』〔と〕。

「羅山文集」の詩。

 

蓑袂蠢然唯恠哉

恰如釣叟立江隈

曾聞戰蟻避風雨

今見微蟲撲雪來

 

 蓑の袂 蠢然〔(しゆんぜん)〕として 唯 恠〔(くわい)〕かな

 恰も 釣(つり)する叟(をきな) 江の隈(くま)に立つがごとし

 曾つて聞く 戰蟻 風雨を避〔(さへぎ)〕ると

 今見る 微蟲 雪を撲〔(う)ち〕て來たるを

 

[やぶちゃん注:林羅山の七絶は句で改行し、前後を一行空け、後に訓読を示した。]

 

[やぶちゃん注:我々が親しく「蓑虫」と呼んでいるのは、有翅昆虫亜綱新翅下綱 Panorpida上目鱗翅(チョウ)目 Glossata 亜目 Heteroneura 下目ヒロズコガ上科ミノガ科 Psychidae に属するの蛾(日本には二十種以上が棲息する)の幼虫を含んだ棲管であるが、本邦ではその中でも最も大きな蓑を形成する(当然、内部の幼虫も大きい)であるオオミノガ(ミノガ科オオミノガ亜科 Acanthopsychini Eumeta 属オオミノガ(ヤマトミノガ)Eumeta japonica)の幼虫を指すことが多い。参照したウィキの「ミノムシ」によれば、『成虫が「ガ」の形になるのは雄に限られる。雄は口が退化しており、花の蜜などを吸うことはできない。雄の体長は』三~四センチメートルに達する。『雌は無翅、無脚であり、形は小さい頭に、小さな胸と体の大半以上を腹部が占める形になる(また、雄同様口が退化する)。したがって「ガ」にはならず、蓑内部の蛹の殻の中に留まる(性的二形)』。『雄は雌のフェロモンに引かれて夕方頃』、『飛行し、蓑内の雌と交尾する。この時、雄は小さな腹部を限界近くまで伸ばし蛹の殻と雌の体の間に入れ、蛹の殻の最も奥に位置する雌の交尾孔を雄の交尾器で挟んで挿入器を挿入して交尾する。交尾後、雄は死ぬ。その後、雌は自分が潜んでいた蓑の中の蛹の殻の中に』一千『個以上の卵を産卵し、卵塊の表面を腹部の先に生えていた淡褐色の微細な毛で栓をするように覆う。雌は普通は卵が孵化するまで蛹の殻の中に留まっていて、孵化する頃にミノの下の穴から出て地上に落下して死ぬ』。二十『日前後で孵化した幼虫は蓑の下の穴から外に出て、そこから糸を垂らし、多くは風に乗って分散する。葉や小枝などに到着した』一『齢幼虫はただちに小さい蓑を造り、それから摂食する』。六『月から』十『月にかけて』七『回脱皮を繰り返し、成長するにつれて蓑を拡大・改変して小枝や葉片をつけて大きくし、終令幼虫』(八令幼虫)『に達する。主な食樹は、サクラ類、カキノキ、イチジク、マサキなど』。『秋に蓑の前端を細く頸って、小枝などに環状になるように絹糸をはいてこれに結わえ付けて越冬に入る。枯れ枝の間で蓑が目立つ。越冬後は普通は餌を食べずにそのまま』四月から六月にかけて蛹化し、六月から八月に『かけて羽化する』。『日本列島(本州、四国、九州、対馬、屋久島、沖縄本島、宮古島、石垣島、西表島)』『に分布する。本種は東南アジアに広く分布する Eumeta variegata と同じ種であるという説も有力である』。『近年は後述する外来種のヤドリバエ』双翅(ハエ)目短角(ハエ)亜目ハエ下目ヒツジバエ上科ヤドリバエ科 Tachinidae『による寄生により生息個体が激減しており、各自治体のレッドリストで絶滅危惧種に選定されるようになってきている』。『オオミノガを初めとして、日本ではミノムシは広く見られる一般的な昆虫であったが』、一九九〇『年代後半からオオミノガは激減している。原因は、オオミノガにのみ寄生する外来種の』ヤドリバエ科Nealsomyia 属オオミノガヤドリバエ Nealsomyia rufella の侵入よるもので、『オオミノガヤドリバエは、主にオオミノガの終令幼虫を見つけると、摂食中の葉に産卵し、卵は葉と共に摂食される。口器で破壊されなかった卵はオオミノガの消化器に達し、体内で孵化する。(さらに、オオミノガヤドリバエ自体に寄生する寄生蜂が見つかっている)』とある。そういえば、確かに、蓑虫を見なくなったなぁ……確かに。……小学生の時、箱の中で色とりどりの毛糸で蓑を作らせたのを思い出した……

 

「嫩(わか)葉」若葉。新芽の葉。

「舒〔(の)〕び」伸び。

「窠〔(す)〕」「巣」に同じい。

「婆裟(ばしや)」東洋文庫訳の割注に『しおれて垂れ下がるさま』とある。

「撚〔(ね)〕りたる艾-炷(もぐさ)」灸に使用される、ヨモギ(キク目キク科キク亜科ヨモギ属変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii)の葉の裏にある繊毛を精製した「艾炷〔(もぐさ)〕」であろう。「炷」は音「シユ(シュ)」で灸に用いるための「もぐさ」の灯心状のものの一本分を指す語である。

「皺叚(しわきだ)」この「叚」(音「カ」)は「瑕」(「瑕疵(かし)」で判るように疵(きず)の意)に通ずるから、皺や傷のような襞を指している。読みの「きだ」は「段」の謂いと私は読む(「段(きだ)」は布や田畑の面積を測る単位として普通に使われる読みである)。まさにここはそのまま「段々(だんだん)になっている」の意で、蓑の中の幼虫は実際、前頭部部分が鎧上で以下の体節もかなりくっきりと段々に分かれており、この謂いはまさに納得出来るのである。

「彷彿(さもに)たり」いい当て訓だ!

「秋の夜、鳴きて」蓑虫も親の成虫の蛾も発声器官を持たないので当然、鳴かない。しかし、清少納言は鳴くと言い、芭蕉も、

 

 蓑蟲の音を聞きに來よ草の庵(いほ)

 

の一句がある(「続虚栗」。「蕉翁句集」に貞享四(一六八七)年の作とする)。今も「蓑虫鳴く」は秋の季語である。では、何の音声を蓑虫が鳴いていると誤認したものだろうと探りたくなる。その見当になるのは、まずは、良安も引く清少納言の記した鳴き声である。彼女は「虫尽くし」の冒頭で偏愛するそれとして、『鈴蟲。ひぐらし。蝶。松蟲。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし[やぶちゃん注:蜉蝣。]。螢』と羅列列挙した直後、述懐本文の冒頭にそれを挙げているのである。

   *

 蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親の、あやしき衣ひき着せて、

「今、秋風吹かむをりぞ、來むとする。待てよ。」

と言ひ置きて、逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、

「ちちよ、ちちよ。」

とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。

   *

「チチヨ、チチヨ」である。私は実はこれを、昔から、私の偏愛する、

「鉦叩き」(直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科カネタタキ科 Ornebius 属カネタタキ Ornebius kanetataki

であると勝手に思い込んでいる。事実、通常、彼らは「チッチッチッチッ」という小さな声で鳴くのである。また、ウィキの「カネタタキ」によれば、『同士が近接状態になると普段と鳴き方が変わり、「チルルチルル!チルチル!チルルルルルル!」という競い鳴きをする』ともある。You Tube で後者を探し出して聴いてみた(これ)。このウィキの後者の音写がそれに相応しいかどうかは別として、私はやはりカネタタキの声こそが「ちちよ、ちちよ」に最もふさわしいとする考えを変える気持ちはない

 さて、今日、これを調べるうちに、世の中には、私のようなフリークな、しかも稀有なことに、アカデミストがいたことが判った! 国文学者平島成夫氏(昭和二(一九二七)年~平成五(一九九三)年)である。平島氏は一九八九年発行の「高松短期大学紀要」(第十九号)の「日本文芸のリアリズム 枕草子『鳴くみの虫』考(PDF)でこれを文学的民俗学的生物学的に大真面目に探求されておられるのである。

 その追跡は執拗且つ緻密であるが、残念なことに、平島氏の結論は私の結論とは一致しない氏は所謂、蚯蚓と同じく、この〈鳴く蓑虫〉の正体を、長いドライブの末、

ケラ直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科ケラ科グリルロタルパ(ケラ)属ケラ Gryllotalpa orientalis

に最も相応しいとされている。非常な敬意を表するところの優れた論文であるが、この結論は私にはいただけないのである。ケラは大きく「ジ…………」或いは「ビー…………」という強い連続性を持ったものであって、三音で切れず、捨てられた鬼の娘が父を恋う声などには、決して比喩出来ないからである(少し遠くで聴く分には私は嫌いではない)。孰れにせよ、平島氏の論文は必読である。ともかく何より、面白いのである!!

「零落」落魄(おちぶ)れること。或いは草木の枯れ落ちることも意味するから、ここは良安、ちょっと洒落て、化生生物の終末期に一種の掛詞を用いたとも採れる。

「邇(ちか)し」「近し」。

「附會して爾(しか)云ふのみ」こじつけて言ってみたに過ぎぬ。しかし、やはりこういうところ、良安は時に本文に和歌なんぞを引くものの、極めて非文学的人種と読める。だから以下の分かり切った蛇足の一文『其の「鳴く」とは、喓(すだ)く聲に非ず、乃〔(すなは)ち〕、涕泣の義〔なり〕』(その場合の「なく」というのは、「鳴く」、虫が沢山集まって「鳴く」のその声の謂いではないのであって、則ち、強い人間的感情に牽強付会した悲しみによって声をあげて涙を流す「涕泣」という意味なのである)とまで大真面目に言わんでもいいことまで言い添えてしまうのである

「契りけん親の心も知らずして秋風たのむみの虫のこゑ 寂蓮」「夫木和歌抄」所収。読み易く整序すると、

 

 契りけむ親の心も知らずして秋風賴む蓑蟲の聲

 

である。

「蠢然〔(しゆんぜん)〕」小さな虫の蠢くさま。転じて、取るに足らぬ者が騒ぐさま。

「恠〔(くわい)〕」「怪」に同じい。東洋文庫版は「恠なるかな」と「なる」を送るが、原典にはなく、従えない。

「釣(つり)する叟(をきな) 江の隈(くま)に立つがごとし」私はm羅山はかく詠んだ時、彼の脳裏には私の偏愛する柳宗元の五絶の名品「江雪」が想起されていたと信ずる。

   *

 

 千山鳥飛絶

 萬徑人蹤滅

 孤舟蓑笠翁

 獨釣寒江雪

 

  千山 鳥(とり)飛ぶこと 絶え

  萬徑(ばんけい) 人蹤(じんしよう) 滅す

  孤舟 蓑笠(さりふ)の翁

  獨り 寒江の雪に釣るを

 

   *

私は「獨り」「寒江の雪に釣」りする「孤舟」「蓑笠の翁」とは、「楚辞」の「漁父之辭」の道家的な孤高の思想者であると思うし、たとえ彼がそうであったとしても、私は、必ずしも、屈原に言ったのと同じように、「滄浪之水淸兮 可以吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足」(滄浪の水 淸(す)まば 以つて 吾が纓(えい)を濯ふべし 滄浪の水 濁らば 以つて吾が足を濯ふべし)とばかり嘯いてはいないと思う人種である。だからこそ「曾つて聞く 戰蟻 風雨を避〔(さへぎ)〕ると」「今見る 微蟲 雪を撲〔(う)ち〕て來たるを」という羅山の覚悟が詠めてくるように思うのである。]

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