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2017/09/14

北越奇談 巻之六 人物 其十(蜂のもたらした夢を買って大金を得た仁助)

 

   其十

 

Nikitigousei_2

 

[やぶちゃん注:北斎の挿絵。キャプション「仁助 大蜂の夢を買て 樹根に金を得る」。放射する金光の白抜きに残したそれが素晴らしい。左右を合成する際には、専ら、その光線の具合をのみ考慮した。その合成の違和感を軽減させるために、上部の枠を恣意的に除去してある。]

 

 間瀨(ませ)の濱(はま)は、伊夜日子山(いやひこやま)、海磯(かいぎ)に浸(ひた)りて、絶巖露根(ぜつがんろこん)、引連(ひきつらな)、一望(いつぼう)數(す)十里、佐州の遠山(ゑんざん)、波上(はしよう)に浮(う)かみて、景色(けいしよく)はかりなき地なり。漁樵(ぎよせう)、凡(およそ)三百余家(か)、冬、暖(あたゝか)に、夏、凉し。

 爰(こゝ)に仁助と云へる壯年の者あり。家貧しく、父母老(おひ)たれども、いまだ、妻(さい)を不ㇾ迎(むかへず)、富家(ふか)某(それがし)の下(もと)に身を賣(うり)、漸(やうや)くにして父母を孝養せしが、ある夏の末、朋輩の男と、後(うしろ)なる山に柴を刈(かり)てありけるが、あまりの暑(あつさ)に、

「いざ、凉(すゞみ)なん。」

とて、木蔭(こかげ)に立寄(たちより)、松根(しやうこん)を枕として、朋輩の男は遂眠(ねふ)れり。

 かの仁助は、眠ること能(あた)はず、海面(うみづら)遙かに詠(なが)め居(ゐ)たりしに、忽(たちまち)、佐州の方より、赤き大蜂(おほばち)一ツ、飛來(とびきた)りて、かの眠れる男の鼻の上に止(とま)り、二、三度、左右へ𢌞(めぐ)りけるが、その蜂、鼻の穴の中(なか)へ跂入(はいり)たり。

 仁助、是を見て驚き、呼び起さんと思ひども、あまりによく眠れる故、

「今に、かの蜂の刺したるならば、などか目を覺(さま)さゞらん。」

と打詠(うちながめ)たるに、やゝ半時(はんじ)ばかりにして、其蜂、鼻の穴より跂出(はへいで)、又、鼻の上に登り、二、三遍(べん)、左右に𢌞(めぐ)りて、忽(たちまち)、羽(は)を振るひ、海上(かいしよう)遙(はるか)に、飛去(とびさ)りぬ。

 されども、かの男、いまだ不ㇾ覺(さめず)。

 仁助、たまり兼ねて、搖すり起し、

「扨も、よく眠る男哉(かな)。汝、頻りに鼾(いびき)高く、寐語(ねごと)せしが、何ぞ、夢は見ずや。」

と、問ふ。

 かの男、漸々(やうやう)起上がり、目を擦(す)り擦り、

「莫迦(ばか)な夢を見しことかな。」

と云ふ。仁助、

「いかなる夢ぞ。」

と問ふ。彼(かの)男、

「いやとよ。赤き衣(ころも)着たる老僧一人來りて、

『我は佐州榎木谷(えのきだに)正光寺(しやうくはうじ)と云へる僧なり。佛殿の前に榎の大木(たいぼく)あり。其根下(ねのした)に金(かね)あり。是を汝に授(さづ)くるほどに、早く來りて掘(ほる)べし。遲き時は、他人の手に渡るべきぞ。』

と、言捨(いひすて)て歸りたり。夢妄想(ゆめまうぞう)とは此(この)ことならん。」

と云ふ。

 仁助、聞(きゝ)て、

「そんな莫迦な夢は、早く人に賣(うる)がよい。」

と云へば、かの男、

「誰(たれ)が夢を買(かふ)ものぞ。」

と答ふ。仁助、

「我れ、買ふべし。」

と云ふ。かの男、

「しからば、錢(ぜに)を出せ。賣(うる)べきぞ。」

と。

 爰(こゝ)に於て、酒二升に約し、遂に、仁助、村の酒店(しゆてん)に至り、二斤(きん)の酒を求め、山に歸り來り。夢を買(か)ふかの男、大に喜び、終(つゐ)に、両人、是を呑盡(のみつく)して歸る。

 扨、仁助、主人に暇(いとま)を乞(こひ)、親の元(もと)に立帰り、一年の許しを得て、江戸に出(いで)稼(かせ)ぎて見たき由(よし)を願ひ、已に旅立(たびたち)の裝(よそほひ)を成し、村を離れ、密かに新泻の湊より便舟(びんせん)して、佐州に渡り、榎木村と云へるを尋(たづ)ぬるに、

「水津(すいつ)より、三里、北山(きたやま)の中(うち)にあり。」

とて、直ぐに其所(そのところ)に到り見れば、正(まさ)しく正光寺と云へる禪院、在(あり)。

 仁助、即(すなはち)、寺に奉公せんことを求む。和尚、喜び、

「幸ひ、近頃、僕(ぼく)に暇(いとま)やりて、人を抱(かゝ)へんと思ふ折節なり。」

とて、遂に是を許す。

 扨、仁助、精心を盡(つ)くし、給仕して、其樣子を窺ひ見るに、門前に、大なる榎木ありて、中庭、皆、蔭(かく)す。

 一日(いちじつ)、和尚に謂(いつ)て曰(いはく)、

「此(この)大樹(たいじゆ)、半(なかば)朽(くち)て、良材になるべからず。地(ち)、蔭(かげり)て、苔(こけ)、厚し。只、切(きつ)て薪(たきゞ)と成(なせ)ば、よろしからんか。」

と問ふ。和尚、是を許す。仁助、

「人を雇ふに不ㇾ及(およばず)。我(われ)よりより、是を根より掘倒(ほりたを)し切(きら)ん。」

と。

 日を經て、根の周(まは)り、盡(ことごと)く土を穿(うがち)、大木、倒(たを)るゝばかりにして、扨、打捨置(うちすておく)事、又、數日(すじつ)、ある日、和尚始(はじめ)、寺中(じちう)、皆、出(いで)て不ㇾ居(おらず)、仁助獨り、留主居(るすゐ)して、人無きを窺ひ、急(いそぎ)、かの大樹を掘りて引倒(ひきたを)すに、忽(たちまち)、盤囘(ばんくわい)の根下(こんか)、一壺(いつこ)の金光(きんくはう)、燦然として、仁助、密(ひそか)に是を納(おさむ)。

 時に、和尚、歸り來りて、大樹を伐(き)りたることを労(ねぎら)ふ。

 仁助、僞(いつわ)つて曰(いはく)、

「父、重病の由(よし)にて、今日、人を以つて、我を召す。願(ねがは)くは、三月(みつき)の暇(いとま)を得、帰りたし。」

と乞ふ。

 和尚、其孝を感じて許す。

 仁助、又、曰、

「父、常に砂糖を好めども、家、貧にして、飽(あか)しむること、能(あた)はず。願くは、給銀(きうぎん)を以つて求めたし。」

と請ふ。

 和尚、又、是を許す。

 仁助、即(すなはち)、砂糖一壺(いつこ)を求め、かの金(かね)の壺と取替(とりかへ)て荷作り、遂に、便船して國に歸る。

 是より、家富榮(とみさかへ)て、今、猶、繁昌せり。

 

[やぶちゃん注:日文研の「怪異・妖怪伝承データベース」のこちら(夢・蜂)によれば、柳田國男「初夢と昔話」(昭和一二(一九三七)年二月発行『旅と傳説』第百十号所収・但し、この論文、所持する「ちくま文庫」版全集には所収しない)に(以下は日文研の要約)『九州のほうでは、日向の外録の金山を開いた三弥大蓋という人の出世譚として伝えられている。越後では間瀬村の仁助という長者の話だといい、夢の峰はすなわち、四十九里の波の上を渡って佐渡の榎木谷の正光寺の庭で黄金の壷を捜しあてたことになっている』とあり、本邦に外に酷似した伝承があることが判る。話柄としては唐代伝奇辺りに濫觴を求められそうな匂いがするように私は思う。なお、個人サイト「西蒲原怪奇研究所」のこちらによれば、一九九六年刊の小山直嗣「新潟県伝説集成 下越篇」からとして、この仁助は『寺から持ち帰った金でたくさんの田畑を買い、御殿のような家を建てて住んだ。人々は仁助を「間瀬の長者」と呼んで敬ったという』ともある。最後の、仁助が佐渡から金子の入った壺を持ち出すに際しての砂糖壺との取り替えの謀略などは、明らかに西欧或いは中国の説話等の臭気がプンプンして、却って作り話臭く、私は厭味な気がした。

「間瀨(ませ)の濱(はま)」現在の新潟県新潟市西蒲区間瀬(まぜ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。佐渡島を正面に見据える。

「伊夜日子山」多数既出既注の新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦にある弥彦山のこと。標高六百三十四メートル。ここ(グーグル・マップ・データ)。間瀬の南南東四・五キロメートル弱。

「海磯(かいぎ)に浸(ひた)りて」海浜や磯の水面に映って。

「絶巖露根(ぜつがんろこん)」切り立った絶壁で巨岩がその根を露わにしているさま。

「漁樵(ぎよせう)」漁師と木樵(きこり)・杣人(そまびと)。

凡(およそ)三百余家(か)、冬、暖(あたゝか)に、夏、凉し。

「跂入(はいり)たり」正確には「はひいりたり」と読むのが正しい。「跂」(音「キ・ギ」)は「這(は)う・這って歩く」の意。

「半時(はんじ)」現在の一時間相当。

「跂出(はへいで)」読みはママ。

「佐州榎木谷(えのきだに)正光寺(しやうくはうじ)」不詳。まず、現在の佐渡に「榎木谷」或いは「榎谷」「榎」の地名或いはその痕跡を見出せない。また、現在の新潟県佐渡市羽吉(はよし)ここ(グーグル・マップ・データ)。大佐渡の両津の北直近)にかつて羽黒山正光寺という寺は存在したが、ここは水津(現在の両津の東方、小佐渡北端の姫崎の灯台の段丘下にある天然の良港。ここ(グーグル・マップ・データ))からは確かに有に「三里」(以上)はあるものの、元は天台宗で、上杉景勝の佐渡入府によって真言宗に改宗するも、寛永一七(一六四〇)年に寛永寺末寺となって天台宗に復帰、明治の初めに廃寺となっていて(ブログ「佐渡広場」の本間氏のこちらの記載に拠る)、「禪院」ではない。なお、本文では「北山」とあるが、佐渡でこう呼称するのは、金北山(きんぽくさん:大佐渡山地のほぼ中央に位置する標高一一七一・九メートルの島内で最も高い山。古くは「北山(ほくさん)」と呼ばれていたが、江戸初期に佐渡金山が発見されてより、現在の名で呼ばれるようになった。ここ(グーグル・マップ・データ))で、羽吉地区はちょっと東にずれる。但し、山号にもなっている同地区の羽黒山ここ(グーグル・マップ・データ))は金北山の五キロ東北東にあって「北山」を中心とする大佐渡山地の中の一ピークであるから、「北山(きたやま)の中(うち)にあり」は表現としてはおかしくはない。問題はやはり「禪院」である。佐渡は偏愛する地であるので(特にカテゴリでの「佐渡藻鹽草」の完全電子化注によってドップリはまってしまった)、今少し探索して見ようとは思うが、この寺、今はまだ比定同定出来ない。但し、正直言うと、寧ろ、類似伝承が濫觴であることを意識した架空の寺のようにも思われる。別に禅宗の正光寺が佐渡にあった事実があるのであれば、是非、御教授あられたい。

「二斤(きん)の酒」何故、こう書き変えているか分らぬ。二升(体積単位。一升=一・八リットル)と二斤(重量単位。一斤=六百グラム)は酒では一致しない。ルビもそれぞれちゃんと区別してつけてあるのだが、「升」は崩した場合、「斤」と見間違い易い。ここも「二升」が正しいのではなかろうか。

「夢を買(か)ふかの男」「買」はママ。売った男の方を指す。当時、「売買」という語は互換性があり、これは誤りではない。

「盤囘(ばんくわい)」周囲を廻り繞(めぐ)ること。]

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