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2017/10/16

老媼茶話巻之三 女大力

 

     女大力(をんなだいりき)

 

 三州吉田の城主、池田三左衞門輝政の妹、惡女にて大力(だいりき)なり。山崎左馬之助妻と成(なり)、離別の後、剃髮して天久院といふ。

 ある時、吉田城内、狼籍者、有(あり)。

 人、數多(あまた)、斬殺(きりころ)し、天久院のもとへ切入(きりい)

 天久院、鉢卷をし、袴の裾、高くからげ、大長刀(おほなぎなた)をかい込(こみ)、仁王立(にわうだち)にたち、大(だい)の眼(まなこ)を見ひらき、扣(ひかへ)玉へば、狼籍もの、此けんまくをみて、大きに恐れ、逃行(にげゆく)を、追懸(おひかけ)、串切(くしざし)に切放(きりはなし)し玉ふ。

 凡(およそ)、百人力有(あり)と、いへり。

 又、吉田城中に化物ありて、女房のうせける事、數多(あまた)也。人々、おそれおのゝく。

 或日、天久院の、ぼたん臺(だい)の下に生敷(なましき)人のほね、あり。

 是を見る者、

「化物、他より通ひ來(きた)るにあらず。城中に紛居(まぎれゐ)たり。」

とて、彌(いよいよ)、怪(あやし)み、おそれける。

 ある夜、天久院、つふりへ、女の衣裳をかぶり、寢たるふりをなしてうかゞひ給ふに、「小ちく」といふ女房、此所へ來り、頻りに高鼻をかぎて、馬の息のごとし。

 天久院、ひそかに是を見玉ふに、彼(かの)女房、氣色(けしき)、すさまじく成(なり)、眼(まなこ)、光(ひかり)、口、耳の際(きは)迄、さけ、天久院飛懸(とびかか)り、衣裳ぐるみにおしつゝみ、表へ、かけ出(いで)むとする。

 天久院、腕をのべ、件(くだん)の化物のつふりを、

「みし。」

と、とらへ、抓(つかみ)ふせ玉へば、牛のほへるごとく、うなりけるを、こぶしを握り、つぶりをはりつぶし玉へり。

 尾、二股にさけ、五尺餘の大猫にてありし、となり。

 

[やぶちゃん注:恐るべき烈女である!

「三州吉田」三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町にある豊橋公園内)にあった城。戦国時代の十六世紀初頭にその前身が築城され、十六世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の一つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁となった(以上はウィキの「吉田城」に拠る)。

「池田三左衞門輝政」(永禄七(一五六五)年~慶長一八(一六一三)年)は安土桃山から江戸前期にかけての大名。美濃池尻城主・同大垣城主・同岐阜城主から、この三河吉田城主を経て、播磨姫路藩の初代藩主となり、姫路城を現在残る姿に大規模に修築したことで知られる。天正一八(一五九〇)年の小田原征伐・奥州仕置での功績によって、同年九月に秀吉の命で吉田城主となった。慶長五(一六〇〇)年の「関ヶ原の戦い」で前哨戦となった織田秀信の守る岐阜城攻略に参加し、福島正則と共に功を挙げ(岐阜城の戦い)それによって戦後、家康の命で播磨姫路に加増移封されて姫路藩主となっているから、ここは冒頭で「三州吉田の城主」と言っている以上、その閉区間が作品内時制となる。

「山崎左馬之助」山崎家盛(永禄一〇(一五六七)年~慶長一九(一六一四)年)は安土桃山から江戸初期にかけての大名で摂津国三田城主・因幡国若桜藩初代藩主。ウィキの「山崎家盛によれば、「関ヶ原の戦い」で、『石田三成の挙兵を下野国小山にいた徳川家康に伝える一方、大垣城に拠っていた三成と面会し西軍に与することを約束した。家盛は、西軍として細川幽斎が守る丹後国田辺城攻め(田辺城の戦い)に加わるが、積極的に攻め入ることなく、ほとんど膠着状態のまま帰結した。戦後、家盛は西軍に与した罪により』、『改易されそうになるが、義兄・池田輝政の尽力』『や三成の挙兵の報告をした功があるとして許され』、慶長六(一六〇一)年『に因幡若桜』『に加増転封となった』とある。彼女との離別の年次は明らかではないが、こちらの記事(戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : 池田家の猛女、天球院と関ヶ原)によれば、『家盛は側室を作って正妻ほったらかしで殆ど家に戻ろうともしなかった』ともあり、それ以下の関ヶ原以降の叙述を読む限りでは、「関ヶ原の戦い」の直後には別居していたと読める。池田輝政に再嫁した徳川家康二女督姫(良正院)を妻とともに救ったという、物語佐馬奥方三田)(PDF)では二人がともに謀って戦国を乗り切ったとあるが、どうも前のリンク先の話の方がしっくりくる(そこでは弟で因幡鳥取藩初代藩主池田長吉(ながよし)の所に行って弟に養わせたともある)。

「天久院」天球院が正しい(永禄一一(一五六八)年~寛永一三(一六三六)年)。輝政の妹。山崎家盛との間には子はなく後に離縁して池田家に戻った。龍峰寺の江山景巴に帰依し、寛永八(一六三一)年に妙心寺天球院の開基となっているらしい。

「けんまく」「劍幕(見幕・權幕)」。怒って興奮しているさな。いきり立って荒々しい態度や顔つき。

「串切(くしざし)に切放(きりはなし)し玉ふ」腹部辺りを一突きにした後、その胴体を完全に上下に切り離したということであろう。とんでもない臂力(ひりょく)である。

 凡よそ)、百人力有(あり)と、いへり。

「うせける事」「失せける事」。

數多(あまた)也。人々おそれおのゝく。

「ぼたん臺(だい)」「牡丹臺」。城の中の庭園の牡丹の鉢植えを並べた観賞用の棚であろう。

「生敷(なましき)」未だ新しい骨。舐りそこなった皮肉などが附着していたものかも知れぬ。

「つふり」頭。

「女の衣裳をかぶり」彼女は剃髪して尼僧の格好をしているのであるが、か弱く見せて化け物に油断させるため、女房の上着を被ったのである。

「小ちく」「こちく」でよかろう。女房の名。

「高鼻をかぎて」高く鼻を上げては、何か、ものを嗅ぐ様子を見せて。

「のべ」「伸べ」。

「こぶしを握り、つぶりをはりつぶし玉へり」何もつけていない素手の拳固で、巨大な(「五尺」は一・五メートル)猫又の頭を殴りつけて、完全に潰してしまったというのである。恐るべし!

「尾、二タ股にさけ」妖怪猫又。詳しくは「想山著聞奇集 卷の五 猫俣、老婆に化居たる事」の私の注を参照されたい。]

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