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2017/10/24

トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) つぐみ その二


Kurotugimi22

   つぐみ その二

 

 また同じ寢床に、同じ眠れぬ私。やがてまた夏の夜明けが、この身をめぐる。同じつぐみは窓に來て歌ひ、同じ傷みに心は疼く。

 小鳥の歌は心を和まさぬ。だが私はもう、わが身のために歎くのではない。他の傷痕が數知れず口を開いて、私の思ひを引裂く。この身にとつて何物にも代へ難い血は、赤紫の流をなして傷口を迸る。意味も無くひたすらに、さながら高樓の檐を傳うて泥土に落ちる雨水のやう。……

 いま、はるか不落の城壁の下、幾千の同胞が息絶えてゆく。無能の隊長の手によつて、幾千の同胞がむざむざと死の腭(あぎと)に投げこまれてゆく。

 彼等は聲もなく死んでゆく。死なせる人達も悔いはせぬ。彼等は己れの命を惜まぬ。無能の隊長らも、部下の犧牲を一顧もしない。

 そこには義もなく不義もない、打つ穀束が空しいものか穰れるものかは、時とともに露はれよう。この傷心は何事ぞ。この苦惱はそも何事ぞ。私は泣くこともできぬ 頭は熱し、心は沈む。罪人のやうに私は、厭はしい枕に額を埋める。

 重く熱した水の滴が、點々と頰を傳はつて唇に鹹い。これはなんだらうか。淚か、また血か。

             一八七八年八月

 

[やぶちゃん注:第五段落末の「厭はしい枕に額を埋める」であるが、底本では「厭はしい析に額を埋める」となっていて読めない。後の中山省三郎譯「散文詩」や一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」を参考に「枕」の誤植と断じ、特異的に訂した。

 訳者註。

   *

遙か不落の城壁の下 『つぐみ』(その二)は八月とのみで日附がないが、明らかに同年八月八、九日の兩日、ツルゲーネフがヤースナヤ・ポリヤーナにトルストイを訪問した際の印象をモチーフとしてゐるものと斷定していい樣である。卽ちあの露土戰爭が終結を告げたばかりであり、殊にプレヴナの攻防戰に於ける土耳古軍の好守、それに伴ふ露軍の甚大な犧牲などの生々しい記憶などは、この兩老大家の話題の中心をなしたらしく、伯爵夫人ソフイヤ・アンドレーヴナの言葉によれば「長い議論」が續けられたのである。そして本編にみなぎる人道主義的な調子には、さながらトルストイその人の聲を思はせる程の激越さがこもっている點、トゥゲーネフの「性格」を研究する上に尠からぬ光を投げるものであらう。なの、トゥルゲーネフが其の席に居合せた子供達に向つて、「死ぬことの怖い人は手を上げなさい」と言い、自ら眞先にお手本を示したに反し、トルストイは順番が𢌞つて來ると、「禮儀のため」餘儀なさそうに(と伯爵夫人の眼には映った――)手を上げたなどという挿話も、併せて考えて見ると興味が深い。

   *

合わせて、後の中山省三郎譯「散文詩」の同じ箇所に附された註も引用する。

   *

・今や幾千の同胞や友だちは、遠いあなたの城塞の堅固な墻壁のもとに亡んでゆく:一八七八年七月下旬、ツルゲーネフはペエテルブルグにおもむき、翌八月にはモスクワを經て故郷スパッスコエに歸り月末にそこを發つてゐる。この散文詩は故郷で書いたものと想像される。このときの歸國は十六年間絶交してゐたトルストイと和解し、彼の家を訪問したことによつて記憶される。時は露土戰爭の終つたばかりで二人は戰爭について長い議論をしたと傳へられる。殊にブルガリヤのプレヴナ等に於て露軍が作戰を誤り、甚大なる損害を蒙つたことなどが話題の中心をなしたものと推察され、それが直ちにこの詩の内容を形づくつたものと考へられる。

   *

両註で語られている「露土戰爭」は、まさにそのブルガリア戦線を舞台にした、私の愛する作品、ガルシンの「四日間」(リンク先は私の電子テクスト)に詳しいので、是非、お読み頂きたい。また「プレヴナ」「ブルガリヤのプレヴナ」は、バルカン半島のプレヴェン(Плевен/ブルガリア語をラテン文字転写するとPleven)で、現在のブルガリアのプレヴェン州の州都である。一八七七年から一八七八年にかけての露土戦争の際には、ここのプレヴェン要塞が最大にして最後の激戦地となった。包囲したロシア軍に対して要塞を死守せんとするオスマン軍のオスマン・パシャの抵抗は凡そ五箇月に及び、ロシア軍は多くの戦死者を出したことで知られる。なお、芥川龍之介はこの時のツルゲーネフとトルストイの邂逅を小説鴫」に描いている(リンク先は「青空文庫」の当該作)。

 

「つぐみ」黒歌鳥(くろうたどり)。の「 一」の私の注を参照のこと。]

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