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2017/10/17

佐藤春夫 女誡扇綺譚 五 女誡扇

 

 

           女誡扇

 

 

 私がいやがる世外民を無理に強いて、禿頭港(クツタウカン)の廢屋の中へ、今度こそ這入(はい)つて行つたのは彼がその次に南へ出て來た時であつた。多分最初にあの家を發見してから五日とは經てゐなかつたらう――世外民は當時少くとも週に二度は私を訪れたものなのだから。

「さあ。今日こそ僕の想像の的確なことを見せる。運がよければ、君がそれほど氣に病む幽靈の正體が見られるかも知れないよ」

 私はかう宣言して、この前の機會と同じ時刻を撰んだ。そこに幽靈のゐないことを信じてゐる私は、しかし、自分の事を、高い雕欄(てうらん)のいい窪みを見つけて巣を營んでゐる双燕(さうえん)を驚愕させる蛇ではないかと思つて、最初は考へたのだが構はないと思つた。といふのはもしそこに一對の男女がゐるやうならば、自分はその時の相手の風態(ふうてい)によつては、わざと氣がつかないふりをして、彼等をその家の居住者のやうに扱つて、自分達が無法にも闖入したのを謝罪しようと用意したからである。私たちはそれだからごく普通の足音をさせて、あの石の圓柱のある表からこの前の日のとほりに入口を這入つた。その時、さすがに私もちよつと立止つて聞き耳を立ててはみた。勿論どんな泉州(ツヱンチヤオ)言葉も聞かれはしなかつた。それだのに困つた事に、世外民は氣味惡がつて先に這入らないのだ。表の廣間のなかはうす暗くて、またこんな家のどこに二階への階段があるか、私には見當がつきにくい。しかし世外民は口で案内して、表扉を這入つて廣間の左或は右の小扉(ことびら)を開いてみたら、そこから上るやうになつてゐるだらう、といふのである。その廣間といふのは二十疊以上はあるだらう。四つの閉めた窓の破れた隙間からの光で見ると、他(た)には何一つないらしい。私は這入つて行つた。その時、思はず私が呻つたのは、例の聲を聞いたからではないのだ。ただの閉め切つた部屋の臭ひである。どんな臭ひとも言へない。ただ蒸(む)れるやうなやつで、それがしかし建物(たてもの)がいいから熱いのではない。割に冷たくつてゐて蒸れるとでもいふより外には言ひ方がない。この臭ひを、世外民は案外平氣らしかつた。天井を見ると眞白(まつしろ)に粉(こ)がふいて黴(かび)がはえてゐる。その黴の臭ひだつたかも知れない。私たちは先づ右の扉を開けた。――果してすぐそこが階段であつた。幅二尺位(ぐらゐ)の細いのが一直線に少し急な傾斜で立つてゐる。それが上からの光で割に明るい。何も怖氣(おぢけ)がさすやうなものは一つもないが、また私は傳説をさう眼中におかないが、それでもやはりさう明るい心持にはなれないことは確(たしか)だ。氣味が惡いと言つては言ひすぎるが、私はよく世外民をひつぱつて來たと思つた。私はひとりででも一度來てみる意志はあつたのだが、もしもひとりだつたらあまり落着いて見物はしにくいかと思ふ。それにしてもあんな傳説を迷信深く抱(いだ)いてゐる人人が、たとひそれは二人連れであつた事が確でも、第一日(にち)によくまあここへ來たものだと言へる。いや、よくもここを撰ぶ氣になつたものだ。私はこの細い階段を戀人たちが互に寄りそひながらおづおづして、のぼつて行つた時を想像してみた。

[やぶちゃん注:「雕欄(てうらん)」(ちょうらん)は二階のテラスなどの彫刻を施した欄干(らんかん)のこと。]

 私は世外民を振り返つて促しながら、階段を昇り出した。そこには私の想像を滿足させることには、ごく稀にではあるがこのごろでもそこを昇降する人間があることは疑へなかつた。といふのは、それは何も鮮かな足跡はないのだが、寧ろ譬へば冬原(たうげん)の草の上におのづと出來た小徑(こみち)といふ具合に、そこだけは他(た)の部分より黑くなつて、白い塵埃のなかから、階段の板(いた)の色がぼんやり見えてゐるのであつた。二階には人のけはひはない。私は幽靈の正體は先づ見られさうにもないと思つた。二階ヘ出た。

 案外にそこは明るかつた。その代りどうしてだか急に暑くムツとした。人影のやうなものは何もなかつた。氣が落着いて來たので私は何もかも注意して見ることが出來たが、床の上にもまた人が步いたあとがあつて、それがまた一筋の道になつて殘つてゐる。L形(エルがた)になつた部屋の壁のかげから、光が帶になつて流れて來る。この部屋へ澤山の明るさを供給してゐるのは、その窓で、人の步いたあともまたその窓の方へ行つてゐる。壁のかげに誰かがピツタリと身をよせて隱れてゐるやうな氣もする。私はその窓の方へおのづと步いて行つた。我我の足元から立つ塵は、光の帶のなかで舞ひ立つた。顏に珍しく風が當つて、明るい窓といふのが開(あ)いてゐること、その壁に沿うて一つの臺があることが、一時(じ)に私の目についた。臺といふのはごく厚く黑檀(こくたん)で出來たもので、四方には五尺ほどの高さの細い柱が、その上にはやはり黑檀の屋根を支へてゐる。その大きさから言つて寢牀(ねどこ)のやうに思はれた。

「寢牀だね」

「さうだ」

 これが私と世外民とが、この家へ這入つてからやつと第一に取交(とりかは)した會話であつた。寢牀には塵は積つてはゐなかつた――少(すくな)くとも輕い塵より外には。さうして黑檀は落着いた調子で冷冷(ひえびえ)と底光りがしてゐた。私は世外民を顧みながら、その寢牀の上を指さした。私の指が黑檀の厚板(あついた)の面(おもて)へ白くうつつた。

 世外民は頷いた。

 その寢牀の外には家具と言へば、目立つものも目立たないものも文字通りに一つもなかつた。話に聞いたあの金簪(きんさん)を飾った花嫁姿の狂女は、この寢牀の上で腐りつつあつたのではないだらうか。それにしてはこれだけの立派な檀木(たんぼく)の家具を、今だにここに遺してあるのは、憐憫によつてではなく、やはり恐怖からであらう。

 寢牀のうしろの壁の上には大小幾疋かの壁虎(やもり)が、時時のつそりと動く。尤もこれは珍しい事ではない。この地方では、どこの家の天井にだつて多少は動いてゐる。内地に於ける蜘蛛ぐらゐの資格である。ただこの壁の上には、廣さの割合から言つて少少多すぎるだけだ。六坪ほどの壁に三四十疋(ぴき)はゐた。

 世外民はどうだか知らないが、私はもう充分に自分の見たところのもので滿足であつた。歸らうと思つて、歸りがけにもう一度窓外の碧(あを)い天を見た。その他(た)の場所はあまりに氣を沈ませたからだ。歸らうとして私はふと自分の足もとへ目を落すと、そこに、ちやうど寢牀のすぐ下に扇子(せんす)見たやうなものがある――骨が四五本開(ひら)いたままで。私は身をかがめて拾つた。そのままハンケチと一緒に自分のポケツトのなかへ入れた。なぜかといふのに世外民はいつの間にか歸るために、私に世を向けて四五步も步き出してゐたからだ。

 世外民も私も下りる時には何だかひどく急いだ。表の入口を出る時には今まで壓へてゐた不氣味が爆發したのを感じて、我我は無意識に早足で出た。さうして無言をつづけてその屋敷の裏門を出た。

「どうだい。世外民君。別に幽靈もゐなかつたね。」

「うむ」世外民は不承不承に承認しはしたが「しかし、君、あの黑檀の寢臺の上へ今出て來た大きな紅い蛾を見なかつたかね。まるで掌ほどもあるのだ。それがどこからか出て來て、あの黑光りの板(いた)の上を這つてゐるのを一目は美しいと思つたが、見てゐるうちに、僕はへんに氣味が惡くなつて、出たくなつたのだ」

「へえ。そんなものが出て來たか。僕は知らなかつた。僕はただ壁虎(やもり)を見ただけだ。君、君の詩ではないのか。幻想ではないのか」

 ――私は世外民があの寢牀(ねどこ)の上で死んだ狂女のことをさう美化してゐるのだらうと思つた。

「いいや、本當だとも。あんな大きな赤い蛾を、僕は初めてだ」

 私は步きながら、思ひ出してさつきの扇(あふぎ)をとり出してみた。さうして豫想外に立派なのに驚き、また困りもした。

 その女持(をんなもち)の扇子といふのは親骨(おやぼね)は象牙で、そこへもつて來て水仙が薄肉(うすにく)に彫つてある。その花と蕾との部分は透彫(すかしぼり)になつてゐる。それだけでも立派な細工らしいのに、開(あ)けてみると甚だ凝つたものであつた。表には殆んど一面に紅白の蓮(はす)を描(ゑが)いてゐる。裏は象牙の骨が見えて――表一枚だけしか紙を貼つてゐないので、裏からは骨があらはれるやうに出來てゐたのだが、その象牙の骨の上には金泥(きんでい)で何か文章が書いてある。

「君」私はもう一度表を見返しながら世外民に呼びかけた。「玉秋豐(ぎよくしうほう)といふのは名のある畫家かね」

「玉秋豐? さ。聞かないがね。なぜ」

 私は默つてその扇子を渡した。世外民が訝しがつたのは言ふまでもない。私もちよつと何と言つていいかわからなかつた――私は無賴兒ではあつたが、盜んで來たやうな氣がしていけないのだ。私はそのままの話をすると、世外民は案外何でもないやうな顏をして、それよりも仔細にその扇をしらべながら步いてゐた――

「玉秋豐? 大した人の畫(ゑ)ではないが職人でもないな。不蔓不枝(ふまんふし)」彼はその畫賛を讀んだのだ。「愛蓮説のうちの一句だね、不蔓不枝。――だが女の扇(あふぎ)にしちや不吉な言葉ぢやないか。蔓(つる)せず枝せざるほど婦女にとつて悲しい事はあるまいよ。どうしてまた富貴多子(ふうきたし)にでもしないのだらう――平凡すぎると思つたのかな」

「一たい幸福といふのは平凡だね。で、その富貴多子とかいふのは何だい」

「牡丹が富貴、柘榴が多子さ」世外民は扇のうらを返して見て、口のなかで讀みつづけながら「おや、これは曹大家(さうたいか)の女誡(ぢよかい)の一節か。專心章だから、なるほど、不蔓不枝を選んだかな……」

 扇は案外に世外民の興味をひいたと見える。それを吟味して彼がそんなことを言つてゐる間に、私はまた私で同じ扇に就て全く別のことを考へてゐた。

 その扇はうち見たところ、少くとも現代の製作ではない。さうしてその凝つた意匠は、その親が、愛する娘が人妻にならうとする時に與へるものに相當してゐる。――恐らく沈家(シンけ)のものに相違ないであらう。昔、狂女がそれを手に持つて死んでゐなかつたとも限らない。その扇だ。更に私は假りに、禿頭港(クツタウカン)の細民區の奔放無智な娘をひとり空想する。彼女は本能の導くがままに悽慘な傳説の家をも怖れない。また昔、それの上でどんな人がどんな死をしたかを忘れ果ててあの豪華な寢牀(ねどこ)の上に、その手には婦女の道德に就て明記しまた暗示したこの扇を、それが何であるかを知らずに且つ弄(もてあそ)び且つ飜(ひるがへ)して、彼女の汗にまみれた情夫に凉風(りやうふう)を贈つてゐる……。彼女は生きた命の氾濫にまかせて一切を無視する。――私はその善惡を説くのではない。「善惡の彼岸」を言ふのだ……

[やぶちゃん注:ここは注を敢えて最後に持って来た。

「玉秋豐」不詳。

「愛蓮説」宋の儒者周茂(一〇一七年~一〇七三年:茂叔は字。名は敦頤(とんい))の作。以下が全文。

   *

水陸艸木之花、可愛者甚蕃。晋陶淵明獨愛菊。自李唐賴、世人甚愛牡丹。予獨愛蓮之出淤泥而不染、濯淸漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益淸、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫焉。予謂、菊花之隱逸者也、牡丹花之富貴者也、蓮花之君子者也。噫、菊之愛、陶後鮮有聞。蓮之愛、同予者何人。牡丹之愛、宜乎衆矣。

(水陸草木の花、愛すべき者、甚だ蕃(おほ)し。晋の陶淵明、獨り、菊を愛す。李唐より來のかた、世人、甚だ牡丹を愛す。予、獨り蓮の淤泥(をでい)より出づるも、染まらず、淸漣に濯(あら)はるるも妖(えう)ならず、中(なか)、通じ、外、直(なほ)く、蔓(つる)せず枝(えだ)せず、香り、遠くして、益々淸く、亭亭(ていてい)としてうき植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつぐわん)すべからざるを愛す。予、謂(おもへ)らく、「菊は花の隱逸なる者なり、牡丹は花の富貴なる者なり、蓮は華の君子たる者なり」と。噫(ああ)、菊を、之れ、愛するは、陶の後、聞く有ること、鮮(すくな)し。蓮を之れ愛するは、予に同じき者、何人(なんぴと)ぞ、牡丹を、之れ、愛するは、宜(むべ)なるかな、衆(おほ)きこと。)

「曹大家(さうたいか)の女誡(ぢよかい)」「たいか」はママ。後漢の中国初の女性歴史家で作家の班昭(四五年?~一一七年?)の著になる『曹大家(こ)「女誡」』(「家」は「か」ではなく「こ」と読み慣わすらしい)。班昭は曹世叔という人の妻であったことから、曹大家(たいこ)と尊称された。和熹太后に仕え、宮廷で教育係として重きをなし、兄班固の著わした歴史書「漢書」を彼の亡き後、引き継いで完成させたことでも知られる。「女誡」は彼女が婚期を迎えた自分の娘のために書き記した教訓書(女性教育書)であるが、当時の知識人に歓迎されて広く流布し、中国の女訓書の原型ともいうべきものとなった。「卑弱第一」「夫婦第二」「敬愼第三」「婦行第四」「専心第五」「曲從第六」「和叔妹第七」という構成と内容を持つ(「奈良女子大学学術情報センター」の解説を参考にした)。その「專心章」は国立国会図書館デジタルコレクションの画像のから視認出来る(本文は全百七十五字。リンク先の後には注解が附されてある)。個人サイト「兩漢魏晉學庵」の曹世叔妻伝の「専心第五」に以下のように訳されてある。

   《引用開始》

礼に、夫が再度妻を娶る道は記されているが、妻が再度夫に嫁ぐという文は無い。(※儀礼に曰く。父が生きている時は、母の為の服喪をどうして一年とするのか。最も尊い者が生きている時は、敢えて服喪を伸ばさないのである。父は必ず三年の喪に服して後に(後妻を)娶る。子の志を達する為である。)

故に夫は天であると言うのである。(※儀礼に曰く。夫は妻の天である。婦人が二夫に仕えないのは、天を二つに割る事はできないという事と同じである。)天から逃げる事はできず、夫から離れる事はできないからである。

行いが神祇の心に違えば、天はこれを罰し、行いが礼儀に違えば夫はこれを大切にしなくなる。

故に女憲に「一人(の夫)の心を得る事、これを永畢(一生添い遂げる)という。一人(の夫)の心を失う事、これを永訖(一生独り身で終える)という。」と言うのである。

これにより述べるならば、夫の心を得なくてはならないのである。

必要なのは、媚びへつらい適当に親しむという事ではない。本より夫に心を専らにし、容儀を正す事が第一である。

礼儀を守り潔白であり、道端の声を聴かず、横目で物を見る事無く、外に出ては艶やか過ぎず、家の中でも身なりに気を遣い、他人と群集まる事無く、家の前を見張る事が無い。これを心を専らにして容儀を正すという。もし、挙措が軽薄で、落ち着き無く周りを眺めたり聞き耳を立て、家の中では髪を乱して身なりを整えず、外に出ては艶めかしく媚を売り、言葉は道に外れ、見るべきでない物を見る。これを心を専らにして容儀を正す事ができないという。

   *

本小説に於けるキー・ポイントは、この主張の核心にある「女の再婚を決して許さぬ」誡である。]

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