フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蛞蝓(なめくじ) | トップページ | トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 僧 »

2017/10/19

トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) とどまれ


Todomare

   とどまれ

 

 とどまれ。いま私の見る姿のままで、いつまでも私の記憶にとどまれ。

 いま御身の唇から、靈感に燃える終節(フイナーレ)のひと聲が羽ばたいて去つた。御身の眼は、もはやきらきらと輝かない。幸福に壓し伏せられた者のやうに、その光は失せる。一つの美をみごとに表出(あらは)し了せたといふ自覺の喜びに壓し伏せられて、その光は消える。羽ばたき去る美のあとを追つて御身は、勝ち誇ろ力も失せた兩手を、空しくさし伸べるかのやうだ。

 はつ秋の午後の日ざしよりも淸らに濃やかな光が、御身の手足に沿うて、薄絹のどんな細かな襞々にも流れたことぞ。

 どんな神の居て、情の籠るその息吹きに、御身の振りみだした捲毛の髮を、やさしく後(うしろ)へ靡かせたのだ。

 その神の接吻(くちづけ)の痕は大理石(なめいし)のやうに蒼ざめた御身の額に、まだ燃えてゐる。それこそは、發かれた神秘の痕だ。詩の、生の、戀の神秘の。……ああ終に、それこそは不滅のものの姿だ。これを措いては、不滅はない。またある要もない。いま、この瞬間、御身は不滅だ。

 この瞬間は過ぎる。そして御身は再び一握の友に、女性に、子供になる。……だが、それが御身にとつてなんだらう。今この瞬間、御身は現身(うつそみ)を超える。流轉のものの外に立つ。この御身の瞬間は、決して盡きるときがあるまい。

 とどまれ。そして私をも、御身の不滅にあやからしめよ、私の魂に、御身の『永遠』の餘映を落さしめよ。

            一八七九年十一月

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。訳者註。

   *

『とどまれ』 これはトゥルゲーネフ反省のよき友、助言者、また純粹な意味での戀人であつたヴイアルドオ夫人(Pauline Viardot, 1821―1910)に捧げられた頌歌と解される。

   *

 本篇は新改訳れ!」)がある。なお、一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」版にはこの中山版の挿絵はない。

« 和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蛞蝓(なめくじ) | トップページ | トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 僧 »