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2017/10/12

佐藤春夫 女誡扇綺譚 二 禿頭港(クツタウカン)の廢屋

 

    禿頭港(クツタウカン)の廢屋

 

 道を左に折れると私たちはまた泥水のあるところへ出た。片側町(まち)で、路に沿うたところには石垣があつて、その垣の向うから大きな榕樹(ようじゆ)が枝を路まで突き出してゐた。私たちはその樹かげへぐつたりして立ちどまつた。上衣を脱いで煙草へ火をつけて、さて改めてあたりを見まはすと、今出て來たこの路は、今までのせせつこましい貧民區よりはよほど町らしかつた。現に私たちが背を倚(よ)せてゐる石垣も古くこそはなつてゐるけれども相當な家でなければ、このあたりでこれほどの石垣を外圍(そとがこ)ひにしたのはあまり見かけない。さう思つてあたりを見渡すと、この一廓は非常にふんだんに石を用ゐてゐる。みな古色を帶びてそれ故(ゆゑ)目立たないけれども、このあたりが今まで步いて來たすべての場所とその氣持が全く違つて、汚いながらにも妙に裕(ゆた)かに感ぜられるといふのも、どうやら石が澤山に用ゐてあることがその理由であるらしい。

[やぶちゃん注:「榕樹」バラ目クワ科イチジク属ガジュマル Ficus microcarpa。]

 この町筋――と云つても一町足らずで盡きてしまふが、この片側町の私たちの立つてゐる方(はう)は、それぞれに石圍(いしがこ)ひをした五六軒の住宅であるが、その別の側、卽ち私たちが向つて立つた前方は例によつて、惡臭を發する泥水である。黑い土の上には少しばかりの水が漂うてゐて、淺いところには泥を捏(こねく)り步きながら豚が五六疋遊んでゐるし、稍深さうなところには油のやうなどろどろの水に波紋を畫(ゑが)きながら家鴨(あひる)が群れて浮んでゐる。この水溜の普通のものと違ふところは、これは濠(ほり)の底に涸れ殘つたものであることである。大きな切石がこの泥池のぐるりを御丁寧に取り圍んでゐる。しかも幅は七八間もあり、長さはと言へばこの町全體に沿うてゐる。深さは少くも十尺はある。この濠の向うには汀(みぎは)からすぐに立つた高い石圍ひがある。長い石垣のちやうど中ほどがすつかり瓦解してしまつてゐる。いや悉く崩れたのではないらしい。もともとその部分がわざと石垣をしてなかつたらしい。その角であつた一角がくづれたのに違ひない。落ち崩れた石が幾塊か亂れ重なつて、埋(うづ)め殘された角角(かどかど)を泥の中から現してゐる。その大きな石と言ひ巨溝と言ひ、恰も小規模な古城の廢墟を見るやうな感じである。いや、事實、城なのかも知れないのだ――崩れた石垣の向うのはづれに遠く、一本の竜眼肉(ゲンゲン)の大樹が黑いまでにまるく、靑空へ枝を茂らせてゐて、そのかげに灰白色の高い建物があるのは、ごく小型でこそはあれ、どうしたつて銃樓(じうろう)でなければならない。圓い建物でその平(たひら)な屋根のふちには規則正しい凹凸をした砦があり、その下にはまた眞四角な銃眼窓(じうがんそう)がある。

[やぶちゃん注:「竜眼肉(ゲンゲン)」ムクロジ目ムクロジ科リュウガン属リュウガン Dimocarpus longan。音写すると、一般に「龍眼」は「ロンガン」「リンギン」であるが、台湾語の入門書を見ると、台湾閩南語では「gîng-gíng」の発音表記があるから、或いは、春夫はこれを音写したつもりなのかも知れない。]

「君!」

 私は、またしても古圖をひらいてゐる世外民の肩をゆすぶつて彼の注意を呼ぶと同時に、今發見したものを指さした――

「ね、何だらう、あれは?」

 さう言つて私は步き出した、その小さな櫓(やぐら)の砦の方へ。――屋敷のなかには、氣がつくとほかにも屋根が見える。それの長さで家は大きな構(かまへ)だといふことがわかる。その屋敷を私は見たいと思つた。石圍ひの崩れたところからきつと見えると思つた。何でもいい、少しは變つたものを見なければ、禿頭港(クツタウカン)はあまり忌忌(いまいま)しすぎる。

 石垣のとぎれた前まで來ると、それを通して案の定、家がしかも的面(まとも)に見えた。いや、偶然にさう見るやうな意向によつて造られてゐたのである。また石圍ひの中絶してゐるのはやはりただ崩れ果てたのではなく、もとからそこが特にあけてあつた跡がある。水門としてであらう。何故かといふのに濠(ほり)はずつとこの屋敷の庭の中まで喰入(くひい)つてゐて、崩れた石圍ひの彼方も亦、正しい長方形の小さい濠である。十艘の舢舨(サンパン)を竝べて繫ぐだけの廣さは確(たしか)にある。さうしてその汀に下りるために、そこには正面に石段が三級ある。――しかもその水は涸(かわ)き切つてしまつて、露(あら)はな底から石段まではどう見ても七尺以上の高さがある。――もしこの石段にすれすれになるほど水があつたならば、今は豚と家鴨(あひる)との遊び場所であるこの大きな空しい濠も一面に水になるであらう。それにしてもこれ程の濠を庭園の内と外に築いた家は、その正面からの外觀は、三つの棟(むね)によつて凹字形(あふじけい)をしてゐる。凸字形の濠に對して、それに沿うて建てられてゐる。正面に長く展(ひろ)がつた軒は五間もあり、またその左右に翼(つばさ)をなして切妻を見せてゐる出屋(だしや)の屋根は各(おのおの)四間はあらう。それが總(そう)二階なのである。――一たいが小造りな平家を幾つも竝べて建てる習慣のある支那住宅の原則から見て、これは甚だ大きな住居と言へるであらう。私はくたびれた足を休める意味でしやがんだ序(ついで)に、土の上へこの家の見取圖をかき、それから目分量で測つた間數(けんすう)によつて、この建物は延坪百五十坪は優にあると計算した。一たい私は必要な是非ともしなければならない事に對してはこの上なくづぼらなくせに、無用なことにかけては妙に熱中する性癖が、その頃最もひどかつた。

「何をしてゐるんだい?」

 世外民の聲がして、彼は私のうしろに突立(つゝた)つてゐた。私は何故かいたづらを見つけられた小兒のやうにばつの惡いのを感じたので、立つて土の上の圖線(づせん)を踏みにじりながら、

「何でもない……。――大きな家だね」

「さう。やつぱり廢屋だね」

 彼から言はれるまでもなく私もそれは看て取つてゐた。理由は何もないが、誰(たれ)の目に見てもあまりに荒れ果ててゐる。澤山の窓は殘らずしまつてゐるが、さうでないものは戸そのものがもう朽ちて、なくなつてしまつたに相違ない。

「全く豪華な家だな。二階の亞字欄(あじらん)を見給へ。實に細かな細工だ。またあの壁をごらん。あの家は裸の煉瓦造りではないのだ。美しい色ですつかり化粧してゐる。一帶に淡い紅色の漆喰(しつくひ)で塗つてある。そのぐるりはまたくつきりと空色のほそい輪廓だらう。色が褪せて白(しら)ちやけてしまつてゐるところが、却つて夢幻的ではないか。走馬樓(ツアウベラウ)の軒下の雨に打たれないあたりには、まだ色彩がほんのりと殘つてゐる」

[やぶちゃん注:「走馬樓(ツアウベラウ)」二階以上に付けられた回り廊下のこと。]

 私が延坪を考へてゐる間に、同じ家に就て世外民には彼の觀方(みかた)があつたのだ。彼の注意によつて私はもう一ぺん仔細に眺め出した。なるほど、二階の走馬樓――ヹランダの奥の壁には、淡いながらに鮮かな色がしつとり、時代を帶びてゐた。事實この廢屋は見てゐるほど、その隅隅から素晴らしい豪華が滾々と湧き出して來るのを感じた。たとへばその礎(いしづゑ)である。普通土間(どま)のなかに住んでゐる支那人の家は、その礎は一般にごく低い。地面よりただ一足だけ高くつくられてゐる。それだのに今我我の目の前にあるこの廢屋の礎は、高さ三尺ぐらゐはあり、やはり汀(みぎは)に揃つた切石で積み疊んであつた。もつと注意すると、水門の突當りにあたる場所には、その汀に三級の石段があることはもう知つてゐるが、その奧の家の高い礎にもやはり二三級の石段がある。その間口二間ほどの石段の兩側に、二本の圓柱(ゑんちう)があつて、それが二階の走馬樓(ツアウベラウ)を支へてゐるのだが、この圓柱は、……どうも少し遠すぎてはつきりとはわからないけれども、普通の外(そと)の柱よりも壯麗である。上の方には何やらごちやごちやと彫刻でもしてあるらしい。その根元にあたるあたり、地上にはやはり石の細工で出來た大きな水盤らしいのが、左右相對(シンメトリイ)をして据ゑつけてある。――これらの事物がこの正面を特別に堂堂たるものにしてゐるのが私の注意を惹いた。私には、そこはこの家の玄關口ではないかと思はれて來た。

 そこで私は自分の疑問を世外民に話した――

「君、ここが正面、――玄關だらうかね」

「さうだらうよ」

「濠(ほり)の方に向いて?」

「濠? ――この港へ面してね」

 世外民の「港」といふ一言(ごん)が自分をハツと思はせた。さうして私は口のなかで禿頭港(クツタウカン)と呼んでみた。私は禿頭港を見に來てゐながら、ここが港であつたことは、いつの間にやらつい忘却してゐたのである。一つには私は、この目の前の數奇(すき)な廢屋に見とれてゐたのと、もう一つにはあたりの變遷にどこにも海のやうな、港のやうな名殘(なごり)を搜し出すことが出來なかつたからである。この點に於ては世外民は、殊に私とは異つてゐる。彼はこの港と興亡を共にした種族でこの土地にとつては私のやうな無關心者(ストレンヂア)ではなく、またそんな理窟よりも彼は今のさつき古圖を披(ひら)いてしみじみと見入つてゐるうちに、このあたりの往時の有樣を腦裡に描いてゐたのであらう。「港」の一語は私に對して一種靈感的なものであつた。今まで死んでゐたこの廢屋がやつと靈を得たのを私は感じた。泥水の濠ではないのだ。この廢渠(はいきよ)こそむかし、朝夕(てうせき)の滿潮があの石段をひたひたと浸した。走馬樓(ツアウベラウ)はきららかに波の光る港に面して展(ひら)かれてあつた。さうして海を玄關にしてこの家は在つたのか。――してみれば、何をする家だかは知らないけれども、この家こそ盛時の安平(アンピン)の絶好な片身(かたみ)ではなかつたか。私はこの家の大きさと古さと美しさとだけを見て、その意味を今まで全く氣づかずにゐたのだ。

 今まで氣づかなかつただけに、私の興味と好奇とが相縺(あひもつ)れて一時(じ)に昂(たかま)つた。

「這入(はい)つてみようぢやないか。――誰(だれ)も住んではゐないのだらう」私は息込(いきご)んでさう言つたものの、濠(ほり)を距(へだ)てまた高い石圍ひを繞(めぐら)してゐるこの屋敷へはどこから這入れるのだか、ちよつと見當がつかなかつた――道ばたの廢屋なら、さつき安平でやつたやうについ、つかつかと這入り込んでみたいのだが。後(のち)に考へ合せた事だが、入口が直ぐにわからないといふこの同じ理由が、この廢屋を、その情趣の上でも事實の上でも、陰氣な別天地として保存するのに有力であつたのであらう。

 その家のなかへ這入つてみたいといふ考へが、世外民に同感でない筈はない。世外民はきよろきよろとあたりを見廻してゐたが、我我が背をよせて立つてゐた石圍ひの奧に、家の日かげに臺灣人の老婆がひとり、棕櫚(しゆろ)の葉の團扇(うちは)に風を求めて小さな木の椅子に腰かけてゐるのを彼は見つけた。彼は直ぐにそこヘ步いて行つて、何か話をしてゐた。向側の廢屋を指さしたりしてゐる樣子で、そのふたりの對話の題目はおのづと知れる。

 世外民はすぐに私の方へ向つて歸つて來た。「わかつたよ、君。あの道を行つて」彼は言ひながら濠のわきにある道を指さして「向うに裏門があるさうだ。少し入組んでゐるやうだが、行けば解るとさ。――やつぱり廢屋だ。もう永いこと誰(だれ)も住んでゐないさうだ。もとは沈(シン)といふ臺灣南部では第一の富豪の邸(やしき)だつたのださうだ。立派な筈さ」

 話しながら私たちはその裏門を搜した。世外民が不確(ふたしか)な聽き方をして來てゐたので、私たちはちつとまごついた。こせこせした家の間へ入り込んでしまつた。尋ねようにもあたりに人は見當らなかつた。このあたりは割に繁華なところらしいのだが、人氣のないのは、今が午後二時頃の日盛りで、彼等の風習でこの時刻には大抵の人間が午睡(ごすゐ)を貪つてゐるのである。私たちは仕方なしにいい加減に步いたが、もともと近いところまで來てゐた事ではあり、また目ざす家は聳えてゐたから自(おのづ)とわかつた。但(たゞし)、その家はあの濠のあちらから見た時には、ただ一つの高樓であつたが、裏へ來て見ると、その樓(やぐら)の後(うしろ)には低い屋根が二三重もつながつてゐた。所謂(いはゆる)五落(らく)の家といふのはこんなのであらうが、大家族の住居(すまゐ)だといふことが一層はつきりすると同時に、あの正面の二階建が主要な部屋だといふことは確かだ。私たちは他(た)の場所よりも、あの走馬樓(ツアウベラウ)のある二階や圓柱のあつた玄關が第一に見たかつた。それ故、私たちは裏門を入るとすぐに、低い建物はその外側を廻つて、表へ出た。

[やぶちゃん注:「五落の家」不詳。五代に亙って繁栄し、没落した豪家の家の謂いか? 識者の御教授を乞う。]

 圓柱はやはり石造りであつた。遠くから、上部にごちやごちやあると見たものは果して彫刻で、二本の柱ともそこに纏(まつは)つてゐる龍を形取(かたど)つたものであつたが、一つは上に昇つてゐたし、一つは下に降りようとしてゐた。雨に打たれない部分の凹みのあたりには、それを彩つた朱や金が黑みながらもくつきりと殘つてゐた。割合から言つて模樣の部分が多すぎて、全體として柱が低く感ぜられたし、また家の他(た)の部分にくらべて多少古風で莊重すぎるやうに私は感じた。しかし私と世外民とは、この二つの柱をてんでに撫でて見ながら、この家が遠見よりも、ここに來て見れば近(ちか)まさりして贅沢なのを知つた、細部が自(おのづ)と目についたからである。尤も、もし私に眞の美術的見識があつたならば、たかが殖民地の暴富者(ばうふしや)の似而非(えせ)趣味を嘲笑(あざわら)つたかも知れないが、それにしても、風雨に曝されて物每(ごと)にさびれてゐる事が厭味(いやみ)と野卑とを救ひ、それにやつとその一部分だけが殘されてあるといふことは却つて人に空想の自由をも與へたし、また哀れむべきさまざまな不調和を見出すより前にただその異國情緒を先づ喜ぶといふこともあり得る。況んや、私は美的鑑識にかけては單なるイカモノ喰ひなことは自ら心得てゐる。

 紬長い石を網代(あじろ)に組み竝べた床(ゆか)の緣(えん)は幅四尺ぐらゐ、その上が二階の走馬樓(ツアウベラウ)である。私たちはそこへ上つてみたいのだ。觀音開きになつた玄關の木扉(もくひ)は、一枚はもう毀(こぼ)れて外れてしまつてゐた。殘つてゐる扉(とびら)に手をかけて、私は部屋のなかを覗いた。――二階へ上(あが)る階段がどこにあるだらうかと思つて。支那家屋に住み慣れてゐる世外民には大たいの見當が判ると見えて、彼はすぐづかづかと二三步廣間のなかへ步み込んだ。

「××××、××××!」

 不意にその時、二階から聲がした。低いが透きとほつやうな聲であつた。誰(だれ)も居ないと思つてゐた折りから、ことにそれが私のそこに這入らうとする瞬間であつただけに、その呼吸が私をひどく不意打した。ことに私には判らない言葉で、だから鳥の叫ぶやうな聲に思へたのは一層へんであつた。思ひがけなかつたのは、しかし、私ひとりではない。世外民も踏み込んだ足をぴたと留(と)めて、疑ふやうに二階の方を見上げた。それから彼は答へるが如くまた、問ふが如く叫んだ――

「××!?

「××!?

――世代民の聲は、廣間のなかで反響して鳴つた。世外民と私とは互に顏を見合せながら再び二階からの聲を待つたけれども、聲はそれつきり、もう何もなかつた。世代民は足音を竊(ぬす)んで私のところへ出て來た。

「二階から何か言つたらう」

「うん」

「人が住んでゐるんだね」

 私たちは聲をしのばせてこれだけのことを言ふと、這入つてくる時とは變つた步調で――つまり遠慮がちに、默つて裏門から出た。しばらく沈默したが出てしまつてからやつと私は言つた。

「女の聲だつたね。一たい何を言つたのだい? はつきり聞えたのに何だかわからなかつた」

「さうだらう。あれや泉州人(ツヱンチヤオナン)の言葉だものね」

 

[やぶちゃん注:「泉州」現在の福建省の台湾海峡に面した港湾都市泉州市を中心とした広域地名。唐代から外国貿易で発展し、インドやアラブまで航路が通じ、イスラム寺院・景教寺院などの遺跡もある。(グーグル・マップ・データ)。正確に音写するなら「チュァンヂォゥ」。]

 普通に、この島で全く廣く用ゐられるのは廈門(エイムン)の言葉で、それならば私も三年ここにゐる間に多少覺えてゐた――尤も今は大部分忘れたが、泉州(ツヱンチヤオ)の言葉は無論私に解らう筈はなかつたのである。

「で、何と言つたの――泉州言葉で」

「さ、僕にもはつきりと解らないが。『どうしたの? なぜもつと早くいらつしやらない。……』――と、何だか……」

「へえ、そんな事かい。で、君は何と言つたの」

「いや、わからないから、もう一度聞き返しただけだ」

 私たちはきよとんとしたまま、疲勞とと不審と空腹とをごつちやに感じながら、自然の筋道として再び先刻(さつき)の濠に沿うた道に出て來た。ふと先方を見渡すと、自分たちが先刻そこから初めてあの廢屋を注視したその同じ場所に、老婆がひとり立つて、ぢつと我我がしたと同じやうに濠を越してあの廢屋をもの珍しげに見入つてゐるのであつた。それが、近づくに從つて、今のさつき世外民に裏門への道を教へた同じ老婆だといふことが分かつた。

「お婆さん」その前まで來た時に世外民は無愛想に呼びかけた。「噓を教へてくれましたね」

「道はわかりませんでしたか」

「いいや。……でも人が住んでゐるぢやありませんか」

「人が? へえ? どんな人が? 見えましたか?」

 この老婆は、我我も意外に思ふほど熱心な目つきで私たちの返事を待つらしい。

「見やしませんよ。這入つて行かうとしたら二階から聲をかけられたのさ」

「どんなぬ聲? 女ですか?」

「女だよ」

「泉州(ツヱンチヤオ)言葉で?」

「さうだ! どうして?」

「まあ! 何と言つたのです!?

「よくわからないが、『なぜもつと早く來ないのだ?』と言つたと思ふのです」

「本當ですか? 本當ですか! 本當に、貴方がた、お聞きになつたのですか! 泉州言葉で『なぜもつと早く來ないのだ?』つて!?

「おお!」

 臺灣人の古い人には男にも女にも、歐洲人などと同じく演劇的な誇張の巧みな表情術がある。その老婆は今それを見せてゐるが、彼女のそれはただの身振りではなく眞情が溢れ出てゐる。恐怖に似た目つきになり、氣のせゐか顏色まで靑くなつた。この突然な變化が寧ろ私たちの方を不氣味にした位である。彼女はその感動が少し鎭まるのを待ちでもするやうに沈默して、しかし私たちに注いだ凝視をつづけながら、最後に言つた――

「早く緣起直(えんぎなほ)しをしておいでさい。――貴方がたは、貴方がたは死靈(しりやう)の聲を聞いたのです!」

 

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