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2017/10/04

老媼茶話巻之弐 猫魔怪

 

     猫魔怪(ねこまのくわい)

 

[やぶちゃん注:三話からなるので、各話間に一行空けを施して読み易くした。]

 

 加藤明成の士、武藤小兵衞と云(いひ)て、弐百石領、壱の町に住す。此小兵へ、東澤田村といふ所より、美女を召抱(めしかかへ)、寵愛する。其先、小兵衞妻に、伊藤三四郎と云て【弐百石取三の町。】、その娘を約せり。此故に、母、進めて其女、暇(いとま)を出し、家へ歸しけるに、其女、澤田村より鶴沼川・大川とて二の大河を越(こえ)て、夜每(よごと)に來り、枕をならべ契りを結ぶ事、前のごとし。

 ある夜、冬の事なりしに、小兵衞、夜咄しに行(ゆき)、夜更(よふけ)て歸り、女を待(まつ)中(うち)に、至て大雪、崩すかごとく降(ふり)、其(その)刻(こく)、いつとなく、小兵衞、ねふりける。此折、女、雪もいとはず、來りて、障子を靜(しづか)に明(あ)け、小兵衞が枕元に彳(タヽズミ)けるが、たちまち、虎毛の大猫となり、飛懸りけるを、小兵衞、目を覺し、脇差を拔(ぬき)、突(つき)とめけるに、二刀(ふたかたな)差(ささ)れて、障子を破り、外へ出るを、追續(おひつづけ)、切殺し、見るに、隣の太田又左衞門と云ものゝ家に年久敷(としひさしく)飼(かひ)ける猫にて有(あり)けると也。

 

 「著聞集(チヨブンシウ)」に、觀教(くわんきやう)法印、嵯峨のゝ山莊にて、から猫を飼しに、能(よく)玉を取(とり)ければ、祕藏の守刀(まもりがたな)を取出(とりいだ)し、玉に取らせけるに、件の刀をくわへて、何地(いづち)へやらん逃失(にげうせ)ぬ。人人、尋求れども、行方知れず成りにき。猫またの所爲(しよゐ)なりと記せり。猫、年經て飼(かふ)時は必ず災(わざはひ)をなすもの也。

 

 加藤明成の侍に平田庄五郎【知行五百石馬場口に住ム。】と云ものの老母、至(いたつ)て猫を祕藏し、孫子といへども其愛に不及(およばず)。

 ある年、諏訪の社(やしろ)へ詣で、圓魔堂の松原にて、赤毛の猫を拾ひ、大きに悦び、宿へ歸り、祕藏して飼ける。其描、いつくともなく、失(うせ)ける。

 まもなく、庄五郎母、目を煩ひ、あかるき所を嫌ひ、いつも闇(くら)き所にすむ。

 庄五郎、

「目醫者に見せ、療治をせん。」

といへども、老母、用ひず。老母、そばづかひの女、打(うち)つゞき、弐人迄、行衞なく失(うせ)て、行方を尋ぬれども、見へず。

 或時、下男、うらの畑を打けるに、土底(つちどこ)より、衣裳のすその見へけるまゝ、ふし義におもひ、ふかく掘(ほり)て見るに、缺落(かけおち)せしといひける女弐人の衣裳、あけに染(そみ)たるを、寸々にくらゐさき、埋(うづ)め置(おき)ける。生(ナマ)しき骸骨も有ける。

 大きに驚き、急(いそぎ)此衣裳を取持(とりもち)、主人庄五郎に告(つげ)んと、内へ入らんとする折、老母いつくともなく、缺來(かけきた)り、件(くだん)の衣裳をもぎ取、

「己(ヲノレ)、此衣裳・がい骨(コツ)の事、庄五郎につげば、忽(たちまち)、喰殺(くひころ)すべし。」

と、大きに、いかりし面付(つらつき)、眼(まなこ)、大きく、口、廣く、さもすさまじき氣色(けしき)なりしかば、下男、ふるひわななき、それより、虛病(きよびやう)して庄五郎方、暇(いとま)を取ける。

 其後、誰(たれ)いふともなく、

「庄五郎母は猫また也。」

と專ら沙汰する。

 庄五郎隣に梶川市之丞といふ侍、或時、曉(あかつき)かけ、遠乘(とほのり)に出(いで)んとして、表を見るに、庄五郎老母、口のうち、血みどろにして、門(かど)、いまだ明(あか)ざるに、

「ひらり。」

と塀を躍(をどり)こへ、表に出(いで)、前の流れ水にて、口をすゝぎける。

 興德寺前の山高忠左衞門が黑犬、一さんに飛來り、老母の左の腕にくらゐ付けるを、老母、犬を振(ふり)はなち、又、高塀をおどり越、内入(いる)。

 梶川見て、

「扨は、猫また、老母に化(ばけ)たるに疑ひなし。」

と思ひ、其夕べ、庄五郎をよび、今朝(けさ)見し有樣、細かに語りければ、庄五郎、聞(きき)て、

「扨は疑(うたがひ)もなく、猫、我母を喰殺し、老母に變化(へんげ)たる物也。我母、常々、後生願(ごしやうねがひ)にて、朝夕、佛勤(つとめ)をなしけるが、去(さる)夏より、佛に香花(かうげ)たむくる事なく、目に煩ひ有(あり)て、日の光りを見る事をいとひ、闇き所にありて、終(つゐ)に我にも對面せず。今、おもふに、猫は、目の玉、十二時に替る。此故に、われに對面する事をいとふ物ならん。さらば犬を懸(かけ)て見ん。」

とて、一物(いつぶつ)の犬、四、五疋、借りあつめ、老母の住める部屋へ放(はなち)て入れければ、犬ども、老母をみて、吠怒(ほえいか)り、四、五疋の犬ども、飛懸り、首骨・手足・腰・腹へ、おもひおもひに、くらゐつく。

 老母、正體をあらはし、さしも、したゝか成(なる)赤猫と也(や)、四疋の犬どもと、暫くかみ合(あひ)けるが、四、五疋の犬、飛懸り、飛懸り、散々に喰殺(くひころ)しける。

 是は去年(こぞ)、庄五郎母、諏訪詣でける折、圓魔堂の邊よりひろひ來(きた)る猫、老母をくひ殺し、己(おのれ)、母に變化(へんげ)たるものなり。金花猫(きんかびやう)とて、赤猫は年久敷(としひさしく)は、かわぬもの也。

 

[やぶちゃん注:「加藤明成」(天正二〇(一五九二)年~万治四(一六六一)年)は陸奥国会津藩第二代藩主。ウィキの「加藤明成」によれば、天正二〇(一五九二)年、『加藤嘉明の長男として生まれ』、寛永八(一六三一)年『の父の死後、家督と会津藩』四十『万石の所領を』相続している。慶長一六(一六一一)年に起った『会津地震で倒壊し、傾いたままだった蒲生時代の七層の若松城天守閣を、幕末まで威容を誇った五層に改め、城下町の整備を図って近世会津の基礎を築』いた。『堀主水を始めとする反明成派の家臣たちが出奔すると、これを追跡して殺害させるという事件(会津騒動)を起こし、そのことを幕府に咎められて』寛永二〇(一六四三)年に改易となった。『その後、長男・明友が封じられた石見国吉永藩に下って隠居し』ている。最後の話と合わせて、本書の序は寛保二(一七四二)年であるから、凡そ百年以上前の古い話ということになる。それにしても、加藤明成の配下がかくも猫に祟られるのは、これ、主君に対して、猫の恨みや祟りがあるのではないか? と勘ぐりたくはなる。

「武藤小兵衞」不詳。以下、分らぬ人物は注さない。

「壱の町」福島県会津若松市上町(うわまち)一之町。ウィキの「上町会津若松市によれば、『若松城下の城郭外北部に属しており、西側の大町から馬場町を経て東側の甲賀町に至る東西を結ぶ通りで、幅は』四間(七百二十七メートル。)『あった。西側の大町から馬場町までを下一之町、東側の馬場町から甲賀町までを上一之町といった』とある。この中央付近(グーグル・マップ・データ)。

「小兵へ」「小兵衞(ひやうゑ)」。助詞の「へ」ではない。

「東澤田村」不詳。後の二河川を渉って来るとなると、この中央辺り(グーグル・マップ・データ)となるが、鶴ヶ城城下までは直線でも二十キロメートルはある。事実、ここから毎夜来ること自体があり得ないですよ! 小兵衛殿!

「鶴沼川」現在の福島県の中通り地方の岩瀬郡天栄村を中心に流れる阿賀野川上流の支流。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「大川」福島県南西部の福島・栃木県境の荒海山に源を発し、会津盆地で日橋川と合する阿賀野川の上流部で会津若松市市街の西を北流する阿賀川の別称。

「ねふりける」「睡りける」。

「突(つき)とめけるに」「突き止めけるに」。突いて襲いかかるのを留(とど)めたところが。

「著聞集(チヨブンシウ)」「ちよもんしふ」が正しい。鎌倉時代前半に伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」は単に「著聞集」とも呼ぶ。以下は、「卷十七 變化」の「觀教法印が嵯峨山庄に飼はれたる唐猫、變化の事」。

   *

 觀教法印が嵯峨の山庄(さんざう)[やぶちゃん注:山荘。]に、うつくしき唐猫の、いづくよりともなくいできたりけるを、とらへて飼ひけるほどに、件(くだん)のねこ、玉をおもしろくとりければ、法印、愛して、とらせけるに、祕藏のまもり刀をとりいでて、玉にとらせけるに、件の刀をくはへて、猫、やがて、逃げ走りけるを、人々、追ひてとらへんとしけれども、かなはず、行かたを知らず、失せにけり。この猫、もし、魔の變化(へんげ)して、まもりをとりて後、はばかる所なく、犯して侍るにや[やぶちゃん注:法印に危害を及ぼしもしたかも知れぬではないか?]。おそろしき事也。

   *

「觀教(くわんいやう)法印」御願寺(ごがんじ)僧正(承平四(九三四)年~寛弘九・長和元(一〇一二)年)俗名は源伸輔。右大弁公忠(光孝天皇の孫で三十六歌仙の一人)の子。二条天皇の東宮時代からの護持僧。

「圓魔堂」「閻魔堂」。

の松原にて、赤毛の猫を拾ひ、大きに悦び、宿へ歸り、祕藏して飼ける。其描、いつくともなく、失(うせ)ける。

 まもなく庄五郎母目を煩ひ、あかるき所を嫌ひ、いつも闇(くら)き所にすむ。

 庄五郎、

「目醫者に見せ療治をせん。」

といへども、老母、用ひず。老母、そばづかひの女、打(うち)つゞき、弐人迄、行衞なく失(うせ)て、行方を尋ぬれども見へず。

「ふし義」ママ。「不思議」。

「缺落(かけおち)」「駈け落ち」。単に「逃げて行方をくらますこと」。

「缺來(かけきた)り」「駈け來り」。

「虛病(きよびやう)して」病いと偽って。仮病をして。

「猫また」「猫又」「猫股」などと書き、日本古来からある、猫の妖怪。

「曉(あかつき)かけ」「かけ」は「驅け」で、未明から馬を走らせ。

「明(あか)ざるに」「開かざるに」。

「興德寺」現在の福島県会津若松市栄町に現存する臨済宗瑞雲山興徳寺。(グーグル・マップ・データ)。最初の話の武藤小兵衛の屋敷とごく直近。ここら一帯、猫又の巣窟かいな? ウィキの「興徳寺会津若松市によれば、弘安一〇(一二八七)年に蘆名氏第五代『蘆名盛宗が鎌倉より大円禅師を招き開山したと伝えられる。その後、蘆名氏を滅ぼした伊達政宗が会津支配の仮館をおき、また豊臣秀吉が奥州仕置の御座所とした。蒲生氏郷により城下町が整備され寺院が郭外に移された際も、その由緒と格式により唯一郭内に留まる事を許された』。但し、『戊辰戦争により、堂宇(堂の建物)をことごとく焼失、昔日の面影はない。現在、寺内には、蒲生氏郷の五輪塔(墓)があるが、これは氏郷没後に子の蒲生秀行によって建立されたもので、病のため京都で亡くなった氏郷の遺髪がおさめられている。また、すぐ脇には氏郷の辞世の歌碑も残っている』とある。

「後生願(ごしやうねがひ)」仏心厚く、ひたすら、来世の極楽往生を願うこと。また、そういう人を指す。

「十二時に替る」「十二時」は一日二十四時間を概ね二時間当てで十二支で十二に分けた、十二時辰(じゅうにじしん)のこと。一日のうち、約二時間ごとに光彩が顕著に変化することを指す。

「一物(いつぶつ)」「一」には底本の編者の添字で『逸』とあるので、かく読んだ。群を抜いて優れているもの。

「したゝか成(なる)」「強(したた)かなる」。一筋繩でいかない手強(ごわ)いさま。

赤猫と也(や)、四疋の犬どもと、暫くかみ合(あひ)けるが、四、五疋の犬、飛懸り、飛懸り、散々に喰殺(くひころ)しける。

「己(おのれ)」副詞でとっておく。ひとりでに。自然と。

「金花猫(きんかびやう)」化け猫研究家二庵倉イワオ氏のサイト「にゃん古譚」のの妖怪に、『中国浙江の金華地方にいるという妖猫。人に飼われて、早』や、『三年で妖化する』。『屋上に昇って月日を仰ぎ、その精を吸って怪異をなす』とされ、『相手によって』は『美男美女に化けるという』。『黄猫(日本でいう赤虎毛)が最も化ける確率が高いという。猫鬼の一種』とある。]

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