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2017/10/02

トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 「聽入りね、愚者の裁きに……」



Mimi

   「聽入りね、愚者の裁きに……」

 

 大いなるわれ等の詩人、御身は常に眞實を語る。御身はこの句にも、眞實を盛る。

 「愚者の裁きに、痴(をこ)の嘲笑(わらひ)に」……誰かこの二つを、知らずに過ぎた者があらうか。

 これら總ては、堪へ忍び得る。また忍ばねばならぬ。その上の力ある者をして、且蔑(さげす)ましめよ。

 だが、より鋭く心の急所を衝く打擊もあるのだ……彼はあらん限りの力を盡す。勤勉に潔白に、愛を籠めて仕事を果す。しかし世の潔白な人々は、さも厭はしげに顏を背ける。潔白な世の人々は、彼の名を耳にしてすら、忿怒に面を染める。

 「近寄るな、そこを出て行け」と、潔白な靑年らが叫ぶ、「お前も、お前の作物も、われ等には無用だ。お前はわれ等の住む地を汚した。お前はわれ等を知りもせず、理解もせぬ。お前はわれ等の敵だ。」

 さて彼は、如何にすべきか。矢張り勞作を續けるがよい。默々として辯疏せず、より正しい評價など待ち望まぬがよい。

 昔、農夫らは、馬鈴薯を齎した旅人を呪つた。麵包の代用、また貧者には日日の糧となる貴い賜物を、彼等は旅人の差出す手から叩き落し、泥土に委ね土足に掛けた。

 それが彼等の常食となつた今日、彼等はその恩人の名さへも知らぬ。

 それもよし。彼の名が何で要らうか。名は無くとも、彼は農夫らを飢ゑから救ふ。

 私達も亦、自らの齎すものが眞に有用な糧であれかしとのみ冀ひ、且つ力めよう。

 愛する人々の口から、不當な非難の聲を聞くのは如何にも辛い。だがこれも、忍べば忍ばれる。……

 「我を打て。されど、終まで聽け」と、アテネの隊長はスパルタ人に言つた。

 「我を打て。されど健かに、腹滿ちてあれ」と、私達も言ふべきだ。

             一八七八年二月

 

[やぶちゃん注:この挿絵は中山省三郎譯「散文詩」のものであるが、理由は不明ながら、一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」には挿絵はない第四段落の「愛を籠めて仕事を果す」の「籠」は底本では「寵」であるが、これでは読めない。誤植と断じて特異的に訂した。

 訳者註が二つある。一つ目は、

   *

『聽入りね、愚者の裁きに……』 この題はプーシキンの詩句を借りたもの、すなはち彼の一八三〇年の作『詩人に』Poetu と題するソネツトの第一聯に――

 うたびとよ、世に容れるられて心な許しそ

 燃えるさかる稱へごと、嵐まくとも忽ち過ぎん。

 聽入りね、愚者の裁きに、をこの笑ひに

 さはれ汝、裏安の心は毅く、眉根ひそめよ。

   *

次が以下。

   *

お前はわれ等の敵だ これらの言葉から、この一篇が『父と子』[やぶちゃん注:ツルゲーネフの一八六二年発表の小説。ロシア農奴解放前後の新旧世代の思想的対立を描き、若い世代の代表者として登場させた主人公バザーロフをニヒリスト(虚無主義者)という新語で呼び、激しい賛否の論議を巻き起こした(平凡社「マイペディア」の記載に拠った)。]などを繞つて捲起つた世の非難をモチーフとしてゐることが推察される。

   *

前者については、中山省三郎譯「散文詩」の中山省氏による本詩篇(中山氏は標題を「耳傾けよ、愚かしき者の審判に……」と訳されている)の註に、

   *

プーシキンの詩「詩人(うたびと)に」(一八三〇年作)の一節である。この詩の中で、プーシキンは、詩人たるものは多くの人に愛を思ふべからず、却つて愚しき者の審判と多くの者の冷やかな嗤ひに耳を傾け、しかも毅然たるべく、ひとり己れのみ帝王として生きよとの痛々しい言葉を述べたのであつた。

   *

と添えておられる。また、神西氏によるプーシキンの抄訳は、一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」では恐らく池田氏の訳で、

   *

 うたびとよ、世に入れるられて心を許すな。

 燃えるさかる稱えの声も、束の間ざわめきごと過ぎ行かん。

 やがて耳に入ろう、愚者の裁きが、衆愚の笑いが、

 されど心かたく安らかに、眉根をひそめてあれ。

となっていて、若い読者にはこちら方が判りよいであろう。また、同書では、「我を打て。されど」の部分への注も附されてあり、これは、『ペルシアとの海戦の是非をめぐって、アテネの隊長テミストクレスがスパルタの隊長エウリピアデスに言った名句』とし、『激しい議論の結果、前者の主張が通り、サラミス湾の海戦でギリシア艦隊は大勝した』とある。

 

「辯疏」(べんそ)は、言いわけをすること・弁解の意。

「冀ひ」「こひねがひ」。

「力めよう」「つとめよう」。「努めよう」と同義。]

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