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2017/11/01

トゥルゲニエフ作 上田敏譯 「散文詩」(抄) 老嫗

 

       老 嫗

 

 獨り廣野をゆく。

 そびらのかた、忽ち輕く愼ましげなる跫音をきゝぬ。 なにものか、わが後を步めり。

 顧れば、鈍(にびいろ)色の襤褸(つゞれ)をかつぎ、老いかゞまれる姥こそたてれ。 顏のみぞ、きぬよりのぞく。 皺寄り、鼻たかく、齒落ちて、黃める顏なり。

 たちよれば………おうなはとまりぬ。

 誰ぞ、なにか求むる。 乞丐の類か。 施(ほどこし)こふか。

 姥、答なし。 かゞみて、さし覗くに、半透明の膜か、皮か、鳥の眼のやうに、雙眼おほひぬ。 おほひて眩ゆき光をよけたり。

 おうなの膜、さはいへど、動くなし、聞くなし。

 かくてその盲(めしひ)なるを判(わか)ちぬ。

 折返していふやう、施乞ふか、いかなれば、われをつけ來るぞと。 されどまた答へなく、たゞ少しなほかゞむのみ。

 乃ち踵をめぐらして、わが道をゆく。

 しかも、背に步(あゆみ)をきく。 はたはたと、例の拍子、輕く忍びやかに。

 また、かの嫗か、何故に添ひ來れると、心寂に訝りつゝも、さて思ひ直すやう、途に迷へる瞽女(ごぜ)ならむ。 人すむあたりへこそと、わが步(あゆみ)をつけくるなり。さなりさなり。

 しかすがに怪しき不安の念、やうやう、添ひまさりきつ。 おもへらく、こはわれにつゞくにあらで、われを導くなり。 卽ち、右に、左に、指揮されて、知らず知らず嫗に從ふかと。

 遂になほ進み行きぬ。 あな、けうとし、遠(をち)のかた途の上、黑きひろきあるもの………竅(つかあな)めいたる………こちねんとしてわなゝく。 噫、おくつき。

 然り、姥はそこにしも吾を追ふよ。

 にはかに、ふりむく。 姥、はた向ひぬ。………しかも、雙眼あきらか。 むごき邪念のつぶら眼………鷙鳥の眼………われ僂みて、顏に寄り、眼に近づく。………再び例の半透明膜、れいの盲(めしひ)なる鈍きおもゝち………おもふ、われ、噫、嫗こそわが運命か、人の免るゝに由なき運命かな。

 免るゝ由なし、活路なし。 噫、何のたはけぞ、試みなくて、已まむや。………乃ち他の方に走りゆく。

 さて、走れども走れども………さきの如く、輕步はたはたと迫り迫る。………さきの如く、ゆくてに暗穴(あんけつ)。 兎の犬に追はるゝ如く、僂まりて、いづちに走るとも………露もつゆも變りなし。

 思ひめぐらしぬ。 待て、誑(たぶら)かしてみむ。 こゝ動かじと、乃ち停(とゞま)る。

 姥も二步ばかりに、とまりぬ。 音はきかねども、そのけはひす。

 おもひきや、あなたの黑影、さながら、浮び來て、わが身につとそはむとは。

 已ぬる哉。 噫。 顧みれば………嫗ひしとみいり、齒もなき口元、苦笑にゆがみぬ。

 免るゝよしなし。

 

[やぶちゃん注:何箇所かのリーダの前の句読点の判読が困難で、文脈を考えつつ、岩波文庫版に従った箇所もある。「神西清個人訳(第一次改訳) 老婆」の神西及び私の附注も参照されたい。コーダの処理が締った切迫感に欠け、特に最後の一文は失敗と言わざるを得ない。

「老嫗」「らうう(ろうう)」と読んでおく。「老媼(ろうおう)」に同じい。老婆。

「そびら」背後。

「姥」「うば」と訓じておく。老婆に同じい。

「黃める」「きばめる」。

「誰ぞ」清音「た」で読みたいが、下が「ぞ」だと矢張り「だれ」か。

「乞丐」「かたゐ」。乞食。

「類」「たぐひ」と訓じておく。

「踵」「きびす」。

「背」前の表現に従い、「そびら」と訓じておく。

「嫗」「おうな」と訓じておく。

「心寂に」「うらさびに」と訓じておく。「こころさびに」でもよいが、どうもリズムが遅滞するので私は採らない。

「瞽女(ごぜ)」ここは視覚障害者の旅芸人の意。

「さなりさなり」「そうだ! そうだ! きっとそうに違いない!」。

「しかすがに」「然すがに」。「そうは思ったものの、しかしながら」の意。副詞「しか」+サ変動詞「す」の終止形+接続助詞「がに」から成る連語。中古以降は専ら歌語として使用された。その後は、「しか」が「さ」に代わって「さすがに」が多用されるようになった。「竅(つかあな)」「塚穴」。墳墓。墓場。

「こちねんとして」物事が一瞬にして現れたり消えたりするさまを言う「忽然(こつぜん)」が転訛し「こつねん」がさらに訛ったものであろう。副詞で「にわかに・突然と」の意。

「おくつき」「奥津城」。墳墓。

「鷙鳥」「してう(しちょう)」と読む。「鷙」はワシやタカなどの猛禽類を指す。

「僂みて」「かがみて」。屈んで。]

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