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2017/11/20

老媼茶話巻之五 玉川典禮

 

    玉川典禮

 

 いつのころにや有(あり)けん、奧州の御城主にめしつかはれける玉川典禮といふ兒小性(ちごこしやう)有、三百石を領せり。姿は花のごとく、心は沈勇強盛(ちんゆうごうせい)也。典禮十四の年、らうぜきものありて、人を切殺(きりころ)し、血刀をふり𢌞し、典禮が屋敷へかけ入(いり)ける。典禮、立(たち)むかい、件(くだん)の狼籍ものとわたし合(あひ)、切(きり)むすびけるが、何のぞうさもなく、一太刀に切ふせける。その勇、丈夫におとらず、一家中おしなべて、譽(ほめ)ざるは、なし。

 或はるの頃、殿樣、御とめ野の鷹場、園山の鷺沼といふ所へ御ゆるしを蒙り、放鷹(はうよう)に出(いで)ける。此折節、岡村の百姓共、多く、追鳥(おひとり)の人夫にかられ出ける内、傳助といふ者、何心なく出(いで)て、鷺沼の水鳥を追立(おひたて)けるが、典禮が容色を見て深く愛着(あいぢやく)し、歸り、愁(うれへ)て、病の床に伏しつみ、存命不定(ふぢやう)になやみける。爰(ここ)に傳介無二の友に作内(さくない)といふもの、傳助にすゝめ、作内伯母典禮が老母につかえける、此便(たより)を以て傳助典禮が方へ髮結奉公に出ける。望(のぞみ)有(ある)身なりしかば、隨分と奉公を相勤(あひつとめ)ける。

 岩つゝじいわねども傳助が深き志、典禮が心にや通しけん、或秋の夕暮、そば使(づかひ)の小坊主を以(もつて)、ひそかに傳助をめしよせ、典禮、申樣(まうすやう)、

「なんじ、傍輩多きうち、隨分、奉公相勤(あひつとむ)る心ざし、我、よく是を知る故、今宵の夜寒をいたはり、盃をさすなり。必(かならず)、人にもらす事、なかれ。」

とて、典禮、大盃に酒をもり、口を添(そへ)、傳助にあたへける。

 傳介、おしいたゞき、是をのみ、同じ床に枕をならべける情(なさけ)より、猶、ふかく有難く、多生劫々(タシヤウガウヽヽ)ふるとても忘れ難くぞ覺へける。

 その明る春、大守、江戸御登りましましける。典禮も御供して、晝夜、御そばをはなれずして、宮仕(みやづかへ)致しける。

 ある夜、御夜詰(およづめ)も過(すぎ)、朋輩の山本淸之助、

「此頃、求(もとめ)たりし。」

とて、祐乘(ユウジヤウ)がほりし橋辨慶の小づかを、典禮にみせける。

 典禮、取(とり)て見、

「扨々、珎敷(めづらしき)もの求(もとめ)玉へり。隨分、祕藏し玉へ。」

とて、ことの外、ほめて、淸之助に返しける。

 夜明(よあけ)て見るに、その夜、此小柄、うせける。

 外に相番(あひばん)もなし、典禮、氣の毒に思ひ、樣々尋ねけれども見へず。

 此事、誰いふともなく、典禮、盜隱(ぬすみかく)したる樣(やう)にさた有りけるまゝ、止事(やむこと)を不得(えず)、此事、御詮義を乞(こひ)けるまゝ、典禮、つとめを引(ひき)、ひき籠り居ける。傳助、心(コヽロ)におもふ樣、

「我(わが)主人かゝる賤劣(せんれつ)の志なしといへども、此席、外人(ほかひと)の入(いる)處にあらず。若(もし)盜(ぬすみ)もし玉はゞ、玉川代々武功先祖の名家、糞土にけがし玉へり。我(わが)主君の爲に盜人となのり出(いで)、御仕置に逢ひ、此度の御難、すくひ奉るべし。」

と思ひ定め、月番の橫目(よこめ)魚住三太夫かたへ行(ゆき)、取次を以て申述(まうしのべ)けるは、

「私(わたくし)義は玉川典禮召仕(めしつかひ)の下部傳助と申(まうす)者にて御座候。此度、山本淸之助さま御小づか、うせ申候は、某(それがし)、盜取(ぬすみとり)申候。此義に付、主人典禮、難義仕(つかまつり)候段、みるに忍び難く、天罰のがれまじきをかくご仕(つかまつり)、罷出(まかりいで)申候。何分にも御取計被下度(おんとりはからひくだされたき)。」

由、申ける間、三太夫、傳助にたいめんし、委(くはし)く譯を聞屆(ききとど)け、三太夫、申けるは、

「其方、小づか盜取ける段、不屆至極也といへども、前非(ぜんぴ)を改(あらため)、みづから罪にふくし、命を捨(すて)、明白に申出(まうしいで)、主人の難をすくひ申事、下々にはきとく也。」

とほめ、若黨をよび、

「此もの、汝が部屋へつれ行(ゆき)、おしこめおくべし。しかし、いましむるには不及(よばず)。」

といふ付け、右の趣、典禮がかたへ申遣(まうしつかは)し、三太夫は、則(すなはち)、家老のかたへ行(ゆき)、委(くはし)く物語いたしける。

 公事(くじ)奉行園田源左衞門、足輕を差遣はし、傳助をいましめ、獄屋へこめ置(おき)、糺明せしむるに、傳助、申樣、

「小づか盜取候わけは、私(わたくし)、ばくゑきを打(うち)、衣類脇差迄、打被取(うちとられ)、赤はだかに罷成(まかりなり)、奉公、相務可申樣無御座(あひつとめまうすべきやうござなく)、惡道無道の所行とは存(ぞんじ)ながら、其曉、主人典禮、髮を撫付(なでつけ)候節、ひそかに盜取、使(つかひ)に出(いで)候道にて、小間物賣に、うり拂(はらひ)申候間(あひだ)、其ものゝ名をも不承(うけたまはらず)、まして居所をも存不申(ぞんじまうさず)候。盜人と名乘出申上(なのりいでまうすうへ)、御誅伐は、かくごのまへに御座候。一言僞り可申樣無御座(まうすべきやうござなき)。」

由、申ける間、傳助、盜人にきわまり、典禮は虛名の雲はれて、其日より出仕を致し、傳助は御國もとへ下され、萬松寺河原の松原にて御成敗に行はれ、其砌(みぎり)、岡村の作内、今日、傳介御仕置に逢(あひ)けるよし聞(きこ)へければ、不便(ふびん)の事におもひ、

「せめて死骸成共(なりとも)取納(とりをさ)めん。」

と、新敷(あたらしき)棺(くわん)をにない、此所(ここ)へ來り、けいごの役人の前に畏(かしこま)り、拜伏して申樣、

「私(わたくし)は傳助とのがれざる岡村の作内と申(まうす)者にて候。今日、傳助、斬罪蒙り候よし承り、是迄、參り申候。哀(あはれ)、御慈悲を以て、今一度、今生(こんじやう)の對面、御ゆるし被遊被下候得(あそばされくだされさふらえ)。」

とて、兩眼に淚を流し、申ける。

 役人是を聞(きき)、

「少(すこし)の間、あわせん。」

とて、けいごのかこみを、くつろげける。

 傳助は切場の草むらに引(ひき)すへられ、刑札の元に死を待(まち)、少(すこし)もおくせる氣色もなく、四方を見𢌞し居たりしが、作内を見て、嬉しげに申樣、

「其方、必(かならず)、最後の對面に來るべきと心におもひ居たりしに、見物の中にもみへざれば、いかゞと、あんじ居たる也。我、盜(ぬすみ)せし初(はじめ)より、霜刑梟首(ソウケイキヤウシユ)、かくごなれば、少しも悔(くゆ)る心なし。乍去(さりながら)、我(わが)妄念(まうねん)と成(なる)べきは、其方も知る通(とほり)、七拾に餘る老母有(あり)、したしき親類もなけれが、我死後、飢渇(キカツ)に及び玉ふべし。是のみ、心かゞりなり。其方(そのはう)、偏(ひとへ)に賴むなり。きかつの苦しみなき樣に、やしなひくれよ。」

といふ。

 作内、聞て、打うなづき、

「昔より忠孝全くする事、あたはず、其方、小づかを盜みしも無據(よんどころなき)分(ぶん)有(あり)てこそ盜(ぬすみ)つらん。老母の事、心得たり。草の陰にても見よ。我かたへ引取(ひきとり)、實母のごとく養(やしなふ)べし。此事、心にかくべからず。最後、きよく、たしなむべし。」

と、不覺の淚にむせびけり。

 けいごの役人、

「時、則(すなはち)、移りたり。」

と作内を押出(おしいだ)し、傳助を西向(にしむき)におしなをし、切手(きりて)の後ろへ𢌞りければ、傳助、念佛高らかに申(まうし)、首、さしのべ、心よく切られける。作内、淚ながら、傳助が死骸(シカバネ)、取集(トリアツメ)、棺(クワン)に入(いれ)、岡村へ立歸(たちかへ)り、傳助が菩提所來迎山淨蓮寺といふ後ろの山、松陰に葬り、傳助老母をも手前ヘ引取、隨分、いたわり、養ひけり。

 扨、山本淸之助小づかが失(うせ)ける事は、同御家に召(めし)つかわれける吉川喜齋(きつかはきさい)と云(いふ)茶坊主有(あり)、此もの、玉川典禮にふかく心を懸(かけ)、文を送り、直(ぢき)にも樣々歎きけれども、典禮、かつて承引せず、喜齋、此事をふかくいきどをり、

「何とそして典禮に仇(あだ)をなさん。」

と心がけける間、その夜、ひそかに小柄を盜み取、典禮、盜たる樣に、世間へふれて、盜賊の惡名ををゝせ、

「日頃の意趣はらしせん。」

と、たくみける。

 典禮が家來傳助、己(おのれ)、盜人となり、名のり出(いで)、御仕置に逢ひける故、喜齋がたくみ、いたづら事となりて、本意(ほい)なき事におもひけるが、天命、のがるゝ事あたはず、盜みし小づかを江戸の片陰に小間物賣にうりけるを、典禮が若黨、此小づかを見出し、典禮に、

「かく。」

と、かたる。

 典禮、其小柄買取(かひとり)し小間物賣を召(めし)よせ、右の趣、上訴へ出ける間、御詮義の上にて、吉川喜齋、召とられ、拷問に懸り、兼々(かねがね)の惡事、委(くはし)く白狀の上、勸善懲惡(クハンゼンテフアク)の御掟(おんおきて)、御國もとへ御下(おくだ)し有(あり)て、去年(こぞ)、傳助、死刑に行なはれし同じ場所、萬松寺河原にて磔(はりつけ)にかけられける。見物、喜齋が橫惡(わうあく)をにくまぬものは、なし。

 典禮は喜齋が罪科(とが)に逢(あひ)ける後、つくづくと傳助が事をおもふに、

「己(おのれ)おかせる罪なくして、盜人と名乘出(なのりいで)、誅伐に逢(あひ)ける事、過(すぎ)にし夜(よ)の雨の暮、盃(さかづき)をあたへける其情(なさけ)をかんじ、我に盜賊の惡名を蒙らせじと、我(われ)罪人と訴出(うつたへいで)、其身命(しんみやう)を捨(すて)けるなるべし。」

と、深く哀(あはれ)み、思ひける。

 殿の御歸國の御供して國元へ歸(かへり)し後(のち)、供人少々召(めし)つれ忍びて岡村に至り、淨蓮寺をたづね、寺僧に逢(あひ)て、傳助がなき跡を尋(たづね)ければ、寺僧、あやしみて、

「傳助は下賤のもの。重罪を蒙り、刑伐に逢(あひ)しものにて候得ば、誰(たれ)とむろうものもなく、折々、墓詣(まうで)て仕るは、同村の作内と申もの斗(ばかり)に候。見奉るに、容顏美麗の御少年、御歷々の御方樣(おかたさま)。何故に傳助がなき跡、御尋(おたづね)候や。いぶかしくこそ候得。」

といふ。

 典禮、つゝまず、傳助がむかしの忠儀、身の恩を報じける事ども、委(くはし)く語り聞(きか)せければ、寺僧も是を聞(きき)、墨染の袖をしぼりける。

 典禮、僧をともなひ、傳助がつかへまうで見る。

 山陰の松の本(もと)に、土、少しうず高き所、有(あり)て、草茫々と、露深々たる、ふるつかに、印(しるし)の石もなく、かすかなるそとば、有り。それさへ、風に倒れて、木の葉に埋(うも)れ有(あり)ければ、典禮、なみだを流し、香花(かうげ)を備へ、寺僧とともに法花經を讀誦して、跡、念頃(ねんごろ)にとむらい、淨蓮寺へ金拾兩、布施とし、其後(そののち)、作内を呼出(よびいだ)し、傳助が老母、養ひ、其身、貧乏なりといへども、其人の友たる志(こころざし)をかんじ、金五拾兩、あたへ、傳助老母、一生、作内方(かた)へ、年々米拾俵・金拾兩宛(ずつ)遣はし、養(やしなひ)ける、といへり。

 誠に傳助、賤敷(いやしき)土民なれども、一言盃情(イチゴンハイジヤウ)の恩を得て、身を捨(すて)、命をおしまざる事、ごふもうのごとし。たぐひすくなき事どもなり。

[やぶちゃん注:これも前話と同じ流れを受けた男色の捨身譚で怪談ではない。やはり、心打たれる話柄である。

「玉川典禮」不詳。

「沈勇強盛(ちんゆうごうせい)」一般には「ちんゆうきようせい」。落ち着いていて勇気があり、勢いが強くて盛んなことを言う。

「らうぜきもの」「狼藉者」。

「わたし合(あひ)」渡り合い。

「何のぞうさもなく」「何の造作も無く」。何の手間や面倒もなく、速やかに。

「御とめ野の鷹場、園山の鷺沼といふ所」「御とめ野」は「御留野」で「御留場」に同じく、一般の狩猟を禁止した場所。基本、江戸幕府将軍や藩主のみが立ち入ることの出来る狩場・鷹狩場のこと。直後の「岡村」と合わせて「園山の鷺沼」数少ないの地名らしきもので本話のロケーションの同定ポイントとなるのであるが、残念ながら、不詳である。識者の御教授を乞う。

「追鳥(おひとり)」鷹狩をするために、周辺から狩場の狩りの実行位置へと鳥を追い込むこと。

「伏しつみ」「臥し詰み」で、愁いのために起き上がれなくなり、そうした心身症状が重くなって動けなくなってしまい、の謂いであろう。

「望(のぞみ)有(ある)」典礼に、内心、深く懸想していることを言う。

「岩つゝじいわねども」「古今和歌集」の「巻第十一 恋歌一」「読み人しらず」で載る一首(四九五番歌)、

 

 思ひ出づる常磐(ときは)の山の岩躑躅(いはつつじ)言はねばこそあれ戀しきものを

 

を踏まえる。……思い出す時、その「時」という名を持つ常磐の山の岩躑躅、言(い)わないではおりますけれど、心の内では常に恋しがっておりますのに――といった意味。

「多生劫々(タシヤウガウヽヽ)」仏語。通常は「多生曠劫」と書き、「たしょうこうごう(現代仮名遣)」と読む「曠劫」は「非常に長い年月」の意で、「何度も生まれ変わり死に変わりする、流転極まりない長い時間のこと。久遠・永遠の意。

「御夜詰(およづめ)」時間交代制の宿直(とのい)であろう。

「山本淸之助」不詳。

「祐乘(ユウジヤウ)」室町時代の金工家で装剣金工の後藤四郎兵衛家の祖後藤祐乗(永享一二(一四四〇)年~永正九(一五一二)年)。ウィキの「後藤祐乗」によれば、『藤原利仁の後裔ともされる後藤基綱の子』で、『美濃国の出身。後藤家の所伝によると、初め将軍・足利義政側近の軍士として仕えていたが』、十八『歳の時に同僚からの讒言を受けたために入獄し、獄士に請うて小刀と桃の木を得て神輿船』十四艘と猿六十三匹を『刻んで見せたところ、その出来栄えに感嘆した義政によって赦免され、装剣金工を業とするように命じられたと伝えられる。また、足利家から近江国坂本に領地』三百『町を与えられた他、後花園天皇から従五位下・右衛門尉に叙任されたという』。『現存する祐乗の作品には自署在銘のものはなく、無銘または後代の極め銘のものばかりであるが、小柄(こづか)・笄(こうがい)・目貫(めぬき)の三所物(みところもの)が主で、良質な金・赤銅の地金に龍・獅子などの文様を絵師・狩野元信の下絵によって魚々子地に高肉彫で表したものが多い。祐乗の彫刻は刀装具という一定の規格のなかで、細緻な文様を施し装飾効果をあげるというもので、以後』、十七『代にわたる大判座および分銅座の後藤家だけでなく、江戸時代における金工にも大きな影響を与えた。代々乗を通字として用いた』とある。

「小づか」「小柄」。小学館「日本大百科全書」より引く。『日本刀の鞘(さや)に付属する長さ』十五センチメートルほど(柄は凡そ九センチメートル)の『細身の小刀(こがたな)。初めは小刀の柄を小柄と称したが、柄が実用以上に装飾性をもち、小刀が刀としての役割より、刀装具として用いられるようになると小柄の呼称が一般的とな』った。『小柄の発生は、短刀の寸法が大きくなった鎌倉末期ころからと推定されるが、明確にされていない』。『初めは腰刀に付属したものであるが、室町最末期』頃『から打刀(うちがたな)にも付属するようになり、江戸時代に大小拵(こしらえ)の武家風俗が定まると、正式(登城の際)の大小拵には打刀に小柄と笄(こうがい)』(刀の鞘の差表(さしおもて:鍔の直下側面)に挿しておく篦(へら)状のもので、髪をなでつけるのに用いた)・『脇差(わきざし)には小柄のみをつける決まりとなった。元来の目的は日常のペーパー』・『ナイフ的なものであり、武器としての役割はもたないものである。さらに金銀を用いた精緻』『な金工作品に発展していくと、小柄の装飾性は一段と強まり、この種の金工の名人上手が多く輩出した』とある。

「橋辨慶」謡曲のそれ(弁慶が京の五条橋で牛若丸と戦って降参し、主従の契りを結ぶ)に材を採った絵飾りを彫ったものであろう。

「武功先祖の名家」底本編者は「家」を衍字と採っているが、別段、不審ではない。

「橫目(よこめ)」藩の目付(めつけ)。藩士の監察などを担当した。

「魚住三太夫」不詳。

「きとく」「奇特」。行いが感心・健気・殊勝なさま。「きどく」とも読むが、私は「きどく」と読む場合は「神仏の不思議な効験(こうげん)・霊験」の意の場合に限っている。

「おしこめおく」「押し込め込め置く」。

「いましむる」繩で縛ったりして厳しく監禁する。

「公事(くじ)奉行」藩内の訴訟及びその審理・裁判を担当した役職。

「園田源左衞門」不詳。

「ばくゑき」「博奕」。賭博。

「かくごのまへ」「覺悟の前」。覚悟の上。

「萬松寺河原」不詳。同名の寺は愛知などにあるが、どうも私にはピンと来ない。注意深く隠されているようだが、どうもこれも今まで通り、会津地方を仮想想定しているように思われてならぬからである。

「けいごの役人」「警固の役人」。

「のがれざる」「者」切っても切れぬ古き知り合いの者。

「霜刑(ソウケイ)」死刑。秋の冷たい霜に譬えて刑罰の厳しさを言う語。

「心にかくべからず」「心に懸くべからず」。心残りとするようなことは全くない。

「最後、きよく、たしなむべし」「最期、淸く、嗜むべし」。「最期の時を、きちんと心静かに迎えるがよいぞ。」。

「來迎山淨蓮寺」不詳。。あっておかしくない山号と寺名だが、寧ろ、ぴったり嵌り過ぎた名で、逆に架空である感じがプンプンするとも言える。

「吉川喜齋(きつかはきさい)」不詳。読みは私が勝手に添えた。別に「よしかは」でも構わぬ。

「をゝせ」「負はせ」。

「意趣はらし」「意趣晴し」で一語と採った。

「たくみける」「企みける」。謀った。

「いたづら事となりて」「戲事と成りて」。(目論見が外れて)無益な事となってしまい。

「兼々(かねがね)の」先般からの。ここは単に小柄を盗んだだけではなく、その企図した謀略総てと、その後の意外な展開の間も知らぬふりをしていたことまでをひっくるめて指すので、かく、言ったものであろう。

「御掟(おんおきて)」「ごぢやう」と読んでも構わぬ。

「橫惡(わうあく)」とんでもない悪事・悪意。「橫」は「普通でない・正しくない・道理に合わない・不正」の意。

「罪科(とが)」私のリズムの趣味で、二字でかく訓じておいた。

「とむろうもの」「弔(とむら)ふ者」。

「傳助がつかへまうで見る」「傳助が塚へ詣で見る」。

「ふるつか」「古塚」。

「かすかなるそとば」「微かなる卒塔婆」。「かすかなる」はみすぼらしいただの木片のような、といった意味であろう。

「ごふもう」「強猛」。精神が強く猛々しいこと。

「たぐひすくなき」「類ひ少なき」。]

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