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2017/11/06

柴田宵曲 ねずみの句

  

[やぶちゃん注:本篇は昭和一一(一九三六)年十一月発行の雑誌『谺』に宵曲の別号「棠毬子」で発表された。底本は一九九九年岩波文庫刊の小出昌洋編「新編 俳諧博物誌」に載る「鼠」を用いたが、「虫の句若干」の冒頭注で述べた通り、大幅な変更処理を施してある。

 動物界 Animalia 脊索動物門 Chordata 脊椎動物亜門 Vertebrata 哺乳綱 Mammalia 齧歯(ネズミ目)Rodentia ネズミ亜目 Myomorpha のネズミ上科 Muroidea(他にトビネズミ上科 Dipodoidea とヤマネ上科 Gliroidea があるが、ここではそれらに属する種は採り上げられていないので掲げる必要はない)のネズミ類。]

 

 ねずみの句

 

 干支に因んで鼠の句というものを少しひろげて見る。こういう題目を扱ったものに、由来あまり面白いのはない。それも豊富なストックがあって、自在に取出すのなら格別、いい加減な材料を振廻すのでは、書く本人からしてが随分心細いわけである。昔は新聞雑誌がしばしばこんな試みをしたから、ここに挙げるような句は、疾うにどこかに披露されているかも知れない。新年号は原稿を急ぐというので、やむをえず古い趣向を持出したのである。

[やぶちゃん注:冒頭注で示した通り、本篇は昭和一一(一九三六)年十一月発行の雑誌であった当年昭和十一年は丙子(ひのえね)であった。それにしても、行く年の干支のそれを記事にというのはとぼけた趣向だ。話にならねえ。]

 国に盗人家に鼠とありがたくない相場がきまっているようだから、河岸を替えて一つ屋外の鼠からはじめよう。

 

 野鼠のこれをくふらんつくつくし   其角

 火の絶(たえ)て鼠のはしる燒野かな 長圃

   甲子

 野鼠も福を鳴(なく)ぞよ春の雨   一茶

 菜の花や鼠と遊ぶむら雀       同

 白雨(ゆふだち)や鼠巢に死ぬ茶木原(ちやのきはら)

                   曉臺

 豆引(ひい)た跡や鼠の穴がある   重行(ぢゆうかう)

 野分やんで鼠のわたる流かな     蕪村

 掛稻(かけいね)に鼠なくなる門田(かどた)かな

                   同

 野ねずみの逃(にぐ)るも見ゆる鳴子(なるこ)かな

                   召波

 

 古人はなかなかよく屋外の鼠を観察している。野鼠の害というものは都人士(とじんし)の相関せざるところであるが、相当烈しいものらしい。上総の人から聞いた話に、田の中に撞木型(しゅもくがた)の棒を立てて置くと、野鼠がつかぬという。多分その棒に木兎(みみずく)が来てとまるからだろうということであった。或所で蛇のいるのを憎んで片端から退治したら、野鼠が夥しく横行して弱ったという話もある。どういう理窟からどう考えても、蛇だけは好(すき)になれないが、天は無意義に蛇を作ったわけではないと見える。

 そうかと思うとまたこんな話も聞いた。北海道あたりで屯田兵などが、冬近くなって野鼠の巣を捜し当てると、彼らが冬籠の間に食うべき栗の実なんぞを貯えてある。それを浚(さら)って来て炉辺に焼いて食うというのだが、事実とすれば随分人の悪い話である。野鼠はこの掠奪のために飢えねばならぬかと思うと、蜂を飼って蜜を取るよりも大分罪が深い。

 野鼠物語も書いて行ったらいろいろあることであろうが、ここに挙げる句はそれほど生活の内容には立入っていないようである。其角の句は催馬楽(さいばら)の老鼠を据えたものといわれているが、果してどんなものか。少くとも

 

 西寺のさくら告來(つげこ)よ老鼠   曉臺

 

という句ほど、明(あきらか)に表面には出ていない。暁台の句は「春も三日立(たち)ぬと鷗(かもめ)巢を訪ひ侍りき、主は梁塵抄なむ顏の邊りに押當轉寐(うたたね)をれりけるに」という前書があるので、老鼠を点出する所以がよくわかるのである。

[やぶちゃん注:暁台の句の前書は確信犯で恣意的に漢字を正字化した。

「催馬楽(さいばら)の老鼠」平安時代に隆盛した古代歌謡である催馬楽の律(現行二十五曲が残る)の中に「老鼠(おいねずみ)」はある。別名「西寺(にしでら)」。歌詞は以下(サイト「催馬楽wiki」のこちらに拠った)。

   *

西寺の 老鼠 若鼠 御裳(おんじょう)喰(つ)むつ 袈裟喰むつ 袈裟喰むつ 法師に申さむ 師に申せ 法師に申さむ 師に申せ

   *

其角の句は、この「法師に申さむ 師に申せ 法師に申さむ 師に申せ」の部分の囃子(音頭)を、「つくつくし」(蟬の「つくつく法師」(ツクツクボウシ))の名と鳴き声に共鳴させた洒落である(面白くもなんともないが)。暁台のそれは前書に平安末の流行歌である今様を採集した「梁塵秘抄」を出すことで、確信犯の駄目押しとなっている(前振りとしてはあまりに臭過ぎる)。]

 蕪村の「野分」の句は野鼠と限定しなくても差支ない。いずれ小流のことであろうから、溝鼠(どぶねずみ)の芸でもよかろうと思う。

 

  春風や鼠のなめる隅田川  一茶

 

などというのも、屋外であるに相違ないが、野鼠には緣が遠いようである。

 鼠は家畜ではないが、或意味では家畜以上に人間と交渉を持っている。牛や馬は家畜だけれども、飼っている家はそう沢山はない。鼠のいる家の多いことは、犬猫以上である。但(ただし)彼らの寄生するのは、国に盗人の格でいるのだから、あまり安心して居住するわけには行かない。軍艦の中でも、鼠を捕って来れば上陸を許可するとなると、続々として捕獲される。中にはその目的のために、陸上の溝鼠までが逆輸入されるというから、いささか物騒である。ペストが流行して、交番へ持って行けばいくらかになる位のところでは、到底鼠輩を殲滅(せんめつ)するわけに行きそうもないが、もし鼠の皮が猟虎(らっこ)以上に珍重されたり、鼠肉が長生不老の薬になったりすれば、鼠は忽にその影を失うかも知れない。そんな恐るべき宣伝家はまだ出て来ないからいいけれども――とにかく鼠の句には人間と交渉のあるものが多い。

 

 鼠にもやがてなじまん冬籠  其角

 

という句には「新宅」という前書がついている。これほど親しみの情を現したものは少いにしろ、俳人は例の態度から、憎悪以外の眼で鼠を扱っているようである。

[やぶちゃん注:「陸上の溝鼠までが逆輸入される」一読、私は芥川龍之介の「三つの(昭和二(一九二七)年七月一日発行の雑誌『改造』に初出)の「一 鼠」を思い出した(リンク先は私の電子テクスト)。]

 

 馴れて出る鼠のつらや小夜砧(さよぎぬた) 太祇

 

馴れれば鼠も存外人を恐れぬのであろう。鏡花氏の『照葉狂言(てりはきょうげん)』の中に鼠に対する述懐があつた。夜賑かな家の中に、自分だけ独り早く寝なければならぬ母亡き児は、鼠のがたがた騒ぐのを恐れて、貰った菓子の残りを枕頭(ちんとう)に置き、自分をいじめないでこのお菓子をお食べ、といつて寝る。鼠がコトコトやって食べるのを聞いているうちに、だんだん恐くなくなって、食べに来るのを待つようになる。鼠が来ない間に寝てしまうと、翌朝にはちゃんとそれがなくなっている、というようなことが、短い言葉で頗る可憐に書けていた。「馴れて出る鼠のつら」はそれほど可愛くはないかも知れぬ。また出て来たといった調子で、砧を打ちつつある様子が想像される。

[やぶちゃん注:「照葉狂言」泉鏡花のそれは明治二九(一八九六)年十一月十四日より同年十二月二十三日まで『読売新聞』に連載されたのが初出。ここで宵曲が遺愛するシークエンスは「夜の辻」の「一」の会話部分の末尾である。岩波版全集で示す。読みは一部に留めた。踊り字「〱」は正字化した。

   *

 小親(こちか)はまた步行(ある)きかけつつ、

「それはね、貢(みつぎ)さんが睡がるせいでせう。」

「然(さ)うぢやあなくツて、私(あたい)床(とこ)ン中に入つてからね、母樣(おつかさん)が居なくツて寂しくツて寢られないんだ。伯母さんも、染(そめ)ちやんも、餘所の人も皆(みん)なおもしろさうだよ。賑かなの。私(あたい)一人寂しいんだ。」

「さうかい。」

「鼠が出て騷ぐよ。ぐわたぐわたツて、……恐いよ。」

「まあ。」

「恐かつたよ、それでね、私(あたい)、貰つといたお菓子だの、お煎餅(せん)だの、ソツと袂ン中へしまツとくの、そしてね、紙の上へ乘せて枕頭(まくらもと)へ置いとくの。そして鼠にね、お前、私(あたい)を苛(いぢ)めるんぢやアありません。お菓子を遣るからね、おとなしくして食べるんだツて、然う云つたよ。」

「利口だねえ。」

「然うするとね、床ン中で聞いて、ソツと考へて居るとね、コトコトツてつちや喰べるよ。而(さう)して些(ちつ)とも恐くなくなつたの。每晩やるんだ。いつでも來ちやあ食べて行くよ。もう恐くはなくツて、可愛らしいよ。寢るとね、鼠が來ないか來ないかと思つて目を塞いぢやあ待つてるの。然うすると寢てしまふの。目を覺すとね、皆(みんな)食べて行つてあつたよ。」

 われは小親の名呼ばむとせしが猶豫(ためら)ひぬ。何とか言ふべき。

「ねえ。」

「あいよ。」

「ねえ、鼠は可愛いんだねえ。」

「ぢやあ貢さん家(とこ)に猫は居ないのかい。」

「居るよ、三毛猫なの。此間(このあひだ)ね、四ツ兒(こ)を産んだよ、伯母さんが可愛がるよ。」

「貢さんも可愛がつておくれかい。」

 われは肩掛(シヨオル)の中に口籠(くちごも)りぬ。袖面(そでおもて)を蔽ひたれば、搔分(かきわ)けて顏をば出(いだ)しつ。冷たき夜(よる)なりき。

  *]

 

 しぐるゝや鼠のわたる琴の上      蕪村

 古琴や鼠出て行く春の暮        曉臺

 

 句の価値からいえば、後者は到底前者に如かぬ。琴の上を鼠のさ渡る趣は、外の時雨(しぐれ)と相俟(あいま)って、寂しいながら美しい感じを与える。弾く人もない古琴から、たまたま鼠がちょろちょろ出て行くのも、極めて暮春の情趣にふさわしい。琴に鼠を配しながら、各〻異った世界を描いているのが妙である。

 

 水吸ひに鼠出でけり瓶(かめ)の花   太祇

 鼠追ふや椿生けたる枕上(まくらがみ) 田福

 

 花瓶の水を飲みに来る鼠などは、まだ何となく可愛気があるが、進んで

 

 鷄頭に鼠のつくや持佛堂        御風

 寺寒く樒(しきみ)はみこぼす鼠かな  蕪村

 

となると、多少凄涼の感を生ずる。

 

 栗に飽(あい)て蘭に付く鼠とらへけり 召波

 

というに至っては、鼠の分際(ずんざい)を超えたものといわざるを得ない。

 鼠が主として勝手許(かってもと)に跳梁するのは、勿論食物の関係である。日常生活における鼠害の大部分はこの兵站部(へいたんぶ)であるが、これは実際的に過ぎて「寺寒く樒はみこぼす」如き雅致に乏しい。

[やぶちゃん注:「兵站部」戦闘部隊の後方にあって人員・兵器・食糧などの前送・補給に当たり、同時に、後方連絡線の確保・保守を担当する活動部隊。ここは厨房及びそこの食糧を収めた納戸などの譬え。]

 

 皿を蹈(ふむ)鼠の音のさむさかな   蕪村

 

という句は、厨(くりや)の鼠を詠んだものに相違ないが、姿を描かず、音だけを現したところに特色がある。皿を蹈む鼠の音の寒さは、他の何者よりも適切なような気がする。

[やぶちゃん注:本文表示でも判る通り、この「蹈」は底本自体の用字。]

 

 水瓶に鼠の落ちし夜寒(よさむ)かな  太祇

 

も、目に見た光景でなしに、音を聞いた場合らしい。鼠には気の毒だけれども、いささか滑稽な句である。

 「皿を蹈」とは少し違った意味で、寒さのひしひしと身に迫るような感じがするのは、

 

 氷る灯の油うかゞふ鼠かな       蕪村

 

であろう。夜更け人しずまって、油火の焰(ほのお)も凝乎(ぎょうこ)として全く動かない。そこに窺(うかが)い寄る鼠は、油を舐(な)めようとするのであろうが、この場合他のものが登場したのでは、鬼気が先に立って工合が悪い。ちょろちょろした鼠だけに、夜半の寒さを感ずるだけで済むのである。

 

 糞ひとつ鼠のこぼす衾(ふすま)かな  蕪村

 

 鼠の姿は恐らく見えぬのであろう。自分の寝ている衾の上に、ポトリと一つ糞が落ちて来る。汚いという感じなしに、佗しい、寒い感じが主になるのである。この糞はどうしても一つでなければならぬ。

 

 本陣に鼠の糞の寒さかな        召波

 

という句もあるが、これは甚だ印象が稀薄で、「寒さ」という言葉も利いていない。単にこの両句を比較すれば、弟子は師の半にも至らざることを証するものである。

 出典のある面倒な鼠も多少ある。一番多いのは説法経に基づくという月日(つきひ)の鼠であるが、これは寓意が多いだけに句としてはあまり面白いものがない。

 

 牙(きば)寒き梁(うつばり)の月の鼠かな

                    蕪村

 

などは、暁台が「故人臺余が寒爐を訪はずして歸郷す」云々の前書があるもので、固よりただの鼠ではないが、或点まで鼠の感じを具えている点で、出色のものであろう。几董は『史記』の中に趣向を求めて

 

    讀李斯(りし)傳

 厠(かはや)なる扇もくらふ鼠かな   几董

 

という句を作った。例の「年少(わか)き時、郡の小吏と爲り、吏舍の厠中の鼠、不潔を食ひ、人犬に近づき、數〻(しばしば)之に驚恐するを見る」というやつである。子規居士が几董を詠じて「李斯傳を風吹き返す晝寐かな」の句を作ったのは、この句に興味を持ったものと思われる。

 話が約束通り下へ下って来た。この辺で筆を擱(お)くことにしよう。

[やぶちゃん注:鍵括弧の三箇所の引用部の漢字を確信犯で正字化した。

「説法経に基づくという月日(つきひ)の鼠」「賓頭盧(びんずる)説法経」にある法話に基づく「月の鼠」などとも呼ぶ故事成句。人が象に追われて逃げ、木の根を伝って井戸に隠れようとしたところ、木の根のところでは黒と白の二匹の鼠が根を齧ろうとしており、井戸戸の周りには四匹の毒蛇がいて噛みつつかこうとしたという。「象」を「無常」に、「鼠」を速やかに過ぎ行く「日月」に、毒蛇を宇宙を構成する四大元素(地・水・火・風)に譬えたもので、「日月が刻々と過ぎ去っていくこと」を意味する。

「李斯」(?~紀元前二〇八年)は秦の宰相。始皇帝に焚書を進言、始皇帝の死後は宦官趙高とともに偽詔を捏造、始皇帝末子で愚かな胡亥を二世皇帝として即位させ、権力奪取を謀ったが、結局、趙高に疎まれて無実の罪を着せられた上、「腰斬(ようざん)」の刑(腹部で両断して即死させずに苦しんで死なせる残酷刑)に処されて死んだ。

「年少(わか)き時、郡の小吏と爲り、吏舍の厠中の鼠、不潔を食ひ、人犬に近づき、數〻(しばしば)之に驚恐するを見る」「史記」「李斯傳」の冒頭部『李斯者、楚上蔡人也。年少時、爲郡小吏、見吏舍廁中鼠食不絜、近人犬、數驚恐之。斯入倉、觀倉中鼠、食積粟、居大廡之下、不見人犬之憂。於是李斯乃嘆曰、「人之賢不肖譬如鼠矣、在所自處耳。」』。サイト「Es Discovery Logs」の「『史記 李斯列伝 第二十七』の現代語訳:1」の頭の部分を参照されると、概ね、お判り戴けるであろう。「はじめての三国志」の「成り上がり?ネズミが李斯の運命を変えた!」はもっと分かり易いかも知れぬ。ただ、ここは暑さと臭さを仰ぐ便所の団扇をさえ喰らうてさえ生きんとする鼠の鬼気迫る逆転イメージの諧謔をこそ私はこの句に感ずる。]

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