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2017/12/31

《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 明治四一(一九〇八)年東京府立第三中学校第四学年夏季休暇中の七月二十一日から八月三十一日までの芥川龍之介満十六歳の日誌


[やぶちゃん注:以下は、芥川龍之介満十六歳の夏、東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校。旧制中学は五年制)の第四学年の夏休みの日記で、前半部では、芥川龍之介が同年の級友でこの中学時代の親友であった西川英次郎(ひでじろう 明治二五(一八九二)年~昭和六三(一九八八)年:後、東京帝国大学農科卒。鳥取大学・東北大学・和洋女子大学の教授を歴任した)と二人で、山梨・長野方面に十日九日間の旅の記録がメインとなっている。大正一五(一九二六)年四月から翌十六年二月まで、十一回に亙って『文藝春秋』に連載された芥川龍之介の
「追憶」の一章に「西川英次郎」があり、そこで龍之介は次のように述べている(リンク先は私の古い電子テクスト)。

   *

 西川は渾名をライオンと言つた。それは顏がどことなしにライオンに似てゐた爲である。僕は西川と同級だつた爲めに少なからず啓發を受けた。中學の四年か五年の時に英譯の「獵人日記」だの「サツフオオ」だのを讀み嚙(かじ)つたのは、西川なしには出來なかつたであらう。が、僕は西川には何も報いることは出來なかつた。もし何か報いたとすれば、それは唯足がらをすくつて西川を泣かせたことだけであらう。

 僕は又西川と一しよに夏休みなどには旅行した。西川は僕よりも裕福だつたらしい。しかし僕等は大旅行をしても、旅費は二十圓を越えたことはなかつた。僕はやはり西川と一しよに中里介山氏の「大菩薩峠」に近い丹波山(たばやま)と云ふ寒村に泊り、一等三十五錢と云ふ宿賃を拂つたのを覺えてゐる。しかしその宿は淸潔でもあり、食事も玉子燒などを添へてあつた。

 多分まだ殘雪の深い赤城山(あかぎやま)へ登つた時であらう。西川はこごみ加減に步きながら、急に僕にこんなことを言つた。

 「君は兩親に死なれたら、悲しいとか何とか思ふかい?」

 僕はちよつと考えた後(のち)、「悲しいと思ふ」と返事をした。

 「僕は悲しいとは思わない。君は創作をやるつもりなんだから、さう云ふ人間もゐると云ふことを知つて置く方が善いかも知れない。」

 しかし僕はその時分にはまだ作家にならうと云ふ志望などを持つてゐた譯ではなかつた。それをなぜさう言はれたかは未だに僕には不可解である。

   *

 底本は、葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」(一九六八年岩波書店刊)の『丹波・上諏訪・淺間行――明治四十一年夏休み「日誌」』と葛巻が題したものを使用した。〔 〕は編者が脱字と判断して補ったものを指す。一部に葛巻氏の割注が入るが、除去して、私の注で示した。読みは推定で概ね葛巻が附したものと思われるが、「丹波」に「しば」としたり、不審な点が見られるので、総て除去し、一部は注で示した。字空けは底本のママである。踊り字「〱」は正字化した。

 日記中、三度出る「上瀧」は友人上瀧嵬(こうたきたかし 明治二四(一八九一)年~?)龍之介の江東小学校及び府立三中時代の同級生。一高には龍之介と同じ明治四三(一九一〇)年に第三部(医学)に入り、東京帝国大学医学部卒、医師となって、後に厦門(アモイ)に赴いた。龍之介の「學校友だち」では巻頭に『上滝嵬 これは、小學以來の友だちなり。嵬はタカシと訓ず。細君の名は秋菜。秦豐吉、この夫婦を南畫的夫婦と言ふ。東京の醫科大學を出、今は厦門(アモイ)の何なんとか病院に在り。人生觀上のリアリストなれども、實生活に處する時には必ずしもさほどリアリストにあらず。西洋の小説にある醫者に似たり。子供の名を汸(ミノト)と言ふ。上瀧のお父さんの命名なりと言へば、一風變りたる名を好むは遺傳的趣味の一つなるべし。書は中々巧みなり。歌も句も素人並みに作る。「新内に下見おろせば燈籠かな」の作あり』とある。

 七月二十八日の「髞笑」は「さうせう(そうしょう)」と読んで、高笑いの謂いと思われる。

 七月三十一日の「偃松」は「はいまつ」(這松)で、裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属 Strobus 亜属 Strobi 節ハイマツ Pinus pumila のこと。

 八月二十七日の条にトルストイが重い病いで病床に臥したと出るが、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(Лев Николаевич Толстой:ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy 一八二八年~一九一〇年十一月二十日)の家出後の死亡は、この年ではなく、この二年後である。

 本テクストを二〇一七年の最後の私の電子テクストとする。【2017年12月31日 藪野直史】]

 

 

 七月二十一日 曇

 學校へ汽車の割引券と證明書とをもらひに行く。昨日迄 每日門をくゞつてゐたのだが 久しく來なかつたやうな氣がする。一日中 旅行の準備に何くれとなく忙しい。

 同 二十二日 曇

 ひる

 午から西川君と上野の國書館へ行く。櫻ケ岡の石段を上ると西郷隆盛が鼻のあたまへ鳥の糞をつけて 得意になつてゐる。

 同 二十三日 小雨

 茣蓙も帽子も施行の準備はのこりなくすンだ。

 夕方外へ出て見ると雲がきれて 夕燒けがして東の空には星さへ見出される。安心して床へはいる。

 明日は雨のふらない限り出發する豫定である。同行は西川君。

   二十四日 曇

 東京―日向和田(汽車) 日向和田―氷川(泊)

 氷川は淋しい町である。夕方こゝへ着いて 宿屋の白い行燈を見た時につくづくとさう思つた。宿の湯にはいりながら薄暗いランプのまはりに火取虫の飛ンでゐるのを見た時に再 心に氷川は淋しい町であると繰返した。

 馬子の唄 背戸の南瓜の花 淸い噴井の水 その吹噴井に米をとぐ女の白い手拭 これらのものをほの白い夕霧の中に望だ時 自分の心はどなにか淋しさに充ちてゐたことだらう。

 湯にもはいり夕餉もすで疲れた躰をさつぱりした床の上に橫へた時 蚊帳をへだててランプの燈の鬼灯の樣なのを眺めた時 虫の音の雨よりも茂く流れるのを聞いた時 枕に通ふ玉川の水聲に目ざめた時 三度氷川は淋しい町であると呟いたのであつた。(二十五日記)

  二十五日 曇

  氷川―小河内―丹波山(泊)へ

 氷川と丹波山との間の路はわすれ難い、ゆかしい路であつた。右は雜木山 左は杉木立。

 路傍には山百合や鐘草が自に紫に咲き亂れてゐた。

 所々に瀧がある。爆のある所には羊齒が靑々と枝をのばして水晶の樣な水がしやらしやらと其下を流れてゐた。

 杉木立を隔〔て〕た向には玉川の流が白い泡をふいて 遠い夕月の國へ。――流を夾だ山々の男々しい姿。一つとして淸々した夏の呼吸が何處から何處迄こもつてゐるのをあらはさぬ物はない。自分等は又この路に沿ふたいくつかの佗しい村を通りこした。煤びた障子の中からさやさやと云ふ梭の音につれて歌の聲のもれる家もあつた。黃色い麥も堆く庭に積だ家もあつた。半ば傾いた山門に扁額の金も朧げな寺もあつた。螢草と撫子とにかこまれた道祖神の祠もあつた。自分等は眺め入つた。眺め入りながら物と力との「どよみ」をしらない、これらの村の人々の生活を羨だ。

 村がつきると又山になる。靑黑い山と靑黑い谷 その間を縫ふ白い細い道 玉川の水の音 水車小屋 鶯の聲 あゝ夏だ。この日は灰色の雲が低く檜原の連山の頂にかゝつて 山と山との間の深い溪には 炭燒の煙の靑く立上るのも見えた。

 かうして此日も暮近く 鴨澤のはづれへついた。向うの窪地に見える一つらの村落―白壁の光るのが見え 桑畑のつゞくのが見え 柳が見え はねつるべが見え 七月の靑い空氣は酒の樣に濃に この上に流れてゐる、これが丹波山だ。のんびりした牛の聲 それも人里近く〔な〕つたかと思ふと 何となく嬉しく思はれる。

 此晩は丹波山の「野村」と云ふ宿に泊る事にする。玉川の水音は今夜も相不變 枕に過つてゐる。

  二十六日 晴

 丹波山から落合迄三里の間は殆ど人跡をたつた山の中で 人家は素より一軒もない。はるかの谷底を流れる玉川の水聲を除いては 太古の樣な寂寞が寥々として天地を領してゐるばかりである。谷から谷へ渡る雜木の林は犇犇と枝をかはして 時々黃色い日光が力なく微に木の間を洩れてくる。晝顏の夢の樣な花が夢の樣に木陰に咲いてゐるのも 幾年來の朽葉の香がほのかに朝の大氣をかほらせるのも 何となくうら淋しい。殊に血潮をしたゝらした樣な蛇苺の間を虹色をした蜥蜴の 音もなく走るのは淋しいよりも 少々氣味が惡い。

 實にこの昏々たる睡眠土は 自然の殿堂である。思想と云ふ王樣の 沈默と云ふ宮殿である。

 あらゆる物を透明にする秋の重來が この山とこの谷とを覆ふ時 獨りこの林の奧の落葉をふみて 風の聲に耳を澄したなら 定めて心地よい事であらう。

 こんな事を考へながら 落合の荒村を過ぎて 柳澤峠から 塩山の町についたのは もう暮方であつた。

 紫に煙つた甲斐の山々 殘照の空 鉛紫の橫雲。

 それも程なくうつろつて 終には野もくれ山もくれ 暮色は暗く林から林へ渡つて 空はまるで限りのない藍色の海の樣。涼しい星の姿が所々に見えて いつか人家の障子には 燈が紅くともる樣になつた。

 自分等は 塩山の停車場に七時から十一時迄汽車を待つた。眠くなれば、外を步いた。步いては空を仰いだ。

 嚴な空には 天の河が煙の樣に流れてゐた。

 十一時何分かの汽車で 甲府へついて 「佐渡幸」(宿屋)の二階に この日記をつけ終つたのは 丁度二時である。西川君は例の通り「峨眉山月半輪の秋」を小さな聲でうたひながら 疲勞がなほると云つて、ちやんとかしこまつてゐる。(丹波山―塩山―甲府)

 同 二十七日 晴後曇

 甲府―猪野

今日はいやにくたびれて 日記をかく氣にもならぬ。上瀧君へ手紙を出す。

 「 甲府からこゝへ來た 昇仙峽は流石にいゝ 水の靑いのと石の大きいのとは玉川も及ばないやうだ しかし惜しいことに、こゝ(昇仙峽)の方が眺めが淺いと思ふ 昇仙峽は藤と躑躅の名所ださうな この靑い水に紫の藤が長い花をたらしたなら さだめて美しい事と思ふ

                 亂筆不盡」

 手紙をかきをはつた時には 山も川も黑くくれて鬱然と曇つた空には 時々電光がさびしく光る。こんな時には よくいろンな思がをこるものだ。大きな螢が靑く 前の叢の上を流れてゆく。(二十七日 荒川の水琴をきゝつゝ。)

  二十八日 猪野―甲府―上諏訪  晴

 朝早く猪野の里を出て 甲府へついたのが 丁度十一時。

 それから汽車で上諏訪へ向ふ。

 汽車が驛々で止る每に 必 幾人かの農夫の乘客がはいつてくる。それでなければ自分等と同じ樣な檜木笠の連中がやつてくる。作物の話が出る。空模樣の話が出る。無遠慮な雜談と 氣のをけない髞笑とは 間もなく 彼方にも此方にも起つた。今は〔車〕内は、山家の人の素樸な氣で 充される樣になつた。

 汽車が進むにつれて 目の前には八嶽の大傾斜が開けて來る 落葉松の林 合歡の花 所々に散在する村落。其處から上る白い烟 さては野に牛を飼ふ人の姿。―自分等 物を眺めながら窓によつて この山間にすむ甲州人の剛健な素朴な生活の事を考へて見た。

[やぶちゃん注:「―自分等 物を眺めながら窓によつて」の字空け部分には編者によって『〔欠字〕』と割注が入っている。]

 甲信の山々は いづれも頂を力と熟との暗影を持つた 深い銅色の雲に 埋めながら、午後の日の光をうけて 遠いのは藍色に 近いのは鼠色に 濃い紫の敏を縱橫に刻で 綠の野の末に大きなうねりをうたせてゐた。永河の遺跡が見られると云ふのは そこであらう。白根葵の嘆くと云ふのは そこであらう。 長へに壯嚴な山々の姿。―雪にうづもれた其頂には宇宙の歷史が祕めてあるのではあるまいか。

[やぶちゃん注:「銅色」は「あかがねいろ」であろう。編者も「銅」に「あかがね」とルビする。]

 やがて汽車が上諏訪についた。涼しく暗 た夕である。自分等は棄て飯塚君の「木曾へ旅行した日記」を讀ンで以來 ゆかしく思つて居た牡丹屋と云ふのに泊つた。

[やぶちゃん注:「涼しく暗 た夕である」の字空き部分には編者によって『〔欠字〕』と割注が入っている。]

 夜に入ると 雷が頻りに鳴り出した。「電燈にさはりが出來まして。」と云つて 女中が燭を持つて來る。それは古風な眞鍮のであつた。自分等はその下に寐ころんで 花の樣な丁字を眺めながら 諏訪兩社の古い物語を語りあつた。

 部屋の中は蠟燭の朧げな光にみちてゐる。雷は 未だ盛んに鳴る。

  二十九日

 上諏訪―下諏訪―和田峠  晴

 上諏訪の町を出て 昔の中仙道を東へ 湖に沿ふて步いて行く。左にひらく諏訪の湖は 大きな鉛の楯をのべた樣 ほのかな朝霧の底に白い光を放つて 春の樣に霞ンだ桔梗色をうつしてゐた。

 くつきりと力のある山々の輪郭。濃い紫紺の谷。時々摘綿よりも小さい白雲がふはりとその腰をなでて靜に流れてゆくのが見える。

 そればかりではない。今、武津あたりを離れた小さな白帆も 湖畔の黑い林も その林の陰の家々も明に それと指される。秋の夜には定めし 湖の神の 夜 月に彈ずる 二十五絃の聲が聞えるだらう。

 この穩な景色を眺めながら 自分等が下諏訪の神さびした社を見物して 西餅屋の荒村から嶮しい舊道を 和田峠の頂に辿りついたのは 彼是一時頃であつた。

 心地よい風が 滿山の千萱を渡つて吹いてくる。

 右は蓼科、大門の藍鼠の山塊。左は三才、保福寺の菫色の峯々。眼の下に見える濃綠の高原には 色の川が帶の樣に流れて 所々にちらばつた白樺の叢林。落葉松の森。又は草山につどつた牛の群。――それもはつきり 手にとる樣に見えた。此日は 積綿の樣な灰色の雲が 低く南東の空を蔽つてゐたので 上信境の山脈を望む事は出來なかつた。もしこの雲の帳がなかつたら 淺間、湯の丸、籠の塔、の連山が紺靑の峯に映じて その壯觀は殆ど魂を奪ふ樣であつたらう。

[やぶちゃん注:「眼の下に見える濃綠の高原には 色の川が帶の樣に流れて」の字空き部分には編者によって『〔欠字〕』と割注が入っている。]

 見れば見る程峻嚴な思を感ぜずには居られない。どうしても 山は自分にとつて靈である。火でもなければ 幻でもない。

 かくして 此日の暮合に 和田につく。

 和田は淋しい村で 唯 依田川の水の靑ばかりが高い。獨りで 宿のくらいランプの下で日記をつけてゐると どこかで鐘の聲がする。こゝにも寺はあると見える。(七月二十九日記。)

 同 三十日 和田―大屋―小諸  晴

 和田から 大屋へ行つて 汽車で小諸へ來た。今日は大へんくたびれた。明日 淺間へ上る豫定である。日記をつけるのを止めて眠る事にする。西川君は相不變「長安一片月」を唸つてゐる。(三十日記。)

 同 三十一日 小諸―淺間―御代田―輕井澤  曇

 深い霧の中を淺間の頂上に辿りついたのは 午であつた。

 見渡す限り 赤黑い燒石の原で偃松のわびしく枝をかはすのも 岩燕のさびしくとびかふのも見えぬ。左に連る無間谷の茶屋の崖 目の下にひろがる前掛山の褐色の裾。其上をお〔ほ〕ふ靑い空。一つとして荒涼とした思をさせぬものはない。

 殊に晴れてゆく山頂の霧の――四方を王の樣に聳えてゐた。(八月三日記)

[やぶちゃん注:「四方」には『あたり』とルビする。]

 八月一日 雨後晴 輕井澤―東京

 今日の一番列車で東京へ歸る事にする。

 西川君は輕井澤で買つた林檎の皮を丁寧にむく。まつ紅のつやのある皮が小刀のひかる度に、長く細くむけて行くのは一寸綺麗だ。自分は窓によつてうつらうつら眠る。その中に汽車が碓氷の隨道へはいる。佛蘭西の小説家は汽車の笛の音を、喘息やみの鯨の樣だと云つた相だ。汽笛の音が、鯨なら 隨道をゆく汽車の車輪の音は、ロッペン島の海豹の寢言位なものだらう。

[やぶちゃん注:最初の「隨道」には『とんねる』とルビする。「相だ」はママ。]

 妙義も 赤城も 夢うつゝの中に見そくなつて、漸く上野の停車場へついたのは一時前であつた。二人で停車場前の氷店へはいつて サイダの祝杯をあげる。少し嬉しかつた。上野から電車で家へかへる。(西川君とは途中で別れた。)

[やぶちゃん注:「見そくなつて」はママ。]

 天竺葵の花は相不變赤い。汗臭い洋服を脱いで、數日來の垢を流して 夕飯の膳に向ふ。

 今度は 大にうれしかつた。

 八月二日 晴

 昨夜はよく寐た。起きてから 感心するほどよく寢てしまつた。

 それで、晝間も眠いから可笑しい。

 讀書、午睡。後は記事なだ。

 八月三日 晴

 今日は非常に暑い。だるくつて 何もする氣にならぬ。寐ころで 雜誌を見てゐると樗牛の中學時代の日記が目についた。題は「光陰誌行」で「九天茫々として曇り六花片々として落ち宛然群蝶の落花に戲るゝが如し」「天澄み 風白くして山川蕭條草木洒落の候 東苑の菊花 紅芷𤾛葩 南互に艷を競ひ」などと書いてある。六つかしい日記をかいたものだなアと感心する。

   四日

 朝から 芝の姊の家へ行く。今日も犬に嘗められた。一体 自分は犬が大嫌である。犬と納豆とは見たばかりでも ぞつとする。此前來た時も嘗められたが 今日は二匹に嘗められたのだからたまらない。中でも佛蘭西産の護羊犬の奴は、一番 癪にさはる。姊は花をいけて居た。折角ちやんと嘆いてゐるものを 曲りくねらせて喜でゐるなて馬鹿々々しい事だと思つたが、餞計な事を云つて叱られるとつまらないから 默つて拜見する。

[やぶちゃん注:「芝の姊の家」は実父新原敏三の家。この頃の芥川家は本所。]

 夜は泊る事にする。

  五日 晴

 午から家へかへる。弟が一緒に行きたいと云ふから、つれて來た。つれて來たはいゝが、本屋の前へくると「世界御伽噺をかつて。」と云ふ。一體 小學校の二年生の癖に世界御伽噺をよむなて 生意氣な話だと思ふ。

  六日 晴

 弟は昨夜泊つて、今日歸つた。家の中が急に淋しくなる。宿題をそろそろやる事にする。

  七日

 夜、上瀧君がやつて來る。「今年の一高の問題は難いね。」と云ふと、「ウン難しくつても、自分一人難いぢやないからいゝ。皆出來ないだ。」 呑氣なものだ。

  八日 曇

 昨夜は恐しい風であつた。朝早く 大川端へ行つて見ると、川は黃色く濁つて、岸の柳が枝を水にびたして居る。

 廉い川面は 舟が一般も見えぬ。大川もかうなると、少し川らしい。

  九日 曇

 今日も、衰えきらない天氣だ。そのかはり かう涼しいと、身にしみて 本がよめる。此丈は難有い。

  十日 曇 驟雨

 夕立があつた。夏の雨が何んとなく豪快なのは、昔からのきまり相場である。夜、上瀧君を訪ふ。

 門前の碧梧桐が 依然として高い。

  十一日 雨

 上野の國書館へ行く。「我獨逸觀」を三度かりて 三度共なかつたのは一寸 殘念だつた。あきらめて、「聊齋志異」をよむ。

 飴計な時間さへあれば、妖怪譚をよむのが自分の癖である。尤も 大分難しくて讀めない所があつた。あつても、面白いものは 矢張面白い。

  十二日 雨

 終日、白雨條々。

  十三日 曇

 朝、中野君を訪ふ。

 午すぎに、長島君と宮崎君とがやつてくる。聞けば英三の例が 少くて困ると云ふ。此方は例どころか、未〔だ〕定義もきまりやしない。殊に長島君が珍らしく、袂のついた衣服を着て來て 始終袂を「にやくかい」 にしてゐたのは、滑稽だつた。

  十四日 晴

 午から暑いのに 橘町の野口(學校の野口君ぢやない)君を訪ふ。兩國橋の上を通ると、なつかしい臭がした。夏になると どこの川でも、この臭がする。磯臭い樣な 砂の燒ける樣な 何んとも云へない臭である。之をかぐ每に 自分は夏が來たなと思ふ。水練場へ行つた時には 躰がかう云ふ臭がした。褌も 帽子も 手拭も かう云ふ臭がした。その頃は 水練場の臭だと思つてゐた。なつかしい! 夏の小供の時の 夏の臭! それが未だ殘つてゐて 自分の心を若返らせるのかしれない。

  十五日 曇

 朝から地圖をかく。

 今日も、夕立があつた。雷鳴白雨 壯快のきはみであつた。

  十六日 晴

 夜、西川君を訪ふ。西川君を訪ふ時は いつも大川端から 厩橋へ出て行く。大川は 夕の光をうかべて 靑白く光つてゐる。小暗い柳のかげには 赤い「うであづき」の行燈が見えて 小さな子が顏よりも大きい西瓜を嚙りながら 其前をすぎる。ピタピタと石垣をうつ波の聲 さはさはとアカシアのそよぐ音 大川の夕は涼味にあふれてゐる。

  十七日 晴

 昨夜は 非常な雷雨であつた……相である。

[やぶちゃん注:「相」はママ。]

 自分はちつとも しらなかつた。餞程よく眠たものと見える。

 少し頭痛がするので 早寢をする事にする。雷樣の罰が當つたらしい。

  十八日

 記事なし。

「病牀錄」をよむ。

  十九日

 昨夜は 高架鐡道で淺間へ上る夢を見た。汽車の中で 車掌に「此處はどこ?」ときくと「ノールウェーです。」と云つた。面白い夢だ。無事。

  二十日 晴

 秋が立つてから 七日になるが 矢張暑い。惰氣、眠氣が 交襲ふには 少々閉口する。

 二十一日 晴

 圖書館へ行く。

 館上の西の窓の眺は、いつも乍ら 實によい。

 黑い谷中の杉林につゞく綠の樹々。日のさすまゝに濃綠 淡綠 樣々の色に光つて、其間をもれる蟬の聲も 何となく床しく聞える。殊に 掃いた樣に澄〔ん〕だ夕の空の、殘照の紅も褪せたのに、紺紫の橫雲の流れを浮べて、寶玉を碎いた樣な 星の光の一點 二點、見えそめる時は そゞろに甲斐の山の夕暮もしのばれる。

 讀書に疲れた頭を癒すのは 實にこの窓の御かげである。決して、穴藏の樣な食堂や、牢獄の樣な遊步場の爲ではない。

  二十二日 晴

 晝 金星が見えると新聞に出てゐたので、屋根へ上つて空を見た。

 空は、淺黃繻子の樣に靑く光つて、銀鉤の樣な月が、今にも消えさうにういてゐる。 双眼鏡を持つて 方々をみたが どうしても見えなかつた。金星には 緣がないと見える。

  二十三日

 今日は 夕顏は十五さいた。自分は此花がすきだ。白い中に ほのかな黃の筋のはいつてゐる所が 何んと云へなくいゝ。此花を 「夜會草」とよぶのは、けばけばしくて 嫌だ。矢張 夕顏と云ふのが、しとやかでよい樣に 思はれる。

  二十四日

 昨夜は、寐られなかつた。幻想 妄想の包圍攻撃をうけて、一時をうつても 二時をうつても目がさえてゐた、其せいか 今日は何をするのも、嫌だ。

  二十五日

 家の後に、メリヤス屋がある。そこの女が 朝早くから歌をうたひながらミシンをまはし出す、よくは聞えないが、何でもいやに哀しい歌である。朝 蚊帳の中できいてゐると、何だか泣いてゐる樣な氣がしてならない。秋の夜だつたら 更によく調和するだらう。これは八月の始から 每朝やつてゐる相だが 自分のきいたのは、今日が始めてである。

[やぶちゃん注:「相」ママ。]

  二十六日

 朝のうちは 地圖をかく。蠅がとんで來て スカンヂナビア半島にとまる、カテガットの海峽をこえて ドイツヘはいつたと思ふと、ツイと飛んで 大西洋をグリーンランドの方へ 徒渉してゆく。氣樂なものだ。

  二十七日

 宿題をとく。

 トルストイが 重患に罹つたと、新聞に見えてゐる。

  二十八日

 無事。

 鷄頭が大分 大きくなつた。秋が來た と思ふ。

  二十九日

 夜 西川君を訪ふ。大川端を通ると、元の小學校の先生が釣をしてゐた。「つれますか。」と聞くと、「ちつともつれん。つれなくつてもいゝンだ。」と云つた、流石は先生だ。

  三十日

 夜 能勢君と、宮崎君を訪ふ。今度は 十三日の逆襲である。

 かへつたのは、九時頃。電車が 横網の車庫へはひつてゆく。電車も 大方 眠いのだらう。

  三十一日

 明日から 學校が始まる。始まつても、平氣なものだ。學校へ行つてゐるのも 休みで眠てばかりゐるのも 心持にさう變りはない。淸水君と能勢君とがやつてくる。二人ともやつぱり 氣樂らしい。悠然として 南山を見る仲間と見える。南山と迄行かなくつても 胃活の廣告位は 每日見てゐるのに違ひない。

 夜 早くねる。

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 暗室

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「暗室」は昭和一三(一九三八)年六月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 一部の段落末に簡単な注を附した。

 なお、本篇の後半部の一部の原稿(プレ決定稿か)の一枚(四百字詰め)が、「広島市立中央図書館」の「Web広島文学資料室」内のこちらで見られ(原稿の裏面に「鎭魂歌」の草稿が記されているため、一枚だけが画像公開されているもの)、そこでは、現行版及び漢字表記(正字でないもの)に次のような異同が見られる(下線部)

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しんは周章てて荷馬車のところへ飛出し、「これは私の娘です。何かいことでもしたのですか」と性急に尋ねた。馬丁は胡散さうな眼でじろつとしんを見下し、「お前さんは引込んでろ」と命令した。それから默々と妙子を眺め𢌞[やぶちゃん注:或いは「」。]してゐたが、「袂の裾を握るんぢやない」と一喝すると、妙子は電流に打たれたやうに兩手を袂から離した。しんは默つてゐられなくなつた。「何故、私の娘にそんな劍幕を振ふのかあなたは一誰だ」馬丁は輕[やぶちゃん注:或いは「」。]く肩を聳かして、「譯は後で話す[やぶちゃん注:或いは「」。]」と云つた。さう云つて今度は馬の腹へ近寄つて、馬具を直してゐたが、ふと妙子の方を振向いて、「ああん、いい加減に謝罪せんか」と云ふのであつた。妙子が相らず默つた儘うつむいてゐると、馬丁はまた彼女の側に近寄り、「強情張ると君の爲にならんぞ」と妙子の肩を小衝いて、それから靜かな口調で話し出した。「なあ、君は第一[やぶちゃん注:現行のここにある読点(、)がない。]左側通行を守らなんだのがいけないのだ、それに我輩の馬車に衝き

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これはプレ決定原稿であり、実際の初出では、当時は、当然の如く、多くの略字は正字化されていると考えるのが常識であるから、私の恣意的な漢字の正字化仕儀は正当であると信ずるものである。【2017年12月31日 藪野直史】]

 

 

  暗室

 

 しんは寢室に睡つてゐたが、雨戸の外の庭が、月の光で眞晝のやうに明るかつた。簷の近くの梅の樹の枝が二股に岐れてゐるところに、しんの二番目の息子の七つの時の顏が嵌められてゐた。その顏は眼のくりくりとした、好奇心に芽生えかかつた表情で、寫眞師の方へ向けられた顏で、たしか簞笥の戸棚のアルバムに貼つてある、古ぼけた寫眞の儘だつたが、梅の樹の股から覗いてゐる顏は、段々鼠のやうな顏になつて、寂しげに瞬してはしんを眺めるのであつた。しんは自分の産んだ子が動物になつてゐるのに驚かされて、胸は早鐘を打ち出した。不圖、また向ふの百日紅の枝に氣がつくと、そこには三番目の息子が眞裸で、すべすべする枝に登つて行くのだつた。いくら三郎の柄が小さくても、あんな小さな手足ではなかつたし、背中に猿そつくりの毛が生えてゐるのも哀れだつた。百日紅はさるすべりと云つて、お猿でさへ登れないのですよ、とあの子を背負つては教へてやると、あの子は一生懸命梢の方を振仰いだものだつた、あんなことを教へたために到頭、三郎は夢中で枝に這ひ登つてゆく。梢には點々と赤い花がみえ、それがすぐ眞下の井戸の底に青空と一緒に映つてゐる。三郎はふと、變な身構へをすると、むかふの枝に飛び移らうとする。あれは一度、尋常四年の時、機械體操から墜ちたから、それに中學の入學試驗にも落ちたから、何時もあんな恰好をする癖がついたのかもしれないが、もし飛び損なつたら今度こそ井戸の底に墜ちるのに、と、しんは氣が氣でなかつた。そのうちに、ぽしやり、と井戸の底に鯉が跳ねる音がすると、もう三郎の姿は樹上になかつた。しんはさつきから續いてゐた胸騷ぎが今はコチ、コチ、コチ、と氷を割る音に變つて行つた。笊の底の氷塊はごろごろと滑つて、うまく錐が立たなかつた。緣側のすぐ側の飛石が大きな龜の恰好をして地面に伏さつてゐるが、あれは長男の一雄の證據に、時々難儀さうに口を開けるのだつた。あんなに辛くなるまで我慢しなくてもよかつたのに、一雄は脚氣を怺へて試驗を受けようとしたのだつた。それで夜、あれが突然歸省して來て、玄關の戸を弱々しく叩いた時、しんは心臟を叩かれるやうな思ひがした。今も地面に伏さつてゐるからには餘程苦しいのだらうが、脚氣を氷で冷やしたら少しは樂になるのかしら、と、ついしんは餘計な思案をしながら錐の手を休めてゐた。すると、耳許で、しんの夫が、「馬鹿、早くしろ。一雄は脚氣ぢやない、疫痢だぞ」と吸鳴つて、錐をひつたくると、自分でゴツゴツと氷を割り出すのだつた。子供のことになると、無我夢中になる夫の姿をみると、しんは自分ののろくささに狼狽てながらも、内心微かに嬉しかつた。夫の義造は壯烈そのものの姿で錐を打ち込む。氷は頻りに白い煙を放ち、溶けた雫が笊の目から庭へ流れた。[やぶちゃん注:「怺へて」「こらへて」(堪へて)。]

 ガチヤリ、ガチヤリといふ音響で暫く氣がつかなかつたが、ふいと視ると、向ふの百日紅の方から飛石を蹈んで、二人の警官と一人の女がやつて來るのだつた。彼等はもう義造のすぐ側まで近づいてゐたので、どうなることかと、しんが少し心配し始めた時、「おい!」と一人の警官が義造の首筋を摑んで呶鳴つた。「なにをしてゐるのだ、君は」義造は吃驚して暫く口をもごもごやつてゐたが、「何をしてゐるかつて、息子が疫痢だから氷を割つてるのですよ」と答へた。「噓をつくな。君は變なものを拵へる氣だな。證人がゐるぞ、夜通しごそごそやつてたとこの女が云つてるぞ」さう云つて警官が指差した女は、しんの家へ每日牛乳を配達する女だつた。彼女は若い時、キヤツチボールの球が額にあたつたので、耳が遠かつた。「ええほんとに每晩ここの家からは變な物音がして、二三丁離れたところからでもよく聽えます」と牛乳配達の女は得意さうに鼻を蠢かした。「とにかく、一應調べねばならん」と、二人の警官は臺所の方へ上り込んで、ガス・メートルの數字を頻りに首を捻りながら眺めてゐたが、「とにかく、ちよつと來てもらほう」と義造を眞中に挿むと、ずんずん表の方へ行つてしまつた。彼等が見えなくなると、後に殘つてゐた牛乳屋の女は急にしんに同情するやうな振りで、「ほんとにお氣の毒で御座います。それといふのもお宅の御主人はお稻荷さんに寄附をなさらなかつたから罰があたつたので御座いますが、後に殘されたお子樣がおいたはしう御座います」さう云ひながら、ぽろぽろと大粒の淚を前垂の下に零した。しんは腹の底が煮えくり返るほど口惜しかつたが、眼さきがちらちらして、赤や靑の火の玉が灰色の闇に漾つて流れた。ふと、耳許で義造の呶鳴る聲がして、しんはやつと眼の前が明るくなつた。何時の間に歸つて來たのか、義造は大變憤慨して緣側に立ちはだかつてゐる。牛乳屋の女はさつきからの鳴咽を持ちつづけながら、今は時々頭を下げては詫びてゐる。「いい加減なことを喋るといふにも、いふにも、程があるぢやないか」と義造はまだ怒りが解けないらしく、足を蹈み鳴らした。すると何時の間にか父の側に二郎と三郎がゐて、父の眞似をして足を蹈み鳴らした。緣側は雷鳴のやうにゴロゴロと響いた。「あああ」と牛乳屋は聲をあげて泣き出した。「私は聾ですから時々感違ひするのです。惡う御座いました。惡う御座いました」そして、こほん、こほんと奇妙な咳をし出し何時までたつても歇まなかつた。「もういいから歸れ」と義造が云ふと、急に嬉しさうにひよこんとお叩頭をして、牛乳屋は下駄の齒を、きゆる、きゆる、きゆる、と露次の敷石に鳴らしながら消えて行つた。

 義造は怒つた後の氣疲れで、柱に凭掛つて空を眺めてゐたが、ふと、梅の枝に頰白が留まつてゐるのに目をとめると、「四部さんよ、可哀相に」と話しかけて淚を浮かべた。「誰がお前を殺したのかしら、お前に枇杷を食べさせて疫痢にさせたのは誰なのだらう」と、義造は段々興奮して來た。ふと、頰白は何かに驚いたらしく、ききき、と不思議な啼きかたをして、急にばたばたと逃げて行つた。義造は不思議さうに頰白の逃げて行つた跡を見 送つてゐたが、急に何かに思ひあたつたらしく、ぽんと膝を叩いて立上つた。「さうだ。狐だ、狐の仕業だぞ。何も彼も狐の奴が企んでるのだわい。解つた、解つたぞ。あの牛乳屋の婆も狐だぞ。こほん、こほん、啼いたりなんかしやあがつた。狐が儂の一家を覘つてるのだな、畜生!」さう云ひながら義造は握拳を振り𢌞して、緣側を往つたり來たりしてゐたが、ふと、しんの側に立留まつて、「おい、お前は何歳(なにどし)生れだつたかいな」と尋ねた。解りきつてることを尋ねるので、しんが默つてゐると、「さうだつた、酉だつたな。酉だと、こいつは大變だ。いよいよ以て狐が覘ふわけだ」と、義造の顏は急に靑ざめて、手足が少し慄へ出した。「鷄の子なら雛だ。雛を覘ふてるのだな、狐の畜生が」義造は獨りで呟いてゐたが、また急に語調を高めて、「ああ、殘念だ。狐に一杯食はされたぞ。狐の乳とは知らずに皆に牛乳飮ませてたか。ああ、殘念なことをした。こいつは早く醫者に相談して手當しなきや大變だ」さう云つて、閾の上にどかんと坐つてしまつたが、「まてよ、醫者ももしかすると狐かもしれないぞ」と呟いた。しんは義造があんまり變なことを云ふので、くすりと笑つた。「何がをかしい!」と義造は鋭く咎めた。「だつて、醫者と狐は違ひますもの」「默れ、お前までが狐の味方するのか、一雄や二郎や三郎や芳枝や妙子を狐の餌食にする氣なのか」「だつて、そりやあ、あなたが疑ひすぎるのですわ」「そんなこと云つてるから、狐はいい氣になつて圖に乘つて來だすのだぞ。畜生、ウオオオ!」と義造は終に咆哮して、胸をどんと叩いた。「ウオオオ、俺は虎だぞ、寅歳生れだぞ。さあ來い、狐の二匹三匹嚙み殺してくれるぞ。さあ來い、何なりと來い。ウオオオ!」義造はほんとの虎のやうに疊の上を跳ね𢌞り出した。四つん這ひになつてぢつと蹲つてゐるかと思ふと、突然飛上つて、神棚にある榊の枝を齒で捩ぎ除つて、左右に振𢌞した。義造は榊を齒で弄びながら、左と右の眼で交互にしんの方を睥んだ。その眼球が次第に虎に變つてゆくのでしんは怕くなつた。そのうちに義造はウウウと口をあけて一聲唸つたかと思ふと、のそのそとしんの方へ迫つて來た。しんはビクビク顫へながら、部屋のうちを逃げ惑ひ、どういふものか、きやつと叫ばうとしたのに、こここここ、といふ呼聲になつてしまつた。それでは自分も鷄にされてしまつたのかしら、やれ情ない、と考へながら、しんはちよこちよこと兩脚で步いては羽擊をした。そのうちに虎はしんの尻尾に嚙みついてしまつたので、しんはこここここと悲鳴をあげて、眼球を白黑させた。[やぶちゃん注:数箇所に出る「覘」は通常は「うかがふ」であるが、ここでは総て「ねらふ」(狙ふ)と訓じていると思われる。「捩ぎ除つて」「もぎとつて(もぎとって)」(捥ぎ取つて)と訓じていよう。「羽擊」「はばたき」と訓じているものと思われる。「睥んだ」「にらんだ」(睨んだ)。]

 しかし、今、虎の齒はしんの背骨にがくりと嚙みついたのだが、しんは全身が怠く、少し火照つて來るだけで、あんまり烈しい痛みは生じなかつた。それで、ぐつたりとした儘、少しつつ眼を開けてあたりを見𢌞すと、をかしなことに、すぐ彼女の四五尺前に、義造が疊の上に大きな鼾をかきながら假睡してゐるのだつた。まあ、よかつたと安心すると同時にしんは義造の寢顏をしげしげ眺めた。義造は時々何か愉快さうに夢でもみてゐるのか、すやすやと笑ふのだ。そのうちに涼しい風が頻りに疊の上に流れて釆た。こんな處で何時までも假睡してゐては風邪を引くだらうと思つて、しんは義造の肩を搖つて起さうとした。義造はぱつと眼を開くと、半身を起して、すぐ側に落ちてゐる榊の枝を手に執つてみとれた。それから如何にも安心したらしく、枝の葉を一枚一枚數へながら、いかにも嬉しさうな顏をした。しんは、どう云ふ譯で義造があんなことをしてゐるのか合點が行かなかつたが、默つて眺めてゐると、義造はそれらの葉を一枚づつ枝から挘ぎ取ると、丁寧に揃へて懷中に收めて行つた。「福の神が飛び込んだぞ。この株券の配當たら、どんなもんだい、二倍、三倍、四倍、この調子で行つたら凄いものだぞ。おい、ちよつと算盤を持つて來い」と、義造はしんに命じた。しんはどうも合點が行かないながら、すぐ側の机から算盤をとつて渡した。すると、義造はさつき懷中に收めた、榊の葉を一枚一枚、疊の上に竝べ出したが、不思議なことに、樹のははちやんと立派な株券になつてゐる。しんはこれは大變なことになるのではあるまいかと心配してゐると、はたして義造は遽かに眼の色を變へて、一枚の株券をぐいと彈みつけた。義造は株券を手に持つたまま、暫くはものも云へないほど興奮した。それから、「フーン」と感嘆の息を吐くとともに、「こいつは、幽靈株だな」と叫んだ。すると、義造が手に持つてゐるのは、榊の葉であつた。義造はそれに氣がついたらしく、大急ぎで懷の葉をはねくり出して、全部疊の上にちらかした。「やりやあがつたな。狐め! かつぎやあがつたな。畜生! よくも木の葉を株券にしてくれたな」義造は怒號とともに木の葉を八方へ蹴散らかしたが、やがてがくりと疊の上に躍ると、もう全身の力を失つて、よろよろと橫になつてしまつた。橫に倒れながらも、餘程口惜しいのだらう、義造の胸は大きく波打ち、鞴のやうに激しい息をついた。「水をくれ、水を」と義造は喘ぎながら、しんに訴へた。しんが鐵瓶の水をコツプに汲んで差出すと、義造はぼんやりコツプを掌にしたまま眺めてゐたが、「をかしいな、このコツプのなかには金魚が泳いでゐるね」と子供のやうな調子で話しかけた。「いいえ、鐵瓶の水ですから金魚なんかゐませんよ」と、しんが云ふと、義造はすつかり安心したらしく、唇にコツプをあてたが、不圖また、コツプを離して、「どうも蛭のやうなものがちらちらする」と云つて眉を顰めた。しんが義造の額に掌をやつてみると火のやうに熱かつた。そのうちに義造はガタガタ慄へて、眼が潤んで眞靑になつた。「ああ、怕い。狐が、攻める。攻める、狐が」と義造は悶えながら口走つた。しんは義造の身體をしつかり摑へながら、「何處に、何處に狐がゐます」と尋ねると、義造は默つて頤で天井を指差した。見ると天井には何十匹の狐がぐらぐらと蠢いてゐた。狐達は絶えず入替つては上から義造の方を覗いてゐた。そのために、もさ、もさ、もさ、もさ、といふ狐達の跫音がしんの耳にも聽えた。そのなかの一匹は今にも天井から飛出しさうな氣配だつた。しんは思はず、「しよい!」と叫はうとしたが、聲は咽喉のあたりに痞へた。ところが、それと同時に一匹の狐はちよろちよろと壁を傳つて降りて來た。しんはまるで自分の背中の上を狐に走られてゐるやうな氣持がした。既に一匹が疊の上に達した頃には、他の狐達も一勢に四方からどろどろと雪崩れ落ちて來た。頭から水を浴せ掛けられたやうに全身びしよ濡れになつて、暫くは何も見えなかつた。やがて氣がついた時には、もう狐達は退却したのか緣側をどろどろと走つて行く音がした。[やぶちゃん注:「假睡」「うたたね」(轉寢)と訓じていよう。「挘ぎ取る」「挘」は「むしる」であるが、「ぎ」に繋がらぬから、「もぎとる」と読みたくなるのであるが、既に「捩ぎ」でそう訓じている(と私は採ってしまっている)わけで、とすれば、これは別な読みとして漢字を当てたと考えねばならず、葉であるから「はぎとる」(剝ぎ取る)か。「鞴」「ふいご」。「痞へた」は「つかへた」。]

 見ると側の義造は何時の間にか氷囊を額の上にやつて、すやすやと睡つてゐるのだつた。緣側を走る跫音は再びしんの方へ近づいて來た。やがて、跫音は障子の外まで來たかと思ふと、ぴたつと立留まつて、何か囁き合つてゐる樣子だつた。さうして、すーつと障子が開けられた。はつとして振向くと、そこには二郎と三郎の顏が覗いた。「お父さんが病氣なのですから騷動してはいけません」と、しんは少し怕い顏で叱つた。義造はその物音で眼が覺めたとみえて、一寸頭をもちあげて、「こちらへはいつておいで」と云つた。子供達は父の枕頭にかしこまつて坐つた。二郎も三郎もシヤツ一枚で暑さうに額に汗の玉をかいてゐる。「二郎はもう霜燒はなほつたかい」と父が尋ねると、二郎は默つて額く。義造は額の氷嚢の口を開けて「さあ、氷砂糖をやらう」と、二人の掌に二つ三つ渡した。子供達は早速それを頰張り出した。「もう、あちらへ行つて遊びなさい。靜かにしてゐるのですよ」と、しんが云ふと子供達はそつと座を立つて出て行つた。やがて暫くすると、蜜柑色の光線が障子に射して來て、茫とした樹の枝が映つて、雀たちが一頻り囀り出すのだつた。しんは雀たちの呼聲を聽いてゐると、何だか少し睡たくなつて、とろとろしかけたが、時々、義造の額の上の氷囊がガチヤガチヤいふ音で、はつとして眼を開いた。それからまた、とろとろしてゐると、雀たちはいい氣になつて囀り𢌞るし、義造の氷囊のガチヤリといふ音は睡むりはなを見はからつては始まるので、しんはうつらうつらと裁縫をしてゐるやうな氣持だつた。長い間の看護疲れもあつたが義造は段々快方へむかつてゆくし、子供達が庭で元氣さうに遊戲をやつてゐるのを聽いてゐると、しんはすつかり安心してしまつた。實際のところ、あれは子供達が騷いでゐるのか、それとも雀の啼聲なのか、しんの耳には區別が出來なかつたが、そんなことはどうでもよかつた。そのうちに暫くあたりが靜かになつたかと思ふと、今度は庭の方で合唱が始まつた。「もし、もし、お前は誰ですか」と子供達は聲を揃へて歌つた。誰かが一人、「私はここらの狐です」と答へた。

 と、今迄すやすやと睡つてゐた筈の義造はまるで電流を懸けられたやうに、かばと跳ね起きた。それから緣側へ飛出し、「馬鹿!」と大音聲で號んだ。子供達は義造の劍幕に恐れて、パタパタと逃げ出してしまつた。義造は緣側に立はだかつて、餘勢を持てあましてゐたが、やがて、「エイ!」と二聲氣合を入れたかと思ふと、右手に樫の棒を握り締めてゐるのだつた。「一雄二郎みんな來い。今晩這入つて來る泥棒を今に儂が退治するぞ」と義造はすつかりいい機嫌になつて、たつた今叱つたばかりの子供達を呼びかへした。子供等は珍しさうに父の後からぞろぞろと從いて步いた。義造はすつかり得意さうに樫の棒を振り翳し、時々、「エイ」「ヤア」と、手あたり次第柱や壁を撲りつけ、「そもそも泥棒はどこから這入る」と、家のうちをぐるぐる見張りして步くのであつた。そのうちに、義造は便所の脇の廊下に大きな足跡を發見して、「やあ、あつたぞ。あつたぞ」と叫んだ。「さあ曲者だ。さあ曲者だ」と家のうちをぐるぐる走り𢌞つて、簞笥から押入から佛壇まで到る處を探し𢌞つたが、もう曲者は逃げた跡らしかつた。「ああ、殘念だつたな。一足ちがひだつた」と義造は腕組して考へ出したが、「うん、大工を呼んで來て、あの足跡のところを切拔いてもらはう」と云つた。と、もうさつきの足跡のところには大工がやつて來て、鋸でゴシゴシ廊下の板を切拔いてゐた。義造は大工の側に行つて、「隨分大きな足跡だなあ」と感心しながら話しかけた。「足跡といふものは大きく見えるのですよ」と大工は切拔いた足跡を義造に手渡した。「ふん、これは參考になるから一つ小學校へ寄附してやらう」と、義造はその板を大切さうに袱紗に包んだ。[やぶちゃん注:「かば」はママ。]

 その時、突然、火事の半鐘がガンガンとすぐ近くで鳴り出した。と思ふと、近所の小學校の方角の空に濛々と煙が立昇つてゐるのが見えた。「やあ、小學校が火事だ。僕が寄附した足跡が燒けてしまつては大變だ」と義造は樫の棒を抱へて表へ飛出してしまつた。しんも凝としてゐられなくなつて、二階の物乾棚へ上つてみると、もう向ふの小學校の講堂の屋根の上では、義造が樫の棒を振𢌞して活躍してゐた。さつき階下でみた時ほど、あんまり煙も立たないので、しんはもう消えたのかしらと思つたが、ワイワイといふ人聲や、往來を走る足音がまだ頻りに聞えた。義造はたつた一人、講堂の屋根で頑張つてゐるので、彼の姿が大變大きく見えた。義造の後の空はまるで火事とは反對に靜まり返つてゐるので、義造も少し退屈して欠をした。今、火事の騷ぎで飛出したらしい鴉が四五羽、義造の頭上を逃げて行つた。彼は樫の棒を振上げて、ポカポカと撲りつけた。すると、みごとに手答へあつて、鴉は四五羽ともぽとぽとと屋根の上に墜ちてしまつた。義造はすつかり偉大になつたらしく、今、樫の棒をしんの方向へむかつて正眼に構へると、忽ち彼の身體は宙を飛んで、もうしんの居る物乾棚のところへ戾つて來た。[やぶちゃん注:「欠」「あくび」。「あくび」の意の場合は「缺」としないのが正しい。]

 ふと見ると、さつき義造が叩き落した鶉どもが、今靜かに舞上るのが恰度、蜻蛉位の大きさに見えた。鴉はまるで飛行機のやうな唸りを發して、物乾棚の方へだんだん近づいて來た。しんは大變心配したが、義造は一向に氣がつかなかつたらしい。やがて、サイレンが物々しく鳴渡り、パタパタと人の逃げ惑ふ足音や、犬の呼聲があちこちで生じた。その騷ぎの上を撫でまくるやうに、ぐわんといふ唸りと、大きな翼の影が橫切つた。しんは義造の手を引張つて、物乾棚を飛降りると、段階を滑り落ちて、風呂場の方へ逃げて行つた。何時の間に普請したのか、流しの所が地下室の入口になつてゐて、そこは百貨店の地階の入口のやうに飾つてあつた。しんは逃げながら、ちらと、模樣の變つてゐるのを見て、風呂場が便利になつたのが一寸嬉しかつたが、やがて地階の床へ足がとどいた時には、どたりと倒れてしまつた。もう大丈夫だらうと安心してゐると、すぐ外をオートバイの走る音がして、ガチヤンと硝子の壞れる音がした。「やられた!」と、しんのすぐ側に倒れてゐた義造は悲痛な聲で唸つた。しんは吃驚しながらあたりを見𢌞すと、壁のところに龜裂が生じてゐて、そこから白い煙が少しづつ洩れ入つて來た。義造は顏を痙攣させながら、淚を湛へて、「儂は今度こそもう助かるまい」と云つた。さう云つたかと思ふと義造の顏は少し落着いて來た。「それでなくても胃が惡いのに、あんな毒瓦斯を吸はされてはもう駄目だ」と、義造は壁の裂け目をぢつと視凝めてゐたが、「今死んでは子供が可哀相だが」と云つて淚ぐんだ。しんも淚を湛へて、ぢつと義造を見守つた。すると、義造はひよつこり立上つて風呂場の方へ步いて行き出した。

 しんが氣づかつて後からおろおろ從いて行くと、義造は風呂桶をじろじろ見ながら段々、不平さうな顏色になつた。「あれほど儂の棺桶は檜で拵へて呉れと云つておいたのに、これは松ぢやないか。それに節穴だらけだし、恰好だつてなつてはゐないぢやないか」と、義造はしんを叱り出した。しんは死際になつてまで叱られるのが悲しかつたし、それに身に憶えのないことでもあつた。「いいえ、そんなこと私は聞きませんでした。それにこの桶は松ではありません。檜です」すると、義造は一そう怒り出した。「何! 儂が死なうとする時にあたつて、まだ口答へしたり強情はるのか。これは松だ。松だ。松だわい」「ええ、やつぱし松でした」と云つて、しんはそつと淚を零した。すると、お互に沈默がつづいた。「おい」と義造がたうとう口をきいた。「お前泣いてゐるのかい」しんは默つて答へなかつた。しんは義造がとつくに死んでゐた筈なのに、まだ生きてゐるのが今不思議に思はれた。「お前は悲しいのかい」と義造がまた尋ねた。しんは首を橫に振つた。「いいえ、死んだはずのあなたに、かうして叱られてゐるのが何よりも嬉しうあります」そして、義造の方を見上げようとすると、しんの言葉は餘程、義造の弱點に觸れたのか、義造の姿は見る見るうちに細りながら悶えて、空を摑まうとし出した。ああ惡いこと云つてしまつた、と、しんは後悔しながら義造の方を見ると、今、彼は煙のやうに空氣のなかに溶けて吸ひ込まれて行くのだつた。義造の眼の色だけが一番終りまで殘つて、その眼は少し羞んでゐるやうな恰好になつた。やがて左側の眼はぼつと消えてしまつたが、右側の眼だけがまだ美しく殘り、段々その眼球は魚の眼に似て來たが、最後に貝殼の釦のやうに平たくなつて、茫とした燐光を放つのであつた。しんはその靑い塊りを指先で弄つてみたくなつたが、いくら手を伸してみても其處にはとどかないので、不思議なもどかしさと怕さがあつた。何だか氣拔けしたやうな氣分で、しかし、誰かに後から催眠術でもかけられてゐるのか、しんは自分で自分の身體が自由にならず緩いリズムとともに兩手を前方へ上げたり下ろしたりし出した。胸のあたりが疼くやうに切なかつた。そのうちにしんはこれはどうも後の方に誰か立つてゐるらしいと感づいたが、振向かうとしても首筋が硬直して動かない。眼の前が段々昏むで行くと、さつきまで光つてゐた向ふの眼球が急にするすると墜落して見失はれてしまつた。それと同時にしんも立つてゐる力が失はれて、思はず足許へ蹲んだ。

[やぶちゃん注:「羞んで」「はにかんで」。「蹲んだ」「しやがんだ(しゃがんだ)」。]

 激しい耳鳴と目暈の渦が靜まつた時には、しんは洗濯をするやうな恰好で盥に兩手を突込んでゐた。さうして兩手は水の中に浸された義造の襦袢の襟をしつかりと握り締めてゐた。じやぶ、じやぶ、とやりながら、しんはお腹のなかに子供がゐて兩足を突張るのが苦しかつた。さつきから誰かが頻りに後でものを云ひたげにしてゐるらしかつたが、しんは暫くの間、素知らぬ顏で洗濯をつづけた。が、ふと、手を休めると、後では暖かさうな咳拂ひがした。それで、あ、お父さんだなと、しんは思つた。父親は用事がなくても時々家へ立寄るのが癖なのだから、しんは大して氣にもしないで、また洗濯を續けて行つたが、何時の間にかお腹のなかの子供が輕くなつて行つて、非常に身體の具合が樂になつた。

[やぶちゃん注:「目暈」「めまい」(眩暈)。]

 盥には洗濯石鹼の泡が日の光で美しく輝き、それに庭の楓の若葉が映つた。さうすると、隣の家の方で若い衆が臼を碾きながら緩い聲で歌を歌つてゐるのが聞え、時々、車井戸の車がヒラヒラヒラと可愛い金切聲をあげてゐた。往來を飴賣が太鼓を叩きながら通つた。チンチンテンチンと鈴が鳴つて、おそなへ賣もやつて來るらしい。しんのすつかり若やいだ頰にはちよろちよろと微風が來て撫でた。微風はまるで小さな魚のやうにしんの襟首をくるくる𢌞つて、髮油のにほひを遠くへ持運んだ。すると、しんの挿してゐる花簪を花と間違へて縞蜂がやつて來た。しんは恍惚として、お祭の提燈が續いてゐる軒や、水に浸つた海酸漿を思ひ、洗濯にいそしんだ。しんの頭にはあの祭の宵の藍色の空が美しくひろがつてゐた。それで、もう盥に浸つてゐるのは彼女の派手な長襦袢であつた。しんは娘友達の誰彼と一緒にはしやぎながら過す時のことを思ふとますます氣持が浮立つて來た。[やぶちゃん注:「車井戸」「くるまいど」は滑車の溝に掛け渡した綱の両端に釣瓶(つるべ)をつけて綱を手繰って水を汲み上げるようにしてある井戸。「縞蜂」一般に普及している蔑称としては、膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科クロスズメバチ属クロスズメバチ Vespula flaviceps の異名である。スズメバチ類の中では相対的にはおとなしい部類に属するが、毒成分はやはり相応に強い。幼虫や蛹を食用に供する種として古くから知られ、人間との関係は近しくはある。「海酸漿」「うみほほづき(うみほおづき)」。海産の腹足類(巻貝)の卵嚢で、特に赤螺(腹足綱吸腔目アクキガイ超科アクキガイ科 Rapana 属アカニシ Rapana venosa)・天狗螺(アクキガイ超科テングニシ科カンムリボラ(テングニシ)属テングニシ Hemifusus ternatanus)・ナガニシ(アクキガイ超科イトマキボラ科ナガニシ亜科ナガニシ属ナガニシ Fusinus perplexus)のそれを指す。長刀(なぎなた)状・軍配状など種々の形状があり、植物のホオズキの果皮と同様、口に含んで、「キュッツ」と鳴らして遊ぶ。特に鳴らし易いのはテングニシの団扇状のものである。私の遠い思いでの懐かしい玩具である。]

 すると微風がまたやつて來て、今度はしんの袖を引張つた。しんが知らない顏でゐると、微風は一そう強く引張り出す。まあ、まるで人間のする通りに袖を引張るので、しんは何だかをかしくなつて、振向いて微笑した。ところがすぐしんの後の柱には一雄が大變不機嫌な顏をして突立つてゐるのだつた。しんはちよつと意外な氣持がして、同時にまたをかしくなつて笑つた。息子はますます憂鬱に顏を曇らした。大きな男がまるで子供のやうに不貞腐れてゐるのを視ると、しんは、「まあ、まあ、そんなに怒るものぢやありませんよ」と云つた。すると一雄は悲しさうな聲で、「どうせお母さんなんかにはわからないのさ」と云つた。「僕がいくら眞面目に相談しても、茶化すことしか出來ないのだもの」と一雄は怕い眼でしんを睥み出した。「おや、さうかい。何か相談があつたのかい。ちよつとも知らなかつたのだよ。それなら早く云へばいいのに、一體どうしたの」としんは心配になつて尋ねた。すると一雄は頑に口を噤んでしまつた。「どうしたのよ、何がいけないの」としんはまた優しく尋ねた。「わかつてらあ」と一雄は突慳貪に云つて、とつとと向ふへ行つてしまつた。

 息子が殘して行つた跫音が何時までもカタカタと緣側で鳴つた。しんは心配になつて、跫音を辿つて行つてみると、二階の階段の中途で息子の跫音はぱつたり止んでゐた。それでは、もしかすると、と思ふと、しんの胸は惡い豫感に襲はれて呼吸がはずんだ。やつと二階へ辿りついて、襖の隙間からそつと覗いてみると、一雄は元氣で本と相撲をとつてゐるのだつた。一雄が相手にしてゐる大きな書物は、本の癖に手足をもつてゐて、なかなか倒れない。一雄は餘程汗が出るとみえて、たうとう肌脱ぎになつて、手拭で鉢卷をした。それから奮然と本へ組みついて行つたが、海龜のやうな書物は、見る見るうちに一雄をばつたりと疊の上に倒してしまつた。一雄は元氣を失つて、顏が眞靑になつた。ひどいことをする奴だと、しんは口惜しくなつて、次の間へ飛込んで行つた。しんが一雄の頭を抱へて起さうとすると、一雄は蟲のやうな息をしてゐた。「どうしたのです。元氣を出しなさい」としんが云ふと、息子は細い眼を見開いて、「ああ、若しかつた」と呟いた。それから不審さうにあたりを見𢌞して、「さつき、ここに大きな龜がやつて來て僕をいぢめたのだが、何處に行つたのかしら」と云つた。しんも息子に氣をとられてゐて、さつきの書物の怪物のことを忘れてゐたが、氣がつくともうそれらしいものは見あたらなかつた。ただ、一雄の周圍にはいろんな書物が散亂してゐて、どたんばたんやつたらしい形跡が殘されてゐた。

 一雄はうつろな瞳孔を開いて、ぼんやり天井を眺めてゐるのだが、餘程さつきの海龜が怕かつたのだらう、まだ心臟がどきどきと、しんの膝の上に響いた。さうしてゐる息子の姿は段々、素直な顏になつて行くので、しんは嬉しかつた。額から眉のあたりがそつくり義造に似てゐて、頤や下唇は子供らしくつるりとしてゐたが、頰が病後のやうに瘦せてきて、産毛が侘しさうに生えてゐるのは、どうやら一雄ではなくて二郎のやうな氣がした。さう思ひ出すと、たしかその顏は二郎であつた。二郎は長い病ひですつかり窶れた靑年らしい瞳に、なほ生きることの希望を燃やしてゐるらしく、美しくキラキラ光る淚を湛へて、しんの顏を見上げてゐるのだが、さうされると何だかしんは自分が苛められてゐるやうに辛かつた。ところが幸なことに二郎は次第に元氣を恢復して行つた。やがてむつくりと立上ると、さつきしんに甘えてゐたのを今になつて恥ぢてゐるのか、しんの方へは顏を外けたまま机の前の座蒲團に坐つた。それからあたりに散亂してゐる書物を兩手で寄せ集めると机の上に積み重ねて行つた。まるで橫木細工をしてゐるやうに書物の山は段々高くなつて行つたが、土臺の方が弱つてゐるために、ぐらぐらと左右に少しつつ搖れてゐるのだつた。それを二郎はまだ氣がつかないのか、無造作に後から後から積重ねて行く。しんは注意してやりたくなつたが、ああして折角獨りでいい機嫌で遊んでゐるものを、餘計なことを云つて怒らすにもあたるまいと、我慢してゐた。ふと本棚の方を見ると、壁の隅の薄暗い處から何かのこのこ這ひ出さうとしてゐるので、しんはまたさつきの海龜ではないかと冷やりとした。が、靜かに音もなく立上つて出て來たのは、三郎の友達だつたのでまづ安心した。

 ところが、第一、二郎のところへ弟の友達が來るのも變だし、あんな處から這ひ出て來るのも怪しげだつたが、その友達は大きなペン軸を槍のやうに右手に抱へて、壁に映る影は細長い蜂のやうだつた。その友達は足音を祕めて、二郎の後へ近づいて行くので、これは怪しからぬと、しんが一聲叫ばうとした時、もうペン軸の先で机の上の書物に一擊を與へてしまつた。ガラガラガラと書物は崩れ落ち、それに和して窓のすぐ外で三郎の友達が五六人一齊に歡聲をあげて顏を覗かせた。ほつとして今氣がついたらしいのは三郎だつた。三郎は口惜しさに靑ざめ、ガタガタ手足を慄はせながら、窓の方を睥み返してゐたが、もうその時には友達は逃げてしまつたらしく、遠くでげらげら笑つてゐる聲が響いた。口惜しさは三郎の頭の芯を打つたのか、眼がぢいつと据つてしまひ、あんまり殺氣立つてゐるのでもう何にも見えないらしく、頭髮から茫と白い湯氣さへ立つてゐた。暫くすると三郎は何か手探るやうにして本棚の方へ近寄つて行つたが、抽匣から手斧を取出すと、やにはにあたりに散つてゐる書物を割り出した。三郎は薪を割るやうな恰好で斧を振上げ振下すのだが、書物が割れる度にパツパツと火花が散つた。呼吸をもつがずやつてゐるのは餘程口惜しさの餘りだらうが、あんなに弱い身體の癖に、あんまり無茶をやつてくれなきやよいがと、しんははらはらして留めるすべもなかつた。[やぶちゃん注:「抽匣」「ひきだし」。]

 そのうちに三郎は到頭ふらふらになつて倒れてしまつたが、まだ口惜しさが殘つてゐるのか、倒れたままも地蹈鞴を蹈むやうなつもりで、足をバタバタやつてゐた。はだかつた懷から鳩尾の凹みがみえ、その凹みには膏汗が貯まつて、薄い煙を發してゐた。あんなにひどく怒つては今に死んでしまふだらうに、どうして平靜になれないのかしらと、しんは疊の上に落ちてゐた厚紙で遠くからそろそろ煽いでやつた。すると多少人心地がついたのか、三郎はぱつと眼を見開いた。「あんまり怒るものぢやないよ」としんが宥めると、三郎は不思議に淚ぐみ出した。「お前のやうに何でも彼でも一々本氣にとりあはうものなら腹も立つだらうが、世間には腹を立てるのが馬鹿馬鹿しい程腹の立つことだつてざらにある。お前がそんなものに一々腹を立てるなら、それこそ相手の望むところで、馬鹿をみるのはお前一人だよ」と、しんが云ひ聞かせてゐるうちに、三郎の顏は段々赤ん坊らしくなつて來た。赤ん坊になつてしまつてからも、三郎はまだ時々噦るやうに呼吸をするので、しんは兩手に抱き上げて、口に乳房を含ませてやつた。

[やぶちゃん注:「地蹈鞴を蹈んで」「地蹈鞴」の「蹈」は底本の用字(但し、後の「蹈んで」は底本では「踏んで」)。「地蹈鞴」は「ぢだたら」で鞴(ふいご)を頻りに踏むことから、「地団駄(じだんだ)を踏む」、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むの意と同義。「噦る」「さくる」或いは「しやくる(しゃくる)」と読み、しゃっくりをする、或いは、しゃくりあげて泣く、の意。]

 すると、三郎は咽喉が乾いてゐたとみえて、夢中で乳豆をしやぶり出すのだつた。しんは三郎の鼻翼に出てゐる汗をそつと拭き除つてやりながら、厚紙で襟の邊へ風を入れてやると、三郎はすつかり安靜になつたらしく、すやすやと陸り出した。三郎はまだ乳房を離さなかつたので、しんは暫くぼんやりと坐つてゐた。三郎は時々、乳の出の惡い乳豆を無理に吸はうとして、ちゆるちゆると膚を鳴らしてゐたが、突然、がくりと乳豆に嚙みついた。「痛いよう」と、しんがびつくりして悲鳴をあげ、三郎を押返けようとすると、乳豆に嚙みついてゐるのは死んだ娘の芳枝だつた。今も死んでゐるのか、蠅のやうな頭をして、大きな丸髷ばかりが艷々と黑かつた。

 きやつと叫んで、しんは逸散に逃げ出した。どこをどう逃げて行つたのか、何時の間にやら、階下の緣側まで來てゐたが、其處でまたばつたりと芳枝に出逢つた。しんは到頭、觀念して、ぺつたりと緣側に坐り、念佛とともにガタガタ傑慄へた。ところが芳枝はさつきからしんの肩を搖さぶりながら、頻りに心配さうな聲で、「お母さん、お母さん」と呼んでゐるらしい。しんは眼を塞いだまま、「ああ、おどろかさないでくれ」と絶え入るやうな聲で云つた。「何を云つてるのよう。お母さん、しつかりして頂戴な」と云ふ聲がすぐ耳許でして、温かい息が首筋に觸れた。それでそつと薄眼を開いて見ると、どうやら相手は芳枝ではなく妙子らしかつた。「ああ、びつくりした。お前の顏が死んだ姉さんそつくりに見えたのだもの」さう云つてしんはまだ苦しさうな息をした。「私の方が吃驚するぢやないの。どうなさつたのかと思つてはらはらしてしまつたわ」と妙子は少し不平さうに云つた。「あんまり苦勞を重ねたせゐだよ」としんが詫びるやうに甘え心地で云つた。それから、しんはすつかり安堵して、却つて子供らしくなつた。「一緒に少し步いてみないか。晴々するよ」「まあ、もう氣分は大丈夫なのですか。をかしい」と妙子は笑ひながら、それでもしんの手を執るばかりにして、外へ出た。

 玄關を出ると、すぐ家の前にはアスフアルトを修繕するために變な車が置かれてゐて、その車から陽炎がぺらぺら昇つてゐた。大變、季節がいい證據には、街の上の空が靑く潤んでゐて、白壁からはみ出してゐる無花果の葉に透き徹る陽光があつた。しんの後から微風が吹いて來て、妙子の髮がふわふわと搖れた。しんは娘の髮が明るい光でみると赤茶けて煙つてゐるのを後から眺めながら步いた。ふと、妙子は振向いて、「お母さん、どこへいらつしやるの」と尋ねた。「お寺」としんは子供のやうな聲で答へた。すると娘はまるで母親のやうに分別顏で頷いた。その時、妙子の頭のすぐ二三間上を蝙蝠が一匹くるくる舞ひながら飛んで行つた。しんは娘に何だか置去りにされさうで不安になつたが、手を引いてくれと云ふのが遠慮だつた。向ふの角の疊屋のところから栗毛の馬を連れた洋服の男が現れた。馬の橫腹がピカピカ光つてゐて、おそろしく元氣がよささうだつた。惡いことには、さつき飛去つた蝙蝠がまた現れて來たかと思ふと、馬の鼻つらを掠めて飛んで行つた。パタン! とピストルを撃つやうな音がした。馬が暴れ出したのだつた。忽ち馬は四つの足で地面を蹴飛ばしながら、鬣を反らして、しんの方へ突進して來る。しんは周章てて果物屋の奧へ身を潛めたが、妙子を顧る暇がなかつた。その時、はつしゆ、はつしゆ、ぷるぷる、と、白いいきれと其赤な塊りが門口を掠めて過ぎ去つた。やがて蹄の音も遠のいたので、しんは恐る恐る往來を覗いた。

 ところが、何時の間に現れたのか三人の無賴漢が妙子の腕を拗ぢ上げて、今何處かへ連れ去らうとしてゐた。三人とも鼬のやうに後を見ながら、足はせかせかと步いてゐた。拗ぢ上げられてゐる妙子の白い腕は今にも折れさうに曲つてゐた。しんは泣聲で往來へ飛出すと、男達の後を追つて、「妙子を返せ、妙子を返せ!」と號んだ。男達は暫く困つたらしく立留まつて、しんを橫眼で眺めてゐたが、やがて何か策略が出來たのか、三人は突然お互にお叩頭をし合つて、「やあ、これは暫くでした」「ところで景氣は如何です」「いえ、何しろお互にワハハハ」と立話をし始めた。見ると何處へ隱してしまつたのか妙子の姿はなかつた。しんは一層嚇怒して、「妙子を返せ、妙子を返せ」と三人のまはりをぐるぐる喚き𢌞つた。男達は一向平氣で談笑を續けてゐたが、「あの女は何でせう」「さあ、この邊の氣違でせうな」「見たことのあるやうなキじるしですな」「何やら喚いてるやうですな」「なあに、亭主が欲しい、亭主が欲しいつて云ってるのでせうよ」三人は面白さうにじろじろと、しんを見物し出した。「その手は喰はぬぞ。ひとの娘を如何して隱した。さあ、妙子を返せ、妙子を返さぬか」と、しんは三人に喰ひついてやり度くなつた。[やぶちゃん注:「拗ぢ上げられて」またしても違う漢字であるが、これは普通に正しく「ねぢあけられて」と訓ずることが出来る。「嚇怒」「かくど」で激しく怒ること。激怒と同義。]

 その時後から、「お母さん、お母さん」と呼ぶ聲がしたので、振向くと、何時の間にか娘は元の姿で平氣さうに立つてゐる。「どこへ迷つてたの、隨分探したのに」と娘は脹れ面をした。「お前こそ、どこへ消えてたの」としんは嬉しさに息もつげなかつた。それから何度も娘の顏を見守つたが、たしかに妙子であつた。見るとさつきの三人連れは何時の間にか向うの方へぶらぶら步いて行くのだつたが、如何にも紳士らしく落着拂つて肩を竝べてゐた。「もうこれからは消えないでおくれよ」と、しんは娘と竝んで步きながら云つた。「何を云ふのよ。變なことばかり云つてお母さん駄目ぢやないの」と娘はつんと澄ましてゐた。そのうちに二人はお寺の門まで來てゐた。すると娘は急に忙しさうな顏をして、「後でお迎ひに來ますから一人でお説教聽いてゐらつしやい」と命令した。「お前も一緒にまゐつてはくれないのかい」「だつて、私はまだ洗濯もしなきやならぬし、縫物だつて貯つてゐるのですよ」さう云つたかと思ふともうとんとんと勝手な方向へ消えて行つてしまつた。

 しんはぼんやり立留まつて、躊躇してゐたが、やがて諦めてお寺の門を潛つて行つた。何時の間に改築されたのか、甃石がタイル張りになつてゐたし、正面の建物もまるで銀行のやうな扉があつた。石段を昇つて、しんが重たい扉の前でおどおどしてゐると、洋服を着た少年がいち早く扉を開けてくれた。内部はステンドグラスの天井から綠色の照明が落ちてゐて、金網で向ふが仕切られてゐた。金網の向ふには大きな時計や金庫らしいものがあつたが、「一錢也十錢也百圓也三錢也」と奇妙な聲や、時々、ヂヤラン、ヂヤランと樂器を打つやうな音がした。髮を綺麗に分けた男子達が、金網の向ふで絶えず動作を變へてゐた。しんがぼんやり呆氣にとられてゐると、守衞らしい男が側にやつて來て、「あなたはこちらです」と。一つの窓口へ連れて行つて呉れた。その窓口には二郎の中學の時受持の先生だつた男とそつくりの紳士がゐた。相手は萬事、呑込顏で丁寧にお叩頭をすると、「どなた樣でしたかしら。ほあ、左樣でゐらつしやいますか。その、ええ、この節は銀行もよく破産致しますので、成程、御尤で御心配に達ひありませんが、いや、なあに、今日とも知らず明日とも知らずと申しますのは人間の壽命のことでして、それだから、そもそも人間、貯蓄をなさらなきやならぬのです。おわかりになりましたか」[やぶちゃん注:「甃石」「しきいし」と訓じていよう。]

 さう云ひながら、頻りに眼球をパチパチ𢌞轉させて、机の上で蜜柑を剝いでゐた。やがて彼は蜜柑を一袋、自分の唇へ持つて行つて默つて味はつてゐたが、急いで指尖で別の一袋を摘むと、それをしんの唇許へ突出して、「一ついかがです、まことに結構な味で御座います」と、にやにや笑ひ出した。あんまり突然だつたので、しんが周章てて、その蜜柑の一袋を掌で拂除けると、袋はゴロゴロと床の上に落ちた。「ワハハハ、お氣にさはりましたか。こいつはどうも、ワハハハ、まあ奧さん、あのおつこちた蜜柑の恰好見てやつて下さい。こいつはどうも、ワハハハ」あんまり彼が大袈裟に笑ひ出したので、他の銀行員達も何事かと彼の周圍へ集まつて來た。そして何が何やら譯もわからぬ癖に忽ち笑ひが傳染して、床の上の蜜柑の袋を指差しては「ワハハハ、こいつはどうも」「ワハハハ、こいつほどうも」とてんでに腹を抱へて騷ぎ出した。

 そのうちにまた、ヂヤラン、ヂヤランと樂器を打つやうな音が響き亙ると、今迄無意味に騷ぎ𢌞つてゐた連中はあわてて奧の方へ逃げて行つた。すると天井の方から、牡丹に唐獅子を染めた幕がするすると降りて來て、しんは何だか自分の立つてゐる處がくるくる𢌞つて行くやうな氣持だつた。と、思ふと、パチパチパチと拍手が湧いて、しんの周圍はぎつしり人で滿ちてゐるのだつた。と、しんのすぐ橫には三郎がキヤラメルをしやぶりながら小學生の帽子を被り、片手を頻りにしんの手に繫いでゐた。再びヂヤラン、ヂヤランと樂器が鳴つて」幕が上ると、辮髮の支那服の男が六七人どかどかと現れた。と見ると、彼等は忽ち、ヤハチヨンと掛聲もろとも、宙返りを打つて、手に持つてゐる鐵の棒をお互にガチンと打ち合はせた。それからもう逆立やら宙返りやら呼吸をもつがぬ猛烈な立𢌞りが始まり、それにつれて奇妙な囃が一頻り鳴渡つた。遠くの方で、時々、ウオーと唸るライオンの聲や、ピシ、ピシと打つ鞭の音も聞えた。その雜音のなかには焰硝の臭ひや、筵埃が立籠め、人いきれでしんの耳は熱く火照つて來た。もう何を見てゐるのやら目の前のごたごたした景色もぼんやりして、しんは睡むたいやうな、うつとりした氣持でゐた。ふと、氣がつくと、何時の間にかさつきの曲藝は終つてゐて、今舞臺には三人の紳士が竝んで立つてゐた。紳士達は何か始めるらしく、神妙な顏つきをしてゐたが、どうも見憶えのある顏だと思つたら妙子を誘拐かさうとした連中だつた。しんは胸騷がして、氣色が惡くなつたので、人混みのなかを揉分け、ずんずん出口の方へ出て行つた。外へ出ると少し淸々した。もう夕方らしい光線であたりは黃色つぽく染められてゐた。高い櫓の上からクラリネツトの音が風にちぎられて飛んでゐて、自轉車屋の飾窓に赤い太陽が溢れてゐた。しんはその飾窓が眩しいので、橫の日蔭の小路へ這入らうとすると、そこには大變な人だかりで、今、何事かあるらしかつた。[やぶちゃん注:「それにつれて奇妙な囃が一頻り鳴渡つた」の「囃」は底本では「口」+「雑」の字体である。ブラウザで表記出来ないこと、この字は「囃」(はやし)の異体字であることから、特異的に「囃」で示した。「ヤハチヨン」中国語の掛け声のカタカナ音写と思われるが、不詳。「焰硝」「えんせう(えんしょう)」で有煙火薬の俗称。「筵埃」読み不詳。「むしろほこり」「むしろぼこり」か。莚(むしろ)をはたいた時の埃か。「誘拐かさう」「かどわかさう(かどわかそう)」。]

 近寄つてみると、一臺の空の荷馬車が放つてあつた。しんは何のことか解らないので、暫くぽかんとしてゐた。すると間もなく人垣を押分けて、荷馬車のところへ馬丁が現れた。馬丁は悠々と落着拂つて何か考へてゐるらしかつたが、「ところでえーと、君、君、ちよつとここへ來い」と、誰かを指差して差招いた。呼ばれて出て來たのは、意外にも妙子であつた。妙子は頭をうなだれた儘、兩方の掌でしつかりと袂の裾を握り締めてゐた。しんは周章てて荷馬車のところへ飛出し、「これは私の娘です。何か惡いことでもしたのですか」と性急に尋ねた。馬丁は胡散さうな眼でじろつとしんを見下し、「お前さんは引込んでろ」と命令した。それから默々と妙子を眺め𢌞してゐたが、「袂の裾を握るんぢやない」と一喝すると、妙子は電流に打たれたやうに兩手を袂から離した。しんは默つてゐられなくなつた。「何故、私の娘覽にそんな劍幕を振ふのか。あなたは一體誰だ」馬丁は輕く肩を聳かして、「譯は後で話す」と云つた。さう云つて今度は馬の腹へ近寄つて、馬具を直してゐたが、ふと妙子の方を振向いて、「ああん、いい加減に謝罪せんか」と云ふのであつた。妙子が相變らず默つた儘うつむいてゐると、馬丁はまた彼女の側に近寄り、「強情張ると君の爲にならんぞ」と妙子の肩を小衝いて、それから靜かな口調で話し出した。「なあ、君は第一、左側通行を守らなんだのがいけないのだ、それに我輩の馬車に衝き當つておいて默つて行過ぎるつて法もないのだ」「それ位のことにそんな難癖つけるのですか」と、しんは再び口を挿んだ。「引込んでろ。お前さんに云つてるのぢやない。ああん」と呶鳴つておいて、馬丁は馬車の上にどかりと胡座をかいて坐つた。[やぶちゃん注:「胡坐」「あぐら」。]

「大體そのう、その精神がよくないのぢや。我輩はお前さんの子供を知つとるが、どいつもこいつも氣に喰はん。あんなことで世間が渡れると思ちよるのか。ああん」と云ひながら、馬丁は何時の間にか德利を出して、ごくごくと酒を飮むのであつた。「世間と云ふものは團栗の丈競べぢやが、お前さんの産んだ息子は氣違茄子ぢや」と馬丁は大分醉ぱらつたとみえて、變てこなことをべらべら喋り出した。しんは息子の惡口を云はれるので腹が立ち、ぢつと馬丁を睥み、まるで章魚のやうな男だと肚のなかできめた。ところが、馬丁は急にぷつと口を閉ぢると、眼をまぢまぢさせて、肩を左右に搖り出した。てらてら光つてゐた顳顬の邊が段々窄つて、ギラギラ輝いてゐた眼も霞み、と思ふと、窄めて突出してゐた唇をぴよいと開いて、ちゆちゆと空氣を吸はうとした。それからその男の表情はどうも自分ながら合點が行かないらしく宙にさ迷つてゐたが、もう全くほんものの章魚になつてゐた。するとさつきまで荷馬車だと思つてゐたのが早速爼に變つてしまつた。[やぶちゃん注:「章魚」「たこ」(蛸)。「顳顬」「こめかみ」(蟀谷)。二箇所の「窄」は「すぼ(む)」と訓じていよう。「爼」「まないた」(俎)。]

 爼の上にぐにやりと倒れた大きな章魚を、今、頻りに白い手が現れて揉み出した。皿のまはりには割烹着を着た女達が集まつてキヤツキヤツと笑ひ出した。見ると一雄の嫁も、妙子もゐる。皆ががやがや云つて、てんでに働いてゐる。白い德利や、小鉢や皿がぐらぐら笑ひ、鍋からぼつぽと白い輪が出る。さうなると、しんもぼんやりしてゐられないので、しちりんに掛つてゐる豌豆を笊に移した。すると、しんの袂の橫から、何時の間にか孫達がやつて來て、筑の碗豆を摘み喰ひする。竃の下に燃えてゐる火からザザザザザと走つて行く兵隊の靴の音がする。と、思ふと誰かが蛤をガラガラ洗ひ、何處かで機關銃もパンパンパンと鳴り出す。ひひひん、と女中が馬の笑ひ聲を放つ。JOZKJOZE……JO タツクタカチテタ、トテチテタと喇叭が鳴る。ビユーウとサイレンが鳴る。しんはそれらの騷音にすつかり逆上せ、今、背伸して頭を上にあげた。すると、眼には薄暗い天井の天窓が映つたが、忽ち腦貧血とともに、身はふわと宙に浮び、天窓の外へするすると運び出された。[やぶちゃん注:「JOZKJOZE……JO」意味不詳。識者の御教授を乞う。「逆上せ」「のぼせ」。]

 しんが屋根の上に這ひ出してみると、不思議なことに、そこは何時の間にか宴會場になつてゐるのだつた。紋附を着た男や女が、てんでに瓦の上に坐つて、御馳走を摘んでゐた。どれもこれもしんの内輪の人ばかりだつたし、第一すぐ頭の上に靑空があつて見晴しがいいせゐか、皆晴々とした顏であつた。見ると向ふの煙突には義造の寫眞が吊されてあつた。皆は空に浮ぶ白雲を眺めながら、悠々と酒を飮むのであつた。やがて、叔父が立上つて、「今日は義造さんの十七囘忌でほんとに結構なことです。それにこんなに皆が揃へて愉快この上ありません」と演舌し出した。「それにつけても、つけましても、とにかく、しんさんの偉大さは偉大なものです」すると皆がパチパチと拍手をした。その時、屋根の下にゐた鷄が、「お母さん、萬歳」と啼いた。皆は面白がつてまた拍手をした。そこで、しんは立上つて皆に晴々と挨拶をした。

「有難う、有難う。何も私がそんなに偉いのではありません。私はただ一羽の鳥ですよ。お父さんだつて一羽の鳥です。さうして皆さんもやつぱし終には鳥になられます。それ御覽なさい」と、しんが指差す義造の寫眞は、ぱつと眞白な鳥になつたかと思ふと、靑空へ飛んで行つた。おやおやおや、と皆が驚いてゐると、「私も飛んで行きますから、皆さんも後から來て下さい」と、しんが云ひ、さう云つたと同時に、しんはもう一羽の鳥になつて、義造の後を追つて行つた。あらあらあら、と皆は呆氣にとらはれながら、一人づつ、忽ち鳥となつては、ばたばたと飛んで行くのであつた。

 

2017/12/30

もともと

もともと僕の前に道はなかったし、藪こぎをして無理矢理歩いていただけだ――だから「バスに乗り遅れる」ことも――なかった訳さ……

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 行列



[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「行列」は昭和一一(一九三六)年九月号『三田文學』に発表されたものである。「死と夢」では第三篇目に配されてあるが、実は「死と夢」群全十篇の中では、初出は最も古い一篇である。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、例によって、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。なお、幸い、この「行列」一篇に関しては、「広島文学館」公式サイト内の「文学資料データベース」に、同底本を電子化したベタ・データが既にあるため、それを加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる(但し、かなり長い脱文や誤字・表記ミスが複数箇所存在する)。

 一部の段落末に注を附した。【2017年12月30日 藪野直史】]

 

 

 行列

 

 あんまり色彩のない家々と道路が文彦の眼の前にあつた。それでも、太い電信棒の頭には飴色の光線が紛れ込んでゐて、二月の靑空は奇妙に明るかつた。人物の影や形が少し靑みを帶びた空氣のなかに凍てたまま動いてゐた。金粉を塗つた竜の首や、靑銅色の蓮の葉や、葬式に使ふ、いろいろの道具が賑やかに路上を占めてゐた。そこに立留つて見物してゐる人間は、溷濁した表情で、靜かに時間が來るのを待つてゐるのだつた。近所のおかみさんの顏や、通りがかりの年寄の顏がそのなかにあつた。顏が控目に文彦の家を覗いてゐた。[やぶちゃん注:「溷濁」「こんだく」。混濁に同じい。意識がぼんやりしているさまを言う。]

 文彦は路上から自分の家の二階を見上げた。軒の天井に燕の空巢が白く見え、乾大根を吊した繩が緩んでずりさがつてゐた。昨夜、あそこの窓には白々と燈があり、烈風が電線を唸らせて通つて行つた。夏の宵にはあの軒に蝙蝠が衝き當るのだつた。文彦には知りすぎるほど知つてゐる場所の一つだつた。ふと、文彦の眼は玄關の格子戸に貼られた、忌中といふ文字に留まつた。たしか、叔父の筆蹟らしく、勢のいい文字が薄墨で滲み、悲しみを添へてゐた。その時、開放たれた戸口から、紋附を着た叔父の顏が覗き、何氣なしに往來を眺めた。文彦はあわてて帽子を脱ぎ、おじぎをしたが、叔父の眼鏡の反射は白くたつぷり光つて、何の反應もなかつた。やがて叔父はそのまま奧の方へ引込んでしまつた。

 文彦は玄關を潛り、鞄を放り出して、編上靴の紐を解き始めた。今放つた拍子に鞄のなかの辨當箱の箸が搖れて、ゴロゴロと音たてるのを聞きながら、彼はのそりと奧の方へ這入つて行つた。次の間の薄暗い女中部屋に、白木綿で覆はれた桶が、壁の方へ片寄せて置かれてゐた。覆ひをめくつてみると、木の香も新しい棺桶であつた。文彦は指でピアノを彈つやうに蓋の上を彈いてみた。[やぶちゃん注:「彈つ」「うつ」。]

 次の間からは、障子や襖が取除かれて、屛風が張られてゐるので、薄暗い家も廣々とした感じであつた。線香の煙と、讀經の聲と、ひそひそ話と、疊の上を滑るやうにして步く白足袋の音と、低い天井の下には沈んだ空氣が立罩めてゐた。文彦は正面の柱時計を眺めた。三時二十分で、恰度彼が中學から歸つてくる時刻だつた。柱時計の下に立てられてゐる屛風は、虎の繪だつた。死んだ父が、幼い日の文彦に虎といふものを教へて呉れた屛風で、父が死んだ時も、たしか柱時計の下に立てられてゐたのを文彦は憶ひ出す。文彦が久振に見る屛風にみとれていると、すぐ眼の前に、大阪の叔母がやつて來た。四五年振りに見る、器量のいい、叔母の姿に、文彦はちらと頰を染めたが、叔母は風のやうに急いで臺所の方へ行くのだつた。

 文彦は緣側に出て、冷たい空氣にあたりながら、服の釦をはづして、あくびをした。見るともなしに庭を眺めると、日あたりの惡い軒の梅はまだ固い蕾のままだつた。冬休みに彼が物置から引張り出して、弄んだ、古い扇風機のエレキが、今も庭の隅に放つたままになつてゐた。文彦は輕い空腹を覺え、母を探すために座敷の方へ行つた。[やぶちゃん注:「扇風機のエレキ」電気扇風機の古物の謂いであろう。]

 八疊の間には床がのべられ、恰度今、人々は枕邊を取圍んで、ざわめいてゐた。文彦は靜かに人々の後から死人の樣子を覗いてみた。文彦の母の指が、顏の上に被さつた白い布をめくると、その下に文彦の死顏があつた。白蠟のやうな文彦の顏が現れると、人々はまた新しく泣き出した。唇のあたりに産毛が生え、顏に小皺がみえ、閉ぢてゐる目蓋が悲しさうな表情だつた。何處となしに、それは文彦の父の死顏と似てゐた。そのうちに、母は筆にコツプの水を含めて、死者の唇を濕した。文彦は唇が變に冷やりとした。筆は文彦の兄の手に渡された。兄の手はいくらか震へ、筆は鼻の下の方を撫でた。その次に妹が筆を執つた。幼い妹は習字でもするつもりで、文彦の唇を重たく抑へた。それから叔父の番であつた。叔父は輕く文彦の唇を撫でた。筆は大阪の叔母に渡された。見れば、叔母の睫毛にも露が光つてゐた。文彦も自然に淚が浮んだ。その時、叔母は輕く筆をやつて、すぐに次の人に渡した。

 文彦は枕邊を離れて、佛壇の前に行つてみた。晝ながら賑やかに燈が點けられて、いろんな御供ものが上げられてゐた。その燦爛と輝く金色の小さな欄杆を眺めてゐると、文彦は二階が氣になつた。階段を昇り、二階の勉強部屋へ入つてみた。何時の間にか、文彦の机や書物は隅の方へ取片づけられ、そこで女達が着物を着替へたらしく、茣蓙の上にしどけない衣裳の拔殼があつた。それでも壁の方には、黑リボンをつけた、文彦の寫眞が貼られてあつた。この正月撮つた寫眞だが、何かに脅されて、ビクついてゐるやうな顏を見ると、文彦は自分ながら厭な氣持がした。往來に面した方の窓から下を覗いてみると、やはり、路には葬式屋が屯してゐた。さつきより、大分人數が增えたのは、いよいよ參列の人も揃つたのかもしれなかつた。[やぶちゃん注:「屯」「たむろ」。]

 モーニングを着て、山高帽を被つた男が、ひよいと文彦の窓の方を見上げた。受持の山田先生だつた。先生のまはりには廿人ばかりもクラスの生徒がゐた。文彦はちよつと意外な氣持がした。クラスでは除け者にされ、何時も冷笑されてゐたので吞込めないことであつた。それにしても、山田先生の何時もの愁はしげな顏はかういふ場所に應はしかつた。先生の陰に、白い齒を剝出してゐる生徒があつた。やまり生徒達は普段と變りなく笑つてゐるらしかつた。小學校で同級だつた、二三の女學生が映つた。これも意外なことであつた。そのなかの一人は、嘗て文彦が草履を盜まれて困つてゐた際に、何氣なしに革の草履を彼の足許へ差出して呉れた生徒だつた。その草履の緒には赤いきれが目じるしに着けてあつた。文彦はその女學生の襟首に眼を注いだ。白い固さうな襟をきちんと揃へて、大變眞面目さうな顏つきだつた。文彦はまた意外な人物を發見した。鳥打を被つて、襟卷をしてゐるその靑年は、彼が學校を怠けて、郊外をぶらぶら步いてゐる時など、きつと後からやつて來て、「先生につげ口してやるぞ」と脅すので、文彦は一度も相手にしなかつたのだつた。

 文彦は顏を引込めると、今度は別の窓から違つた方向を眺めた。その窓の方には、ところどころ禿げた山脈が遠くに見え、少し近くに黑くこんもりした小さな山があつた。その小さな山で、文彦は今日一日、學校へ行かず、怠けて暮らしたのだつた。山は文彦をよく知り拔いてゐるやうな表情であつた。文彦は暫くその山を視凝めて、さつきまでの生活を考へてみた。今日、山の枯草の上で辨當を食べたり、遠くに見える海を眺めて、日向ぼつこをしてゐたのは、みんなたしかなことだつた。しかし、どうも階下の樣子が氣になつて、また薄暗い階段をドシンドシンと降りて行くと、座敷には何時の間にか、棺桶が運ばれてゐた。

 今、掛布團がめくられて、白い帷子を着た文彦の死骸を、叔父と母とで抱へ起さうとしてゐるところだつた。餘程、死骸は重たくなつてゐるものとみえて、どうかすると、二人の手を滑り拔けようとした。がくりがくりと死骸が反抗する度に、文彦は何か苛立たしく、同時に愉快でもあつた。白い道化た衣裳を着せられて、硬直してゐる姿は、哀れつぽいと云ふよりも滑稽だつた。ところが死骸が愈々抱へ上げられて、棺桶へ入らうとする時、幼い妹は恐怖のため、わーつと泣き出した。すると、また新たな悲しみをそそられたらしく、母や叔母はひきしぼるやうな泣き聲を放つた。文彦は叔母がそんなにまで泣くとは思ひ掛けなかつたことで、やはり彼も一同の悲嘆につり込まれて、しくしく淚を啜り出した。しかし、死骸は母の手を離されたため、額が棺桶の緣に前屈みに伏さつてゐるので、文彦は額のあたりが疼くのを感じ、叔父の帶の間から洩れて來る、懷中時計のチクチクといふ響を聽いた。間もなく、叔父が文彦の額の位置を直し出した。叔父は文彦の兩手を揃へて、膝の上で合掌させると、數珠を嵌めてしまつた。それで死骸が今は窮屈な姿勢に固定し、何か大へん恨みを持つてゐるやうな容顏だつた。

 死骸は今にも飛起きて、暴れ出しさうだつた。その時、棺桶の片隅へ、叔父は黑い風呂敷包を挿入れた。文彦は何が包んであるのか氣になつたが、そのためにか、死骸に閃いた不穩な氣配は、暫く收まつて行つた。すると、叔父は桶に蓋をしてしまつた。その時、軒の廂に何の鳥か綺麗な小鳥がやつて來て、チヤチヤチヤと啼き出したので、一同の視線はふと期せずしてその方へ奪はれた。

 「文彦はもう鳥になつてしまひました」と母は眞顏で呟き、皆も靜かに息を潛めた。けれども、無心な小鳥はそのまま何處かへ行つてしまつたので、また作業は續けられて行つた。叔父は金槌でコンコンと桶に釘を打ち込んだ。文彦はもう棺桶の内部を視ることが出來なかつたが、幽閉された闇に屈む死骸は、金槌の音で脊柱が搖らぎ、烈しく身悶えしてゐるらしかつた。ところが、人々の顏には、ほんの微かではあるが、何か晴々した表情が閃き始めた。母はハンケチを持出して、さつきからの淚を拭ひ、熱くなつた眼球を冷たい空氣にあてながら爽やかな氣分になつて行くらしかつた。叔母はもう間もなく往來へ出ることを豫想して、ハンドバツクを開けて顏をつくろひ始めた。皆は、ともかく一段落ついたやうな顏で席をはづし出したが、叔父ばかりは態と落着き拂つて、釘の頭を丁寧に打込まなければ氣が濟まないらしかつた。最初に現れた、人々の冷淡さに、文彦は何か殘念で耐らない氣持をそそられた。そして、叔父が態と餘計な事に念を入れてゐるのを見ると、一層癪に觸るのだつた。

「叔父さん」と文彦は後から聲を掛けた。「僕はまだこんなにピンピンしてるんだよ」と文彦は、釘を打つてゐる方の叔父の腕をおづおづと把へた。だが、その聲はどうしても叔父の耳には入らない樣子だつた。文彦は叔父が強情張つてゐるのだと思つた。

「やめてくれ、やめてくれ、僕の葬式の眞似なんか、まつ平だ」と今度は力一杯で抗議し出した。すると、叔父は始めて文彦に氣がついたらしく、凝と彼を睥み下したかと思ふと、はしと、金槌で文彦の頭を撲りつけた。文彦は眼から火の出るやうな痛みと、怒りで、今は幼い子供のやうに、わーつと泣き出してしまつた。そして、隣室の方の母のところへ駈けつけて行つた。

「叔父さんが撲つた、僕の額を撲つた。お母さんが惡いのだ、死にもしないのに葬式なんか出すからこんなことになるのだ」と文彦は精一杯、號泣しながら、疊の上で身悶えをつづけた。けれども母は文彦に氣づかないらしく、そそくさと喪服の襟を正してゐた。文彦はまた凝としてゐられなくなつた。

「やめてくれ、やめてくれ、僕は死んぢやゐないぢやないか。ほら、ここにゐるのがわからないのか。馬鹿、みんな馬鹿、みんなとぼけて僕を葬らうとするのか」と、今度は家のうちの誰彼なしに把へては喚いた。が、誰も彼の存在に氣づかないらしかつたので、次第に文彦は氣拔けがして來た。とうとう文彦は幼い妹にむかつて、「おい、云うてくれ、僕がわかるだろう。そら、この通り僕はここにゐる」と、空の辨當箱を妹の耳許で振り𢌞してみた。すると、妹の顏には、ほんの微か、何かを凝視する表情が現れたが、それも無駄であつた。妹は向ふの壁にある鏡で彼女の顏を見てゐるにすぎなかつた。[やぶちゃん注:「とうとう」はママ。歴史的仮名遣では「たうとう」が正しい。後の二箇所も同じ。]

 文彦はもう一度棺桶をたしかめてみようと思つて、座敷へ引返した。すると、もう棺桶は玄關の方へ運ばれてゐて、恰度、人夫が柩に入れて擔いで出るところだつた。人々は今、玄關からてんでに下駄を穿いて、外へ出て行つた。さつき脱いだ、編上靴がまだ其處にあつたので、文彦もあわてて靴の紐を結んだ。

 外ではもう一同が整列してゐて、先頭の列は今靜々と步き出した。それはまるで始めから定められた秩序を着實に行つてゐるやうな落着を持つてゐた。もう先頭は文彦の家から半町あまり離れたところにゐた。道の兩側や、家々の戸口から人が立竝んで靜かに見物してゐた。先頭は恰度四つ角の交番のあたりを通つてゐたが、交番の巡査も暫く葬式の列にみとれてゐるのだつた。誰もこの葬式に疑ひをさしはさむものはなささうだつた。今、西の空から投げかける夕方の光線を、龍の首は正面に受け、それは西の方へむかつて進んで行くのだつた。蓮の花を持つた男や、三方を抱へた男が、默々と續いた。みんな、西の方を指して進み始めた。西の街はづれには火葬場があつた。

 文彦は列の外側から、ずんずん先頭の方へ進んで行つたが、ふと、花輪があるのに氣づいた。「北村文彦の靈前に」と、どういふ積りなのか、彼の名前が態々白布に誌るされて、花輪に吊されてある。文彦はそれを見ると、また氣がくしやくしやして、花輪を支げてゐる男の側に近寄つて行つた。[やぶちゃん注:「支げて」「ささげて」と訓じているらしい。支えて。]

「そんな花輪やめてくれ」と、花輪を奪ひ獲らうと、手を伸した。すると、相手は穩やかに手を振つて、文彦の手を拂ひ退けてしまつた。ほんとに文彦に氣づいて、花輪を守つたかどうか疑はしい動作であつたが、その男の肘の力は、なかなかものものしいことがわかつたので、文彦は暫く途方に暮れた。見ると、すぐ側に、俥に乘つた坊さんがゐた。それは文彦の家にもよく出入りする坊さんなので、文彦も知らない人ではなかつたが、今、美しい法衣を着て悠然と俥上にゐるのを見ると、文彦はまた癪に觸つた。

「やめてくれ、やめてくれ。こんな無茶な葬式出ささないぞ」と、文彦は車の轅を把へて呶鳴り出した。が、坊さんはただ面白さうに、にやにや笑つて、とりあはうともしないのであつた。それで文彦の方でも次第に氣勢がだれて來た。[やぶちゃん注:「轅」「ながえ」。長柄。]

 文彦は暫く路上に立止まつてぼんやりしてゐるうちに、行列はずんずん進んで、もう母も兄も妹も、彼の側を通り過ぎてしまつた。恰度、彼が氣づいた時には、叔父が側を通りかかるところだつた。さつきも金槌で顏を撲られたので、文彦は多少躊躇したが、やはり思ひ切つて、叔父の側にとり縋つた。

「ねえ、叔父さん、僕はもう喧嘩腰でものは云はないから、まあ聞いて下さい。僕はそら、この通りピンピン生きてるのに、どうして皆は僕を死んだことにして、葬式なんか出すのか、その譯が教へてもらへないでせうか」

 叔父は依然として不機嫌さうな顏で、

「死んだものは死んだ。だから葬式出すのだ」と云つたきり相手にしてくれなかつた。文彦はまた口惜しかったが、すぐに氣を取り直して、行過ぎた母を追つて訴えた。

「お母さん、僕を、この生きてる方の僕をよく見て下さい。僕がわからないとはお母さんもよつぽどどうかしてゐるのです。ね、わかるでせう」すると母は不思議さうに、文彦を視凝めてゐたが、ふと、

「おや、文彦だね、迷ってるのだね」と、おろおろ聲で云ふと、早くもハンケチを眼の緣に當てた。

「お母さんこそ迷つてるのだ。ひどいよ、ひどいよ、あんまり人を無視したやり方だ」と文彦は母の側で地蹈鞴を蹈んで喚きながら、母の袂を把へて行かすまいと試みた。ところが母は、ますます文彦の存在を無視するばかりで、「可哀相に、まだ迷つてるのかい。南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛」と、泣きながら念佛を唱へるので、手の下しやうがなかつた。文彦は今度は兄をとらへて談判してみた。[やぶちゃん注:「地蹈鞴を蹈んで」「地蹈鞴」は「ぢだたら」で鞴(ふいご)を頻りに踏むことから、「地団駄(じだんだ)を踏む」、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むの意と同義。]

「兄さん、兄さん、僕が誰だかわかるだらう。わかるなら返事をしてみてくれないか」兄は默つて頷いた。

「そら、わかるなら、何故葬式なんか出すのか、一つ君の考へを聞かせてもらひたいね」

 すると、兄は、「そんなこと知らないよ」と云つて、そつぽを向いてしまつた。

「知らないつて、現に生きてゐる僕の身の上になつてみてくれよ。何と云つてもこれは變ぢやないか」と文彦はまた尋ねた。

「いや、そんなこともあるかも知れないね。一體この世の中で變でないものはない」と、兄は冗談とも本氣ともつかない顏つきで、文彦を視凝め、「まあ、短氣を起こすなよ」と云ふのであつた。文彦は困惑して、暫く立留つてゐる隙に葬式の列はずんずん前へ進んで行つた。それで彼もまた、ちよこちよこと忙しげに列の脇を追つて行つたが、今は誰を相手に話しかけようとしてゐるのやら見當がつかなかつた。

 ふと、行列は電車通りを橫切るので、一度留まつた。氣がつくと、文彦の橫に、山田先生がゐるのであつた。文彦は何か先生の方で云ひ出しはすまいかと、暫くもぢもぢしてゐた。しかし先生は相變らず、もの靜かな顏で何も見てゐないやうな態度であつた。文彦はさつき迄、暴れ𢌞つたのがふと氣恥かしくなつた。平素はおとなしい、火の消えたやうな無口の文彦が到頭飛込むところまで飛込んだのだつた。彼は山田先生の方へ一步、步み依ると、思ひきつて口をきいた。

「先生、僕です。何故こんな無茶をみんなはするのでせう」すると、山田先生は文彦を多少憐むやうな顏つきで、

「それは君にわかつてゐるだらう」と云つた。恰度その時電車が通り過ぎたので、列はぞろぞろと進み出した。先生のまはりにゐたクラスの生徒達は今までぺちやくちや喋つてゐたが、ふと一人が文彦の姿を認めると、

「やあ、あそこに北村がゐらあ」と騷ぎ出した。

「やあ、やあ、やあ、北村の幽靈か」と、皆は遽かに活氣づいて、嬉しさうに囃し出した。

「生きてた時から、まるで幽靈のやうな野郎だつたもの。ハハハ、こいつは面白い」と、惡童の一人は、くるりと文彦の方へ向きかはると、擧手の敬禮をした。皆は一勢に口を開けて笑ひ出した。

「幽靈閣下に敬禮」と、またさつきの生徒は敬禮をした。文彦は恨めしさうに皆の惡口を見守つてゐたが、ふと我慢がならなくなつて、「默れ」と叫んだ。すると、二三秒、皆は吃驚したやうに沈默したが、忽ち一人の皮肉屋が云つた。

「やあ、幽靈が口をきいたぞ。古今未曾有だな」さうして、皆は再び騷然とした。文彦は今にも泣き出しさうな顏で口惜しさを堪へた。「靜肅にし給へ」と、その時、山田先生が皆を叱つた。皆はそれでも、じろじろと、列から顏を離しては、文彦の方へ輕蔑の視線を投げた。とうとう文彦は路上に立留つて、暫く皆の通過するまで待つた。さうしてゐるうちに、列は次第にしんがりの方になつて來て、文彦の小學時代の友達などの顏がちらほら見えた。が、彼等は文彦に遠慮してか、顏を外けて通り過ぎた。そして、とうとう最後になつた。一番しんがりには、文彦の家に永く働いてゐる老女が、普段着のまま列から大分後れ勝ちに步いてゐた。そこには、とりのこされた安らけさがあつた。

 老女は文彦を認めると、別に驚きもせず、口をきいた。

「なかなか賑やかな葬式で御座います」文彦は老女と竝んで步き出した。「しかし、これは誰の葬式なのかしら」と、彼はもう興奮しないで話すことが出來た。

「それは、あなたのお葬式なので御座いますよ」文彦はこの老女とこれまで殆んど口をきいたことがなかつたが、今は不思議に彼女の云ふことがしんみりと聞けた。

「それで僕はどうなるのかしら」

 老女は暫く默つてゐたが、「あなたは葬られるので御座いますよ」と答へた。

「葬られると、僕は滅びるのかしら」

「ええ、勿論で御座います」

「でも、僕はまだピンピン生きてるではないか」

「いいえ、あなたはあの柩のなかに收められてゐます」

「ぢやあ、ここにゐるのは誰なのかしら」

「それはあなたの拔け殼で御座いますよ」

 文彦は暫く默つて步いてゐたが、默つてゐるのが次第に怕くなつた。

「不思議だね、僕はずつと昔、子供の時、自分が死んで、葬式を出される夢をみたことがあるんだが、その時も自分で自分の葬式に從いて步いたり、皆が泣けば僕も泣いたのだつた」

 老女はちらつと若やいだ顏をして文彦を視凝めた。

「ああ、そんな夢なら、私もずつと以前にみたことが御座います」

「しかし、あれは夢でよかつた、が、今度は、今度は……」と、文彦はガタガタ戰きながら啜り泣いた。

「いいえ、今度だつて、まあまあ夢のやうなものですよ、觀念なさいませ」と、老女は靜かに文彦を宥めた。暫くして文彦は泣き歇むとまた口をきいた。

「僕は何度も普段から、死にたい、一そのこと一思ひに死んでしまひたいと思つてはゐた。しかし、かう云ふ變な目に遇はうとはまるで考へてゐなかつた」

「ええ、あなたは段々諦めが出來てまゐりました。さあ、もう二つ目の橋にまゐりましたから、燒場も間もなくです」と老女は靜かに向ふを指差した。恰度、橋の中程を文彦は步いてゐた。向岸の家々からは夕方の支度をするらしい煙が幾條も立昇つてゐた。その少し川上の方の、枯木のなかに、大きな赤煉瓦の煙突が高く聳えてゐた。今も、薄い微かな煙が昇つてゐて、その上の空を鴉が四五羽、頻りに舞つてゐた。

「ほんとに、これは夢であつてくれないかなあ」と文彦は絶望して呟いた。

「ええ、さうした嘆きなら、誰だつて何時も抱いてをりますとも」老女もそつと溜息をついた。

「ぢやあ、やつぱり僕はほんとに燒かれてしまふのかね」老女は默つて頷いた。

「さうか、僕は子供の時、地獄の鬼が赤い車を牽いて迎へに來る夢をみたことがあるが、やつぱし燒かれた後ではあんな赤い車が迎へに來るのかね」老女は何も返事しなかつた。列はもう橋を渡つて、堤にさしかかつた。

「そら、あなたは大分前、夏に伯母さんの葬式に行つたことがあるでせう。あの時この邊に葦簾が張つて御座いました」と老女は云つた。その邊には二三軒飮食店が竝んでゐた。

「さうだつた。この邊に置座が出てゐて、ラムネやサイダがバケツに浸けてあつた。この邊は夕涼みの場所なのだらうね」

「あの時のお葬式は途中で大變な雷が鳴りました」

「あ、さうだつたね。みんなびしよ濡れになつて歸つたもの」

「今日のお葬式は恰度いい天氣で幸で御座います」氣がつくと、むかふの方の空が美しい夕燒であつた。それはもう春のやうに明るい雲の加減であつた。文彦はふと、また溜息をついて呟いた。

「ああ、もう一度、川の堤で土筆を摘んでみたい」

 すると、老女は頑に頭を振つて云つた。「もうそんなことはおつしやいますな」

 燒場の石の門が見えて來た。行列の先頭の方はもう靜々と其處を潛つてゐた。文彦と老女は暫く默つたまま步いてゐたが、そのうち二人とも石の門へ來た。空地に今、會葬者が參列してゐた。正面の寂れた丈の高い建物は、かなり急な勾配の屋根で地面に迫つてゐた。その屋根の下に、白い壁や、太い柱や、祭壇らしいものが見えた。蠟燭の灯が燃えてゐた。文彦の柩はその前にあつた。柩の兩脇に、花輪や、龍の首や、造花などが、とりどりに置かれた。左右の椅子には母や兄や親戚の者が腰を下してゐた。一般の會葬者は一塊りになつて空地に立つてゐた。文彦と老女は一番端の方から、遠くの祭壇を眺めた。椅子にかけてゐる母は今頻りにハンケチを出して眼を拭ひ出した。ふと文彦は兄の席に目をやつた。あの隣の椅子に文彦は嘗て腰掛けたことのあるのを憶ひ出した。

 次第に人々の影は暮色に包まれて濁つて行つた。坊さんは今、だみ聲で讀經をあげてゐた。今は何も彼も色の褪せた寫眞のやうな氣持がして、父が死んだ時のうつろな悲しみと似てゐた。文彦はふと別のことを思ひ出して老女に話しかけた。

「あ、僕はうつかりしてた。今日學校を怠けて山で遊んでゐたのだが、懷中時計を樹の枝に置いたままで忘れて歸つた。あとで拾つておいてくれないか」老女は默々と頷いた。

更新再開

元日公開の虎見邦男脚本「バルンガ」の4種(HTML横書版のシナリオ・ベタ・データ及び放映版との校合版+PDF縦書版同二種)の作成を終了したので、他テクストの更新を再開する。

2017/12/29

予告(「ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注」冒頭注)

ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注(予告・同冒頭注のみ)

 

[やぶちゃん注:以下は、昭和四一(一九六六)年三月十三日日曜日の午後七時から七時半にTBSで放映された特撮番組「ウルトラQ」(製作:円谷プロダクション・東京放送テレビジョン)の第十一話(シナリオ・ナンバーは十七・製作ナンバーは十六)として放映された「バルンガ」(監修:円谷英二・監督:野長瀬三摩地(のながせさまじ)・特技監督:川上景司(けいじ))の製作用台本の電子化である。

 脚本を担当した虎見邦男氏は、本作の重要な登場人物である奈良丸明彦博士と同じく、事蹟記載の少ない謎めいた脚本家であるが、私の所持する膨大な特撮関連書籍の記載等によれば、彼は昭和四二(一九六七)年三月末に若くして亡くなっている(昭和五(一九三〇)年生まれか? 没年確認をされたい方は、例えば、ブログ「JKOYAMA LAND番外地」のこちらの脚本家上原正三氏の証言を御覧戴きたい)ので、本作は二〇一八年一月一日午前零時を以ってパブリック・ドメインとなる

 底本は同作の台本をもとにした(故あって、本底本の出所は明かさない)。なお、現在知られる「バルンガ」の台本は一種のみのはずである。一行字数と柱・台詞等の字配位置は台本に従った。台本印刷の都合と思われるが、本文中では拗音や促音表記がなされていないが、それも再現した。シークエンスの柱の間は一行空けた。中に入った「」記号の前後は一行空けた。

 完成放映作品のエンディングには、監督野長瀬氏によってなされたものかと思われる、脚本にない忘れ難い、ショッキングなナレーション(石坂浩二)が附されてあり、これ等については「ウルトラQ」のDVD(複数所持するが、今回は映像・音声ともにブラッシュ・アップされた「総天然色ウルトラQ」(二〇一一年初版)を使用)を用いてシナリオと放映版との違いを検証し、当該相違箇所に私が注を挿入した。放映版の台詞は聴き取りで、句読点や漢字化は私の好みに従った。放映版では台詞の前に添えられる感動詞が俳優によっては、もっと豊富にあり、脚本の表記とは異なるものも多いが、五月蠅くなるだけなので、前の台詞との絡みなどの特性のあるものに限って注記した。放映版のモブ・シーンや複数シーンでは、幾つかオフで、はっきりと聴き取れる主キャスト(一平の「先輩!」や由利子の声はかなりオフで入る)や端役の台詞もあるが、これは煩瑣になり読み難くなるだけなので、話の本筋に抵触しないものは採録しなかった。しかし、この仕儀は原シナリオを甚だ読み難くしてしまっているので、本データとは別に、私の注を除去した原シナリオ・ベタ・テクスト・データも同時に公開することとしたので、そちらも参照されたい。

 なお、虎見氏は最初に発見されるその生物(バルンガ)を「半透明ゼラチン質の、動物とも植物としも見わけのつかぬ物体」とト書きしておられるが、この生々しい生理的視認感をバルンガの原造形にもう少し表現出来ていたら、と、私は正直、少しばかり残念に思う。また、江戸川由利子(ゆりちゃん)がこの生物を見て、「風船虫かしら?」と呟くシーンがあるが、先日、ヒョンなことから、通称「風船虫」なる生物がいることを知った。半翅(カメムシ)目異翅(カメムシ)亜目タイコウチ下目ミズムシ上科ミズムシ科 Corixidae の大型種に対する異名である。私実に永い間、私の愛するゆりちゃんが「バルンガ」に名づけた架空の生物名だとばかり思っていた

 本作は私の偏愛する作品であり、リアル・タイムで放映を見(小学校四年生であった)、放映の翌日である昭和四一(一九六六)年三月十四日月曜日の朝(当日は北海道の一部を除いて快晴であった)、思わず、太陽を見上げた少年であった。特に私には、奈良丸明彦博士を演じた俳優青野平義(あおのひらよし 大正元(一九一二)年~昭和四九(一九七四)年)氏の抑制の利いた素晴らしい演技と声が五十年以上経った今でも鮮やかに甦るし、彼の台詞は総て暗記しているほどである。2018年1月1日(公開予定日) 藪野直史】]

 

2017/12/28

更新停止

本日、午後より、元旦公開予定の「ウルトラQ」の「バルンガ」(虎見邦男脚本)の台本電子化注釈に入ったによって、総てのテクストの更新を停止する――

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 玻璃

 

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい。

 本篇「玻璃」は昭和一三(一九三八)年三月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。

 一部の段落末に簡単な注を附した。

 なお、本篇のロケーションであるが、私は一つの候補として、現在の広島県広島市中区の新天地(しんてんち)を挙げておくに留める。(グーグル・マップ・データ)。【2017年12月28日 藪野直史】]

 

 

 玻璃

 

 夜の漫步者の群に交はつて、俊(しゆん)はふらふらと步いてゐた。そこは夜分、車馬が通行止めになつてゐるので、漫步者のリズムものんびりとしてゐたが、兩側の商店から放つネオンも睡むたげで、二筋竝んでゐる鈴蘭燈は藍色の空に輕く嵌められてゐるやうな趣だつた。俊を後から追越す人間は、帽子に白線の入つた高等學校の學生達だつた。俊の側をすれすれに通り拔ける子供や、俊の眞正面に接近して來て、衝突しさうになる若い女もゐた。さう云ふ場合、若い女の眼球は電燈の光線で虛空に輝き、頰はセルロイドのやうに佗しかつた。生きてゐる人間の方が、却つて俊には白々しく感じられるのだつた。

 銀行前の引込んだ空地では、頭髮をてらてら光らした男が人絹の帶を賣つてゐた。パチンと掌を打つと同時に、さつと黑い帶を擴げてみせ、「やあ」とか何とか非常に威勢のいい掛聲と身振りで、帶の美點を説き立てるのであつた。成程、帶はふわふわと神祕的な姿でその男の兩肘に纏ひついてゐるのだが、辨舌爽やかな男の方は段々空疏な存在のやうになつて來る。その男の前に立留つて見物してゐる人々も、大概張合のない顏をして、その癖、容易に立退かうともしなかつた。俊も暫く無意味に傾聽してゐたが、そのうちに不圖氣がつくと左端から三人目のところに、黃色の三尺を結んだ若い女が熱心に口をあけて聽いてゐるのだつた。その女は俊が死ぬる年の前頃までは、可憐な女學生だつた。それが何時の間にか結婚して、離緣になつて、其後發狂したのは俊も薄々知つてゐたが、するともう氣違も癒つたのかもしれなかつた。突然、すぐ側の橫町から太鼓が鳴り出した。それに合せて救世軍の男女が勇しい歌を合唱し出した。すると今迄無心に聽いてゐた彼女は急に何かそはそはし出し、太鼓の鳴る度びに眉のあたりをヒリヒリと痙攣させるのであつた。俊はそれを視てゐるのが、次第に氣の毒になつた。そこで、ふわりと人垣を離れて步き始めた。が、ものの二三間も行くと、彼はそこに陶器店があるので、思はずまた足を留めて眺め入つた。店頭に曝されてゐる茶碗や皿の群は電燈の洪水で艷々と整つて、大變娯しさうにざわめき合つてゐるのだ。俊は生きてゐた頃から陶器は好きだつたが、今も胸をぞくぞくさせながら、その陶器の一つ一つを視線で撫でてみた。それから飾窓のところに立つて、盆の上に竝べられた茶碗を眺めた。飾窓の床には小さな茣蓙が敷いてあつて、水盤に南天が活けてあつた。それに隅の方の柱には何の積りか鐵で造つた蟹の置物が置いてあつた。あまり額を硝子板に接近させて眺めてゐるうちに、俊はふと頰が冷々して來た。それで少し額を硝子板から遠ざけると、今迄硝子板に紛れ込んでゐた感冒除けのマスクをして黑い毛糸の襟卷に頤を埋めてゐる俊の影がぷつと動いた。俊はまた思ひ出したやうに步き出した。

 俊がふらふらと前へ進んで行くに隨つて、向ふにある四つ角が近づいて來るのだつた。その邊は燈も澤山ありすぎるし、人足も混むし、一二つある路がワーと云つて口を開けて、來る人を吞まうと構へてゐるのであつた。まつ直ぐ行けば、映畫館や射的場の競つてゐる、凸凹した盛場に出るし、右へ折れれば、齒の拔けたやうに酷い小路なのだが、左へ曲るなら、書籍店や百貨店などのある通りへ出る。俊はどの口に吞み込まるべきか、迷ひながら例によつてもぢもぢしてゐたが、どう云ふものか今夜の人波は大概左へ曲つて流れ込むので、俊もついそちらへ誘はれて行つてしまつた。

 すると、そこの通りには、軒每に提燈が點されてゐて、露店がずらりと竝び、路は人間でぎつしり埋もれてゐた。人間は押し犇きながらなかなか進まなかつた。一杯に竝んだ頭とすれすれに電線が架けられ、それに電球が裸でぶらぶらしてゐるのだが、人間の吐く濃い息がかかるため、黑い空もぽうつと霞んでゐた。そのなかを搔き分けるやうに、熊手がいくつも現れた。頭上に掲げられてゐる熊手には大福帳や惠比須の面ががたがたと慄へ、時々えびすの面の微笑は白つぼい殺氣をちらつかせてゐた。俊は人混みの外側に押出されて、露店を一つ一つ眺めながら步いた。蜜柑やキヤラメルはピラミツト型に積んであつた。今川燒の溫かさうな匂ひが漾つて來た。ふと、硝子函のなかに、痰切飴があるのに氣づいて、眼を留めると、金米糖や、薄荷糖もあるので、俊は一寸微笑した。そして、ひよいと、その昔ながらの菓子を賣つてゐる佗しさうな男の方を眺めると、これはまた、俊の中學時代の先輩だつた。雄辨會で、拳をあげてテーブルを撲るのが癖だつたが、今はその拳を大切さうに脇の下に隱し、眼ばかりが何かを求めるやうに虛しく光つてゐた。[やぶちゃん注:「ピラミツト」はママ。]

 人波は煙草屋の角から右へ折れて雪崩れて行つた。そのためには往來は一層混み合つて、步行は困難になつた。風船玉が一つふわふわと搖れてゐた。そのすぐ側にロイド目鏡を掛けた慶ちやんの顏があつた。俊は慶ちやんの側へ近寄らうとして、無性に急り出したが、慶ちやんの方は悠々としてゐて、もとより一向に意志が通じなかつた。氣がつくと成程、慶ちやんは何時娶つたのか、綺麗な細君を連れてゐるのだつた。その上、慶ちやんは人混みのなかで、細君と手を握り合つたりなんかしてゐる。俊は一層面白くなつて慶ちやんの姿を見失ふまいと努めた。だが、この時、俊のすぐ前へ嚴丈な男が橫から割込んで來たので、俊の視野は古ぼけたトンビで塞がれてしまつた。見るとトンビの背には煙草の火で燒いたらしい穴が二つあつて、步く度にその穴は空氣を吸つてゐた。俊は人間の背と云ふものが、次第に腹立たしく感じられた。それと同時に俊は不貞腐れた子供のやうになつた。隨分昔のことだが、たしか俊はこれに似た經驗をしたのを憶ひ出した。子供の時の俊はお祭りだと云ふと新しい下駄を履かされたり、帶をきつく結ばれるので、自然に神經が高ぶつて來て感情が激しくなるのを、大人は理解して呉れなかつた。それで結局、不貞腐れた氣持で、大人の手に引かれ厭々ながら人混みのなかを行つたものだつた。今、目の前にゐるトンビの男がやはり俊を不貞腐らせてゐるので、俊は自分ながらをかしかつた。そして、もう勝手になれとばかりにそのトンビに導かれて人混みを泳いだ。[やぶちゃん注:「急り出したが」「あせりだしたが」と訓じていよう。]

 急にあたりが明るくなり、人混みのなかからポアアと風船玉の笛が鳴つた。不圖、上を仰ぐと鳥居のところに大きな電球があつて、石の鳥居は靑空に白く浮出て居り、その下に無數の顏が犇いてゐた。次第に俊は昔ながらの怪しげな氣分に浸つて行けた。緩い太鼓の響が段々近づいて來た。人間の列は今ゆつくりと順番を追つて、定められたコースを流れて行くのだつた。石疊の上にはさらさらと下駄の齒が磨り込まれて行つた。太鼓の音はいよいよ近づき、拜殿の軒が現れ、軒の注連が颯と搖れた。俊の前にゐた嚴丈な男はこの時、帽子を脱ぎ、威儀を整へてお叩頭をした。すると、その男の屈められた肩を乘り越えて、冷たい風が一すぢ俊の方へ流れて來た。拜殿の格子の棧に闇が一つ一つ嵌められてゐて、そこを風は滑り拔けて來るらしかつた。

 後から後から押して來る人間のために、俊はひとりでに鳥居を潛り拔けて、表通りへ出されてゐた。氣がつくと、もう慶ちやんの姿は完全に見失はれてゐたし、さつきまで俊の眼の前に纏いついてゐた嚴丈なトンビもなくなつてゐた。俊の眼の前には今、女の兒を負つたおかみさんがゐた。女の兒は靑いコールテンの足袋をピヨコピヨコ動かせて、おかみさんの掌に戲れかけてゐた。おかみさんの拇は時々怒つて、退儀さうに動いた。人波は株の小路小路で吸取られて行くため、何時しか疏になつてゐた。すると、人間と人間の隙間に吻としたやうに風が割込んで來るのだつた。俊はふらふらと路の四つ角のところまでやつて來てゐたが、見ると、火見櫓のある角の交番の前には人間がまつ黑に集まつてゐた。交番の窓硝子は埃で霞んでゐたが、内部には一人の巡査と、譯のわからない男が煮えきらない姿勢で立つてゐた。二人は何か頻りに話をしてゐる模樣なのだが、何時まで經つても同じやうな話をしてゐるらしく、黃色い硝子越しに、二つの唇があぶあぶと動いた。そのうちに、譯のわからない男の方が、白い齒を見せて笑ひ出した。すると、その口のまはりに一杯生えてゐる眞黑な鬚までをかしさうになった。今迄じつと窓の方に集中してゐた人間達の眼は、それをきつかけに、この時ばらばらになつてしまつた。[やぶちゃん注:「拇」はこの場合は「おやゆび」(親指)ではなく、「および」と読んで、手の指総ての意であろう。「疏」「まばら」。「吻と」「ほつと(ほっと)」。]

 交番の角からは、二つ盛場の出口に群がつてゐる、カフエーやバアのネオンが間近かに見えた。俊がその方角へ引寄せられて、ふらふらと進むにつれて、思ひがけない處から暖簾を割つて、銀杏返の首がぼつかりと現れたりした。そんな首は、どれもこれも同じやうで、俊が生きてゐた頃見たのと殆ど區別がつかなかつた。と、思ふと蓄音器商の店頭から電氣蓄音器が突如、大砲のやうに鳴り出し、それが直ぐ隣のミシン商の硝子坂にビリビリと震動を與へてゐた。

 俊が中學時分から死際まで繁々と行つたことのある、契茶店の燈が見えて來た。そこの壁には俊の友達が描いた油繪も掲つてゐるし、俊はそこの椅子の、どの邊によく腰掛けたかもまだ憶えてゐた。俊はのこのことその喫茶店の硝子扉のところに立ち、金文字の上からそつと内部を覗かうとした。その時、すつと扉が開かれたので、俊はひとりでに内部に這入つた。すると、非常な雜沓ぶりで、どの卓にも人間が四五人づつ集まり、匙や茶碗を持上げたり、大理石の肌を撫でたりしてゐたが、扉が開くと同時に、大概の人間の眼が一度そちらを向いた。人間は絶えずそはそはしながら、卓と卓ではお互に相手を觀察し合つたり、或は特にあたりの人間に聞かすために何かを聲高く喋つてゐるのであつた。俊は空いてゐる席を求めて、次第に奧の方へ這入つて行つた。すると一番奧の卓に、さつき見失つた筈の慶ちやんとその細君が控へてゐた。ふと、細君は眼を虛空に凝しながら、さながら俊の姿が見えるやうな顏つきをした。細君の眼には、ちらつと會釋の微笑が浮んだ。俊は慶ちやんの前のたつた一つ空いてゐる席をぢろぢろ見やつた。すると俊の後からやつて來た婦人が、忽ちその席に腰を掛け、細君に對つて大聲で笑ひ掛けた。俊は虛しくそこを立退いて、壁の方へ立つた。中央にあるストーブは盛んにかつかと燃えてゐた。側にゐる男の頰にその赤い火の反射が映つて、まるで燒かれてゐるやうだつた。その男は時々、コツプの水を飮み、ふわつと頭を搖すつた。その隣には、たしかに醉ぱらひらしい親爺と、睡むたげな子供がゐた。子供はどうかすると、とろとろと眼を塞ぎかけ、ハツとしてはアイスクリームを砥めた。親爺は獨りで痛快さうに、あたりを見𢌞してゐた。何時まで經つても俊には憩へさうな席が見つからなかつたので、俊はそろそろと出口の方へ彷徨つて行つた。外から人間が這入つて來たのと入れ違ひに、俊は扉を潛つて、往來へ出た。

 俊の左と右には盛場の入口が控へてゐて、正面には遠くなるほど寂れて行く路があつた。俊は暫く躊躇つてゐたが、足は何のつもりか左側の盛場へ踏込んで行つた。そこのアスフアルトは、あんまり人が步くために、ところどころ窪んでゐて、もう夜更けの風が白々と吹いてゐた。玉轉の臺には、今も二三人の若衆が海豹のやうにくつついてゐた。その奧の方には若い女が平べつたい姿でぽつねんと坐つてゐて、柱時計がチクタクと鳴つてゐた。隣の射的場から、プツンと彈を打つ音がした。すると、棚の招き猫の掌が陀しく光り、達磨の眼玉が黑々と窪んだ。[やぶちゃん注:「躊躇つて」「ためらつて(ためらって)」。「玉轉」「たまころがし」。玉突き(ビリヤード)。「海豹」「あざらし」。]

 映畫のハネた映畫館が死骸のやうに聳えてゐた。その飾窓の燈も消されてゐるので、黑い背景に貼られた七八杖の寫眞が薄すらと眺められ、綠色のリボンが棺の上の飾りに似てゐた。俊はその窓に近寄つてはみたが、眞鍮の手摺は冷々として、幟がハタハタと風に動くばかりだつた。しかし、そこを通り過ぎると、向ふは盛場の端にあたつてゐたが、急に左右の軒からネオンとレコードが汎濫して來た。きやあ、と鳥類に似た女の聲や、はははは、と胴間な笑ひが路傍まで彈け出してゐた。さうして、この騷々しい軒のなかにも、一軒の小料理屋の硝子函のなかでは、鰻がぬらぬらと泳いでゐるのだつた。薄暗い玻璃の表は、むかふの軒のネオンがくるくると𢌞るのを映したり、路上に食み出した女給の衣裳の妖しげな模樣を映してゐた。さつきから、一人の背廣服の人間がその小料理屋の前で女給とむかひ合つて、何か立話をして居るのだつたが、あたりの雜音のために、その二人の人間は大變重大なことを相談し合つてゐるやうな印象を與へた。さうして、俊が彼等のところまで辿りついた時、恰度二人はもう相談が濟んだものとみえて、背廣服の男は靴の踵をカタカタと鳴らしながら、落着きのない姿で步き出した。

 盛場の殷賑も、其處であつけなく盡きて、路は細く薄陪い小路に出てゐた。左手には白い壁の見えるお寺があり、そのお寺のむかふの空が蜜柑色に見えるのは、色町が控へてゐるしるしだつた。薄暗い小路を人間の影は白い息を吐きながら、ひそひそと、或は思ひきり躁いだ調子で、その色里の方向へ流れて行くのだつた。俊はしかし、それとは逆の方向へ、ゆるゆると進んで行つた。その狹い路は、一度アスフアルトの廣い通りと交錯すると、今度は更に幅が狹くなつて、もし兩手を擴げれば、左右の軒に屆きさうな處へ出た。そこは半町向ふに見える、徒廣い電車通に對つて、七八軒の屋根が額を寄せ合つて顰蹙した表情を呈してゐた。さうして、薄暗い、凡そ華やかでない喫茶店と酒場が、七八軒の人家の中央に向き合つて存在してゐた。酒場の方はそれでも、微かに内部に綠色の照明を用ひて、情緒を釀し出さうとしてゐるらしかつたが、不思議なことには、オルガンの音がそこから洩れて來た。今迄、俊の周圍には絶えず人間の往來があつたが、此處まで來ると、ぽつんと人足も消えてゐたので、洩れて來るオルガンの音は、はじめ侘しい吐息か何かのやうに想はれた。が、耳に入るメロデイは何處かの大學の應援歌であつた。俊の眼にはむしろ契茶店の燈が映つた。その燈は、半紙を貼つて作つた四角の雪洞に、もものはな、と云ふ文字を滲ませてゐた。[やぶちゃん注:「殷賑」は「いんしん」でもよいが、ここは「にぎはひ」と訓じておきたい。「雪洞」「ぼんぼり」。]

 俊は紅のカーテンを潛つて、半間の入口から、その家へ足を蹈込んでみた。ひつそりとした内部には、三方の隅に小さなテーブルがあつたが、誰も居なかつた。中央の煉炭ストーブに掛けられた、アルミの藥鑵がしゆんしゆんと呟いてゐて、白い湯氣が白く塗られた天井へ立昇つてゐた。俊はストーブの脇にある小さな椅子に腰を下した。俊のすぐ側の椅子の上には編みかけの毛糸の束が無造作に置かれてあつた。俊は吻としたやうに、兩手を伸して、ストーブの上に翳した。奧の方もひつそりとしてゐて、向ふの酒場で彈くオルガンの音ばかりが侘しく續いた。俊はそろそろと眼を擧げて、壁の方にあるペンキ塗りの柱を眺めた。白いペンキの光は電燈の光に慄へてゐるやうだつたが、その柱の中央には何のためにか二本程、釘が打込んであつた。錆びて歪んだ釘は、今不思議な影をもつてゐた。俊はそれを何時までもぼんやり視凝めてゐた。暫くして、俊がほつとその釘から眼を外した拍子に、入口の方から何かが、そろつと這入つて來る氣配がした。それで俊が向きかはると、相手は意外にも死んだ渡邊だつた。渡邊もいささか愕いたやうな風で、しかし直ぐにニコニコと笑ひ出した。

「やあ、今晩は」と俊は云つた。

「君もここへ來てたのか、今晩は夷子講で、何處も人間で滿員だつたよ」と渡邊は俊の脇に腰掛けた。[やぶちゃん注:「夷子講」「えびすこう」。十月二十日(地域によっては十一月二十日)に催される祭礼。商売繁盛を祈願する。]

「フフフ」と俊は無意味に笑つた。

「フフフ」と渡邊もついて笑つた。暫く話が杜絶えた。ふと、俊は思ひ出したやうに口をきいた。

「隨分久し振りだね」渡邊はニコニコ頷いた。

「君が死んだのは何時だつたかしら」

「もう今年で三年になる」と渡邊は感慨深かげに答へた。

「さうかね、もう三年になるのだつたかね、してみると君の家へ何時か夏の晩僕が訪ねて行つたのは、あれはもう七八年位昔のことになるね」と俊は呟いた。

「あゝ、あれは君、君が死ぬる前の年の夏ぢやないか、あれから僕はまだ五年も生きてたんだよ、尤も僕だつてあの頃からもう駄目だつたのだが、君があんなに早くまゐるとは思はなかつた」

「うん」と俊は頷いた。

「それで、君が死んだ時には、君は知つてるまいが、君の親しい友達は、俊の野郎は意氣地無しだ、と云つたよ」

「そのことは知つてる」と俊は云つた。「しかし僕は何も態と死んだ譯ぢやなかつたね。君だつてさうだらう」

「うん」と渡邊は頷いた。「僕が死んだ時はもうそんなことを云ふ人間もゐなかつた。みんな年寄になつたのだね」

「フフフ」と俊は笑ひ出した。「さう云へば、今夜慶ちやんと逢つたよ、大將も到頭結婚して、とても幸福さうだつたよ」

「あ、あれなら僕も見た。あの男、齡はいくつ位なのだらう」

「さあ、僕が生きてた頃もう三十近かつたやうだね」

 それきりまた話は暫く杜切れてゐた。オルガンの音が喧しかつた。

「君は每晩ぶらぶらしてるのか」と俊が訊ねた。渡邊は首を橫に振つた。

「よく此處へは來るのかい」と今度は渡邊が訊ねた。

「いや、今夜が始めてなのさ」

「フフフ」と、渡邊は笑つた。

「オルガンが鳴つてるね」と俊は呟いた。

「あ、あちらの酒場へ行つてみようか」と渡邊は輕く立上つた。

「いや、人間の居るところはうるさい」と、俊は動かうとしなかつたので、渡邊もまた腰を下した。俊と渡邊はストープを取圍んでぽかんとして居た。

「君は靑木て男識つてたかね」と、俊は憶ひ出したやうに云つた。

「あ、何時か君と一緒にやつて來た男だらう」と渡邊は頷いた。

「あの男もこの頃になつて、僕のこと頻りに憶ひ出したりなんかしてるらしいのだよ」

「フフフ」と渡邊は笑つた。

 恰度、その時、露次の方に忙しさうな跫音がして、カーテンが開くと女が二人、這入つて來た。二人の女はそれぞれ籠と手拭を提げてゐて、手足に錢湯の匂ひを漾はせてゐた。ぴんぴんと身體を動かせながら、ストーブのまはりを一寸の間、踊るやうに𢌞つてゐたが、やがて側の椅子に腰を下した。一人がふいと袂から、いきれの立つ紙袋を膝の上に置き、指でさあつと新聞紙を裂くと、なかから燒芋が出た。すると二人の女は素早く手摑みにして、ふうふうと吹きながら唇へ持つて行つた。暫くは賑やかに唇を動かす音と呼吸とが續けられた。が、そのうちに一人の女は膝の編物を執ると、せかせかと編み出した。すると、もう一人の女もそれを視凝めながら、何かせかせかと落着かぬ眼つきをしてゐた。

「今夜はもう誰も來ないかしら」と、落着かぬ女は到頭呟き、それから唇をあけて、ほつと缺をした。[やぶちゃん注:「缺」「あくび」。底本は「欠」。]

「ああ、睡むくなつた、今夜は大分冷えるわね」と、その女はまた獨言ちた。[やぶちゃん注:「獨言ちた」「ひとりごちた」。]

「大分冷えるね」と、今迄默つてゐた渡邊が俊に云つた。

「煉炭がもう消えかかりでせう」と、編物をしてゐる女は云つた。

「成程、ストーブも滅入つて來たね」と、俊は云つた。さつきまで鳴つてゐたオルガンも、その時ぴたつと歇んでしまつた。

「靜かだな」と渡邊は云つた。「かうして、女達を眺めてゐると、僕はまだ生きてるのぢやないかと疑はしくなるね」

 すると、落着かない女が呟いた。

「ああ、何だか變に淋しくなつて來た、誰だかすぐ側に男がゐるやうな氣持がして、何だか今晩は變な晩だわ」

「フフフ、馬鹿ね」と、編物をしてゐる女は一寸笑つた。俊はそつとその女を視やりながら云つた。

「女の笑顏て氣持の惡いものだね」

「わーと云つて、お化けになりさうなのか」と、渡邊も笑つた。すると編物をしてゐる女は急に、

「あははは」と笑つた。

「まあ、びつくりさすぢやないの、氣でもちがつたの」と、相手の女はビクビクしながら、不安な目つきであたりを見𢌞した。

「あははは、もうおしまひにしよう。睡むり睡むり編んでたら、とても變になつちやつたわ」と、編物をしてゐた女は立上つた。そして、奧の方へ行き帚とバケツを持つて來た。そこで、もう一人の女も、そはそほと立上つた。

「歸らうか」と、渡邊と俊とは同時に一つことを云つて立上つた。

 露次に出ると、もう前の酒場の燈も消されてゐた。渡邊と俊は竝んでそろそろと步き出した。兩側の家はみんなもう戸を下してゐて、門燈の光が路上に冴えてゐた。少し行くと、葉の散つてしまつた柳の大木が、路上に蹲つてゐた。

「まあ、お互に身體を大事にしようね」と、俊は無意識に呟いた。

「フフフ」と渡邊は笑つた。

 二人は何時の間にか電車通まで來てゐた。電車通を隔てて、向ふに在る小學校のトタン屋根は、夜露に濡れて光つてゐた。

「さて、君はどちらへ行く」と渡邊は訊ねた。俊は今來た道の方を頤で指差した。

「ぢやあ、ここで別れよう」と、渡邊の姿は電車通を越えて、もう小學校の方へすつと消えて行つた。

 俊が今來た道を後歸りして行くに隨つて、路は妖しく煙つて朦朧と現れて來るのだつた。そして、一步一步俊が空間へ進んで行けば、冷えた固い地面と兩側の家屋の影が確かにはつきりと現れては來るが、俊の通り過ぎた路は忽ちまた妖しく煙つたもののなかに紛れ込んでしまふ。さつきの契茶店の前まで來ると、もう入口には木の戸が嵌められてゐて、白い半紙で作つた雪洞の燈も消されてあつた。それで、もものはな、と云ふ鉛色の文字が門燈の光で味氣なく照らされてゐた。そこの狹い通りはやがてアスフアルトの路と交錯してゐたが、その角の電信柱まで來て、俊がひよいと顏を橫に向けると、一列に竝んだ電柱の群が、一瞬ずらりと無氣味に現れた。俊はなほも眞直ぐに道をとつて、細い小路を突き進んで行つた。何かガリガリと云ふ音がするので、眼をやると、掃溜に首を突込んでゐた犬が、ひよいと俊の方を見た。烈しい眼つきをした、その犬は、しかし、また直ぐに首を掃溜のなかに突込んだ。ガリガリといふ音が遠ざかつて、なほ暫くは聽えた。盛場の入口が現れて來た。入口の上に針金を渡して吊つてある、ペンキ塗りの廣告板が、風にぶらんぶらんしてゐて、かなり剽輕な表情だつた。さう云へば喧嘩の果て、今、白痴と化して睡つてゐる兩側の酒場も俊の眼には入つた。どの軒も板で造つた戸を入口に嵌めたり、黑いカーテンで扉を隱したりしてゐた。窓の外に糸杉の鉢を置き、窓側の壁を天然岩になぞらへてゐるのも哀しさうだつた。[やぶちゃん注:「剽輕」「へうきん(ひょうきん)」。「喧嘩」はやや違和感がある。或いは「喧噪」の誤記・誤植かも知れぬ。]

 俊は今、人間の影の一つも見えない盛場の凹みへ出た。映畫館は依然として片側に置かれてあつた。その大きな棺を想はす空洞の建物の後には、靑磁色の空が展がり、綠色の星が瞬いてゐた。ふと、俊の眼には、建物の影が取殘した、アスフアルトの眞白い部分が映つた。其處をちよろちよろと何か小さな黑い塊りが動いてゐるのは、人間が吐き捨てて行つた汚れた米粒に集まつてゐる鼠だつた。やがて俊は射的場の前に來た。すると、奧の方から、ぷつんと時計が鳴つた。俊は盛場の出口まで辿り着き、向ふの盛場の入口が目の前に現れた。其處から誰だか見たことのあるやうな男が、背後に貧しい照明を浴びながら、ふわふわと出て來た。ふらふらとトンビの兩袖が無性に搖れてゐて、その男は自分で身體が自由にならないらしい。顏は濛と煙つてゐて、トンビの兩袖と一緒にふらふら搖れた。俊とその男の距離は次第に接近して來た。たしか見憶えもある筈で、その男はさつき夷子講の人混みで、俊の前にのさばり出た古トンビだつた。古トンビは今俊の前に衝突しさうになつた。俊がひらりと身を避けた拍子に、その男は雄雞のやうに蹣跚き出したが、下駄から足が滑ると同時にくるりと一𢌞轉して、路上にべつたり倒れた。倒れたかと思ふと、ウエへへへへと腸をちぎるやうな狂笑を發した。それから何かぶつぶつ獨りで呟いてゐたが、直ぐにぐうぐうと睡り出した。そこで、俊はその男の脇を通り拔けて、行きつけの喫茶店の前へ出た。そこの軒の看板には、ぽつちりと白い小さな電球がいくつも嵌められてゐたが、それはよく視ると、風車の形になつてゐるのだが、ところどころ電球が缺げた儘になつてゐるのだつた。俊はそんなことを今になつて氣づいたので、變な氣持がした。[やぶちゃん注:「雄雞」「をんどり(おんどり)」。雄鶏。「蹣跚き」「よろめき」。「缺げた」底本には「げ」の右にママ注記がある。]

 やがて、火見櫓のある交番の背が見えて釆て、そこのアスフアルトの通りを今緩い速度で黑いものの影が移つて行つた。俊がその通りまで來た時、黑い列は既に遠ざかつてゐたが、もーう、といふ牛の聲がまだ向ふで聽え、彼等の殘して行つたいきれがまだ少し漾つてゐた。俊は胡神社の方へふらふらと進んで行つた。もう人間のいきれは何處にもなかつた。花崗石の鳥居の肌は靑白く、急に丈が低くなつてゐるやうに思へた。そこから見える境内も狹く貧弱で、あんなに澤山の人間を吞吐したものの姿ではなかつた。太鼓が拜殿の脇に裸でころがつてゐた。煙草屋の角まで來ると、針金で吊された路上の電球は、一樣にもう消されてゐた。路の上には熊手から落ちたらしい、夷子の面が泥まみれになつて裂けてゐた。そこにはまた新聞紙の破片や、繩屑などが時を得顏に散亂してゐた。[やぶちゃん注:「胡神社」「えびすじんじや(えびすじんじゃ)」。もし、私が冒頭注で候補として挙げた広島県広島市中区の新天地地区がロケーションであるなら、同地区の北、広島県広島市中区胡町に胡子神社がある。(グーグル・マップ・データ)。]

 左右の商店はみんな戸を下してゐたが、不圖、むかふの料理屋のところには、變な女が瞬もせず立つてゐた。近づいてみると、それは木で造つた人形であつた。人形の手は燈の消えた奧の方を指差してゐるので、俊は何氣なしにその奧の方に眼を向けた。するとその時、俊の後から自動車が慌しくやつて來た。自動車のなかに乘つてゐた、影のやうな人間も、ちらりと人形の指の方を眺めたらしく、一瞬ぼやけた顏が窓硝子に白く浮んだ。間もなく左手に盛場の入口が見え、俊の正面には暗い通りの入口が近づいて來た。暗い通りの軒下では、今赤い火の粉がちらちらと亂暴に立騰つてゐた。そこに、綠色の燈を點けた蕎麥屋の車が停められてゐて、その脇で二人の男が竝んで饂飩を食つてゐた。薄闇のなかに饂飩の白い姿ばかりがつるつると動いてゐて、食つてゐる男の顏は湯氣で暈されてゐた。俊がそこの曲角まで來た時、まだ向ふの隅では男達が饂飩を吞込んでゐた。俊はそこから、鈴蘭燈の竝んだ商店街の方へむかつて進んで行つた。そこにはもうすつかり人間の影が無くなつてゐて、白つぽい路と兩側の家が遠くまで見渡せた。が、戸を立ててゐる一軒一軒の家が、今度は何だか人間の顏に似てゐるのであつた。と云ふより、街全體がやはり人間のかはりに眼を開けてゐるらしいのだ。俊はそのなかを進んで行くうちに、どうも次第に步みが前よりか速くなつて來た。大きな看板のなかにゐる、頰の紅い女や、靑い鬚をした紳士達が軒の上から空洞な道路を放下してゐるのだが、彼等の眼の色は奇妙に活々として來た。また、三等郵便局の前に在る赤いポストなども、今は思ひきり判然と存在を見せてゐた。かと思ふと、電信柱の上に在る白い磁器の碍子までが、人間の眼球に似てゐた。俊は何時の間にか、そこの通りと交錯してゐる電車の軌道まで來てゐて、右手には練兵場の入口の闇が、左には氏神神社の闇があつて、軌道はそのなかを貫いてゐるのだつた。軌道を渡ると俊はまた商店街の續きに這入つた。さうすると、路は少し彎曲して來たが、もう向ふには橋がある徴(しるし)に、冷たい氣流がぞくぞくと辷つて來るのだつた。[やぶちゃん注:「三等郵便局」地域の名士や大地主に土地と建物を無償で提供して貰い、郵便の取り扱い事業を委託する形で設置された郵便局。現在の特定郵便局の前身。]

 やがて、角にある郵便局と呉服屋が見え、そこから橋の燈が續いてゐた。俊は石の欄干に添つて、次第に橋の中央まで進んで行き、大きな石の柱まで來ると、そこに立留まつて、眞下の方へそつと顏を覗かせてみた。橋の下の水は眞黑だが、橋から少し離れたところは、茫とした白つぽい燈のために、水の動きがよく眺められた。波の黑い背筋に乘つてゐる、細い燈りは針金細工のやうに凍えたまま搖れてゐた。その邊を眺めてゐると、後から後からやつて來る水のために、俊は橋に立つたまま、後の方へずんずん流されて行くやうな氣持がした。かうした氣持は何も今夜に始まつたことでもなかつた。隨分子供の時から、そこの橋に來ては俊は立留まつた。子供の時には確か橋の左側の方の家の壁に、小倉の袴を穿いた小學生と、葡萄茶の袴を穿いた女學生の看板が掛つてゐた筈だつた。さう云へば、ここの橋も何時頃から石で造り變へられたのだつたか、以前は秋の洪水でこの橋がよく押流されたものだつた。俊は中學を卒業して上京する前の晩、ここに立つたのを憶ひ出した。今、兩側の家はみんな黑く睡つてゐて、ところどころに燈が點ぜられてゐた。その燈は遠方になるほど微かであつたが、微かな燈ほど氷のやうに凝結してゐた。俊の背後からは風が頻りに吹いて來た。ここからは夜の空が廣々と眺められた。空には澤山の星がてんでに冴えてゐた。俊は反對側の欄干へ今度は身を寄せてみた。そちら側は上流になつてゐるので、遙か遠方の山脈が半輪の月に照らされて、靑黑い姿で浮出してゐた。

 

原民喜作品群「死と夢」(恣意的正字化版) 始動 / 幻燈

[やぶちゃん注:本作品群「死と夢」は原民喜の没後、角川書店版「原民喜作品集」第一巻(昭和二八(一九五三)年三月刊)で「死の夢」という総表題で纏めた形で収録されたものである。生前に刊行されたものではないので「群」と敢えて呼称したが、角川書店版以降の原民喜の作品集・全集に於いては、一括収録される場合、この総表題が附されるのは、原民喜自身が生前にそのように分類し、総表題を附していたからであり、かく標題提示することは筆者自身の意志(遺志)と考えてよい

 本篇「幻燈」(「燈」の字は底本の用字)は昭和一二(一九三七)年五月号『三田文學』に発表されたものである。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、歴史的仮名遣表記で拗音や促音が概ね無表記という事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして、漢字を恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、かく処理した。なお、幸い、この「幻燈」一篇に関しては、「広島文学館」公式サイト内の「文学資料データベース」に、同底本を電子化したベタ・データが既にあるため、それを加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる(但し、脱字や誤字・表記ミスが複数箇所存在する)

 先に簡単に語注を附しておく。

 主人公の名「昴」はルビがない。人名としては「あきら」・「たかし」・「のぼる」などが一般的である。私は個人的に反射的に「のぼる」で読む。

 第一段落「相撲草」ここでは私はオオバコのことと採る。あの「ヒッキリッコ」である。

 同「躊躇ひがち」「ためらひがち」と読む。

 同「暈された」「ぼかされた」。

 第三段落「泛んだ」「うかんだ」。

 第四段落「遽かに」「にはかに」(俄かに)。

 同「對つて」「むかつて」(向かつて)。

 第五段落「虛空の眼球」の「虛空」は「うつろ」。

 第六段落「急つては」「あせつては(あせっては)」。焦っては。

 同「昏々と」暗くてはっきりしない様子。

 同「惽々とした」「こんこんとした」(「みんみん」とも読めるが)読んでおく。「惽」は「惛」と同義で、「惛惛」は「昏昏」と同義で「暗くて物の区別がつかないさま」を言う。

 同「脚榻」「きやたつ(きゃたつ)」と読む。脚立(二つの梯子を両側から合わせて上に板を載せた形の踏み台)のこと。

 第七段落「破鐘のやうな大聲」「破鐘」は「われがね」(割れ鐘)と読み、大声の形容。

 同「嘯いた」「うそぶいた」。ここは「平然として言う」或いは「偉そうに言う」又は「獣が吠えるように言う」の意。

 第八段落「失敗つた」「しくじつた(しくじった)」と訓じていよう。

 同「剝出したり」「むきだしたり」。

 第九段落「抽匣」「ひきだし」。抽斗(ひきだし)。

 同「痞へて」「つかへて(つかえて)」。

 第十段落「顳顬」「こめかみ」。蟀谷(こめかみ)。

 同「饑じくなつて」「ひもじくなつて(ひもじくなって)」。

 第十一段落「たうとうと水の響がして來た」「たうとう」はママ。水がとどまることなく流れるさまの「滔滔」であるから、歴史的仮名遣は「たうたう」が正しい。

 なお、因みに実は、現在「ジャパン・デジタル・アーカイブズセンター」のこちらで、『三田文學』初出のものは元画像を閲覧出来るのであるが、このデータベースは大学・研究機関に限定されており、所属機関を通して申込まねば見られぬようになっている。私のような在野の研究者は正当な研究者ではないのであり、「そんな奴には未来永劫見せてやらないヨ」という、これが日本のアカデミズムのおぞましい正体であることが、よく判った。【「死と夢」(恣意的正字化版)始動 2017年12月28日 藪野直史】]

 

 

 幻燈

 

 堤の埃つぽい路を川に添つて昂は溯つてゐた。月の光が波の行手を白く浮上らせてゐたが、ざわざわと搖れる藪や、思ひがけない處にある家屋の燈が昂のおぼつかない氣持を通過した。時々足に纏わる、相撲草や、飛立つ昆蟲などもあつたが、それらは晝間の熱氣をまだ少し貯へてゐた。粘土質の柔かい埃には埃の匂ひがあつて、それが彼に遠い日の記憶を甦らせた。昂は七つ八つの頃、夏の夕方露次に立つて好きな女のこのことを躊躇ひがちに懷つた。その女の眼が神祕な湖水であつた。しかし、今彼は二日ばかり前にみた夢のことが不意と氣掛になつた。それは何處か大きな河を渡つていくと、橋の袂に料理屋があつたのだが、そこに料理屋があつたことが夢のなかで非常に詠嘆的に感じられたのだつた。で、後になつて考へ出すと、彼は一度でもいいから、あけみをさうした場所へ連れて行き度いのだつた。夢のなかで感じたのもたしか、あけみを連れて料理屋なんかへ行けたためなのだが、しかし、今も何處かそんな願望の世界へむかつて彷徨つてゐた。では、一體何處にあの料理屋があるのだらう、――あけみは今も狹い家で睡つてゐて、臺所では彼の母がごくごくと音をたてて食器を洗つてゐるに違ひないのだが、昂は遙かに遠方を眺めて步いた。そこには月光で暈された繁みが水に映つてゐた。あのあたりまで行くと、更に眺めが展けて來る筈なのだが昂はどこまで今遡つて行くのか見當がつかなかつた。夢のなかの料理屋、――あれは確か一ケ月位前誰かから聞かされた話のやうな氣もする。そして、その話とあの夢と何の連絡もないのにまだ氣にかかつてゐた。昂は自分のその何時もの癖を強ひて押除けようとはしなかつた。言葉も動作も思考までもが吃るのだが、それに腹を立てればきりがなかつた。

 すぐ近くに淵があるらしく、ひたひたと川波の音が聽えて來た。子供の頃、狽は一日うつとりとして、ここの川を遡つたことがあつた。彼を連れて步いた男の記憶はもうはつきりしなかつたが、牛が鳴いてゐて、蓮華草の花が咲いてたから、季節は四月らしかつた。をかしいことに昂はその大人が何かの祕密のために彼を連れて步くやうに妄想した。赤ん坊のお前は川から流れて來たのだよ、と昂の父はよく笑ひながら云つた。もしそれがほんとなら、彼の生れた家は川上にあるらしかつた。さうした心配と多少の夢につつまれてゐた過去が、今もそのあたりの叢に搖曳してゐた。昂はひたひたと呟く水の音で、月の光がゆらゆらと映つてゐる姿を思ひつめてゐると、稍微かな睡氣を誘ふのであつた。實際、空に懸つてゐる月ははつきりしない感銘であつた。月光のためにすべてのものが吐息をついてゐた。そして昂が視凝めて步いてゐる世界は、もう今日の晝間の續きではなく、もつと安らかなものになり變つてゆくやうに想へた。恰度その時、四五間さきの傍の藪から何か黑い塊が現れた。昂は藻拔けの殼になつたやうな足どりで進んで行くと、その黑い塊は彼を目掛けて突進して來たが、彼の足もとまで來ると、きりりと一囘轉しておきながら、不意と緩やかに伸び上つて、彼の左手に突當つた。瞬間、どきりとしたが、既にそれは子犬であることがわかり、遠方へよろよろと走り去つてゆくのを見送ると、昂は再び何事もなかつたやうに靜かな散步をつづけた。ひやりとした犬の觸感は消え、掌の咬傷は淺く痛みも微かであつたので、昂にはたつた今眼の前に生じた事件もすぐにも光に暈されて遠ざかつて行くのであつた。さうした、ぼんやりした氣分ではあつても、絶えず昂に附纏ふのは、あけみのことであつた。ねむれ、ねむれ、ねむれと昂は胸のうちで呟いた。さうすると、微かな睡氣が、步いてゐる彼の顏にも、月の光と一緒に降りそそいで來るのであつた。あけみは今も家で睡つてゐるに相違なかつた。もつと遙かなあけみが別の世界にゐて、その透明な玻璃窓に射し入る月の光を頰に浴びながら睡つてゐる有樣が昂には描かれた。その別の世界にゐるあけみなら、何時までも妨げられることなく睡れるだらうが、昂の妻は時々眼を醒すのであつた。しかもこの頃では二時間と續けて意識が保てず、箸を持つたまま、或は箒を持つたまま、睡魔に襲はれては、うとうとするのだつた。

 あけみの不思議な病氣の傍で昂はもう一年あまりも暮らして來たが、あけみは何時覺めるとも知れない無限の睡りのなかを漾つてゆくやうなものだつた。それでも結婚の頃には餘程の努力が拂はれてゐたのだらう、あけみは普通の健康らしかつた。それが日とともにまた娘時代の狀態に逆戾りして、そして睡眠を催す度が却つて頻繁になつた。それと同じやうに昂は暫くの間殆ど全治してゐた、吃音の癖がこの頃ではまた烈しくなつて來た。生活の勞苦や、昂の過去に受けた澤山の屈辱の記憶などが、頻りと彼の神經を搔立て、さんざんに彼を愚弄した。しかし、昂にとつては、あけみは重荷ではあつても、どうかすると彼の方からそれに縋らうとするのであつた。あけみの體溫を傍にして、寢呼吸に聽入つてゐれば、何時の間にか昂の心も純白となり、焦燥の心も靜めら、やがてうとうととした假睡のなかにぼんやりとした巨母の姿が微光を放つ。今もその微光は昂の頭上に降り注いだ。昂は何時の間にか大分上流まで來てゐた。河原の白砂の上にも月の光が煙つてゐた。夏の終りの月は何か苦惱をそそるやうに空に懸つてゐた。昂はやうやく立留まつて、熊笹の脇の空地にしやがんだ。ここから家まで引返すのは大變であつた。何のためにぼんやりと散步をつづけてゐたのか、昂自身にもはつきりしなかつた。何かを求めて彷徨つて行つたやうでもあるし、何かに追驅けられて逃げて來たやうでもあつたのだ。しかし、昂は眼をあげて、そこの河原の中央に細く流れてゆく水を視ると、ふと、病的な氣分に襲はれた。今、自分の生涯がここでばつたりと行塞がつて、もう前へも後へも引返されないやうなもどかしさが、それを、もどかしさと感じささない靜的なものとなつて蹲つてゐた。大體、この頃昂は、悲嘆に似た氣持で、己の過去を遡つてゆく癖が出來てゐたが、それにしても今夜ほど憮然とした姿で散步したのは稀であつた。急に昂は立止まつて家へ引返さうと思つた、すると、一瞬身體全體がめりめりと音をたてて陶器のやうに碎ける幻想が泛んだ。

 そして、昂はその夜家へ引返し、それから何日かは普通の狀態で暮したのであつた、あの月夜のふらふらした氣分とは似ず、昂は晝間の業務に追はれながら、あけみと母と暮した。ある夕方、ふと惡寒がするので昂は疊に伏して、天井板を眺めた。すると、天井板の節穴がふと眼についたはずみに、それが忽ち絶體絶命の兇兆かのやうに彼の視線へ對つて彈丸の如く飛びかかつて來た。昂は眼を閉ぢて、襲ひ掛つて來る惡寒を拂はうとした。その時、精神も肉體もぐつたりと異樣な疲勞を呈して、沼の底にでも引込まれて行くやうに滅入るものがあつた。きんきんと金屬製の音響が耳許で生じ、その一振動每に彼の毛穴に戰慄が點火されて行つた。暫くすると昂の寢てゐる疊はぐるぐると急速に𢌞轉し始めた。それから終には高く低く波を打つて來て、昂の肉體は何かの魔力によつて絞り上げられた。昂は肩を縮めて、のた打ち𢌞つた。そのうちに苦惱が少し緩められて來た。濁つた壁のやうなものが墜落すると、彼の前にはぼんやりとした景色が現れた。月の夜の川岸を昂は步いてゐた。月光は埃のやうに彼の前に煙つてゐて、竹藪がざわざわと搖れた。竹藪の上の方の空に鍵に似た黑い影が浮んでゐたが、昂はそれを訝る氣持で、なるべく視まいと努めて、地面を視て步いた。ところがふと、何氣なしに眼をその黑い點にやると、今迄動かなかつた黑い影は遽かに地面へ對つて滑り落ちて來た。それから非常に緩い速力で、しかし確實に昂に對つて近寄つて來るのだつた。昂の足もとに來た時、それは犬であつた。が、昂の周圍を一囘轉するのが何分間もかかつた。昂はやがてその犬に腰の骨を嚙みつかれるのを感じて、悶えながら立留つてゐた。犬は昂の肩に前足を掛けると、その重みが昂には頭の芯まで傳はつて行つた。昂の背後にゐる犬はこの時もう牛位の大きさになつてゐた。そして犬は更に河馬ぐらいの大きさに變つて行つた。やがて、ぱくりと口を開くと、昂の身體は大きな齒の間に嚙締められた。痛みは鈍く、鋭く昂の全身に傳はつていく。昂の神經は熱湯を注がれたやうにちりちりとした。そのなかを更に針のやうに光るものが暴れ狂つて走つた。それだのに全身はもう犬の齒にしつかりと締めつけられてゐて、拔け出すことが出來ない。時々痙攣が生じて、無力な逃走を試みる。昂は犬の齒の間から逆しまに頭を垂れて、ふと下界を眺めた。眞白な河原の砂に月の光が幽靈のやうに燃えてゐる。と、その砂のなかを犬の眼に似た水が音もなく流れてゐた。水がぼうつと、一ケ處燐光を放つた。次いであつちからも、こつちからも焰が生じて、もう川は眞赤な水の流れであつた。それがずんずん昂を目がけて流れて來る。

 やがてこの眞赤に煮え滾るところの液體が昂を襲つた。彼の鼻腔や耳にまで熱氣は侵入し、煙が全身から立昇つた。今焰の洪水のために、昂はもう犬の齒から押流されてゐた。轟々と唸る火の渦に卷込まれながら、猶ほさまざまの火の姿が昂に戲れて來た。硫黃や砒素などの恨しさうな火の玉が來ると、昂の内臟は破壞に脅え、顏は斷末魔の形相を湛へるのであつた。すると、猶ほちよん切られてピリピリ動く蜥蜴の尾のやうに、昂の頭に纔かに殘されてゐる知覺に、自分の斷末魔の物凄い姿が映つて、その恨しさうな顏に怖れて昂は叫ぶ。叫んだ筈なのが四つん這ひになつて吠えてゐるのだ。吠えて吠えて昂の咽喉は一本の細い針金のやうになつてしまふと、既に身體中の水分が蒸發してしまふ。この時、昂のぎよろんとした虛空の眼球にコツプの水が映つた。誰の掌によつて支へられてゐるのか、その透明なコツプのむかうには白い水仙の花に似た塊があつた。昂はすさまじい勢でコツプに這ひ寄つて、唇もて、その懷しい水に觸れようとした。けれども、次の瞬間には昂の咽喉佛は痙攣を始め、水であつたコツプからは煙が立ち昇るのであつた。痙攣は嘗ての日、彼の發音器官を無慘に辱かしめたやうに、今も彼の意志を逆に捩ぢ伏せてしまつた。昂の苦惱はここで一つの絶頂に達したが、やがて、なにものかが拳を擧げて昂を亂打すると、昂を組み伏せて、すつかり身悶え出來なくさせてしまつた。そして暗闇がその上を通過した。暗闇は汽車のやうに昂の顏の上を走つた。

 走り去つた汽車が物悲しいサイレンを殘すと、次第にあたりは夜明けの微光が漾つて來て、どうやら雨になるらしい氣流が交はつてゐた。何時の間にか昂は暗い函のなかに小さく押込められてゐた。その函の上を荒繩で縛り、二人の男が棍棒で擔つて行くのだつた。今彼等は何を擔つてゐるのか一向無頓着な樣子で、怒つた顏をして、默々と步いてゐた。硬い地面を蹈んで行くものらしく、ゴトゴトと跫音がつづいた。函は搖れる度に軋り、それにつれて昂の骨はがくりがくりと外れさうになつた。到頭雨になつたらしく、雜草の叢が仄かに囁き出した。暫くすると、小川の近くに來たとみえて、水音が微かに聞えた。やがてその小川の岸を渡る時、前の方の男が川にむかつて唾液を吐いた。餘程彼等は不幸な人間らしく、頭に雨がかかると忽ち水蒸氣となつて昇つた。遠くの小屋で火を焚くのが、ゆらゆらと夢心地に昂には感じられた。時たま、何かの鳥が高く上を飛んでゐて、鋭く抉るやうな叫びを放つた。何處までこの二人の男は昂を擔つて行く氣なのか、密閉された函の内部にゐてはわからなかつたが、彼等の步行は何時まで經つても同じやうな調子だつた。一寸も急つてはゐないし、無理に遲らせてもゐないし、それだけに重苦しく耐へきれないものがあつた。不圖、昂は耳許に年寄らしい男の、優しいだみ聲が聞えて來た、それは何か悲痛を諦めてしまつてゐる人間の溫かい呟きで、昂には次第にもの戀しく感じられた。しかし、聲はそれきり杜切れてしまつて、後はまた二人の男の跫音ばかりであつた。その跫音はまるで木のやうに硬い。大粒の淚が浮んで、昂の目の緣で崩れると、ぽとりと落ちた。そして今函の外は朝である筈なのに、逆に夕暮が近づいて來る氣配だつた。昏々と雨が降り募り、路は何時まで行つても涯てしなく、景色も次第に疲れて無慘になつてゆくらしい。昂の頭も惽々とした闇が立ち罩め、その底に金色のぼんやりした暈が一つ微かに浮んで來て、それが靜かに彼をあやしてゐるやうだつた。彼を運んでゐた男達のゴトゴトといふ跫音が何時の間にかしなくなつた。そして昂を閉込めてゐた函ももう消えてなかつた。氣がつくと昂はある街角の路上に橫たはつてゐた。眞晝の雨降りの路上には一つも人影がなかつた。すぐ前の菓子屋の店頭はがらんとしてゐた。何處の店にも人はゐないのだつた。雨に淸められた、路上の小石が美しく露出してゐた。軒每に瓦斯の門燈があつたが、あれは夕暮脚榻をかかへた男が燕の如く現れて、一つづつ燈をさしてゆくのだ。何處かから馬車の喇叭が響いて來さうなのに、今はしーんとしてゐる。

 そこは二十年も以前の、ある街角に違ひなたつたが、別に昂は訝りもせず、目隱しをされた馬や、蹄の音や、先走りの男などが現れて來るのを待つてゐた。ふと彼の側に何處からか女中がやつて來た。彼女は昂を認めると大變心配さうな顏をして、「まあそんなところに一人でゐらしたのですか、さつきから隨分探してゐました、さあ、おうちへ歸りませう、お父さんがお待ちかねですよ」と云つた。そして昂の手を引いて、ずんずん步いて行つたが、昂はその女中の溫かい掌にぶらさがつて步いた。やがて家に這入ると、薄暗くじめじめして其處は大きな洞穴のやうだつた。中央に机が置かれて、その上にランプがぼんやり點けられてゐた。女中は昂を机の脇まで連れて行くと、「只今戾りました」と挨拶した。すると、机には誰か淋しさうな影の薄い男が何か頻りに書きものをしていたが、ふいと顏をあげて、昂を睨んだ。「うまく釣られて來たな」とその男は破鐘のやうな大聲で笑つた。見るとその男はもうさつきの男ではなかつた。おそろしく野蠻な骨相をした男で、顏中が威壓の筋肉で出來上つてゐる癖に、何か愉快さうに、にやにや笑つてゐた。「己を覺えてるだらうな」とその男は昂を斜に視下しながら嘯いた。昂は恐怖のあまり口がきけなく、ふと、さつきの女中の方に縋らうとして振りかへると、女中の顏は口が耳まで裂けた怪物になつてゐる。すると男は何か氣に觸つたらしく、忽ち机に一擊をあたへて呶鳴つた。「逃げようつてのか!」と男は眼を尖らして昂を射屈めた。机のランプがひつくりかやつて燃え出すと、彼はそれを掌で摑んで床の上に投げつけた。その物音を聞きつけて、隣室から男が二人やつて來た。彼等は拳で昂を脅しながら、机の男にむかつて、慇懃に腰を屈めた。「この男を一つみてやつてくれ給へ」と机の男は何時の間にか穩やかな口調になつてゐた。二人の男はかしこまつて、また腰を屈め、それから昂の方へ向直つて、じろじろ眺めてゐたが、急に一人の男が氣色ばんで昂の腕を摑むと「來い!」と云つてずんずん步き出した。コンクリートの廊下のやうな道を、二人の男は昂を眞中に挾んでずんずん進んだ。非常に步調が急いでゐて、そのまた反響がものものしかつた。その時昂の腕を摑んでゐない方の男が、昂の耳許にずつと顏を近寄らせて、「愉快だな」と親密さうな調子で話しかけた。昂が默つてゐると、その男はまた「愉快だな」と云ふので、昂もつい釣込まれて、「愉快だな」と云つた。すると、その男は遽かに冷かな態度になつて、「何? 何だと、何が貴樣に愉快なのだ」と呶鳴り散らした。「でででも……」と昂は詫びようとしたが口が吃つてしまつた。その男は昂の口許を忌々しげに眺めてゐたが、「だだだまれ!」と叫んだ。が、その男は吃つて叫んだのを非常に殘念さうにして、自分の方で默つてしまつた。昂は何だかそれが氣の毒になつて、相手の方を見ないで步いた。

 そのうちに吃つた方の男は何時の間にか、ふつと消えてしまつて、廊下のやうな道が盡きると稍々廣い運動場に出てゐた。昂の腕を握つてゐた男は不意とその手を離して、昂の後方に𢌞つた。そして、びつくりするやうな大聲で、「一、二、一、二」と號令を掛け出した。昂は一生懸命、步調をとつて步き出したが、後から叱咜するやうに「左、右、左、右」と號令を掛けられた。步調が間違つてゐるのに氣がついて、足蹈みをするのだが、うまくゆかない。何度やつても步調が亂れる。號令は昂をさんざ、まごつかせて置いて、後からどかんと呶鳴るつもりなのだらう、泰然として續けられる。氣がつくと、昂を取圍んで中學時代の友達がにやにや見物してゐた。その見物のなかには女も二三人混つてゐる。昂は兩脇からたらたら冷汗をかきながら、奧齒を食ひ締つて、目の前が茫々と白む想ひで、步調をとつた。すると、突然、「まはれ右前へ」といふ怒號が耳許でして、「おい!」と號令は下つたが、昂は足を蹈み損なつて失敗つた。再び、號令は「まはれ右前」と掛けられた。そして昂はまた失敗つた。また、「まはれ右前」と、號令が勇ましく掛けられた。昂は今度もまた失敗するのを豫想すると、もう足が慄へて思ひ通り動かなかつた。彼が失敗る度に、見物の中學生達は面白さうに笑つた。齒を剝出したり、舌を出したりして、皆は彼の失敗を應援した。なかにも一人の女は脇の女にむかつて、さも昂を憐むやうな大袈裟な顏つきで何か囁いてゐた。昂は何が何だかもう號令が聞えなくなつて、立留まつた。すると、今迄遠くから號令を掛けてゐた男がつかつかと昂の脇に近寄つて來た。その男は何時の間にか教師の服裝になつてゐたが、ポケツトからメートル差を出すと、昂の前に屈んで、昂の膝の關節から踵までの長さを計り出した。見物人は珍しさうに、ずつと近寄つて來た。教師の服裝をした男は、何度も首を捻りながら、昂の左脚と右脚の寸法を計算してみたり、終には身長や胸圍まで計つてみるのであつたが、どうも合點が行かないらしく、鉛筆でポンポンと手帳の表紙を叩いてゐたが、やがて手帳を開けて何か書き込んだ。恰度その時、白い上着を着て眼鏡を掛けた醫者らしい男が側に近寄つて來て、默つて手帳を覗き込んでゐたが、何か教師にむかつて合圖をした。そこで二人の男は昂をその儘にして、少し離れた場所で、ひそひそ話を始めた。「どうもあの生徒は根性が捩れてるのですが」と教師の興奮した聲や、「いや、なあに、私におまかせ下さい」と醫者の宥めるらしい聲が洩れた。

 醫者は昂の方に向直ると輕く手招いた。昂が躊躇してゐるのを見物人が後から小衝くので、到頭彼は醫者の方へ步き出す。すると醫者は彼が從いて來るのを疑はないもののやうに、ずんずん先に立つて步き出した。昂は逃げ出したいのだが、逃げると後でどんな亂暴なことをされるかわからないので、厭々ながら引かれて行く。階段を昇り、廊下を𢌞ると、音樂室があつて、小學校の女教師がオルガンを彈いてゐたが、窓の外を通る二人をけげんさうな顏で見送つた。その音樂室の窓からは川が見え、鯉幟を立てた家も見えた。やがて醫者はつきあたりの部屋に入ると、内から鍵を掛けて、大きな机の前の𢌞轉椅子に腰を下した。その部屋は半分板の間になつて、半分疊が敷いてあつたが、秤や、小さな寢臺や、抽匣の澤山ある戸棚などが竝べてあつた。隅の方に立てられてゐる骸骨の標本が一つ、ガクガクと張子の虎のやうに首を搖らがしてゐた。壁には日本海海戰の油繪が懸けられてゐて、沈沒しかかつた軍艦が頻りに眞黑な油煙を噴き出し、その油煙がその部屋の天井のあたりの壁を染めてゐた。醫者は暫く机の抽匣をあけて何か探してゐたが、不意と昂の方へ向きかはると、側にある小さな椅子を指差して、「掛けたまへ」と云つた。昂が神妙に椅子に掛けると、醫者は今度は聽診器を取出して、それを玩具のやうに弄んでばかりゐた。何時まで經つても落着拂つて、さも娯しさうに醫者はそれを弄んでゐたが、時々何か素敵な考へでも浮ぶのか、得意さうに獨りで微笑してゐた。ところが突然、醫者はハツと昂のゐることに氣がついたらしく、ぢつと昂の顏に眼を据ゑてしまつた。それから、ひよいと手を伸して、昂の顎の下を撫で出した。醫者の掌は柔かく、撫で方も輕かつたのに、段々昂は呼吸が塞るやうに苦しくなつて來た。血が頭にむかつて逆流してゆく音がドクドクと聞えた。それでも醫者は相變らず靜かに今度は昂の咽喉の邊を撫で出した。昂は苦しさに淚がぽろぽろと落ちて、聲が出なかつた。やがて醫者は手を離すと、今度はさも親しさうに昂を眺めるのであつた。「大分つらさうですな」昂は半分泣きながら頷いた。「ではあそこで橫になつたらいいでせう」と醫者は疊の方を指差した。それから態々枕を出して呉れた。昂は橫になつた。醫者は戸棚の小さな抽匣から何か獨樂のやうなものを取出した。微かにビユンと鳴る音がするので昂がその方へ眼をやると、醫者はその持つてゐたものを輕く空間へ放つた。はじめ蟲か何かと思つてゐると、氣がつくと、それは一匹の虎であつた。豌豆位の大きさの虎だが、たしかに美しい縞があり、眼球がキンと光つてゐる。その虎は空間を宙に泳ぎながら、次第に昂の方へ近寄つて來る。昂はどう云ふ譯だか、その虎が怖くて耐らなくなつた。虎が進むにつれて、糸に綴られた露の玉のやうなものが三つ四つ前後に續いてゐる。虎は昂の一尺位眼の前に來ると、急に故障が出來たやうに動かなくなつた。が、暫くすると今度は逆の方向にゆつくり進んで行つた。それからまた暫くすると動かなくなり、方向を變へては進み出す。昂は胸が痞へて、手足が痺れ、額からも耳からもたらたらと膏汗が滲み、どうにもかうにも苦しくてならない。もう昂のまはりの空氣はみんな虎に吸ひ採られたのか、無くなつてゐる。昂の眼はぼんやりして、自分の睫と、その邊の疊の筋しか見えない。みんな暗く、みんな苦しさうな影だ。それなのに虎はまだやつて來る。突然、外の方で稻妻がして、パラパラ雨が落ち出したやうだつた。すると、誰か昂の耳許で彼の名を呼ぶ聲がした。聲は何度もするのに昂には誰だかよくわからない。すぐ眼の前にその男の黑いずぼんがぼんやり見えて來た。「寢てるのかい」とその聲は云つてゐるやうで、昂の側に立つたまま頻りにもじもじしてゐる容子であつた。その二本のずぼんの隙間から机が見え、机の上には灰皿と昂の學生帽が置かれてゐる。机の前が窓障子で、その窓は、狹い露次に面した二階の窓だつた。昂はその邊をぼんやり見てゐるうちに、何時の間にか彼の身體は机に吸ひ寄せられて、机に凭掛つてゐた。

 突立つてゐた男はそのうちに昂の正面へ來て疊の上に膝を組んで坐つたが、その友達はだれであつたのか、昂にはまだ呑み込めなかつた。てらてら光つた大きな鼻をした、顎の廣い、どつしりした男であつたが、大變腹を空かしてゐる容子で、顳顬には玉の汗が浮上つてゐた。その顏を見てゐるうちに昂も顳顬に汗が出て、自分も同樣に饑じくなつて少し目が昏んで來た。ふと眼の前に口を開けた蝦蟇口が見え、その暗い底の方に五十錢銀貨が一枚ぼんやり見え隱れしてゐた。ところが、昂の前にゐる男は饑さに耐へかねて、あくびとも溜息ともつかぬ息を吐いた。すると、その男の大きな顏は段々瘠せ細つて來て、前とは見違へるやうな、まるで消え入りさうな顏になつてゐた。その男は餘程睡眠不足とみえて、眼を開けてゐるのもつらさうに、一秒、一秒の時間の重みにも、神經が削り奪られて行くらしく、豆粒程の瞳から氣違のやうな切なさうな光線を閃かしてゐた。ぼんやりと眺めてゐる昂の方でも、もう二三秒もしたら宇宙が爆發するのではないかと、そんな危險な不可知な裝置が今眼の前の空間にしつらへられてあるのを感じさされた。それで、昂の眼球も乾ききつて、眼の底の方に熱い濁つた淚が貯へられて行つた。到頭その友達は、わあ、と口をあけると、全身全靈の疲勞を吐き出すやうに、苦しさうなあくびをした。それから頭をがくりと、前の方へ一度突落して再び上に擧げると、もうその友達の顏はすつかり刃のこけた剃刀のやうなものに變はつてゐた。その男は時々誰かに背骨をどやされてゐるやうに、がくりがくりとしながら、それでも一生懸命、昂の机の上を眺めてゐた。昂はその男が何故一生懸命、机を眺めてゐるのか、段々心配になつた。と、間もなく友達は疊の上に打伏せになると、咽喉を痙攣させてばたばたし出した。友達は唸りながら、白い液體を吐き出した。それから大きな溜息をついて、橫になつたが、段々氣持が落着いて來るらしく、眼を天井へやつてゐた。

 ふと、友達は昂の方を見ながら、「おい、外へ出ようぢやないか」と云つて立上がつた。たつた今あんなに苦しげにしてゐたのが、もう打つて變つて元氣になつてゐるのだつた。昂もそれに釣込まれて、立上らうとしたが、どう云ふものか、腰に力がなく、脚がふらふらし出した。友達は昂のまごまごしてゐる樣子を珍しさうに見返して、「お前步けないのかい」と訊ねた。それで昂は無理矢理に立上がつて、よろよろと步き出した。すると友達はもう昂が步けるのを疑はないもののやうに、ずんずん先に立つて步き出した。何時の間にか二人は細い裏町を拔けて、大通りへ出てゐた。昂は段々心細くなり、外に出たことを後悔した。一足每に息切れがして、今にも身體が倒れさうになつた。眼の前に電車や自動車が疾走してゐるのが、情なかつた。もうこれきり歸れないのではないかと思はれた。足許を見れば、木製煉瓦の敷詰められた鋪道に、自分の下駄が吸ひ込まれて行きさうだつた。もし今膝のところから力が拔けると、そこへ倒れてしまふのだが、……さう思ふと却つて早く倒れてしまひ度くもなるのだつた。友達の方は靴の音もはつきりと自信ありげに步いてゐた。そのうちに、たうとうと水の響がして來た。氣がつくと、さつきまで一緒だつた友達は、もう彼を見限つて勝手な方向へ行つてしまつたらしい。路は何時の間にか、大きな石塊のごろごろしてゐる下り坂になつてゐる。昂の下駄は石に躓いて、時々よろめいた。かうして步けるのが不思議な位だ。空氣は冷々として、霧が這つて來る。忽ち霧は兩側の杉を包み、ばらばらと滴がしたたる。水の音は段々近づいて來るので、昂はもう一呼吸だと云ふ氣持がした。ふと見ると、崖の方には萩の花が咲いて、だらりと垂つてゐた。そこにも銀色の霧が降つてゐた。足許の方には紫陽花も咲いてゐる。その側に矢印で方向を示した小さな札が立つてゐる。昂は到頭そこへしやがんで、息切れを直さうとした。急に咽喉が締めつけられるほど切なくなつて、淚がぽろぽろと兩頰に流れた。冷やかな空氣の迫力が一層彼の心臟をずきんとさせた。だが、暫くすると昂はまた立上がつて步きだした。もう苦しさは以前よりも大分減つて來た。それに谷川の音が今はすぐ足許に聽かれるのだつた。昂は橋を渡つて廣い道へ出た。

 そこに藤棚のある茶店が一軒あつて、バスの停留場があつた。昂がそこへ立止まると、大きな、黃色いバスがやつて來た。昂は今、救はれたやうにそのバスに乘つた。乘客は他に誰もなかつた。昂は綠色のクツシヨンに腰を下し、低い天井を眺めた。運轉臺の方にはセルロイドのがらんがらんが吊つてあつた。濃霧と小雨とで、ウインドウ・クリーナアが搖れてゐた。大きな硝子窓に、周圍の景色が移動した。バスは溪流に沿つて山路を𢌞り、村落を過ぎて進んだ。やがて、雨もはれ、眺めも廣々として、日が輝き出した。雨のはれた山脈がむかうに見えた。むかうには竹藪も見えた。美しい綠の竝木路もあつた。その時、運轉臺の方にゐた女車掌が靜かに昂の側までやつて來た。その女車掌は立つたまま、窓の外を指差しながら歌ふやうに喋り出すのであつた。

 ――御覽なさい、あのむかうに見へます山々はまるでこの世のものとも思はれぬほど美しいではありませんか。靜かに靜かに時間の流れのなかに聳えて、何時までも何時までも、あなたを慰めてくれるのであります。雨が降れば濡れ、日が照れば輝き、朝は朝の姿で、夜は夜の姿で、昔からずつとあそこにあるので御座います。

 それにあのなだらかな綠の傾斜はまた何と云ふ優しい眺めなのでせう。ああ云ふものを御覽になると、人間のかたくなな心は何時の間にかすつかり消えて行つて、あなたはむかし、むかしにかへつてゆくのです。

 あなたはお母さんの懷にいだかれてゐた子供の頃を憶ひ出しませんか、あのお母さんの白い胸を見上げながら、夢みてゐた夢があの山なのです。そら、あの山腹の方には白いふはふはの雲が浮んでゐて、あそこで靜かに睡つてゐるのです。

2017/12/27

子規居士(「評伝 正岡子規」原題) 柴田宵曲 明治二十二年以前 身辺に現れた人々 / 明治二十二年以前~了

 

    身辺に現れた人々

 

 居士が秋になって上京したのは何日頃かわからぬが、「歸郷中武市子明と中秋を三津(みつ)に賞す」ということが『筆まかせ』に見えるから、その後だったのであろう。「啼血始末」の序に「九月上旬」とあるのは上京前か、上京後か、それも明でない。

[やぶちゃん注:ここ以下、明治二二(一八八九)年の事蹟。

「歸郷中武市子明と中秋を三津(みつ)に賞す」「筆まか勢」の對」(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。これは明治二二(一八八九)年九月九日(旧暦八月十五日)で、この日、友人武市子明(本名、庫太)と三津(現在の愛媛県松山市三杉町三津浜地区。(グーグル・マップ・データ))に赴き、料亭で月を賞した。伊予歴史文化探訪に詳しい。]

 十月に至り、居士は一時常盤会寄宿舎を出て不忍池畔に下宿した。「水戸紀行」はここで成ったので、十月十七日に稿を起し、二十日に書上げたと序文に見えている。居士は水戸旅行の後、一カ月余にして病を獲たため、遂に紀行を草する遑(いとま)がなかったが、その病はまた水戸旅行が近因をなした観があるので、『子規子』を草した後、遡って「水戸紀行」の筆を執るに至ったもののようである。

 不忍池畔に宿を転じて後、一夜五百木飄亭(いおぎひょうてい)氏が新海非風(にいみひふう)とともに訪ねて来た。この晩のことは飄亭氏が後年『ホトトギス』に掲げた「夜長の欠(あく)び」なる文中に見えている。月明(げつめい)に乗じて上野を徘徊し、三人各〻当夜の事を記す約束であったが、翌日居士が「三傑句合せ芭蕉泣(なか)せ」という草稿を携え来ったのみで、他の二人は何も出来なかった。「大空に月より外はなかりけり」という非風の句が圧巻であったというによって、ほぼ大体を察すべきであろう。「三傑句合せ芭蕉泣せ」なるものはどうなったか、今は伝わっていない。

[やぶちゃん注:「五百木飄亭」五百木良三(いおきりょうぞう 明治三(一八七一)年~昭和一二(一九三七)年)は国粋主義者。飄亭は俳号。ウィキの「五百木良三」によれば、『伊予国温泉郡小坂村新場所(現・愛媛県松山市日の出町)の生まれ』で、明治一八(一八八五)年に『松山県立医学校に入学』、明治二十年には『大阪に出て、今橋の町医者のもとに寄寓し、医務手伝いのかたわら勉学にはげみ』、十九『歳で医術開業の免許を得たが、その志は「病を癒さんより国を癒すの医」たらんとするものであった』という。明治二二(一八八九)年、『上京して、旧藩主久松家の設立になる東京学生寮でドイツ語の研究に専心し、正岡子規と文学を論じ、子規から俳句の指導をうけた』。翌年、『徴兵に合格し、陸軍看護長に採用され、青山の近衛連隊に入営し』、明治二五(一八九二)年まで『軍隊生活をおくった。日清戦争で』明治二七(一八九四)年六月、『第五師団にしたがって出征し、筆名「大骨坊」で従軍日記を「日本」に』一『年間』、『連載した』。『帰国後、明治二十八年に『「日本」に入社し、陸羯南と活躍し』、翌明治二十九年には『近衛篤麿を擁し』、『国民同盟会を結成』、『中国の保全を主張した。篤麿のもとで「東洋」を発行し、対アジア対策をあきらかにした』。明治三四(一九〇一)年に『「日本」編集長となって対外硬派として論を展開し』、明治三十六年退社、『桜田倶楽部同人として対露同志会に力をつくし、翌年の『日露戦争開戦に影響』を与えた。明治三八(一九〇五)年九月五日の『日露講和条約議定書の調印に』際しては、『東京日比谷に国民大会をひらき、講和条件不服、条約破棄の世論を呼び起こした』。大正二(一九一三)年、『内田良平その他と対支連合会をおこし、翌年、『国民義会を結成』、大正四年には『大隈内閣の密命をうけて満州に』入った。昭和四(一九二九)年、『政教社にはいって「日本及日本人」を主宰した』とある。子規より四歳歳下。

「新海非風」(明治三(一八七〇)年~明治三四(一九〇一)年)は愛媛県出身の俳人。東京で正岡子規と知り合い、作句を始めた。後、結核のため、陸軍士官学校を退学、各種の職業を転々とした。高浜虚子の「俳諧師」の五十嵐十風は彼がモデルと言われる。]

 十一月二十一日、居士は大磯に遊び、故林館に投宿した。大谷是空(おおたにぜくう)氏が脳を病んでここにおったので、数日同宿したのである。この時の事は「四日大尽(よっかだいじん)」なる一篇に悉(つく)されている。居士はこの一篇に冠するに「水戸紀行裏」なる文字を以てした。「水戸紀行」は病を獲(え)る前の記録、「四日大尽」は病後の保養である点からいっても、明に表裏をなすわけであるが、その内容も自らこれに伴うものがある。「水戸紀行」は雨に濡れて歩いたり、菊池仙湖氏が不在だったり、宿屋で冷遇されたり、那珂川で震慄(ふるえ)を覚えたり、失望と落胆とを以て充されているに反し、「四日大尽」は放林館を中心に大磯をぶらぶらしたに過ぎぬから、「得意と快樂とを以ておはりぬ」というのは、いささか誇張であるにしても、とにかく明るい気分に終始している。篇中の俳句も十余に及んでいるのは、同宿者が是空氏だった関係もあろうと思われる。

[やぶちゃん注:「大谷是空」正岡子規の最も親しい友人の一人であった、俳人で教育者・評論家の大谷藤治郎(慶応三(一八六七)年~昭和一四(一九三九)年)。美作国西北條郡西苫田村(現在の岡山県津山市内)出身。東京大学予備門に入学、子規・漱石らと同級となった。この明治二十二年に脳痛のために退学、郷里や大阪の地で療養後、津山尋常中学校創立とともに教員となった。明治三〇(一八九七)年には津山の地を離れ、汽船会社に勤務し、中国に渡航するなどしたが、明治四二(一九〇九)年頃から『中外商業新報』の論説・社説を担当、その後ほぼ亡くなるまで執筆を続けた(以上は和田克司氏の論文「正岡子規と大谷是空」PDF)に拠った)。

「四日大尽」(「四日大盡」)国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここから視認出来る。]

 この十二月居士は故山に帰省している。冬季休暇の帰省はこの時がはじめてである。けだし病後の故であろう。藤野古白を伴い、途中大磯、浜松、名古屋に各二泊、京都に三十三間堂を一見するなど、帰省としてはかなり悠々たる道中であった。

 二十二年中の居士についてはなお記すべきものが少くない。第一は夏目漱石氏との交遊である。居士が漱石氏の「木屑録(ぼくせつろく)」に加えた評語に

 余知吾兄久夫。而與吾兄交者。則始千今年一月也。

 (余の吾兄(ごけい)を知るや久し。而れども吾兄と交はるは、則ち、今年一月に始まるなり。)

とあるから、二十二年に入ると間もなくはじまったものらしい。漱石氏の後年語ったところによると、交際し始めた一原因は寄席の話にあったそうである。「二人で寄席の話をした時、先生大いに寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知つてゐたので、話すに足ると思つたのであらう。それから大いに近よつて來た」のだという。同じ予備門に籍を置いていたのだから、顔位は早くから知っていたに相違ないが、互に相許すまでには大分時間がたっている。明治文壇に不朽の痕迹をとどめた両者の接近が、学問や文章でなしに寄席の話であったのは頗る面白い。子規居士に宛てた漱石氏の書簡で、今伝わっている最古のものは、居士の喀血当時医師について意見を質した当時の一通であるが、例の天然居士米山保三郎なども、漱石氏と共に医師を訪ねた一人のようである。

[やぶちゃん注:同年の「筆まか勢」に「木屑錄」の一章もある(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。但し、この「評語」はここにはない。

 以上の漱石の引用は夏目漱石「正岡子規」(『ホトトギス』明治四一(一九〇八)年九月号初出)。岩波旧全集で校訂した(底本には誤りがある)。

「子規居士に宛てた漱石氏の書簡で、今伝わっている最古のもの」明治二二(一八八九)年五月十三日附正岡常規宛書簡(旧全集書簡番号一)。正岡子規を診ている山崎医師を『不注意不親切なる醫師』と断じており、追伸部分に『何れ二三日中御見舞申上べく又本日米山龍口の兩名も山崎方へ同行し呉れたり』と、米山保三郎(既出既注)の名も出る。]

 もう一つ面白いのは、両者の名を不朽にした子規、漱石の号が各〻この年にはじまっていることであろう。子規の号が喀血に因ることは前に記した。漱石の号もこの年の五月、居士の「七草集」に評語を加えるに当ってはじめて用いられたので、「七草集には流石の某(それがし)も実名を曝すは恐レビデゲスと少しく通がりて當座の間に合せに漱石となんしたり顏に認(したた)め侍り」と手紙で断っている。しかも漱石なる号は居士が松山時代に一度用いたことがあるというに至っては、いよいよ出でていよいよ奇といわなければならぬ。

[やぶちゃん注:引用は明治二二(一八八九)年五月二十七日附正岡常規宛書簡(旧全集書簡番号二)の追伸部。表記に違いがあったので校訂した。]

 第二は内藤鳴雪翁との交渉である。居士はそれ以前にも、同郷の人々と共に翁に漢詩の添削を乞うたことなどがあったが、この年翁が服部嘉陳(よしのぶ)氏に代って常盤会寄宿舎の監督となるに及び、俄に親しい間柄となった。居士が喀血したのは、服部氏がまさに帰国せんとする際だったというから、翁はそれ以前に監督となったものであろう。当時居士はいまだ俳句に多く力を用いず、従って翁も直にその世界に引入れられるようなことほなかったが、故山以来の詩友である竹村黄塔(たけむらこうとう)が入舎してから、翁と三人の間に言志会なるものが結ばれることになった。言志会の草稿たる「言志集」は鳴雪翁の手許にとどまり、その内容の一斑は後年翁が紹介されたことがある。文学的価値からいえば殆ど見るに足らぬものであるが、翁が俳句界に足を踏み入れる素地はこの間に作られたもののように思う。但当時は鳴雪と号するに至らず、南塘あるいは破蕉の号が用いられていた。

[やぶちゃん注:「内藤鳴雪」(弘化四(一八四七)年~大正一五(一九二六)年)は元伊予松山藩藩士、後に明治政府の官吏で俳人。本名は師克(もろかつ)、後に素行(もとゆき)と改名した。俳号鳴雪は訓の「なりゆき」で「何事も成行きに任す」の当て字という。ウィキの「内藤鳴雪」によれば、『伊予松山藩の上級武士内藤房之進と八十(やそ)の長男として、藩の江戸中屋敷に生まれ』、八『歳のときから父に漢籍を教わり、また、草双紙類を好み、寄席や義太夫も知った。なお、同時期に小使として出仕していた原田左之助(後の新撰組幹部で十番隊隊長。当時』十五、六歳)『と会っており、遊んで貰った事もあった』。安政四(一八五七)年、『父の転勤で一家の故郷松山に移り、藩校明教館で漢学を学び、また、剣術も習ったが』、「武」より「文」に優れたという。文久三(一八六三)年十七歳の時、『元服して師克を名乗り、幹部の卵として明教館に寄宿し、大原武右衛門(正岡子規の母方の祖父)に漢詩を学んだ』。翌年、『藩主の嗣子松平定昭の小姓となり、翌年の第二次長州征伐に従っ』ている。慶応三(一八六七)年、『隠居した前藩主松平勝成の側付とな』り『(春日)チカを娶』る。同年、命ぜられて『京都の水本保太郎の塾に学び、翌年』、『水本の転勤に従って東京の昌平坂学問所へ入寮した』明治元(一八六九)年、『松山に戻り、翌年から権少参事として明教館の学則改革に携わった』。明治一三(一八八〇)年三十三歳の時、『文部省へ転じ』、『累進して』『書記官・往復課長』・寄宿舎舎監(東京に学ぶ松山の子弟のための常磐会という寄宿寮)・『参事官兼普通学務局勤務』を勤め、明治二四(一八九一)年に退官したが、寄宿舎監督は続けた。『寄宿生の、正岡子規・竹村黄塔・その弟の河東碧梧桐・五百木瓢亭・勝田主計らに、漢詩の添削をしてやった』りしたが、翌明治二五(一八九二)年四十五歳の時、二十一も年下の子規の俳句の弟子となった

「服部嘉陳」常盤会寄宿舎初代監督。子規の縁戚でもあった。抹消歌であるが、この時の送別に詠んだ一首が、

 

 ほとゝぎすともに聞かんと契りけり血に啼く別れせんと知りねば

 

とされる。]

 五百木飄亭氏のことは前にちょっと述べた。飄亭、非風、それに藤野古白を加えた三人は、明治俳壇の先駆者として、最も早く居士の身辺に現れた人々である。その飄亭氏が上京して、常盤会寄宿舎の人となったのは、この年の五月であった。

 本郷の夜店に『風流仏』を発見して、大に愛読するに至ったのもこの年の秋であるらしい。はじめこの善が出版された当時、その文章のむずかしいことと、内容の面白いこととを説いた同室の友人というのは、新海非風ではないかと思うが、よくはわからぬ。居士は最初友人が『風流仏』を読むのを聞いて、その意味がよくわからず、とにかく人に解し難い文章を書く者は尋常でないと感じたところから、これを買ったのであった。『風流仏』は『書生気質』以後に以て、居士の深く傾倒した第一の小説である。『風流仏』に関しては後に改めて説かなけれはならぬが、ここではさし当り『風流仏』を夜店に得て愛読するに至ったことだけを記して置くことにする。

[やぶちゃん注:「風流仏」幸田露伴(慶応三(一八六七)年~昭和二二(一九四七)年:子規と同年)作の小説。明治二二(一八八九)年『新著百種』に発表。旅先で出会った花売りの娘に恋した彫刻師珠運の悲恋を描いた露伴の出世作。

「書生気質」既出既注の坪内逍遙(春廼屋朧)の小説「當世書生氣質」。]

原民喜についての私のある感懐

原民喜は昭和二六(一九五一)年二月号『女性改造』に発表した「遙かな旅」の中で(太字やぶちゃん。靑土社版全集を底本にしつつ、漢字を恣意的に正字化した)、
 
 

 翌年の春彼の作品集がはじめて世の中に出た[やぶちゃん注:先ほど、ここで全電子化注を終えた作品集「焰」。昭和一〇(一九三五)年三月白水社刊。自費出版。]。が、彼はその本を手にした時も、喜んでいいのか悲しんでいいのか、はつきりしなかつた。……彼が結婚したばかりの頃のことだつた[やぶちゃん注:貞恵との結婚は昭和八(一九三三)年三月。]。妻は死のことを夢みるやうに語ることがあつた。若い妻の顔を眺めてゐると、ふと間もなく彼女に死なれてしまふのではないかといふ氣がした。もし妻と死別れたら、一年間だけ生き殘らう、悲しい美しい一册の詩集を書き殘すために……と突飛な烈しい念想がその時胸のなかに浮上つてたぎつたのだつた。
 
 
 
と綴った(因みに、かく綴ったこの翌月の三月十三日、原民喜は鉄路に自らの体を横たえたのであった)。

 彼の妻貞恵は昭和一九(一九四四)年九月、重い糖尿病と肺結核のために亡くなった
 
 その十一ヶ月後、民喜は広島の実家で被爆した。
 
 原民喜の被爆を綴った「夏の花」の冒頭は(同前の仕儀で処理した)、
  
 
 私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケツトには佛壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を步いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名稱なのか知らないが、黃色の小瓣の可憐な野趣帶び、いかにも夏の花らしかつた。
 炎天に曝されてゐる墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく淸々しくなつたやうで、私はしばらく花と石に視入つた。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納まつてゐるのだつた。持つて來た線香にマツチをつけ、默禮を濟ますと私はかたはらの井戸で水を吞んだ。それから、饒津(にぎつ)公園の方を𢌞つて家に戾つたのであるが、その日も、その翌日も、私のポケツトは線香の匂がしみこんでゐた。原子爆彈に襲はれたのは、その翌々日のことであつた。
 
 
で始まる。これは無論、事実であるが、彼が被爆当日から起筆しなかったのは、決して題名「夏の花」のための小手先の伏線ではなかったことは言うまでもない。  
 彼の中の、
もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残らう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……


というかつての思いこそが、この書き出しを確かに選ばせたのである。

   *

 我々は原民喜を、専ら、「被爆文学者」「『水ヲ下サイ』の被爆詩人」として認知し、多くの読者はそれを当然のこととしている。恐らく、向後も彼は「原爆の詩人」として認識され続け、「被爆体験を独特の詩やストイックな文体で稀有の描出を成した悲劇の詩人」として記憶され続けることは間違いない。

   *
 
 彼の盟友であった遠藤周作が四十年以上前のTVのインタビューの中で、原民喜のことを回想し、
 
――戦後、一緒に神保町を歩いていた時、彼がいなくなったので振り返ってみたら、立ち止まった彼が、交差点の都電の架線から激しく迸る火花を、固まったようになって、凝っと、見つめ続けているのを見出し、被爆の瞬間が彼の中にフラッシュ・バックし続けている、と強く感じた――
といった思い出を述べておられたのを思い出す。

   *

 原民喜は妻の死によって激しい孤独と悲哀のただ中に突き落とされた。それは、一年後には死のう、という嘗ての自身の思いを現実の目標とするほどに鞏固な痛烈な覚悟であったと私は思う。

 しかし、その一年後の彼の定めた生死の糊しろの部分で、恐るべき原爆体験が彼を襲ったのであった。
 
 しかも、戦後、彼は「夏の花」以後の著作を以って、文壇や読者や文化人らから「被爆詩人」「原爆文学者」という名を奉じられてしまった。
 
 愛妻貞恵の死から生じた死への傾斜に加え、それに意識上、不幸にして直結する形での被爆の地獄絵の体験は、彼をして激しいPTSDPost Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)に陥らせたことは、最早、誰も否定しないであろう。遠藤の見たそれは、まさにその病態の一つであると私は思っている。

   *
 
 私は何が言いたいのか。
 
 それは、彼を自死に追い込んでしまった責任の有意なある部分は、彼を純粋な詩人・小説家としてではなく、悲惨で稀有な被爆体験をした「悲劇の被爆文学者」としてレッテルし、彼に対し、意識的にも無意識的にも、そうした「被爆文学」の「生産」を要請し続けた文壇や文化人、ひいては、そうしたものを求め続けた我々読者にこそあったと私は思うのである。

 彼は確かに被爆以前から、愛妻を失ったことによる自死願望があったし、さらに溯れば、それ以前、独身時には、放蕩の末の、昭和七(一九三二)年夏の、長光太宅での発作的なカルチモン自殺未遂などもある。
 
 しかし、だからと言って、我々の恣意的な彼への被爆詩人レッテル化という決定打が正当化されるわけではない。

 彼は決して著名な「原爆詩人」などにはなりたくはなかった

 彼は――悲しい美しい一冊の詩集を書き残した一人の孤独な詩人――としてこの世から消えて行きたかったのである。「雲雀」のように…………
 
 それをかくも祭り上げてしまったのは――我々読者――である。
 
 我々は――詩人原民喜を虐殺した一人――なのである。
 
 我々はその償いのためにも――被爆以前の詩人原民喜を――原爆関連作品以外の作家原民喜にもスポットを当て――味わい――後代へと継ぐべき義務と責任がある――
 
私は今、大真面目に、そう考えているのである。
 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 焰 / 原民喜作品集「焰」~了

 

 

 

 雪が溶けて、しぶきが虹になつた。麥畑の麥が舌を出した。泥濘にぺちやぺちや靴が鳴る。をかしい。また春がやつて來る。一年目だ。今度こそしくじつたら臺なしだ。だけど三百六十五日て、やつぱし、ぐるりと𢌞るのだな。イエス・クリストよ。ヨルダンの河てどんな河なのかしら。

 

 たつた二三時間、二三枚の紙に書いた、書き方が下手くそだつたので、一年間遲れるんだよ、僕は。それが負け惜しみと云ふものだ、と矢口が云ふ。矢口はもうすぐ中學へ通ふのだから僕より偉(えら)がるのだ。話を變へなきやいかん。君の今度はいつた中學のポプラは素敵だね、大きいね。いいや、一寸も大きかないさ。もつと大きいのが何處にだつてあるさ。ちよ、楯突いて來るのだな、僕が落こちたから、馬鹿にされるのだな。仕方がない、もうすぐお別れなのに、名殘惜しがらないのだな。オヤ、あんなところに目高がゐるよ、君。

 

 やい、やい、試驗に落ちた大目球、一年下の三浦が皆の前で冷かした。三浦の柔かさうな頰ぺたを視つめながら、康雄はポケットのなかの拳骨(げんこつ)を握りしめた。しかし、ぶつ放さなかつた。[やぶちゃん注:「ポケット」はママ。]

 

 外でも家でも康雄は面白くなかつた。家では母に癇癪玉ぶつ放した。切出小刀を摑んで切腹しかけると、母が火のやうに怒つて飛びかかる。小刀が落ちて炬燵の角で頰を打つた。それが痛さに康雄は泣く。死んだらもつと痛いのかなと思ひながら炬燵で足を溫める。すると何故さつき自棄起したのか、忘れてしまふ。中學が一年遲れたこと位どうだつていいぢやないか、趾の裏が今溫い方が氣持がいい。

 

 康ちやんのいけないのは何だと思ふ。さあ、澤山あると思ふ。そのうちでもよ。さあ。忍耐強くないことよ。さう云つて姉は大切なことを説き出した。それが何時の間にか、アダムとイブの傳説に移り、クリストの話になつてゐた。汝の敵を愛せよとクリストは仰(おつしや)つたのです。大きな愛の心でこの世を愛すると、何も彼も變つて來ますよ。

 その話を聽き終つてから康雄の頭は急にすつきりした。姉の病室を出て、病院の庭を散步してみたら、中央の池のなかの芝生の島に、女の兒がハンケチを持つて、風にゆらぐハンケチに犬が戲れてゐた。繪のやうだ。なるほどこいつは世の中がさつきとは變つた。再び姉の病室へ戾ると、ペットに橫になつた姉は大きな眼で康雄を視つめた。姉は靑空のやうに澄んだ眼をした。さうだ、これからは何でも怺(こら)へて、姉さんの云ふ通りにならう、と決心すると康雄は胸が小躍りして來た。

 その夕方家へ歸る途中も、胸の鼓動は病院からひきつづいてゐた。細く遠くまで續いた街の果てに、春の夕方の雲が紅く染まつてゐた。その筒のやうな街を急いでそはそはと康雄は步いた。神樣てものはあつたのだ。長い間の疑問が解けて來た。康雄はそはそはする空氣のなかで、始めて密かに祈つた。と、小路から三浦が追駈けて來て康雄に聲を掛けた。三浦はニコニコ懷しげに彼を見た。たつたこの間撲らうかと思つた奴だが、康雄も笑顏になつた。

 

 臺所で康雄は姉にだけ打明けた。僕はこれから優しくなるよ、誰とも喧嘩しないし、君だつていぢめない。小さな姉は不審さうに默つて彼を眺めてゐた。が、二三日して妹はふと云つた。ほんとね、兄さんは大分變つた。さう云はれると康雄は急に偉くなつたやうに嬉しかつた。家の手傳ひでも、掃除でも素直にした。三度の食事の前に祈り、朝夕も祈つた。

 

 春休みが過ぎて學校が始まつた。高等一年の組は二階だ。新しく編入された康雄は識つた顏が少ない。高が康雄の顏見て肯いた。君もゐたのか、二人は運動場の隅つこで話合つた。芭蕉が芽を出してゐた。君、聖書つてもの知つてるかい。知つてるとも、聖書なら僕のうちにあるんだよ。ほんとかい。ほんとだとも、何なら明日君に持つて來てあげるよ。呉れるのだね。うん。高は孤兒(みなしご)だと云ふ噂だが、聖書持つてるとは思へなかつた。それで君は信者かい。ううん、ちがふよ。高は靑白い顏にぼんやり淋しさうな笑みを浮べた。

 翌日高はほんとに聖書を持つて來た。クロース張りの、小型の、赤緣(ふち)のバイブルは康雄のポケツトに納められ、表紙を爪で小擦ると、ビユー・ビユーと唸つた。

 

 晝飯の時間に級長が授業料を集めて𢌞つた。次の時間の始めにそれを舟木先生に渡さうとすると、さあ五拾錢足りない。集めた時には勘定が合つてたのに、休みの時間に足りなくなつたのだ。四十人の机の隅から教壇の端まで探して、今度は身體檢査だ。皆が廊下に一列に竝んで、先生がポケツトを裏返しにする。康雄のポケツトからはバイブルが出て來た。先生は表紙をぽんと指で彈いて、君これ讀むのかいと訊ねた。ベルが嗚つた。次の時間は體育だ。皆運動場へ立たされた。またベルが鳴つた。先生は怒つてゐた。出て來るまでは皆歸さないぞ、たつた一人いけない奴がゐるのだ、誰だかそいつはわかつてる筈だ。しかし誰も返事しない。皆濟まなさうな顏だ。舟木先生の後にはアカシアの樹があり、その梢に白いちぎれ雲がある。神樣! と、ぢりぢりし出して康雄も祈る。僕が皆の犧牲(みがはり)にならうかしら、でも盜んでゐないのに盜んだとも云へないし、ええ、一そのこと僕が盜んでやればよかつた。

 

 今、君とこの前でこの拾錢拾つたよ。日曜日に高が康雄の家を訪ねて來た。警察へ持つて行かうか。めんどくさいから菓子買つて食はうよ。二人はぶらぶら盛り場の方へ步いて行つた。博覽會で人出が多い。バナナ・キヤラメルを買つて分けた。頰をもごもごさせながら矢口の家へ行つて物干棚に登つた。隣りの活動小屋からチヤンバラの囃子が聞えた。矢口は英語のリーダーを出して二人に見せた。つるつる白い紙に眞赤な苺の繪があざやかだ、その端にべつたりインクの指紋がついてゐる。物干棚の上を大きな鳥が飛んだので影が本に映つた。と、紋白蝶がヒラヒラ飛んで來た。

 

 君はこの蟲眼鏡知らないか。知りません。理科教室に一人で勝手に入つたことはなかつたか。ありません。山野と今日晝休みに遊んでたのだらう。さうです。康雄は不思議さうにその蟲眼鏡を見た。あれで習字の字が燒けるのだがなあ、しかし如何した間違ひだらう。よろしい、山野はこれが君のポケットから落ちたと云ふのだがね、よろしい、君は歸つてよろしい。舟木先生に許されると、康雄はどうして一人殘されたのかまだ不審だつた。山野と今日廊下で縺れ合つて巫山戲たのはほんとだが、すると蟲眼鏡が落ちたのかしら。すると僕は賊なのかしら。すると僕は知らぬ間に賊になつたのかしら。いや、うかうかするとなるかも知れぬ。もし來年の入學試驗に失敗したら、それこそ駄目になるぞ。しかしほんとに勉強しさへすれば中學へ入れるのかしら、それはほんとかしら……。康雄が考へつめながら歸つてゐると橋の袂で女學生と出逢つた。もと同級だつた女の子が急に大人びて、風呂敷包みなんか抱へてるではないか。女の子は胸をまつ直ぐにして步いて來て彼を見ても素知らぬ顏だ。康雄は尻にブランブランするカバンを情なく思ひながら、橋の欄干をトントンと掌で叩いて、河のまん中に唾(つば)吐いた。もう何度この橋渡らなきやならぬか、渡る度に思ふことを思つた。[やぶちゃん注:「ポケット」はママ。]

 

 然れど我なんぢらに告げん、婦女を見て色情を起すは心すでに姦淫したる也。姦淫てどう云ふことなのか、康雄は變な氣がした。

 

 母が姉の病院へつききりで昨日から歸つて來なかつた。その夜も歸つて來ない。夜更けて康雄は睡れなかつた。トントンと表の戸を叩く音がする。女中が出て行つた。なくなられました、と云ふ聲がする。康雄は急に蒲團のなかに頭を潛らせた。女中が彼を搖ると、彼はううんと態と呆(とぼ)けた返事をした。

 姉は骨になつて桐の小箱に收められた。骨のなかに混つてゐる金齒を掌にすると、義兄もほろりと淚を零した。葬式にまつ白な百合の花環に黑いリボンが結ばれてゐた。白い花瓣は五月雨に濡れた。雨に煙る銀杏樹や、寺の大きな甍を仰ぎながら、康雄は姉が天國へ行くのを懷つた。しかしそこは眞宗の寺だつた。

 

 蓮華町の角からこの間の晩人魂がふわりふわり出てね、と教室で誰かが喋つてゐた。雨の休み時間で皆は教室にゐた。蓮華町には姉の墓がある。康雄は姉がその人魂ではないのかしらと思つた。姉は西洋の小さな風景畫を持つてゐたが、靑い夜空に茫とした白い塊りが浮いてゐる、それを姉は幽靈だと云つて怖がつてゐた。夏の夜など康雄に怖しい話を語つて聞かせながら、ふと月の光が籐椅子の縞を彼女の白い肘に染めてゐるのに氣づくと、蛇ではないかとほんとに怖れるのだつた。腹に水の貯る病氣で死んだ姉、よくものを怖れた姉、まさかその姉が幽靈になりはすまいが、康雄は不思議な氣がした。彼の父は姉より二年前に死んでゐた。つぎつぎに死ぬる、死んでどうなるのか。天國を信じようとしても、もう以前のやうに氣持がすつきりしなかつた。

 

 夏が來て、東京から兄と嫂が歸つて來ると、妹と母と五人で遠くの溫泉へ行つた。濃い色の海がすぐ宿屋の二階の緣側から斜に見えた。正面には山が見え、一きは恰好のいい山が一つ、その靑い肌には靄が何時も動いてゐた。下の通りを瞰下すと、店頭の九官鳥を人が立留つては興がつてゐた。絶えず人が通つた。ある夕方皆がおばしまに凭れて下を眺めてゐると、めかした小肥りの女が女の兒に風船玉を持たせて通つた。淫賣だよ、と兄が嫂に呟いた。淫賣、その言葉の響が康雄には變に思へた。

 夜の海岸は艷歌師や香具師で賑やかだ。康雄の妹ぐらゐの幼い女の兒が、三味線に合はせて、身をくねらせて踊る。その顏が白粉でまつ白だ。意味は康雄にははつきりしないが、何だか恥しさうなことを、この娘は平氣で踊るので、それが厭らしいやうにも、可愛想にもなる。大人達は平氣で相好を崩す。時には彼も大人の眞似をしてニヤニヤ心で笑つてみたりするのだ。

 

 まだその溫泉に浸つてゐるやうな氣がした。と、夏の日の出來事が急行列車のやうに康雄の頭を通過した。ピイと汽笛が鳴る。これはほんとに汽車かな、と思ひながら暫く頭が茫とする。今度は三味線がぽつんぽつん鳴つて、女達が奇てれつな踊りをする。小娘の癖におつぱいがぶらぶらしてゐる。乳豆から矢鱈に數字が飛出して、その數字の加算は暗算では出來ない。バカ、バカ、バカ、と外を裸馬が走る音が、バカと罵る。

 しばらくすると康雄の熱は下つた。すると今度は寢てゐる枕頭の夕ぐれの襖が眼に佗しい。彼は母を呼んで電燈を點けてもらふ。耳が冴えて小さな物音が一つ一つはつきり聽取れる。たつた今風邪藥をもらひに出掛けて行つた女中の下駄の齒が敷石に觸れてくくくと云つてゐる。外は寒いのに出掛けるのはつらいだらう。ねえやんも寒いのに外にお使ひに出るのは退儀ぢやないかしら、と康雄は大きな眼で母を視つめる。それは退儀でもさうしなきや仕方がないもの……と母が答へる。

 つまり世の中は金だよ、金さ、金さ、何も彼も金さ、と吉田が云ふ。金と女さ、と山野が云ふ。康雄は解つたやうに笑ふ。高も笑ふ。日あたりのいい、風のあたらない校舍の隅で四人が議論してゐるうちに、山野はボタンを一つ捩ぎ除つた。あは、うまくとれちやつた、裁縫室へ持つて行つて女の兒につけてもらはう。山野がおどけた顏で走つて行く。吉田もついて行く。しかしクリストはあんなこと云はなかつたよ、と康雄は高に囁く。高は曖昧に笑ふ。孤兒の高はひよわい身體してゐるし、時々どこか皆と異つた不思議な表情をするのだつた。

 

 正月が過ぎて齡が一つ增えると、もううかうか出來なかつた。しかし試驗にはどうせ六年生に出來る問題が出る筈だから、それが甘げつたらしい。甘げつたらしいのに失敗つたら猶更、阿呆だ。しかし、イエス・クリストよ、何故中學校なんかあるのかしら、天國にもやはり學校なんかあるのかしら。康雄は高が少し羨ましい。高は中學へ行かないですぐ世間で働くさうだ。その方が氣樂かも知れないが、何だか怖いやうな氣もする。豆を嚙りながら新聞を讀んでゐると、強姦て活字がある。よくは解らないが、世の中は罪惡だらけらしい。

 

 吉田が藝者にやるのだと云つて、變なことを紙に書いてゐる。皆がそのまはりを取卷いてワイワイ笑ふ。吉田はいよいよ圖に乘つて鉛筆を舐める。そこへ舟木先生が音もなくやつて來た。その手紙を捩ぎ取ると、先生は教壇へ上つた。先生の顏がさつと變つた。さあ説教だ、と皆は待ち構へて席につく。しかし先生は暫く口をきかないで一同を睥んでゐる。大變な劍幕の上に、大變なことを云はうとするらしい。

 變だ、變だと思つてたら、矢張り大變なことだつた。皆この頃どうかしてるのだな。實に恐しいことだ。何故君達は小學生の癖に女なんてことを考へるのだ。ええ、君達はまだ面白半分に誰か馬鹿野郎の眞似してるのだらうが、これだけはよく知つて置き給へ。君達も近いうちに世の中へ出るのだから、よくよく憶えて置き給へ。凡そ世の中から落伍したり失敗したりする人間は、すべてみんな女が原因(もと)なのだ。人間が腐敗したり、墮落する第一步はみんな、みんな女からなのだ。とにかく女は敵と思つてゐれば間違ひはない。實際恐しいことだ。君達の年頃でもう女の何のて以ての外だ。それから吉田、君は今日殘つてゐ給へ。

 

 康雄は四疊半の勉強部屋に坐つてゐた。生暖かい雨がぼたぼたと軒を打つ夜だ。風が吹くと雨の音がさあつと亂れる。その風も暖かい。湯上りの所爲ばかりではなく、二月と云ふのにまるで春のやうな、雨の音を聞いてゐると何だか恍惚(うつとり)とする。庭の草もこれで芽を出すのだらう。雨がぺちやぺちや枯木を舐めてゐる。いや雨はぺちやくちや喋つてゐるのだ。そのお喋りを聽いてゐると、試驗準備のことを忘れる。眼の前の靑い壁は電燈の明りで雲母の破片がキラキラ光つて、まるで大空の星のやうだ。神樣、僕に贔屓して試驗を合格させ給へ。ええ、くそ、ふんわり、ふんわり歌でも唱ひたくなる。この間街角で犬が交尾してゐた。犬は鼻を笛のやうに鳴らしてた。しかし僕は羽根が生えてふんわりふんわり飛んで行きさうだ。羽根が生えたら天使ぢやないか。天使の顏はみんな女で、眼なんかまるで夢のやうだ。雨の音がひどくなつた。縋つてゐる机が何だか船のやうに想へる。船は溫泉場を後に夜の海を進んだ。まつ黑な波が舷に嚙みついて、その船が搖れた。大きな波と波の谷間に人魂が出た。その靑い光が姉の顏になつた。姉さん、御免よ、――しかし何を詑びてるのかはつきりしない。アーオ、アーオ、おや、この雨に猫が屋根で啼いてやらあ。

 

 吉田が眞先に走つて山野と康雄と高が續いた。早く行かないと燃えるところが見えないてので、皆一生懸命だ。火葬場の繩張りのところへ來ると、康雄はハアハアと呼吸をきらせた。呼吸がきれて咽喉がヒリヒリした。しかし火事はまだ終つてゐなかつた。柱がみんな黑焦げになつて、壁が落ちて向ふが透いて見えた。焰がめらめらとあちこちから舌を出す。晝の火事で陽炎が出來、空が不思議に美しく見える。四人とも感心して聲を放たぬ。やがて焰が全部消え、消防が去ると、四人は始めて歸らうと氣づいた。夜の方が奇麗だね、と高が云ふと、×××××××××××、と吉田が云つた。火事場の陽炎がまだちらちらと眼の前にあるやうな氣持で、康雄は何も云はなかつた。

 

[やぶちゃん注:本篇を以って原民喜作品集「焰」は終わる。作中、康雄の姉が亡くなるシークエンスが出るが、これは原民喜の次姉ツル(大正七年没)を失った経験に基づく。「五月雨」とあるから、一度、中学受験に失敗した(後注参照)同年の五月のロケーションである。

「自棄起した」「やけおこした」。

「もし來年の入學試驗に失敗したら」事実、原民喜は大正七(一九一八)年三月に、県立広島師範学校付属中学校の入試に失敗している(同年四月に広島師範学校付属小学校高等科に入学後、翌大正八年四月に再受験して合格した)。

「彼の父は姉より二年前に死んでゐた」原民喜の父信吉は大正六(一九一七)年二月に胃癌のために亡くなっている。二年は数えとすれば、不審ではない。

「捩ぎ除つた」「もぎとつた(もぎとった)」(捥ぎ取った)と訓じていよう。

「甘げつたらしい」「あまげつたらしい(あまげったらしい)」と訓ずるか? 「(如何にも)あまっちょろい(問題)」の謂いか?

「睥んで」「にらんで」。睨んで。

「舷」「ふなばた」或いは「ふなべり」と訓じておく。

「×××××××××××」不詳。子どもの台詞で、検閲による伏字とも思われない。原民喜自身による意識的な伏字と採っておく。]

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 四五ニズム述懷

 

 四五ニズム述懷

 

 四五ニズムも今では想ひ出になつてしまつたが、ああ云つたものは何時の時代にも何處かで存在してゐるのではないかと僕には思はれる。それで四五ニズムに就いて少し改めてメモを作つてみる。

 まづ四五ニズムの語義から明かにすべきだが、これは四五人のグループに於いて自づから相互間に發生した風習又は雰圍氣とでも呼ぶべきものだらう。ただし、四五ニズムと云ふ言葉が出來た頃は既に四五ニズムは衰微しかけてゐた。四五ニズムの語源は勿論、四五人會と云ふ言葉から出た。ところで、四五人會と云ふのは四人だか五人だかはつきりしないグループで、時折、四五人會雜誌と稱する勝手な囘覽雜誌を發行してゐた。その雜誌も第十何號か續いたのだが、今は全部散佚し、紛失してしまつて、僕は知らない。

 何しろ當時はみんな二十三四の學生で、駘蕩たるものがあつた。例をあげるとかう云ふ事がある。僕は三田の下宿でスウエデンボルグを讀みかかつた。或る夜夢のなかで天馬の呼び聲がしたので目が覺めると、枕邊には彼の幻影が遠のいて行くのだ。それ故、僕は天馬と逢ふと早速云つた、「君の大戀愛も大變なことになつたね、君の靈魂は昨夜夜なかに巢鴨を拔け出して、橫濱の女學校の方へ赴いた形跡があるよ。そしてどうも君は歸りに田町驛で途中下車して僕のところへ來たらしい。僕が夢から覺めた時、全く君は悄然とした姿で消えて行つたからね。」この話は早速天馬から月狂へ、月狂から吉士へ傳はつて、吉士は僕の荒唐無稽さを鬼の首を獲つた如く欣び勇んだ。

 吉士、月狂、天馬と僕との四人が集まつて句會でもやる時にはきまつて誰か一人が遲れるか缺席した。すると、そいつの惡口が絶えず話題にのぼつた。句會がはねて、喫茶店でお茶でも飮んで、その次はさてどうするかと云ふことになると、皆で二三十分も迷つた。卽ち催眠術にかかつてしまふのであつた。

 吉士と僕とはよく四國町の小路をぐるぐる步いた。「君は肺病になるぞ。」「君こそ今に喀血するよ。」「ぢやあ三十までに血を吐いた方が百圓出すことにしようか。」「しかし妙なものだね、僕は割に死なないよ、第一頭が餘計な心配しなくたつて、身體は疲れたら睡るし、だるけりや動かないし、自然にうまく調節してくれるので、つい感心してしまふ。」さう云ひながら二人は四つ角に來て、どちらへ行くべきか立留つたが、差當りいい智慧もなかつた。そこで眼の前の看板の文字を數へてみて、奇數だつたら左へ、偶數だつたら右へ折れることにした。

 月狂は醉ぱらつて神樂坂の乞食に煙草の輪を吹きかけて、衆目を集めると、諸君、人間は無限に生きる必要はないのであります、と、「マクロホウロス家の祕法」の科白(せりふ)のうろ憶えを一くさり演説した後、やあ諸君、と嬉々として袂別するのであつた。

 蛾眉は田舍の方から時々消息文を送つて來たが、蓄膿症はつらいとか、徽宗皇帝の繪がいいとか、美人に愛されたいとか、浮世の愚痴を織り混ぜてゐた。

 一夜、僕は睡れないので、警句のつもりで作つたのをまだ少し憶えてゐる。「絶望はアジア大陸よりも大きい。」「大きな船に乘つたつもりで疑へ。」「意識的に睡れるか。」「不眠症のときの淚はいたい。」

 吉士もよく不眠症になつたとみえて、闇のなかで寢返りをすると骨がポキリと鳴る音や、窓の外の犬が首環の金具を搖らがす音を聽いて、何とまあ現身(うつそみ)はかなしいものであるわいと云ふやうな文章を雜誌に掲げたことがある。

 天馬はいろいろ説を爲したがつた。有學説――つまり人は學問が大切だと云ふ論旨だつた。萬葉調美人――燒き滅ぼさん何とか、と云ふ情熱を持つた肥つた女のことらしい。大戀愛――ゲエテの戀がそれである。宇宙的苦惱――人麿の歌にはそれが漲つてゐると云ふのだ。僕が宇宙的趣味ぢやないかと云つたら、君は不眞面目で語るに足らないと云はれた。

 月狂は人間はつまり壁によりかかると云ふことをよく云つた。喫茶店へ入つても大概の奴が無意識に壁の方へくつつくのがそれで、結局人間は何か安定感を絶えず求めてゐるのださうだ。又、彼はアルツイバーセフの小説に、蟹が死んだ人間の腦髓を鋏で捩取つては喰つてゐる描寫を、無性に痛快がつたりした。

 四五人の間で頻繁に流通した言葉が可也あつた。モモンガ、富士山のバカ。老境。女童(めわらは)。オルガニイズム。なまけ道具。Vitality ――別にこれらは重要でないから註は省く。

 四五ニズムによる表現法とは凡そ次の如きものを謂ふのである。

 ○人間は牛や魚を食べて、難しさうな顏をしてゐるからをかしい。

 ○龜は馬鹿さ、噓だと思ふのなら芝公園の池で日向ぼつこしてゐるから見て來給へ。

 ○ベートーヴェンよ、ボオドレエルよ、李太白よ、ニーチエよ、釋迦牟尼よ、マリアテレサよ、(と偉い人の名前をやたらに竝べ)君は光だ、君は力だ、君は命だ、翼だ、軍艦だ、鯨だ。(などと結ぶ。)

 

 四五ニズムと云ふのも矢張りもやもやつとした一つの壁だつたのかも知れない。お互が顏を逢せば、忽ち暗默裡にいろんなことを了解し合つたので、時々僕達こそ選ばれたる種族ではないかと自惚れた。そしてお互の對比と配合が見れどもあかぬ趣きを持つてゐたので、ほのぼのとしてそこの空氣に浸つてゐることは誠に湯加減がよかつた。

 では何故、この四五ニズムが僕達の間から衰微して消滅したかと云ふに、それには種々の錯綜した事情もあつたが、(ここで再び四五ニズムの表現を用ふれば)つまり友情のマンネリズムに厭(あき)が來て、皆が戀愛に走り出したためである。そして今ではお互はちりぢりばらばらになつて、おのがじし女房のかたはらで暮してゐるのである。

 

(追加)四五ニズムに季があるかと考へてみたら、どうも初冬の部に屬するものらしい。下宿屋の四疊半で火鉢を圍んで四五人が鯛燒をかぢりながら猥雜なことを喋つたり、興じたり、嘆じてゐる光景は今にも初冬になると想ひ浮んで來る。吉士の句に、

   四五人の話杜絶えし火鉢かな

 

[やぶちゃん注:「四五ニズム」既注であるが、本文にも出る通り、原民喜二十一歳の大正一五(一九二六)年の暮れに創った手書き原稿回覧雑誌『四五人會雜誌』があり、この同人は青土社年譜によれば、原民喜の他、彼の盟友たちである熊平武二・長光太・山本健吉・銭村五郎の五人(四、五人の寄合)であったから、まずはこの文学志向グループ内部でのグループ通称(文学思潮名を洒落た)と考えてよかろう。但し、ここで言う「吉士」・「月狂」・「天馬」・「蛾眉」がそれぞれこの五人の中の誰なのかは不詳であるし、外されている風の五人目が誰なのかもよく判らない。「四五ニズム」は篇中に現われる例文からは「アフォリズム」のパロディと考えてよかろう(「四五ニズム」の「四」は「フォ」を「4」に掛けた洒落かも知れぬ)が、最後に「季」を問題にしている辺りからは、「五」は俳句の上・下五で雑俳や川柳的ニュアンスも含まれていると推定され(原民喜は俳句も好んだ。私の原民喜句集「杞憂句集」を参照されたい)、そこで「頻繁に流通した言葉」という部分からは、所謂、バレ句の臭いもプンプンして来るとは言えよう。或いは、「四五」は無意味な数字順列で「ダダイズム」のパロディと採ることも可能であろう。

「スウエデンボルグ」スウェーデンのバルト帝国出身の博物学者・神学者エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg  一六八八年~一七七二年)で、現在、本邦ではその心霊学や神智学関連の実録や著述(主要なものは大英博物館が保管)から、専ら、霊界関係者に取り沙汰される傾向があるが、その守備範囲は広範で魅力的である。以下、ウィキの「エマヌエル・スヴェーデンボリ」より引用する(一部の記号を変更、追加した)。父は『ルーテル教会の牧師であり、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した』人物で、エマヌエルは『その次男としてストックホルムで生まれ』た。何と、十一歳で『ウプサラ大学入学』、大学を卒業後(二十二歳)は、『イギリス、フランス、オランダへ遊学』、二十八歳の時にカール世により『王立鉱山局の監督官にな』った。三十一歳で『貴族に叙され、スヴェーデンボリと改姓』、『数々の発明、研究を行ない』、『イギリス、オランダなど頻繁にでかけ』たが、一七四五年に『イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まり、以後』、『神秘主義的な重要な著作物を』、『当初』は『匿名で、続いて本名で多量に出版した。ただし、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、スヴェーデンボリという人材を重視した王室の庇護により、回避された。神秘主義者への転向はあったものの、スウェーデン国民及び王室からの信用は厚く、その後国会議員にまでなった。国民から敬愛されたという事実は彼について書かれた伝記に詳しい。スヴェーデンボリは神学の書籍の発刊をはじめてからほぼイギリスに滞在を続け、母国スウェーデンに戻ることはなかった』。『スヴェーデンボリは当時』、『ヨーロッパ最大の学者であり、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などで、結晶学についてはスヴェーデンボリが創始者である。動力さえあれば』、『実際に飛行可能と思えるような飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いたのはスヴェーデンボリが』二十六『歳の時であり、現在』、『アメリカ合衆国のスミソニアン博物館に、この設計図が展示保管されている』。『その神概念は伝統的な三位一体を三神論として退け、サベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり』、『受難したというものである』。但し、『聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異な』り、『聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。また』、『スヴェーデンボリはルーテル教会に対する批判を行い、異端宣告を受けそうになった。国王の庇護によって異端宣告は回避されたが、スヴェーデンボリはイギリスに在住し』、『生涯スウェーデンには戻らなかった。 彼の死後、彼の思想への共鳴者が集まり、新エルサレム教会(新教会 New Church とも)を創設した』。『スヴェーデンボリへの反応は当時の知識人の中にも若干』、『散見され、例えばイマヌエル・カントは「視霊者の夢」中で彼について多数の批判を試みている。だが』、『その批判は全て無効だと本人が後年認めた事は後述する。フリードリヒ・シェリングの「クラーラ」など、スヴェーデンボリの霊的体験を扱った思想書も存在する。三重苦の偉人、ヘレン・ケラーは「私にとってスヴェーデンボリの神学教義がない人生など考えられない。もしそれが可能であるとすれば、心臓がなくても生きていられる人間の肉体を想像する事ができよう。」と発言している』。『彼の神秘思想は日本では、オカルト愛好者がその神学を読む事があるが、内容は黒魔術を扱うようなものではないため自然にその著作物から離れていく。その他、ニューエイジ運動関係者、神道系の信者ら』『の中にある程度の支持者層があり、その経典中で言及されることも多い。新エルサレム教会は日本においては東京の世田谷区にあり、イギリスやアメリカにも存在する』。『内村鑑三もその著作物を読んでいる』が、彼及びその支持者の思想を『異端視する向きが』あることも事実で、『一例として、日本キリスト教団の沖縄における前身である沖縄キリスト教団では、スウェーデンボルグ派牧師(戦時中の日本政府のキリスト教諸教会統合政策の影響からこの時期には少数名いた)が、戦後になって教団統一の信仰告白文を作ろうとしたところ、米国派遣のメソジスト派監督牧師から異端として削除を命じられ、実際削除されるような事件も起きている』と記す。スヴェーデンボリは『神の汎神論性を唱え、その神は唯一の神である主イエスとしたのでその人格性を大幅に前進させており、旧来のキリスト教とは性格的・構造的に相違がある。スヴェーデンボリが生前公開しなかった「霊界日記」において、聖書中の主要な登場人物使徒パウロが地獄に堕ちていると主張したり』、『同様にプロテスタントの著名な創始者の一人フィリップ・メランヒトンが地獄に堕ちたと主張はした。だが、非公開の日記であるので、スヴェーデンボリが自身で刊行した本の内容との相違点も多い。この日記はスヴェーデンボリがこの世にいながら』、『霊界に出入りするようになった最初の時期の日記であるため、この日記には、文章の乱れや、思考の混乱なども見られる。なお、主イエスの母マリアはその日記』『に白衣を着た天国の天使としてあらわれており、「現在、私は彼(イエス)を神として礼拝している。」と発言している』。『なお、スヴェーデンボリが霊能力を発揮した事件は公式に二件程存在し、一つは、ストックホルム大火事件、もう一つはスウェーデン王室のユルリカ王妃に関する事件で』、これは心霊学の遠隔感応として、よく引き合いに出されるエピソードである。『また、教義内の問題として、例えば、霊界では地球人の他に火星人や、金星人、土星人や月人が存在し、月人は月の大気が薄いため、胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって言葉を発するなどといった、現代人からすれば奇怪でナンセンスな部分もあり、こうした点からキリスト教徒でなくても彼の著作に不信感も持ってみる人もいる』。『彼の生前の生き方が聖人的ではない、という批判もある。例えば、彼より』十五『歳年下の』十五『歳の少女に対して求婚して、父親の発明家ポルヘムを通して婚姻届まで取り付けておきながら』、『少女に拒絶された。 また、生涯独身であったわけだが、若い頃』、『ロンドンで愛人と暮らしていた時期がある、とされている。しかし』、『主イエスから啓示を受けた後、女性と関係したという歴史的な事実は全くない。次にスヴェーデンボリは著作「結婚愛」の中で未婚の男性に対する売春を消極的に認める記述をしている。倫理的にベストとはいえないかもしれないが、基本的にスヴェーデンボリは「姦淫」を一切認めていない。一夫多妻制などは言語道断であり、キリスト教徒の間では絶対に許されないとその著述に書いている』。『スヴェーデンボリは聖書中に予言された「最後の審判」を』一七五七年に『目撃した、と主張した。しかし』、『現実世界の政治・宗教・神学上で、その年を境になんらかの変化が起こったとは言えないため、「安直である」と彼を批判する声もある』。『哲学者イマヌエル・カントは、エマヌエル・スヴェーデンボリについて最終的にこう述べている。『スヴェーデンボリの思想は崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である、と』(K・ ペーリツ編「カントの形而上学講義」から)。『哲学者ラルフ・ワルド・エマソンも、エマヌエル・スヴェーデンボリの霊的巨大性に接し、カントと同様、その思想を最大限の畏敬の念を込めて称えている』。以下、スヴェーデンボリから影響を受けた著名人として、ゲーテ・バルザック・ドストエフスキイ・ユーゴー・ポー・ストリンドベリ・ボルヘスなどの名を挙げてある。『バルザックについては、その母親ともに熱心なスヴェーデンボリ神学の読者であった。 日本においては、仏教学者、禅学者の鈴木大拙がスヴェーデンボリから影響を受け』、明治四二(一九一一)年から大正四(一九一五)年まで『数年の間、スヴェーデンボリの主著「天国と地獄」などの主要な著作を日本語に翻訳出版しているが、その後はスヴェーデンボリに対して言及することはほとんどなくなった。しかし彼の岩波書店の全集には、その中核としてスヴェーデンボリの著作(日本語翻訳文)がしっかり入っている』とある(国立国会図書館近代デジタルライブラリーでエマヌエル・スヴェーデンボリ鈴木大拙訳「天界と地獄」が画像で読める)。なお、夏目漱石の「こゝろ」では、Kが彼に興味を持っており、それを「先生」に語り出すシーンがある(リンク先は私のブログ版初出復刻版)。

「マクロホウロス家の祕法」作者も書名も不詳。識者の御教授を乞う。戯曲か?

の科白(せりふ)のうろ憶えを一くさり演説した後、やあ諸君、と嬉々として袂別するのであつた。

「徽宗」北宋の第八代皇帝徽宗趙佶(きそうちょうきつ 一〇八二年~一一三五年)。ウィキの「徽宗によれば、『政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、水滸伝のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が頻発した』が、『書画の才に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われる』とある。リンク先で肉筆画が見られる。

「アルツイバーセフ」十九世紀末から二十世紀初めのロシア文壇を代表する作家ミハイル・ペトローヴィチ・アルツィバーシェフ(Михаил Петрович Арцыбашев 一八七八年~一九二七年)。ここで示された当該作は不詳。

「捩取つては」「もぎとつては」「捥ぎ取つては)或いは「えぐりとつては」(抉り取つては)。以前の漢字誤用からは前者の可能性が高い

「ベートーヴェン」拗音はママ。

「マリアテレサ」オーストリア・ハプスブルク家の実質上の神聖ローマ女帝マリア・テレジア(Maria Theresia 一七一七年~一七八〇年)の別称。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 馬頭觀世音

 

 馬頭觀世音

 

 東京から叔父が由三の家を訪ねて來たのは、今度叔父も愈々墓地を買つたのでそれの自慢のためだつた。叔父は由三の灰白な貌と奇怪なアトリエを見較べながら、そこらに竝んでゐるカンバスがすべてまつ白なのに驚いて、

「君は繪を描くと云ひながら、何も描ててはゐないぢやないか、さう云ふ精神で出世が出來るか、それに君はこんな結構な靜かな海邊に居りながら恐しく顏色がわるい、どうして每日散步して體のことを考へないのだ、その調子だと君は間もなく死ぬるぞ。」と叱りつけてをいてやがてニヤリと白い齒を見せながら、

「ところで今度俺は墓地を買つたよ、今日はまあその自慢に來たのだが一つ散步がてら見に行かないか。」と、叔父は由三を促して、自動車を傭つた。

 二人はそこから一里ばかり離れた、海岸の丘の上にある寺に來た。叔父の買つた墓地は、一番高いところに在つて、太平洋を睥睨してゐる恐しく眺望のいい場所だつた。椿の眞紅な花が燃えてゐて、陽は初夏のやうに豐かに降り注ぎ、何の鳥だか、頻りに人を恍惚とさす囀りが、あたりの空氣を顫はせてゐた。そして沖の方には今、汽船が一艘、煙を燻(くゆら)せてゐた。

「どうだね、かう云ふ靜かな場所へ睡り度いと君は思はぬか。」

 由三は曖昧に微笑してゐたが、不圖、馬頭觀世音とあつて奇妙な馬の顏が朱で刻られてゐる墓が眼に留まつた。

 由三はその時、どうしたのか口に出しては叔父に云へなかつたが、後になつてから段々馬の墓の印象が異樣な氣持をそそつた。

 

 その夜、叔父は由三を激勵するつもりで、T――市の料理屋へ案内した。酒が𢌞り、藝者が騷ぎ、一通り時間が過ぎて行つたが、そのうちに叔父はまた墓の問題に返つた。

「どうだ、君なんかから見ると、この俺は俗物かも知れないが、俗物にだつて、ちやんと肚は出來てゐるのだぞ、ちやんと、もう死後の覺悟までして置いて、これからまた思ひきつて一奮發するのだ。君も藝術をやるのなら死ぬる覺悟でやり給へ。男一匹どう轉んだつて大したことはないと肚を作つてからでなきや駄目だ。ねえ、さうぢやないか。」と叔父は藝者に贊同を求めると、藝者は威勢のいい語氣に合槌を打ちながら、

「でも、こちらは隨分沈んでらつしやるのね、どうなさつたのかしら。」と由三をつまんなさうに眺めるのであつた。

 

〈由三の日記〉

 丸の内の煩雜な場所で煩瑣な事務を捌いてゐる叔父の墓が、太平洋を眺める丘の上にある。ところで僕にもし墓が自分で撰定出來るものだつたら、僕は何處も氣に入らないだけなのか。

 僕が段々繪が描けなくなるのは、僕が未(いまだ)に世間から認められないために腐つたのだらうか。それもあるが、何を描いたつてつまらない、と云ふデーモンの聲のためかも知れない。なまじ作品を殘すよりか、何も殘さない方が望ましいと思はれたりする。

 しかし作品が殘らないにしろ、僕の記憶は數名の胸のなかに殘り、やはり面白くもないことにすぎぬ。それに僕の肉體は燒かれて分解したところで、やはり地上を流轉するだけのことか。どうしても虛無に化せ失せない運命を想ふと、茫としてしまふ。

 

[やぶちゃん注:「馬頭觀世音」サンスクリット語「ハヤグリーヴァ」の漢音写で、元はヒンドゥー教の女神辺りが起源と考えられるが、仏教に於いては菩薩の一つとされ、観音菩薩の変化身(へんげしん)である「六観音」の一尊に数えられてある。本邦では観音としては珍しい忿怒の姿をとって造形化されることが多く、しかも一面二臂・三面四臂・四面八臂の像が存在し、その形相も必ずしも一定しない。頭上に馬頭を戴くが、これは生死(しょうじ)の大海に四魔を降伏(ごうぶく)する勢いを馬に譬えたものとされる。後世、民間では、馬の病気と安全を祈願し、路傍に「馬頭大士」などと石に刻み、信仰されるようにもなった。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 奇蹟

 

 奇蹟

 

 二年のB組の教室は、今しーんとして不思議な感激が滿ちたまま、あつちでもこつちでも啜泣く聲がきこえた。

「僕は泥水のやうに濁つた腐敗分子でした。」と教壇の上で一人が釘づけになつて、次を云はうとしてゐた。その時小使が頓馬な顏つきでドアを開けて、空(から)の藥鑵を持つて歸らうとしかけたが、

「それは後にしてくれ給へ。」と主任教師が眴(めくばせ)すると、小使はけげんな顏つきで教室を名殘惜しさうに素速く見流して消えて行つた。しかし誰もこのことで注意を搔き亂されたものはなかつた。一同は今突然クラスを襲つた懺悔の感覺で醉つてゐた。

「僕はただ泣いて皆さんにお詑びします。」と、既に兩手で眼を押へてゐた一人が、ぎこちないお叩頭とともに教壇を降りると、自分の席に着くが早いか、机にしがみついてそこでまた啜泣いた。さうすると歔欷く聲があちらでもこちらでも一層烈しくなつた。そしてその聲は、――さあ今度は君の番だ、と誰かの良心に訴へてゐるやうであつた。間もなく一人が決心したやうに席を立つと、教壇に上つた。ところが、どうした機(はず)みか、教壇がドカンと大きな響を立て、その肥滿した男は蹣跚(よろめき)さうになつた。だが、彼は齒を喰ひ締つて、感激の一瞬間を切りひらいた。

「僕は……」と云つたまま、彼は奇妙な聲を放つて泣き出したのであるが、その聲はまるで笑つてゐるやうに響いた。だが、一同はここでまた深刻な氣分に締めつけられた。ああ、哭いてゐるものを、をかしいと考へてはならない――さうした嚴しい命令のため、そこの空氣は一そう緊張してしまつた。そして教壇の男は結局泣きながら席に戾つた。さて、その次にも誰か出るかも知れなかつた。しかし大概もう懺悔を濟ました者ばかりで、その始めに自分等のクラスの墮落を嘆じ、腐敗分子の攻擊をした連中までが、遂には皆に倣つて懺悔をする始末だつた。そこで主任教師はとにかく教壇へ上つて、皆の興奮を宥めるやうに適宜な結論を與へた。

「まあ諸君、そこでお茶でも飮まうではないか。」

 さう云へば、今迄各自のテーブルには菓子とお茶が配られてあつたのだが、誰も手を着けてゐなかつた。皆は冷えてしまつたお茶を啜り、ポリポリと煎餠を嚙り出した。窓の外に見えるアカシアの梢の方に紫色の雲が渦卷いてゐたが、ピカリと大きな稻妻が閃いた。あたりは次第に薄暗くなつて來た。風がカーテンを翻し大粒の雨が瓦を打つた。

「ぢやあ、あまり遲くならないうちに、このクラス會はこれで終りとしよう。」と教師は穩かに云つた。そして一同は洗い淸められたやうな顏つきで席を立つたが、もう次の瞬間には、ごく普通の笑ひ聲や囁きがあちこちで起つてゐた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 風景

 

 風景

 

 生活が一つのレールに乘つて走り出すと、窓から見える風景がすべて遠い存在として感じられた。岸田は往復の省線の窓から、枯芝の傾斜面に殘る雪や、ガラス板にたつぷり日光を受けて走る自動車や、あくどい廣告燈の明滅を眺めて慣れた。そしてスチームは働いてゐると云ふ意識を溫めた。つまり一定の職に就けたと云ふことは、それだけで岸田を安心させた。だから冬から春への推移だつて、鳥屋の前で金糸鳥(かなりや)の和毛(にこげ)にそそぐ日の光を二三秒立留つて眺めて面白いと思つただけであつた。忙しいことがむしろ面白かつた。

 

 その岸田の生活が間もなく脱線して職から雛れた時、彼の頭にいつまでも鋭く殘されたものは實に他愛もない斷片であつた。彼が每朝降りたX驛に、ある日一羽の鷹が翼をばたつかせながらひらひらと地上近く舞ひ舞ふてゐて、人の目を驚かせたことがある。それと、もう一つはX驛の橫の小路で、一人の男が小犬に信號しては步かせたり停らせてゐた光景である。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 丹那トンネル開通祝ひ

 

 丹那トンネル開通祝ひ

 

 賴太は四十歳の獨身の獨眼の發明家だつたが、まだ汽車へ乘つたことがなかつた。その癖十何年も前から丹那トンネルには興味を持つてゐた。いよいよトンネルが成功しかかつた頃には、彼の發明まで成功し出すのではないかと考へた。山奧で二十年間、何とも云へない不思議な機械を考案しながら、世の中からまるで奇妙な道樂者扱ひにされてゐた賴太のことだ、トンネルが成功した時には誰よりも一番に喜んだ。

 新聞によれば今日が開通祝ひだと云ふ。賴太は汽車に敬意を表すべく七里の山路を驛まで步いた。すると汽車と云ふ奴はどうももともと賴太には親しめなかつたが、今日に限つてまあ大目に見ることが出來た。そこの驛を生意氣さうにそつぽむいて行く急行を見送ると、あれがやがて丹那トンネル潛るのかと思ふと少し謀叛心が生じた。自分だつて一度は汽車に乘つてやらう、さう決心すると次の次の驛まで切符を買つた。そして始めて汽車に乘つたのである。何と乘ると乘らないとは相違してゐたことか。賴太は次の次の驛で降りると、早速一軒の旗亭へ入つた。そこの女をとらへて頻りに賴太は丹那トンネルの自慢をした。

 

[やぶちゃん注:東海道本線の熱海駅―函南駅間に位置する丹那トンネル(総延長七キロ八百四メートルは昭和九(一九三四)年十二月一日に開業した。ウィキの「丹那トンネルによれば、『最初に通過する列車には』、同年十一月三十日午後十時『東京発神戸行き二・三等急行、第』十九『列車と決定』され、『乗車希望者が多いために臨時に車両を増結し』、『当時としては異例の』十五『両編成での運行が決定され』た。同『列車は提灯で開通を祝う沿線駅を通過し』、十二月一日午前零時三分三十秒『に来宮』(きのみや)『信号所を通過』、午前零時四十分『に熱海口に入り』、九分二秒かけて『丹那トンネルを通過』、『沼津駅に到着した』とある。本篇はその十二月一日の昼を時制としていると考えてよい。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 虹

 

 

 

 二晩ぐらゐ睡れないことがあると、晝はもとより睡れなかつた。彼の頭はうつつを吸ひすぎて疲れ、神經はペンさきのやうに尖つた。明るい光線の降り注ぐ窓邊のデスクで、彼はペンを走らせた。念想と云ふ奴は縱橫に跳梁して彼を燒かうとする。響のいい言葉や、微妙な陰翳や、わけてもすべてのものの上に羽擊く生命への不思議な憧れや……

 へとへとに疲れてベツトに橫はると、更に今度は新しい念想がきれぎれに飛ぶ。何だかその狀態が彼にはまた一つの未完成な作品のやうに想はれ出した。高い山に圍まれた盆地の景色が偶然浮ぶ。そこには一すぢの川が銀線を走らせてゐる。熟(みの)つた葡萄畑の彼方に白い壁の家が一つ……そこは彼の生れた家なのだ。酒のやうに醗酵した空氣や、色彩や、人情が溶けて流れる。だが、そのうちに睡眠が彼を搖籃へ連れて行く。彼は幼兒に歸つて搖籃に睡りかける……娯(たの)しい無意識の世界へ少しづつ搖れる籃。ふと、氣がつくとまだ睡つてはゐないのだつた。

 

 彼は一人印刷屋に殘つて、少年工に目次を組ませてゐた。停電で蠟燭を點すと、二人の影が活字棚に大きく映つて搖れた。夜更けの秋雨がぽとぽとと工場のトタンの庇を打つ。眞夜なかに二人かうしてゐるのが、怕いやうな氣がした。何處からともなしに鬼氣が漾つてゐた。

 雜誌が出來上つて、彼は骨休めにレビユーを見物した。すると舞臺では半裸體の少女が寒さうに戰きながら踊つてゐるのに氣づいて、彼の膚には粟が生じ、背筋を泣きたいやうな衝動が走つた。

 DHロオレンスの激しい精神が彼と觸れた。

 不圖した風邪がもとで彼は寢ついた。絶對安靜の幾ケ月が過ぎた。熱のなかに視る花瓶の花があつた。もみあげは長く伸びて黑かつた。春が來て病態は良かつた。健康になつて今度筆を執つたら、どんな作品が出來るか、彼はそればかりが娯しみだつた。字も言葉も大分忘れ、頭も tabula rasa の狀態にまで行つて來たやうだつた。少しづつ足が立つた。ふらふらしたが步け出した。ゆたかな制作慾が既にうずうずしたが、もう暫くの我慢だと思つて、彼は東京を離れ、故里の方へ歸つた。

 

 しかし秋になると、彼の病氣はまた逆轉した。葡萄が收穫され、大氣が澄みかへる季節だが、彼は節季のにぎはひにも觸れず臥したままであつた。何處かで響のいい鐘が鳴る。それは野良で働くものを晝餉に招く合圖だつた。彼は耳を澄まして每日聽く……。每日、ああ、生きてゐることはどんなに愉しく、美しいことか、彼には解るのだつた、――鳥や、花や、男や、女や、それらが無數にキラキラ輝いて作る眞晝の模樣が……。

 その日、本州を襲つた颱風は彼の病室の屋根の上を叫んで通つた。ひどい熱のため彼の病室は茫と蒸れてゐた。何時の間にか彼は高く高く吹き揚げられて行くのだつた。彼は珍しい小型の飛行機を操縱してゐた。雨雲が翼を濡らし、眼鏡も霧で曇つた。しかし飛行機は雲の上に浮きあがつた。すると、下はまつ白な雲で、上は靑空だ。そして悠々たる雲の敷ものの上に、あざやかに映る虹があつた。虹の大輪はゆるやかに𢌞つた。彼は微笑した。そして睡くなつた。

 

[やぶちゃん注:「羽擊く」「はばたく」と訓じているようである。

DH・ロオレンス」大胆な性描写で話題となった「チャタレー夫人の恋人」(Lady Chatterley's Lover 一九二八年)の作者として知られるイギリスの詩人で作家のデーヴィッド・ハーバート・ローレンス(David Herbert Richards Lawrence 一八八五年~一九三〇年)。因みに彼には、本篇と同題の小説「虹」(The Rainbow:一九一五年九月の刊行であるが、二ヶ月後の十一月に猥褻として発禁処分となった)がある。

tabula rasa」タブラ・ラーサ。ラテン語で、原義は「文字の消された石板」で、通常、状況や意識の「白紙状態」に用い、これは、感覚的経験を持つ以前の心の状態を比喩的に表現したもので、人間の知識の起源に関し、専ら、ア・プリオリな生得観念を否定する経験論の主張を概括するために使用される。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) よみがへる父

 

 よみがへる父

 

 父の十七回忌に歸つて、その時彼の緣談が成立したのだから、これも佛の手びきだらうと母は云ふ。その法會の時、彼は長いこと正坐してゐたため、足が棒のやうになつたが、燒香に立上つて、佛壇を見ると、何かほのぼのと暗い空氣の奧に光る、かなしく、なつかしい夢のやうなものを感じた。

 

 彼は奈良に立寄つて、大佛を見た。その時、かたはらに妻がゐると云ふことがもう古代からのことのやうに思へた。何人かここに來て、何人か死んで行つた――そこの太い大きな柱をめぐつて、年寄の女が御詠歌をうたつてゐた。

 彼の妻は父のことを聞くのを好んだ。彼はそれで以前よりか、もつと細かに父に關する記憶を掘り出すことが出來た。すると、そればかりではなかつた。あちらからも、こちらからも竝木路が見えて來た。何年も憶ひ出さなかつた記憶がそこを走り𢌞つた。

 

[やぶちゃん注:原民喜の父信吉は陸海軍官庁用達を勤めた人物で、慶応二(一八六六)年生まれで、大正六(一九一七)年二月に胃癌のために亡くなっている。ここには「十七囘忌」とあり、信吉のそれは昭和八(一九三三)年に相当し、この年の三月に原民喜は広島県豊田郡北郷町の父の知人米穀肥料問屋永井菊松の次女貞恵と見合い結婚しているから、ここに出る内容と事実が完全に一致する。なお、私はこの中間部(第二段落)は私の偏愛する瑠璃寺の春」(昭和一八(一九四三)年一月から『婦人公論』に連載を始めた「大和路・信濃路」で「淨瑠璃寺」と題して同年七月号に掲載された。後に「淨瑠璃寺の春」と改題して、作品集「花あしび」(青磁社昭和二一(一九四六)年刊)に所収された。リンク先は私のブログ・ベタ・テクスト)のコーダ、『僕はそのときふいと、ひどく疲れて何もかもが妙にぼおつとしてゐる心のうちに、けふの晝つかた、淨瑠璃寺の小さな門のそばでしばらく妻と二人でその白い小さな花を手にとりあつて見てゐた自分たちの旅すがたを、何んだかそれがずつと昔の日の自分たちのことででもあるかのやうな、妙ななつかしさでもつて、鮮やかに、蘇らせ出してゐた』を私に直ちに想起させる。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 閑人

 

 閑人

 

 十二月になると小さな街も活氣づいて、人の表情も忙せわしさうになつた。家にゐても、街に出ても、彼は落着かなかつたが、晝過ぎになると、やはり拾錢の珈琲代を握り締めて、ぶらりと外に出た。兄貴から讓られた古トンビと、扁平になつてしまつた下駄で、三十歳の閑人の悲しさうな表情を怺へて、のこのことアスフアルトの上を步いた。しかし、もう以前のやうな無邪氣な友達も見あたらなかつた。何處へ行つても友達はもう職に就いてゐたり。妻帶者であつた。彼を批難するやうな眼つきで、君も早く何とかするのだね、と勵ましてくれるのではあつたが、彼も今では自分の病氣や境遇を説明するのがめんどくさくなつた。どうかすると、まだ熱が出たりしたが、ほんとに自分が病氣なのかどうか、それさへわからなくなるのでもあつた。退院してからもう四年にもなるのだが、それ以來は養生らしい養生も出來ず、身體に自信が持てなかつたため、つい、うかうかと靑春を見送つてしまつたのである。さう云ふことを振返つて考へ込むと、彼は心の底から一つの細力が湧いて來て、蹣跚(よろめき)さうな身體を支へて呉れさうな氣がした。實際、此頃では一か八か生命を犧牲にして、何か商賣を始めようと考へてもゐた。叔父が古本屋の資本を貸して呉れたら、少しは愁眉が開けさうだつた。しかし返事のない叔父は當(あて)にもならなかつた。母や兄に心配ばかり懸けて來た身が呪はしく、一そのこと自殺した方が皆のためにもなりさうだつた。

 しかし彼は今も鳥屋の前に立止つて、オタケサン、オタケサンと騷ぎ𢌞る九官鳥を眺めて、單純にをかしさうに笑つてみた。鳥屋のむかひの昆布屋には荷馬車が留められてゐて、馬が退屈さうに橫目を使つてゐる。何處へ行つても見慣れた狹い街の風景で、盛り場の方では今でもチンドン屋が騷ぎ𢌞つてゐた。彼は何時もの癖でR――百貨店へ入ると、三階まで登つて、屋上で猿を眺めた。猿は絶えず枝から枝へ忙しさうに飛び𢌞つてゐる。猿でも肺病があるのかしら――と想像してみると、何だか噓のやうな氣がした。

 そのうちにいい加減草臥れたので彼は何時も行く喫茶店に入つた。するとストーブを獨占しながら新聞を讀んでゐる屈木の姿がすぐ眼についた。

「ヤア。」と屈木は敏捷さうな顏を彼の方に對けながら、飮みかけの茶碗を持ち上げた。

「忙中閑ありでね。」と屈木は得意さうに笑つて、「君は相變らずだね。いや君と逢つたのはまだ一昨日ぢやないか。」と云つた拍子に少し嗄れた咳をして心持顏を顰めた。屈木はチヨツキから懷中時計を取出すと、

「おつと、もう二時か、ぢやまた遇はう。」と急に忙しさうに立去つてしまつた。彼は屈木の姿を見送ると、何故か不思議な氣もした。あの男も以前は彼以上に病態が昂進してゐて、今にも死にさうな姿を巷に晒してゐたが、屈木は血を喀きながらも酒を飮んだり女に戲れた。そして今ではともかく新聞記者をしてゐるのであつた。氣持一つで無理に無理を支へてゐる屈木の姿が、彼に何か物凄い發奮を強ひてゐるやうであつた。

 コーヒーを飮み終ると、今度は人通りの少ない路を選んだ。恰度そこには小學校があつて、低い垣根越しに運動場が見えた。中央にオルガンが持出されて、圓陣を作つて女の生徒がダンスをしてゐる。彼は小學生の昔がこの頃頻りに懷しく、悔恨に似た氣持をそそつた。オルガンの響に遠ざかりながら、彼は何時の間にか寺の前に來てゐた。來たついでに父の墓へまゐらうと思つて、寒々とした墓地のなかに、彼はふらふらとあゆいで行つた。

 

[やぶちゃん注:「怺へて」「こらへて」(堪(こら)へて)。

「細力」見かけぬ熟語である。「微力」「微細な・微(かす)かな力」の意でとっておく。

「あゆいで」「步いで」であろうが、私は聴いたことがない。古語に「步(あゆ)ぶ」があるから、その訛りか。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 顏の椿事

 

 顏の椿事

 

 お仙の夫は今朝、橋から墜ちて溺れたが、救助されたのが早かつたのでまだ助かりさうだつた。手當は姑や隣りの人にまかせて置いて、お仙は町まで醫者を迎へに走つた。醫者は後から直ぐ來ると云ふので、お仙はまた呼吸を切らせて山路を走つた。すると家の近くの淫祠まで來たところで、隣りの主人とばつたり出逢つた。お仙は顏色を變へて啞者になつた。隣りの主人はこれも二三秒唇を慄はせたまま、ものが云へない。が、やがて彼は頓狂な聲でかう叫んだ。

「死んだ、死んだ。」

 お仙の顏は暫く硬直したままであつたが、ピクリと頰の一角が崩れると、婀娜つぽい微笑に變つた。それからお仙はともかく隣りの主人と一緒に家へ急いだ。

 家へ戾ると、お仙は直ぐに夫の顏を覗き込んだ。お仙の夫は蒲團に寢かされたまま、頭が低く枕に沈んでゐるので、何か怒つてゐるやうな表情であつた。その顏を見てゐると、お仙はふと夫が生きて來さうな氣がした。と、その時、お仙の夫は急に「うう……」と聲を放つて眼をひらいた。

「あなたや、あなたや……」とお仙は大聲で泣き喚いた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 白い呼吸

 

 白い呼吸

 

 おでん屋の隅で、ビヤー・ホールの卓上で、或ひは喫茶店のボツクスで屢々繰り返される極くありふれた會話の一形式がある。

 どうも時代が代つてしまひましたな。今の若い連中なんか何だかまるで僕達には見當がつかない。それにつけても僕達が若い頃は何と云つても惠まれてましたね。――さう云つて、四十代の男が二人盃で友情を溫めながら夜を更かしてゐる。

 どうも僕達だけが惱み通したのだね。今の若い連中なんか僕達よりかずつとガツチリしてる。それだけ時代が變つて來たのだね。結局中途半で路頭に迷ふのは僕達なのだね。――三十代の男が二人ストーブで火照つた顏をあげて、ジヨツキを傾け合ふ。

 どうも僕達の時代も終りだな。今の中學生なんかまるでもう僕達とは違ふ。それかと云つて親爺連中の云ふことなんか間拔けだと思ふのだが、僕達も結局終には間拔けになるのかね。――さう云つて、二十代の男が二人コーヒーのなくなつた茶碗を何時までも凝視してゐる。

 

 夜更けのプラツト・ホームで終電車を待つてゐる二人の少女がある。彼女達は一刻もぢつとしてゐることなく、絶えず巫山戲ながら男達の口眞似をしてゐる。

 ――どうも時代が變りましたな、僕たちは エヘン!

 ――僕達が間拔けで、今の若い連中なんか、その……

 こましやくれた唇から迸る言葉は直ぐに白い呼吸になる。やがて電車が着くと二人はゴム鞠(まり)のやうに飛んで行つた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 秋旻

 

 秋旻

 

[やぶちゃん注:「秋旻」は「しうびん(しゅうびん)」で、秋の空。爽やかに澄み渡った秋の空の意。「旻」は単漢字でも日光が淡い「秋空」を指し、広く「空」の意にも用いる。]

 

 一人の少年は硫酸を飮んで、袴を穿いて山に行き松に縊つたが、人に發見されて、病院で悶死した。一人の少年は友達と夜行列車に乘つてゐて、「この邊は單線か、複線か。」と尋ねてゐたが、一寸の隙にブリツヂから飛込んで昏倒し、その上を別の列車が轢いて行つた。もう一人の少年は、「今夜は見ものだよ。」と謎のやうなことを云つてゐたが、その夜彼の部屋の窓には何時までも煌々と燈が點いてゐて、翌朝ガスでやられてゐた。――次々に奇怪な死に方が彼等の周圍で起つたので、次第に凄慘な氣分が彼等を壓しかけた。

 三人は巫山戲ながら的(あて)のない散步を續けてゐたが、とうとう道に迷つて何處へ出るのやら見當がつかなくなつた。すると何時の間にか空の半分が妙に明るく、半分が暗澹とした、秋の不思議な光線の配合があつた。さむざむと霧(きら)ふアスフアルトのむかふに、明るい賑やかな一角がぽつんと盛り上つてゐて、ともかく、そこには憩へる場所がありさうだつた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 恐怖教育

 

 恐怖教育

 

 薇(ぜんまい)仕掛で疊の上を這ふ象の玩具はガリガリと厭な音を立てた。正三はわーと泣き出した。すると、兄姉達は面白がつて一勢に笑つた。母が叱ると、意地の惡い兄は薇を卷いたまま戸棚に收めた。象はガリガリ戸棚のなかで暴れた。(ガリガリガリと云ふ音は、その頃正三の齲齒(むしば)を切り取つた厭な機械の音に似てゐた。)

 兄が石から火が出ると云つて、手斧で花崗石(みかげいし)を叩きつけた。その瞬間、彼の膚を冷やりとさす音と、石の粉と怪しい焰が飛んだ。何を思つてか兄は手斧の刃でギリギリギリと石を小擦り出した。正三は耳を掩つて逃げた。

 或る夜、兄が正三に便所の手洗鉢の側にある譯のわからない植物を指差して、「あそこは怖いぞお。」と脅した。その植物の葉には水がかかつてゐて、纖細(かぼそ)い月の光を受けてゐた。その茫とした光が目球のやうに正三には想へた。その頃から正三はやたらにものを怖がり出した。獅子の笛、あんまの笛、猫の眼、老婆のおはぐろ、街をつつ走る狂女、佛壇、押入れ、到るところに正三を脅しつけるものがゐた。

 

 ――正ちやんは昨夜どんな夢をみたの。 と姉が訊ねた。

 ――大根の夢、茄子の夢、瓢簞の夢。

 姉は嬉しげに噴き出してしまつた。

 ――そんな夢つてないわ、大根がどうしたの、瓢簞が何か云つたの。

 ――どうしたのかもう忘れた。

 ――今に怖い夢をみるよ。 さう云つて姉は眼を凄く見ひらいた。

 ――厭だ、厭だ、そんな怖い夢なんか。

 ――よく私の云ふことを肯(き)かないと怖い夢をみせるよ。

 ――厭だ、厭だ、みせてはいらない。

 ――ええ大丈夫よ、ほら、あそこの抽匣(ひきだし)に鍵かけて收めて置くからもう大丈夫よ。

 

 近所の床屋に啞者が來てゐると云ふので、正三は兄と一緒に見に行つた。啞者は生つ白い顏をして、どうも忿(おこ)つてゐるやうな顏だ。へんてこな手つきで頻りに何かしてゐた。正三は怖々覗いては逃げ、逃げては覗いた。

 その罰で到頭彼は怖い夢をみた。氣の狂つた女が形相變へて正三を追駈けて來る。正三は逸散に家にむかつて逃げるのだが、家までがなかなか遠い。やつと家の附近まで來たと思ふと、そこにあつた一本の樹木がによつと枝を出して邪魔をした。その枝の下を潛つて玄關に飛び込むと、ピツタリ障子を立てた。狂女は無念さうに障子を睥むと、そこへ腰を下して、ガタガタ障子を足蹴にし出した。ガタガタと障子の内側では正三が慄へてゐた。

 

[やぶちゃん注:「睥む」「にらむ」。睨む。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) コレラ

 

 コレラ

 

 コレラが流行り出した。コレラはもう四五町先までやつて來た。胃腸の弱い彼はすつかり神經を鋭らせた。買はないと云ふのに魚屋は每日勝手口からやつて來て、お宅の井戸は、と賞めながら勝手に水を飮む。用事もない奴等が出入りする度に彼は冷々した。到頭、我慢がならないので、

 コレラ流行につき無用の者出入りすべからず

と一筆貼り出した。

 すると翌朝、巡査と醫者がやつて來た。「御宅に病人があるさうですが……」と二人は彼がまだ寢てゐるところへどかどか侵入して來た。「患者と云ふのはあなたですな。」と醫者は彼を一目で判斷した。

「いや、僕は胃腸が惡いことは事實ですが、まだコレラには罹つてゐませんよ。」と彼は拙(つたな)く辨解した。

「それでは一つ規則ですから避病院へ入つて貰ひませう。」と巡査が云ふ。

「ハハハ、一體僕がどうしてコレラなのかしら。」

「駄目だ、匿したつてちやんとこちらにはわかつてる。さあ入院の支度し給へ。」

「詳しい診斷(こと)はとにかく避病院へおいでになつてからにしませう。」と醫者も急かす。彼の女房はわーと泣き出した。そのうちに自動車が迎へに來る。彼は啜泣く女房と二人で自動車に乘ると、窓から見る暑い街のアスフアルトがこの世の見をさめではないかと思はれた。なに、屹度直ぐに戾れるとも思つた。

 避病院に着くと、彼はとんとんと廊下を通つた。患者がぴんぴん步けるので、看護婦は目を瞠つた。

 ともかく16號室に入れられて、今度は違ふ醫者がやつて來た。

「僕がどうしてコレラですか。」と彼が抗議すると、その醫者は靜かに肯いた。

「まあまあ。さう興奮なさるな、四五日經過してみて疑ひが晴れれば直ぐに退院させますから。」

 彼は四五日したら、それこそほんもののコレラになりさうな氣がした。ベツトも天井もコレラ菌だらけの部屋のやうに思へた。

 茫として時間が長かつた。そして、やうやく夜になつた。睡らうとすると、隣りの部屋が急にざわめき出した。誰かの息子の斷末魔らしく、低く低く喘ぐ聲がつづいてゐたが、突然母親らしい聲が怒鳴り出した。

「それみろ、云はないことか、あれほど殺生するなと云つたのに、お前が釣ばかししてゐたから魚の罰があたつたのだ、ええツ、情ない、極道息子め!」

 そのうちに急に、しーんと物音が歇んだ。次いで今度は二つ三つの泣聲がゆるく流れて來た。ふと、彼はベツトから女房の方を見下した。女房もまだ起きてゐて、不思議に毅然たる姿勢を保つてゐた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 棉の花

 

 棉の花

 

 十歳の時の夏、構造は川端の小母の家で暮した。小母は夕方、構造を連れて畑のなかを通つて、或る家の風呂へ入らして貰ひに行くのだつた。湯氣で上氣した小母の顏が湯氣の中の電燈と一緒に彼の瞳に映つたりした。歸りは月が出てゐて、畑には棉の花が咲いてゐた。

 或る日、母が來て、久し振りで見た母の顏は懷しかつたが、もういい加減で家へ歸らないかと誘ひ出すと、構造は顏を顰めて駄々を捏ねた。それを二人の女は面白いことのやうに笑つた。

 

 今度東京を離れて千葉海岸の借家へ移ると四坪の庭と風呂桶が附いてゐた。それで風呂桶を買つて据ゑ、庭には何か蒔かうかと思つた。何時か妻が棉賣りから棉を買つた時、一つまみの棉の種を貰つたのを想ひ出した。彼はそれを尋ねてみた。しかし、妻は割烹着のポケツトのなかに、いろんな書きつけなどと一緒に入れてゐたのだが、何處へやつたのかもう憶ひ出せなかつた。

 

[やぶちゃん注:後半は原民喜の事実に即すと考えられ、とすれば、時制は千葉市登戸(のぶと)へ転居した昭和九(一九三四)年初夏と考えてよい。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 父が生んだ赤ん坊

 

 父が生んだ赤ん坊

 

 廣子は父が出て行くと每日一人でアパートの六疊で暮した。お晝頃父が拵へて置いてくれた辨當を食べると、繪本などを見てゐるが、そのうちに段々淋しくなつて耳を澄ます。すると隣りの部屋には夜半(よなか)によく夢をみて怒鳴る怕い小父さんがゐるらしいのだが、ことりとも物音を立てないので何をしてゐるのか氣味が惡くなる。と、それが直ぐにむかふに通じたのか、突然隣りの小父さんはへらへらと小聲で笑ふのだ。……廣子は一そう心細くなつて、兩手で顏を掩ふと疊の上に蹲(しやが)んでしまふ。繪本で見たお化けが、その時ちらちらと目蓋の闇に現れて來るのだ。そのうちに父の靴音が廊下から段々近づいて來る。

 ――お父さん 廣子は父の姿を見ると半分泣聲で云ふ。

 ――おお、おとなしく待つてたね 父は廣子の頭を一寸撫でる。

 ――お父さん、お父さんはまだ赤ちやん生まないの?

 さう云はれて父は急に片腹を痛さうに抑へてみて、

 ――うん、もうすぐ生れさうなのだが、さうだね、この調子だと明日かね、明後日はきつと生れるよ。

 ――お父さんは私も生んだの?

 ――さうだとも、廣子ちやんを生んだ時はな、實に譯なかつたよ。ワン、ツのスリーで生れたんだよ。

 ――ぢやあなぜ今度も早く生まないの?

 ――うん、うん、生むとも、なあ、今夜かね、明日かね、とにかくお父さんが赤ちやんを生めば、お母さんだつてすぐに他所から歸つて呉れるよ、ハハハ、お母さんがゐなくて淋しいのだらう。

 廣子は頭を橫に振る。父はをかしさうに笑ひながら、

 ――おやおや、廣子ちやんはそんなにお母さんが嫌ひかい。

 ――お母さんは怕いの。

 ――ハハハ、なあに怕かないよ。 父は一寸舌を出して變な顏をする。

 

 そのうちに到頭廣子の父は赤ん坊を生んだ。他所から父母が同時に歸つて來て、赤ん坊を父が得意さうに抱へてゐたのだから、廣子は終に父がお産をするところを見損つた。母は少し靑ざめた顏だつたので歸ると直ぐに床を敷いて寢た。赤ん坊もその側に寢かされた。部屋が急に賑やかになつて、赤ん坊はよく泣いた。母は物倦さうに赤ん坊に乳を含ませながら、

 ――煩さいね。 と廣子を叱るやうな口調で赤ん坊を叱りつけた。赤ん坊は一そう泣き出した。

 ――あら、厭だわ、この兒おしつこしちやつたの。

 ――あ、さうか、失敬、失敬さあこつちへ寄越した。 と父は赤ん坊に代つて母に詑びながら、おしめを取りはづした。廣子は赤ん坊のおしつこはどんなものか、近寄つて覗き込んだ。

 ――廣子馬鹿! 何見てるのさ! 母が怒鳴りつけたので廣子は周章てて部屋の隅へ飛び退いたが、その拍子に土瓶をひつくりかへした。

 ――この馬鹿野郎! と母の視線は廣子を射屈(いすく)めた。

 ――お父さん! と廣子は悲鳴をあげる。

 ――お父さんがどうしました、さあ雜巾を持つて來てお拭き。

 ――あ、さうかい、失敬、失敬、なあにしろ、お父さんは赤ん坊を生んで目がまはる。

 父は雜巾を持つて來て疊の上を拭き出した。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 鳩

 

 

 

 鶉居山房と私とは路傍に屈(かが)んで洋服屋の若旦那を待つてゐた。別に用事なんかなかつたのだが、待つてゐるうちに歸るのがめんどくさくなつた。若旦那は今朝から留守なのださうだから、なかなか歸つては來まい。そこの通りは人通りも稀れで靜かだつた。私達は煙草を吸つてぼんやりしてゐた。その時學校から歸る二人連れの小學生がすぐ側を步いてゐた。そして、小學生の肩の邊に鳩がたまたま飛んで來た。すると小學生は帽子を脱いで鳩を掬はうとした。鳩は大きな羽ばたきを殘して屋根に舞上つた。卽ち鶉居山房はからからと噱(わら)ひ出した。「蝶々ぢやあるまいし、わーい、わーい。」と彼が嬉しがると、小學生はてれてしまつた。これで私達は洋服屋の若旦那に逢はないで歸れる機運が生れた。ところが翌日、その洋服屋は何處かへ夜逃げしてしまつたのだつた。

 

 私が洋服屋の若旦那に逢へたのは、それから四五年後のことだつた。ひどい春雨が降りまくる日、思ひきつて彼を訪れてみると、彼はアパートの六疊で運のよくならないのを喞(かこ)つてゐた。「早い話が、君。」と彼は云つた。「この部屋だつて屋根が漏るんだからね。」と、彼が天井を見上げると、ひどい降りが亞鉛(とたん)屋根にあたる音とともに、ぽたぽたと疊に落ちて來る。暫くの間、さうして彼は怨しげに天井と疊を見較べてゐたが、不圖雨が漏らなくなつたのに氣づいた。

「おや、こいつは變だな、たしかに今雨は降つてゐるのだがね。」

 彼が訊ねるまでもなく亞鉛屋根は烈しく鳴つてゐた。

「すると、大きな鳥でも來て屋根に留まつたのかな。」さう云つて彼はひよいと晴やかな顏をした。

 

[やぶちゃん注:「鶉居山房」邸号を雅号とした鶉居山房主人というところであろうが、「鶉」(訓:うずら)は呉音が「ジュン」・漢音が「シュン」である。取り敢えず「じゆんきよさんばう(じゅんきょさんぼう)」と読んでおく。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 夕凪

 

 夕凪

 

 老婆は臺所の隅の火鉢に依掛つて肉を燒いた。彼女の額も首も汗に滲み、まるで自分が燒かれてゐるやうな氣がした。四つになる兒が火のついたやうに傍で泣いた。口を四角に開けて、兩手で足をさすりながら「驛に行かう、驛へつれて行け。」と強請んだ。

 臺所の高窓には午後五時の靑空と白熱の光を放つ松の樹があつた。その松では油蟬が啼いた。肉はじりじりと金網の上で微かな音を立てた。胃から血を吐いて三日苦しんで死んだ、彼女の夫の記憶が、あの時の物凄い光景が、今も視凝めてゐる箸のさきの、灰の上に灰のやうに靜かに蹲(うづくま)つてゐる。彼女は火鉢の火氣のなかに身を委ねて、今うとうとと假睡みかけた。

 突然、何かただならぬ物音が彼女の意識を甦らせた。と、今迄泣いてゐた子供も一寸泣き歇んだ樣子であつた。一睡、鋭い、奇異なものの氣配(けはい)が、空氣に漲つて裂けた。彼女がぼんやり怪しんでゐるところへ、表からどやどやと子供達が馳せつけて來た。

「大變だ、火藥庫が爆發した。」

「ほら、あそこに煙が立つ。」

 子供達は晴やかに喚き立てる。老婆は箸を執つて、燃えてゐる方の肉を裏返した。

 

[やぶちゃん注:「依掛つて」「よりかかつて(よりかかって)」。倚りかかって。

「強請んだ」「せがんだ」。

「視凝めて」「みつめて」。

「假睡み」「まどろみ」。「微睡(まどろ)み」。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 忘れもの

 

 忘れもの

 

 ポストのところまで步いて行くと、彼はポケツトから手紙を取出した。そして何だか變だとは思ひながら、ポストの口へ入れて行つたが、指を離した瞬間、はつと氣がついて顏を歪めた。切手がまだ貼つてなかつたのだ。馬鹿。あの手紙を受取る里の親達は嘸、馬鹿と彼のことを云ふだらう。結婚して半年、まだ職に就けない彼なのだ。そして今日も職のことで先輩を訪はねばならない日だつた。焦々しながら、ぼんやりしてゐた。

 

 自動車や電車に轢かれる人の大部分は、金の心配をして步いてゐる人間だ――と誰かが云つた。氣をつけなければいけなかつた。今日も職のことはすらりと駄目になつたが、そのかはり、君の細君へとどけて呉れ給へと、先輩は鮎の佃煮を彼に渡した。その包みを左手に持つて電車に乘つたのだが、夕刊を讀むために網棚にその包みを放つた。そして一驛乘り過して周章てて降りた時、左手には新聞だけ持つてゐた。彼は重苦しい氣分で大𢌞りして家へ戾つた。

 

 妻は大分前から彼の歸りを待ち詑びてゐた。「大變よ、今日、始めてわかつたの。」と、それから後は彼の耳に何か囁いた。その瞬間、彼も大變な表情をした。これもまた忘れものには違ひなかつた。しかし忘れものと、妊婦と、一體何の關係があるのか、と彼はぼんやり憤りに滿ちてゐた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 背後

 

 背後

 

[やぶちゃん注:主人公「侃」の名にはルビがない。本字は一字人名では「つよし」・「あきら」・「ただし」等が一般的である。お好きな読みで。恐らくは「つよし」と読ませる(話の展開のコントラプンクトからの推定)であろうが、私は私の名「ただし」(直史)で読む。そうすると、少年の気持ちが痛いほど判ってくるから、遠い日のつらい思い出が甦って来るから。]

 

 重苦しい六時間の授業が終つて、侃は一人で校門を出る。午後三時の秋の陽光(ひざし)が、靜かな狹い小路の屋根や柳に懸つてゐる。ここまで來ると、彼は吻とするのだ。或る家の軒下には鷄が籠に入れられて、大根の葉を啄んでゐる。向ふの日棚では赤い緣の蚊帳が乾してある。だが侃が今步いてゐる左側には、昨日の雨に濡れたままの、苔をつけたコンクリートの壁が、まだ暫くは續いてゐる。壁越しに見える校舍の亞鉛(とたん)の棟の尖端が、まだ彼の視野にある。さうして、彼がまだすつかり解放されきらないうちに、意地惡く背後から三人の同級生によつて追付かれた。彼等は侃の背後まで來ると、急に步調を緩めて、彼の背に對つてぶつぶつと罵倒を浴せ掛けるのだ。侃は振向かうともしないで、無抵抗のまま步く。三人の聲で、それが誰であるか、彼には直ぐ解る。一人は丈のひよろ高い裁判長の息子、一人は何時も洟水を啜る教授の息子、もう一人は眼鏡を懸けた少佐の息子なのだ。

「あいつは今日英語の時間にほんの一寸笑つたよ。」と教授の息子が珍しがる。

「笑ふとも、猫かぶりの惡黨さ。澄まして、大人しくして、偉いつもりなのか知らないが、あんな奴世の中へ出たつて、精々山賊の乾兒(こぶん)にしかなれないよ。」裁判長の息子は辛辣に宣告する。

「だけど何だつて奴、僕達と口きかないのかね。あれで一體何か面白いのかなあ。」と少佐の息子は首を傾けて云ふ。「奴、今に厭世自殺するぜ、首縊(くびくく)つてよ。」

「死んぢやへ。あんな奴生きてない方がずつと有益さ。」と裁判長の息子は云ふ。

「死んぢやへ、死んで幽靈になつて化けて來やがれだ。」と教授の息子は興がる。しかし、彼はさうした罵聲を背後に受け取りながらも、依然として知らない顏をしてゐるのだ。

 

 侃はその春、そこの中學校に轉校すると、奇妙に友達と云ふものを持ち損ねた。始め一寸した行違ひから、そのクラスで勢力のあつた裁判長の息子の機嫌を損じたため、彼は卑劣な悖德漢として、クラス中に宣傳され、そして一人の味方も持てなかつた。

 夏の休みが一時、不愉快な記憶を拭つてくれた。だが、再び學期が始まると、事情は更に惡くなつてゐた。侃は誰とも口をきかない、陰鬱な生徒になつてしまつた。かうして、さきざき四年間、沈默で押通せるとしても、その結果がどうなるか。彼が他日社會へ出た時、社會は彼をまた今のやうに批難するやうになりはすまいか。侃は人と親めぬ己の性格にさまざまの不安と恐怖を感じながら、此頃懊惱し續けてゐた。如何して人と打解けることが出來ないのか、それはどんな馬鹿でさへ心得てゐる造作もないことではなかつたか、その簡單なあれが如何して君には出來ないのか……。

 

「やい、何時まで澄ましてるのだい、返事ぐらゐしねえか。」と裁判長の息子は聲を荒げた。

「ぶん撲ちやはうか。」と教授の息子は侃の後頭部に對つて拳固を擬(こら)した。しかし、無氣味な沈默に對つて、その拳固はしばし躊躇つてゐる。

 一瞬、侃は向き直つて、彼等に組附かうかとも思ふ。捨身でかかれば三人位には負けないだらう。喧嘩をすれば却つて和解も出來るかも知れないのだ。返事をしろ! と、背後では三つの敵意が挑みかかる。しかし、彼は素知らぬ顏で、默々と步いた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 夏の日のちぎれ雲

 

 夏の日のちぎれ雲

 

 まつ靑な空に浮ぶ一片の白い雲がキラキラと雪のやうに光つてゐる、山の頂である。向ふには竹藪があつて、晴嵐がまき起つてゐる。そこに金髮の女がガーターを留めようとして脚をかがめながら笑つてゐる。イメージと實景がごつちやになつて、生活感情がもつと旅を欲してゐる。靑年は九州の山の奧へ來て、ライン河が見たいなと呟く。

 

 人の氣もない石で圍まれた浴槽へ彼が入ると、女の裸體が一つあつた。それは大理石のやうで、靜かに溢れる靑い湯に浸されたままであつた。靜かな眞晝の光線がなみなみと降り注ぐ。にはかに、女の裸體は生きてゐて、そつと身動きした。

 

 自動車で乘合はせた少女が鼻血を出してゐて、搖れるたびに啜り込む。その血が花瓣のやうに想へて、何時までも彼の頭にこびりつく。――昨日、宿の前の海で溺死人があつた、さつき自動車は小犬を轢き殺した。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 童話

 

 童話

 

 人ががやがや家のうちに居た。そこの樣子がよくは解らなかつた。誰か死んだのではないかしらと始め思へた。生れたのだと皆が云つた。誰が生れたのか私には解らない。結局生れたのは私らしかつつた。

 生れてみると、私はものを忘れてしまつた。魚や鳥やけだものの形で闇のなかを跳ね𢌞つたり、幾世紀も波や風に曝されてゐたのは私ではなかつたのか。

 

 私は溫かい布に包まれて、蒲團の上に置かれた。それが私には珍しかつたが、同時に賴にりなかつた。氣持のいい時は何時までもさうして居たかつたが、時々耐らなく厭なことがあつた。家の天井とか、電燈とか、人間の聲が私を脅した。眼が覺めて暗闇だと、また私は死んだのかなと思つた。しかし、朝が來ると、私の周圍はもの音をたてて動くのであつた。

 私が母を覺えたのは大分後のことだつた。母を知つた瞬間は一寸不可解な氣持だつた。その顏は他人でもないし、私でもなかつた、つまり突然出現した一つの顏であつた。それから大分して後、父とか兄姉を識つた。或る朧氣な意識が段々私を安心さした。私一つがぽつんと存在するのではなく、私に似たやうなものが私の周圍にあつて動く。しかし不思議なことに彼等はそれがあたりまへのやうな顏つきである。私は時々彼等の顏が奇異に見えた。

 

 私の眼の前にある空間はもう不可避だつた。空間にはさまざまの苦痛と快樂が混つてゐるやうに思へた。あまり長い間視凝めてゐると、眼が自然に瞬(まばたき)する。すると忽ち空間が新しくなつた。が、次の瞬間にはやはりもとの空間だつた。私はもう大分長い間生きて、生活にも慣れて來たやうだつた。乳が足りて睡りが足りたので、恍惚と眼を空間に遊ばせてゐた。すると何處からか微風が走つて來て、私の頰ぺたを一寸撫でた。私は微笑した。

 

 母が私を抱いて家の外に出た。すると遽かに眼の前が明るくなつた。そこは私にとつて見馴れないものばかりだ。菜の花の上を蝶々が飛んでゐた。私の掌の指はそいつを見ながら動いた。すると蝶々は高く高く舞上つた。くらくらする眩しい梢の方で葉が搖れた。私は蝶々が木の葉になつてしまつたのかと思つて、掌を上に擧げた。が、摑めなかつた。

 

 私は池の鯉を見た。鯉は水のなかに氣持よささうに泳いでゐた。

 朝、夕、雀が譯のわからぬことを云つて啼く。私以外のものは大概ものを云ふのに、私はものが云へないからもどかしい。ものが云へないのは壁や柱だが、時計は絶えず喋つてゐる。夜なんか特にガンと大きな響がしてびつくりさす。しかしそれが鳴り止むと、今度はチツキンチツキンと忙(せは)しい音が續く。逃げろ、逃げろ、とその音は急(せ)かしてゐるやうだ。どうして逃げなきやならぬのか、何處へ逃げたらいいのかは解らないのだが、私は妙に絶望的な氣持にされる。私の氣持は熱に浮かされたやうになる。

 

 大人が私に馬の繪を見せて、頻りにその眞似をしてみせる。すると私も馬になつたやうな氣持がする。非常に速く走つたり、暴れたりすることはどんなに愉快か、私も自由に動いてみたい衝動で一杯なのだ。大人の腕によつて私の身體が樂々と持運ばれて行く時、障子や、天井や、疊は私のほとりを動く。

 障子や、天井や、疊が動かない時、その時は全體が何か一つの怪しい謎を祕めてゐるやうだ。特に夕方、電燈の點かぬ前がさうだ。現在の私は腥い塊りで、それが家のなかに置かれてゐる。家の上には暮方の空が展がつてゐる。そして、それはすべて確なことだが、確なことほど朧氣でならない。

 

 熱が出て私は寢かされてゐた。何處かでしーん、しーんと不思議な音が續いた。眼を閉ぢてゐると、見たこともない老人が現れて來て、何か難しいことを云つて私を責め出した。泣かうと思ふのに聲は出ない。はつと思ふと、私と同じやうな子供が、實に澤山の子供達が左右から走つて來ては衝突して倒れる。倒れても倒れても後から子供達は現れて來る。一頻り合戰が續いた後、一匹の馬が飛び出して來た。見れば皮を剝がれた馬で、眞赤な肉をピリピリさせてゐる。

 ふと氣が着くと、私はまだ死んではゐなかつた。母の手が私の額をぢつと抑へてゐた。私は何だか嬉しくなつて、つるりと笑つた。

 

 ひとりで私は疊の上を這ひ𢌞つてゐた。そこに轉がつてゐるのは犬の玩具だが、私はもう珍しくはなかつた。しかし、ふと犬の耳を引張つてみると、それは簡單に捩げさうになつた。私は夢中になつた。と、その時私を後から誰かが輕く抱き上げたので、犬の耳を持つた儘、私は高く擧げられた。相手は巧みに私を抱きかへて、何か云つた。見知らぬ女に抱かれたのだと氣が着いても、私は別にむつがらなかつた。女は私に頰をすり寄せた。それから私を疊へ下した。もう私は犬の耳へ氣を奪られなかつた。その女が家にゐる間、その女を私は不思議に感じた。私は作り變へられるのだらうか。

 

 或朝、家の外を樂隊が通つた。單純な、浮立つばかりのメロデイが私を誘惑した。樂隊は皆を引連れて、山を越え、谷を越え、海を渡つて、何處までも、何時までも續いて行くのだから、君にも從いて來給へと云ふ風だつた。遠ざかつて行く樂隊を見送つて、私は耳の底にふわふわと動くものを感じた。もしやもう一度、樂隊は歸つて來はすまいかと、每日每日私は待つた。

 

[やぶちゃん注:「捩げさうになつた」「もげさうになつた(もげそうになった)」(捥(も)げそうになった)と訓じておく。後年の別な小品西南北東」に同様の用法と思しいものがあるからである。

「奪られなかつた」「とられなかつた(とられなかった)」と訓じていよう。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) おふくろ

 

 おふくろ

 

わたしはからくりめがねの夢になつてしまふたのです

紺の筒袖と色黑ばばさんと

暗いカンテラと

お寺の甃石と

緋の着物に紅繻子の帶を締めた子娘と

さうして五厘の笛と

唐獅子と

わたしはお母さんに抱かれて居たいのです

風船玉が逃げぬやうにぢつと握つてゐたいのです

                 (錢村五郎)

 

 前吉は家へ歸つて來ると、老眼鏡を懸けて新聞を讀んでゐる、おふくろの肩を小突いた。と、力が餘つて、おふくろは橫に倒れさうになつた。

「何を無茶するか。」おふくろは一寸怒つて前吉の腕を抓つた。と、彼は暫く痛いのを我慢してゐたが、急に腕をはづして逆におふくろの腕を抓つた。

「これ、痛いよ、お母さんを何と思ふのだ。」と、おふくろは前吉の脛をビシャビシャ叩いて悲鳴をあげる。

「俺だつていてえや。」と前吉はおふくろの頰ぺたに平手打ちを加へる。

 到頭、おふくろは眼鏡をはづして興奮し出した。

「お母さんにむかつて何をするのさ、私は心臟が弱いからあんまり怒らすと死ぬるよ。」

 おふくろは形相を變へて眼には淚を滲ませる。

「ババア」

「婆がどうしましたか、こののら息子め、身體ばつかし大きななりして、まるで餓鬼ぢやないか。」

「ええ、クソババア。」

「おのれ、まだよさぬか。」

 それから暫くは小競合ひが續いてゐたが、不意と前吉は默つて行つてしまふ。

 

 表に出て近所で煙草を買ふと、四五町さきの喫茶店へ入つて、彼は無表情な顏で煙草に火をつける。おふくろはほんとに慍(おこ)つたのかしら……と彼は少しづつ氣になる。しかし家へ歸ればまた喧嘩しさうなのですぐには歸れない。前吉はソーダ水をストローで攪(かきま)ぜて、ぢつと考へ込む。

 

[やぶちゃん注:「甃石」「しきいし」(敷石)。

「紅繻子の帶」「べにしゆす(べにしゅす)」。紅色の繻子織り(しゅすおり:経(たて)糸と緯(よこ)糸の交わる点を少なくして布面に経糸或いは緯糸のみが現われるように織ったもの。布面に縦又は横の浮きが密に並んで光沢が生すると同時に肌触りもよい高級織布)の帯。

「錢村五郎」広島時代からの原民喜の友人。慶応大学文学部予科予科に入学(四月)した大正一三(一九二四)年の初頭に広島で謄写版刷同人誌『少年詩人』に参加するが、その同人の中には盟友となる長光太とともに彼の名も見え、特にこの銭村とは親しく交わった、と青土社版全集年譜にある。大正一五(一九二六)年一月発行の同人誌『春鶯囀』(資料には読みが振られていないので「しゆんあうてん(しゅんおうてん)」と読んでおく)や、同年暮れに創った手書き原稿回覧雑誌『四五人會雜誌』のメンバーにも名を連ねているが、生没年やそれ以外の事蹟を知り得ない。ネット検索を掛けると、私の過去記事が出る始末で、識者の御教授を乞う。

「ビシャビシャ」ママ。オノマトペイアなのでママとした。]

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 殘雪

 

 殘雪

 

 靑空に風呂屋の煙突がはつきり聳えてゐた。その左の方に外苑の時計臺と枯木の梢が茫と冬日に煙つてゐた。もつと近いところには屋根の入り亂れた傾斜が、一方に雪を殘して續いてゐた。雪があるので、そこの二階の緣側からは景色が立體的に見えた。立體的と云へば、この景色を眺めて爭つてゐる二人の男の對比もまたさうであつた。

 一人はこの春さきの景色が煽情的だと云つて頻りに嬉しさうに眺め𢌞した。一人は彼がそんなに景色にまで愛戀を感じるのがをかしいと云つてそれを笑ひこけた。そして二人はとりとめもなく、こんにやく問答をしながら、ネクタイを結んで出勤の用意をした。

 それから二人は電車に乘つても依然として爭つてゐた。一體、何がそんなに問題の中心になつてゐるかと云へば、ことの起りは、一人が女を大へんいいと云ひ、一人が女を大へんつまらないと云ひ出したことからであつたが、――かう云ふことを問題にさすに應はしい二月の午後でもあつた。

 一人は、海邊で桃の花と牛を眺めながら如何に中學時代恍惚としたか、無人島の松林の蟬の聲に如何に魂を奪はれたかと云ふやうな話まで揷入した。そして二人は東京驛で下車すると、八重洲口の方へ地下道を步いた。その時、

「何とか彼とか云ひながら、男が金を稼ぐのは、つまり女房のために生活をより修飾するためなのだね。」と一人が云つた。

「さうではない、それは大へん面白くないことだ。」と相手が大反對を唱へた。そこで二人のあげつらひは急激に縺れて行つた。階段を降りて驛を出ると、もうお互に時間がなかつた。で、一人が云つた。

「つづまるところ君は肯定狂だよ、何でも彼でも、いい、いい、いい、いい、いい、いい、と云ふぢやないか。」

「何だい、それなら君こそ否定狂さ、一から拾まで、否(いや)、否、否、否、否だ。」

「ハハハハハ」

 そして二人は別れた。肯定狂は美人グラフへ、否定狂はダンスホールへ、それぞれ職場を持つてゐた。

 

[やぶちゃん注:「美人グラフ」美形女性の写真を主とした雑誌・画報の出版社か。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 酸漿

 

 酸漿

 

 結婚式の二時間前、彼女は疊に落ちてゐた酸漿を拾つて鳴らして捨てた。

 朝、夫が役所へ出て行くと、彼女はもう一度寢床に潛り込んで、晝過ぎに起きた。それから煎餠を嚙りながら新聞を讀んだ。それから夕方まで鏡臺に對つてぽかんと暮した。

 

 夫が出張で三日も歸らないと、彼女はふらりと街へ出掛ける。夜遲くそこの窓のカーテンには男の影が大きく映つたりした。

 

 彼女の生んだ赤ん坊が這ひ出す頃、その子は、ほほづきを拾つて食べて、呼吸がつまつて死んだ。子を失つた彼女は奇妙に若返つた。若くなるためには、人知れぬ工夫がされた。しかし何よりもいけないのは、他人が彼女の齡を註文よりも老けてみることだつた。さうした場合、彼女は癇癪が起きて、咽喉が塞がりさうになつた。

 

[やぶちゃん注:「酸漿」「ほおづき(ほおずき)」。ナス目ナス科ホオズキ属ホオズキ変種ホオズキ Physalis alkekengi var. franchetii の果皮。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) アトモス

 

 アトモス

 

[やぶちゃん注:「アトモス」“atmos.”で“atmosphere”(地球の大気・大気圏(重力によって留められている空気の層))の省略形。]

 

 穩かな海に突き出してゐる丘の一角で、一人の人間が勝手な瞑想をしてゐた。恰度彼が視てゐる海の色は秋晴れの空と和して散漫な眺めではあつたが、それは肩に暖かい日光が降り注ぐためでもあつた。彼は芝生の上に落ちてゐる自分の影法師を眺めて、何か微妙な苦惱を貪つてゐた。そこには何か解きあかしたい一つの感覺があつた。鹽分を含んだあたりの空氣を彼は吸つては吐き、吐いては吸つた。そのうちに彼は不圖無意味に近くかう口遊(くちずさ)んだ。

 ――時間とは溫度のことか。

 

 それから大分後のことではあるが、彼は溫度の相違に依つて動く永久に停まらない時計が既に發明されてゐるのを識つて急に變な氣持がした。そしてその機械が自分より偉大な感覺を持たされてゐるのを意ふと、一そう變な氣がした。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 蠅

 

 

 

 秋も大分深くなつて、窓から見える芋畑もすつかり葉が繁つた。田中氏は窓際の机に凭つて朝食後の煙草を燻(くゆら)して、膝の上に新聞を展げてゐた。さうしてゐると、まだ以前の習慣が何處かに殘つてゐるやうで、出勤前のそはそはした氣持になるのだつた。

 今、湯殿では妻が洗濯してゐる音が聞える、彼は不意とその方へ聲が掛けたくなる衝動を抑へて、靜かにぢつと耳を澄ました。すると氣の所爲か、妻は時々何か思案しながら洗濯してゐるやうに思へる。妻が何を考へてゐるのか、田中氏にはぼんやり解るやうな氣もした。さう云へば二十と何年も一緒に暮してゐながら、今度のことがあつて始めて妻の氣持にも彼は段々關心を持つやうにされたのだつた。二三日前、妻は彼がまだ寢てゐる枕頭に來て、ひそひそ泣いて、今更のやうに子供が欲しいと云ひ出した。やはり住み馴れた都會を離れて田舍の靜かな處へ來ると、さう云ふ氣持もするのかも知れない。彼ももう一度生れ變つてみたい念願が時々生じるのだが、社會に對してすつかり見切りをつけてしまつた筈なのに、どうしてそんな馬鹿な野心が湧くのか不思議でもあつた。しかし隱居してしまふにはまだ少し若かつたし、何もしないでゐると却つて早く死が追つて來さうな妄想が湧くので、靜かな暮しのなかにも憔慮が絶えなかつた。

 田中氏の念想は何時の間にか飛躍して、不圖さつき便所の隅で睹(み)た小さな情景を想ひ出した。蜘蛛の巣の糸に蟋蟀(こほろぎ)が引掛つて宙にぶらさがつたまま、四肢をピリピリ動かしてゐるのだつた。彼はそれを眺めながら蜘蛛が惡いのか、蟋蟀が惡いのか結局判斷出來なかつたのでその儘にして置いたのだが、彼の運命もやや蟋蟀に似てゐるやうに思へた。だが、憤つたところでどうにもなりさうにはなかつた。彼は近頃不圖觀相術の本を買つて讀んでみると、彼の顏にはもともとさうした不吉の相があつたのに氣づいた。してみると、あの事件も偶然ではなかつたのか、辭職しよう、辭職しようと考へてゐるうちに、あの瀆職事件は突發したのだつた。每日警察へ呼び出されたり、新聞に書き立てられたりして、さんざ世間の疑惑と冷笑を買つた揚句、やつと無關係なことが證明された時には、すつかり彼の氣持は變つてゐた。身の潔白が證明された以上、何故職に蹈み留まらなかつたのかと、彼の辭職を批難する友もあつたが、さう云ふ友の意氣は羨しいとしても、彼の眼には浮世のすべてが陰慘な翳(かげ)に滿たされてゐるやうに意(おも)へ出した。人の一生は惡夢か、と彼は時々さう口吟(くちずさ)んだが、惡夢だと悟りきれない夢もまだ少しは持つてゐた。どうも此頃は殆ど每日雨が降るので、餘り運動も出來ない所爲か、消化不良で夜每怪しげな夢をみるのだつた。その夢は決つたやうにあの事件と關係のあるものだつた。忘れよう、忘れようとしてもあの時の記憶は空氣のなかに溶け込んでゐて、呼吸をする度に現れて來た。今朝もやはり夢をみた筈だつた、が、田中氏は今更夢のことを氣にしてはゐなかつた。が、たつた今も膝の上に新聞を展げて、何か疑獄の記事が出てはゐまいかと自(おの)づからその方へ神經が尖り出すのであつた。今日は全くさうした記事も出てゐなかつた。

 不圖、田中氏は二十年前のことを憶ひ出した。下役の者が持つて寄越した歳暮を妻が足袋はだしのまま追駈けて行つて返した時の情景である。あの頃から妻には苦勞ばかり掛けて來たのだが、隨分長い間一緒に暮しながら殆ど妻のことには關心も持てなかつた。それが此頃では神經質なほど妻の一擧一動が氣になる。起きるから寢るまで、炊事、裁縫、掃除、洗濯と次々に用事に追はれながら働いてゐる姿を視ると、かう云ふことをしてよくも二十年間耐へて來てくれたものだと感心するのであつた。彼は人間としては妻の方が遙かに美質を備へてゐるのではないかと考へ出した。時として彼は突然妻のところへ行つて何か優しい言葉でも掛けてみたい氣になるのだつたが、今更さうした表現は不自然でもあつたし、彼の性格にも合つてゐなかつた。しかし妻は何の娯しみがあつて今日の日まで辛苦して來たのだらう、だから、妻が子供が欲しいと云ひ出した時、彼は妻が近日婦人科の診察を受けることに贊成してしまつたのだつた。だが、今の氣分が生れて來る子供に反映するとすれば、子供も生れない方が幸(しあわせ)ではあるまいか。人間社會を陰慘だと感じてゐる親の子供なら、子供も不幸になるかも知れなかつた。彼はあらゆる虛妄に觸れても動搖しない、一つの精神の高みに達したいと願つた。生も死も一如と感じる宗教を求めて置き度かつた。――田中氏にとつて考へることがらは凡そ範圍が決まつてゐた。だが、かうして朝の一時(ひととき)を默想に費すのも何かの修行のやうだつた。

 煙草を灰皿に捨てると、彼は立上つて緣側に出た。庭の唐辛子が眞赤に色づいて美しかつた。薔薇や、菊は手入れが惡かつたので蟲に食はれてしまつたが、一錢で三株買つて植えた唐辛子だけが元氣よく實つてゐるのも皮肉に似てゐた。それにも增して雜草は茂り放題になつてゐた。立派な植物程、育ち難いものなのか――田中氏は氣質の優しい甥が先日死んだと云ふ通知を受取つた時の感想をふと思ひ出した。さう云ふ例なら彼の身邊に隨分あつた。だが、松の樹はどうだ、雨風に打たれながら老い寂びて高く聳える樹の姿を想ひ浮べた。出來れば彼も松の樹になり度いのだつた。さう思つて空の方を眺めると、今朝は珍しくも靑空が高く澄み渡つてゐた。午後から散步でもするかな、と田中氏は一人で決めると、また部屋に戾つた。

 それから机について、禪宗の本を開いた。暫く精神を集中するつもりで活字を眺めてゐた。だが、この部屋には蠅が一匹ゐるのに氣が着いた。蠅は田中氏が少し油斷してゐると直ぐに肩の邊に來て留まつた。追つても追つても同じことが繰返されてゐるうちに、田中氏は、新聞紙を丸めて蠅打にした。机に來た時、叩きつけたが、蠅は巧みに逃げてしまつた。それからものの一分は靜かであつたが、また蠅はやつて來た。田中氏の狙ひはまた失敗に歸した。そこで彼は立上つてどうでも蠅を殺すことに決めた。視ると蠅は天井に留まつて、早くも彼の氣配に感じたらしく呼吸をひそめてゐた。蠅一匹は躍氣になつてしまつた己(おのれ)を彼は多少大人氣ないと思つた。だが蠅の動作は既に田中氏にいろいろの聯想を生ませてゐた。彼は天井に飛びついて、そいつを叩きつけた。すると蠅はもろくも死骸となつて落ちて來た。

 

[やぶちゃん注:「凭つて」「よつて(よって)」と訓じておく。「よりかかつて(よりかかって)」と読むのは勝手であるが、そう読ませるなら、送り仮名を工夫すべきであり、私は採らない。

「幸(しあわせ)」ママ。]

2017/12/26

ブログ1040000アクセス突破記念  阪東医師 梅崎春生

[やぶちゃん注:昭和三二(一九五七)年八月号『新潮』初出。既刊本未収録作。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第四巻を用いた。

 本篇は2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1040000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年12月26日藪野直史】]

 

 

 阪東医師

 

 僕はたいへん身体が弱かった。

 小学校の通信簿の、甲乙丙を書き込む欄の外に、その学期の学課、操行、出席という欄があって、それぞれの成績が良ければ、ホタル型の印を先生がべたりと押して呉れる。僕の通信簿においては、その「出席」の欄は、いつも空白だった。ホタル印が押してあるためしがなかった。つまり僕は、ただひとつの学期でも、皆勤ということを一度もしなかったことになる。もちろんその欠席も、ズル休みではなく、ほんものの病気休みだった。ズル休みなんか、僕に出来るわけがない。うちにはとても厳しいお婆さんがいて、ズル休みなどをしようもんなら、鉄火箸でもって尻をぴしぴし打たれるにきまっていた。

 そんな具合に僕は、しょっちゅうと言っていい程、次から次へ病気にかかっていた。風邪ひきや腹痛などの初歩的なやつから、扁桃腺や気管支カタル、盲腸炎や腎臓炎などの中級的高級的なもの。ボウコウ炎なんて言う妙なのにもかかったことがある。これは結石で、石が二つ三つ出た。何だか知らないが、顔じゅうがカサブタだらけになって、お天気の日にも洋傘をさし、お母さんにつれられて病院通いをしたこともある。人目を忍ぶという気分を、僕はその時生れて初めて味わった。その期間中、お母さんはしょっちゅう僕に言い聞かせた。

「痺(かゆ)いからと言って、かいてはだめだよ。あとになって残るよ」

 あの病気は、一体何だったんだろう。言いつけをよく守ったおかげで、その痕跡は今の僕の顔には残っていないのだが。

 病気にかかると、お医者さんが来る。

 うちのかかりつけは、阪東先生と言って、うちから三町ばかり離れた小さな医院だった。古ぼけた建物で、黄昏(たそがれ)時になるとその『阪東医院』と書いた軒燈に、蝙蝠(こうもり)が二三匹ひらひらと飛んでいたりした。

 その頃阪東先生は何歳ぐらいだったか、僕にはよく判らなかった。大人(おとな)は大人と言うだけで、その年齢がいくつぐらいか、僕たち子供らにはあまり興味のないことなのだ。三十であろうと、五十であろうと、大人は大人にかわりはない。爺さんは別だ。阪東先生はとにかく爺さんではなかったようだ。すこし猫背の、顔色はあまりよくない、低い声でものを言う先生だった。僕が寝ている部屋に入って来る時でも、猫のような歩き方で、足音をほとんど立てない。しかし足音がしなくても、先生が来たなということが、寝ている僕にはすぐに判った。先生には先生のにおいがあったからだ。あの薬局に入った時と同じにおいが、先生の身体や洋服にしみついていた。

 夜中に僕が病気になって、先生がやって来る時には、別のにおいがした。それは酒屋の前を通る時と同じにおいだった。先生が低い声でものを言うたびに、お酒のにおいが僕の鼻のあたりにただよった。昼間の阪東先生は、なにか孤独で淋しそうだったけれども、夜の先生はそうでもなかった。僕は昼間の阪東先生の方が好きだった。たとえば腹痛なんかの時、昼間の先生だったら遠慮がちに、痛む箇所をやわやわと押えるが、夜の先生はいくらか乱暴だったからだ。

 しかし、お医者さんのやり方は、どうしてあんなに千編一律なんだろう。脈を見る。舌を出させる。検温器をはさむ。聴診器で胸のあちこち、つづいて身体を裏返して背中のあちこち。打診がやはり裏表。下痢の時でも、頭痛の時でも、おできの時でも、この行事に変りはない。よくお医者さんはあれで退屈しないものだと思う。病人の僕の方がもう退屈していると言うのに。

 診察が終ると、先生は病名を低い声で告げる。時にはそのあとでつけ加える。

「もっと栄養をとるように。ふだんの栄養が大切ですぞ。では後ほど、お薬をとりに来て下さい」

 小さな紙にさらさらと処方をしたためて、封をする。それを枕もとに置いて、音もなく立ち上る。猫のように病室を出て行く。出て行ったあとでも、先生のにおいはしばらくそこらに残っている。

 お薬はたいていの場合、散薬と水薬の二つにきまっていた。どちらも僕の舌には不味く、のみにくかった。それをのませるのがお婆さんの役目になっていた。

「そら。ミツグスリの時間だよ。早くのみなさい」

 僕のお婆さんは水薬のことを、ミツグスリと発音した。お婆さんの生れた地方、育った地方では、ズとヅの発音をはっきりと区別していて、だからミヅグスリと発音するのだそうだが、僕の耳にはミツグスリとしか聞えないのだ。ミツグスリは蜜薬のように響いて、とても甘そうに感じられるが、実際のんでみると全然甘くなく、ひどくにがかったり、いやなにおいがするのが常だった。はき出したくても、お婆さんがにらみつけているから、はき出すわけには行かない。

「そのミツグスリはよく効くんだよ。それをのんで、早く直って、肥りなさい」

 お婆さんの言葉は、正確にはこうでなくて、もっとひどく訛(なま)っているのだが、そのお婆さんの言い方を、今の僕は再現出来ない。

 僕はいつも瘦せていた。かまきりみたいに瘦せていた。かけっこは一番ビリだったし、体操の時間がもっともにが手だった。皆が飛びついてぶら下る平行棒に、僕だけが飛びつけず、小野道風の蛙みたいに、何度も何度も飛び上っていたりした。体操の時間になると、僕の自尊心はささらのようにささくれて、当分は元に戻らなかった。

 僕の栄養不良の原因は、僕の食生活に因していたと思う。その頃のうちの食生活はお婆さんが中心で、うちのお父さんやお母さんはたいへん親孝行、姑孝行だったのだろう。一家そろって脂肪やタンパク質の乏しい老人食をとっていた。

 朝は茶粥(ちゃがゆ)、やわらかな茶粥で、味噌汁はつかない。お婆さんの出生地のしきたりで、だからうちでもそれが守られているわけだ。おかずはタカ菜の古漬。うちのタカ菜の古漬はうまいと、来る客々がほめるのだが、お世辞にちがいないと僕は心に決めていた。あんなへんなにおいのする漬物が、うまくってたまるものか。

 昼が問題だった。僕の通っていた小学校は妙な小学校で、級友同士でおかずを牽制し合う。つまり倹約する方にだ。先生もそれを黙認、あるいは奨励しているような気配すらあった。ドンが鳴って授業が終る。弁当の時間になる。弁当の蓋(ふた)を取りながら、周囲の友達の弁当に横眼を使う。ふり返る。あるいは立って見に行く。

「今日はあいつのはカマボコだ。ゼイタクだ」

「ゼイタクだぞ」

「ゼイタクだぞ」

 ゼイタクだとはやされた男は、恥辱で顔がまっかになり、蓋でかくすようにして、こそこそと弁当を食べる。カマボコがゼイタクと目されるくらいだから、余は推して知るべしで、大休標準のおかずは梅干一箇、またはタクアンの二三片、ということになっていた。僕だってゼイタクゼイタクと、皆からはやし立てられるのはいやなので、朝おかずの点検して、それがゼイタクおかずだったら、必死になってお母さんにだだをこねる。

「へんな子だねえ。この子は」

 お母さんは呆れて言う。

「梅干なんかより、これの方がおいしいんだよ。それに栄養もあるし」

 しかし、僕が頑としてうまさと栄養を拒否するので、お母さんも渋々梅干かタクアンに取り換える。

 夜は夜で、淡味な老人食。お魚はあまり脂肪のない白身を、焼いたり煮たり。肉であることもまれにはあったが、子供の時の僕の町の肉は、固くて固くて嚙み切れなかった。だから僕たちは、肉というものは固いものと決めていた。嚙み切れなくて、最後にははき出すものと決めていた。牛肉も豚肉も鶏肉も、おしなべて固かった。僕らの丈夫な歯でも固かったのだから、お婆さんにとっては、もっともっと固かったに違いない。肉類がうちの食膳にあまり姿をあらわさなかったのは、そのせいだろう。

 僕らの町の肉屋が売っていたのは、田圃でこきつかった揚句の牛や、卵を産まなくなった老鶏の肉だったと今にして思う。それでなければあんなに固かった筈がない。

 トーガン。僕はこの植物が大嫌いだった。ところが因果なことに、お婆さんがこれを大好きだった。お婆さんが好む食物は、おおむね僕の嫌いなものだった。カボチャ。ニンジン。ネギ。ネギの青い部分を、醤油でべちゃべちゃ煮たのなど、僕は見るだけで食欲を喪失した。

 

 あまりたびたび病気をするものだから、阪東先生は僕の身休のからくり、傾向、その他のすべてを知り尽していたと思う。カメラだって、自分の物にして、長いこと使用していれば、くせが全部わかって来る。それと同じような具合にだ。

 ところが一度だけ、阪東先生にも理解し難い症状が、僕の身体におこったことがある。

 それは先ず風邪ひきのような恰好だった。水洟(みずばな)やせきが出て、それから熱が出た。二三日そういう症状が続いた。阪東先生は毎日々々、午後になるとやって来た。型通りの診察をして、水薬と散薬を呉れる。いつもの風邪ならば、三日も経てばなおるのに、この時は熱がすこしも下らなかった。咽喉(のど)のへんが重苦しくて、ぼったりふくれて来るような気がする。実際にふくれていたのだ。

 四日目、僕の脇の下から検温器を引っこ抜き、阪東先生は首をかたむけて目盛りを読んだ。それから少し青いような眼付きになって僕を見おろし、聴診器をごそごそと鞄から振り出した。いつもより丁寧に、時間をかけて、僕の身体を診察した。道具を全部鞄にしまうと、手を伸ばして僕の咽喉に触れた。そこらをごろごろとまさぐった。

「痛いか?」

「痛くはない。重苦しい」

 すると阪東先生は手を放し、しばらく宙をにらんでいたが、やがてさらさらと処方箋を書きつけ、つきそっていたお婆さんに渡しながら言った。

「薬をかえて見ましょう」

 薬がかわったけれども、熱は下らなかった。水洟やせきは治まったが、熱だけはむしろじりじりと上昇して行く傾向があった。それと同時に、咽喉全体がぼたぼたと腫(は)れ上って来た。

 どうして腫れて来るのか、もちろん僕には判らなかったし、お父さんやお母さんにも判らなかったが、阪東先生自身にも全く見当がつかなかったらしい。先生の診察態度には一層の真剣味と共に、一層の困惑ぶりが加わって来たようだった。腫れた僕の咽喉をさわる時、先生の指はぶるぶるとふるえた。おろおろ声で先生は訊ねる。

「痛いか?」

「痛くはない」

 僕は熱にあえぎながら答える。

「なんだか重苦しい」

 咽喉の腫れは増大する一方だった。来るたびに期待を裏切って増大するものだから、先生の態度は目立って自信がなくなり、また信じがたい怪物を見るような眼付きで、僕の咽喉をにらみつけたりした。そういうにらみ方をされると、僕は一層胸苦しくなり、また泣き出したいような気特になった。死ぬのかも知れないな、と考えた。

 ついに一遇間目に僕の咽喉は、顎(あご)と同じ高さになった。あおむけに寝ていると、顎から段落がなくのっぺらぼうに咽喉となり、そのまま胸につづいている形となった。毎日氷で冷やしているので、咽喉には感覚がなく、ぼったりと無限に重い感じだけがあった。変形した僕の咽喉を、お父さんはいたましげに眺めていたが、しばらくしてお母さんを呼び寄せて言った。

「これはただごとでない。大学の先生にいっぺん診て貰おう」

 それをどういう具合に阪東先生に話したのか、僕は居合わせなかったから知らない。とにかく立合診察ということになった。

 大学教授は人力車に乗ってやって来た。八字髭(ひげ)を生やして、鷲(わし)のような眼を持った瘦せたひとだった。時刻は夕方だったので、僕の寝ている部屋は薄暗かった。入って来るなり教授は重々しい声で言った。

「電燈をつけなさい」

一時間ほど前からきちんと坐って待っていた阪東先生は、バネがかかったようにぴょんと立ち上り、電燈のスイッチをひねった。

 その阪東先生に眼もくれず、教授は僕の蒲団を引き剝(は)ぎ、非常にかんたんな診察をした。最後に僕の咽喉をさわりながら、怒鳴るように言った。

「すぐ入院だ。すぐ手術しなければ、生命にかかわる!」

 そして教授はぐいと阪東先生をにらみつけた。

「今までどんな治療をしたのか。生命というものは、大切なものだぞ。これまでどうして放っといた?」

「はい」

 阪東先生は肩をすくめて、ひと回り小さくなった。口をもごもごと動かしただけで、はっきりした説明はしなかった。教授は今度はつけつけした声でお母さんに言った。

「早く入院の用意をしなさい。放っといたら、大変なことになりますぞ」

 お母さんは顔色をかえて、僕を病院に運ぶための人力車を呼びに行った。教授はすっくと立ち上ると、足音を立てて部屋を出て行った。教授が僕の部屋にいたのは、五分間ぐらいだったと思う。

 阪東先生はひと回り小さくなった姿勢のまま、じっとしていた。じっと畳をにらんでいた。やがて人力車が来て、僕が運び出される時も、そのままの姿勢で動かなかった。陶器か金物のように動かなかった。よほど口惜しかったんだろうと思う。
 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 難船

 

 難船

 

 ひどい家だ、ひどい嵐だ、崖の上にのつかつてゐるそのボロボロの家は、難破船のやうに傾いてゐる。――今顚覆するか、もう今か、と思ひながら、ゴーと唸つて雨戸にぶつつかる砂塵の音に寢そびれながら、彼は少し愉(たの)しいのだから變だ。彼は夢をみてゐるのであつた。たつたこの間まで目拔きの場所へ店を構へて、彼は山と積んだ負債を切拔けてゐたのだつた。明日破産するか、來月は駄目かと思ひながら、彼は半生を頑張り通した。彼は號外が好きだつた。何か素晴らしい事件が一枚の紙片から發生しはすまいかと、何時も待ち構へた。每朝目が覺めると、世の中はどうなるのかと不安に脅えた。

 しかし今彼は破産してしまつて、郊外の破屋(あばらや)に棲んでゐるのであつた。女房も丁稚もゐなかつた。なにくそ、大丈夫だ、この家が顚覆するなら、してみろと! 彼は魘(おび)えながら闇の中で力み返つた。あたかも女房や丁稚がまだその家にゐるやうな錯覺で、老いた彼はまだ一つの張りを持つてゐた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 渚 ――ある男が夫婦喧嘩して翌朝の感想――

 

 

  ――ある男が夫婦喧嘩して翌朝の感想――

 

[やぶちゃん注:底本には以上の標題と副題の後に下部に編者によって、『これは初版本では、と副題のみで、次の「難船」との間に二頁分、約八〇〇字が白となっている』とある。私はこれは原民喜の確信犯で、一種のダダイズム的なパフォーマンスであると思われる。或いは、読者へ、そこにその題と副題で、「どうぞ、ご自由に創作なさい」と彼は言っているのかも知れない。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 滑走

 

 滑走

 

 雁江の病室には附添ひの看護婦がゐた。彼女と同じ位の年輩だつたが、看護婦の方が遙かに大人びてゐた。長い患ひが、この頃やうやく癒えて來ると、雁江は身體だけでなく心までがすつかり變つて來るやうな氣がした。病室には早咲きのシクラメンがあつた。看護婦は四六時中雁江の部屋にゐた、もう一カ月あまりその部屋の空氣を一緒に呼吸して來たのだつた。病氣に罹ると云ふことを雁江はもともと厭でなかつた。父がまだ生きてゐる頃など父の愛情が急に濃く細かに感じられた。女學校時代も卒業後も友達が持てなかつた雁江は、それでなくても現實の脅迫が強すぎた。病床に就いてしまへば、それがともかく逃避出來た。雁江は滿たされない感情のためにも、いくぶん虛無的な、生命を弄びたがる傾向があつた。傍(はた)の眼には大人しすぎる、沈鬱な女であつたが、内部には柔い夢想が育まれてゐた。ただ、何處かに障碍があつて、彼女は環境と和合出來なかつた。そのため、日常生活と云ふものは彼女にとつて、厭らしい重荷であつた。彼女は結婚のことを考へると、更に悲觀的になつた。男性は一面彼女を最も脅す存在であつた。崇高な男と云ふものは實在しさうになかつた。男は彼女を傷けるためにゐた。雁江は絶海の孤島に生きてゐた。

 その孤島へ始めて訪れて來たのが今度の看護婦だつた。絹江と云ふ看護婦は、始めて彼女を普通の人として取扱つた。雁江の方にも隨分讓步があつたにはあつた。人から口をきかれた時、大概短い返事でぽつんと突放す癖のある雁江が、絹江から始めて口をきかれた時には、病氣の所爲もあつたが、努めて長い言葉を用ひた。それに雁江は相手がやはり努力して口をきいてゐるのを見てとつた。人扱ひに慣れたこの女が、雁江に對してもどかしさうにしてゐるのを見た時、雁江はふと微笑を感じた。それから二人の友情は長い間、或るもどかしさを以つて進んだ。雁江には人と口がきけるのが珍しかつた。絹江はある日、自分の戀人の話をして聞かせた。その看護婦に附文する男が五指を出でると聞いた時、雁江は耳まで赤面してしまつた。すると、絹江もそれに氣づいて、濟まなささうな表情をして默つてしまつた。雁江は今度は自分の方から好んでその話を聞きたがつた。異性の話から二人の友情はまた少し接近した。雁江は聞かされる側ではあつたが、それでも絹江にまだ眞實の戀人はないと告白された時には吻と安心した。二人は一緒に一人の異性を戀しはすまいかと云ふをかしな考へが生じて、雁江は面白さうに笑つた。

 

 退院後も絹江の方から暇な時にはよく訪ねて來た。二人は狹い田舍の街や郊外を散步した。キネマや、喫茶店や、汁粉屋へ入ることを雁江は慣れた。絹江は細卷の煙草をいたづらに吸つたりした。一年足らずのうちに雁江はすつかり外貌を改めた。雁江は前から漠然と希望してゐた上の學校へ入學することをその頃になると本氣で主張した。義理の母とは衝突もあつたが、ともかく叔母を賴つて上京することになつた。絹江も將來上京してまだ學問する筈だつたので、一足さきに雁江の方が行つて待つと云ふ約束だつた。出發の日に絹江が見送りに來て呉れなかつたのは物足りなかつた。しかし上京すると直ぐに絹江から便りがあつた。絹江は彼女の居なくなつたのを無性に淋しがつてゐた。感情に飢ゑてゐた雁江は直ぐに長い返事を書いた。

 やがて學校が始まると、雁江は直ぐに友達を作つた。雁江の動作は何彼につけて能動的になつた。自分から働きかければ、すべては手を開いて呉れ道は開かれる――と思つた。慣れない環境を怖れないで、勝手に進んで行つた。雁江達にとつて、學校はとにかく社交場となつた、そしてそれは街にまで延長されてゐた。流行とか、尖端とか云ふものを彼女は意識的に愛好した。陰鬱な女學校時代の内攻癖がすつかり解放されて、自分に自分で反逆して行くことが嬉しかつた。病弱だつた身體は不思議に元氣づいて來た。友達同士の紹介で男の友達も容易に出來た。男性は雁江にとつて面白いものとなつた。

 夏休みが來て雁江が田舍へ歸ると一番に絹江が訪ねて來た。絹江は手紙で、あなたも前とは隨分變つたでせう、それも止むを得ないことでせうと云つてゐたが、今眼の前に雁江を迎へた、絹江の方は幾分沈み勝ちになつたところもあつたが、前と變らなかつた。雁江は服裝や、化粧や、云葉や、態度を見せびらかせた。絹江はもしかすると結婚するかも知れないと打明けた。いい人でも出來たのかと思つて、雁江は、おめでたうと云ふと、さうではなかつた。家の事情から止むを得ず、ある男のところへ嫁ぐのだと聞かされた。

 秋になつて學校が始まつた時、雁江は絹江の結婚の通知を受取つた。何か裏切られたやうな寂しさや、あの女も案外、古風な平凡な女だつたのかと云ふ感慨やで、雁江は頻りに反撥を欲した。ダンスホールや酒場などの空氣に浸ることを覺えた。學問はもうどうでもよかつた。叔母の眼を誤魔化しては男の學生と新宿で逢つた。その學生は彼女の腕を執つて巧みに氷の上を滑走させてくれた。

 絹江からは以前と同樣によく手紙が來た。絹江は不幸な結婚生活の愚痴をありのまま綴つて、貧乏に耐へて行く悲しみを底にたたへてゐた。雁江は自分の方が勝つたと思へた。それらの手紙は境遇に從順すぎたり、純情すぎるものの不幸を雁江に教へて呉れるやうなものであつた。男の友達は入替つては出來た。しかし雁江は異性よりも、浪費に今は夢中であつた。金を浪費することの無邪氣な悦びと、浪費した後の嘆きとが彼女の生活の振幅であつた。彼女は活(いき)々と金を欲しがつた。女學校時代、金は何か卑しいもののやうに評價されてゐたのが、今は金の華やかさにすつかり感嘆した。しかし義理の母の方からは送金額が多すぎることを批難して來た。叔母とも衝突が重なつた。何故、浪費してはいけないのだらう、一生に一度しかない華やかな時期ではないか、雁江は自分が働いてゐないために浪費が批難されてゐると意(おも)つた。それなら働けばいい、と雁江は單純に結論をつけた。そして叔母の家を飛出した。

 

 それから一年後、雁江は絹江の死亡通知を受取つた。爛れた生活を脊負ひながら雁江は、外見はますます明朗であつた。淋しく死んで行つた不幸な友のことを憶ふのも、秋雨のなかを酒場の方へ步いて行つて、秋雨を淋しがるのと似てゐた。酒場のレコードは今日も憂鬱な音を立ててゐた。絹江は嘗て彼女に二人の友情は戀に似てゐたと告白したことがある。あれが戀と云ふものかしら、と雁江は懷(おも)つた。今の私にはあなたの氣持はぴつたりしない、しかし長い生涯にはあなたのことを憶ひ出して心を締めつけられることがあるかも知れない――雁江はそんな風に考へた。

 

[やぶちゃん注:「吻と」「ほつと(ほっと)」と訓ずる。]

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第八章 自然淘汰(6) 六 雌雄淘汰 / 自然淘汰~了

 

     六 雌雄淘汰

 

Kujyaku

[孔雀]

[やぶちゃん注:鳥綱キジ目キジ科クジャク属 Pavo(インドクジャク Pavo cristatus 及びマクジャク Pavo muticus の二種)・コンゴクジャク属コンゴクジャク Afropavo congolensis(一属一種)の三種のみ。]

 

Huutyou

[風鳥]

[やぶちゃん注:所謂、通称、極楽鳥のこと。スズメ目スズメ亜目カラス上科フウチョウ科 Paradisaeidae に属し、現在、十五属四十一種を数える。以上の二図は講談社学術文庫版を用いた。]

 

 ダーウィンは「種の起源」を著してから十二年を過ぎて、「人類の祖先」と題する書を公にしたが、その中に雌雄淘汰といふことを詳しく論じた。動物は大抵雌雄が相合して子を生むものであるが、その際配偶者を獲るための競爭が起らざるを得ない。而して雌雄の中、雄の方は進んで求める性質、雌の方は留まつて應ずる性質のもの故、相爭ふのは通常雄で、雌はたゞ最も優つた雄に從ふだけである。若し雌が單に戰に勝つた最も強い雄に從ふものならば、淘汰の結果たゞ雄だけが代々強くなるか、或はその性質が雌にも傳はつて兩方ともに強くなるに過ぎぬが、實際動物の習性を調べて見ると、なかなか斯く定まつたものではない。特に鳥類・昆蟲類等を調べて見ると、種類によつては雌は最も美麗な雄に從ふものもあり、最も聲の好い歌の巧な雄に從ふものもあり、またその上に最も巧に踊る雄に從ふものもある。何故かやうな性質が生じたかは不明瞭であるが、事實はこの通りで、腕力競爭よりも寧ろ容貌や遊藝の競爭に勝つた雄が、最も子孫を遺す見込のあることが多い。これらに就いては從來博物學者が丁寧に觀察し記述して置いたものが澤山にあるが、讀んで見ると頗る不思議な面白いことばかりである。特に鳥類に就いてはこの種の記錄が多いが、或る鳥は産卵期に近づくと、雄が翼を擴げたり、尾を立てたりして羽毛の美なることを成るべく著しく見せて、雌の愛を求めようとする。孔雀が尾を開き、風鳥が翼を擴げるのも、この類である。上野動物園に飼養してある駝鳥の雄も、雌の前に來て脚を屈め翼を擴げ頭を後へ曲げて、實に奇妙にな姿勢をする。また或る鳥は産卵期に近づくと雄が終日鳴き歌つて、雌の愛を求める。時鳥(ほとゝぎす)の鳴くのもこの類である。また或る鳥の種類では、雌の集まつて見物して居る前で、雄は確に舞踊と名づくべき運動をするが、總べてこれらの場合には雌が選擇者であり、雄はたゞ雌に選ばれようとて爭う譯故、代々多數の雄の中から最も雌の意に適つたもののみが、生殖の見込を有し、その性質を子に傳へ、長い間には以上の點が漸々發達する理窟である。今日鳥類の雄に非常な美麗なもの、非常に聲の好きもの等のあるのは、斯く進化し來つた結果であらう。

[やぶちゃん注:「人類の祖先」これは恐らく一八七一年に刊行されたThe Descent of Man, and Selection in Relation to Sex(人間の系図、及び性による淘汰)であろう。「人類の起源」「人間の進化と性淘汰」などという邦訳題で知られる。]

 

Gengorou

[げんごらうの雄][やぶちゃん注:左の図。節足動物門昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目オサムシ亜目オサムシ上科 Caraboidea 或いはゲンゴロウ科 Dytiscidae に属するするゲンロロウ類、又は単に「ゲンゴロウ」(源五郎)と呼んだ場合は、ゲンゴロウ亜科 Cybistrini 族ゲンゴロウ属ナミゲンゴロウ Cybister japonicus を指すことも多い。ナミゲンゴロウ(並源五郎) Cybister japonicus の前脚の跗節には、この図のように、一部が扁平に拡大して下面にいくつかの吸盤を有した付属器あり、交尾に際しては、これでの背面に吸着する。また、の背面は滑らかなのに対し、の背面には細かい皺や溝があって、これについても交尾に際し、がつかまり易くするように適応した結果と考えられている(ここはウィキの「ナミゲンゴロウ」に拠った)。]

[その前足の廓大圖][やぶちゃん注:右の図。以上の図は講談社学術文庫版を用いた。]

 

 雌を奪ひ合ふために、雄が腕力的の競爭をなすことは、無論常にあることで、鳥でも獸でも蟲でも魚でも、その頃になると大概劇烈な戰爭が始まる。而して代々この戰爭に勝つたものが子を遺すから、長い間にはこの戰爭に適した性質が漸々進步する筈である。雄鷄の距(けづめ)も、その勇氣も、或は斯くして發達したものかも知れぬ。また雌を捕へた後でも之に逃げ去られては、生殖の目的を達することが出來ぬから、代々雌を放さぬやうな仕掛の最も發達したものが子を遺すので、長い間には斯かる仕掛が次第に完備するやうな場合もある。水中に住む「げんごらう」といふ甲蟲の雄の前足が吸盤の如くになつて居るのは、恐らく斯く進化し來つた結果であらう。總べて斯くの如く生物個體間には、たゞ敵より逃れるため、餌を取つて食ふための競爭の外に、雌雄生殖の目的のためにも、常に競爭を免れぬものであるが、この競爭に負けたものは、直には死なぬが、後に子を遺さぬから、たゞ勝つたものの性質のみが積み重なつて、生物各種はその方面にも進化する譯になる。敵より逃れ餌を取つて食ふことに直接に關係のない性質は、多くはこの方法で進化し來つたものであらう。自然界に於て我々が美しいと感ずる事項は、大抵この部に屬するものである。

 

Tyuubaikahuubaika

[蟲媒植物と風媒植物]

[やぶちゃん注:右上「櫻に蜂と虻」。中央「薔薇に甲蟲」。右下「躑躅に蝶」。左上「松に風媒」。左下「まつよひぐさに蛾」。この図は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングし、画像補正した。講談社学術文庫版にはこの挿絵はない。]

 自然界の美を賞讚する人は、先づ第一に花と鳥とを指すが、その賞する點は孰れもその生物が敵を逃れ餌を食ふために必要な部分ではない。草の根、鳥の胃・腸などは一日もなくては生きて居られぬ部であるが、之を賞めた人は昔から決して一人もない。また生殖の器官は動物・植物に取つては最も重要なものであるが、之も美しいとて賞められたことはない。花は植物の生殖器官と稱するが、その中で美しいのは周圍の花瓣ばかりで、肝心の雄蘂・雌蘂は餘り目立たぬ。然らば人の常に賞する所は何かといふに、たゞ花の色とか鳥の聲とかで、孰れも生殖の目的のために他を誘ふものに過ぎぬ。松や杉が風によつて花粉を遠く飛ばすのと違ひ、美しい色の花は皆所謂蟲媒植物で、雄蘂の中に生じた花粉を蟲が媒介して他の花の雌蘂まで運ぶものばかりであるが、この蟲と花との關係は甚だ複雜なもので、之ばかりのために大部の書物が出來て居る。澤山の花に對して澤山な蟲があること故、自然その開に多少專門が定まつて、何の花には何やうな蟲が來るか略々定まつて居るが、相手とするその蟲が來てくれなければ、花は幾ら咲いても生殖の目的を遂げずに、そのまゝ萎れてしまはなければならぬ。アイスクリームや西洋菓子に入れるヴァニラといふ香の佳いものは南アメリカに産する蘭科植物の果實であるが、オランダ人が之をジャヴァに移し植えた所、媒介をする昆蟲が居ないので、少しも果實が生ぜず、據なく黑奴を傭ひ、筆を以て花粉を花から花へ移させたら、初めて澤山に果實が出來たといふ奇談もあるが、蟲は通常色の美しい、香の佳い花を選んで飛び來るものであるから、代々斯かる花が種子を遺して、終に今日見る如き美しい花が出來たのであらう。若しさうとしたならば、梅が香も櫻の色も、たゞ生殖の目的のために蟲を呼び寄せる道具として發達し來つたものである。

[やぶちゃん注:「ヴァニラ」単子葉植物綱 キジカクシ目ラン科バニラ属バニラ Vanilla planifolia。お馴染みの香料子としてのそれは種子を種子鞘のまま、発酵・乾燥繰り返す「キュアリング」という行程を経て初めて香料となる。]

 鳥の聲もその通りで、前に述べた通り雄が雌を獲ようと競爭する結果、斯く發達したものと見える。稀には雌の方が雄を捕へるために競爭する動物もあるが、そのやうな類では、雌の方に特別な性質が發達して居る。倂し之は例外で一般からいへば、相爭ふのは雄ばかりであるから、鳥に限らず、蛙でも、蟲でも、好く歌ふのは皆雄の方である。蛙の鳴くのは雄ばかりで、しかも産卵の時期に限つて特に盛に嗚き、夏騷しく鳴く蟬も、鳴くのは雄ばかりで、雌は全く無言である。この事は極昔から人の知つて居たことで、古いギリシアの詩にも「嗚呼蟬は仕合せ者である、その妻は聲を出さぬ」といつてあるが、雄蟬の鳴いて居る處を暫時眺めて居ると、いつの間にか雌が飛んで來てその傍にとまり、尚少時の後には交尾する。かやうに丁寧に注意して見ると、花に嗚く鶯でも水に棲む蛙でも、生きとし生けるものは孰れも雌を呼ぶために叫んで居ることが解る。その他香のことを考へても、婦人の最も珍重する麝香は印度邊に産する麝香鹿といふ小な鹿の雄の交接器の末端に當る處の毛皮の中に溜つた脂で、その天然の用は交尾の時期に雌を呼び寄せ、その情を起させるためである。それ故、その時期以外には甚だしく匂ふ程には生ぜぬ。

[やぶちゃん注:「いつの間にか」は底本は「いの間にか」。脱字と断じて、特異的に訂した

『古いギリシアの詩にも「嗚呼蟬は仕合せ者である、その妻は聲を出さぬ」といつてある』複数のネット情報によれば、ギリシャの詩人のクセナルクスの言葉らしい(原典未詳)。「蟬は幸福だ、沈黙の妻を持つから」などと訳されてある。しっかりした原拠を見い出したら、追記する。

「麝香」「麝香鹿」私の生物學講話 丘淺次郎 第十二章 戀愛(7) 三 色と香() 肛門腺及び蛾類性フェロモンの本文及び私の注を参照されたい。]

 凡生物には鯨の如く何百年も生きるものもあればまた蜉蝣(かげろふ)の如く、朝に生れて夕に死ぬるものもあつて、命の長い短いには各々相違があるが、壽命に限あることは孰れも同然である故、生物各種が代々生存するには生殖作用が是非必要である。餌を食つて消化する營養の働によつて個體が維持せられる通り、この作用によつて種屬が維持せられるものであるから、種屬生存の上から見れば、生殖は個體の死を償ふ働といつて宜しい。恰も營養の作用が出來なければその日限りに死に絶える如くに、生殖の作用が出來なければ、その代限りに死に絶えるから、たゞ死に絶えるのに多少の遲速があるだけで、種屬生存の上からいへば、孰れを重い、孰れを輕いと區別することは出來ぬ。それ故、現在の生物のなすことを見ると、その目的とする所は、食ふためと生殖するためとの外はない。有名なシルレルの詩にも「哲學者が何といはうとも、當分の間は餓と戀との力で浮世の狂言が行はれて行く」とあるのは、この有樣を指したのであらう。斯くの如く營養と生殖とは、生存上ともに必要である以上は、餌を取るための生存競爭の外に、子を遺すための生殖競爭も是非起る譯で、代々一定の標準で勝敗が定まれば、これ亦一種の淘汰であるから、生物進化の方向を定める一原因となるに違ひない。而して之も自然に起ること故、自然淘汰の一部であるが、ダーウィンの雌雄淘汰と名づけたものは、またその中の一部で、雌雄兩性に分かれた動物の生殖競爭から起る淘汰だけを指したものである。

[やぶちゃん注:「蜉蝣(かげろふ)の如く、朝に生れて夕に死ぬる」種によって異なるが、真正のカゲロウ(昆虫綱蜉蝣(カゲロウ)目Ephemeroptera)類は、長くても一週間、短いものは事実、一日の命である。なお、「カゲロウ」と呼称する昆虫類については、私はさんざん語ってきたが、決定版は生物學講話 丘淺次郎 第十九章 個體の死(4) 三 壽 命での私の注と心得る。ご覧あれかし。

『シルレルの詩にも「哲學者が何といはうとも、當分の間は餓と戀との力で浮世の狂言が行はれて行く」とある』「シルレル」はゲーテと並ぶドイツ古典主義の名詩人ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller 一七五九年~一八〇五年)であるが、出典は私は未詳。]

 花の色、動物の彩色等の起源・發達に就いては、當時尚種々の議論のあることで、他の作用とも密接な關係のあること故、單に雌雄淘汰だけで説明の出來るものではないが、生物間に常に生殖競爭がある以上は、生物進化の上に影響を及ぼすべきは當然のことで、色や香の如き日々の生存競爭に直接の關係のない點が、如何にして發達進化したかといふ疑問の一部分は、之によつて多少了解が出來る。倂しこれらに就いては尚研究を要する點が甚だ多いやうであるから、本書に於ては單に以上だけをこゝに附記するに止める。

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第八章 自然淘汰(5) 五 生物の系統

 

     五 生物の系統

 

 野生の動植物の各種が生む子の數は非常に多くて、到底その中の小部分より生存することは出來ぬが、同一の親から生れた子でも變異性によつて各々少しづゝ違つて居るから、その間に自然淘汰が行はれ、每囘最もその時その處の生存に適したものが生き殘つて子を生み、遺傳性によつてその性質を子に傳へるから、生存に適する性質は代々少しづゝ進んで、各生物は漸々形狀・構造・習性等に變化を生ずべきことは、既に前章までに説き來つた所であるが、更にその變化の模樣を考へると、本章に述べた通り、分業の結果として簡單より複雜に進むべきは無論であるが、生物界の全部が一樣に複雜に進む譯ではなく、外界の情況に應じ、複雜な生物に混じて簡單な生物も生存し行くもので、特別の場合には一且複雜になつた生物が再び簡單な有樣に戾ることも往々ある筈である。今日生存する動植物は孰れも斯かる往路を歷て進化し來つたものであると論じなければならぬ。

 右の理窟を現在の動植物に當て嵌め、溯つてその祖先はどうであつたかを推察すれば、凡そ次の如くである。飼養動植物に於ても淘汰の標準が違へば、初一種のものより後には數種の形が生じ、一種の野生鳩から、パウターも、ファンテイルもキャリヤーもタンブラーも出來る如く、天然に於ても、同一の先祖から降つた子孫でも、住處が異なれば生存競爭に於ける勝敗の標準が違ふから、自然淘汰の結果として是非とも形狀・構造等が各々互に相異なるやうになり、山に留まつたものと野に移つたものとでは、たとひ先祖は同一でも、終には二種の全く異なつたものとなるべき筈である。斯くの如く常に一種から進化して數種に分かれるものとすれば、今日我々の見る動植物の中で、互に最も相似たものは皆同一の先祖から降つたものと見倣さねばならぬ。卽ち北海道の赤熊も内地の黑熊も共同の熊の先祖より起り、嘴太烏も嘴細烏も肥前烏も皆共同の烏の先祖より進化して生じたものと見倣すより外には致し方がない。

[やぶちゃん注:「一種の野生鳩から、パウターも、ファンテイルもキャリヤーもタンブラーも出來る如く」「第三章 人の飼養する動植物の變異(3) 二 鳩の變種」を参照。

「赤熊」食肉目クマ科クマ亜科クマ属ヒグマ Ursus arctos。ヒグマは「羆」「樋熊」の他、その毛色から「緋熊」とも書く。

「黑熊」クマ属ツキノワグマ Ursus thibetanus。は毛色からアジアクロクマ(アジア黒熊)とも呼ぶ。

「嘴太烏」スズメ目カラス科カラス属ハシブトガラス Corvus macrorhynchos

「嘴細烏」カラス属ハシボソガラス Corvus corone

「肥前烏」これはカラス科カササギ属カササギ Pica pica の異名。やや乱暴であるが、現行の系統学からはカササギ類やカケス類(スズメ亜目カラス科カケス属 Garrulus)の同一祖先種から分岐したことは確かなようである。]

 尚この考へを一層先へ推し進めると、次の如くになる。凡人間でも概していへば親類の緣の濃いもの程相似ることも最も多い通り、生物種屬に於ても共同の先祖より互に相分かれたことの最も晩いもの程相似ることが著しいと考へても大きな間違ひではなかろう。例へば五百代前に共同の先祖から相分かれた二種の生物は、千代前に分かれたものに比すれば、互に相似ることが多いと見倣しても宜しかろう。然るに何十萬もある動植物の種類を集めて見ると、その中には互に極めて相似たものもあれば、また甚だしく違ふものもあつて、相似る度には夥しい懸隔がある。同じ獸類といふ中にも、狐と狸との如く善く似たものもあれば、鯨と蝙蝠との如く相離れたものもあり、同じ魚類といふ中にも、鯉と鮒との如く善く似たものもあれば、鯛と「あかえひ」との如く相異なつたものもある。倂し鯨と蝙蝠とが如何に相異なつてもその間の構造上の相違は獸と鳥との相違に比ぶれば遙に少く、鯛と「あかえひ」とは如何に相異なつてもその間の相違は到底魚と龜との相違には及ばぬ。かやうに最も似たものから最も異なつたものまで、種々の階段のある中から、最も相似たものを以て共同の先祖より起つたものと見倣せば、その次位に相似たものは、やはり尚一層古い時代に共同の先祖より起つたものと見倣さねばならず、赤熊と黑熊とを共同の先祖より降つたものと見倣したと同一の論法によれば、熊と狸ともやはり共同の先祖より降つたもので、たゞ相分かれた時代が赤熊と黑熊との相分かれた時代より幾らか前であつたといはなければならぬ。斯く論ずるときは、獸類は猿でも兎でも牛でも馬でも、總べて極古い時代まで溯ると、先祖はたゞ一種であり、鳥類は雀でも鳩でも鷹でも鶴でも、遙昔の時代まで溯ると、先祖はたゞ一種であつたのが、種々に分かれ降り、漸々進化して今日の如きものになつたと考へねばならず、尚溯れば、動物は總べての動物共同の先祖から、植物は總べての柚物共同の先祖から降つたのみならず、凡生物たるものは總べて生物共同の一種の先祖から起つたものであるといふ考に達する。

 以上述べた所は、無論推察論で極めて漠然たるものである。地球の歷史は何億年やら何兆年やら我々から見れば殆ど無限ともいふべき長いもので、生物の進化し來つたのはその間であるから、我々の今日の知識を以て之を明瞭に調べ上げることは素より出來ぬ。我々人類の經驗の範圍は實に比較にもならぬ程に狹いから、その經驗で知り得たことを基として、限なき昔のことを推し考へようとするは、恰も疊の目一つだけ位の知識を基とし、之を推し進めて一里先のことまでも究めようとするやうなもので、甚だ覺束ないことである。ここに述べたことの中でも、狐と狸とが共同の先祖より分かれ降つたといふ位な近いことは大概明瞭に想像も出來るが、動物の總先祖はたゞ一種であつたかどうかといふやうなことになると、最早實際らしい有樣を心中に畫いて見ることも困難である。たゞ我々の今日知り得たことを、今日の腦力にてどこまでも推すと、斯かる考に達するといふまでである。

 一々詳しいことは解らぬが、生物の各種が絶えず少しづゝ進化し、且初一種のものも後には數種に分かれるといふ以上は、生物の系圖が大體に於て樹枝狀を呈することは確である。根元(ねもと)が一本の枝も何囘となく分岐して枝の數が益々增加し、その末梢を數へると非常に多くある如く、生物の系統も、初一種のものも常に枝分れして、種類の數が追々增加し、今日見る如き多數の種屬が生じたのであらうが、今日我々の目の前にあるのは卽ち末梢端に相當する部だけで、幹や太い枝に當る處は既に死んでしまつた後で、見えぬから、我々は木の枝を見る如くに生物の系統を一目瞭然と見ることは出來ぬ。大木が土に埋もれて梢が現れて居るならば、たゞ土を掘りさへすれば直に枝の形を見ることが出來るが、生物の方では先祖は總べて遠い昔に死んでなくなり、古代の生物が化石となつて今日まで殘つて居るのは、極めて小部分に過ぎぬから、大抵の場合には直接の方法で生物各種の系圖を明にすることは出來ず、據(よんどころ)なく解剖上・發生上の事實を基として推察するばかりである。

 倂し推察とはいつても、總べての生物の總べての解剖上・發生上の點が十分に解つた後には、隨分誤らぬやうに生物の系圖の大部分を考へ出すことが出來る筈である。數十萬の生物種類を解剖上・發生上の類似の度によつて分類し、最も相似たものを集めて各々一群とし、最も相似た群を集めて更に一段大きな群とし、次第に大きな組に造り、常に似たものは集め、異なつたものは離すといふ主義に隨つて、全生物界を二大系統に編成したと假定すれば、之が卽ち生物各種の系圖を示す譯で、先祖が如何なるものであつたかは直接に解らぬが、生物各種の間の親類緣の濃い薄いは、之によつて明に知ることが出來る。昔の博物學者は動植物を分類するに當つて、たゞ容易に各種を搜し出せるやうにと務め、そのために都合の好い點か一つ二つだけ標準としたから、その分類表は極めて人爲的のもので、單に索引附きの目錄に過ぎなかつた。「林氏綱目」の如きは、單に雄藥と雌藥との數で總べての植物を分類してある故、櫻草も躑躅も煙草も朝顏も、五本の雄蘂と一本の雌蘂とを有するといふ所から、皆同一の目の中へ編入してある。然るにこゝに述べたやうな方法により、解剖上・發生上の點を悉く考へ、各種間の親類緣の遠い近いを確めて分類すれば、その結果は單に生物の名稱を竝べるが如きものではなく、直に生物の自然の系統を現すことに當るから、前の人爲分類に對して、之を自然分類と名づける。今日動物・植物の分類に志す人等の理想目的とする所は之である。

[やぶちゃん注:「林氏綱目」分類学の父と称せられるスウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネ(Carl von Linné 一七〇七年~一七七八年)が一七三五年に刊行した、動植物を分類した書「自然の体系」(Systema Naturae)。二章 進化論の歷史(1) 序・一 リンネー(生物種屬不變の説)を参照。]

 古今の生物の解剖上・發生上の點が悉く解つてしまへば、之を基として、たゞ一通りの自然分類だけより出來ぬ筈で、この分類が直に生物の系統を現すべき譯であるが、生物の解剖・發生等は現今我々が研究最中で、今日までに發見し來つたことを顧れば、隨分澤山にあつて、たゞ學術進步の速なのを驚くばかりであるが、尚解らぬこと、今より研究すべき事項などを考へると、殆どまだ山の登り口に居る如き心地がして、人間の知識の進步は斯くまで遲いものかと歎息せざるを得ぬ位故、今日直に自然分類を完成することは素より出來ぬ。それ故、今日の所謂自然分類といふものは皆不完全なもので、餘程までは分類者一人の想像に基づくが、人々により各々その知る所の部分が異なり、見る所の點が異なる故、殆ど人一人にその自然分類と稱するものが違ひ、動物學の書物でも、植物學の書物でも、二册取つて比べると、分類法の全く同じものは殆どない。一種一種の生物の系統に關しては、尚更議論が多い。倂し之は我々の知識の不足に基づくこと故、殘念ながら今日の所如何とも致し方がないが、生物の系統を圖に畫けば、必ず樹枝狀を呈するといふ大體のことに至つては、生物學者中最早人も異存を唱へるものはない。

[やぶちゃん注:現代ではこの形態分類学は廃れ、分子生物学の発展によって、旧来の類縁関係が単なる平行進化でしかない、全く近縁でもなんでもないケースも多数見つかっていることは言うまでもない。生物分類は現在、根本的に非常に大きな再検討期に入っている。]

 生物各種は絶えず少しづゝ進化して、且初一種のものも後には數種に分かれるから、生物の系統は樹枝狀を呈するといふことは、決して單に生存競爭・自然淘汰等から理窟で推した結論に止まる譯ではない。實際生物が斯かる有樣に進化し來つたことの證據は、生物學の各方面に殆ど幾らでもある。次の章以下數章で述べるのは、皆生物進化の證據といふべき事實である。元來、事實があつて然る後にその説明を要するのが順序であるから、生物進化が事實であることを證據立ててから、如何にして斯かる進化が起つたかといふ説明に及ぶべきであるが、河を探險するには多くは河口より潮つて進むが、人に教へるときには、水源から河口の方へ降つた方が解り易いやうな事情もあるから、本書に於ては先づ原因の方から先に説いて、結果の證明は後へ廻すこととした。第三章より本章までに説いたことは、ダーウィンの自然淘汰説の大要で、生物の進化は如何にして起つたかといふ説明であるが、次の章より述べることは、生物學の各方面から選み出した事實で、孰れも生物の進化を證明するものである。自然淘汰説の方は一々の場合に當て嵌めると、まだ不十分な點もあり、自然淘汰ばかりでは説明の出來ぬ現象もあつて、追追改められることがあるかも知れぬが、次の章より述べることは、孰れも有の値の事實である故、誰も否認することの出來ぬ性質のもので、これらの事實が證明する所の大事實、卽ち生物は恰も樹の枝の如くに分岐して進化し來つたといふ事實も、また誰も認めなければならぬものである。今日生物學者に之を疑ふものが一人もないのは、決して單に自然淘汰説から理論的に考へたのではない。寧ろ生物學の各方面には、生物の進化を證明する事實が無數にあるからである。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 玩具

 

 玩具

 

 終にあたりは冴えてしまつた。今、二〇ワットの電燈の下に兩方の壁が聳え立ち、窓は鎖され、扉には鍵がかけてある。さうすると、彼を圍繞する四疊半の鬼氣が、彼を憫笑してくれるのであつた。

 

 彼は今日街に出て一人の婦人と戀の散步をした。彼はぜんまい仕掛けの紳士よろしく、巧みなゼスチュアと頭に殘らないやうな會話とで、愉しい時間を持つことが出來た。婦人はゴム人形のやうに潑剌と無色透明な心臟を有(も)つて彼と竝んで舖道を行つた。戀の季節を修飾する早春の枯木や、アドバルーンや、轢死人が彼等の周圍にあつて移動した。高い建築物の日蔭を泳ぎ𢌞る群衆の一滴で彼はあつた。

 そして今、彼はその一滴が遠くに在つて凝結し出すのを覺える。彼は己が永遠に舖道に釘づけになつた時の姿を想つて慄然とする。それは何と憐れな玩具の一つに類したことか。

 高い窓から自分の散步してゐる姿を見てゐた自分自身があつたのに氣づく。そこで彼は今もあの婦人の手を執りながら高い窓の方を見上げて、大丈夫だよと云つてみる。しかし、さう云ひながら自分は下らない玩具になりさがりたがつてゐるのを、深夜に於いては否定出來なかつた。

 

[やぶちゃん注:「ワット」「ゼスチュア」はママ。拗音表記は外来語であるのでママとした。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 地獄の門

 

 地獄の門

 

 お祭りの夜だつた。

 叔父は薰を自轉車に乘せて走つてゐた。と、警官が叔父を呼留めた。それから二人は警察へ連れて行かれた。薰の顏とそこの机は同じくらいの高さだつた。叔父は頻りに薰の慄へてゐるのを宥めながら云ひ譯した。

「こんなに慄へてるぢやありませんか、今日のところは大目に見てやつて下さいよ。」

 薰は警官が今に自分まで調べるのではないかと怖れた。

「なあに心配しなくてもいいよ、何でもないのだ、何でもないのだ。」と叔父は警官の前で薰にさう云つてきかせた。

 警察を出て二三町行くと、叔父はまた自轉車に薰を乘せた。薰はまだ警官に追跡されはすまいかとビクビクしてゐた。しかし燈のない自轉車は無事で薰の家に歸つた。

 

 薰の父が旅に立つのを皆で見送つた時のことだつた。

 薰は小さいから入場券は要らなかつた。が、叔父は入場券が無くてはプラツト・ホームに入れない筈である。ところが叔父は入場券なしに入つて來たことを薰にだけ打明けた。薰は手品の上手な叔父のことだからそんな事も出來ようと思つた。が、もしか歸りに見つかつたらどうなるのかしらと獨りで心配した。

「まあ見てゐ給へ、うまく行くよ。」

 叔父は薰を先に立てて見送人の群のなかに竝んだ。薰が改札口を出て振返つてみると、叔父も悠々と出て來た。薰は手品の種を見損つてしまつた。酒と釣りを嗜んだ薰の叔父は今ではとくに亡くなつてしまつた。

 三途の河の岩に腰掛けて、ちびりちびり獨酌しながら彼は靜かに糸を垂れてゐるかも知れない――と薰は想像する。

 幼い日、警察を懼れた薰は、少年時代には地獄のイメージに惱まされたものだ。だが、薰の叔父なら、極樂の門だつて入場券なしに這入るにちがいない。

 

[やぶちゃん注:「ちがひない」はママ。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 雀

 

 

 

 醉ぱらつて雀を憶ひ出した二人は新宿まで出掛けた。屋臺店の皿に赤裸のままの奴がころがつてゐて、若い娘が庖丁で骨を叩いてゐた。一人は一羽の頭を嚙つたばかりでもう食はなかつた。一人は一串と、頭の缺けたもう一串を平げた。

 頭を食つたばかりの男は、その後食ひ足らなかつたことを殘念がつて改めて食ひに行つた。「あの時は醉ぱらつてゐて、赤身のままの奴を見たので、つい變な氣持がしたのだ。」と、その男は云つてゐた。

 

 食べものの話が出た時、一人が鼠はおいしいと頻りに云ふので、鼠が食へるかねと相手が問ひ返すと、いや雀の間違ひだと笑つた。

 ある女が信仰の話から輪𢌞思想まで説き出すと、二人の男は遽かにはしやぎ出した。

「死んだら君は雀になり給へ。」

「いや、願はくば君と一串にされて燒かれたいものだね。」

 

 あいつも死んだら他の奴と一串にさされるのか――身體の調子が少し惡くて、新宿では雀を憐まなかつた方の男が、窓から外を見てゐると、檜葉の樹に雀がゐた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 藤の花

 

 藤の花

 

 運動場の白い砂の上では四十人あまりの男女が體操をしてゐた。藤棚の下で見てゐると微風が睡氣を運んで來るので、體操の時間は停まつたままでちつとも動かない。機械體操から墜ちて手首を挫いた豐が、ネルの着物の上に袴を穿いて、手を繃帶で首から吊つてゐた。そのすぐ側には女の子が二人、やはり體操を休んでゐた。一人の女の子は髮が日向の枯草のやうに乾いてゐて、顏が年寄のやうに落着いてゐた。もう一人の女の子は何となく朝顏の芽に似た顏をしてゐた。豐の頭の上には藤の花が垂れ下つてゐる。その藤の花を裂いて蜜を舐めることを、豐は佐藤から教はつてゐた。佐藤は熊の子のやうな恰好で今も體操の列にゐた。(さやえんどう、さくらんぼう、どうしてこのごろは、うつとりとろりのしたきりすずめ)豐はちいちく、ちいちく啼く雀の聲を眼をひらいたまま、夢のやうに聽いてゐた。すると、なにがどうかなしいのかわからないが、とにかくかなしい。

 …………はつと思ふと、すべてが彼の趾の裏から墜落して行くのであつた。女の子の一人は縱縞のじみな着物を着て、鼻に小皺を寄せたまま、もう一人の女の子は赤い襷を掛けて、煤けた腕を露出したまま、熊の子のやうに佐藤はもぢやもぢやに頰鬚を伸し、齒をタバコの脂だらけにして、その他四十人あまりの顏がみんなそれぞれ變つてゐるのに氣も着かず、まだ體操を續けてゐた。そして、どしどし運動場は墜落して行く。豐は耐りかねて、負傷してゐないほうの手で、藤の花にぶらさがつた。

 

[やぶちゃん注:この挿入されている「さやえんどう、さくらんぼう、どうしてこのごろは、うつとりとろりのしたきりすずめ」という唄は私は知らない。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 舌

 

 

 

 四丁目の角で二人を見はぐれたのを幸と、川田はぐんぐん勝手な方向へ進んだ。振返つたらまた彼等がやつて來さうなので、傍目も振らなかつた。眼は怒り、額は愁ひ、短靴はやたらに急いだが、搾めつけられた胸は今やうやく緩んで來た。高層建築の上に濁つた秋空が、茫漠とした觀念のやうに橫はつてゐた。そこに川田は、さつきの議論の續きを感じた。

 彼等二人は終に論理の釘で川田を身動きさせなかつた。そこへ一人が亂暴に鑿を以て打込んで來た。その上に一人が金槌で叩きつけた。川田の肋骨はために碎かれて、鮮血が迸り出たかと思はれた。一瞬にして永劫の屈辱を受けた者のやうに川田は靑ざめて默つた。すると、一人は悠々と食べさしの汁粉を箸で弄び、もう一人は冷めたお茶を啜り出すのだつた。そして勘定になると、川田が金を拂つた。汁粉屋を出ると二人は猶も巫山戲ながら、後から川田に絡みついて來た。何處までも川田の氣分を害ねようと、二人で協力してゐるかのやうに。

 

 今、一人きりになつて、靜かに振返つてみると、川田はとにかく憂鬱であつた。今日午後の授業が終つて、川田が下宿へ歸ると、早くも一人が退屈の押賣りにやつて來た。焦々してゐるうちに、又一人がやつて來た。そこで到頭二人を誘つて、三越へ出掛けると、一人が草臥れたので汁粉屋へ行かうと提議した。しるこ屋の二階へ上つて、三十分も雜談してゐたところ、突然くだらぬことから議論が燃え上つた。始め川田は無鐵砲に應酬してゐると、相手は巧妙に伏兵を使つた。思ひがけぬところで辟易(たじろ)いでゐると、相手は矢繼早に攻擊にかかつた。最初から旗色を伺つてゐた、もう一人は、ここで完全に相手に和した。川田は焦々しながら次第に窮地に追ひつめられた。

 

 結局は論理の遊戲に過ぎなかつたのだが、最後に彼等の云つた意味を換言すればかうなるのだ、――君の頭腦の構造は歪んでゐる、君は社會及び人類から白癡乃至狂人として取扱はるべき人間だ。

 しかし、それならば、何のために彼等は己(おれ)と交際はうとするのだ。己を侮辱することに依つて彼等の優越感を確保するつもりなのか、それとも唯單に、たとへば汁粉を奢らさうとしてであるか。

 川田はソクラテスにやりこめられたプロタゴラスに同情しながら、何時の間にか、日比谷公園に來てゐた。と、樹蔭から飛出して來た、一人の少年は川田の顏を見上げて、「バカー」と云つた。そして、奇妙な身振りと、素速しこい逃げ腰で、赤い長い舌をぺろぺろと見せびらかせるのであつた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 夢

 

 

 

 彼はその女を殺してしまはうと決心しながら、夜更けの人足も薄らいだK――坂を登つてゐた。兇器にするか、何にするか、手段はまだ考へてゐなかつた。が、その烈しい憤怒だけで、彼は女の首を完全に絞めつけることが出來さうだつた。

 ふと彼は考への途中で、夜店の古本屋の爺さんを何氣なしに眺めた。爺さんは一人ほくほくしながら店をしまつてゐた。人のいい、實に和(なご)やかな笑顏が彼を見た。爺さんは今何が嬉しいのだらう、しかし彼も同時に何だか知ら胸の裡が嬉しくなつた。彼は穩かに下宿に歸つて睡た。

 

 その夜、彼は爺さんの夢を見た。爺さんはニヤニヤ笑ひながら、「俺は知つてるぞ、君はあの女を殺す氣だね。」と何度も繰返し繰返し云つた。目が覺めると、彼の背筋はじつとりと冷汗に濡れてゐた。

 翌日の夕方、彼はまたふらふらとK――坂を登つて行つた。恰度夜店が出る時刻で、昨日の爺さんも同じ處で古本を竝べてゐた。彼は爺さんを一目見るや否や、わーと泣き出したい衝動に驅られた。が、兇器は夢中で爺さんの脇腹を抉つてゐた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 緣起に就いて

 

 緣起に就いて

 

 就職のことがほぼ決定してその日の午後二時にもう一度面會に行けばいいと云ふ時、恰度午後一時半、彼は電車通りで下駄の鼻緒を切つた。で、すぐ何處かで紐を貰へばまだ間にあつたのに、圓タクを呼んでその儘彼は自宅へ歸つてしまつた。

 親爺は息子がこんな理由で歸つて來たのを知ると、「フン。」と云つたきり贊成も批難もしなかつたが、腹の底では、「こいつ俺のやり方を眞似てあてこすつてるな。」とでも考へざるを得なかつた。それほどこの息子は緣起などと云ふことにこれまで無頓着な人間であつた。

 このことを聞いて喜んだのは、むしろ彼の友達であつた。彼はその友達が人間の自由意志を強調して因果律を無視しようとするのに、これまで反對して來た。ところがその友達は彼のことを今度のことから、實に舊式な迷信的な宿命論者だと云つて嗤ふのであつた。嗤はれる彼の側から云ふと、――ものは外形のみでは判斷出來ないと云ひたかつた。

 彼はこの不景氣にも珍しく、いろんな情實關係から就職口の三つや四つは大學卒業前から話があつた。だから何も急いでその一つにねばりつく必要はないと云ふ心の餘裕があつたことが一つ。それから、あの時氣分が勝れてなかつたし、あの會社に就職することにあまり氣乘りがしなかつたことが一つ。この二つが大切な原因で、下駄の鼻緒はむしろ親爺に對する方便であつたのだ。

 詳しくみると、親父はよく都合の惡いときにばかり緣起を擔ぐのであつた。成程、緣起と云ふものを始めて考へ出した人間は、それをただ單純に嗤ふ人間よりか馬鹿だとは云ひ難い――と彼はつくづく考へた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 淡雪

 

 淡雪

 

 潔が亡(な)くなつてから彼是一年になる。露子は彼から感染(うつ)されて居た病氣がこの頃可也進んで行つた。早くから澄川病院に入院する樣に父母を始めみんな勸めたが、潔のもと居た病院ではあるし、露子は氣が進まなかつた。そんな風に病勢をずるずる引伸して行くうちに、寒に入つて凍てつくやうな日々が續いた。

 ある日、露子は到頭喀血した。血の色を視ると、急に彼女は周章て出した。居ても立つても居られなく、母に縋りついて、さめざめと泣いた。その日、父は早速郊外の松田病院へ出掛けて入院の交渉をして來た。父は珍しく菓子折を提げて歸つた。

「なあに、お前は潔とは違つて、晴やかな人間だ。陽氣な人間なら、この病氣は病氣の方から今に降參して來るよ。」と父は云つたが、さう云ひながらも、彼女が菓子を欲しがらうともしない有樣を見ると、一寸口に出せない別の感じを抱くのであつた。

 

 夜になつてから露子は睡つかれなかつた。今日一日の經過が夢のやうに頭の裡に浮んで來る。これから先の不安と云つては、只住み慣れない病室に行かねばならぬと云ふこと位であつた。それも潔の室で大體想像のつくことであつた。だのに、どうも彼女はこれから大きな船に乘つて出かけて行くやうな氣持がした。ほんとに、船の汽笛がボーと鳴る音を耳にするやうであつた。波がキラキラ輝いてゐる夏の午後、彼女はうつとりと甲板の上に水着の儘寢轉んでゐる、と船と自分とが一心同體になつて水の上を進んで行く。――かうした氣持が暫くしてゐたかと思へば、また今朝ほど吐いた血の色が目に映つた。紅い血の塊りが波の上に浮いて行く。彼女は何時の間にか、自分が吐いた血の色に見惚れてゐるのである。「これはをかしい」と彼女は呟いた。あれ程彼女を驚かせた血塊が、今は美しいと感じられるとはどうしたものだらう。何だか彼女は少女の頃の感傷にかへつて居た。私はどうせ波の上に漾ふ一片の花瓣のやうなものです、さう小聲で祈るやうに胸のなかで囁くと、思はず閉ぢてゐた目に淚が滲んだ。

 朝になる頃、彼女は變な夢をみた。潔が彼女の手を執つて、唇に押しあてるので、彼女は片方の指で自分の唇を示すと、潔は首を振る。「何故?」と尋ねると、「今にわかります。」と潔の聲は慄へてゐる。「何故? 何故?」と彼女は潔に甘えかかつて、到頭彼の首に手を𢌞す、さうして接吻を了つてしまふと、やはり何でもなかつたので彼女は晴やかに笑ひこける、潔も淋しさうに笑ひ出す。

 夢が覺めてから少許はただ爽やかな氣持で居たが、ふと彼女はこの夢が氣になり出した、さうして終にはこの夢が恐しくなつて來た。

 

 露子が松田病院に入院してから一ケ月は經過した。彼女はすつかり瘠せ衰へて、病人らしくなつた顏に、淋しい笑みを浮べるのであつた。入院して却つて惡くなるとは、と見舞に來る人は首を捩つた。醫者もこの問ひに對しては答へやうがなかつた。彼女は醫者の命ずる事なら何でもよく諾(き)いてゐた。病室の空氣にも彼女はすつかり馴れてゐるらしかつた。消毒劑の匂ひも、注射器も、體溫表も、何から何まで以前潔の室で見て識つてゐた通りであつた。

 時とすると、彼女はベツトの上に寢轉びながら、その隣りにもう一つ潔のベツトがあるやうな心地がした。肺病める夫婦、そんな風な想像から彼女は好んで惱しい甘美な感情を味つた。

 ある日も彼女は隣りのベツトに對つてかう呼びかけた。

 ――潔さん、あなたは嘗て私に戀の喜びを與へて下さいました。そして間もなくあなたは私を置き去りにして逝つてしまひました。どうもあなたは態と逝つてしまはれた樣な氣がします。あなたは私が愛(いと)しくなかつたのですか。どうかよくなつて下さいと私が熱心に云つても、あなたはただぼんやりと淋しげに微笑みなされました。私はあなたのその頃の氣持が、何と云つていいのか解りませんでした。ただ、私はあなたを亡くしたことを恨みました。

 しかし、潔さん、この頃私はやつと當時のあなたの氣持が解つて來たのです。潔さん、あなたの病氣が今は私のものとなつた樣に、あなたの氣持も今は私のものとなりました。ええ、あなたは病氣を娯しんでゐらつしやつた。あなたは病氣を弄んでゐられた、あなたは自分の力を信じられないので、ただ熱が出て頭が冴えて來れば、それを面白がつてゐられたのでせう。あなたの淋しい靈魂には、肉體が刻々と蝕まれて行くことが、却つて不思議な美しい誘惑ではなかつたのでせうか。さうして、この誘惑を到頭あなたは私にもお頒ちになりました。ああ、何と云ふ恐しい誘惑でせう。しかも私はもう動けないのです。あなたは優しく、優しく手を伸べて私を抱かうとするのですか。(彼女はぢつと天井を視凝めて居たが、ふと急に怕くなつた。)いいえ、あなたは、あなたは、あなたなんか居はしない。

 さう呟きながら窓の方へ寢返りをした。窓の外には何時の間にか淡雪がちらついてゐた。彼女は嘗て潔の病室を訪れたとき、やはり淡雪が降つてゐたことを憶ひ出した。今日は誰か見舞に來て呉れさうな日だと思はれた。ぢつと、廊下の方の足音に注意しながら、何時までも何時までも窓の雪を視凝めてゐた。彼女は誰がやつて來るだらうかと一心に想像し出した。と、急にドアをひらいて潔が現れて來るやうな氣持がするのであつた。

 

[やぶちゃん注:「澄川病院」「松田病院」孰れも不詳。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 街の斷片

 

 街の斷片

 

 

 A

 

 相手の聲がコツクだつたので彼女は自分の聲に潤ひと彈みとを加へた。その方が料理に念を入れて來るだらうし、――マネージヤー達だつて私の聲を聽いてゐるのだから――さあ、もつとだらだら喋つてやらう。

 ――ちよつと、ポテトは狐色に燒くのよ、え、解つた? 卵は二つね、卵、あんまり焦さないでね、いいこと? モシモシ、ええ、卵よ、黃味を崩したりなんかしちや嫌よ。ちよつとそれからライスは焚きたてがある? あ、さう、今から凡そ何分ぐらゐで出來るの? あ、さう、ぢやお願ひするわ。

 口のなかに唾液が溜つたのをこくりと呑み込むと彼女は受話機を置いた。私はこんなに食べものにだつて注意してゐるし、どんなに私が熱心なダンサーかマネージヤーだつて知つてゐる――彼女は男達の注意がみんな自分に集中されてゐるものと思つて、悠々と事務室を出ると、ジヤズの洩れる階段を昇つて行つた。後から昇つて來るお客達だつて皆私のなよやかな肩の線を視てゐるのだ、私の肩には男達の燃える視線の燒け跡が、ホラ、一つ二つ三つ……數へて行くうちにそれはジヤズに紛れてしまつた。

 フライ・エツグを入れた箱を提げて、出前持の女は事務室の親爺とぱつたり出逢つた。何時もの癖で彼女はにんまり笑ひたさうにした。――何時見てもいい女だなあ、と親爺は云ふ。――ホホ、彼女は輕く笑つて階段を昇つて行く。私のお尻が大きいものだから、あの爺さんは冷かすのだらう。私のお尻ばつかし男達は氣にして視るのだもの。ホホ、彼女はもう一度哂つて階段を昇つて行く。

 

 B

 

 電車通りの果てに蜃氣樓が出來たのかと私は錯覺した。暑いから眼に幻覺が生じたのかとも思つた。久し振りに質屋の冷んやりした玄關を訪れて、着物の包みを受取つて、それが無性に重たかつたが、ついでに昔步き慣れた場所だからと思つて、ぶらぶらと札の辻の方へ近づくとこれだ。

 實際そこには一つの新しい道が開けて、高いコンクリートの橋が浮上り、橋の上の竝木が綠色に空を點綴してゐる。かう云ふものが出來たのだな、と私は今更驚きながら橋の方へ行つてみた。

 それは省線の線路の上に架けられた橋で、遙か芝浦の方へ路が通じてゐる。トラツクがそこを走る。と、兵隊が喇叭を吹きながらやつて來る。兵隊は橋を渡つて三田通りの方へ行く。來てみれば別に變つたところでもなかつた譯だ。私は汗みどろになつてゐた。

 

 C

 

 便所の敷石と柱の隙間に出來た小さな穴から、蜥蜴は每歳夏になると顏を現はす。熱い砂地を辷ひ𢌞つたり、梅の樹の枝高く登つたり、時には雀に追駈けられたりして、蜥蜴は再びその小さな穴に尻尾を引込める。彼等にとつてはあそこが長い傳統の巢である、そして田舍の街は每年變つてもまだ庭の隅々までは變らないのだ。

 ところが東京はどうであるか――と詩人は嘆かねばならぬことのやうに嘆く。昨日そこで見た女が今日は居らず、明日そこにはどんな女が入替つて來ることやら、全く到るところの女がそこではよく入れ替る。で、都會に居ると、人に對するよりも場所に對する愛着が段々強くなる。たとへば神樂坂の坂の構造が面白いとか、麻布十番街がエロチツクであるとか、蒲田驛の西口が氣に入つたとか、そして同じ地點をぐるぐる辷ひ𢌞る一匹の蜥蜴が彼のなかには存在する。

 

[やぶちゃん注:「札の辻」現在の港区三田と芝の間、山手線田町駅の西三百メートルの位置にある「札の辻」附近。(グーグル・マップ・データ)。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 眞夏日の散步

 

 眞夏日の散步

 

 その男は顏が假面のやうになつてしまつて、毀れものを運ぶやうにおづおづと身體を動かしてゐた。八月の熱と光が街を包んで到る處の空間が輕い腦貧血を呈してゐた。

 鋏の柄に着いてゐる米粒ほどの透明な石を、明るい光線にあてて眺めると、石の底に雪の峰や曠野が浮んで來る、恐らく鋏の微かな錆の斑點が、そんな錯覺を齎すのかも知れないが、その空間の小さな夢は、視るものの膚を冷(ひや)りとさせ、やがてさう云ふ運命が何時かは君の身の上にも實現するぞと脅しつけるのだつた。――今、その男は鋏の柄の小さな石になつたやうだつた。その底に錆びついた斑點が纔かに殘されてゐる、それが記憶の斑點だとは彼は考へる力もない。そして彼は見えない一つの糸に牽かれて、死にかかつた身體を無理にひきずつて步いてゐた。

 その男の顏を玄關に迎へた私は愕いた。しかも、その男は私を誘つて散步しようと云ふのであつた。午後三時の衢の一部分を二人はのろのろと步いた。私が少しでも早く步くと、その男は不機嫌な顏をした。のろのろと二人は葬式のやうに步いて、それが夜ならば適度の落着きと或る氣分を與へる商店街へ來た。今や私には何のためにこんな時刻にこんな場所へ來たのか解らなくなつた。が、もはやその男の機嫌を損じまいと努めるばかりであつた。その男は何か云ひ度いこと、訴へたいことを持つた儘、重く口を噤んでゐた。やがて二人が喫茶店に落着いて、私が煙草を取出すと、その男は、「一本くれ給へ。」と云つて掌を差出した。そして、たつた一本の煙草をさも重たげに指に挾むと、非常な努力を以て、それを吸はうとするのだつた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 出發

 

 出發

 

 吉池の不機嫌は母と衝突してみてわかつた。

 
a)着物のことになると如何して女と男は意見が違ふのだらう。

 
b)意見が違ふと云ふことはそんなに人間の感情を害ねるものだらうか。

 
c)人間はむしろ感情を損ひたいと云ふ感情に支配されることがありはすまいか。

 吉池はAからZまで自分の不機嫌を種々樣々に分解してみた。だが、何よりも大切なのは早く不機嫌を取消すことであつた。自分が主賓として招かれてゐる今夜の宴會に、憂鬱な顏をして出席するのは都合が惡かつた。ところが吉池は一步宴會の席に入ると、今迄心配してゐた不機嫌は本能的に影を消したのである。

 しかし宴會がはねて自分の家に歸ると、吉池は今度は新しい虛無感に把はれてしまつた。課長は自分の會社から出征軍人の出たことを非常に名譽に思ふと云つて演舌した。藝者は吉池に盃を誘めて戰地に行つたら消息をくれと握手を求めてきた。妹は彈丸除けのお守り袋を縫つてくれた。人間の厚意と云ふものは單純でしかないのに、如何してそれらのことが自分には素直に亨(う)け入れられないのだらう――吉池は自分が外部から實に巧妙にいろいろと飜弄されてゐるやうな氣がした。こんなひがみが發生するのは心に張りがあつて、有機體が未知の經驗の豫感に對して、漠然ではあるが緊張してゐるためであらう。しかし、それだけでは吉池の頭が全體として統一されてゐないから物足りなかつた。吉池は自分の行く異邦の果てを空間的に考へてみて、もつとセンチメンタルになりたかつた。深く魂を動かす何か信念とか空氣とかが欲しかつた。

 吉池は大切なことを忘れてゐたのをその時になつて氣がついた。自分の日頃愛好して止まぬ音樂を何故今夜は聽かうとしなかつたのだ。それは出發に際して、送別會の演舌や彈丸除けのお守りよりも、もつと内面的に何か力強いものを與へてくれるかも知れない。そこで彼は蓄音機の螺旋(ねぢ)を卷いて、ベートーヴエンの第五交響樂をかけた。しばらく彼はそれを聽いてゐたが、彼は思はず中途であくびを洩らした。退屈だな、音樂も――吉池は今度は大あくびをした。

 

[やぶちゃん注:太字「ひがみ」は底本では傍点「ヽ」。なお、原民喜自身は徴兵されることはなかった。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 溫度

 

 溫

 

 音樂室の壁に額があつた。中年の猫背の紳士が時雨に濡れて枯芝のなかを散步してゐる――冷え冷えする繪だ。濡れ雜巾を持つた儘、どうした譯か、彼女はたつた一人で掃除當番をしてゐたのだが、ガラス窓の外にはやはり繪に似た時雨雲があつた。

 すると突然、先生がやつて來た。はずみと云ふものは恐しく、彼女は何でもないのに眞赤になつてしまつた。恐らくその音樂室が冷え冷えしてゐたためでもあらうか。

 

 彼女は身體が熱(ほて)つたり、冷えたりした。街で靑年達を拾つたり、捨てたりした。

 一人の靑年が彼女を抱いて自棄にキリキリ踊つた。彼女は平氣で從いて𢌞つた。すると間もなくその男から彼女は結婚を申込まれた。

 

 もしも子が生れるとすれば、(ふと、彼女は女學校時代の氣分に戾りつつあつた。) do, si, la, sol, fa, mi, re, do ……この子の父は誰に似てゐるのだらう。

 すると突然、良人がやつて來た。彼女は單純に顏を赧(あから)めた。

 

[やぶちゃん注:この「中年の猫背の紳士が時雨に濡れて枯芝のなかを散步してゐる――冷え冷えする繪だ」これは私にはベートーヴェンのそれにしか思えない。例えば、因みに、次の「出發」には主人公が「ベートーヴエンの第五交響樂」を聴くシーンが登場する。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 牛を調弄ふ男

 

 牛を調弄ふ男

 

[やぶちゃん注:「調弄ふ」は「からかふ」(揄ふ)と訓じている。]

 

 その少女は馬鹿なのか善良なのか、とにかく調子はづれの女だつた。それにその喫茶店の制度が、一々客のテーブルの側を巡囘させて、「いらつしやいませ、今日は誠に結構なお天氣で御座います。」と御機嫌伺ひをやらせるのだから少し變つてゐた。誰だつてこんな所へ本氣で來る筈はないと安永は思つた。その彼だつていい齡をして何が面白くてこんな場所に來るのか解らなかつた。が、三日その少女を見ないと何だか物足らないし氣になる程安永はよく其處へ行つた。

 その日、安永は月給を貰つて吻とした輕い氣持で其處のドアを押した。

「いらつしやいませ、今日は誠に結構なお天氣で御座います。」少女は紋切型をとり澄ました態度で無表情に述べた。

「エヘヘヘ」

 安永は何時もなら怺へてゐるところを最初から噴き出した。が、少女は一寸もそんなことで氣持を損ねた容子もなく首を一寸斜に傾(かし)げながら、

「あの何をお召し上りになりますか。」と靜々と伺ふのだ。

「左樣で御座いますなあ、えーと、あ、さうだ、ヨーヨーはないかね。」

「かしこまりました、伺つて參ります、暫くお待ち下さい。」

 少女の去つた後で安永は思はず舌を出した。何ぼ何でも何時もながらあんまりひどい。一體この女は正氣なのか、間拔けなのか。世智辛い都會の眞中で、これはあんまり悠長過ぎはすまいか。尤ももしかすると相手はこいつを賣りものにしてゐるのかも知れないが、さうだとすると一寸薄氣味が惡い。安永はこれまで自分の接した數々の女と彼女とを比較してみたが、比較にならぬ程その少女はまだ稚(おさな)かつた。

「あの御生憎樣、ヨーヨーは御座いません。」

「そいつは殘念だなあ。」

 安永はもう一度彼女を調弄つてやらうかと思つたが、少し氣の毒になつた。

「だつたら紅茶でもくれ給へ。」

 間もなく紅茶が運ばれて來ると、

「どうぞ御ゆつくり。」と少女は一揖して安永の側を離れた。彼はおもむろに紅茶を啜りながら、今度少女が側にやつて來たら何と云つて調弄はうかと考へた。今日はとても陽氣で、爽快だから、もし假りに安永がこの少女に熱烈な戀を打明けたとしても、あまり不自然ではなからう。安永は自分がもつともつと若くて學生か何かだつたらと思つた。彼は煙草をスパスパ吸ひながらレコードを聽いてゐた。そのうちに少女はまた彼の側にやつて來た。

「何か面白いことはないかね、君。」

「左樣で御座いますね、何がよろしう御座いませう。」

 少女は眞面目さうにぢつと考へ出した。

「何だつて面白けりやいいよ。一つ飛切り面白いものを見せてくれ給へ。」

 すると少女は急に思ひあたつた樣に懷に手を入れた。

 何を出すのかと思ふと、それは一通の手紙だつた。

「見てもかまはないね。」

「どうぞ御覽あそばせ。」

 彼は甘つたるいレター・ペーパーに竝べられたインクの跡に目を走らせた。それはつまり極くありふれたラブレーターであつた。何のつもりでこんなものを見せるのだらう、安永は輕い驚きとともに少女を見上げた。

「ふん、どうも有難う。」と、彼は手紙を返したが、もうこの少女を調弄ふ氣にはなれなかつた。

 やがて彼は其處を出ると、とめどもなく街を步き𢌞つた。譯のわからぬ寂しさが安永にはあつた。自分は幾分彼女を妬いてゐるやうにも思へた、が、そんな馬鹿な筈はないと打消すのであつた。かう云ふ時の癖として、彼は屋臺店で電氣ブランを飮んだ。すると彼は遽かにまた活氣づいて來た。

 彼は電車を降りると砂利道の上をよろよろと步いた。後から肥車を牽いた牛がやつて來た。彼は急にその柔和な牛に對して特に親愛の情を覺えた。

「やあ、牛よ、牛よ、牛太郎君。」

 彼は女の頤の下をくすぐるやうな積りで牛の頤を摩さすつた。牛は一向手應へもなくぢつとしてゐた。死んだ俺の女房だつたら、今にきつと怒り出すのだがなあ――と彼はいよいよ調子づいて牛の耳のあたりを撫でた。

「澄ますなかれだ、おい、ハハハ、こん畜生!」

 突然、安永は身を退かうとした。が、既に遲かつた、彼は牛の怒りの角に觸れて、その儘路上に悲鳴を揚げた。

 

[やぶちゃん注:「怺へて」「こらへて」(堪(こら)へて)。

「稚(おさな)かつた」「おさな」のルビはママ。歴史的仮名遣は「をさな」が正しい。

「一揖」「いちいふ(いちゆう)」と読む。「揖」は両手を胸の前で組み合わせて行う礼式の意。軽く御辞儀をすること。一礼。

「ラブレーター」ママ。

「電氣ブラン」ウィキの「電気ブラン」によれば、現在の東京都台東区浅草にある「神谷バー」の創業者神谷伝兵衛が作ったブランデーが混合されたアルコール飲料。『当時電気が珍しかった明治時代に誕生した、ブランデーベースのカクテルである。大正時代に流行した文化住宅・文化包丁などの』「文化~」と『同様に、その頃は最新のものに冠する名称として』「電気~」が『流行しており、それにブランデーの「ブラン」を合わせたのが名前の由来である。発売当初は「電氣ブランデー」という名で、その後「ブランデー」ではないことから現在の商標に改められた』アルコール度数は当時、四十五度と有意に高く、『口の中がしびれる状態と、電気でしびれるイメージとが一致していたため、ハイカラな飲み物として人気を博した。ただし発売元の合同酒精では、電気ブランという名称の由来は「電気との言葉がひどくモダンで新鮮に響いたから」とし、「口の中が痺れるため」という説は否定している。ブランデー、ジン、ワイン、キュラソー、そして薬草が配合されている。材料の詳細、配合の割合は今も秘密にされている』とある。太宰治の「人間失格」の中で、登場人物の堀木は『酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証』すると記す。確かに。口当たりがよく私も好きだが、吞み過ぎると確実に足にくる。但し、ここは屋台のそれであるから、剽窃した偽物の可能性が高い。

「肥車」「こえぐるま」。糞尿 を運ぶ車。

「死んだ俺の女房だつたら」少なくともこの台詞を吐いている安永は実際の原民喜ではない。本作品集「焰」は昭和一〇(一九三五)年刊行であるが、民喜の妻貞恵が亡くなるのは九年後の昭和十九年九月である。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 曇天

 

 曇天

 

 放蕩の後の烈しい哀感が街中に慄へてゐるやうな日だつた。

 淺草を過ぎ上野まではバスで、上野から省線で田町へ來ると、遙かなる旅でもして來たやうだつた。疲れてはゐたが何か興奮してゐた。光本は下宿に歸つて夜具を敷いて寢たが、すぐに目が覺めてしまつた。自分の首に安白粉の匂ひが殘つてゐて、それが耐らなく彼を訶んだ。靑ざめた顏をして今日は誰にも識つた人間に遇ひたくはなかつた。彼は何處かへ逃避したい氣持で一杯だつた。ふと彼はキネマの闇が戀しくなつた。

 芝園館へ行つてみると滿員であつた。光本は疲れた身體を觀衆に押狹まれながら立つてゐた。映畫はキイトンの喜劇であつた。觀衆は時々どつと笑つた。光本は自分が一寸も笑はないのに氣がついた。どうしてあんなことが可笑しいのかと思へるやうな處でも、觀客はわーと笑つた。彼は笑へない自分を自分でみじめだと思ひ始めた。すると昨夜の記憶が時々兇暴な刃物のやうに腦裡に閃いた。

 ふと、前の席にゐるらしい婆さんが何でもない處でワハと笑ひ出した。すると一同はそれがをかしいとみえて、くすくす笑つた。婆さんは圖に乘つて、また暫くするとワハと笑つた。すると觀客はまた從いて笑つた。婆さんは完全に笑ひをリードしてしまつた。流石に光本も今は微笑を浮かべるのであつた。

 

[やぶちゃん注:青土社原民喜全集の「原民喜年譜」によれば、昭和七(一九三二)年の項に、『三月、慶応義塾大学卒業。卒業論文「Wordsworth 論」。本牧の女を見受けして、これと同棲一ケ月、やがて女にうらぎられる。初夏、』友人『長光太宅の二階でカルチモン自殺をはかったが、多量にのみすぎて未遂に終る』とある。或いは、こうした前後の放蕩の雰囲気が本篇の素材となっているものかも知れぬ。

「安白粉」「やすおしろひ」。

「訶んだ」「訶」には「責める」の意が或るから、「さいなんだ」(苛んだ)と訓じているものと思われる。

「芝園館」芝園橋から古川沿いに金杉橋の近く(中央附近(グーグル・マップ・データ))にあった、当初は洋画専門上映館。戦後の一九六〇年代には閉館したようである。

「キイトン」アメリカの喜劇俳優で映画監督・脚本家バスター・キートン(Buster Keaton 一八九五年~一九六六年:本名・ジョセフ・フランク・キートン Joseph Frank Keaton)。チャーリー・チャップリンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。

「從いて」「ついて」。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 比喩

 

 比喩

 

 机を前にして二人の少年は坐つてゐた。ガラス窓の外には寒さうな山があつた。話は杜絶え勝ちだつた。時間がここでは悠久に流れてゐた。

「君は馬鹿だよ、僕は君を輕蔑してゐるのだが、ただ便宜上交際つてるのだよ。」と一人は腹の底でさう囁いたが、口に出しては云はなかつた。假りにこんなことが平氣で云へて、相手も平氣で聞き流して呉れたら、さぞ面白いだらうに、と彼は腹の底で妄想した。相手の少年は鼻で深い呼吸をしながら、何か別のことを考へてゐるらしかつた。

「僕は妙な氣がするよ、かうして君と僕と此處に坐つてゐるのと、恰度同じやうなものが、何處かこの宇宙の裏側にもう一つあるのではないかと、何時もそんな氣がするのだ。」

 相手が變なことを云ひ出したので、彼の注意も改まつた。

「これは理窟でなしに、僕にたださう想へるのだよ。向ふ側に感じられる世界はガラスのやうに透明で靜かだが、やはり僕達と同じもので、僕達と一向異らないのだ。」

 彼は相手の言葉がよく解らなかつたが、ただ默つて肯いた。

 机、山、窓、二人の少年、それらのてんでな妄想、そしてその複寫――彼は默つて相手の顏を眺めた。

 

 相手の少年はそれから間もなく死んだ。

 さうすると、もう一方の世界はどうなるのかしら――と彼は時々冷やかに考へた。しかし、それは二重の世界を打消さうとするのでもなかつた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 遍歷

 

 遍歷

 

 植民地を殖すのだとか、鐵道を敷設するのだとか云ふ譬喩で、新しく友達を作ることを彼は説明するのであつた。少年が靑年になると、進取的な氣象が芽生え、新たなる環境と展望の下に、すべてがみごとに進行して行くものだ。彼は自分の頭腦の工場へ現實社會からいろんな原料を運んで來て、其處で加工した品を口の港からどしどし植民地諸君へダンピングした。――かう云ふ自己中心の觀點が何時までも續けばよかつた。

 

 やがて工場にはストライキが起り、或る植民地は反旗を掲げ、鐵橋はダイナマイトで壞された。醜惡なる戀愛と云ふものはかくも靑年を盲目にするものであるか。

 油のきれた機械を見捨てて、工場主はルンペンとなつて街から街へほどこしを求めて步いた。自己の頭腦を見限つて放浪することは、何時も彼を安易なその日暮しの上機嫌にさせた。

 

 …………そして時が流れた。彼は今、頭腦の皺のどの部分からでも、あらゆる過去の斷片が引出せるやうにカード式に整理しようと焦つた。秋の嵐におびただしく吹き散らされるポプラの葉を川添ひの工場の附近で無心に拾つた子供でその昔彼はあつた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 針

 

 

 

 飛行機を眺めてゐたら朝子の頰にぬらりと掌のやうな風が來て撫でた。ふと、そこには臭ひがあつて、彼女の神經は窓に何か着いてゐるのではないかと探つた。とどかないところにあつて彼女を嘲弄してゐるのは何だらう、銀翼も今朝は一寸も氣分を輕くはしてくれない。その時天井の板がピンと自然にはじける音をたてた。人氣(ひとけ)のない家にゐるのが意識されて、視るとやはりゐた。蟻がもう這ひ出す季節なのだつた。季節と云ふ厭な聯想を抹殺するために朝子は掌にしてゐる雜巾で蟻を潰した。

 それから不圖思ひ出したやうに机の上を拭き出すと、机の汚斑(しみ)が氣にかかり出した。雜巾の裂目が厭になつた。さうなると、もう彼女は自分が厭な感覺に愚弄されてゐるのをはつきり自覺した。そして次々に增加し、增長して來る無數の陰影どもは、ぶつぶつと何か彼女に囁く。しんしんと募り行く焦慮は彼女の全身を針攻めにする。どこにそんな針があるのか、朝子は自分自身の背中が見たい。實際左の肩の三角筋がぼうと熱をもつて疼く。

 それに彼女は臺所が氣にかかつて耐らない。使用もしないのに瓦斯メートルがふと勝手にずんずん𢌞り出したらどうしよう。鼠が葱を嚙つて、葱の根に蛞蝓(なめくぢら)でも這つてはゐないか。水道の水がポトポト鼻血を流し、柱の火災除けのお守りがかつと口をあけて、焰を吐き出したら。――朝子は臺所が急に怖くなつて、氣になるばかりで、行くことが出來ない。朝子はつまらない魔術に引掛つてしまつた自分に立腹する。その額に浮んだ靑筋が鏡に映る。

 その靑筋だよ――と見えないところで夫の冷かす聲がする。

 

 しかし、この脅迫は何處から來るのだらう。それがただ一時の不安定な感覺の所爲だけかしら。……彼女はカチリと或る核心に觸れて悶絶したくなる。……信じてはゐても、縋らうとはしてゐても、夫の心はあてにならぬ。薄弱な、利己的な、制限のある男心。それから彼女は夫の苦境に降り注ぐ、世間の惡意を數へる。それらを勇敢に撥(はね)かへしもしないで、とかく内攻して鬱ぐ一方のおめでたい意氣地なし。これからさきどうなるのかと嘆じても、僕にもわからぬと突放す。……結婚と云ふものはこんなものだつたのかしら。彼女は自分が手足を縛られて北極の谷間に投げ捨てられてゐるやうに想へる。ふと、眼をやると、白熊がゐる。何だつて肉屋の呉れたカレンダーに熊がゐるのだらう。

 憎い肉屋、知らないつたら新聞屋、困つたわ米屋――駄洒落まじりの憤りが、ふと心の一角で擡頭すると、その癖が夫の模倣であつたのに氣がついて朝子は再びむつとする。

 ――勇つたら、勇、勇つたら、こいつ

 その時近所のおかみの子供を叱る例の怒號が始まり出すと、朝子はふと一種の共鳴を覺えた。

 

[やぶちゃん注:太字「かつ」は底本では傍点「ヽ」。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 三人

 

 三人

 

 遠くの低い山脈は無表情な空の下に連(つらな)つてゐた。しかしその山脈を銀のナイフで切れば血が噴き出すかも知れない――何だかさう云ふ氣持も少しした。鈍い太陽が冬枯れの練兵場の上にあつた。眺めはまるで人生のやうに退屈であつた。今日は正月二日なので兵士の影もない。そのかはり山裾の道に添つて、三人の靑年がとぼとぼと步いてゐた。彼等はさつきから沈默(だまり)くらべでもしてゐるらしく、てんでに素氣(そつけ)ない顏をしてゐた。だが、その重苦しい氣分に反抗するために、一人の男の濃い眉は時々無意識に動いた。また、一人の男の瘠せて怒つた肩は窃(ひそか)に或る表情を見せてゐた。また、一人の靑白い男の唇の隅はピクピクと巫山戲てゐた。しかし三人は三人とも口をきかなかつた。

 この不思議な沈默は何に責任があるのかしら、と靑白い男は唇の隅へ煙草を銜へてぼんやりと考へてゐた。彼は大學を二度無意味に落第して、惰性でもう一度落第するかも知れなかつた。濃い眉をした男の頰は少し赤かつた。彼は肺を病んでぶらぶら散步して暮すのだつた。肩の怒つて瘠せた男は畫をやるのだが、繪具も持つてゐなかつた。彼等は今日も的(あて)もなく街で出逢ふと、二口三口言葉を交へて、的もなく散步に來たのだつた。彼等は廿五歳になつた。そしてその響は空虛(うつろ)であつた。或る悲慘な落伍者のやうな氣分が三人の頭を抑へた。

 しかし、それが凡てであらうか。假りにもし一人が何か素晴しいことを云へば、他の二人も卽座に歡聲をあげて寛ぐかも知れないのだ、誰もそれを知つてゐながら奇妙に素晴しいと云ふことがなかつた。だから默つた。

 山裾を𢌞つて坂になるところまで來た時、眉の濃い男が、「歸らうか。」と云つた。他の二人が默々と同意した。そして三人は街に引返した。そして別れた。

 靑白い男は家に歸ると、急ににやにや笑ひ出した。妹がその容子を見てけげんがると、一そう得意になつて笑ひ出した。

 

[やぶちゃん注:青土社原民喜全集Ⅲの「原民喜年譜」によれば、原民喜満二十四歳(数え二十五)は昭和四(一九二九)年で、『四月、慶応義塾大学文科へ進む。主任教授、西脇順三郎、同級に瀧口修造、井上五郎等。』『この年から翌年にかけて日本赤色救援会(モップル)に参加、昭和六年ごろ、組織の衰弱、崩壊につれて自然消滅のかたちで活動から離れる』とある。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 溺死・火事・スプーン

 

 溺死・火事・スプーン

 

 父に連れられて高松から宇治への歸航の途中だつた。號一は一人で甲板をよちよち步き𢌞つて、誰もゐない船尾へ來ると、舵へ嚙みつく波のまつ白なしぶきを珍しがつて眺めてゐた。それは白熊のやうな恰好になつたり、時には巨人の貌になつた。あたりの海は凡て穩かに煙つてゐたのに、號一が視凝めてゐる部分だけが怒り狂つてゐた。號一はその渦のなかに卷込まれさうな恐怖を感じた。と、渦のなかには既にさつきから何か黑い塊りが動いてゐるやうであつた。突然、渦から二三間も隔つたところに男の顏が現れた。

 男は號一を認めると、何か叫ばうとしたが、叫べないので、眼に必死の哀願を湛へた。號一はただ、ぽかんとしてその男の顏を何時までも眺めてゐた。そのうちに男の顏は斷末魔の怒りに物凄く變つて來た。

 號一は慄へながら船室に戾つた。「風邪でも引いたのかな」と父は號一を膝の上に抱へたが、號一は何も云はなかつた。

 

 映畫がハネて人波がどつと舖道へ溢れた時だつた。號一の家の方角に火の手が見えた。群衆は俄かに活氣づいて、殆どその儘火事場の方へ押寄せて行つた。近づくに隨つて、「森」「森の家だ」と喚く聲が號一の耳にも聽きとれた。

 人垣が密になつて、もう一步も進めないところまで號一は來た。それでも號一は後から押され押されて、何時の間にか繩のところまで來てゐた。パツと明るい世界が眼の前で躍つた。號一は片方の手を懷に入れながら、自分の家が燒けるのに見とれてゐた。荒れ狂ふ火焰が映畫のつづきでも見てゐるやうな感じであつた。

「森!」と誰かが耳許で呼んだ。振返ると中學の教師が何か興奮しきつて、彼を手招いてゐるのであつた。

 

 それからまた數年後のある夏の午後であつた。號一は澁谷の食堂でカレイライスを註文した。彼のテーブルのすぐ隣りにはよく肥えた顏の嚴(いかめ)しい紳士が腰を下してゐた。號一の前にはナプキンに包んだスプーンだけが直ぐに運ばれて來た。見識らぬ紳士もカレイライスを註文(とほ)してゐたものとみえて、その男の前にはやがて料理の皿が運ばれた。ところが、その男はなかなか食ひさうな氣色(けはひ)がなかつた。よく視るとその男の方にはスプーンがないのであつた。紳士はボーイを呼ばうとして焦(あせ)つて、舌打ちしながら、「スプーン!」と如何にも憤つてるらしく獨白した。

 號一は手に弄んでゐたスプーンを咄嗟に、彼の方へ差出さうかと思つた。すると相手の男は橫眼でヂロツと彼の方を視た。號一ははつと氣がついたやうに手にしたスプーンを引込めると、急にそつぽを向いて知らぬ顏をした。

 

[やぶちゃん注:「二三間」三・六四~五・四五メートル。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 四月五日

 

 四月五日

 

 四月五日 山村家から招ばれたので晝から出掛ける。山村家の裏庭には櫻が咲いてゐる。緣側にアネモネの鉢が竝べてある。靜かな家だ。髮の長いよく肥えた人が庭さきの日向に籐椅子を出して、それに腰をかける。

「始めて髮をハイカラにしようと思ふのだからいいやうにしてくれ」とのことだ。何しろよく伸びたものだ、どこかこの人は弱々しいから、もしかすると病氣上りかも知れない。その人の髮に鋏を入れて居ると、弟らしい人が緣側に出て來る。兄が髮を刈るのを珍しがつて見物だらう。やがて適宜に鋏を入れて顏剃りを了へると、一休みする。弟の方も大分伸びてるので五分刈りにしてくれとのことである。で、早速とりかかる。この人は自分より、三つ四つ年下らしく見える。何だらう、今十五か六だらうと、バリカンを動かしながら考へる。散髮が了つて、洗面所で髮を洗つてから、

「顏を剃りませうか。」と訊ねる。すると困つたやうな樣子で、

「まだ是迄剃らなかつたのですが……」

 自分はその返事に一寸興味を感じたので、

「では剃つてみませうか。」

「さうしてもらひませうか。」

 自分は到頭その少年の頰に剃刀をあてた。頰に剃刀があたる度にびくびくしながら何だかこれから生れ變らうとでもしてるやうな、可憐な身構へが自分にとつて親しみを感じさせた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 稻妻

 

 稻妻

 

 疲れてゐるのに芳子の神經はたかぶつてゐた。遙か窓の下の街の方では自動車がひつきりなしに走つてゐた。時々省線電車のゴーと云ふ響も耳についた。身動きすればベツトは無氣味に軋つた。すやすや睡つてゐるらしい夫を起してはと思つて芳子はぢつと悶えを耐(こら)へた。何が耐らないと云ふのでもないが、芳子は漠然とした不安に襲はれてゐた。東京に來てまだ三日目なのに、あんまりあちこち見物に出步きすぎて疲れてしまつたのかも知れない。

 ふと、芳子は今急に敵の飛行機が襲來して來てここのホテルに爆彈を投じはすまいかと思つた。それは今日萬國婦人子供博覽會の國防館で觀た空中戰の模型が頭に殘つてゐるためだつた。が、さう思ひながらも不安は減じなかつた。糜爛性ガス、催淚性毒ガス、窒息性毒ガス、あのガラスの筒が投下された瞬間を想像するとぞつとしてしまふのだつた。

 こんなに私は不安なのに、どうして夫は平氣で睡つてゐるのだらう――芳子は男と云ふものの落着きを今更不思議さうに眺めて、それにぢつと信賴したくなつた。そして氣を紛らすために今日三越で購つたシヨールの色合ひを想ひ出してみた。が、いけなかつた。あのシヨールも戰爭の時にはレイヨンとして役に立つと今日國防館で教はつたのだつた。戰爭! 戰爭! 戰爭! 何處かで飛行機の唸りが聞えるやうな氣がした。芳子は夫の片手をぢつと握り締めて顏を枕に打伏せた。

 

 誰かが部屋に侵入して來たらしかつた。それはホテルのボーイの筈だつたが、手にピストルを持つてゐる。芳子は父と一緒だから大丈夫だと思つて父の方へ寄添はうとした。が、父は一向に平氣で何ともしてくれない。ギヤングは芳子には目もくれず父を狙つてゐた。あつ何とかして! と叫んでも父はぼんやりしてゐる。そのうちに氣がつくと、父の筈の男は芳子の夫なのだ。しかも夫はぼんやりしてギヤングのする儘にまかせてゐる。

 

 ふと芳子は夫の聲で目を覺した。

「どうしたのだ。」

「あ、怕かつた。私何か云つてて。」

「何だか魘されてゐたよ。」

「あ、怕かつた、賊が來た夢みたの。淋しい、淋しい……」芳子は夫の肩に手を掛けて顏を埋めた。夫は睡つてゐた筈なのにどうして目が覺めたのだらう。やはり夫も何か不安に襲はれて安眠は出來なかつたのかしら――と芳子はさつきの譯の解らぬ不安をまた思ひ出した。

 朝になると早くから街は騷がしくて、すぐに目が覺めた。從妹の豐子から電話がかかつて來た。芳子は今日の約束を思出すと何だか氣が進まなかつた。夫と一日別れてゐるのも不安だつたが、昨夜以來神經がたかぶつてゐるのも不安だつた。何か不吉のことがありさうに思へた。が夫は商用で日本橋の方へ出掛けてしまつた。そのうちに豐子もやつて來た。

 二人は步いて銀座の方へ向つた。豐子は快活さうによく喋つた。芳子は一昨日も來たことのあるデパートの食堂で鮨を食べた。雜沓のなかにゐながらも絶えず芳子の心は脅えた。デパートを出ると、急にピカリと稻妻が光つた。と、大粒の雨がパラパラと降つて來た。芳子の新しいシヨールに雨は遠慮なく注いだ。が芳子は吻とした樣に爽快な氣持で急には雨を避けたくなかつた。

 

[やぶちゃん注:「萬國婦人子供博覽會の國防館」際の「萬國婦人子供博覽會」は昭和八(一九三三)年三月十七日の開会式に始まり原民喜が貞恵と結婚したのは同年同月である)、当初の予定では五月十日までであったが,延長されて五月一杯まで継続され、五月三十一日に上野公園東京自治会館講堂での閉会式によって終わっている。形式上は「国際親善」を謳った博覧会であるが、その実は、富国強兵を意識した消費経済合理化称揚と、戦時体制へ向けての戦意・国防意識の高揚を目指したもののように思われる。同博覧会は竹の台会場・池の端会場・芝会場三つに分かれて開催されたが、ここに出る「國防館」は池の端会場で「東郷館」と並ぶ軍主催の人気会場であった。参照した「松山大学論集」(第二十巻第五号・二〇〇八年十二月発行)の川口仁志論文「万国婦人子供博覧会」についての考察PDF)によれば(コンマを読点に代えた)、「国防館」は『主として陸軍省の提供によるもので、「外廓を山海関の城壁になぞらへ、中にはパノラマ式背景に実物及模型をもつて、国家総動員、婦人と国防、都市防空、毒瓦斯防御、愛国機、極寒の戦地における衣糧、衛生等の各場面を現し、国民として是非心得ておくべき国防上の知識を涵養する」』『ものであった』とある。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 冬晴れ

 

 冬晴れ

 

 上と下に路があつて眞中に櫻の竝木が植つてゐるが、上の方の路にはよく日があたつた。ところどころ家竝が切れたところに川が見えた。一人の小學生が日のよくあたる方の路を步いて學校へ行つてゐた。すると後から上級生がやつて來た。苦味走つた顏の、力の強さうな上級生は彼と竝んで一緒に步き出した。二人の肩に冬の朝日がぽかぽか照りつけた。櫻の枯木は生ぬるい影を地面に曳きずつてゐた。彼はその上級生が好きでも嫌でもなかつたし、別に話もなかつたので默つて一緒に步いてゐた。二人の小刻みな足なみは何時までも溫かい路の上をただまつすぐに進んでゐた。

 突然、上級生が頓狂な聲をあげた。

「あ、驚いた。あそこに今、蛸がゐるのかと思つた。」

 さう云つて上級生は櫻の根本を指差した。しかし、そこには日向のほか何もない。上級生は急に目が覺めたやうな顏つきでにつこり笑つた。

 

[やぶちゃん注:これは原民喜の少年期を綴った「幼年畫」群の中の、川沿いを下る登校ロケーションなどと極めて酷似するから、原民喜自身の思い出の中の一齣であることは間違いない。]

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 飯田橋驛

 

 飯田橋驛

 

 飯田橋のプラツトホームは何と云ふ快い彎曲なのだらう。省線電車がお腹を摩りつけて其處に停まると、なかから三人の靑年紳士が現れた。彼等は一樣に肩の怒つたオーバーを着て三人が三人ステツキを持つて、あの長いコンクリートの廊下を神樂坂方面の出口へと步いて行く。ガランコロンとステツキが鳴る、步調が揃ひ過ぎてる、身長がほぼ同じだ、ロボツトのやうに揃ひ過ぎてる。何しろ今夜は正月元旦の晩だ。

 さて、またここには、その三人の後姿に對つて思はず嬉しさうに笑聲を洩らした一組がある。何がそのやうに嬉しいのか、もとよりはつきりしない事柄だが、若い夫妻はこれも今夜は世間竝に長閑な氣分になりきつてゐたにちがひない。つまりこの妻を連れたサラリーマンは四五日前忘年會の二次會で、一友と語り合つて、僕達は到頭男になつたね、と頻りに男らしい感慨に耽つたものだが、今夜も彼は自分が男であることを自覺してそれはとてもいい氣持になつてゐた。男が男であることは、まさに正月が正月であることと同樣に平凡なことだが、彼はその平凡に今や吻と物足りた世間竝の氣持を味ふ年輩なのだつた。

 とは云へ彼等の生活は何處でも何時でも重苦しいものではあつたのだが、…………今、彼は比較的塵の少ない空氣を胸一杯吸つて、三年連添ふた妻と新婚の如き氣持で步けるのだつた。正月の馬鹿! 微笑が神樂坂を登る彼の頰に浮かぶ。褄を摘んでしやなりと步く藝妓は笑はない。そしてさつきのロボツトのやうな三人連れは何處へ消えたのだらう、そんなことは誰も知らない。今、夫妻は閑靜な軒竝をシヨー・ウインドーなど眺めながら、ネオンサインのぐるぐる𢌞るバアの前を素通りして電車道まで來ると型の如く後戾りする。その間橫町から藝妓がついと現れては消える。瞰下(みおろ)せば牛込見附の堀はまことに寒さうなのであるが、何處か春らしい潤ひがないとも云へない。彼は立止つてそつと熱つぽい吐息を吐いてみようとした。が、それもめんどくさかつたので、妻を促して再び飯田橋驛に歸つた。

 と、ここでもまた正月らしい風景が待構へてゐた。今、ホームには電氣ブランで足をとられた中年の紳士が二人、これはぜんまいの狂つたロボツトのやうにガクリガクリと今にも線路へ墮こちさうである。が、腰がふらついてゐる癖に不思議に滑り込まない。彼は痛ましい人生の縮圖を見てるやうな氣がしないでもなかつた。もしかすると、この醉ぱらひ達も彼と同じやうに今夜男になつたと云ふ感慨で以て泡盛をひつかけたのかも知れない。二人の醉ぱらひはお互に勵まし合つて明日からの生活を祝福したのかも知れない。だから一方が水道の栓を捻ると、一方が屈み難い腰を無理に屈めて水道の栓に嚙りついた。あつ、水が散るぢやないか! 丁度電車が來た。

 電車に乘つた夫妻はぢつと澄ましてゐた。夫妻の前に腰掛けてゐる燕尾服の紳士は實に謹嚴さうな顏つきであつた。その表情は電車の搖れるに從つていよいよ難しさうになつて行く。と、到頭來た、紳士は口を開けてべえつと床の上にへどを吐いた。

 

[やぶちゃん注:「飯田橋のプラツトホームは何と云ふ快い彎曲」これ頗る納得する。私は実に二十歳の頃、酔って、この傾いて停車した車輛と湾曲したホームの隙間に落ちたことがあるからである。

「三年連添ふた妻」本作品集「焰」は昭和一〇(一九三五)年三月の刊行であるが、原民喜昭和八年、原民喜満二十七歳の三月に貞恵と結婚している(見合結婚であるが、幼少期に顔見知りであった)から、数えで「三年」である。当時の民喜は出版社の編集者ではあったものの、日常的に定期勤務をしていた形跡はなく、一種の文学浪人であり、「サラリーマン」とは言えなかったと推定される。]

2017/12/25

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 川

 

 

 

 彼の家は川端にはなかつたが、彼の生れた街には川が流れてゐた。彼の記憶にも川が流れてゐた。

 雪が東京の下宿屋の庭を埋めた日、床のなかで彼は遠くの川を想つた。

 

 春が來て彼は故郷へ歸つて川上を步いてみた。川にみとれながら、川にみとれた記憶にみとれながら。

 ある日、東京から友達が來たので彼は何氣なくその男に川上の風景を案内した。友達は一向興もなさげに彼について步いた。

 

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 少年

 

 少年

 

 空地へ幕が張られて、自動車の展覽會があつた。誰でも勝手に這入れるので、藤一郎もいい氣持で見て步いた。ピカピカ光るお腹(なか)や、澄ました面(つら)した自動車を見ると、藤一郎の胸にはふんわりと譯のわからぬ感情が浮き上るのであつた。いくら見惚れたつて自分の所有(もの)にはならないのだが、ああ云ふ立派な自動車に乘つて走れたら、どんなに素晴しいだらうか――藤一郎はその素晴しさを想像して一人でいい氣持になつた。美しい女が、たしかにああ云ふ自動車には乘つてゐて、彼の知らない世界を走つてゐるのだ。藤一郎はついさうした夢想に耽り出すと、眼の前が早くも茫として額に微熱を覺えた。その時、遙かに遠い空間に一つの點が見えて、その點が彼の運命らしく感じられた。だから萬が一には彼だつて、その美しい女と一緒に自動車に乘つて走るかも知れないのだ。いや、たしかに、そこにはさう云ふうらなひがあつた。はつと氣がつくと、眼の前には一匹の蜻蛉が飛んでゐて、そこは展覽會の出口だつた。藤一郎は今迄引張𢌞してゐた自轉車に乘ると、忘れてゐた用件を思ひ出して、滅茶苦茶に走り出した。

 

 やがて店へ戾ると、案の定、藤一郎は主人から叱られた。どうして主人には彼が道草食つてゐるのがわかるのか、藤一郎にはわからなかつたが、「君は一體此頃ぼやつとしてるぞ。」と云はれた時にはギヨクツとした。さつきまで目が眩むほど美しい女のことを考へてたのだが、さう云ふことまで主人にはわかるのかしら。自分の不甲斐なさを思ふと、少しづつ慄へる唇を藤一郎は努めて慄はせまいとした。恰度いいことに、藤一郎はまた用件を吩(いひつ)かつた。今度はしくじるまいと、藤一郎は自轉車に燈をつけた。

 幾臺も自動車が彼を追越した。何だ、ボロ自動車。や、今度は素適な奴が拔いた。あ、あの自動車に乘つてる男、女の肩へ手を掛けてゐた。その次は、何だまたボロ自動車か。また來た、ボロ自動車。……何時の間にか藤一郎は自分が立派な自動車に乘つてゐるつもりでペダルを蹈んだ。口笛が、ハーモニカのかはりに吹かれて、雜沓に紛れた。ハーモニカを吹いて、夜の田舍の海岸を走つてゐるやうな氣もした。實際のところ、藤一郎は何時の間にか雜沓を拔けて、豪華な邸宅地の滑らかな路に出てゐた。霧がハンドルにかかつて、眼の前がはつきりしなかつた。突然後から一臺の流線型が音もなく光つて來た。その車が背を見せた時、藤一郎は女を見た。若い綺麗な女がたつた一人乘つてゐた。あ、あの女だ――と藤一郎は遽かに頰笑むと、夢中で追跡を試みた。光が遠のいて行くばかりで、呼吸が切れさうになつた。その時背後から襲つた光の洪水に藤一郎は絶望を感じた。次いで烈しい罵倒が彼の全身をガーンと打つた。

 

[やぶちゃん注:太字「うらなひ」は底本では傍点「ヽ」。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 焚いてしまふ

 

 焚いてしまふ

 

 紀元節に學校の式を休んで、翌日もまた學校を休んだ。すると、その晩から熱が出て、風邪の氣味になつた。私は二階の一室に一人で早くから蒲團を被つて寢た。ふと、目が覺めると疊の上に白紙のやうなものが落ちてゐる。それは雨戸の節穴から月の光が洩れて來てゐるのであつた。私はわざと腕を伸してその光を掬つてみた。それから窓を開けた。もう夜明けらしく、月は西の空に冴えて居て、ひえびえとした大氣が、屋根の霜とともに肌に迫つて來た。私は寢衣の襟をひらいて、胸一杯さらけ出した。もつと病氣が重くなれと云ふやうな自棄氣味が、ふと月の光によつてそそられたのである。

 その日は晝前から熱が出て、それに咳なども加はつた。私は階下で食事を了へるとすぐ二階の一室に轉げて暮した。四時頃になると、西日がガラス戸一杯に差込んで、三疊の部屋は溫室のやうに暖かになつた。私は日の光に曝された蒲團の上で、本などを讀んだ。

 次の朝も早くから目が覺めた。すると、昨日と同じく疊の上に月の光が洩れて來た。額に手を置くと、熱く火照つて居る。私は始めて、自分の病態の進んだのを後悔した。と云ふよりは妙にもの侘しく切ない氣持がした。そろそろ窓を開けると、やはり西の空に月は皎々と照つて居る。何故、冬の月は朝になつてもあんなに燿(ひか)るのだらう。私は寢衣一枚で窓側に立つて戰へて居た。

 

 一週間程して私の熱は下つた。私は階下の炬燵にあたつて暮した。母はもう明日からは學校へ行つてはどうだと云つた。私も幾分そんな氣になつて居た。もう休みたいだけは休んだのだと思つた。

 

 だが、次の日も意氣地なく休んでしまつた。私は譯のわからぬ憂鬱を感じた。庭に出て薪を割つてみたが、氣は紛れなかつた。私は二階に閉籠つて、日記帳を取上げた。

「こいつを焚いてしまはう。」

「こんなものがあるからいけないのだ。」と私は呟いた。

 私は日記帳を提げて風呂竈のところへ來た。風呂の火に投げ込むと、日記帳は見るまに脹れて來た。やがて頁(ペイジ)頁がくるくる焦げて卷かれて、心(しん)に火が徹つて行つた。私のこの正月以來の日記が焚かれてゐる、詳しく書いた頁が燃えて居る。ふと私は妙な氣になつた。

(×月×日、夜姉を停車場に送り、歸つて床に寢轉んで、ゴオゴリの「死せる魂」を讀み耽つた。) この一節がふと思ひ出されたのである。別に意味もない部分ではあるが、あそこももう煙になつたかなと想はれた。――中學三年の三學期のことである。

 

[やぶちゃん注:この叙述が事実とすれば、大正一〇(一九二一)年二月(神武天皇の即位日とされた「紀元節」は二月十一日)中下旬である。原民喜は県立広島師範学校付属中学校三年で満十五歳(彼の誕生日は明治三八(一九〇五)年十一月十五日。一度、入試に失敗しているので、年齢がずれる)。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 夜

 

 

 

 樟(くすのき)の大きな影が地面を覆つて、薄暗い街燈が霧で曇つてゐた。雨に濡れた落葉がその邊には多い。月が雲の奔流に乘つて、時々奇妙な光線を投げかける。そこは坂を登つて、橫に折れた路で、人はあんまり通らなかつた。

 しかし、今誰かやつて來るらしい靴の音がきこえる。すると今度は反對の方角からまた靴の音がする。と、二つの音は互に一寸立留る。一方が立留つたのと同時に一方も立留つた。それから一方が進み出すと、むかふからも進んで來る。生憎、月が隱されてしまつたので、相手の姿が何かけしからん塊りのやうに想へる。しかし兩方から今度は決然と進んで來る。靴の音がはつきりと近づいてしまふ。その時、チラリと月の光が地面に落ちた。

「キヤツ!」

「キヤツ!」

 二人は同時に電流に打たれたやうに飛上ると、互に反對の方向へ逃げ出してしまふ。相手の逃げて行く跫音がこちらを追跡するやうに響いて、とにかく大通りまでは一呼吸に逃げる。

 大通りへ出てしまふと、一人の紳士は早速流しの自動車を呼び留める。それからもう一人の紳士はぶるぶる顫へながら支那そばの屋臺店へ首を突込む。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 透明な輪

 

 透明な輪

 

 三角形の平地を七つに岐れて流れる川は瀨戸内海に注いでゐた。平地を圍んで中國山脈があつた。平地は澤山の家や道路で都市を構成してゐた。それは今も活動してゐるのだが、彼は寢たまま朧げに巷の雜音を聞いてゐるので、活きてゐる街の姿がもう想ひ出せなかつた。

 そのかはり殆ど透明な輪のやうな風景が、彼の頭には次々と浮んで來る。風景と云ふものは、臭ひや溫度を持つてゐるから、瀕死の男にとつては苦痛の筈なのだが、今頭に浮んで來る風景は淡々として差程神經を刺激はしなかつた。

 もと彼は景色に對して異常な感受性を持つてゐたから、何か景色のなかに趣きがあるものとか、景色に自己を投影出來るものを絶えず探し步いた。と、同時にそれを表現するための言葉を何時も苦心して考へたが、考への途中でよく生活上の雜念が突然入込んで來るので、彼はよく惱まされた。煩雜な生活のために精神の統一が出來ないのだと彼は思つた。一本の松の姿を單純に歌ふと云ふことだけでも、どんなに困難な業か、彼はそれをよく嘆じた。また自分の心境でも煩雜な生活の底に澄んで流れる一すぢの水を掬つて歌はうと思つた。淸澄で素朴で單純なものに價値を感じる彼は抒情詩人であつた。

 彼の生涯はあまり單純ではなかつた。生れ落ちると、料理屋へ養子にやられた。義理の母と云ふのが、さう云ふ商賣にあり勝ちの女で、資本を出す男から男へ移るうち、結局は世間の恨みを買つて、沒落した。家が沒落したのと、彼の肺病が再發したのが殆ど同時であつた。彼は宿屋を開業して家の再興を計らうとした。しかし心と身體は並行しなかつた。親一人、子一人と云ふ感慨も彼を奮ひ立たせはしなかつた。病氣はそれでなくても煩雜な細々としたことが氣になつた。氣になるばかりで焦々するうちに疲れた。疲れても疲れても、夜の次には朝があつた。さうして暑い夏が過ぎて、秋もやや冷え目になつた頃、彼の病氣はいよいよ改まつた。今彼は自分の生涯がそれほど重苦しく、みじめなものともみえなくなつて、只、銀幕の記憶か何かのやうに朧げに見えてゐた。――さうして、今寢てゐる姿だけがはつきりした。

 骨肉や友達や女の記憶も、それらが今は惱しくなかつた。

 女と云へば彼にしつこく附纒つた年增もゐたが、色里に育ちながら、女の肉體はただ想像してみるだけで現實には知らない彼であつた。現實の女は美しく惱しいだらうが、同時に醜く重苦しいものにちがひない。

 これまで彼の周圍の凡ては美しかつたが、同時に醜く重苦しかつた。

 今日は一切の重苦しいもの、汗臭いものが除かれて、ただ透明な美しいものが眼の前に現れた。

 紫色の島が靜かな海に霞んで見える。その島の一端にモーター・ボート用の棧橋がある、棧橋の下の水が透き徹つて見える。腹に鮮やかな縞のある魚がチラリと見え隱れする。この景色は透明な輪となつて消えて行つた。

 澄んだ山を背景にしてゐる寺の山門を潛ると、はつとするやうな空の靑さである。寺の庭に萩の花が咲き、松風がかうかうと鳴つてゐる。これも透明な輪となつた。

 川上の砂原のまつ白な礫の上を蝶々が飛んでゐる。堤の方に菜の花が波打つてゐるのだ。廣々とした礫の原で、川はほんの纔か一すぢ靑く見える。陽炎のなかを白帆が行く。その白帆も透明な輪。

 松が夕ぐれの空に一つ澄んでゐる堤の材木屋の前の藁屋根の船の上に霙が降り出した。透明。

 牛込見附の堀の芝生が春雨に濡れた電車の窓から見える。透明に消えた。

 松山城は淡雪だ。透明。

 鈴蘭燈の竝んだ狹いアスフアルトの街に人が一杯で、ふと店さきのシヨー・ウインドーを見ると、獨逸製のカツトグラスが透明になつて消えた。

(彼は誰かの泣聲を聞いた。女の聲らしかつた。)

 何故泣くのかと訝りながら、濃い藍色の闇を潛つて行くと、生駒山のトンネルを潛つてゐるらしかつた。向ふにステンド・グラスのやうな空間が懷しく見える。明るい晝がひかへてゐるらしい。しかしトンネルを出たやうな氣がした時、そこは矢張り彼の生れた街の一角だつた。橋のたもとへ出てゐて、それも夜であつた。妖婦的な女が笑つた。その金齒がはつきりと彼の目に映る。早くそれも透明な輪になれ、と彼はぢつと待つた。

 

[やぶちゃん注:本篇はあらゆる近代文学史上で肺結核のために夭折して行った、あらゆる真の詩人、芸術家たちへの夢幻的な、しかも、すこぶる映像的なオードである

「並行」は熟語として読みにくいので「並」は「竝」に代えなかった。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 霧



 

 

 何處かの邸(やしき)の裏らしい芝生の傾斜が、窓のところで石崖になつてゐた。窓からその傾斜を眺めると、針金を巡らした柵のあたり薄(すすき)の穗が搖れてゐて、靑空に流れる雲の姿が僅かに仰がれた。そこは色彩のない下宿屋の四疊半で、三人の男がくつろいだ姿勢で、くつろぎすぎた時間をやや持て餘してゐた。とは云へ三人が三人同じ氣分に浸れるのは、議論の果ての退屈に限つた。

 彼等は逢へば始め必ず議論をしたが、勝手な言葉と世界觀の相違のため、何時も話は途中から喰ひ違つて、傍から觀るとまるで喧嘩をしてゐるやうであつた。小さな眼をした男は薄い唇を自在に動かして、大きな鼻をした男の攻擊に應じるのだつた。彼は人間最大の不幸は死の恐怖であり、人類の續く限りこれは消滅しないから、一刻も早く全人類を撲滅さすに限ると云ふ、ややシヨウペンハウエル流の考へを抱いてゐた。ところが彼に食つてかかる方の男はウパニシヤツトを愛誦し、たとへば富士山の崇高を仰ぐやうな氣持で、人類諸君を肯定的に見渡してゐるのであつた。二人の議論にはあまり加はらないで、まづさうに煙草を吸ふ神經質の男は、この男は兩方へ味方しながら兩方へ反對する、つまりソフイストであつた。

 今日も些細なことを發端として、小さな眼をした男と大きな鼻をした男との意見は結局一致しなかつたが、そのため大きな鼻の男の方がより不機嫌な顏をした。すると小さな眼をした男は議論をこの邊で打切る積りで、詠嘆的な調子で、

「しかし、僕はこの二三日フロイドのトーテムとタブウを讀んでるが、フロイドはいいね。一つ一つ胸に思ひあたることだらけだよ。」と云つた。すると大きな鼻をした男は如何にも我が意を得たやうな顏で、

「君もさう思ふのかい。」と云つて、今度は頻りにフロイドの話であつた。

 そのうちに精神分析の話がだらけて、ほんとの冗談になつて來ると一番にソフイストが口をきいた。

「君達だつて今にのうのうと女房持つて收まるとよ、オイ、葱を買つて來給へよ、なんて云ふのだらうね。」

 すると眼の小さな男は鼻の大きな男の口眞似をしながら、

「オイ、竹田さんがおいでになつたから、牛肉と葱買つて來いよ。オイ、オイ、それから燒豆腐も忘れるなよ。コラ、コラ、何故返事しないのだ。ハハハ、君が一番に女房もつて子供生むにちがひないよ。」

「俺は子供なんか生まない。」と大きな鼻の男は不平さうに呟いた。

 三人は退屈しながらも何時までも別れようとはしなかつた。夕方から街を覆つた霧が窓の方へも寄せて來た。彼等の氣持も霧のやうに段々重苦しく不透明になつて來た。そこで街に出てひどい霧のなかを通つて、喫茶店で濃いコーヒーを飮んだ。しかし、もう誰もあまり口をきかないのであつた。三人は更に無意味に街を步いて、步き疲れて、觀念(あたま)も肉體(からだ)も冷えきつて、唯一杯の支那そばが食ひたくなつた。

 支那そば屋の粗末な椅子に竝んで腰を下すと、三人は無言で溫かいそばの湯氣に頰を埋めた。彼等と少し離れた柱のところには女給が三人控へてゐたが、それらの若いよく肥えた顏の赭い女達は、三人の客には無關心で、何か勝手なことをてんでに話合つてゐた。恰度三人がそばを食べ了へて、ぼんやり女達のお喋りを眺めてゐると、不圖一人の女が大儀さうに身をくねらして伸びをした。すると後の二人もそれに誘はれて同じやうに全身をくねらして實に無造作に伸びをしたのである。男達は咄嗟に何を聯想したのか、期せずして一時にワハハハハと噴き出してしまつた。

「出よう。」とこの時眼の小さな男は立上つた。

 

[やぶちゃん注:「シヨウペンハウエル」人生は本質的に苦であり、それから解放されるためには意志否定しかないとした、ドイツの厭世主義哲学のチャンピオンで実存主義の先駆者ともされるアルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer 一七八八年~一八六〇年)。

「ウパニシヤツト」サンスクリットで書かれた、バラモン教の聖典ヴェーダ(紀元前一千年頃から紀元前五百年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称名。「ヴェーダ」は「知識」の意)の関連書(奥義書)。特にベーダ文献の最後の部分が核となった古代インド宗教哲学で「ベーダーンタ」(「ベーダの終わり」)とも称する。宇宙と人生を支配するブラフマン(梵)とアートマン(我)の一致を説き、仏教発生以前に輪廻と業の思想を説いている。

「ソフイスト」sophist。詭弁家。元来は「知者」の意で、紀元前五世紀頃の古代ギリシャに於いてアテネを中心として弁論術や政治・法律などを授けた職業的教育家(プロタゴラス・ゴルギアスらが代表)を指したが、後世では詭弁を弄する人間の卑称となった。

「フロイドのトーテムとタブウ」精神分析学の創始者であるオーストリアの精神医学者ジークムント・フロイト(ドイツ語:Sigmund Freud 一八五六年~一九三九年)が一九一三年(大正二年相当)に発表した論文Totem und Tabu(「トーテムとタブー」)。神話や文学の中に出現する「父殺し」のモチーフに基づく文化論的仮説。平凡社「世界大百科事典」等によれば、原父存在による独裁と女たちの独占が、父から追放されていた兄弟群による原父殺しと女たちの獲得競争へ発展し、種族保存のために不可避的に成立する近親相姦のタブーへの抵触が、贖罪観念と原父の神格化を生じ、それが宗教発生の起原となったとするもので、所謂、フロイトの提唱する一連のエディプス・コンプレクス的状況が人類の歴史上に現実に起こり、文化の核心を形成したとするもの。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 靑空の梯子

 

 靑空の梯子

 

 二階の窓に櫻の葉が繁つて、彼は中學を休んだ。曇つた朝の空が葉のむかふにあつた。雀が囀つた。

 

 怠けものはさきになつて困るぞ、と誰も云はないが云ふ。それがちりちりと迫つた。

 彼は左官になつて一生懸命高い梯子を登り降りする姿を夢みた。懷中時計の字のない部分は白かつた。

 

 正午前である。空がすつかり晴れて來た。

 

[やぶちゃん注:底本は「囀つた」が「囀った」、「すつかり」が「すっかり」と、この二箇所だけが拗音になっているが、これではバランスがとれないので、特異的にかく表記し直した。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 五月

 

 五月

 

 電車は恍惚とした五月の大氣のなかを走つた。西へ傾いた太陽の甘つたるい光は樹木や屋根の上に溢れ、時としてその光は房子の險しい額に戲れかかつた。何處の驛に着くのか何處を今過ぎてゐるのか、まるで乘客はみんな放心狀態にあるやうな、さう云つた一時(ひととき)であつた。

 ふと、房子は自分の視線がさつきまでは何かに遮られてゐたやうだが、氣がつくと眼の前に三人のマダムが坐つてゐるのだつた。三人は三人ともセルの單衣を着て上品な化粧(つくり)でその上彼女達は揃も揃つて玉のやうに可愛いい男の赤ん坊を抱いてゐるのであつた。彼女達は惠まれた自分の姿をぢつと靜かに何ものにかに委ねてゐるやうであつた。三人は今日の一日をピクニツクに出掛け、さうして歡談を盡して今歸る途中らしく思へた。マダム達は憎い程美しかつたし、赤ん坊のやうに若々しかつた。

 房子は不思議なことに嫉妬の感情を交へないでマダム達を正視することが出來た。それどころか世にはこんな珍しい存在ものがあるのか、と云つたぼんやりした感嘆が房子の空虛(うつろ)な瞳には少しづつ浮んで來た。

 だが、房子はそれを打消すやうに顏を伏せて、猫いらずを買ふことを考へた。さつき自殺を決心して家を出てからと云ふものは、どうしたものか房子は目に觸れるものがみんな活々と美しく呼吸づいてゐるやうに感じられたが、自分だけがもう半分心臟の鼓動が停まつたやうに死相を帶びて來たのではないかと思へた。とにかく房子は自分が間もなく死んで行くのだと信じた。それはもうどうにもならない決定的のことで、今ゴーと走つてゐる電車に彼女が乘つてゐるのと同じくらゐ普通のことのやうに思へた。

 しかし、房子は顏を伏せてはゐたが、眼の前にゐる三人のマダム達がやはり氣になつた。死んで行く自分の直ぐ目の前に、今、世にも幸福さうな三人のマダムが揃も揃つて腰掛けてゐるとは、何と云ふこれもあたりまへのことだらう。

 暫くすると電車はある驛に停まつた。眞中にゐたマダムが立上つたので、兩側の二人も次いで立上るのかと思へた。が、二人はぢつと身動きもしなかつた。さうして眞中のマダムが一人でさつさと降りて行つてしまつた。空いた眞中の席にはすぐに學生が割込んで來て、兩側のマダムは今は別々に隔てられてしまつた。房子は意外な感銘に打たれながら、猶も二人のマダム達に氣を惹かれてゐた。が、次の驛に來た時、二人のマダム達もまた別々に降りて行つてしまつた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 繪にそへて

 

 繪にそへて

 

 この繪は何處だとはつきり云はない方がいいかも知れません。題は子供心のあこがれとでも云ふのでせうか。そこの島の八月、今から凡そ二十年も前のことですが、公園に始めてホテルが出來たのです。杉に圍まれた瀟洒な石の建築の脇には山から湧いて流れる溪流があつて家鴨が白い影を浮かべてゐました。芝生の綺麗な傾斜に添つて、白い砂利道を行くと、噴水のある瀧の前に赤いポストがあり、鞦韆(ぶらんこ)に外國の子供が乘かつてゐました。ある夕方、幼い私は姉と連れだつて、その邊を逍遙つてゐると、突然ピンクのドレスを着た外國の娘が、Can you speak English ?と姉に話しかけたのです。姉は默つてつつましやかに笑ひ、その女は快活に笑ひ、そして私は彼女等がそれだけで何か私にはわからない一つの氣持をやりとりしたかのやうに思へました。そこのホテルが出來た時、夜の公園にはアーク燈が眞晝のやうに輝き、杉と杉の枝に萬國旗が掲げられ、そして澤山の人々が眼に怡びを湛へ、ざわめき合つてゐると、突然中央の四阿からオルケストラが湧き起りました。ふと私が眼を上にやると樹の間にある夜の空は明るい燈のために一層美しく思へ、大きな蛾がバタバタと燈のほとりを𢌞つてゐたものです。――そして翌日、八月の嵐は海の波を怒らし、雨まじりに、あのホテルの前の岸の大きな岩に、まつ白なしぶきを吹きかけ、吹きかけしたものです。その怒濤を見に、私を連れて行つた姉は、彼女も十五年前に死にました。

 

[やぶちゃん注:本作品集「焰」は昭和一〇(一九三五)年の刊行であるから、これが原民喜の実体験に基づくとするなら、「二十年も前」は大正十四年以前となる。但し、大正十四年では原民喜は二十歳で「幼い私」という表現と合わないから、時制はもっと前、民喜が小学生であった頃まで遡ると考えるべきで、そうなると、明治四五(一九一二)年の県立広島師範学校付属小学校入学(七歳)前後から、卒業の大正七(一九一八)年の前辺りまでに絞られる。しかも、「私を連れて行つた姉は、彼女も十五年前に死にました」とあることから、これは彼の長姉の操(明治二四(一八九一)年~大正一三(一九二四)年)か、民喜より八つ上の次姉ツル(明治三〇(一八九七)年~大正七(一九一八)年)であるが、先の閉区間基準で考えるなら、この「姉」とは後者の次姉ツルということになる(ここだけ本書の刊行を起点とするなら長姉とも考えられるが、同一文の中で基点を変えて言っているとするのは自然でない)。次に、この「繪」にある「島」とはどこかであるが、私は高い確率で厳島ではないかと考えている何故なら、この掌篇は一読、原民喜の「幼年畫」の中の「不思議」という作品を直ちに想起させるからである。私の原民喜「幼年畫」(恣意的正字化版)附やぶちゃん注「不思議」を是非、読まれたい。]

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版) 移動



 移動

 

 庭のすぐ向ふが墓場だつたので、開放れた六疊の間をぐるぐる𢌞つてゐると、墓地でダンスしてゐるやうだつた。彼はその中年の肥つた女優にリードされながら、墓の上に煙る柳の梢が眼に觸れた。

 ある夜その女優の樂屋を訪れると、女ばかりが肌ぬぎになつて鏡臺に對つてゐる生ぐさい光景に少し壓倒されてゐると、ドロドロドロと太鼓が鳴つた。

 

 彼はある女と媾曳(あひびき)するのに墓地を選んだ。秋のことで蟋蟀(こほろぎ)が啼いて氣が滅入つた。こんな場所で逢ふのはもう厭、とその女は來る度に始めさう云つた。不思議なことだが別れる時には、また今度はここで逢ひませうと約束するのだつた。

 ある女は別の男と心中してしまつた。彼は好んで監獄のほとりを一人でとぼとぼ散步した。高い嚴(いかめ)しい壁に添つて步くと、生きてゐることが意識されると云ふのだらうか、彼は自分の意識に舌を出して笑つた。立派な囚人用の自動車がよくそこを通つた。

 

 氣がついてみると、彼の下宿のすぐ側は火葬場であつた。風の烈しい日には骨を燒く臭ひが感じられるやうだつた。しかしそれがどうしたと云ふのだらう。

 しかし、彼は移動したくなつた。監獄か魔窟の附近へ住みたいと思つた。

原民喜作品集「焰」(恣意的正字化版)始動 / 椅子と電車

原民喜作品集「焰」(昭和一〇(一九三五)年三月白水社刊・私家版)

 

[やぶちゃん注:本書は原民喜が初めて刊行した(自費出版)処女作品集である。民喜二十九歳の春であった、ここでは原著に従がって、各篇順列で公開する

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが、作業を短縮するため、「青空文庫」に分割して公開されている(リンク先は「作家別作品リスト」の「原民喜」のページ)それらを加工データとして使用させて戴いた。ここに感謝申し上げる。但し、それらは昭和四一(一九六六)年二月芳賀書店普及版「原民喜全集第一巻」を使用したものであり、私の底本は上記の私家版の原民喜作品集「焰」(昭和一〇(一九三五)年三月白水社刊)を親底本としたものである。しかもかねて原民喜の自筆原稿を電子化してきた私の経験に則り、漢字を概ね正字化して示すこととする(それが本来の原民喜の自筆に近いものとなるという確信犯である)ので、自ずと、既存の「青空文庫」版とは異なる電子データとなる(実際、冒頭の一篇から既にして、表記ではなく、本文自体に有意な違いが認められた)。また、必要に応じて注を附すこととする。【2017年12月25日始動 藪野直史】]

 

 椅子と電車

 

 二人は暑い日盛りを用ありげに步いた。電車通りの曲つたところから別に一つの通りが開けて、そのトンネルのやうな街に入ると何だか落着くのではあつた。が、其處の街のフルーツ・パーラーに入つて柔かいソフアに腰掛けると猶のこと落着くやうな氣がした。で、彼等は自分達がまたもや何時ものやうにコーヒーを飮みに行くのであることを暗默のうちに意識してゐた。

 電車や自動車の雜音はさつきから彼等の會話を妨げてゐた。瘦せて神經質な男の方は目をいらいらさせながら譯のわからぬ吐息や微笑を洩らしてゐた。體格の逞しい柔和な男も相手に和して時々笑ひを洩らすのであつた。彼等は暢氣(のんき)な學生で、何と言つてとりとめもない生活を送つてゐるのではあつた。が、絶えず何かを求めようとする氣持が何時も彼等を落着かせなかつた。

 突然、體格の逞しい男の方が相手を顧みて、

「椅子が欲しいね。」と云つた。

「どうして人間は喫茶店に入りたがるのか、君は知つてるかい。」

「椅子かい?」と神經質の男が應へた。

「さうだよ。つまり物理的安定感て奴を望むのだね。哲學にしろ、宗教にしろ、藝術にしろ、何かかう自分以外のものに縋つてゐると氣持がいいからね。だから君があの室(むろ)のやうな街に魅力を感じるのも、つまり精神分析的に云ふと意味があるのだね。」と柔和な男は行手を頤で指差しながら笑つた。

 

 それから三年目のある蒸暑い夜であつた。神經質な男は柔和な男の家の椅子に腰をかけてゐた。體格の逞しい男の方は最近細君をもつて郊外に落着いたのである。恰度袋路の一番奧の家で、すぐ側には崖があつた。神經質な男は自分の腰掛けてゐる椅子の手を撫でながら尋ねた。

「この椅子は氣がきいてるね。」

「なあに、ビール箱で造つたのだよ。」

 

 神經質の男は自分のアパートへ歸るべく省線に乘つた。開放たれた窓から凉しい風が頰を撫でた。電車の響に初夏の爽やかさが頻りと感じられた。

「椅子もいいが、電車もいい。」と彼は無意味なことを考へた。

「永久に變らない椅子と、停まることのない電車ならどちらも結構だ。」

 

[やぶちゃん注:「神經質な男は自分の腰掛けてゐる椅子の手を撫でながら尋ねた」は「青空文庫」版(底本「普及版 原民喜全集第一巻」(昭和四一(一九六六)年二月芳賀書店刊))では「神経質な男は自分の腰掛けてゐる椅子を手で撫でながら尋ねた」となっている。

「指差しながら」は「頤で」であるから「指差」は「しさ」或いは「さ」である。原民喜は他作品でも頻繁にこの熟語を使っており、それらを検証するに「シサ」という生硬な読みではなく、二字で「さ」で「さす」と訓じていると考えるのが自然である。]

西南北東   原民喜

 

[やぶちゃん注:本作は底本(後述)によれば、初出未詳とされ、芳賀書店版全集第二巻(昭和四〇(一九六五)年八月刊)に初めて収録されたとするが、今回、ネットを検索した結果、たまたまあるオークション・サイトに出品されていた雑誌の書誌データに本篇を発見したことから、初出誌は昭和二二(一九四七)年十二月号の詩誌『詩風土』であることが判明した

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」の「拾遺作品集」(目次にないが、その中の「短篇作品」パート(頁下部にのみ表示)内)に拠った。但し、私は形式から、本篇は散文詩として位置づけるべきものと心得る。なお、例によって、歴史的仮名遣を用いており、拗音表記もないので、彼の原稿を電子化してきた経験から、漢字を恣意的に正字化した。

 各篇末に注を附した。

 本篇は現在、ネット上には電子化されていないものと思う。【2017年12月25日 藪野直史】]

 

 

 西南北東

 

 

  時計のない朝

 

 私は燒跡から埋めておいた小さな火鉢を掘出したが、八幡村までは持つて歸れないので姉の家にあづけておいた。冬を豫告するやうな木枯が二三日つづいた揚句、たうとう八幡村にも冬がやつて來た。洗濯ものを川に持つて行つて洗ふと指が捩げさうに冷たい。火鉢のない二階でひとり蹲つてゐるうち、私の掌には少年のやうに霜燒が出來てしまつた。年が明けて正月を迎へたが、正月からして飢ゑた氣持は救へなかつた。だが、戰災以來この身にふりかかつた不自由を一つ一つ數へてみたら、殆ど限りがないのであつた。

 所用があつて、私は廣島驛から汽車に乘らうと思つた。切符は早朝竝ばないと手に入らないので、燒殘つてゐる舟入川口の姉の家に一泊して驛に行くことにした。天井の墜ち壁の裂けてゐる姉の家は燈を消すと鼠がしきりに暴れて、おちおち睡れなかつた。姉は未明に起出して、朝餉の支度にとりかかつたが、柱時計が壞れたままになつてゐるので、一向に時刻が分らないのであつた。私ももとより懷中時計は原子爆彈の日に紛失してゐた。近所に燈がついてゐるから朝の支度をしてゐるのかとも思へたが、雨もよひの空は眞暗で、遠い山脈の方にうすら明りが見える。朝食をすますと、甥は近所に時間を訊きに行つてくれたが、その家にも時計はなかつた。何にしろ早目に出掛けた方がいいので、私は暗がりの表通りを歩いて行つた。暫くすると向ふから男が來たので時刻を訊ねてみた。すると相手は曖昧なことを云つて立去つてしまつた。電車通に添つて行くうち、あちこちの水溜に蹈込んで靴はずぶ濡れになり、寒さが足の裏に沁みるのであつた。

 私は眞暗な慘劇の跡の世界を急ぎ足に歩いてゐた。ある都市が一瞬にして廢墟と化すやうな幻想なら以前私は漠然と思ひ浮べてゐたことがあつたし、死の都市の夜あけの光景も想像の上では珍しくなかつた。しかし今かうして實際、人一人ゐない燒跡を步いてゐると、何か奇異なものが附纏つて來るので、相生橋を渡りながらも、これが相生橋であつたのかしらと錯覺に陷りさうであつた。がやがて八丁堀のところで燈をつけてゐる自動車と出逢ふと、寂寥のなかに烈しくエンジンの音をたぎらせてゐるので、漸く人心地に還つた。京橋あたりから驛の方へ行くらしい人の姿も見かけられた。

 驛に來てみると六時前であつたが、窓口にはもう人が集まつてゐた。切符は七時から賣出すので、その間、私は杜詩を讀んで過した。汽車に乘つてからも、目的地に着いてからも、歸りの汽車でも、私は無性に杜甫の行路難にひきつけられてゐた。

 

[やぶちゃん注:本篇は「冬を豫告するやうな木枯が二三日つづいた」とあることから、敗戦の年の晩秋と読める。

「八幡村」被爆直後に移った次兄の避難先の広島県の旧山県郡八幡村。現在の北広島町八幡(やわた)地区。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「捩げさう」思うに「捥(も)げさう」の誤記ではあるまいか。

「舟入川口」現在の広島市中区舟入川口町。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「相生橋」広島市中心部を流れる本川(旧太田川)と元安川の分岐点に架かる、相生通りと広島電鉄が通る併用橋。全国的にも珍しいT字型の橋。ここ(グーグル・マップ・データ)。参照したウィキの「相生橋」によれば、『上空からも目立つため、広島市への原子爆弾投下の際には目標点とされた。被爆当日、この橋付近に居た人々がほぼ即死状態で大勢亡くなっており、元安川下流側では』毎年八月六日の『夜に犠牲者を弔う灯篭流しが行われている』。当時、広島『市内に架橋されていた主要』四十九『橋のうち』、四十一『橋が残った』が、『その中で唯一この橋だけ』が、『欄干が破壊され』、『川に落下すると同時に、鉄筋コンクリート床版が最大で』一・五メートル『ほど浮き上がって破壊』されてしまう『現象が起きている。そこから今日では、被爆当時発生した衝撃波は橋を上から圧迫しただけでなく、本川の水面に反射し』、『下からも圧迫した』『ため、波打つ』形で衝撃が加わったもの『と考えられている』。『当然』、『当時の技術者は想定していなかった破壊現象であった』。リンク先には、主な破壊状況を示す動画や写真(殆んどは被爆から約八ヶ月後の昭和二一(一九四六)年春に撮影されたもの)がある。必見。

「八丁堀」現在の広島市中区八丁堀。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「杜甫の行路難」思うにこれは李白の全三首から成る「行路難」の誤りではあるまいか。これは杜甫との交流の中で彼に応じる形で創作されたものであることから、原民喜はかく誤認したものではないかと思われる(但し。「行路難」は楽府題であるから、杜甫に同名の作があるのかも知れぬ。ただ、「行路難」で著名なのは李白のこの詩である)。紀頌之氏のブログ「李白集校注」で「其一」「其二」「其三」が原文・訳注附きで読める。私が思うには、民喜が惹きつけられたのは「其一」の「行路難行路難多岐路今安在」(行路 難し 行路 難し 岐路 多し 今 安(いづ)くにか在る)ではなかったろうか?]

 

  蜜柑

 

 西廣島の蜜柑をみかけるやうになつたのは十二月のはじめ頃からだつたが、暫くは何氣なく見てゐるにすぎなかつた。私が蜜柑に惹きつけられたのは廿日市で五百目五圓で買つた時からだ。飢ゑて衰弱してゐる體が要求するのか、ほかに胃の腑を滿たすものがないのでかうなのか、とにかく、私は自分でも驚くほど、その時から蜜柑を貪りだした。さうして、私は妻が死ぬる前、頻りに果物を戀してゐたことを憶ひ出すと、その分のとりかへしまでするやうな氣持になつてゐた。私は八幡村から廿日市まで一里半の道を往來しては、一貫目づつ蜜柑を買つてもどつた。「戰爭が終つてよかつたですな、かうして蜜柑がいただけますもの」と云つてゐる人の言葉まで、何だか私には身に沁みるやうであつた。

 いつのまにか私がゐる二階の緣側には、蜜柑の皮が一杯になつてゐた。すると、夜每、鼠がやつて來て、その皮を引搔きまはし、殘つてゐる袋をむしやむしや食ふのであつた。鼠はしまひには障子に穴をあけ、室内に侵入するやうになつた。私は障子を破る鼠といふのをはじめて知つた。古雜誌でその穴を修繕しておいても、つぎつぎに紙の弱つてゐるところを破つて行つた。この村の鼠は私同樣飢ゑてゐた。ある朝、階下の押入にはカチカチになつて死んでゐる鼠がみつかつたが、「食ひものがないからよ」と人々は笑つてゐた。

 

[やぶちゃん注:「廿日市」西広島地方に当たる広島県廿日市(はつかいち)市。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「五百目」「目」は「匁」(もんめ)と同じであるが、十匁以上の単位の場合に「目」と表現することがあったらしい。約一・九キログラム相当である。

「妻が死ぬる前、頻りに果物を戀してゐた」『吾亦紅 原民喜 (恣意的正字化版) 附やぶちゃん注 「菓子」』に妻貞恵が頻りに「お菓子が食べたい」と懇請した様子が描かれている。糖尿病の症状であった。]

 

  悲鳴

 

 車内は臺灣からの復員兵がぎつしり詰つてゐたがあれは何といふ怕しい列車だつたのだらう。朝から昇降口に立ちづめのまま、私はそこで揉み合ふ澤山の人間を見た。若い男が年寄を怒鳴りつけてゐた。怒鳴られた年寄はおとなしく身を縮め、なるべくそちらへ觸るまいとした。だが、どうかすると、押してくる人のためにそちら側へ押されて行くのだつた。便所の中にはトランクやリユツクが持込まれ、そこにも四五人が陣どつてゐた。私が漸く列車の車内に這入れるやうになつたのは、その日の夕刻からであつたが、そこは濛々として荷物やら人の顏やら見わけもつかぬもので滿されてゐた。

 次の驛に着くと昇降口のところではまた紛爭が繰返されてゐるらしかつた。何か頓狂な叫びと、それを罵る大勢の聲がしてゐたが、やがて、ドカドカと車内へ割込んでくる防空頭巾の奇妙な男と、その配偶らしい婦人があつた。はじめここへ割込んでくる仕草のうちにも何かヒステリツクなものがあつたが、すぐにその男は絶えまなく、この混亂についての泣きごとを呟きだしたのである。これでは全く、どうにもかうにも致しかたがない。生れて以來こんなひどい目に遇はうとは思つてもみなかつた。――さういふ意味のことを述べるのに、その男のうはずつた大阪辨は眞に迫るものがあつた。それから、配偶の婦人が何か云ふと、すぐそれに對つても――殆どこの男が今日の一切の悲慘を背負はされてゐるかのやうに――泣聲で抗議するのであつた。だが、どういふものか、この男はあたりの反感を買ふらしかつた。

「萬才はやめろ」と誰かが怒鳴つた。しばらくすると、さきほど點いてゐた電燈も消え、それきり車内は眞暗になつてしまつた。すると、また、防空頭巾の男の悲鳴がおこつた。

「痛たた、誰かがわての頭なぐつた」たちまち誰かが闇のなかから嚴しく叫んだ。「誰だ……そんなわるいことをする奴は」

 が、それは弱い子供を庇つてやるやうな、ある調子が含まれてゐるのだつた。ふと私には、あの弱い男の過去が解るやうな氣持がした。多分、あの男もたつたこの間まで安逸に馴れてゐたのだが、急に悲慘に突落されたもので、かうして身も世もあらぬおもひで、旅に出掛けなければならなくなつたのだらう。

 眞暗な列車は其暗なところを走りつづけて行つた。

 

[やぶちゃん注:「對つても」「むかつても」か?

「庇つて」「かばつて」。]

 

  

 

 もう都會からは米といふものが姿を消して、その味も忘れられてゐる頃のことであつた。彼は電車の中で二人の女が、こんなことを云ひ合つてゐるのを耳にした。この頃は素人の女でも月に米一斗あてがつてもらへば喜んでお妾さんになるさうです。

 それから彼はある夜、驛のベンチに寢そべつてゐる醉ぱらひの老人がこんなことを喚いてゐるのをきいた。俺には妾が四人あるんだぞ。――その時、彼は妾四人といふ言葉ですぐ米四斗を思ひ浮べた。

 瘦せ細つた彼はある日、闇市の食べもの小路に這入つて行つて見た。半びらきになつてゐる扉の蔭から、テーブルの上にある丼の白米の姿がふと彼の眼に灼きつくやうに飛込んで來た。その瞬間、彼は何ともいへぬ羞恥感に全身がガタガタ顫へさうになるのであつた。

 

[やぶちゃん注:「お妾さん」「おめかけさん」。]

 

  溜息

 

 列車が京都に着いたのは夜半だつたが、ホームの例の窓はどの窓も申合せたやうに、ぴつたり閉ざされてゐた。私の席のところの窓は木の窓だつたので外の樣子は見えなかつたが、間もなく外からガタガタと搖さぶる音がきこえ、忽ちそれは亂打となり、あけろ、あけろ、あけろ、と叫喚しだした。これでは今にも窓は壞れさうだつたが、あの騷ぎでは、もし窓をあけたら一たいどうなるのかとおもはれた。あけろ、あけろ、あけろ、は耳をつんざくやうに突擊してくる。すると向の人混みの中に立つてゐた男がこちらへやつて來て、「あけてやりなさい」と云ひながら窓を開ける手眞似をした。その樣子はいかにも自信たつぷりで何か目論見があつたらしかつたが、たうとう自分でそこの窓を少し持上げたのである。彼が窓から首を差出すと、外では「もつとあけろ、もつとあけろ」と怒りだす聲がきこえた。

「窓から乘る法はないよ、昇降口から乘り給へ」

 首を外に出してゐる男の云ふ言葉がきこえた。だが、男の首の出てゐる隙間から、小さな荷物が放り込まれると、いつの間にか窓はこぢ開けられ、二三人の人間が瞬く間に私の膝の上に滑り込んで來た。隣の方の窓も開放たれてゐた。そこではまだ飛込まうとするものを拒まうとしてゐたが、見ると外側では驛員が必死になつて聲援してゐるのだ。「これは驛員の命令ですぞ、驛員の命令を拒むのですか」

 たうとうその窓からもぞろぞろと雪崩れ込んで來た。汽車が動きだすと、私の前に飛込んで來た男は、

「えらい、すみませんな、喰べものがないばつかしに、ああ、かうしてみんな苦勞しやんす」と、溜息まじりに口をきくのであつた。

 

  虛脱

 

 目白驛の陸橋にはゼネストのビラがべたべたと貼りつけてあつた。二月一日からゼネスト突入とあるから、もうあと幾日もない日のことであつた。私は雜司ケ谷に人を訪ね、それから再び驛の方へ引かへして來ると、恰度もう日も傾きかかつた頃だつたが、驛前の廣場に人だかりがしてゐる。何氣なくその人垣の方へ近づき圓陣の外に立留まつて眺めると、實に意外な光景であつた。そこには七八人の男女が入亂れて、南無妙法蓮華經を低唱しながら、てんでに勝手な舞踊をつづけてゐる。舞踊といふのか、祈禱といふのか、ものにとり憑かれてゐるといふのか、兩手で圓い環を描いたり、足をゆさぶつてみたり、さまざまの恰好をつくるのだが、大概のものが、眼は輕く閉ぢてゐて、動作は頗る緩慢なのだ。戰災者らしい汚れた服裝の娘もゐたし、薄化粧をした振袖の女もゐる。さうかと思ふと、人垣の方からフラフラと誘はれて踊りながら圓陣の中に吸込まれる口髭の親爺もゐた。しかし誘はれる人には誘ふところの光景だつたのだらう。

 ところが私は、ふと圓陣の外で、これよりもつと興味ありさうな事が起りかけてゐるのに氣づいた。先程から背の高い頑強さうな男と中年の婦人と、何か押問答してゐたが、そのうちに數珠を持つた婦人はいきなり、その男の顏の眞中を目がけて合掌すると、南無妙法蓮華經を唱へだしたのである。これは一體どうなるのだらうか、今に相手の男は念佛の力に感動して何かやり出すのだらうか。それともそれは始めから仕組まれ打合はされてゐる芝居なのだらうか。さう思ひながら、婦人の顏をみると、ふとこの顏は私の親戚の狂信家の、熱狂はしてゐる癖にとりつく島のないやうな淋しい顏を連想させた。それから今度は相手の男を眺めると、これはまた私の知人の、いつでも顏はむかつ腹立てながら心中では巫山戲てゐる人物をしのばせた。これでは、もう大概さきが知れてゐて大したことも起るまいと思へたが、やはり私は次に起ることを待つてゐた。

 暫く婦人の念佛は恍惚とつづけられてゐたが、相手の男は一向に動ずる色も浮ばない。やがて、この嚴しい顏をした男は唇を突出すと、べつと舌を、出したのである。「罰あたりめ」婦人は輕くその男を撲るやうな身振りをしたが、相手はもう颯爽と立退つて行くのであつた。

 

[やぶちゃん注:ここに描かれているのは、戦後に「踊る宗教」として知られた、天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)であろう。ウィキの「天照皇大神宮教によれば、『教祖は熊毛郡田布施町の農婦、北村サヨ』(明治三三(一九〇〇)年~昭和四二(一九六七)年十二月二十八日:教団内では「大神様」と呼称)』で、彼女は『農家の嫁であったが』、昭和一七(一九四二)年に『自宅の納屋などが放火に遭い』、その『犯人捜しのために祈祷師に勧められた丑の刻参りと水行の修行を始め』、昭和二〇(一九四五)年には『宇宙絶対神(天照皇大神)が降臨したと話すようになり』、『開教した』。敗戦の翌年である昭和二一(一九四六)年を、教団では『「神の国の紀元元年」と呼び、独自の年号「紀元」を使用し始めた』。『教団の教えによれば、宇宙絶対神は』三『千年に一度だけ地球に降臨するとされ、一度目は仏教の釈迦、二度目はキリスト教のキリスト、三度目が北村サヨであるという。教団では「我欲をすてて無我の域に達することが出来れば、人と神が合一する」と説き、無我の舞を踊るのが特徴である。そのため第二次世界大戦後には「踊る宗教」や「踊る神様」と喧伝された。この宗教団体では、見たこともない人同士で「結魂」(「結婚」の読み替えによる宛文字)することも珍しくない。他の例では「合掌」を「合正」、「聖書」を「生書」、「信仰」を「神行」、「六根清浄」を「六魂清浄」、「南無妙法蓮華経」を「名妙法連結経」と書き換えている』とある。されば、原民喜のこの叙述部分も正確には「南無妙法蓮華經」ではなく、「名妙法連結經」と唱えていることになろう

「ゼネスト」昭和二二(一九四七)年二月一日に実施が計画された「二・一(に いち)ゼネスト」、ゼネラル・ストライキ(general strike:全国的な規模で行われるストライキ。総同盟罷業)。決行直前に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの指令によって中止となり、戦後日本の労働運動の方向を大きく左右した。以上の叙述から、同年一月下旬が話柄内時制である。

「巫山戲て」「ふざけて」。

「立退つて」「たちさつて(たちさって)」。]

 

  浴衣

 

 體の調子がよかつたので、久振りに寢卷を洗濯した。襟の方にしみついた垢はいくら石鹼で揉んでも落ちなかつたが、一時間あまりも屈んでゐると、いい加減くたびれる。私はいい加減にして、その浴衣を木蔭へ吊しておいた。それから私は狹い部屋で寢轉んで窓の外の靑空を眺めてゐた。洗濯もののよく乾きさうな氣持のいい日だつた。夕方、私は木蔭のところへ行くと、ハツとした。浴衣は無くなつてゐた。足袋や靴下やハンカチなどこまごましたものは殘つてゐたが、一目で目につく浴衣はなかつた。

 あの浴衣を盜まれたからには、もう私には肩のところの透きとほつた、穴だらけの、よれよれの浴衣しか殘つてゐないのだ。私はそのぼろぼろの浴衣をとり出して手にとつて眺め、だんだん自分が興奮しだすのを覺えた。盜むよりほか手段を持たない人が盜んで、あれを着るのなら、たとへば貧しい母親が子供の襁褓にするため盜んだのなら、私の心はまだ穩かであり得る。だが、どうもあれは專門家の手によつて古着屋へ五十圓位で賣拂はれ、一杯のカスとり燒酎にされてしまつたのではないか。

 

[やぶちゃん注:「カスとり燒酎」これは実はそう簡単には説明出来ない。戦後の闇市では、真正のもの(新酒の粕を蒸籠で蒸留して取る焼酎)、低級な類似品、真っ赤な偽物で死に至る危険なもの(メチル・アルコール含有)が共時的に存在したからである。梅崎春生悪酒の時代――酒友列伝――の私の注を参照されたい。]


子規居士(「評伝 正岡子規」原題) 柴田宵曲 明治二十二年以前 啼血三旬号子規

 

     啼血三旬号子規

 

 明治二十二年(二十三歳)の四月三日、吉田匡という友人と共に水戸に遊んだ。東京より徒歩で藤代に一泊、翌日は雨中土浦を経て石岡まで行った。三日目も徒歩の予定であったのを、疲労のため中途から人力車で水戸に入った。この行の一の目的は菊池仙湖氏の家を訪(と)うにあったが、菊池氏が入違いに上京してしまったので、同夜は水戸市中に泊り、その翌日舟で那珂川を下って大洗に遊んだ。この旅中の顚末は「水戸紀行」一篇に詳(つまびらか)であるが、那珂川の舟中で居士は非常な寒さを感じ、震慄(ふるえ)が止まなかった。後にして思えばこれが最初の発病の原因になったらしい、と居士自身記している。前年一塊血を見たのも鎌倉の風雨の中であったし、この水戸行も雨の中を大分濡れて歩いている。那珂川の震慄は結果となって現れたので、この徒歩旅行は多少の無理があったのかも知れない。

[やぶちゃん注:「明治二十二年」一八八九年。

「吉田匡」(名は「ただす」と読んでおく)宿舎としていた常盤会(ときわかい)寄宿舎(本文後述)の松山出身の舎友。

「菊池仙湖」菊池謙二郎(慶応三(一八六七)年~昭和二〇(一九四五)年)は後の歴史研究者で衆議院議員。仙湖は号。藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られた。同い年であった正岡子規・夏目漱石らと交友があった。ウィキの「菊池謙二郎」によれば、『水戸藩士にして水戸支藩石岡藩家老も務めた』『菊池慎七郎の二男として水戸に生まれ』た。『茨城中学校(水戸一高の前身)入学』後、退学、明治一七(一八八四)年五月に上京し、『共立学校へ転学』した。この時、正岡常規と同級となった。『東京帝国大学文科大学国史科を卒業』、『山口高等学校教授、津山中学校校長、千葉中学校校長、第二高等学校校長を歴任』、『さらに清に渡って東亜同文書院監督兼教頭、三江師範学堂総教習兼両江学務処参議となった』。『帰国後は水戸中学校校長を務め』たが、大正一〇(一九二一)年に『「国民道徳と個人道徳」という講演で祖先崇拝の無意味を説いたところ』、『批判を受け』、『辞職を余儀なくされた。これに対し』、『水戸中学生が復帰を求めて同盟休校をする騒ぎに発展した』。大正一三(一九二四)年の第十五回『衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした』。明治十七年九月、共立学校の同級では子規と二人だけが『大学予備門に進み、子規と親しくな』った。翌明治十八年三月頃には、『神田猿楽町板垣方で子規』と『同宿』となっている。同年九月、子規と一緒に学年試験に落第している。『ベース・ボールをやり、子規はCatcher、菊池仙湖はpitcherの役だった』という。その後もしばしば子規の「筆まか勢」に彼の名が登場している。ここに記された通り、明治二十二年四月、子規が吉田匡と二人で、『水戸市まで大部分、徒歩で旅行し、謙二郎の実家を訪問、この時のようすを』「水戸紀行」(国立国会図書館デジタルコレクションの画像(大正一四(一九二五)年アルス刊「子規全集」第八巻。以下、同じ)でここから視認出来る)『として、半年後にまとめている』。『人力車で常磐神社のもとに着いた後、仙波湖』(千波湖。ここ(グーグル・マップ・データ)。彼の号の由来。彼の実家はこの湖畔にあった)『を離れ』、『「坂を上れば上市なり、町幅広く店も立派にて松山などの比にあらず」と記し、大工町への坂を上り、現在の国道』五十『号線の泉町方面への道筋と一致する。宿に寄った後、謙二郎の実家を訪ねたが、子規が二日前、旅に出た直後に出したはがきも届いておらず、謙二郎が今実家の下を通った列車に乗って上京した直後のため、謙二郎には会えなかった。子規はノートに

 

 この家を鴨ものぞくや仙波沼

 

と記している』。『帰京後、子規が謙二郎を訪ねたところ、会えなかったことを残念が』った。『子規は、この旅が病の元となったとしている』。『同年、子規は朋友として』十九『人を挙げ』ているが、七人目に厳友として菊池を、次に畏友として夏目漱石を挙げている。『また、かつて仙湖』は『子規を十返舎一九にたとえたことがあると』ともある。]

 当時居士は常盤会寄宿舎にあった。旧松山藩主たる久松家が、同藩子弟のために建てたので、明治二十年十二月創立以来、居士はこの寄宿舎の人となっている。舎生の文章を集めた『真砂集』なる小冊子が出来たのは、二十二年四月の事であったが、居士はこの書のために「詩歌の起原及び変遷」を草した。『真砂集』とは常盤会寄宿舎が本郷真砂町にあったからの名であろう。「詩歌の起原及び変遷」は居士の文章が印刷に附された最初のものだという点でも興味があるが、居士の興味がどういう方角に向っていたかを卜(ぼく)し得る上からも注目する必要がある。

[やぶちゃん注:「詩歌の起原及び変遷」国立国会図書館デジタルコレクションの同前画像ここから視認出来る。]

 五月九日の夜、居士は突然喀血した。翌日は朝寝して学校へは行かなかったが、医師の診察を受けただけで、午後は集会へ出るために九段まで行った位だから、さほどの事とも思わなかったのであろう。然るに同夜十一時頃再び喀血、それより午前一時頃までの間に、ほととぎすの句を作ること四、五十に及んだところ、翌朝またまた喀血した。子規と号するはこの時にはじまるのである。

 この喀血の模様は、二十二年九月に至って居士の草した『子規子』一巻に委しく記されている。『子規子』は「啼血始末(ていけつしまつ)」「読書弁(どくしょをべんず)」「血のあや」の三篇より成り、一夜四、五十吐いたというほととぎすの句が「血のあや」に当るものではないかと思われるが、名前だけで内容は伝わっていない。「啼血始末」の中に「卯の花をめがけてきたか時鳥(ほととぎす)」「卯の花の散るまで鳴くか子規(ほととぎす)」などとあるのが、僅にその片鱗を示しているに過ぎぬ。「啼血始末」は閻魔大王の訊問に答えて自己の体質、病を獲(え)るに至るまでの経過を審(つまびらか)に陳述するという体裁のもので、居士の病に関する最も清細な記録である。那珂川の舟中の寒かったこと、帰京後数日を経て後、腹痛に伴う震慄が一夜に三度起ったことなども記されている。居士の喀血は一週間ばかり続いて漸く止んだ。

[やぶちゃん注:「子規子」国立国会図書館デジタルコレクションの同前画像のここから視認出来る。判事閻魔大王・立合検事牛頭赤鬼・同馬頭青鬼と被告正岡子規の台詞からなるレーゼ・ドラマ風の「啼血始末」は二十二の子規が既にして俳諧的諧謔の真骨頂を捉(つらま)えていることを示す快作である。]

 

 繫將生命細如糸

 啼血三旬號子規

 不敢紅塵衣帶涴

 猶期靑史姓名垂

 廿年人事幾甘苦

 五尺病軀多盛衰

 遮莫東風又新歳

 且陪諸友共傾巵

  繫ぎ將(も)つ生命 細きこと 糸のごとし

  啼血 三旬 子規を號す

  敢へて 紅塵に衣帶を涴(けが)さず

  猶(なほ)期す 靑史に姓名の垂るゝを

  廿年の人事 甘苦 幾ばくぞ

  五尺の病軀 盛衰 多し

  遮莫(さもあらばあ)れ 東風(とうふう) 又 新歳(しんさい)

  且(しばら)く 諸友に陪(ばい)して 共に巵(さかづき)を傾けん

 

とは、翌二十三年の歳始書懐の詩であるが、痰に血痕を印することは一カ月余に及び、医師もその長いのに驚いたとあるから、「啼血三旬号子規」は必ずしも誇張ではなかったのである。

[やぶちゃん注:「涴」「汚(けが)す」に同義。「靑史」歴史。紙のなかった時代、青竹の札を炙って文字を記したことに由来する語。]

 居士は最初の喀血の翌日、医師から肺患の宣告を受けた時、意外に感じたと「啼血始末」の中で述べている。この年の春学校で測ったところによると、肺量は二百二十リットルあり、充盈(じゅうえい)と空虚の胸周の差も殆ど二寸あったから、その辺の懸念はあまりなかったのだそうである。けれども十一日朝、三度目の喀血を見てからは、静臥の外に方法はなかったらしく、「無口のお願をかけたが、獅子にでも出つくわして死んだまねをする樣に、かれこれ難儀をしました」とある。医師は帰国静養をすすめ、親類なども同意見であったが、居士はそれに従わず、試験を済まして後、はじめて帰省の途に就いた。松山に帰ったのは七月七日であった。

[やぶちゃん注:「充盈(じゅうえい)と空虚」空気を肺にめいっぱい吸い込んで空気を充満させた状態を「充盈」、すっかり吐き出した状態を「空虚」と言っているものと思われる。

「無口のお願をかけたが、獅子にでも出つくわして死んだまねをする樣に、かれこれ難儀をしました」底本は「無口のお願をかけたか、獅子にでも出っくわして死んだまねをするように、かれこれ難儀をしました」であるが、先の国立国会図書館デジタルコレクションの「啼血始末」の当該画像で訂した(「啼血始末」の被告正岡子規の台詞)。但し、文脈からは「が」は「か」の方が正しいかも知れぬ。]

 三度目の喀血があった十一日に、故山の叔父大原恒徳氏に送った手紙には「右の肺がわるき故何をするも左手をつかふは眞の杞憂にして苦痛のわけには無之(これなく)候」とある。居士は幼少の時から左利で、箸なども左で使いつけており、それをやかましくいわれるため、学校へ弁当を持って行かなかったという位だから、左手で手紙を書いたりすることは、格別苦痛でもなかったろうと思われる。また同じ手紙に「病氣の事母上はじめ他の方々へはなるべく御話無之樣祈上(これなきやういのりあげ)候」とあり、病気の程度などは母堂に秘してあったらしいが、松山に帰ってから暫くたってまた喀血した。この時は居士自身気管の出血だろうと判断し、医師に見せたら果してそうであった。十日ばかりで癒えたということである。

 この故山における喀血は時日がわからないが、「読書弁」の終に「明治二十二年八月十五日褥中(ぢよくちゆう)筆を執りて記す」とあるのは、その際の臥林を指すのではないかと思う。「読書弁」は喀血後の居士が、病によって廃学せず、読書を棄てざる所以を述べたもので、「啼血始末」では閻魔大王の法廷で青鬼がこれを朗読することになっている。居士はこの文章において、先ず人間の慾望の総量を同じと見、それを充す慾望の種類の割当に各人各様の差があるといい、然る後己(おのれ)の読書慾に及んだ。

[やぶちゃん注:「明治二十二年八月十五日褥中(ぢよくちゆう)筆を執りて記す」国立国会図書館デジタルコレクションの同前画像のここ

「読書弁」「讀書辯」は国立国会図書館デジタルコレクションの同前画像のここから全文を視認出来る。

 以下、引用は底本では全体が二字下げ。前後を一行空けた。国立国会図書館デジタルコレクションの同前画像の当該箇所を視認にして表記を訂した。]

 

 多情の人に至りては其多情の爲に生命の慾を減殺することあり。他語以て之を言へば生命を輕んずることなり。自分の讀書の慾も少しはこの域に達し、此慾の爲にならば多少は生命を減消するもかまはぬとの考を起したり。自分は固より朝に道を聞て夕に死を恐れざる聖人にもあらず、又此世に生を受けし限りは人間の義務として完全無缺の人間に近づかんといふが如き高尚なる德を有するものにはあらねども、自分も亦沐猴にあらず、鸚鵡にあらず、食ふて寢ておきて又食ふといふ樣な走戸行肉となるを愧づるものなれば、數年前より讀書の極は終に我身體をして脳病か肺病かに陷らしむるとは萬々承知の上なり。只〻今日已に子規生なる假名を得んとは思の外なりしかども、これもよくよく考へて見れば少し繰あげたるのみにて、今更驚くにも足らざるべし。

 

という一節の如きは、慥に居士の性格を見るべきものである。一年廃学して五年なり十年なりの生命を延し得ればいいようであるが、多情なる自分は到底徒然に一年の長日月を経過することは出来ない。一年廃学の結果として、自分の慾の大部分たる読書慾が減却された後、何を以てこれを充すか、というのがこの文章の主眼であるらしい。

[やぶちゃん注:「沐猴」は「もくこう(もっこう)」で、猿の類を指す。]

 思うに当時の居士の周囲には、廃学乃至休学に関する意見があり、「読書弁」はそれに対して学を廃せざる所以を述べたものと見るべきであろう。「読書弁」の終に近いところにある「客問ふて曰く、然らば君をして廢學せしむる方これなきか。曰く、有り。只〻行ひ難きのみ。何ぞや。曰く、我に鉅萬の財を與へて息ふ存分に消費せしむるのみ。客瞠若たり。我曰く、誰か我に鉅萬の財を與ふる者ぞ。天を仰いで呵々として大笑す」の問答の如きは、暗にその消息を語っているように思う。外聞から見た居士は世上一般の勤勉学生の類ではなかったかも知れぬ。しかしその学問とか、読書とかに対する態度はもっと本質的であり、根柢に確乎不動のものが横(よこたわ)っている。徒(いたずら)に歳月を空費するに堪えぬということは、恐らく居士の一生を通じて渝(かわ)らなかったに相違ない。

[やぶちゃん注:以上の引用部は国立国会図書館デジタルコレクションの画像。それで訂した。

「鉅萬」(きよまん(きょまん))の「鉅」は「多い」の意。

「瞠若」(だうじやく(どうじゃく))とは驚いて目を見張るさま。]

2017/12/24

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第八章 自然淘汰(4) 四 所謂退化

 

     四 所謂退化

 

 我々は通常構造の複雜な動物を高等と見倣し、簡單な動物を下等と見倣すから、複雜な動物が再び簡單な形に戾り、前に持つて居た特別の器官を失ふやうな場合には、之を退化と名づける。倂し前に述べた通り複雜な動物が必ず簡單な動物よりも一層生存に適すると限つた譯でもなく、地球の表面の中には簡單な動物でなければ生存の出來ぬやうな處が幾らもあるから、複雜な動物の子孫と雖も、外界の事情が簡單な動物の方が生存の見込の多いやうな有樣となるか、或はそのやうな有樣の處に移住するかしたならば、代々少しづゝ簡單な動物が生き殘り、自然淘汰の結果、次第次第に簡易なものに變ずる筈である。進化と退化とは字で見ると相對立して反對の意味を有するものの如くに思はれるが、所謂退化といふもやはり適者が生存して生じたもの故、決して進化以外のものではなく、單に進化の特別の場合に過ぎぬ。適するものが適せざるものになれば、之は眞の退化であるが、かやうなものは生存が出來ぬから、忽ち死に絶えてしまふ。

 

Hujitubo

[ふぢつぼ]

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの底本の写真図を用いた(講談社学術文庫版は絵)。]

 

 海岸へ行つて岩石・棒杭等の表面を見ると「ふぢつぼ」といふ貝の如きもふのが一面に附著して居るが、この動物は解剖上・發生上から調べて見ると、確に蝦や蟹と同じく、甲殼類といふ類に屬するが、蝦や蟹が皆活潑に運動して餌を探し廻る中に交つて、このものだけは岩などに固着し、一生涯動くこともなく、餌を探すこともない。運動するための足も筋肉もなければ、餌を探すための眼もない。外から見れば一枚の貝殼を被つた如くであるから、昔は之を蛤・「あさり」のやうな貝類かと人が思つて居た。斯くの如きもの故、蝦や蟹の如く足があり眼があつて巧に運動するものに比較して、通例「ふぢつぼ」を退化したものと見倣すが、その境遇に於ける生存に適するといふ點では、決して蝦・蟹に劣るものではない。海岸の岩石の表面に何萬とも何億とも數へられぬ程に盛に生活して居るのは、卽ちそこの生活に適して居る證據である。假に岩石の表面から「ふぢつぼ」を悉く取り拂ひ、その代りに之と同じ位の大きさの蝦・蟹を同じ數だけ置いたと想像するに、蝦や蟹では到底斯く盛に生活することは出來ぬ。今試に「ふぢつぼ」の生活する有樣を見るに、丈夫に固着して居るから、浪が烈しく岩に打當つても離れる虞がなく、隨つて岩に打付けられて碎かれるやうなこともない。運動するための足もなく、之を動かす筋肉もなく、常に坐したまゝ故、餓ゑることも甚だ少く、少量の食物で事が足るが、食物が少くて濟むから、固着して居ても浪に打寄せられて來る微細の藻類などを取るだけで十分に生活して行ける。別に餌を搜すに及ばぬから、眼も入らぬ。斯く孰れの點を取つても、「ふぢつぼ」の身體は浪の打當る岩石の表面に生活するには極めて適して居るから、蝦や蟹は如何に運動感覺の器官が發達して居てもこの場所では之と競爭は出來ぬ。

[やぶちゃん注:「ふぢつぼ」
節足動物門甲殻亜門 Crustacea 鞘甲(フジツボ)亜綱蔓脚(フジツボ)下綱完胸上目無柄目フジツボ亜目 Balanomorpha に属する、エビ・カニと同じ甲殻類であり、これは同類と同じく自由遊泳性のノープリウス幼生として孵化することが一八二九年に明らかにされている。

 元來動物の身體内にある器官は如何なるものと雖も費用の掛らぬものはない。一の器官を具へ置くには、滋養分の一部を割りて常に之を養はねばならぬ。運動器官の發達した動物は運動器官のために滋養分の大部を費さなければならぬから、餓ゑることも甚だ速である。それ故多量の食物を求めねばならぬが、坐して多量

の食物は獲られぬから、盛に動き廻つて食物を搜さねばならず、而して運動すればまた餓ゑる。之を外の物に譬へれば運動する動物は收入・支出ともに多い會社で、運動せぬ動物は收入・支出ともに少い會社のやうなものである。土地の狀況次第で前者の適する處もあれば、後者の適する處もあつて、孰れが繁昌し、孰れが失敗するかは、單に出入額の多少ばかりでは定まらぬのと同じで、勝敗は決して運動力の有無によつて定まるものではない。

 以上はたゞ一つの例に過ぎぬが、退化といふことは生物界に決して稀な現象ではない。闇黑な洞穴の中では魚でも蝦でも眼が發達せぬ。また他の生物に寄生する類には一般に運動・感覺の器官が甚だしく少い。前に掲げたことのある風の荒い大洋の中の小島に住む昆蟲に飛ぶ力のないことなどもこの類に屬するが、これらの場合とても理窟は全く同樣である。通常我々が身體各部の聞に分業の行はれた、構造の複雜な動物を高等動物と名づけ、構造の簡單な動物を下等動物と名づけるのも、複雜な動物が稍々簡單な形に變ずるのを退化と名づけるのも、皆高いと貴いとを結び合せ、低いと卑しいとを結び合せる人間の心の働で、天然から見ればたゞ適者が生存するといふことがあるばかり、決して高等動物が優るとか、下等動物が劣るとかに定まつたことはない。それ故所謂退化といふものも決して生存上優