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2017/12/09

老媼茶話巻之六 狐

 

    

 

 會津柳原(やなぎはら)といふ處に、又吉といふ百姓、有(あり)。

 或秋、七月初(はじめ)、深川といふ里へ、なす調(ととの)へに參りける折、天神のまへ、「ぼうし沼」の端に、いかにも、やせつかれたるきつね、北より南へ行(ゆき)けるを、又吉、見て、石を取(とり)、狐に打付(うちつく)る。左の足にあたり、漸(やうやう)、足を引(ひき)づり引づり、逃失(にげうせ)たり。

 又吉、家に歸り、熱病をなやみ、さまざまのたわごとを、いふ。

「我は晝の狐也。又吉に、我、少しも仇(あだ)なさず。何故に礫(つぶて)を抛(なげ)て我を痛めける。我々、遊行(ゆぎやう)せるにあらず、不叶(かなはぬ)用有(あり)て、日光中善寺の稻荷より、北方慶德(ケイトク)の卷尾(ケンビ)の稻荷明神へ使者に行者(ゆくもの)者也。然るに、道遠くして甚(はなはだ)つかれ、くるしむ。また吉に左のあしを痛められ、步行(ほかう)、成(なり)難し。此仇に、則(すなはち)、此者の命を、とるべし。」

といふ。

 妻子、驚き悲しみ、御子(みこ)・山伏をたのみ、樣々、侘言(わびごと)をする。狐が曰(いはく)、

「人間の命數(めいすう)は天元(てんげん)の數、有(あり)。命を取るべしといふは、我がたはむれにて、汝等を驚かす爲也。我にかぎらず、狐の人に取付(とりつき)なやまさんとする時は、先(まづ)、我(わが)骸(からだ)を、深き山谷影(やまたにかげ)が巖穴のうちへかくし置(おき)、其後(そののち)、魂(たましひ)斗(ばかり)、骸をはなれ、人に取付(とりつく)もの也。此故に、もし其骸を鷲・熊鷹、或は、人に見付(みつけ)られ、其からだをやぶり損ぜらるゝ時は、二度、魂の立歸(たちかへる)べき所なく、これに依(よつ)て、是非なく、一生、人體を離(はなれ)ず、魂、人の骨肉の内に住む。我(わが)骸(からだ)、かりに、天神の宮、緣の下にかくし置(おき)、たましゐ、又吉に取付(とりつき)たり。骸を人に見付られざる先に、明曉(みやうげう)、もどるべし。然(しかれ)ども、先(サキ)にいふ通り、又吉に足をいためられ、步行、不自由なり。七日の内、又吉がたましゐをかり、夫(それ)を供につれて、歸るべし。明曉、餞別の壽をなし、赤の飯かしぎ、赤鰯(あかいわし)・御酒をそなへ、我を送るべし。又吉がからだを靜成(しづかなる)所に置(おき)、人にみせ、おどろかしむべからず。必(かならず)、七日目には元の又吉と成(なる)。替(かは)る事、なかるべし。」

と、いふ。

 そのあかつき、家内の者ども、身を淸め、火を改(あらため)、赤飯をふかし、赤鰯・御神酒(おみき)をそなへ、狐の旅立(タビだち)を祝ひける。

 扨、又吉がからだをば、屛風を立𢌞(たてまは)し、靜成(しづかなる)所に置(おき)けるに、七日目の曉、又吉、起上(おきあが)り、常のごとく、酒食をなし、替(かは)る事なし。

 妻子、悦び、此間の事を尋聞(たづねきく)に、少も覺(おぼえ)ず。日光の道筋、中善寺地景、今市(いまいち)の樣子、事こまかに語るに、ちがひなし。今市の茶屋にて、小刀にて右の手のゆび切(きり)たると覺しが、ゆびに疵あり。足にまめなど多く出來、足にわらんじすれの跡、あり。又吉は、終(つゐ)に其前、日光へ行(ゆき)しこと、なし。關山(せきやま)村の百姓彦三郎といふもの、又吉に逢ひ、柳原へ狀を賴みける。其狀も、又吉が袖の内より、出(いで)たり。不思義のこと共(ども)なり。

 加藤明成の侍、川井勘十郎といふ者、御山近邊鳥殺生(としせつしやう)に出る。散々不勝負にて、歸りける道、中野の十文字はらの藪影に、古狐、前後も不知(しらず)ねて居たりける。

 勘十郎、見付(みつけ)、鐵炮へ紙玉を込め、筒拂ひに、きつねの耳元にて鐵炮を打放(うちはな)す。

 狐思ひかけざる事にて、大(おほい)に肝をつぶし、一間斗(ばかり)、飛上(とびあが)り、倒れふためき、さけびないて、跡、ふり返り、ふり返り、見て、淨土の館三五倫(リン)のかたへ、はしり逃(にげ)たり。

 勘十郎家に歸り、狐のおどろきたる事、妻子にもの語りし、酒茶に夜を更(ふか)し、いねたり。

 其夜、八時分、門(かど)、けわしくたゝき、高提灯・箱提灯おびたゞしく、灯立(ともしたて)、

「月番(つきばん)・添番(そへばん)の物頭目付(ものがしらめつけ)誰々。」

と名乘(なのり)、

「上意によつて罷越(まかりこし)候。早々玄關ひらき候得。」

と言入(いひい)るゝ。

 勘十郎家内、騷動して、先(まづ)、急ぎ、勘十郎、袴を着し、出向ひ、玄關をひらき、座敷へ招じ入(いれ)、何(いづ)れも座敷へはいり、中にも其時の目付役伊東權平、添番の目付片山彌平次、兩人、進み出(いで)、申(まうす)樣、

「其方儀、今(こん)晝(ひる)、御鷹野の場所と云(いふ)御城近くと申(まうす)傍(かた)、遠慮有(ある)べき處、みだりに鐵砲を打放(うちはなち)、上を輕(かろ)しめ、法外の至り。此段、殿樣、以の外、御腹立(おはらだち)にて、早速、腹切らせ候樣にと被仰付(おほせつけられ)、我々を始(はじめ)、物頭誰々、罷向(まかりむかひ)候。早々切腹致すべし。」

と申渡(まうしわた)す間(あひだ)、勘十郎、大きに驚き、此節、是非を申上(まうしがぐ)るに不及(およばず)、

「行水(ぎやうずい)仕候内(つかまつりさふらううち)、御暇被下(おひまくだされ)候。」

樣に申(まうし)けれ共(ども)、ゆるされず。

 片山彌平次、

「かいしやく、某(それがし)に被仰付(おほせつけられ)たり。」

とて、羽織、拔(ぬき)すて、袴のもゝ立(だち)を取(とり)、勘十郎が後へ𢌞り、既に十分あやうき折節、勘十郎、家に、しゝ・狼まで能(よく)取(とる)名犬、弐疋有(あり)けるが、無二無三に表より座敷へ缺込(かけこみ)、先(まづ)、彌平次が首骨、くらひ懸り、首と胴中をくわへ、喰殺(くひころ)し、庭へふり捨(すて)、猶、殘りのもの共(ども)へ、吠懸(ほえかか)る。今まで、物頭・目付役とて、りつぱに見へし士共(ども)、大きにあわて騷ぎ、則(すなはち)、狐と成(なり)て、十方(とほう)を失ひ、出方(でかた)に迷ひ、十字八點に逃𢌞(にげまは)りけるを、勘十郎も、家内男女も、てん手(で)に、棒、引提(ひつさげ)、打殺(うちころ)す。

 弐疋の犬、勇み進んで、喰殺(くひころ)し、かみ殺す間、あまたの狐、不殘(のこらず)打殺し、それより表出(いで)、門をひらき、二疋の犬を、足輕共に、けしかけける。

 足輕にばけし狐共、大きにさわぎ、うろたへ、右往左往に逃げ散(ちり)、壱疋もなくなり、狐、十二、三、打殺し、是にてこそ晝おどろかされしきつねの所爲(しよゐ)成(なり)けると知られし。

 

[やぶちゃん注:「會津柳原(やなぎはら)」現在の福島県会津若松市柳原町か。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「なす調(ととの)へに」茄子の苗木を買いに、という意で採っておく。

『天神のまへ、「ぼうし沼」』先の柳原町のグーグル・マップ・データを拡大すると、中央に菅原神社(「天神」)が現存し、その東北ごく直近に「帽子丸の墓」があるのが判るこの辺りに「帽子沼」があった(底本でも右に編者による添漢字で『帽子』とある)。石田明夫氏のサイト「会津の城」の「義経伝説と会津」に『③皆鶴姫の碑 会津若松市河東町指定有形文化財』とあって、そこに、『源義経が、京都の鞍馬寺に預けられているとき、兵法書を吉岡鬼一法眼が持っていることを知り、見ることを願い出るが』、『許されず、娘の皆鶴姫に近づき、兵法書を写し取ることに成功する。平氏の追っ手が近づいていることを知り、義経は平泉に逃れた。皆鶴は、義経の後を追い、会津に来たが、追っ手により発見され、義経との間にできた帽子丸がとらえられ、沼で溺死。皆鶴は、藤倉の難波沼まで来たが、身を悲観し、沼に身を投じて亡くなった。墓が造られ、難波寺が建てられたが、寺は廃寺となった。この碑は』寛政五(一七九三)年に『会津藩で建てられた。下居合には、皆鶴姫が義経の名を呼んだ「よばる橋」というのがある』とあり、そうした伝承を伝えた沼であったことが判る。

「遊行(ゆぎやう)せるにあらず」漫然と遊び歩いていたのではないのだ!

「不叶(かなはぬ)」おろそかに出来ない。しないでは済まされぬ。

「日光中善寺の稻荷」「中善寺」はママ。中禅寺湖湖畔の栃木県日光市中宮祠にある二荒山(ふたら)神社内の二荒山神社中宮祠境内にある中宮祠稲荷神社のことか。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「北方慶德(ケイトク)の卷尾(ケンビ)の稻荷明神」恐らくは、福島県喜多方市慶徳町豊岡不動前に現存する慶徳稲荷神社であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。ここは少なくとも現在、この神社では田植え神事が行われているが、これはこの行事の分布上の日本の北限だそうである。狐だから、呼称の「卷尾」は納得。

「御子(みこ)」巫女。

「天元」万物成育の源である天の元気によって予め定められたものの謂い。

「骸(からだ)」死骸ではなく、魂(たましいが抜けた「骸(むくろ)」の謂い。

「山谷影(やまたにかげ)」「山谷蔭」。

「もどるべし」戻ろうと考えている。

「赤鰯」糠或いは塩漬け又は干して、脂分が酸化して赤茶けた色になった鰯のこと。

「今市」栃木県の旧今市市(いまいちし)。現在は日光市の一部。日光市役所本庁舎は旧今市市役所の建物を使用している。参照したウィキの「今市市」によれば、『江戸時代には、日光街道や会津西街道、日光例幣使街道今市宿の宿場町として繁栄した。現在も、日光へ至る鉄道は今市を経由する』とある。

「わらんじすれ」「草鞋摺れ」。

「關山村」不詳。孰れにせよ、日光近辺でなくてはなるまい。

「加藤明成」腐るほど、既出既注(初出の条にリンクしておいた)。

「川井勘十郎」不詳。

「御山」現在の会津若松市門田町大字御山附近か。ここ(グーグル・マップ・データ)。。

「散々不勝負にて」全く狩り(鳥撃ち)は不猟にして。

「中野の十文字はら」前の現在の門田町大字御山の西に門田町大字中野という地名を確認できる。ここ(グーグル・マップ・データ)。鶴ヶ城の南二キロメートルほどで現地域に至るから、ここで鉄砲を撃てば、城に聴こえはするように思われる。

「藪影」「藪蔭」。

「鐵炮へ紙玉を込め、筒拂ひに」かく言っている以上、ここで紙玉を詰めたのは、あくまで火縄銃の銃身、筒の中を掃除するためなのであろう。何もそれを狐に中てたわけではない。

「一間」一メートル八十二センチ弱。

「淨土の館三五倫(リン)」底本、右に編者の添字で『允殿』とあるから、既出既注の允殿館(じょうどのだて)。現在の福島県会津若松市に所在した城館で、中世に会津領主であった蘆名氏の有力家臣松本氏の居館の一つであった。宝徳三(一四五一)年に蘆名氏家臣松本右馬允通輔が築いたとされる。現在は公園化され、会津五薬師の一つである館薬師堂が建ち、敷地内には秀行の廟所がある。福島県会津若松市館馬町内。ここ(グーグル・マップ・データ)。先の門田町大字中野の北直近で、より鶴ヶ城に近い。「倫」は「輪」の誤りで、恐らくはそこに古い三基の五輪塔が立っていたのではあるまいか。

「八時分」午前二時頃。

「けわしくたゝき」「險しく叩き」。激しく敲いて開門を促すこと。

「高提灯」高張提灯(たかはりちょうちん)。大形の棗(なつめ)形をした提灯で、先に上下二本の腕木を持った長竿(ながざお)の先に取り付け、その口輪・底輪を腕木にとめて高く掲げた。承応・明暦(一六五二年~一六五八年)頃になって現れたもので、初期は武家が用いたが、後には広く商家や遊廓などでも使い、一般にはここに出るような「高提灯」或いは単に「高張」と呼ぶ。提灯には定紋や屋号などを書き、専ら、目印として利用され、社寺・役所の門前、商家の店頭や祭礼・葬送の行列などの先頭に高く掲げ、目印として利用された。現在でも社寺の祭礼や葬礼の際に使われることが多い。

「箱提灯」浅い香箱のような丸形の木製の箱と紙の蛇腹本体及び丸い底蓋から成る円筒型の大形提灯。畳むと、全部が上下の木枠(箱)の中に収まるようになっている。蛇腹に家紋や屋号などを入れ、各種礼式の際、行列に加わったり、婚礼の門に掛けられたりした。

「月番」月番交代制の当該月の勤務。

「添番」先の月番役の補助役。

「物頭目付」弓組・鉄砲組などを統率する長を「物頭」(ものがしら)と称し、「目付」は諸藩では藩内諸士の監督のため設置された監察役を指すが、「物頭」自体が同時にそうした藩士の集団をも指し、後で二人の人物は孰れも「目付」と同等格で称しているから、ここは「物頭」と「目付」ではなく、藩内の藩士を統括する実務担当の事実上の監察役である「物頭目付」という一語で採る。

「伊東權平」不詳。

「片山彌平次」不詳。

「御鷹野」城主が鷹狩をするための禁足地。

「傍(かた)」底本は「旁」。その右に打たれた編者の添漢字に代えた。私の推定訓。先に勘十郎が狐を脅した場所が、その傍ら、ごく近くであったということ。

「行水(ぎやうずい)」死に面しての潔斎のため。

「かいしやく」「介錯」。

「袴のもゝ立(だち)を取(とり)」「袴(はかま)の股立ちを取り」既出既注であるが、再掲しておく。「腿立ち」は袴の左右両脇の開きの縫い止めの部分をいう。そこを摘んで腰紐や帯にはさみ,袴の裾をたくし上げることを「股立を取る」と称し、機敏な活動をする仕度の一つとされた。

「しゝ」「猪」。

「缺込(かけこみ)」「驅(か)け込み」。

「首と胴中をくわへ、喰殺(くひころ)し、庭へふり捨(すて)」和犬であるから、そんなに巨体の犬とも思われないので、嚙みかかった瞬間、化けた狐の本来のサイズぐらいまで弥平次の姿が縮んだシチュエーションを想起すべきか。狐の姿に戻ってしまうより、その方が面白い

「十方(とほう)を失ひ」途方にくれ。

「出方(でかた)に迷ひ」逃げ出る方向に惑い。

「十字八點」東西南北に、その中間の十字方向を加えた八方の謂いで、「四方八方」と同義と思われる。]

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