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2017/12/24

老媼茶話巻之七 入定の執念 / 老媼茶話巻之七~了


 
   入定の執念

 

[やぶちゃん注:本話は私の痛く偏愛する一篇で、実は遠い昔、サイトで電子化訳注をしている今回は、恣意的漢字正字化版・読み歴史的仮名遣版として本文を、再度、校合の上、作り直し、注も旧版を元にしつつ、追加を施してして示すこととした。

 

 大和國郡山(こほりやま)高市(たかいち)の郡(こほり)、妙通山淸閑寺觀音堂の守(も)り坊主に、惠達(ゑたつ)といふ出家、

「觀音夢相(むさう)の告(つげ)、有り。」

と云ひて、承應元年壬辰(みづのえたつ)三月廿一日、阿彌陀がはらといふ處にて、深く穴を掘(ほり)、生(いき)ながら、埋(うま)る。

 惠達、年(とし)六拾壱なり。

 しかるにM惠達、入定(にふじやう)の年より、寶永三年迄、年數五拾五年に及(およぶ)迄、塚の内にて、せうごをならし、念佛申(まうす)聲、きこゆ。

 是れに依(よつ)て、「あみだが原の念佛塚」と名付(なづけ)、壇をつき、印(しるし)に松を植(うゑ)たり。

 其の松、年經(ふ)りて大木(たいぼく)と成(なり)、そとば、こけむして、露深々(しんしん)草ばうばうたる氣色なり。

 寶永三年秋八月、大風吹(ふき)て念佛塚の松を根こぎに吹き倒しける。

 村人共(ども)打寄(うちより)、その内にこざかしき百姓、申(まうし)けるは、

「人に七魂(しちこん)有(あり)て、六魂(ろつこん)、からだをはなれ、一魂、死骨(しこつ)を守る、といへり。弘法の入定、末代(まつだい)の不思義なり。其の外の凡僧の及ぶべき事にあらず。幸(さひはひ)、此(この)塚を崩(くず)し、内を見るべし。」

といふ。

「尤(もつとも)也。」

と、てん手(で)に鋤(すき)・鍬(くは)を持(もち)て、石をのけ、土を引(ひき)、石郭(せきかく)の蓋(ふた)をとれば、棺の内に、惠達、髮髭(かみひげ)、銀針(ぎんしん)のごとく、炭のをれの樣にやせつかれ、首にかけたるせうごをならし、念佛申し居(ゐ)たりけるが、人聲(ひとごゑ)を聞(きき)て目をひらく。

 庄屋(しょうや)源右衞門といふもの、惠達に近付(ちかづき)申す樣(よう)、

「汝、決定(けつじやう)往生、卽身成佛の願ひを立(たて)、承應の始(はじめ)、入定す。いままでなにゆへに此(この)よに執念をとゞめて往生せざる。」

 惠達、申すやう、

「我、元(もと)備前兒嶋のもの。七歳より同國大德寺にて剃髮して、十九才の春より諸國修行して山々嶽々(さんざんがくがく)の尊(たつと)き靈佛靈社を拜み𢌞(めぐ)り、高野へ七度(しちど)、熊野へ七度、吉野の御嶽(みたけ)へ七度詣でて、淺間のたけにて現在地獄をまのあたり見てより、尚々(なほなほ)此世のかりなる事をいとい、はやく極樂淨土彌陀の御國へ參らん事をいそぎ、入定せしむる砌(みぎり)、此の事、聞き及び、ゑかうの貴せん、近江よりつどひ來り、十念、授(さづく)る。數(す)萬人、押し合(あひ)、もみ合(あひ)、我が前に進みよる。其内、十八、九の美女、群集(ぐんじゆ)の人を押分(おしわけ)、我前へ來り、衣の袖にすがり、『ほろり』と泣きて、十念を望む。我、此折(このをり)、此の女に念(ねん)をとゞむる心、有(あり)。定めて、此の故に、成佛をとぐる障(さはり)と成(なり)しものなるべし。」

といふ。

 庄屋、其折(そのをり)生き殘りし老人に尋ぬるに、老人、申(まうす)は、

「その折、近郷の美人とさたいたし、そのうへ、後生願(ごしやうねがひ)にて候ふは、米倉村庄八郎娘に『るり』と申せしにて候べし。今、幸(さひはひ)、存命仕(つかまつ)る。つれよせ給へ。」

といふ。庄屋、

「その女、爰元(ここもと)へつれ來(きた)るべし。」

といふに、やゝ有りて壱人の古姥(ふるうば)をつれきたる。

 髮は雪をいたゞき、おどろを亂し、目はたゞれくぼみ入(いり)、齒は壱枚もなく、腰は二重(ふたへ)に曲がり、漸(やうやう)人に助けられ、杖にすがり、坊主が前によろぼひ來(きた)る。

 庄屋、惠達に申(まうす)は、

「此の姥(うば)こそ、汝、入定の砌(みぎり)に執念をとゞめし、米倉村庄八が娘『るり』といゝし美女なり。其のせつは十九、今、七十三歳なり。是れを見て、愛着(あいぢやく)の心、あらんや。妄念・愛執をはなれ、はやく、佛果(ぶつか)に至るべし。」

と示しければ、惠達、此の姥を、つくづくと詠(なが)めけるが、朝日に向ふ霜のごとく、皮肉(ひにく)、忽(たちま)ち消え失せて、一具(いちぐ)の白骨(びやくこつ)斗(ばか)り殘りたり。

 誠に、人の執心程、おそろしきものは、なし。




老媼茶話卷之七終
 

[やぶちゃん注:「大和國郡山(こほりやま)高市(たかいち)の郡(こほり)」現在の奈良県北部の大和郡山市と南部の高市郡は全く別な行政区域である。ここでは旧高市村、現在の明日香村(あすかむら)一帯を指すか。なお、正式な地名読みとしては現在でも「たかいち」であり、「たけち」はそれが変化したものであるので、正式名を読みとした。原作者は「たけち」と読んでいるかも知れない。

「妙通山淸閑寺」未詳。このような山号・寺名は該地区内には現存しない模様である。

「觀音堂の守(も)り坊主」ここでこの寺の、こうしたただの堂守りの担当僧であったということは、思うに、この「惠達」という僧、実は決して高徳の僧ではなく、少なくとも僧として公的に認められた高僧ではないということが判る

「承應元年壬辰(みづのえたつ)三月廿一日」グレゴリオ暦一六五二年四月二十九日。徳川家綱の治世。但し、この三月二十一日の時点ではまだ慶安五年で、同年九月十八日に承応元年と改元されている。この年の出来事としては承応の変が知られる。これは、牢人の別木(べっき)庄左衛門が同士数人とともに徳川秀忠夫人崇源院の二十七回忌が営まれる増上寺に放火して金品を奪い、更に老中を討ち取ろうとした事件で、由井小雪の慶安の変に続き、大名お取り潰しに伴う浪人の急増に伴う、不満分子の騒擾であった。

「阿彌陀がはら」未詳。この地名が判れば、寺の捜しようもあるのだが。郷土史研究者の御教授を乞う。

「惠達、年(とし)六拾壱なり」とすれば、恵達は天正二十・文禄元(一五九二)年生まれとなる。

「寶永三年」一七〇六年。徳川綱吉の治世の末期(綱吉は一七〇九年に没する)。この時期では、翌年の宝永四(一七〇七)年十月の遠州灘・紀州灘を中心とする「宝永の大地震」が知られる(マグニチュード八・四、死者は二万人を超え、倒潰家屋六万、津波等による流出家屋二万戸に上ったと推定されている)。 また、その翌十一月には、年号を冠する宝永山で有名な、現在までの富士山最後の大噴火に当たる「宝永の大噴火」が起っている。

「年數五拾五年」数えで計算している。

「せうご」ママ。「鉦鼓(しやうご)」。勤行の際に叩く円形の青銅製のかね。

「壇をつき」「壇を築(つ)き」。

「そとば、こけむして」「卒塔婆、苔蒸して」。

「草ばうばう」「草茫々」。

「寶永三年秋八月」グレゴリオ暦では同年旧暦八月一日は九月七日。

「人に七魂有りて……」私はこのような霊魂説を聞いたことがない。これは或いは、道教で言う「三魂七魄」説の誤解ではなかろうかと思われる。「三魂七魄」とは「三魂」が死して天へと昇る天魂・地下に去る地魂・墓所に留まる人魂を指し、「七魄」は死者の持っていた喜び・怒り・哀しみ・懼(おそ)れ・愛・憎しみ・欲を指すなどと、ものの本には、まことしやかに書かれているが、この辺りの名数はあまり当てにならない(と私は思う)。「こざかしき百姓」がしたり顔で薀蓄垂れるに相応しい怪しげな説である。

「炭のをれ」「炭(すみ)の折れ」。燻煙した炭の折れた破片。

「決定(けつじやう)往生」疑いなく極楽に往生すること。

「卽身成佛」現世の身体のままで仏となること。一般には真言密教の奥義。

「備前兒嶋」現在の岡山県倉敷市の南東部、海に面した児島半島を中心にした一帯。(グーグル・マップ・データ)。

「同國大德寺」未詳。このような寺は岡山県内には現在は存在しない模様である。

「現在地獄」浅間山等の火山帯上で、硫黄を含んだ火山性有毒ガスや熱水・泥水・水蒸気等を噴き出している場所を、地獄を目の当たりに見るようであるとして、かく称し、恵達はそこに現世と間近い地獄(そこは六道の中の人間(じんかん)道と輪廻しているから)の有様を見て、厭離穢土の情を強くしたというのである。

「此世のかりなる事をいとい」ママ。「此の世の假(かり)なる事を厭(いと)ひ」。

「ゑかう」「囘向」。仏事を営んで死者の成仏を祈ること。ここでは恵達の即身成仏を祈念することで、他者のそれを祈ることが、功徳として自身に返ってくるのである。

「貴せん」「貴賤」。

「近江」ママ。「近郷」の誤字。

「十念」十念称名。「南無阿彌陀佛」の名号を十回唱えること。ここでは恵達の即身成仏を祈念する衆生にそれを授けることで、祈念する人の往生を逆に確かなものとすることを指す。

「さたいたし」「沙汰致しそのうへ」。

「後生願(ごしやうねがひ)にて候ふは」「後生願ひ」は、通常は、来世の極楽往生を願うこと又はその人を指し、「特に仏道への帰依の念が厚いこと」を言うが、ここはその恵達入定の際に十念を授けに特に願い出たと申す若き娘と言えば、の謂いでよい。

「米倉村」未詳。現明日香村の近在では、現高取町(たかとりちょう)内にあった船倉村というのが。この名に近いか。

「つれよせ」「連れ寄せ」。

「おどろを亂し」「荊(棘)(おどろ)を亂(みだ)し」。「おどろ」自体が「髪などの乱れているさま」を謂う語。

「たゞれくぼみ入(いり)」「爛れ窪み入り」。]

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