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« 柴田宵曲 俳諧博物誌(17) 雀 二 | トップページ | 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 死相(葛巻義敏編集) »

2017/12/04

《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 老狂人

 

[やぶちゃん注:底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」に拠った。葛巻氏の推定(底本では本文末に彼の推定クレジットがある)によれば、本篇の執筆時期は明治四一(一九〇八)年或いはその翌年とされる。芥川龍之介十六、七歳、府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)四、五年生(当時の旧制中学は五年生)の時のもので、青年期の芥川龍之介の最初期の本格小説の一篇と言える。しかし、その末尾の龍之介少年の懺悔の述懐は、「西方の人」を書き上げた直後に自死した後の芥川龍之介を髣髴とさせ、初読、私は激しい身震いを感じたものであった。

 〔 〕は編者の補訂字である。ないとそこで躓いてしまうので、敢えて採用させて貰った。踊り字「く」「〲」は正字化した。一部の字の大きさは私の推定判断で変えてある。

 以下、先に簡単に語注を施しておく。

 冒頭に出る「兎合菜」は不詳。識者の御教授を乞う。

 「大神宮」は伊勢神宮。

 「無花果(いちじゆく)」イチジクの語源説には「一日に実が一粒ずつ熟(じゅく)する」からというのがあり、則ち、「一熟(いちじゅく)」の音転訛とするもので、これが正しとすれば(かなり有力な説と思われる)、「いちじく」が正しく、しばしば目にする「いちぢく」は誤りであることが判る。実際、他の作家のものでも無花果を「いちじゆく(いちじゅく)」と訓じているものがある。

 「十六むさし」日本の子供の遊びとしての伝統的ボード・ゲーム。少なくとも、江戸から明治にかけてよく遊ばれた。二人で行なう非対称なアブストラクト・ゲームで、漢字では「十六武蔵」「十六六指」などと書かれた。詳しくは参照したウィキの「十六むさしを見られたい。

 「丁うど」は衍字。丁度(ちょうど)。

「白粉の花」「おしろひのはな」でオシロイバナのこと。

【2017年12月4日 藪野直史】]

 

 老狂人

 

 小さな豆腐屋です。

 黃色く油をひいた腰障子にあかあかと秋の夕日がさして、よく兎合菜をいれる黑ずだ桶が二つ三つならんでほしてあつたのを、未だにはつきりと覺えてゐます。

 家の中をのぞきこで見ますと、濡れた流しがうす靑く光つて、低い軒さきにはひからびた烏瓜がさびしくぶらさがつて居りました。時によると、うすぐらい中で豆をひく聲がごとごと――あの雨もよひの晩に蟇(ひき)のなくのをきくやうに――きこえましたが、大抵はしんとして、これでも人が住ンでゐるかと疑つたくらゐでした。

 私たちが秀(ひで)馬鹿とよだ老狂人は、この豆腐屋の隱居なので、母の話では、もとは何百石とかの旗本でまだ母が唐人髭に〔ゆ〕つて赤い布をかけてゐた時分には、滑な式の鏡板が人の顏もうつしさうな玄關には、金蒔繪の定紋をおいた長持やら黑ぬりの鞘をかけた手槍やらが、挨もかぶらずに古(いにしへ)の俤を見せてゐましたが、唯主人が切支丹の信者だとか云ふうはさがあつたので、人はあまりよく言はなかつたと云ひます。

 主人が氣が違つたのは、瓦解の後間もなくで、世間では切支丹を信じて大神宮樣の御ふだを燒いた罰だと云つたさうですが、この狂人が其正教徒――舊日本のあらゆる嚴酷な宗教の制度に反抗したキリスト教徒の一人だつたと云ふ事はまんざら噓でもありませんでした。

 私はよく覺えてゐます。このうすよごれ〔た〕靑い毛布を腰にまいて、黑い皮の表紙の 大きな本を抱きながら、さも肩の上にのしかゝつた、かぎりない不安に堪へないやうに、力のない目で往來の人の顏を一人一人ながめるかと思ふと又、うつむきがちにたえず唇をうごかして獨言(ひとりごと)をいひながら、絶望したやうに頭をたれて、雨あがりの深い轍(わだち)のついた其堅い泥の道をよろめきながら步いてゆく年老つた狂人の後姿は、いつも幼い私に朧げな宿命の嘆きを感じさせました。

 そればかりではありません。私はこの老狂人について忘れがたい、ふかい記憶を持つてゐるのでした。

 夏の夕がたです。私は、幸さんの家へ遊びに行きました。

 幸さんは、私のやうに氣のよはい、どつちか〔と〕云へば、女々しい〔子〕だつたので、學校ではいつでも、私と幸さんとがいぢめられるもの〔と〕、きまつて居ました。打(ぶ)たれたり、石を投げられたりするたびに、二人は一緒に泣いて、なぐさめ〔合つた〕小學生でした。

 幸さんの居間になつてゐた六疊の緣先が、大きな無花果(いちじゆく)のある狹い庭で、私たちは家の内で十六むさしをしたり、五目ならべをしたりするのに倦きますと、よくこの庭へ出て、遊び遊びしたものです。

 その時も二人でこの庭で遊で居ますと、幸さんは、ふいに笑ひながら「秀馬鹿の泣いてるのを見たかい。」ときゝました。「見ない」と、私が答へますと、「見給へ、可笑しいから。」と云つて又、私のけゞんな顏をしてゐるのを笑ひます。

「どこで泣いてるの。」「あすこでさ、毎晩夕が〔た〕になると大抵ないてるだよ。」幸さんは、私をつれて無花果の靑い大きな實のかげにはいりました。

 さうして二人で、垣根のやぶれた處から、むかうをのぞきました。

 丁うど幸さんの處と豆腐屋の庭とは、垣根を一つへだてゝとなりあつてゐるのです。じめじめした小さな庭には、所々に紙くづがちらばつてそれが夕〔や〕みの中に、ほの白く見え、まだ、ランプをつけない豆腐屋の中はまつくらで、其奧の方から、鈍いおもい響がごとことと呟くやうにきこえて來ます。大方豆をひいてゐるのでせう。

 其じめじめした小さな豆腐屋の庭は、ひよひよした白粉の花が、夕たそがれの中にもほの白くさいて、所々に紅色のもまざりながら、そのあまい香と、無花果の樹のさゝやきとが、しつとりとした夏の夜の大氣に水のやうなしづけさを漂はせて居りました。

 私たちは垣根にぴたりと身をつけて、家の中をすかして見ました。それでも夕闇みの中には唯、あの向(むかう)の聲はきこえるばかりで、物のかげは見え〔ませ〕ん。

「居ないぢないか。」「居るだよ、君、くらいから見えないだ。」

「いつまでまつたつて見えないよ、きつと。」「もう少し待ち給へ。ね、――もう少し。」

 こんな呟(つぶやき)が、二人の所から洩れました。何だか昔話にある、封印をうつた瓶をひらいて、あやしいものゝかくして置いた濃綠色の酒でものむやうなものずきな心が、小さい胸をうごかしたので、私たちは蚊にくはれながら何分か、このくらい無花果の葉かげに立ちくらしました。

 ふいにあたりがあかるくなりました。月が出たのです。と、うす靑い光は、白粉の花の上を流れながら、豆腐屋の、低い緣側の邊もぬらしました。さうして私たちには、その右側の柱によりかゝつて兩膝を抱きながら、頭を其間にうづめた老人のすがたが、見えました。側(かたはら)には、大きな本がひらいたまゝ置いてあります。あの黑い皮の、表紙の本でせう。私たちは、息をひそめました。

 たよりない、さびしい聲が、あのうつむけた、白髮の下からきこえて來るのです。

「天にまします………さんたまりあ……… つみ人を……」きれぎれな、しかも深い感激にみちた、祈禱の言(ことば)が、低く、かなしく、刺すやうに、私たちの耳に、ひゞきました。

 その聲が、とぎれたと思ふと、やるせのない、慟哭の聲が、更に強く、更にかなしく、限(かぎり)ない、多く〔の〕人々の胸を通じて、びゞいてゐる、生の孤獨を訴へる聲が、この人々にかはつて、この老人の口からもれたやうな、――私には、その興奮した息づかひまで、きこえたやうに思はれました。あらゆる苦しみをわすれた、あらゆる樂しみをわすれた、唯、奧ふかい、まことの「我」から起つてくる、淚がとめどなく、あふれるの〔で〕せう。老狂人は、いくども、慟哭の聲をつゞけてゐました。

 ――其の中に、忍び笑の聲が、くすくすと、幸さんの唇からもれました。

 私もつりこまれて、笑ひました。さうして、二人で、「可笑しな奴だね、」と呟きました。

 其時には、もう月の光は、緣側にさゝなくなり、まつ暗な家の中には、うすぐらいランプが、煙つたやうな黃色い灯(ひかり)をとぼしても、老狂人の姿は、たゞ影のやうに見えました。

「可笑しな奴だね」と笑つた私は、今では、その「可笑しい奴」に、深い尊敬を感ぜずにはゐられません。あの祈禱と慟哭、信徒を磔刑處したと云ふ、封建時代の教制に反抗した殉道の熱誠、――私は、〔未〕だに、あの時老狂人に加へ〔た〕嘲笑を、心から恥ぢてゐます。

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